この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は、旦那様に溺愛されながらもふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

 何も見えない、真っ暗な空間。まるで深海のような静寂の中で、自分の鼓動と息遣いだけが響く。
 ──なぜ、私はこんなところにいるんだろう? そんな疑問を抱きつつ、思いあぐねる。次の瞬間、ふとあることに気づいた。

(ああ、そうか……いつもの夢か……)

 というのも、私は昔からよく同じ夢を見ているのだ。
 ウルス邸に来て以来、この夢を見る機会が減っていたので油断していた。
 しかし、一度気づいてしまえば、あとはもういつも通りの展開だ。
 私は暗闇を彷徨いながら、ひたすら出口を探す。しかし、どれだけ歩いても一向に光が差すことはないし、誰かに助けを求めることもできない。
 そして、最終的には深い闇に飲み込まれて目が覚める──それが、この悪夢の結末だ。

(早く起きないと……)

 焦燥感に駆られながら、必死に夢の中の世界から脱出しようとする。けれど、なかなか目が覚めない。
 仕方がないので、私は首にかけているロケットペンダントから魔蛍石を取り出そうとした。……が、どういうわけかいつも肌身離さず身につけていたはずのペンダントがない。

(な、なんで……?)

 この夢を見る時、私は大抵ロケットペンダントの中から魔蛍石を取り出してその明かりを頼りに行動している。
 それがないということは、この暗闇の中を手探りの状態で進むしかないということだ。
 私は困惑しながらも、慌てて周囲を見渡す。だが、希望とは裏腹に深い闇が果てしなく続いているだけだった。

(だ、大丈夫……だって、これは夢なんだから)

 そう自分に言い聞かせるが、不安は拭えない。絶望的な状況に、頭を抱えたくなったその時。

 ──ピチョン。

 どこかで、水滴が落ちるような音が聞こえた。
 次の瞬間──私は、なぜか自分が全身ずぶ濡れになっていることに気づく。
 しかも、髪や服から水が滴り落ちており、足元には水溜りが出来上がっていた。

(何……これ……)

 訳が分からずにいると、今度は甲高い子供の声が聞こえてきた。
 驚いて声がしたほうを見ると、そこには三人の子供の姿があった。
 どこか見覚えのあるその子供たちは、何やら揉めている様子だった。

「転んだ挙句水たまりに頭から突っ込むなんて、とんだ間抜けね!」

 子供たちの中の一人が、勝ち誇ったような表情を浮かべて言う。
 すると、もう一人の子供がしゃくりあげて泣き出した。泣いている子供の顔を見た私は、思わずぎょっとする。

(あれは……もしかして、幼い頃の私……? ということは、一緒にいるのはビクトリアとクリフかしら……?)

 困惑しつつも成り行きを見守っていると、「おい、泣くなよ。うるさいぞ」とクリフが苛立った様子で幼い私を睨む。
 すると、幼い私はさらに大声でわんわんと喚き散らした。その様子を見て、ビクトリアは嘲笑う。

「ほーんと、愚図で役立たずなうえに泣き虫で困っちゃうわよね」

 ビクトリアの話しぶりから察するに、恐らく彼女が足をかけて意図的に転ばせたのだろう。
 彼女の言葉に同調するように、クリフが意地の悪い笑みを口元に浮かべて言った。

「お前みたいな奴と同じ血が流れていると思うだけで、吐き気がするよ」

 容赦ない罵詈雑言に、幼い私はとうとう限界を迎えたのか、その場にうずくまってしまった。
 すると、頃合いを見計らったかのように少し離れたところから「おーい、ビクトリア! クリフ!」と彼らを呼ぶ声が聞こえてくる。
 ──若かりし頃のお父様だ。当たり前だけれど、私のことは眼中にないらしい。

「こんなところにいたのか。捜したぞ、二人とも」

「お父様っ!」

 お父様の姿を見るなり、ビクトリアは嬉しそうに飛びつく。

「今日は、みんなでパーティーに行く日だろう? 忘れたら駄目じゃないか。さあ、早く着替えなさい」

「そうだったわ! どんなドレスを着ていこうかしら?」

「この間、買ってあげたドレスがあるだろう? あれを着ていきなさい」

「あ……そういえば、お父様に素敵なドレスを買ってもらったんだっけ。すっかり忘れていたわ!」

 そう言いながら、ビクトリアはこれ見よがしに幼い私に視線を向けると、くすりと笑う。

(ああ、そうだ……思い出した。この日は確か、お父様の知り合いが主催するパーティーに一家で招待されていたんだっけ)

 とはいえ、当然のことながら私はその中に含まれていない。
 家族の中で一人だけ除け者にされるあの感覚を思い出し、胸がぎゅっと痛くなる。

「さあ、行こうか」

「はぁーい! ねえ、お父様。アレ、どうするの? あんなずぶ濡れのままお邸の中に入られたら、床が汚れちゃうわよ?」

 ビクトリアが問いかけると、お父様は眉根を寄せつつも答えた。

「……ああ、アレのことは気にするな。あとで使用人に言って、適当な服に着替えさせておくから。それに、今日はあの部屋に閉じ込めておくしな」

 お父様の言う「あの部屋」とは、庭師が使っている小屋のことだ。小屋といっても、ほぼ物置きである。
 幼い頃の私は、事あるごとにその部屋に閉じ込められていた。そう、月明かりすら届かない真っ暗な空間に。
 お陰で、私は暗所恐怖症になってしまった。お守り代わりに身につけている魔蛍石がないと、未だに取り乱してしまうほどである。

「ふーん……そうなのね。じゃあいいわ。行きましょ!」

「ま、待って! お願い、行かないで! 一人にしないで! 私、いい子になる! いい子になるからっ……! だから、私も一緒に──」

 幼い私の悲痛な叫びが、暗闇に響き渡る。しかし、その声は誰にも届くことはなかった。

(…………)

 幼い日の嫌な記憶が蘇り、私は呆然とする。
 しばらく立ち尽くしていると、目の前で繰り広げられていた光景は闇に溶けるようにして消えていった。
 最初はいつも見ていた夢と同じかと思ったけれど、どういうわけか今回は全然展開が違う。私は困惑しつつも足を踏み出した。

(とにかく……出口を探さないと……)

 けれど、いくら歩いても一向に光が差す気配はない。それどころか、どんどん深い闇へと沈んでいくような気がしてならなかった。
 このままではいけない。そう思った私は、必死に足を動かした。
 でも、どれだけ頑張っても前に進んでいる気がしなかった。私は、ついにその場に座り込んでしまう。
 次第に絶望感や恐怖に支配されていく中、不意に誰かの声が聞こえてきた。聞き覚えのある、優しい声だった。

「──コーディ」

(え……?)

 そう、私を初めて愛称で呼んでくれたあの人の声だ。

(ジェイド……様……?)

「コーディ」

 もう一度、はっきりと自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。

(そうだ……早く、この悪夢から目を覚まさないと……)

 だって、今はもう自分を虐げる家族とは一緒に暮らしていないのだから。
 今の私は、優しくて親切な人たちに囲まれている。だから、何も悩むことはない。

『俺と友達になってくれないか?』

 あの時、ジェイドが言ってくれた言葉を何度も反芻する。気づけば、私は自然と笑みを浮かべていた。

(うん。私……もっと、あなたと仲良くなりたい)

 そう強く願いながら目を開けると、見慣れた風景が視界に飛び込んできた。
 カーテンの隙間から差し込む陽光を浴びながら、私はゆっくりと上体を起こす。

(良かった……ちゃんと目が覚めた……)

 妙にリアルな夢だったせいか、まだ身体が緊張状態にあり、私は小さく息を吐く。
 周りを見渡してみれば、ふと、ここが自分の寝室ではないことに気づく。

(あれ……? 私、なんでソファで寝ているんだろう……?)

