屋根があるだけでも十分な生活。
食べる物があるだけでも、最低限生きていける確証があるだけで僕達には贅沢だった。
僕は小さい頃から妹のアリアと二人で暮らしている。両親は仕事に行ったきり帰ってこず、残されたのはわずかに風と雨が凌げる程度の家だけだ。
そんな僕達を襲ったのは妹の難病。
――魔力喰い
正式名称はわからないが、体の中にある魔力を少しずつ食らいつくと言われている。やがて体の中の魔力がなくなると、生命まで食らいついてしまうという病気だ。
「お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
「んー、今度はダンジョンに探索に行ってくるから三日間ぐらいかな」
たくさんの食料を買い溜めて、ベッドの周囲に置いておく。すでに妹の魔力は減り、日常生活を送るだけでも体力が減ってしまうため、ベッドで過ごしている。
魔力を分け与える力があれば良いが、そんなことができるのは高位の魔術師ぐらいだ。
魔力ポーションも結構高いため、そんな簡単に変える物でもない。
そして、僕の外れスキル【ガチャテイム】では魔力喰いをどうすることもできない。
この世は10歳になるとスキルが与えられる。
僕のスキルは魔物を倒すと、稀に手に入れることができる変わったコイン。通称"ガチャコイン"を使うことで、テイムできる魔物が決まるというスキルだ。
ただ、魔物の使用制限も決まっているため、使用制限がない魔物を召喚するスキル【召喚士】と魔物を手懐ける【テイマー】と比べると劣化版のようなスキルだ。
聞いたことのない唯一無二のスキルで喜んだのは、スキルが与えられたあの時だけだ。
一度ガチャからゴブリンを手に入れたが、体臭が臭く回数制限が3回だった。そんな彼もすでにいなくなっている。
僕の目の前で僕を守るように命を失った彼と、再び会えることを夢見ているが、ガチャコインを手に入れることがないため、それっきりテイムしたことはない。
ガチャコインを手に入れるには、僕が魔物を倒さないといけないからだ。
戦う力がない僕が戦闘に参加するには、パーティーに参加する必要がある。だが、実際はそうもいかないのが現実だ。
「おい、荷物持ち早くしろ!」
「ごめんなさい」
戦う力がない僕は荷物持ちとして、パーティーに入れてもらっている。今回はいつもは持ち歩かないアイテムも持たされているため、歩くのに時間がかかってしまったようだ。
優しい冒険者であれば、トドメを譲ってくれる人もいたが、皆自分のスキルを成長させるために、そんなことはさせてくれない。
スキルを強くするには、そのスキルをたくさん使うか魔物をたくさん倒す必要がある。
スキルの発動もできず、魔物を倒せない僕に出来ることは荷物持ちという仕事だけだった。
そもそも孤児の僕を雇ってくれるところはないため、冒険者になるという選択肢しかなかった。
今日の仕事もダンジョン探索の荷物持ちだ。
僕はダンジョンの攻略のために、荷物持ちで雇ってくれたAランクパーティーの冒険者の後ろをついていく。
今回の冒険者はどこか身なりも良く、冒険者には珍しいタイプの人達だ。
彼らの話ではこのダンジョンには、ミスリルという鉱石が手に入るらしい。
戦う力がない僕でも、彼らのように強い冒険者であれば命が危険な目に遭うことはないのだ。
「おい、砥石を出せ」
僕は鞄から砥石を取り出す。大きな扉の前に到着した彼らは装備を整える。
ダンジョンの奥には、ダンジョンボスと呼ばれる強い魔物が存在している。
そのダンジョンボスを倒すことで、強い武器やアイテム。そしてミスリルのような鉱石が手に入るらしい。
僕の仕事は彼らの荷物をこのボス部屋の前まで運ぶことだ。
「おい、お前ら準備はできたか?」
「ああ、こっちも大丈夫だ」
扉を開けて中に入っていく彼らを、手を振りながら見送る。
「皆さん頑張ってください」
扉が少しずつ閉まっていくと同時に、パーティーメンバーは振り返りにやりと笑った。
その笑顔になぜか背筋がゾクゾクとした。
なぜか彼らはダンジョンの中に入ると同時に腰に下げている袋から、小さなツルハシのようなものを取り出した。
どこか違和感を感じると同時に、扉の奥から手が伸びてきた。後ろに下がって逃げようとするが、すでに遅かった。
「えっ……」
体が軽く僕はそのまま僕の体は宙を舞い、気づいた時には僕はボス部屋の真ん中に投げられていた。
受け身も取れないガリガリに痩せ細った僕の体が、地面に落ちるとどうなるだろうか。
そう、簡単に骨が折れてしまう。
あまりの痛みにもがき苦しむが、そんなこともできない。
「ははは、あとは時間稼ぎ頑張ってくれよ」
そこには大きなフェンリルが目の前にいた。
僕は元からフェンリルの餌として時間稼ぎをするために連れて来られたのだと、ここにきてわかった。
冒険者達はダンジョンの壁に光る石を掘り出そうと、袋から取り出したツルハシを叩きつけていた。
無知だからそんなことも気づかなかった。
鉱石はダンジョンボスからドロップするのではない。
ダンジョン部屋の壁から掘り出すことを。
――グルルルル!
