雪が溶け、草木が緑色に輝く。街を歩けば、鮮やかな色の花々が咲き誇り、蝶が舞い、鳥たちの鳴き声が耳に響いてくる。
 あの事件から数ヶ月が経った今では人々も落ち着きを取り戻し、街の景色も明るくなり始めていた。
 ──そう、ついにウルス領にも春が訪れたのだ。

 あれからというもの、色々なことがあった。
 まず、ビクトリアを始めとする元伯爵家の面々は、世界を危機に陥れた罪に問われ王立裁判所で裁かれることとなった。
 判決はまだ出ていないものの、彼らに与えられる刑は相当重いものになるだろうという噂だった。
 良くて終身刑。最悪の場合、死刑。そんなところだろう、と皆が話しているのを聞いているだけで背筋が冷たくなるのを感じていた。
 ビクトリアは未だに容疑を否認しているらしいが、罪に問われている以上その責任から逃れることは出来ない。
 きっと、彼女もいずれ自分の犯した罪の重さを理解してくれることだろう。そうであって欲しいと願うばかりだ。

 エマにかけられた呪いに関しては、あの後ビクトリアを問いただしたところ治癒魔法で簡単に解けるものだということが分かった。
 すぐにその治癒魔法を試みたところ、何とか無事に解呪に成功し、エマは晴れて呪いから解放されたのだった。

 そして──私とジェイドは、改めて結婚式を挙げることになった。
 気づけば、結婚してから一年以上が経過してしまったが、ようやく身の回りも落ち着いてきたし正式に挙げるのも良いだろうという話になったのだ。
 式場は、街の中央にある丘の上に位置する教会だ。空は快晴。頬を撫でる風が気持ちいい。



 控室にて。ウェディングドレスを身に纏った私は、姿見の前で一人佇んでいた。
 不意に、扉を叩く音がして扉のほうに視線を移す。

「はい、どうぞ」

 返事をすると、白のタキシードを着たジェイドが部屋に入ってきた。髪を後ろに撫で付けており、いつも以上に凛々しく見える。
 彼は私と目が合うと、はにかむような笑顔を見せた。私は言葉が出てこず、呆然とその姿を見つめることしかできない。

「よく似合っているよ、コーディ」

 そんな風に、耳元で囁かれる。私は、恥ずかしくなってジェイドの顔をまともに見ることができない。

「ジェイド様こそ、よくお似合いです。その……すごく格好いいです」

 そう言って思わず俯くと、くつくつと微かな笑い声が聞こえてきて思わず顔を上げる。
 目の前には、優しい眼差しで私を見つめるジェイドの姿があった。視線がぶつかった瞬間、思わず頬が熱くなる。
 ふと、部屋の扉をノックする音と同時に聞き慣れた声が聞こえてきた。

「コーデリア! 僕も御めかししてみたんだ! どう? 似合う?」

 返事をする前に勢いよく部屋に飛び込んできたのは、レオンだった。
 くるりとその場で回りながら自分の姿を確認する様子に、思わず口が綻ぶ。
 さらさらとした金髪に、王族特有の金と青のオッドアイ。そのあどけない顔は、兄であるユリアンによく似ていた。
 礼服に身を包んだレオンは、子供ながらにその佇まいを凛として見せる。彼の将来が楽しみで仕方がない。
 私はレオンの頭を軽く撫でると、にっこり微笑んだ。

「ええ、とてもよく似合ってるわ」

 その瞳は星を散りばめたかのように輝いており、彼が本当に王子なのだということを実感させられた。
 どうやら、人間の姿に戻っても彼は相変わらず撫でられるのが好きらしく、目を細めて嬉しそうにしている姿が愛らしい。

