高体連での一件は、みんなの中からはすっかり消え去っていた。よくわかっていなかった1年生が道に迷って他校生に怒られた、それだけのこと。
初めての1年生なら誰でも起こす可能性があること。予防できなかった先輩たちも悪い。そう軽く先輩方に言われて、それきりだった。
でも私の中では、初めて怒鳴られた経験として、ある種トラウマ化してしまっていた。
しかも、あろうことか「色」と結びついて。
高体連あけ、最初の登校日から中間テストが始まった。高校に入学して初めての成績に大きく関わるテスト。もちろん、高体連期間中も含めて、必死に勉強してきた。そんなに頭がいいほうではないけれど、中学校とは比べものにならない難しさに対応すべく、必死に努力してきた。
異変が起きたのは、1日目の1時間目が始まる前だった。
「じゃまだ!! どけどけ!!」
あの記憶が頭の中にこだまする。どこにもあの緑ジャージは居ないのに。先生の指示で解答用紙に名前を書かないといけないのに。「1年F組39番」ここまではいい。「若森」…。
「じゃまだ!!」
やはり、聞こえる。この名前から、あのときの怒鳴り声が。「若森翠鳥」に見える「青緑色」が、あの怖い記憶を呼び起こしている。その声はありありとしていて、正直、黒板前の先生の声より大きいし、何より怖い。シャーペンを持つ手が震え、とても名前を書いている場合ではない。
結局「翠鳥」は書けないままテスト開始のチャイムが鳴った。
「名前を書いていない場合は0点」そんな当たり前のことはわかっている。でも、今日はどうしても最後まで名前を書けない。仕方なく、とりあえず解答を書き始めた。事情を話せばわかってくれるだろうと思っていた。だって怖いんだもん。自分の名前の色と怖い記憶が結びついてしまって、とても書けないから今日のところは出席番号までで許してほしい。
「何を言っているんだ? とにかく名前は最後まで書かないとダメだ。もちろん読めるようにな! はい、ほか質問がある人は?」
巡回に来た化学の先生に正直に話したが、全くきく耳を持ってくれない。周りからは笑い声も聞こえてくる。なぜわかってくれないのだろう? 私はもう「若森翠鳥」から逃れられなくなった。
解答欄はあと半分くらい、埋まっている半分には絶対の自信があったから50点は確実。私は残り時間をかけて、ゆっくりと、泣いていることを悟られないように「翠鳥」の文字を今まで生きてきて一番時間をかけて記した。最後の点を打った時、解答終了のチャイムが鳴った。そのくらい、今の私には名前を書くのが苦痛だった。
このテスト期間中、勉強の成果を発揮することはほとんどできなかった。名前を書くのに30分以上時間がかかる。しかも書き終えた頃には涙と怖さでテストどころではなくなっている。一番時間がかかった国語のテストは47分も名前に時間がかかってしまった。そんなわけで、埋まった解答欄は30点にも満たない科目がほとんどだった。
テストが終わってからは、名前を見ると襲ってくるあの恐怖と、テストが全然できなかった喪失感と、語彙の少ない私には「サイアク」としか表現できないような、そんな気分だった。恐怖が襲ってくるのは緑色に見えるもの全部。私の名前も、森田先生の名前も、理科の教科書も、街にあふれる様々な「緑」も、全てが怖かった。
緑が怖い私は、必需品の24色ボールペンから緑に見える色を全て取ることにした。「黄緑」「緑」、そして「青緑」。
初めての1年生なら誰でも起こす可能性があること。予防できなかった先輩たちも悪い。そう軽く先輩方に言われて、それきりだった。
でも私の中では、初めて怒鳴られた経験として、ある種トラウマ化してしまっていた。
しかも、あろうことか「色」と結びついて。
高体連あけ、最初の登校日から中間テストが始まった。高校に入学して初めての成績に大きく関わるテスト。もちろん、高体連期間中も含めて、必死に勉強してきた。そんなに頭がいいほうではないけれど、中学校とは比べものにならない難しさに対応すべく、必死に努力してきた。
異変が起きたのは、1日目の1時間目が始まる前だった。
「じゃまだ!! どけどけ!!」
あの記憶が頭の中にこだまする。どこにもあの緑ジャージは居ないのに。先生の指示で解答用紙に名前を書かないといけないのに。「1年F組39番」ここまではいい。「若森」…。
「じゃまだ!!」
やはり、聞こえる。この名前から、あのときの怒鳴り声が。「若森翠鳥」に見える「青緑色」が、あの怖い記憶を呼び起こしている。その声はありありとしていて、正直、黒板前の先生の声より大きいし、何より怖い。シャーペンを持つ手が震え、とても名前を書いている場合ではない。
結局「翠鳥」は書けないままテスト開始のチャイムが鳴った。
「名前を書いていない場合は0点」そんな当たり前のことはわかっている。でも、今日はどうしても最後まで名前を書けない。仕方なく、とりあえず解答を書き始めた。事情を話せばわかってくれるだろうと思っていた。だって怖いんだもん。自分の名前の色と怖い記憶が結びついてしまって、とても書けないから今日のところは出席番号までで許してほしい。
「何を言っているんだ? とにかく名前は最後まで書かないとダメだ。もちろん読めるようにな! はい、ほか質問がある人は?」
巡回に来た化学の先生に正直に話したが、全くきく耳を持ってくれない。周りからは笑い声も聞こえてくる。なぜわかってくれないのだろう? 私はもう「若森翠鳥」から逃れられなくなった。
解答欄はあと半分くらい、埋まっている半分には絶対の自信があったから50点は確実。私は残り時間をかけて、ゆっくりと、泣いていることを悟られないように「翠鳥」の文字を今まで生きてきて一番時間をかけて記した。最後の点を打った時、解答終了のチャイムが鳴った。そのくらい、今の私には名前を書くのが苦痛だった。
このテスト期間中、勉強の成果を発揮することはほとんどできなかった。名前を書くのに30分以上時間がかかる。しかも書き終えた頃には涙と怖さでテストどころではなくなっている。一番時間がかかった国語のテストは47分も名前に時間がかかってしまった。そんなわけで、埋まった解答欄は30点にも満たない科目がほとんどだった。
テストが終わってからは、名前を見ると襲ってくるあの恐怖と、テストが全然できなかった喪失感と、語彙の少ない私には「サイアク」としか表現できないような、そんな気分だった。恐怖が襲ってくるのは緑色に見えるもの全部。私の名前も、森田先生の名前も、理科の教科書も、街にあふれる様々な「緑」も、全てが怖かった。
緑が怖い私は、必需品の24色ボールペンから緑に見える色を全て取ることにした。「黄緑」「緑」、そして「青緑」。