 しかも、誰かが気遣って毛布をかけてくれたようだ。
 首を傾げつつ、昨夜の記憶を辿っていると、少し離れたところから「おはよう」という声が聞こえてくる。
 声がしたほうに視線を移してみれば、そこにはジェイドの姿があった。

「ジェ、ジェイド様っ!?」

「随分と気持ちよさそうに眠っていたな」

 そう言って、彼は口元に手を当ててくつくつと笑う。

「あの……どうして、私はここで寝ているんでしょうか?」

「覚えていないのか? 昨日、この部屋で読書をしていて、そのまま眠ってしまったんだぞ」

「え?」

 彼の言葉を聞いて、ようやく昨夜のことを思い出す。
 そういえば……暖炉の前のロッキングチェアに座って本を読んでいたら、うとうとしてそのまま寝てしまったのだ。

「ああ、思い出しました……!」

「やっと、思い出したか」

 この部屋は、先代当主──つまり、ジェイドの父親が使っていた書斎だ。
 暖炉があるため暖かくて過ごしやすく、読書をするのにちょうど良い。だから、最近はよく入り浸っているのだ。
 とはいえ、まさかそのまま眠りに落ちてしまうなんて思わなかった。

 いくら暖炉の前で温まりながら読書をするのが心地良いからといっても、長時間いるのは危ない。
 だから、ジェイドはこうして私を移動させたのだろう。
 そこまで考えが至ったところで、今度はある疑問が浮上する。

(ということは、ジェイド様がソファまで運んでくれたのかしら……?)

 そう考えた途端、恥ずかしさがこみ上げてきて頬が熱くなる。
 同時に、彼に対する申し訳なさが募っていった。

「あ、あの……ジェイド様。もしかして、私をソファまで運んでくださったんでしょうか?」

 恐る恐る尋ねてみると、彼は不思議そうに目を丸くした。

「ああ、そうだが。何かまずかっただろうか?」

「あ、いえ……! その、重かったですよね……すみません!」

 自分がジェイドに横抱きされつつ運ばれている姿を想像し、ますます上気してしまう。
 そんな私の反応を見て、ジェイドは「いや、寧ろ軽かったよ」と言いながら笑った。

「それにしても……一体、何の本を読んでいたんだ?」

 そう問われ、言葉を詰まらせる。

(獣化の病の治療方法について調べていたけれど、これといった収穫がなかった……なんて言ったらジェイド様をがっかりさせてしまうわよね)

「ええと……歴史関連の本を少々……」

「ほう……また、随分と難しそうなものを読んでいるんだな」

「はい。少しでも、知識を増やしたくて」

 咄嵯についた嘘だったが、ジェイドは疑うことなく納得してくれたようだ。

「まあ、いい。それよりも、アランから聞いたんだが……鉱山に行きたいそうだな」

「え? は、はい……」

 唐突に投げかけられた質問に対しそう答えると、ジェイドは顔を曇らせた。

「魔蛍石を使ったランプを配って、領民たちの生活を豊かにしたいという君の願いはよく分かった。だが、以前も言ったと思うが、今の鉱山は危険すぎる。たとえ護衛付きだとしても、君を行かせるわけにはいかない」

「で、でも……」

 確かに彼の言う通りなのだが、それでも私は諦めきれなかった。

「このままだと、彼らの心は荒んでいく一方です。それは、領主である貴方が一番ご存知でしょう? 明かりがない生活というのは、庶民にとっては想像以上に不便なものです」

 領民たちの中には、夜勤をしている者も多いと聞いている。月明りや星の瞬きだけでは、足元さえおぼつかないだろう。
 そんな中で作業をさせ続ければ、いずれ大きな事故が起こるかもしれない。

「……」

 無言のまま俯く彼に、私はさらに言葉を続ける。

「それに、私……ジェイド様のお役に立ちたいんです。ただ邸に籠もってじっとしているだけなんて嫌なんです」

 そう訴えると、ジェイドは目を見開いた。
 けれど、すぐに目を伏せて言った。

「──もう、二度と家族を失いたくないんだ」

「え……?」

 ぽつりと呟かれた言葉の意味がよく分からず首を傾げると、ジェイドは話を続ける。

「俺の両親は、鉱山の事故で死んだんだ」

「……!」

 まさか彼が両親のことを口にするとは思わず、私は言葉を失う。
 彼の瞳に寂しげな色が浮かんでいることに気づき、胸がぎゅっと締めつけられた。

「四年前のことだ。視察でたまたま鉱山を訪れた時、運悪く土砂崩れに巻き込まれて……」

「そう、なんですか……」

 鉱山は地盤が緩くなっている場所も多くあると聞くから、そういった事故があってもおかしくはない。

「君は俺の大切な友人であり、家族でもある。だから、危険な目に遭わせたくないし傷ついてほしくない。ましてや、命に関わるようなことになれば、俺は……」

 そこまで言って、ジェイドは口を閉ざした。
 彼の気持ちは痛いほど分かる。けれど、私にも譲れないものがあるのだ。

「ジェイド様の仰ることは分かります。でも、やっぱり私は……」

「……君は、本当に他の女性たちとは毛色が違うな」

「え?」

 予想外の言葉に戸惑っていると。ジェイドは苦しげに眉根を寄せながらも、やがて観念したかのように言った。

「わかった。俺のほうで何とかしよう」

「本当ですか!?」

 思わず声を弾ませると、ジェイドは「ただし」と言った。

「条件がある。護衛がいるからといって、油断しないこと。それから、絶対に一人で行動しないこと。約束できるか?」

「……はい! ありがとうございます!」

 嬉しさのあまり笑顔でそう返事をすると、不意に伸びてきた彼の手に頭を撫でられる。

「いい返事だ」

 そう言って、ジェイドは笑みを浮かべた。
 頭を撫でられた瞬間、私は以前にも感じた不思議な胸のざわめきを覚えた。
 しかし、それが何か気づくよりも先に、ジェイドは私に背を向ける。そして、「とりあえず朝食を食べるか」と言いながら部屋を出て行った。

(もっと、撫でてほしかったな……)

 部屋から出ていくジェイドの後ろ姿を見てなぜか名残惜しいような気持ちになり、私は自分の胸に手を当てたのだった。
 数日後。

「あの……確かに私は護衛を付けてほしいとお願いしました。でも……どうして、アランさんとサラさんがここにいらっしゃるのでしょうか?」

 一緒についてきた二人に向かって、私は困惑気味に声をかける。

「ああ、言いませんでしたっけ? 私、こう見えて結構腕っぷしは強いんですよ。普段は家令を務めていますが、これでも昔は騎士団に所属していたので」

「え!? そうだったんですか?」

「とはいえ、ほんの短い間だけですけれどね」

 そう答えたのは、アランではなくサラだった。そんな彼女に、アランは鋭い視線を向ける。

「ちょっと、サラさん。余計なことを言わないでください」

「ちなみに、私もそれなりに武術の心得はありますので、どうぞ安心して身を委ねてくださいね」

「そ、そうでしたか……」

 まさか、こんな形で二人が同行することになるとは思わなかったため、戸惑いを隠せない。
 そんなわけで、私たちは馬車で一時間ほどの距離にあるメルカ鉱山へとやって来た。
 坑道内から流れてくる瘴気に、思わず顔を顰めてしまう。私はごくりと喉を鳴らすと、心を落ち着かせるように身につけているタリスマンをぎゅっと握りしめた。

 メルカ鉱山は、他の鉱山よりも魔蛍石が多く採れるらしい。
 だが、現在は他の鉱山と同様に瘴気の影響もあって採掘は滞っており、例に漏れず一部の鉱夫しか働いていないのだという。
 このままでは廃鉱になるのも時間の問題で、領民の生活を豊かにするどころか、衰退の一途を辿るだけだ。

(でも……あのランプが普及すれば、きっと今よりも採掘が楽になるはずよね)

 そんな期待を込めて、早速鉱山へと足を踏み入れる。
 坑道内は薄暗くひんやりとしていた。今日はそれほど瘴気が濃くないため一応照明はついているようだが、あまり明るくないので視界が悪い。
 私はロケットペンダントから魔蛍石を取り出すと、足元を照らしながら先へ進むことにした。
 しばらく歩いているうちに、人の声が聞こえてきた。恐らく、ここで働いている作業員たちの声だろう。そのまま歩き進めていると、やがて開けた場所に出た。