「でしょ? 僕も、ついに大人の仲間入りをしたんだなって思って」

「ふふ……元の姿に戻っても、レオン様は相変わらずですね」

 そう言って、くすくすと笑いながら遅れて部屋に入ってきたのはサラだった。
 彼女もまた礼服に身を包んでおり、いつもよりもずっと大人びて見えた。

「失礼します。レオン様はこちらにいらっしゃいますか? ああ、いたいた。肝心なネクタイを結ばずに、一体どこに行ったのかと思えば……」

 アランは室内にレオンがいることに気づくと、呆れたように溜息をつく。
 よく見てみれば、確かにレオンの首元にはネクタイが結ばれていなかった。

「アラン! 僕ね、大人になったんだよ!」

 レオンは嬉しそうに飛び跳ねながらそう答えると、その場でくるりと回ってみせる。

「……それは良かったですね」

 そう言いながら、アランは手際よくレオンのネクタイを結んでいく。
 そんな微笑ましい二人のやり取りを、私は頬を緩ませながら眺めていた。

「それにしても……本当にお綺麗ですわ、コーデリア様」

 サラは、そう言いながらうっとりした様子ですうっと目を細めた。

「本当に、とてもお綺麗です。コーデリア様」

 続いてアランまでもが褒めてくれるので、私は少し気恥ずかしくなってしまった。

「でも……なんだか、少し寂しいです。ついに、コーデリア様もお嫁に行ってしまうのですね」

「あの、サラさん。私、既にジェイド様と結婚していますけど……」

 仰々しく涙を浮かべるサラに、私は思わず突っ込みを入れてしまう。

「いえ、そうなのですが……やはり、コーデリア様は私にとっては可愛い妹のような存在ですから。こうやって、改めて晴れ姿を見たら感極まってしまいまして」

 サラはそう言って寂しげに微笑んだ。
 彼女は私にとっても姉のような存在だ。事あるごとに私を「可愛い」と言う彼女に最初はむず痒くなったりもしたけれど、今ではすっかり慣れてしまった。
 いつも、陰ながら見守ってくれる彼女の優しさや強さが私は大好きだ。

「サラさん……ありがとうございます。私も、サラさんのことは本当の姉のように思っています」

 私はそう言うと、サラをそっと抱きしめた。すると、彼女は優しく抱きしめ返してくれる。
 そんな様子を見ていたレオンが、羨ましそうに声を上げた。

「僕も! 僕もコーデリアとぎゅってしたい!」

 そう言ってこちらに駆け寄ってくるので、私は「おいで」と両手を広げた。それを見たレオンは、嬉しそうに私の胸に飛び込んでくる。

「さて……そろそろ時間ですね。では、皆様。移動を始めましょうか」

 頃合いを見て、アランが移動を促す。
 私たちは頷くと、控室から礼拝堂へと移動したのだった。


 扉が開けられると、待ちきれないといった様子の参列客の視線がこちらに向けられる。
 参列席には、王太子であるユリアンやオリバーやエマと始めとする宮廷魔導士たちの姿も見える。

(オリバーさんとエマさんが仲違いしなくて、本当に良かった……)

 オリバーは、ビクトリアに弱みを握られていたとはいえ私を殺そうとしていたのは事実だ。
 本来ならば、相応の処罰を下すべきなのも理解している。けれど、十分に情状酌量の余地があったため私からごく軽い処遇に留めて貰うよう提案したのだ。そのため、短期間の謹慎処分で済んだのである。
 後でエマから聞いたのだが、オリバーをあんな風に追い詰めてしまったことに関しては自分にも責任があると感じていたらしい。「オリバーを守ってくださって、本当にありがとうございました」とお礼を言われてしまえば、行動して良かったと心から思える。

 こちらを感慨深そうに見つめてくるエマに向かって、私は片目を瞬かせる。すると、彼女は感極まったらしく一筋の涙を流した。
 そんな彼女の肩をオリバーが優しく抱けば、二人で仲睦まじい姿を見せてくれる。二人の手は、しっかりと固く握られていた。