フェンリルの威嚇が部屋中に大きく鳴り響く。咄嗟に耳を閉じたが、遅かったのか全身が震え出してしまう。
僕は必死に逃げようとするが、足がすくんで動かない。
「おい、あいつが逃げないようにしろ」
「わかったわ!」
風を切るように何かが近づく音が聞こえてきた。その瞬間、僕の足に痛みが走った。
「うっ……」
冒険者パーティーにいる弓使いが、僕の足を目掛けて弓を放ったのだ。ただでさえ、足の骨が折れているのに、矢の痛みで動くこともできなくなった。
ああ、きっとここで僕は死ぬのだろう。
目の前にいるフェンリルを見て死を覚悟した。
心残りがあるのは妹のアリアより先に死ぬことだ。
きっとアリアは今のままだと死ぬことになる。でも、兄の僕が先に天国にいたら、妹は迷わずに天国に行けるだろう。
「ははは、これで俺達も大金持ちだぜ! あいつが馬鹿な冒険者でよかったぜ!」
きっと鉱石を掘り終えたのだろう。荷物を持って急いで、冒険者達はダンジョン部屋から出て行く。
残されたのはフェンリルと僕の二人だ。
僕は食べられて死ぬ覚悟を決めた。
『小僧ちょっとわしの背中を掻いてくれないか?』
突然聞こえてきた声に僕はびっくりした。知能が高い魔物は話せると聞いたことがあったが、本当に話せるとは思ってもみなかったのだ。
「えっ?」
『ん? わしの声が聞こえなかったのか?』
いや、声は聞こえています。どちらかと言えば、魔物が話していることに驚いている。
「背中を掻いてほしいと……」
『そうじゃ! ずっと背中がムズムズしてさっき威嚇してしまったわ!』
どうやらフェンリルはただ背中が痒いだけらしい。あの全身が震えた威嚇が、ただ背中が痒いと嘆いていただけとは……。
「あのー、背中を掻きましょうか?」
『本当か? 助かるぞ!』
僕は血が出た右足と骨折した左足を引きずって近づく。だが、痛みですぐに転んでしまう。
『小僧遅いぞ!』
フェンリルは怒ったのか、大きな口を開けて僕を咥える。勢いよく持ち上げられ、空中を舞う。
ああ、このまま食べられるのか。
そう思ったが体に感じる感触は違った。
「ふわふわ……いや、もふもふ?」
僕はそのままフェンリルの背中に乗ると転がされる。怪我をした足でも、フェンリルの毛が緩衝作用となり痛みをあまり感じなかった。
行き着いたのは背中と尻尾の間くらいだ。
『その辺が痒いから掻いてくれないか?』
僕は言われた通りに掻いていく。柔らかくしっかりとした毛並みに、僕はついつい頬をスリスリしながら撫でる。
今まで感じたことのない幸福感にフェンリルの背中にいることを忘れてしまう。
『うぉ、うおおおお! そこそこじゃ!』
どうやらフェンリルは気持ち良いようだ。僕はその後もフェンリルの背中を堪能する。
せっかく死ぬなら、この幸福感を最大まで味わいたいと思ったのだ。
『ぬおおおお! このままじゃ昇天しちまう――』
気づいた時には僕は宙に浮いていた。さっきまでいたフェンリルは一瞬輝くといなくなり、僕は大量のお金とフェンリルのドロップ品とともに地面に落ちていく。
「うああああ!」
どうやら僕はフェンリルを倒したようだ。
「いたたた……痛くない!?」
フェンリルのドロップ品とともに、地面に落ちたはずが痛みを全く感じなかった。痛みを感じるのは、弓が突き刺さってできた怪我と骨折した足だけだ。
「んっ……もふもふするぞ?」
地面に触れるとなぜか床がもふもふとしている。
「これってフェンリルの毛皮?」
僕はフェンリルの毛皮の上に落ちたことで、さらに大きな怪我をせずに済んだようだ。ここでもフェンリルに助けられた。
それにしても最後に"昇天"すると言っていたが、本当に死ぬとは思いもしなかった。
背中を掻くぐらい健康なフェンリルだったらできるはず。だが、あのフェンリルは僕に頼んだ。
きっとあのフェンリルは、背中を掻けないぐらい元々弱っていたのだろう。
僕は体を起こして、フェンリルのドロップ品を確認していく。
目の前にあるのはたくさんのお金と光り輝く液体が入った瓶。
「これってまさかエリクサー!?」
エリクサーとは万能薬とも言われているポーションだ。その特徴は呼ばれている名前の通りで、なんでも怪我や病気を治す効能がある。
ダンジョンの中でしかドロップしないと言われている伝説のポーション。
そのポーションが目の前にあるのだ。
「これでアリアの病気が治るぞ!」
咄嗟に出たのはこれで妹の病気が治る。ただそれだけだ。
だが、現実はそうもいかない。