「ここが採掘場……?」

 そこでは、十数名ほどの作業員たちが働いていた。
 その中の一人──リーダーと思しき男性は、私たちの存在に気づくなり慌てて駆け寄ってくる。

「もしかして、コーデリア様ですか? 公爵様から、お話は伺っています」

 どうやら、ジェイドから既に話が通っていたらしい。
 経緯を説明をする手間が省けたことに安堵しつつ、私は笑顔を浮かべた。

「はい。本日はよろしくお願いします」

「ああ、俺はブレットっていいます。以後お見知りおきを」

 彼は快活そうな笑みを見せると、帽子を取って頭を下げてくる。
 それにつられて、私も軽く会釈をした。

「ええと……それで、魔蛍石でしたっけ? なんでまた、そんなものを採取したいんですか? 照明として利用するには、ちっとばかし使い勝手の悪い鉱石ですけどねぇ……」

 ブレットは首を傾げつつ、不思議そうに尋ねてきた。

「実は、そうでもないんです。やりようによっては、強く発光するというか……まあ、実際にお見せしたほうが早いかもしれませんね」

 そう言いながら、私はロケットペンダントから自身の魔力を流し込んだ魔蛍石を取り外す。そして、それを手のひらに乗せると、ブレットの目の前に差し出した。

「うおっ!? なんだこれ! めちゃくちゃ明るいじゃねえか!」

 その光景を目の当たりにしたブレットは目を丸くし、「すげぇなぁ……」としきりに関心している様子だ。
 ブレットの声に反応したのか、作業に集中していた他の鉱夫たちも一斉にこちらを振り向いた。
 目を見張っている彼らに向かって、私はさらに言葉を続ける。

「この魔蛍石を使えば、夜でも昼間のように周囲を照らすことができますよ」

「ど、どうやったらこんなに明るくなるんですか?」

 ブレットがそう尋ねてきたので、私は手順を説明する。
 すると、途端に彼らの顔つきが変わった。

「もしかして、コーデリア様は魔力が高い家系のご出身なんですか?」

 そう尋ねられ、私は言葉に詰まる。
 一族の中で唯一の落ちこぼれであること──それが、私が家族から虐げられていた主な理由だ。
 とはいえ、そのことを説明するのは憚られるため、曖昧に返事をして誤魔化しておくことにする。

「え? ええ、まあ……」

「なるほど、道理で凄いわけだ。俺たちのような庶民は、魔力を持っている者ですら精々火をつけるのが精一杯で……現に、ここで働いている連中も魔法を使えない奴らばかりなんですよ」

 そう言うと、ブレットは自嘲気味に笑みを浮かべた。

「でも……確かにこれなら、採掘が捗りそうだ」

 ブレットは納得したようにうんうんと頷く。

「ただ、欠点もあるんです。この強い発光は最長でも二ヶ月程度しか持続しないんですよ」

「えぇ! そうなんですか?」

「はい。なので、定期的に交換する必要があるんです」

「つまり、今持っている魔蛍石の効果が切れそうだから新しいものを採取しに来たってことですかね?」

「ええ。勿論、それもあるのですが……。実は、まだ試作段階なのですが、発光の強い魔蛍石を使ったランプを流通させることを考えていまして……」

「なるほど……そういうことだったんですね。コーデリア様は、俺たち領民のことを考えてくださっていたわけか。本当にありがたいことです」

 ブレットは感極まったような表情を浮かべている。

「いえ、とんでもないです。私は、自分のできることをしているだけですから。それに……こんな状況ですから、皆で助け合わないといけませんよね」

 私は慌てて首を横に振ると、謙遜するように苦笑した。

「それで、あの……もしお邪魔でなければ、魔蛍石を採取させていただけませんか?」

 遠慮がちにそう尋ねると、ブレットは快く了承してくれた。

「ええ、構いませんよ。それにしても……失礼かもしれませんが、公爵家の奥方様ともなればもっと気難しい方なのかと思っていました。全く、噂とは当てにならないものですね。まさか、こんなに可愛らしくて聡明な方だったとは」

「え!? い、いえ……そんなことは……」

(また、可愛いと言われてしまった……。でも、社交辞令よね……)

 そんなことを考えていると、隣にいるサラが耳打ちしてきた。

「ほら、やっぱり他の方から見てもコーデリア様は可愛いんですよ。私も、鼻が高いです」

「うっ……」

 どうやら、彼女は本気で言っているようだ。満面の笑みを浮かべている彼女を見ているうちに、気恥ずかしさが込み上げてくる。
 頬を紅潮させながら押し黙っていると、ブレットは不思議そうな顔をしながら首を傾げた。

「何にせよ、わざわざ足を運んでいただきありがとうございます」

 狼狽している私に向かって、ブレットは恭しくそう言った。

「とりあえず……今から魔蛍石を採取されるんですよね?」

 そう言いながら、ブレットは採掘に必要な器具一式を手渡してきた。
「採掘用の手袋とツルハシになります」

 採掘道具を受け取るなり、私たちはブレットに言われた通りにそれらを身に着けていく。

「あの、コーデリア様。やはり、採掘は俺たちだけでやったほうがよろしいのでは? それで、後からコーデリア様に石を選別してもらったほうが……」

 ブレットが心配そうにそう言ってくれたのだが、私は頑として譲らなかった。

「ありがとうございます。でも、やっぱり自分の目で良質な石を見極めたいんです」

 ブレットの言う通り、採掘に関しては鉱夫たちに任せたほうが効率が良いのだろうが、今回は魔蛍石の性質を知るための研究も兼ねている。
 だから、実際に原石を手に取って確認しながら採掘したいというのが本音だ。
 とはいえ、私たちのような素人だけで鉱山内を探索するのは難しいと判断し、ブレットには付き添ってもらうことにした。
 そんなやり取りをしつつも、私たちは魔蛍石が採れる場所へと向かう。

「ここです。この辺は照明が少ないので、足元にお気をつけください」

 そこは薄暗く、所狭しと岩が転がっていた。

「それでは……早速、魔蛍石の採掘を始めましょうか?」

「はい、よろしくお願いします!」

 私が元気よく返事をすると、ブレットは微笑んだ。

「それじゃあ、まずは俺が手本を見せますね。コーデリア様は、その後に続いて同じようにやってみてください。もし分からないことがあれば、すぐに質問してくださいね」

「はい。分かりました」

「それでは、始めます」

 ブレットはそう宣言すると、手慣れた様子で作業を開始した。

「こうやって、掘っていくんです。コツとしては、あまり力を入れすぎないことでしょうか。あとは、根気が大事ですね」

 ブレットはそう言うと、真剣な眼差しで採掘を始めた。
 ツルハシを勢い良く振り下ろすのではなく、優しく撫でるようにして掘り進めているようだった。

「なるほど……」

 私はその光景を見て、思わず感嘆の声を上げる。
 ブレットが掘り進めていると、徐々に原石が露出してくる。
 緑色を帯びた淡い光を放つそれは、紛うことなき魔蛍石だった。

「……っと、こんな感じです。まぁ、最初はなかなか上手くいかないと思いますけど、焦らずにやりましょう」

「はい! 頑張ってみます!」

 私は気合いを入れるように大きく息をつくと、彼の真似をして採掘を始めた。

「…………」

 しかし、いざ採掘を始めると、思うように進まない。
 ツルハシを振り下ろしても、ガツンという衝撃が腕に伝わるだけだ。
 ブレット曰く、私が使っているツルハシには採掘をサポートする魔法がかかっており、女性でも簡単に扱えるようになっているらしい。
 それでも、私の筋力が足りていないのか思ったようには進まなかった。

(うーん……難しい)

 そう思いつつも、せっせと作業を続けること十数分。
 ようやく、一個目の魔蛍石を掘り当てることができた。

「おお、すごいじゃないですか。こんなに早く見つかるなんて」

 ブレットは驚いたような表情を浮かべると、拍手をしてくれた。少し仰々しくも感じるが、嬉しい。

「いえ、たまたま運が良くて……。それに、ブレットさんの教え方が上手かったからだと思います。それにしても……本当に綺麗……」

 私は手の中の原石をまじまじと見る。

「この原石を研磨したら、さらに美しくなるのでしょうね……ふふふふふ……」

「まあ、コーデリア様ったら……締まりのない顔になっていますよ!」

「え!? そ、そうですか!?」

 サラに突っ込まれ、私は慌てて表情を引き締める。

(いけない、いけない……。つい、妄想に浸ってしまったわ)

 サラに指摘され、私は慌てて口元を引き締めた。
 鉱物のことになると、どうも我を忘れてしまうようだ。

「と、とりあえず……気を取り直して」

 私は仕切り直すと、掘り当てた原石を手のひらに乗せ周囲を見渡した。

「一体、何をされているんですか?」

 ブレットが怪訝そうな顔をしつつ尋ねてきた。

「実は、鉱石というのは個体によってマナの含有量が異なるのです。だから、周辺にある石と比較することで含有率の高いものを選別しているんですよ」

「つまり、マナの含有率が高い鉱石ほど良質なのでしょうか?」

 ブレットが尋ねてきたので、私は深く頷く。

「魔蛍石は、マナの含有量が多いものほど発光が強くなる傾向があるんです。私は、昔からなぜかマナの含有量が多い鉱石を見分けるのが得意でして……魔導具屋で魔蛍石を買う時は、いつも吟味していました」

 暗所恐怖症の私にとって、暗闇の中で発光する魔蛍石は救いでもあった。
 この特技も、そういった経験が影響しているのだろう。

「さすがはコーデリア様! 博識ですね! 正直、俺には何がなんだかさっぱりでしたが……」

 ブレットはそう言って苦笑を浮かべた。

「とりあえず、この原石よりマナの含有量が多いものを探します。この石を基準にして探せば、大体どの辺に上質な石があるかわかるので」

 そう言って、私は感覚を研ぎ澄ませながら周囲の岩を見つめた。すると──

(あっ、これだ!)

