「ガデル様!あぶない!!」
 子分の一羽が放った言葉を聞いて横を振り返ると、彼の正面に向かってものすごい速さで飛んできていた何かを、彼は間一髪でしゃがみ避けた。バランスを崩して尻もちをついた彼のもとにすぐさま駆け寄る二羽。彼らが顔を上げて前を見ると、先ほど通り過ぎようとした柱に一本の細い”光”が刺さっているのが見えたのであった。しかしその形は、普通のものとはどこか違い、よく見るとそれは、以前座学の教科書で見た弓矢の「矢」の形にそっくりであることに気が付いた。

 突然の出来事にただ座り尽くしていると、「矢」が飛んできた方向から、声とともに誰かが走り寄ってくる足音が聞こえてきた。振り向くと、そこには知らない天使の顔が見えた。

「わりいわりい!怪我とか大丈夫か?ほら、手を貸すぜ」

 緑色のぼさっとした髪が特徴的な彼はガデルの手を引っ張り上げようとしたが、その重さを持ち上げるには力が足りず、一度よろけると今度は両手を使って精一杯引っ張り上げた。

「ふう。あんた意外と重いな。ガタイも結構いいし、俺の練習に良い”的”になりそうだな」
「ひぃっ?!」

 すくみ上るガデルの肩に、彼はパッと手を置いて口を開く。
 
「はは!嘘に決まってんだろ!でも、授業中はここら一体は俺が使ってるから、あんまり近づくと危ないぜ?次通るときは回り込んでくれよな」
 
 そう言うと、彼は自分のいた方向へと戻っていった。柱を見ると、刺さっていた光はすでに彼の体に戻ったのか、跡形もなく消えていた。

「へ、口ほどにもねえ奴だったな」
「ガデル様。さすがに文脈に合ってなさすぎっす」

 緑髪の彼は元居た場所に戻ると、その場で立ち止まって柱の方を向き直す。そして、また光を出そうとしているのだろうか、集中するように目を閉じながら、授業で習った通りの手指のしぐさをし始める。ガデル達は釘付けになるように。遠くからその様子を見つめていた。
 しかし、自身の光を手のひらから出し始めたその光はどこか"歪"で、全体が発現すると、それは右手に「弓」、左手に「矢」の形をしていた。

「ありゃあ一体何なんだ?あんなの見たことねえぞ?」
「あいつは確か、4組の”サリル”っすよ。確かこの前の座学のテストで、学年2位だったって噂で聞いたっすよ」
「そっちじゃねえよ。あの光の話をしてんだよ。なんなんだ、あのへんな形は?」
「確かに、周りの奴らもみんな剣の形をしてるのに。よくよく考えればさっきのはどっちかというと光が”飛んできた”って感じが――」

「うわぁ、すごいやっちゃな...あれができるのは、やっぱり"才能"ってやつなんかなぁ」
 
 子分の言葉を遮るように、突然後ろからした声に三羽は驚き飛び上がった。振り返ると、そこには別の見知らぬ顔の男の天使が立っていた。

「びっくりした!誰だお前は!?」
「ああ、驚かせてすまんな。わいの名前は”マロス”。君らの先輩に当たるもんやな」

 気さくな言葉と口調で話しかける彼だが、がたいの良い方であるガデルと遜色のない背の高さと、若干とはいえその大人びた顔つきから、彼が指導役として呼ばれた上級生の一羽であることにはすぐに理解がいった。

「にしても"才能"ってのはどういう意味なんだ...ですか?」 
「ああ、緑髪の彼のことやろ?あの”弓矢”のような形、あれはきっと『形状変化』の感覚が元々身体に刻み込まれとってできたんやろうな」

『形状変化?』

 首を傾げる三羽に、マロスは答えるようにつづける。
 
「天使の光は普通、キミらや僕みたいに剣の形で発現する。これは”ほとんど”の天使にあてはまる。オファエル先生やミカエル校長だってそうなはずや」

 話しながら彼が目をやった方向にガデルたちも顔を向けると、遠くの正面玄関前で質問に答えているのだろうか、生徒と言葉を交わすオファエルの姿が見えた。
 
「そして、光はこの”石”を介してのみ発現することができるもんやから、それを自由に扱うことが難しいのは当たり前。ましてやその造形を変化させようだなんて、粒単位くらいの精密な光の操作ができないと無理な話や」
 