矢で貫通した足と骨折した足が絡み合う。そんな足でダンジョンから出られるわけない。
そもそも足が治っていても、ダンジョンから一人で脱出できる気がしない。
ただでさえAランク冒険者パーティーが囮を用意して逃げるほどだ。
僕はここで死ぬ運命なんだろう。
再び諦めて寝転んだ瞬間、一際輝きが違うお金を見つける。
金でも銀でもなく、白く輝くコイン。久しぶりに見たやつに僕の興奮が止まらない。
「ガチャコイいいいいたたたたたた!」
勢いよく立ち上がって、そのまま崩れるようにお金の中にダイブする。
僕はガチャコインを手にすると、フェンリルに感謝した。
このガチャ結果で妹の元まで、エリクサーを運ぶことができると思ったからだ。
しかも、明らかに前回見た時よりもガチャコインは大きく、光り輝いている。
きっと強い魔物――。
フェンリルが出てくるに違いない。
そう思った僕はさっそくガチャコインを使用する。
「いでよ、ガチャテイム!」
声に反応してガチャコインが輝き出す。あまりの眩しさに目を閉じる。
前回はこの光にやられて、しばらく目が開けられなかったことを思い出す。
目の前に突如現れた、角張った大きな箱にくるりと回す謎の取手。久しぶりに見るガチャに、足の痛みも忘れてしまう。
「頼む! フェンリル出てこい!」
僕は取っ手を勢いよく回す。隣にある穴から吐き出される玉が魔物を呼び出す魔物玉だ。
コロコロと出てくる白い魔物玉。
いや、白くてもふもふとした塊が出てきたぞ。
『キュー!』
そのまま僕の顔に飛びつく。ゆっくり手を触れると柔らかい毛に覆われているようだ。
この触り心地はまさか――。
「フェンリルか!」
『キュー!』
小さいフェンリルは僕の顔をバタバタと蹴っている。それと同時に風を切る音が聞こえてくる。
僕は顔にしがみつくフェンリルを外すと、そこにはさっきまで見ていたフェンリルとは違うもふもふがいた。
大きな瞳に小さな口。頭には耳のようなものが動いている。
あれ……?
フェンリルって足が六本もあったのか?
あれれ……?
フェンリルって羽が付いていたのか?
明らかにフェンリルと異なる存在に僕は戸惑ってしまう。
――――――――――――――――――――
[ステータス]
【名前】 なし
【種族】 カイコ
【制限】 無制限
【筋力】 23
【耐久】 15
【敏捷】 83
【魔力】 98
【幸運】 95
【スキル】 状態異常付与
――――――――――――――――――――
「お前フェンリルじゃ――」
僕は目の前にいる存在に目を合わせる。大きな瞳がキラキラと輝いている。
ああ、やっぱりこいつはフェンリルだったのか!
――――――――――――――――――――
[ステータス]
【名前】 なし
【種族】 フェンリル亜種(カイコ)
【制限】 無制限
【筋力】 23
【耐久】 15
【敏捷】 83
【魔力】 98
【幸運】 95
【スキル】 状態異常付与
――――――――――――――――――――
さっきのは僕の見間違いなんだろう。こんなにもふもふした存在が、フェンリル以外のはずがない。
ただ、小さなフェンリルだから、多少見た目が違うのだろう。
きっとフェンリルならすぐにダンジョン内を駆け巡るはず。
実際にステータスも高い。ほとんど一桁ばかりの僕とは違い、フェンリルの数値は二桁だ。
僕はエリクサーをポケットに入れると、すぐにフェンリルに掴まる。
「さぁ、フェンリルよ! 僕を家まで送ってくれ!」
これで妹にエリクサーを飲ませることができる。胸の高鳴りを感じながら、フェンリルが走り出すのを待つ。
『キュ?』
だが、フェンリルは全く進まない。むしろ体をピクピクとさせてその場で困り果てている。
「頑張って僕を運ぶんだ!」
『キュ! キュー!』
フェンリルは僕の言ったことを理解したのだろう。ただ、あまりにも僕が重いのか全く進まない。むしろ手足をバタバタとしているだけだ。
僕が手を離すとそのままフェンリルは羽を羽ばたかせて走っていく。どうやら羽はあるものの飛べないようだ。
結局僕はエリクサーを持っていくのは諦めることにした。
目の前にあるお金をどうにか持って帰れば、魔力ポーションを買うことできる。それで妹の寿命が今よりも長くなれば解決策は出てくるだろう。
また、ダンジョンに潜ってエリクサーを探せばいい。
僕にはフェンリルという新しい相棒がいる。
見た目がさっきまでいたフェンリルと違うのは、フェンリルの亜種だからなんだろう。
覚悟ができた僕はエリクサーの蓋を開けて口元に近づける。瓶を逆さまにして、ゆっくりと体の中にエリクサーを流し込んでいく。