 直感的に一つの岩石に目をつけた私はそこまで移動し、ツルハシを振るってみた。すると、先程よりも大きな音が響いた。

「これは……」

 どうやら、先ほどの魔蛍石よりもさらにマナの含有量が多いようだ。
 私は喜び勇んでツルハシを振り上げると、岩を削り始めた。

「……っ」

 ツルハシが岩に当たるたびに、腕に痺れるような衝撃が走る。
 だが、そんなことは気にならなかった。夢中になって掘っていると、やがて魔蛍石の頭が見えてくる。

「やった! 採れた!」

 私は歓喜の声を上げると、魔蛍石の原石を拾い上げた。
 その大きさは、過去に魔導具屋で買ったものとは比べ物にならないくらい大きい。

「やりましたね、コーデリア様!」

「おめでとうございます!」

 アランとサラは興奮気味に声を上げた。

「ありがとう!」

 二人の祝福の言葉を受け、自然と笑顔になる。
 そして、私は手に入れたばかりの魔蛍石を掲げて見惚れていた。

(ああ……なんて、綺麗なんだろう)

 原石が放つ光は、まるで闇夜に瞬く星のように幻想的だった。
 そして──その後も私たちは、ひたすら採掘作業に励んだ。結果、かなりの数の魔蛍石を採取することができた。

「ふう……こんなもんかしら」

 そう呟きながら、私は額の汗を拭う。

(さすがに疲れたな……)

 採掘に夢中になっていたせいか、いつの間にか体力を消耗していたらしい。
 私は小さく息をつくと、その場に腰を下ろした。

「大丈夫ですか? コーデリア様」

「ええ、大丈夫です。ちょっと、張り切りすぎただけなので」

 心配そうに声をかけてきたブレットに向かって、私は笑みを返す。
 次の瞬間──どこからともなく低い唸り声のようなものが聞こえてきた。
 風の音かもしれないが、何か違う気がする。私、アラン、サラの三人は顔を見合わせる。ふと、ブレットのほうに視線を移すと、彼もまた険しい表情を浮かべていた。

 不思議に思っていると、ブレットは私の視線に気づいたのか「静かに!」とジェスチャーしてきた。
 その唸り声は反響しており、かなり近い距離にいることを示していた。

「あそこですね……」

 ブレットは目を細めると、鉄柵がある方向を睨みつけた。
「もしかして……魔物でしょうか……?」

 私の質問に対して、ブレットは頷く。

「ええ、恐らくは……」

「あの鉄柵は、一体何なんですか?」

「あれは、作業員たちを魔物から守るために設置されたものなんですよ。俺たちは、あの鉄柵から先には行かないようにと言われているんです」

 ブレット曰く、現在は鉄柵より先での採掘は禁止されているらしい。
 理由は、奥に行けば行くほど危険な魔物が出現するからだ。よく見てみれば、「これより先 立ち入り禁止」と書かれた看板が鉄柵のそばに設置されている。
 坑道を進んでさらに奥に行けば他にも良質な鉱石が眠っているかもしれないが、立ち入りが禁止されているのであれば仕方がない。

「あの鉄柵には、強力な結界魔法が施されています。なので、恐らくこちら側には来れないとは思いますが……」

 ブレットはそう言いつつも、油断はできないといった様子だった。
 次の瞬間、私たちの耳に飛び込んできたのはこちらを威嚇するような咆哮だった。

「ウオオオオオオォォン!!!!」

 耳をつんざくような大音響に、私は慌てて耳を塞ぐ。

(な、何……!?)

「……あれ、何でしょうか?」

 サラが指さした方向を見ると、鉄柵の一部が破壊されており、何かが佇んでいるのが分かった。
 その何かは、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。──間違いない、あれは魔物だ。

「ひぃっ……!」

 突如現れた魔物を目の当たりにしたサラが、悲鳴を漏らす。
 体長は、およそ二メートル強。全身が銀色の体毛に覆われ、鋭い牙と爪を持っている。

「で、出た……」

 その姿を見たブレットが青ざめた顔で後ずさりする。

「実は先日、作業員の一人が魔物に襲われて負傷したんです。幸い、命からがら逃げて事なきを得ましたが……その作業員が言っていた魔物の特徴と一致しているんです」

「ということは……」

 呟きながら、私は再び魔物のほうを見やる。
 その目は赤く血走っており、明らかに理性など持ち合わせていないように見えた。

(あんなのに襲われたら、ひとたまりもないわ……)

 そう思いつつ、私はゴクリと固唾を呑んだ。

「その時は、てっきり彼の魔除けの香水の効果が切れたものだとばかり思っていたのですが……」

 そこまで言うと、ブレットは言葉を失った。よほどの恐怖を感じたのか、体が小刻みに震えている。

「あの鉄柵を難なく破壊しているところを見る限り、香水の効果は切れていなかった可能性が高いと──つまり、そういうことですね?」

 私の問いかけに対し、ブレットは震えながらも頷く。

「……あれは、一体何なんですか?」

「お、恐らくですが……シルバーウルフという人狼の一種かと思われます。随分昔に絶滅したと聞いていたので、まさかこんなところで遭遇するとは思ってもみませんでした」

 ブレットがそう言った直後。ついに痺れを切らせたのか、シルバーウルフが動いた。
 猛然と走り出したかと思うと、一直線に私たちの元へと迫ってくる。

「……!」

 あまりに突然の出来事だったため、私は動くことができず固まってしまう。
 すると、私の背後から小動物と思しき生き物──恐らく、猫か何かだろう──が現れ飛び出してきた。
 灰色の毛並みを持つその猫は、そのまま私を守るように立ち塞がると鋭い爪を振るう。次の瞬間、シルバーウルフの顔面に赤い鮮血が降り注いだ。
 恐らく、目を狙ったのだろう。思わぬ攻撃を受けたことで怯んだらしく、シルバーウルフの動きが止まり、やがてその場にうずくまった。

「え……?」

 困惑していると、不意にその猫が振り返って人語を喋り始めた。

「コーデリア様! 今のうちに、どこか安全なところへ避難してください!」

 どこかで聞き覚えのある声だと思えば──それは、紛れもなくサラの声だった。

「も、もしかして……サラさん!? どうして、そんな姿に……」

 私は困惑しつつもそう返す。
 一体、どういうことなのだろう? 思考を巡らせていると、サラが叫んだ。

「説明は後です! 今は、とにかく逃げてください!」

 彼女の必死な訴えを聞き入れ、私はその場から駆け出す。
 だが──

「コーデリア様!!」

 不意に、後方からサラの悲痛な叫びが聞こえた。
 振り向くと、追いかけてきたであろうシルバーウルフが既に至近距離まで迫っており──その腕を大きく振りかぶった。

(ああ……もう駄目だ)

 覚悟を決めて目を閉じた瞬間、誰かが私を横から押した。
 そのままバランスを崩して地面に倒れ込んでしまうが、そのお陰で私はシルバーウルフの攻撃をまとも食らわずに済んだ。
 私は恐る恐る顔を上げる。すると、一匹の茶色い犬がまさにシルバーウルフに飛びかかっている最中だった。
 その犬の攻撃を受けたシルバーウルフは、再びその場にうずくまる。

「大丈夫ですよ、ご安心ください。貴女には指一本触れさせませんから」

 またもや、聞き覚えがある声だった。
 今度は一体誰なのかと思いあぐねていると、その犬はこちらを振り返ることなくこう続けた。

「だから、どうか私のことは気にせずお逃げになってください」

 その凛とした後ろ姿に、思わず見惚れてしまいそうになる。

(いや、まさか……そんなはずないわよね?)