「緊張しているのか?」

 隣にいるジェイドは、私の様子が普段と違うことに気づいたようだ。
 優しく手を握ると、そのまま安心させるように微笑みかけてくれる。

「……ええ。でも、それ以上にすごくワクワクしています。結婚式って、まるで物語の始まりみたいな気がします。ここから、もっと楽しい生活が始まるんだって思うと──」

 そこまで言うと、私は言葉を区切る。そして、胸に手を当てると、そっと目を閉じた。

「本当に、楽しみで仕方ないんです!」

「ああ。俺もだ」

 二人で手を取り合い、ヴァージンロードを歩く。
 祭壇の前では、神父が柔らかな表情で待ち構えていた。



 ──挙式を終えて退場すると、教会の外では領民たちが溢れんばかりに詰めかけていた。
 暖かい歓声に包まれながら、私はジェイドと共に足を踏み出した。

「みんな……!」

 教会の階段を二人で降りると、領民たちは嬉しそうに祝福の言葉をかけてくれた。

「あっ……クレイグさんも来てくれたんだ」

 よく見てみれば、人波に押されながらも必死に「おめでとう!」と叫んでいるクレイグの姿が確認できた。
 皆が祝福してくれていることが、目に見えて分かる。そのことが嬉しくて、それだけで胸がいっぱいになった。

「……コーディ。俺と結婚して幸せか?」

 不意に、ジェイドがそんなことを尋ねてきた。

「え? どうして、そんなこと聞くんですか?」

「その……なんだ、一応確かめておこうと思ってな」

 自信がなさそうな様子で言葉を返すジェイドに、私は笑みを漏らしてしまう。
 そんな彼が可笑しくて、愛おしくてたまらない。少し意地悪をしたくなった私は、無言で俯いてみせる。

「コーディ……?」

 ジェイドは怪訝に思ったのか、顔を覗き込もうとする。
 その瞬間、私はジェイドの首に手を回し、つま先立ちになるとそのまま唇を塞いだ。
 誓いのキスは軽く触れる程度だったけれど、今は言葉だけでは到底伝えられないほどに嬉しい気持ちが溢れてしまった。

 周りの目なんて気にしない。ありったけの愛を口付けに乗せて、直接伝わればいい。
 そう思いながらジェイドから離れると、私は悪戯っぽく微笑む。

「……そんなこと、わざわざ言葉にしなくても伝わるでしょう?」

 最初は驚いていた様子のジェイドだったが──私が甘えるように腕に力を込めれば、彼の腕が背中に回り力強く抱きしめてくれた。


***


 暖炉の効いた暖かい部屋で、老婆がロッキングチェアに揺られながら幼い少女に絵本を読み聞かせている。
 少女は、孫──いや、ひ孫だろうか。ベッドに腰掛けながら、老婆が読む物語を興味津々な様子で聞いている。

「はい、これでおしまい」

「えー! もう、おしまいなの!? もっと、聞きたいわ。他に何か面白いお話は無いの?」

 少女は身を乗り出すと、きらきらと目を輝かせながら老婆が読む昔話を「もっと聞きたい」とせがむ。
 すると、彼女は肩をすくめた。

「おやおや……リジーは本当に好奇心旺盛なのね」

 老婆は困ったような笑みを見せると、少し思案してパタン、と本を閉じる。
 リジーと呼ばれた少女は不満そうに頬を膨らませると、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
 その様子が可愛らしくて、口元が自然と綻んでしまう。老婆はリジーの隣に座ると、彼女の頭を優しく撫でながら静かに口を開いた。

「それじゃあ……あの話をしようかしらね」

「あの話……?」

 リジーは再び目を輝かせると、老婆の方に振り返った。

「どんなお話なの?」

「──ある自信のない女の子が、白い熊の姿をした心優しい公爵様の元にお嫁に行くお話よ。その女の子は、公爵様や周りの人達のお陰で少しずつ明るく前向きになっていくの」

 老婆はそう言いながら微笑むと、少し屈んでリジーと同じ目線になる。
 リジーはそれが嬉しいのか、話を聞こうとますます体を前のめりにさせる。

「白い熊さん……? その公爵様って、人間じゃないの?」

「人間よ。でも、彼は奇病を患っていてね。ある日を境に、獣の姿になってしまったの」

 そう言いながら、老婆はどこか懐かしそうに目を細める。

「へえ……()()()()()()()()()()は、色んなお話を知っているのね!」

「ふふ、伊達に長く生きてはいないわ。……それじゃあ、話していくわね」

 暖炉のパチパチとはぜる音を背に、コーデリアはそっと目を伏せた。そして、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
 最期の瞬間まで全身全霊をかけて愛してくれた、最愛の夫との思い出を振り返りながら──。