「うっ……」
身体中の血が素早く流れているような感覚だ。次第に足の痛みもなくなり、力が湧いてくるような気がした。
それと同時に頭がスッキリする。
「じゃあ、帰ろう……あれあいつフェンリルだったか?」
さっきまでフェンリルだと思い込んでいた魔物が、突然フェンリルではない、なにかかもしれないと思ってしまう。
『キュ? キュキュ!』
それを感じ取ったのかフェンリルは再び僕の顔に飛びついてくる。疑ったことが嫌だったのか、顔の上に乗って、もふもふさをアピールしている。
「君を疑って悪かったよ」
僕の言葉を理解しているのだろう。フェンリルは地面に飛び降りる。
ボス部屋の縁にあるカバンから、中身を取り出して、お金を全て入れていく。鉱石も持っていこうか迷うが、掘るものがないため諦めるしかなかった。
それでもこの大金があれば、数年は生活に困ることはないだろう。
「今から帰るから魔物が出たら助けてくれよ!」
『キュ!』
フェンリルの毛皮を肩からかけると、フェンリルは僕の頭の上によじ登る。どうやら高いとこが好きなようだ。
僕達は高難易度ダンジョンから抜け出すために、ダンジョン部屋を後にした。
ゆっくりと魔物に気づかれないように歩いていく。だが、頭の上に乗っているフェンリルは違うようだ。
「そのキラキラした目はどうにかならないの?」
『キュ?』
フェンリルはキラキラした目でキョロキョロと周囲を見渡している。初めて見るダンジョンに興味があるのだろう。
ただ、物理的にキラキラとしている目が明るいため、魔物を呼びつけてしまう。
今も遠くの方から、大きな音を立てて走ってくる魔物がいる。
「ほら、またジャイアントオークが……逃げていくのはなんでだろうな?」
僕達を見つけたジャイアントオークは捕食しようと寄ってくるが、急に何かを恐れて逃げて行ってしまう。さっきからずっとこの調子だ。
むしろ安全に移動できるため、僕としては都合が良い。幼体のフェンリルでも、姿を見て本能的に恐怖感を抱いているのだろうか。
僕にはかわいいもふもふにしか見えない。
「あっ……」
ジャイアントオークが逃げた方へ歩くと、すでに自害した後だった。さっきのように逃げていく魔物を追いかけると、ドロップ品が落ちていることがある。
きっと少しでも攻撃をしていたら、今頃スキルが強くなったのだろう。だが、無闇に攻撃して狙われたらエリクサーを飲んだ意味がなくなってしまう。
せっかくだからとドロップ品を鞄に入れていく。いつのまにか、鞄もパンパンに膨れ上がっている。
何が起こるかわからないダンジョンだからこそ、なるべく魔物に見つからないように、安全に戻るのが第一優先だ。幸いカバンの中にはダンジョン内の地図が残っていたため、道もどうにかわかっている。
♢
数日歩き続けると、一際明るい場所を見つける。
「やっと出口だよ!」
『キュ!』
頭の上に乗っているフェンリルも喜んでいるようだ。来た道を戻ったからなのか、行きよりも短い時間で出口に到着した。
久しぶりに当たる日差しに、僕の疲れた体がほぐれていく。
「あー、気持ち良いね」
同じ気持ちなのか、フェンリルも短い手足を広げて伸びている。
僕達は急いで妹が待つ家に向かった。
なぜかここでもいつもより早く走れている気がしたが、会いたい気持ちが勝っていた。
「ただいま!」
「お兄ちゃん!?」
急いで帰ってきたからだろうか、アリアは驚いた表情で僕を見ていた。きっと頭に乗っているフェンリルを見て驚いているのだろう。
「見て! 新しい相棒のフェンリル!」
頭に乗っているフェンリルを下ろして、アリアの顔の前に持ってくる。頭を下げてちゃんと挨拶しているなんてお利口だ。
ただ、ここでもフェンリルの大きな目は光っている。
「お兄ちゃん……本物?」
「ほらほら本物だぞ!」
フェンリルをアリアの膝の上に置くと、ジーッとアリアを見つめていた。やはり急にフェンリルだと紹介されても偽物だと思ってしまうだろう。
アリアはあまりの嬉しさに、その場で泣き崩れてしまった。そんな姿に僕が戸惑っていると、アリアは安心したのか、にこりと笑っている。
「お兄ちゃん生きてたの?」
「おいおい、勝手に僕を殺す――」
「だって冒険者ギルドから、お兄ちゃんが亡くなったって報告を受けてたのよ」
「えっ?」
どうやら僕は冒険者ギルドでは亡くなったことになっているらしい。冒険者ギルドはAランク冒険者パーティーから、僕がダンジョン内で亡くなったと報告をしたらしい。