 心の中で呟きながらも、私はその人物が何者なのか確信した。

「アランさん……?」

 そう尋ねると、目の前にいた犬は少しだけ振り向いて頷いた。

「ちょ、ちょっと待ってください。理解が追いつかないんですけど……」

 目の前にいる犬と猫の正体はアランとサラで、二人は私を守るために戦ってくれていて──

(駄目だわ……やっぱり、意味が分からない。もしかしたら、実は二人も獣化の病に罹っているのかしら? でも、もしそうなら急に変身するのはおかしいし……)

 私は混乱する頭を抱えながら、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

「グゥルル……ッ」

 シルバーウルフは低い声で喉を鳴らすと、再び飛びかかってきた。
 すかさず、アランはその攻撃をかわす。

「コーデリア様を傷つけようとしたこと、万死に値します!!」

 不意にそんな声が聞こえたかと思えば、サラがシルバーウルフに飛びかかっていた。
 その目は怒りに満ちていて、およそ可愛らしい外見には似つかわしくない。

「サ、サラさん……なんか、怖い……」

 主人に対する忠誠心が高いからなのか、それとも何か別の理由があっての感情かは分からないが、いずれにせよ彼女が激怒していることだけは確かである。

(色んな意味で、イザベルとは大違いね……)

 ふと、実家にいた頃の侍女であるイザベルを思い出した。
 彼女は忠誠どころか、仮にも主人である私を目の敵にしていて散々嫌がらせを仕掛けてきた。しかも、それを楽しんでいるような節さえあったのだ。
 そんなことを思い出しながらも、私は成り行きを見守る。
 サラの攻撃は効いているようで、シルバーウルフは徐々に追い詰められていく。
 だが、次の瞬間。隙を突いて、シルバーウルフが反撃を繰り出そうとした。

「サラさん!」

 私が叫ぶや否や、アランがシルバーウルフに体当たりを食らわせる。
 だが、なかなか怯まないシルバーウルフはアランに向かって何度か爪を振り下ろした。間一髪、彼が身を翻したことで致命傷は逃れたが──アランの前脚からは血が滴り落ちていた。

(このままだと、アランさんが……!)

「っ……!」

 咄嵯に駆け出した私は、気がつくと彼の前に飛び出していた。

「危ないっ!!」

 サラは悲鳴に近い声で叫ぶ。
 だが、私は構わずシルバーウルフに近づいていく。
 そして、周囲に眠っている鉱石から力を借りるようなイメージで意識を集中させると──次の瞬間、突然四方から光線のような光が発せられ、シルバーウルフの体を貫いた。
 シルバーウルフはうめき声を上げると、程なくしてその場に倒れ込む。どうやら、息絶えたようだ。

「コーデリア様……?」

「今のは一体……」

 背後から、アランとサラの困惑したような声が聞こえてくる。
 私はほっと胸をなで下ろしながら、二人のほうに向き直った。

「あの……もしかして、コーデリア様が魔力をほとんど持っていないというのは何かの間違いなのでは……?」

 そう尋ねてきたサラの瞳は、どこか輝いて見えた。
「え……?」

 サラの言葉に、私は困惑してしまう。
 幼い頃、私は魔力値を計測する水晶で判定を受けた。その際、水晶は極わずかな魔力しか検知しなかった。
 最初は水晶が誤作動を起こしたのかと思い、何度も再計測をしてもらったのだが──結果は同じだった。
 結局、自分が無能だという事実を突きつけられただけだったのである。
 そのせいで、家族や周りの人間からはますます疎まれるようになったのを覚えている。
 だから、私はそれ以来魔法を使うことを諦めたのだ。

「いや、今のは周囲に眠っている鉱石から力を借りただけであって、別に私自身の魔力を使ったわけでは……」

「ええと……多分、普通の人はそんなことはできないかと……」

 アランが私の言葉を否定するように言った。

「でも、あの時確かに私は判定を──」

 思わず反論しようとした私の言葉を遮るようにして、サラが再び口を開いた。

「先程、コーデリア様は『周囲に眠っている鉱石から力を借りた』と仰っていましたよね? それはつまり、自然界のマナを自在に操り体に取り込めるということです。そして──それができるのは、恐らくこの世界においてコーデリア様だけでしょう」

 そこまで言い切った後、サラは再び私のほうへと向き直った。
 その真剣な眼差しを受けて、私は思わず息を呑む。

「そ……そんなわけないじゃないですか!」

 自分の声が徐々に荒くなっていくのを感じる。
 だが、それでもなお、言葉を止めることはできなかった。

「もし、仮に私に魔法の才能があるなら、家族から見限られるようなこともなかったはずです。だから、今のは全然凄いことでもなんでもなくて……」

(──期待して裏切られるくらいなら、最初から希望なんて持たないほうがいい)

 自分に秘められた才能があると思い込んで、後からやはり勘違いだったという現実を知った時の絶望感ほど辛いものはない。
 だからこそ、私は今までずっと自身を必要以上に卑下してきたのだ。
 最初から自分は無能だと思って諦めていれば、それ以上傷つくことがないからだ。

「だから……冗談でも、そんなこと言わないでください」

 私が目を伏せると、その場を沈黙が支配する。

「し、承知いたしました。出過ぎたことを言ってしまい、申し訳ございません」

 数秒ほどの沈黙の後、サラは深々と頭を下げた。
 それを見て、私は慌てて彼女のそばに駆け寄る。

「あ……! いえ……謝らなければいけないのはこちらの方です。つい感情的になってしまいまして……本当にすみませんでした」

 申し訳なさそうに縮こまる彼女を見ていると、罪悪感に押しつぶされそうになる。

(話題を変えないと……)

 そう思い、私はアランとサラに質問を投げかける。

「そういえば、どうしてサラさんとアランさんはその姿に……?」

 私は、動物の姿になった二人を改めて見てみる。
 ジェイドは二足歩行だし、どちらかと言えば獣人寄りだ。けれど、二人はどう見ても完全な動物である。
 そもそも、彼らは一体どうやって姿を変えているのか? それに関しても気になるところだ。

「実は、私たちも獣化の病を発症しておりまして……」

 すぐにそう答えたのはアランだった。彼は、そのまま自分たちの症状を説明し始める。

「ただ、私たちの場合、他の患者とは症状の出方が違うんですよ。というのも、感情の変化によって姿が変わってしまうようなんです」

「感情の変化……?」

「はい。例えば──怒りや悲しみといった強い負の感情を抱いた時に、動物の姿へと変身してしまうんです。ちなみに、ジェイド様のように獣人に近い姿になる患者もいれば、完全に動物の姿になる患者もいます。つまり、私たちの場合は後者ですね」

 アランの説明を聞いて、私はふとあることに気がついた。

「ということは、私がシルバーウルフに襲われたことが原因でアランさんとサラさんはそのような姿になってしまったということでしょうか……?」

 恐る恐る尋ねると、アランは首を横に振って否定した。

「いえ、コーデリア様のせいではありません。それに、私たちは元々こうなる覚悟でコーデリア様にお仕えしているのですから」

「アランさんの言う通りです! ただ、コーデリア様には内緒にしておきたいという気持ちがあったものですから、こうして隠しておりました。ご心配をおかけして、大変申し訳ありません!」

 アランとサラは深々と頭を下げる。その姿を見て、私は狼狽した。

「そんな……頭を上げてください!」

 恐らく、私に心配をかけたくない一心で黙っていたのだろう。
 そのせいか、二人の顔には深い後悔の念が滲み出ているように見えた。

「ちなみに、なんですけど……元の姿に戻る時は、どういったきっかけで戻るのですか?」

 そう尋ねてみると、サラはゆっくりと顔を上げた。

「一定時間が経過すれば、自然と元の姿に戻りますよ。なので、ご心配なく」

「そうなんですね……よかった……」

 私はほっと胸をなで下ろした。
 同時に、自分の中である欲求が芽生えたことに気づく。

(それにしても、二人とも毛並みが良いわね。ちょっとだけ、触らせてくれないかな……)

 私は、無性に目の前にいるもふもふとした生き物たちに触れたくなった。きっと、抱きしめたら温かいに違いない。
 けれど、元々は人間なのだからそんなことをお願いするのは失礼に当たるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、怪訝に思ったのかアランが声をかけてくる。