だから、死んだはずの僕が現れてアリアは驚き、泣いていたのだろう。
「迷惑をかけてごめんね」
「うん」
僕は優しくアリアを抱きしめる。僕がいなくなったら、アリアがこんなに悲しむとは思いもしなかった。
たくさん買っておいた食料もほとんど残っていた。食べる体力がないのかと思ったが、自分で体が動かせられるなら意図的に食べてなかったのだろう。
僕は改めてアリアのためにも、生きないといけないことを感じた。あの時すぐにエリクサーを飲んでよかった。
これからは安全に命を大事にして生きていこう。僕はそう決意した。
一方のアリアはフェンリルに興味津々のようだ。
「お兄ちゃん今いい?」
「ん? どうしたんだ?」
膝に乗っているフェンリルを持ち上げて、僕の方に向けてきた。
「お兄ちゃん……この子――」
『キュー!』
「フェンリルじゃ――」
『キュキュキュ!』
アリアが話すたびに会話をしているかのようなタイミングで、フェンリルは鳴いて返事をしている。アリアの声に重なりすぎて、ほとんど何を話しているのかは聞こえない。
ただ、フェンリルがアリアに懐いているのなら問題はない。今もアリアに体を擦り付けている。
何を言っているのか聞こえなかった僕は首を傾げると、アリアは笑っていた。
「もうお兄ちゃんって相変わらず抜けてるんだから」
どうやら僕は何かが抜けているらしい。髪の毛もしっかり生えているから、あとはどこが抜けているのだろう。
フェンリルを見ると、彼もわからないのか首を傾げている。
僕の新しい家族のもふもふ。その見た目に癒されていると、確かにあることを忘れていた。
「あっ、冒険者ギルドに生きていることを伝えないと!」
これがアリアの言っていた"抜けている"ってことなんだろう。フェンリルにお留守番をお願いして、僕は冒険者ギルドに向かった。
『キュー!』
まだ一人になるのが嫌なのか、フェンリルは泣き叫んでいた。
兄がダンジョンに行って一週間が過ぎた頃、兄の死を冒険者ギルドから伝えられた。どうやら道中で逃げ遅れたらしく、そのまま魔物に連れ去られてしまったらしい。
すぐに探しにいくが中々見つけることができず、何も持ち帰ることができなかったと家に来た冒険者は泣いていた。
聞いた瞬間、私は今すぐにでも死んでも良いと思った。でも、どこか胸の奥底で兄はそれを望んでいないと叫ぶ私もいた。
そんな中突然兄が帰ってきた。頭には何かわからない虫を乗せていた。
白くてもふもふしている存在を兄はフェンリルと呼んでいた。
初めは名前なのかと思ったが、フェンリルと勘違いをしているらしい。昔から頼りになる兄だったが、どこか抜けており、危なっかしい人なのは変わらない。
「ねぇ、あなたってフェンリルじゃなくて虫でしょ?」
兄に置いて行かれたのが悲しくて、ずっと玄関の扉を見ていたのだろう。
私の言葉に膝の上に乗っている虫はゆっくりと振り返る。そして激しく首を横に振った。
その反応からして、明らかに言葉の理解ができていると感じた。
見た目は羽の生えた蝶に似た虫だが、フェンリルと呼ばれている存在に私は警戒する。向こうも警戒しているのか、目を何度も光らせていた。
「あなたに何かする気はないわよ。きっとお兄ちゃんを助けたのもあなたよね?」
私の言葉に頷いている。それが分かれば特に気にすることはない。兄を助けてくれる存在。その存在が現れただけでホッとする。
私も兄のために何かできることがあれば良いが、それもできない状態だ。だからこそ私はフェンリルと呼ばれる、白くてもふもふした存在に願いを託す。
「どうかお兄ちゃんを守ってあげて」
私はそこで力尽きて眠ってしまった。
♢
『はぁー、やっと寝てくれた』
突然明るい世界に来たと思ったら、いつのまにか少年の魔物としてテイムされていた。なぜか彼はオラのことをフェンリルと呼んでいる。
この立派な羽は見えるだろうか。(まぁ、飛べないけど)
この立派な脚は見えるだろうか。(まぁ、フェンリルより脚が二本多いけど)
見た目はどこからどう見てもカイコにしか見えないだろう。
『実際にオラはカイコだからなー』
オラは脚を使って頭を掻く。きっとこの世界でカイコをフェンリルと呼ぶ人は彼しかいないだろう。
そんな彼に撫でられると、今まで感じたことのない幸福感に満たされた。
いつまでも撫でてもらい。
そんな風にずっと思ってしまう。
それなのに目の前にいる彼女は彼の勘違いを正そうとする困った人だ。
彼の妹じゃなかったら、今頃状態異常を付与させて一生話せないようにしていたぞ。
オラは聖獣ではなく成虫だ。現に子どもの頃はただの幼虫だった。
うにょうにょとしたあの姿で出てきていたら、きっと二人にも嫌われていただろう。
だからそのまま勘違いしてもらうために、彼には得意分野の"状態異常付与"のスキルを使った。今は解放されているはずなのに、いまだにオラのことをフェンリルだと思っている。
彼女が兄はどこか抜けているって呟いていたことに、オラも納得してしまった。
一方彼女は全くオラのスキルが効かなかった。相手の魔力を使って付与させるスキルが効かないってことは、彼女自体の魔力がほぼないということになる。
魔力がなければ生きていけないのに、生きているということはそれだけ今生きているのがギリギリの存在なんだろう。
だから、オラの魔力を使って強制的に眠らせた。
生きている間は少しでも兄と一緒に居たいと思ったのだろう。だってオラもすぐに死んでしまうカイコだからな。彼女の気持ちは理解できる。
流石に眠らなければ、せっかくの命も早く尽きてしまうだろう。
少しだけ彼女になら撫でられるのも許してやろう。
大事な彼の妹だからな。
必死に布を引っ張り、オラは彼女の腕の中に入り込む。
オラのもふもふとした体を味わうが良い。
どこか似たもの同士のオラ達。
スヤスヤと眠る姿にオラも安心して眠たくなってきた。
彼女の寝息を聞いて安心したのか、いつのまにかオラもそのまま眠りについていた。
僕が冒険者ギルドの扉を開けると視線が集まる。初めはフェンリルを見ているのかと思ったが、頭を触るともふもふはいなかった。アリアとお留守番をさせていたのを忘れていた。
受付まで行くとギルドスタッフに声をかける。彼女も僕を見て、その場で固まり驚いている。どこか見てはいけないものを見たような目だ。
「あのー……」
「ラックくん生きてたんですか!?」
どうやら本当に僕は死んだ扱いになっていたらしい。さすがに死んだと思った人が、いきなり目の前に現れたら驚いて動けなくなるのもわからなくもない。
「あのー、実は僕――」
僕は受付嬢にダンジョンでの出来事を話すことにした。信じてもらえるかはわからないが、冒険者か僕のどちらかが嘘をついていると思われるだろう。
現に死んだと言われた人が目の前に現れたことで、向こうの方に非があると思われるはずだ。
受付嬢は少し悩んで、少し相談してきますと言ってどこかへ行ってしまった。
「ラック生きてんだな」
「あっ、ハンジさん!」
声をかけてきたのはソロで活動している先輩冒険者のハンジ。時折、僕をパーティーに入れてくれる優しいAランク冒険者だ。
「すぐにギルドスタッフが悩んでいた理由はわかると思うが、なるべくならこの街を出た方が良いかもな」
「街を出る?」
僕は何を言われているのかわからなかった。街を出ると言っても、大事な妹もいるし親から唯一もらった家がこの街にはある。
「ああ、お前に依頼した冒険者って貴族の次男だったはずだ」
貴族と僕に何の関係があるのだろうか。そもそもあの人達に関わるつもりも全くない。
「ラック君お待たせ……その感じだとハンジさんに話は聞いたようですね」
僕はとりあえず頷いた。受付嬢は冒険者登録をするためのステータスボードを持っていた。
「これから再び冒険者登録をしてもらいます」
「えっ? どういうことですか?」
「それは今から説明しますね」
受付嬢の話では、僕をパーティーに誘った冒険者達は貴族を中心に集められた冒険者パーティーだった。彼らは遊びのために冒険者として活動しているらしい。
身なりも良く、武器や装備が一級品だったのは、完全に実力ではなくお金を持っていたからだ。
確かに戦いの隙間でも使う道具を僕に持たせていたのは疑問に感じていたが、普段はそういうものも他の人が管理しているのだろうぐらいにしか思ってなかった。
冒険者が遊びなら細かい管理ができないのは納得がいく。きっとあの鉱石もどこかに売るというよりも、自分達が取ってきたと自慢するのだろう。
わざわざ新しく冒険者登録をする必要性はないと思ったが、相手が貴族となればそうもいかないらしい。
僕が生きていることを知ったら、何かしら動きだす可能性が高いとハンジは言っていた。
言われた通りに新しく冒険者登録をすることにした。それも、居場所がバレないように名前を変えての変更だ。
最悪暗殺されることを考えると、今のうちにラックという存在を消さないといけないのだろう。
両親に残してもらった名前さえも捨てなければいけなくなる。それでも生きるためには選択しなければいけない。