「コーデリア様。どうかなさいましたか?」

「あ、えっと……その……」

 私がしどろもどろになっていると、アランは不思議そうに首を傾げた。

「あの……こんなこと言ったら失礼かもしれませんが……動物の姿になったアランさんとサラさん、すごく可愛いです!」

 とうとう我慢できず、そう口走ってしまった。
 ああ、言ってしまった。そう思いつつ、恐る恐る様子を窺っていると、サラがトコトコと私の前に歩いて来た。

「サラさん……?」

 思わず首を傾げると、サラはおもむろに私の足に体を擦り付けてきた。
 一瞬、何が起きたのかわからず私は硬直してしまう。だが、徐々にサラの柔らかな毛の感触が伝わってきて──

「ニャーン」

 甘えたような鳴き声とともに、私は思わずその場で悶絶した。

「はうっ……!」

 あまりの可愛さに、思考回路が停止した。

「そ、それは反則ですよ、サラさん! あ、あの……もし差し支えなければ……その、抱っこしてもよろしいですか?」

 私がそう尋ねると、サラはこくりと頷く。

「ええ、お好きなだけどうぞ。コーデリア様に抱っこしてもらえるなんて、光栄でございます」

「ありがとうございます……じゃあ、遠慮なく……」

 許可をもらったところで、私は恐る恐るサラを抱き上げる。

「はぁ……癒される……」

 先程までの緊張はどこへやら。私は、すっかり猫姿のサラを愛でることに夢中になっていた。
 その柔らかな毛に顔を埋めてみると、まるで陽だまりのような温かさを感じた。優しく頭を撫でれば、サラもゴロゴロと喉を鳴らして気持ちよさそうにしている。
 その隣で、アランは呆れたようにため息をついた。

「まったく、サラさんは本当にコーデリア様のことが好きですね」

「あら? もしかして、羨ましいんですか? でも、残念ながらそれはできませんよ。だって、いくら動物の姿になったとはいえ、アランさんが同じことをしたら事案が発生してしまいますもの」

 やれやれと肩をすくめるアランに向かって、サラは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「じ、事案って……相変わらず、サラさんは私に対して手厳しいですね。……早く、元の姿に戻ってしまえばいいのに」

「何か言いました?」

「いえいえ、何も。ただ、サラさんはもう少し可愛げがあっても良いのではないかと思っただけです。でないと、コーデリア様に嫌われてしまいますよ?」

「なっ!? 一体、どこが可愛げがないんですか!」

「そういうところがですよ」

 顔を赤くしながら怒り出したサラを、アランは涼しい顔で受け流していた。

(喧嘩するほど仲がいい、ってことかしら……?)

 などと考えつつも、私は微笑ましく二人の様子を眺めていた。
 アランは何でもできる優秀な家令で、サラも仕事ぶりは真面目だし有能だ。だからこそ、互いにライバル意識のようなものを持っているのかもしれない。

「もう、アランさんはいつも余計なことばかり言って……! とにかく、私はコーデリア様に嫌われるようなことは絶対にしませんから!」

「そうですか。それなら良いのですが……」

 アランはそう言うと、肩をすくめる。
 私は苦笑しつつも、その場の空気を仕切り直すかのように話題を振った。

「ところで……アランさんって、犬の姿に変身するんですね。ちょっと意外でした」

 そう言うと、なぜかアランは不服そうに口を尖らせた。

「一応、犬じゃなくて狼なんですけどね……」

 ぼそっと呟くアランに、私は目を瞬かせる。

「ご、ごめんなさい! 今まで、あまり狼を見たことがなかったものだから、てっきり可愛いワンコかと……」

 私は慌てて弁明をした。その様子がおかしかったのか、二人は顔を見合わせてくつくつと笑う。

(良かった……一先ず、仲直りできたみたい)

「ふふ、冗談ですよ。怒っていないので、安心してください。……それにしても、本当に命拾いしましたよ。コーデリア様がいなかったら、今頃どうなっていたことか」

 そう言って、アランは自嘲気味に笑う。それはまるで、自分は無力だとでも言いたげな表情だった。

「いえ、そんなことはありませんよ。お二人が命をかけて守ってくださったお陰で、私は勇気を持てたんです。もし自分一人だけだったら、咄嗟に行動できなかったと思いますし……」

「コーデリア様……そう言っていただけて、大変光栄でございます。しかし、今後は二度とこのような無茶はなさらないでください。どうか、ご自分の身の安全を最優先に考えていただけると幸いです」

「ええ、わかりました」

 そう答えると、アランは安心したのか笑みを浮かべて頷く。

「あ、あのー……さっきの魔物は一体どこに……?」

 そんな声と共に、今までどこかに隠れていたであろうブレットがランタンを片手に近づいてきた。

「ブレットさん! ご無事だったんですね。ええと……さっきの魔物は、皆で協力して何とか倒しました!」

 何となく、「自分がとどめを刺しました」と言うのは憚られたため私は咄嗟に誤魔化す。

「あ、あの魔物を……? それに、その動物たちは一体……?」

 ブレットは、怪訝そうに首を傾げている。
 私が事情を説明すると、彼は「なるほど、そうだったんですね」と呟く。

「まさか、従者の方たちも獣化の病に罹っていたとは……」

 ブレットはアランとサラを交互に見ると、複雑そうな表情を浮かべた。

「驚かせてしまって、ごめんなさい」

 サラはブレットに向かって頭を下げると、申し訳なさそうに謝る。
 すると、彼はふるふると首を横に振りながら言った。

「いえ、とんでもないです! 寧ろ、助けていただいてありがとうございます!」

「──それじゃあ……魔蛍石も採取できたことですし、そろそろ帰りますか?」

 少し間を置いて、アランがそう尋ねてきた。

「ええ、そうしましょう。あの……ブレットさん、色々とご協力いただき、本当にありがとうございました。お陰で、とても助かりました」

 ブレットに向かってお礼を言うと、彼は「こちらこそ、お世話になりました!」と頭を下げた。
 翌日。
 私はメルカ鉱山で採取してきた魔蛍石を机の上に並べると、早速ランプの製作に取り掛かった。
 研磨をしながら魔力を適量流し込んだ石をランタンの中へとセットすると、徐々にそれは光を放ち始める。

「よし、うまくできた」

 テストをするため照明を消し、完成したランプをサイドテーブルの上に置くと、魔蛍石が放つ強い光が室内を照らし出した。

(あとは、これを量産するだけね)

 ほっと安堵の息を吐いていると、突然部屋の扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

 返事をした直後、部屋に入ってきたのはジェイドだった。
 しかも、彼は人間の姿に戻っていた。

(あれ……? ついこの間、戻っていなかったっけ……)

 確か、彼が元の姿に戻れるのは月に数回だったはずだ。
 今月はやけに頻度が高いなと思い首を傾げていると、ジェイドはその疑問を払拭するように口を開いた。

「どうやら、今月は体の調子が良いらしい。ひどい時は月に一度、元の姿に戻れればいい方だったんだが」

「なるほど……体調によって、元の姿に戻れる頻度が左右されるんですね」

「ああ、そうらしい」

 ジェイドはそう言って微苦笑すると、私の隣に腰掛けた。

(あれ……?)