僕はステータスボードにゆっくりと触れる。自分の名前を変えるだけで、こんなに息苦しくなるとは思いもしなかった。
――――――――――――――――――――
[ステータス]
【名前】 リック
【種族】 人間
【制限】 限界突破
【筋力】 15
【耐久】 18
【敏捷】 43
【魔力】 50
【幸運】 68
【固有スキル】 ガチャテイム
――――――――――――――――――――
「なにこれ……」
明らかに変化しているステータスに僕は驚いた。今まで僕のステータスは幸運以外は一桁だった。一番高い幸運でも13だったのを記憶している。
「この制限って項目知ってますか?」
僕は頷く。受付嬢は見たことないステータス項目に驚いているようだ。
僕も今まで自分のステータスでは見たことはなかった。
見たことあるのはテイムしたフェンリルと過去にテイムしたゴブリンだけだ。
きっとエリクサーを飲んだ影響で僕の体が変わってしまったようだ。ただ、これだけ強くなったら僕一人で冒険者として活動ができるかもしれない。
「今までありがとうございました」
僕は今日からリックとして新しく生まれ変わることになる。
あとは妹を連れて別の街に移り住まないといけないだろう。
今の僕の事情を詳しく知っているのは、冒険者ギルドのスタッフと先輩冒険者のハンジだけだ。
あとはギルド側で対応をしてもらえることになった。
僕は必要なものを買い込んで、妹とフェンリルが待つ家に帰ることにした。
僕が家に帰る頃にはアリアとフェンリルは同じベッドの中で丸まって寝ていた。お互いに暖をとっていたのだろう。
一緒に寝ているということは、フェンリルもだいぶアリアに馴れたのだろう。
僕も一緒にもふもふを味わいたいと、つい思ってしまう。
声をかけると眠たそうに起きてきた。
「お兄ちゃんおかえり」
『キュ!』
「ただいま! 今日はお祝いをしようか!」
急なお祝いにアリアは首を傾げる。隣にいるフェンリルも同じように傾けていた。
「お兄ちゃん突然どうしたの?」
今日は僕達の家で食べる最後のご飯になるだろう。僕が生きていると、貴族の冒険者に知られると証拠隠滅のために殺されてしまうかもしれない。
「アリア……僕名前を変えることになったよ。今日からリックだ」
僕は冒険者でギルドであったこと、貴族の冒険者に命を狙われている可能性があることを伝えた。
そして、家を出ないといけないことを――。
笑って話していたはずなのに、自然と涙が出てきてしまう。
両親が残した家も名前も無くなってしまう。
僕の元にあるのは、大事な妹のアリアと新しい家族のフェンリルだけだ。
そんな僕を慰めるようにアリアは涙を拭う。フェンリルも心配になったのか、僕の頭の上によじ登り、ぽんぽんと叩いている。
「あっ、そうだ! お兄ちゃんが名前を変えたらなら私も変えればいいんだ!」
「えっ?」
アリアの言っていることが僕にはわからなかった。別に冒険者に狙われているわけではない。
それなら両親からもらった名前を変える必要はないのだ。
「だってこのフェンリルもまだ名前がないでしょ? なら今日からみんなの名前が変わる日で良いよね」
アリアの優しい気持ちが僕の心を暖かくしてくれる。僕の目からは涙が止まらない。
「お兄ちゃんがラックからリックになったなら、私はアリアからマリアにしようかな」
そんな妹の言葉に僕は頷く。マリアならそんなに前の名前とも変わらない。
「じゃあ、あとはフェンリルだけどもふもふしてるから似た名前がいいよね?」
もふもふに似た名前――。
「モフオとか?」
僕の提案に頭の上のフェンリルが、さっきよりも強く叩いてきた。どうやらモフオは嫌らしい。
ひょっとして女の子なのかもしれない。
「それならモフミ――」
頭の上での猛反撃は止まらない。段々と叩かれすぎて、音楽を奏でているように感じてしまう。
「もふもふ……も……もさもさ……もすもす……モススはどう?」
フェンリルの反対の音楽はどうやら止まったようだ。明らかに僕よりもセンスがあるアリアいや……マリアの名前が気に入ったのだろう。
「じゃあ、今日から僕はリック!」
「私はマリア!」
『キュ、キュキュ!(オラはモスス!)』
僕達は誓いを立てるように名前を呼ぶ。もう前の僕には戻れないということだ。
二人も自身に言い聞かせているのだろう。
「あっ、お兄ちゃんお祝いって何するの?」
「えーっと、とりあえずお肉を買って――」
「お兄ちゃん……それ野菜だよ?」
お肉は高いから普段買っているお肉に似た野菜を買ってきてしまったようだ。
お金はフェンリルやダンジョン内で手に入れられるため、たくさんあるのに習慣は抜けないらしい。
「ふふふ、やっぱりお兄ちゃんらしいね」
『キュキュ!』
名前が変わっても変わらない僕達の関係。
心優しいマリアと愛らしいモスス。
やっと強くなった僕はどんなことがあっても二人を大事に守るよ。
僕は改めて家族の大切さに気付かされた。
今日から僕達家族は新しい家族となった。
あれから数日が経ち、旅立つ準備はできた。ダンジョンからドロップした物は冒険者ギルドで売ると高値で売れた。
きっとギルド側が僕の事情を読み取って高値で買い取ってくれたのだろう。
たくさんあるお金で優先的に手に入れたのは、魔力ポーション。これはマリアのために必要な命の源だ。
魔力喰いは魔力があればそっちを優先的に吸収する。そのため、マリアには今後も魔力ポーションが必要となる。
そして、今まで体力が落ちた体を癒すために回復ポーションをいくつか買った。
それでようやくマリアも動けるぐらいに回復した。
あと残っているドロップ品は初めに手に入れた、フェンリルの毛皮だけだ。手先が器用なマリアが新しい街に着いたらマントにしてくれるらしい。
これでようやくこの町から離れることになった。元々住んでいた家は冒険者ギルドから商業ギルドへ売却してもらうことにした。
その時に手に入れたお金はギルドが管理してくれることになった。
様々あるギルドにはお金を預けられるシステムが出来ている。そのシステムを使えばどこの街にいても大金を持ち運ばなくても済むようになっている。
「今までありがとうございました!」
僕達は住んでいた家にお礼を伝えて町を出た。向かう先は隣街だ。
北に向かえば向かうほど、貴族がたくさんいる王都に向かうことになるため、僕達は南に行くことにした。
隣街は住んでいたところよりも発展しており、近くに森やダンジョンがあるため、冒険者業もしやすいという理由でそこに行くことにした。
そこが住みやすければ移住しても良いだろうし、住んでいたところが王都に近いため、もう少し南に行ってもいいのかもしれない。
そこは追々家族と相談するつもりだ。
「はぁー、お尻の痛みはモスモスすると忘れちゃうよ」
隣の街には乗合馬車で移動している。そのため、狭い馬車の中では身動きがとれずにお尻が痛くなってしまう。
その疲れをモススの体に顔面を擦り付けてもふもふする。
――通称"モスモス"
モススも嬉しいのか、足や羽をジタバタとしていた。モススの毛並みは少し短めのため、頬に触れる毛が柔らかくて心地良い。
「おい、コボルトが出てきたぞ! しっかり掴まれ!」
御者の声が聞こえてくると馬車の走るスピードは上がる。
それはフェンリルに似た姿をした魔物だが、別の個体とはっきり言ってもよい姿をしている。
二足歩行で歩き、口元からよだれをたらたらと垂らしている。
鋭い牙が特徴的で、その姿はフェンリルのような威厳や可愛らしさも持ち合わせていない。
「秘技モスモスビーム!」
そんなコボルト達に向かってモススを向ける。キラリと輝くモススの目を見ると、コボルトは尻尾を股の間に挟んで、怯えて逃げていく。
やはり最強の魔物であるフェンリルには敵わないのだろう。
その結果、コボルトが出てきた時は追いつかれないようにスピードを上げるが、基本はゆったりと安全な移動ができた。
それにしてもやけにコボルトばかり出てくるのは、新しい街付近の特徴なんだろうか。
冒険者ギルドに着いたらすぐに確認する必要がありそうだ。
♢
街に着くとあまりの大きさにマリアは驚いていた。頭の上に乗っているモススもバタバタと羽を羽ばたいている。
ただ、飛べないため羽が隣の人に当たっているため、謝りながら僕は歩いていく。
「まずは泊まる宿から探そうか」
今日から泊まる宿を探すのが一番の課題。子ども二人が泊めて欲しいと言っても、中々受け入れてくれないのが現実だ。
お金を持っている貴族のような服装であれば問題ないだろうが、僕達の見た目では中々泊まれないだろう。
だからこそあまり綺麗ではない、古民家のような宿屋を探すことにした。
「ここって本当に宿屋なのかな?」
「多分宿屋であっていると思うよ」
街の奥の方にある古民家には、ひっそりと看板がかけてある。きっと大々的に営業しているような宿屋ではないのだろう。
「すみません。数日ここに泊まることってできますか?」
僕が扉を開けるとそこには、フェンリルのようなもふもふとした男が立っていた。