 ふとした瞬間にジェイドが近くに来ると、私は何故かドキドキしてしまう。
 これは一体、どういうことなのだろう? そんなことを考えていると、ジェイドが尋ねてくる。

「早速、ランプを作ってみたのか。どうだ? うまくいきそうか?」

「はい。あとは、これを量産するだけです。ただ、一個作るのに結構な魔力を消費するので……それなりに、時間が掛かるかもしれませんが」

「ふむ、そうか。それなら、俺も手伝おう」

「え……? ジェイド様が?」

 驚いて聞き返すと、彼はこくりと頷いた。

「ああ。一人でやるよりも効率的だと思うぞ」

 確かに彼の言う通りだ。二人で協力すれば、予定よりも早く作業が終わるかもしれない。
 それに、ジェイドが手伝ってくれると言うのなら尚さら心強い。

(でも……)

 私はちらりとジェイドの横顔を盗み見た。

「でも、その……ジェイド様はとても高い魔力をお持ちなので、もしかしたら調節が難しいかもしれません」

 私がそこまで言うと、ジェイドは「あぁ」と何かに気づいた様子で頷いた。

「なるほど、そういうことか。確か、魔力を流し込みすぎるとかえって発光が弱くなってしまうんだったな。でも、心配はいらない。調節なら、ちゃんと出来るさ」

 ジェイドはそう言って微笑む。
 確かに、普通の人なら調節が難しいかもしれないが……よく考えたら、彼は王家からも一目置かれている存在だ。
 石に流し込む魔力を調節することなど、造作もないだろう。

「それじゃあ……お願いしてもいいですか?」

 ジェイドの申し出を受け入れると、私は自身が持っている石に魔力を流し込むことに専念する。
 こうして、私たちは協力してランプ作りを始めたのだった。

「ふう……大分、進みましたね」

 額に汗を滲ませながら呟くと、ジェイドは頷いた。

「ああ。この分だと、今週中には目標達成できそうだな」

 ふと、時計に目をやるといつの間にか午前零時を過ぎていた。
 そろそろ眠らなければ、明日の作業に響くかもしれない。

「じゃあ、私……そろそろ寝ますね」

 そう言って立ち上がると――

「それにしても、君の目は本当に綺麗だな。窓から差し込む月明かりに照らされて、まるでエメラルドのように輝いている」

 ジェイドは私の目をまじまじと見ると、感嘆したように呟いた。

「え!? この目が、ですか……?」

 思わず、目を瞬かせてしまう。
 実家にいた頃は、この目の色のせいで気味が悪いとよく家族から罵られたものだ。
 それなのに、まさか綺麗なんて言葉をかけてもらえる日が来ようとは夢にも思わなかった。

「ああ。コーディは、その目のせいで苦労したこともあったようだが……とても魅力的な色だと思う」

 ジェイドはそう言って柔らかく微笑んだ。
 その笑顔を見た途端――また、胸がトクンと大きな音を立てる。

「……そ、そんなこと初めて言われました」

「それだけじゃない」

 そう呟くと、ジェイドは突然椅子から立ち上がった。
 そして、私の前に立ったかと思えば、徐ろに髪をすくい手からサラサラと零した。
 まるで壊れ物を扱うかのような丁寧なその手つきに、胸の鼓動が加速していく。
 その触れ方が擽ったくも甘い痺れをもたらし──体の中で燻っている熱がじわり、じわりと上がっていくのを感じる。
 私は突然の事態に頭が追いつかず、そのまま固まってしまった。

「この黒髪も、本当に綺麗だ」

「そ、そんな……煽てすぎですよ!」

 ハッと我に返り、慌てて声を上げる。

(分かってる……きっと、ジェイド様は私を哀れんで褒めてくださっているんだわ)

 私は、昔から自分の目と髪の色が大嫌いだった。
 今まで、この目と髪のせいでどれだけ罵られて生きてきたことか……。

「いや、俺は思ってもいないことを口にはしないよ」

 ジェイドがそう言った刹那、互いの視線がぶつかった。
 必死に目をそらそうとするが、なぜか彼の青い瞳に吸い寄せられ、視線を外すことができない。
 どれくらいの時間、そうして見つめ合っていたのだろう。
 永遠にも感じるその時間は、ジェイドが「あっ」と小さく声を上げたことで終わりを告げた。

「す、すまない! その……あまりにも綺麗だったから、つい髪を触ってしまった。……少し、夜風に当たってくる。君は気にせず、もう寝るといい」

 そう言って、彼は足早に部屋から出ていった。
 取り残された私は、その場に呆然と立ち尽くす。

(これって……もしかして……)

 私は、自分の胸にそっと手を当てた。

(この感情を、人はきっと――)

 私は熱くなった自身の頬を両手で押さえて、大きく息を吐き出した。
 ──結局、その日の夜は中々寝付くことができなくて、私は何度も何度も寝返りを打ったのだった。
「や、やっと完成したわ……!」

 完成した沢山のランプを目の前に、私は思わず歓呼の声を上げた。

「よく頑張ったな、コーディ」

 ジェイドが労いの言葉をかけてくれる。
 ランプ製作にかかった期間は、約二週間。短期間でこれだけの量のランプを作ることができたのは、ひとえに彼の協力のお陰だ。

「いえ……ジェイド様のお陰ですよ! 本当にありがとうございました!」

 私は笑顔でお礼を言った。

(これで、きっと領民たちの生活が今より良くなるはず……)

 そう思うと、自然と気分が明るくなる。そんな私の様子を見て、ジェイドはふっと笑みを零した。

「では、早速このランプを領民たちに配りに行こう」

「はい! でも……どうやってこのランプの便利さをアピールすればいいんでしょうか?」

「そうだな……」

 ジェイドは顎に手を当てて何やら考え込んでいる。
 きっと、彼なら何か良いアイデアを出してくれるに違いない。
 そんな期待を込めて見つめていると――

「よし、決めたぞ」

 ジェイドはそう言うと、私に向かってニッと笑ってみせた。


***


(ど、どうしよう……緊張する……)

 今、私はジェイドと共に領民たちの前に立っている。
 なぜこうなったのかと言うと、ジェイドから「瘴気がそれほど濃くない休日の広場なら、それなりに人が集まるはずだ。そこで、このランプの便利さを領民たちにアピールしないか?」と提案されたからだ。
 そうして、領民たちの休日を待つこと数日。ついに、本日がその決行日となったのである。

(……でも、まさかこんなに人が集まるなんて)

 目の前に並ぶ領民たちを、私は驚きを隠せないまま見つめていた。
 そんな彼らと向き合うジェイドは、緊張する素振りすら見せず涼しげな笑みを浮かべている。

(さすが、領主様ね……)

「あれって、公爵様よね……? どうして、こんなところに?」

「ということは、隣にいるのは奥様かしら。確か、少し前に嫁いできたとかいう……」

 領民たちがヒソヒソと噂話をしている声が聞こえてくる。
 私は思わず顔から火が出そうになった。

(うわぁ……注目されてる……)

 内心泣きそうになりながらも、私は必死に笑顔を保つ。
 そして──

「皆さん、こんばんは。本日は、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。お初にお目にかかる方もいらっしゃるかと思いますが、私はジェイド・ウルスの妻であるコーデリアと申します。以後、お見知り置きください」

 私は勇気を振り絞って領民たちに話しかけた。

「──実は、今日はこの場を借りて皆さんにお見せしたいものがございます」

 私がそう言うと、領民たちはこちらへと視線を注ぐ。

「ご存知の通り、現在ウルス領では鉱山から流れてくる瘴気のせいで奇病が流行しています。そのうえ、作物は育たず、照明器具にまで影響が出る始末です。しかし、そんな状況の中、私たちはある画期的な発明品を生み出しました。それが、このランプです」

 私はそう言って、手に持っていたランプを掲げた。その途端、周囲に光が広がる。
 時刻は十八時過ぎ。夕闇が迫り、辺りはすっかり薄暗くなっている。
 だが、このランプのお陰で周辺は一定の明るさが保たれていた。

「このランプは、燃料を必要としません。そして、火を灯すのに魔法を使う必要もありません」

 そう説明した途端、領民たちは驚きの声を上げる。

「まずは、このランプを皆さんにお配りします。皆さん、どうぞ手に取ってみてください」

 ランプを手に取るよう促すと、領民たちは並んで列を作り始める。
 彼らは皆、興味深そうに私が持っているランプを見つめていた。

(よかった……一先ず、興味は持ってもらえているみたいね)

 ほっと胸をなで下ろし、隣にいるジェイドのほうを見やる。
 すると、彼も同じようにこちらを振り返ったところだった。そして、互いに強く頷き合うと、私たちは早速ランプの使い方について説明を始めた。

 私は領民に見えやすいようにランプを高く掲げたり傾けたりして、「ここを押せば光り出すんですよ」とか「ここのボタンを押すと、明るさが調節出来ます」などと使用方法を説明する。
 彼らは皆、興味深々といった様子で私の説明に耳を傾けていた。
 そして、全員にランプが行き渡ったのを確認すると、私は再び口を開く。

「──実は、いずれはこのランプを流通させたいと考えています。しかし、製作方法が少々特殊なため、普及が難しいというのが現状です」

 私のその言葉に、領民たちの顔に影が落ちた。

「しかし、もっと人手を確保することができればランプを量産することができますし、普及させて価格を抑えることも可能になります。……そこで、皆さんにお願いがあります。もしよければ、ランプの製作を手伝っていただけませんか? 勿論、魔蛍石に魔力を込める作業は私自身が行いますので」

 領民たちは困惑した様子で互いに顔を見合わせる。

(まあ、普通はそうなるわよね……)

 私は少し思案した後、言葉を続けた。

「現在、ウルス領は苦しい状況にあります。しかし、そんな状況でも日々生きていかねばなりません。ですから、皆さんには少しでも生活が豊かになるようお手伝いをして頂ければ、と思っています」

 私の言葉を聞いて、彼らは少し考えるような仕草をしているようだった。

(やっぱり駄目よね……いきなり『ランプ作りを手伝って!』と頼んでも無理があるだろうし……)

 そう思い、諦めてかけていると。一人の領民が恐る恐るといった様子で手を挙げた。

(あっ……!)

「……その、俺たちのような庶民がお役に立てるかどうかわかりませんが……もし、公爵様や奥様のお力になれるのであれば、喜んでお手伝いさせていただきます!」

 そう言った彼の言葉を皮切りに、周りの人からも賛同の言葉が次々と上がる。

「……!」

 思わずジェイドのほうを見ると、彼は力強く頷いてくれた。
 そして、私は領民たちに向かって大きく頭を下げる。

「皆さん……ありがとうございます! どうか、私たちに力を貸してください!」

 私は、喜びと感激で胸がいっぱいになった。思わず目に浮かんでくる涙をぐっと堪えながら、改めて彼らを見つめる。
 領民たちの表情は、今まで私が見てきたものとは大きく異なっていた。
 瘴気に侵され苦しい生活を強いられているはずなのに、それを感じさせないくらい士気高揚しているように見えたのだ。
 きっと、それだけ今の暮らしが辛いということだろう。
 ──そんな彼らの思いに報いるため、私は全力でこの領地を守っていきたい。

「よろしくお願いします……!」

 最後にもう一度深く頭を下げ、私は心からの感謝の意を伝えたのだった。
 ランプを領民たちに配ってから、一ヶ月ほどが経過した。
 あれからというもの、領民たちは積極的に作業を手伝ってくれている。
 彼らのお陰で、ランプ製作も順調に進んでいた。
 ただ、問題が一つある。それは──

(周りが気になって、集中できない……)

 というのも……作業を手伝ってくれている領民の中には獣化の病を患っている患者が多いのだが、そのせいで作業場がモフモフ天国と化しているのである。
 中にはアランやサラのように完全な動物の姿になっている者もいて、気になって仕方がなく作業するにも集中できなくなってしまったのだ。
 現に今も、小さくて可愛らしいコツメカワウソが作業を手伝ってくれている。
 本来の姿はまだ年端も行かぬ子供らしく、余計にあざとさが目立っていた。しかも、本人は無意識だから余計に始末が悪い。

「疲れたでしょう? そろそろ、休憩しましょうか?」

 私がそう尋ねると、その子は私のほうを振り返り首を傾げる。

(うう、可愛い……)

「大丈夫ですよ! 僕、まだ働けます!」

 彼はそう返すと、作業の続きに取りかかろうとした。
 私は「ほら、いいから」と言って、強制的に作業を中断させる。

「あ、ありがとうございます!」

 彼は恐縮した様子で私の言うことに従い、ちょこんとその場に座り込む。
 その動作がまた非常に可愛らしくて、私は内心で悶えてしまう。
 しかしそんな私の心境を知る由もない彼は、ニコニコと微笑みながらこちらを見上げてきたのだった。

(可愛いけど、ちょっと疲れるかも……)

 そんなことを考えていると、ふと少し離れたところに見覚えのある人物がいることに気づいた。

(あれ……? あの人って……)

 眼鏡をかけたその男性は、使用人に案内をされているのかきょろきょろと周りを見回しながらも私のほうへと近づいてくる。
 そして、彼は私の前で立ち止まると話しかけてきた。

「お久しぶりです。以前、一度お会いしたことがあるのですが覚えていますか?」

 そう尋ねられ、私は思いあぐねる。

(確かに、見覚えがあるのだけれど……)

 しかし、どこで会ったか思い出すことが出来ない。すると、彼は苦笑いを浮かべた。

「やはり、覚えていらっしゃらないようですね」

 そう言うと、彼は眼鏡の位置を直しながら私を見据える。

「市場で会った行商人ですよ。ほら、魔導具屋の……」

 そこまで言われて、ようやく思い出した。

「ああ、あの時の!」

「その節は、タリスマンをご購入いただきありがとうございました。あ、申し遅れました。僕の名前はクレイグです」

 そう名乗ると、彼は丁寧にお辞儀をする。
 どうやら、この行商人はクレイグという名前らしい。

「いえ、こちらこそ! お陰さまで、助かりました!」

 私は慌ててお礼を言う。次の瞬間、ふとある疑問が頭をよぎった。

「あれ? でも……どうして、クレイグさんがここに……?」

 そう尋ねると、クレイグは改まった様子で再び眼鏡を指でクイッと上げた。

「実は、あなたが魔蛍石を使った画期的なランプを領民に配っているという噂を聞きつけまして。ぜひ、僕の店で取り扱えたらと考えた結果、こうして足を運んだという次第です」

 その言葉を聞いて、私は思わず目を見開いた。

「一部の領民にはランプが行き渡ったとはいえ、まだまだ普及には程遠いのが現状ではないでしょうか? そこで、提案なのですが……僕の店に在庫を置かせていただけませんか?」

「あなたの店に……?」

 思わぬ申し出に、私は困惑する。しかし、彼の真剣な表情を見る限り冗談で言っている訳ではないということは分かった。
 実際、ジェイドもランプを本格的に普及させたいのならば今すぐ販売をした方がいいと言っている。
 しかし、相談もせず勝手に決めるわけにもいかないだろう。

「すみません。検討させていただきたいので、少しお時間をいただけますか?」

 私は少し考えてから、そう返した。すると、クレイグは笑顔で頷く。

「構いませんよ。それでは、もし決まったら店に来てください。ご検討のほど、お願いします」

 彼は一礼すると、そのまま踵を返して去っていった。


***

「──と、いうわけなんです」

 私が事情を説明すると、ジェイドとアランは考え込む様子を見せる。

「確かに、なるべく早く普及させたいなら実際に店に並べるのが一番だ。だが、それはあくまでも最終決定権は君にある。それを忘れないでくれ」

 ジェイドの言葉に、私は目を瞬かせる。

「え? 私に……ですか?」

「ああ、そうだ。元々、あのランプはコーディが発明したものだろう? それなら、最終的な決断は発明者である君が下すのが妥当だと思う」

「私も同じ意見です」

 ジェイドに続き、アランもそう言ってくれた。

(私の判断に委ねるなんて……)

 二人の言葉を聞いて、私は責任の重さを再認識する。

「わかりました。では、この件は私に任せてください」

 私がそう言うと、ジェイドは静かに頷いた。

「ああ、任せたぞ」



 翌日。私は、早速クレイグの店へと足を運んだ。

「こんにちは」

 そう声をかけると、彼は笑顔で出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ! もしかして、あのランプのことですか?」

 クレイグがそう尋ねてきたので、私は頷く。

「ええ、そうです。あの後、じっくり検討してみたのですが……ぜひ、クレイグさんのお店で取り扱っていただけたらと思いまして」

 すると、彼は嬉しそうな表情を浮かべた。

「本当ですか!? 嬉しいです! あのランプは本当に画期的ですよ! 僕も、あれを見て感銘を受けましてね……ぜひ、うちで扱わせてほしいと思ったんです」

 彼は興奮気味に語り始める。
 どうやら、思っていた以上に喜んでいるようだった。
 その反応を見て安心したせいか、私も自然と頬を緩ませる。

「そう言っていただいて、こちらも嬉しいです」

「では、早速契約書を作成しましょうか。詳しい話は、また後日ということで……」

 クレイグはそう言うと、鞄からペンと紙を取り出した。
 そして、さらさらと必要な項目を書き込んでいく。

(流石は商人ね……)

 私は目を見張りつつ、その様子を見守っていた。

「それにしても、まさかあの時のお嬢さんが公爵夫人だったとは……驚きましたよ」

 契約書を書きながら、クレイグがそんなことを言ってきた。

(そういえば、あの時は特に名乗ったりしなかったのよね)

「まだ嫁いできて間もないですし、色々と慣れないことも多いですが……今後ともよろしくお願いしますね」

 私がそう言うと、彼は微笑みながら頷いた。

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします!」

 こうして、私はクレイグと契約を交わしたのだった。