 話しながら、彼自身も手から引き抜くようにして光を出すと、それはなんとも滑らかで潤沢な刀身が顔を出した。ガデルのものと比較すると、普通ならば気にならないような彼の刀身の粗も、マロスのものと見比べた瞬間、それが一目瞭然と分かるようだった。

「普通の天使が学校にいる間、二十年三十年ずっと鍛錬を積んできても、できることと言えばせいぜい刀身にある粗を取り除くくらいや。まあ、これでも結構すごい方なんやで?」

 見せつけるように手で何度も撫でながら自慢げに言うマロスだが、その目はどこかやるせない感情が混ざっているようだった。

 「……でもな、ごくごく稀に。この石に触れた瞬間に、光の粒の動き一つ一つの感覚が()()()理解できてしまうような天使が、この星上園には何羽かいるんや」

 その実例があれだと言うように、彼は目線を右奥のサリルに向けた。ガデル達も何かを噛みしめるように、再度その完璧な弓矢の形を目に刻み込んだ。

「あんなのは努力でどうこうできる次元の話やない。生まれ持った才能だとでも言ったほうが、僕らも時間を無駄にしないうちに”諦め”がつくやろ」
 
 喋りながら、自分の刀身をどこか悲しげに見つめるマロスだったが、そんな様子には目もくれずに、ガデルはあさってを向いてしゃべりだす。
 
「まあ、あれができる奴がいたところで、うちの代ではあいつくらいだろ。珍しい力を持っていてどうしても評価が高くなっちまうのはしょうがねえが、それでも俺が自前のパワーで"二番手"を取ればいいだけの話だ。な、そうだよな?」
「そうっすよ。ガデル様ならいけるっすよ!」
「ガデル様バンザーイ!」

「まあ、確かに上界に行けるのは一羽だけってわけやないしな。今年がいわゆる"豊作"の世代とかじゃなければ、君が狙える可能性も無いことはないで」

 首の後ろで手を組みながら言うマロスに、ガデルは突っかかるように不満の言葉を返す。

「『無いことはない』ってなんだよ!俺が行ける可能性が低いみたいに言うじゃねえか」
「いやいや、そんなつもりで言ったんちゃうで。けどな、今実技が始まったばっかりのときに、上界行きが確定してるやつの方が珍しいってことや。ああいう奴らのようにはね」

「ふん、『形状変化』とかなんとかができてようが、実際に戦ったら俺の方が強いに決まってんだろ」

 そう言って無理やり顔をこわばらせ、同じ様に後ろで手を組むと、そのまま近くにあった丸木のようなものに背中から寄りかかった。すると、それを見ていたガデル以外の三羽は突然顔を真っ青に変えた。

「あ、ガデル様!それはっ、」
「ガデル君、そこは危ないで!」
 
「ん?」
 なんのことか分からずにぽけっとしていると、背をもたれていた丸木が突然、一瞬にしてバラバラに崩れた。重心を支えていたものが無くなったガデルは、そのまま後ろへ勢いよく倒れた。
 
「痛ってぇ…」

 手で腰をさすりながら、ガデルが上半身を起こすと、背中側に見えたのは、粗一つ無いきれいな太刀筋で四つに切られた丸木の姿だった。後ろに広がる光景に唖然と目を落としていると、どこからか、焦って取り乱したような女声が聞こえてきた。

「ごめんなさい、ごめんなさい!練習用の人形にまさか寄りかかってる天使(ひと)がいるとはとは思わなくて…」

 顔を上げると、そこには見知らぬ顔の天使が駆け寄ってきたのが見えた。

「大丈夫?怪我とかしてないかしら……」
「あ、ああ。なんともねえ」

 紫色の髪を首元まで垂らした彼女は、ガデルの前に膝をついて腰を下ろす。

「切り傷とかできてない?ほら、腕見せて――」

 そう言って腕を取った彼女の手先を見た瞬間、ガデルは恐ろしいものを見たとでも言うように、突然悲鳴をあげながら後ろに飛び上がった。
 
「ひ、ひぃぃっ!!」
 
「ガデル様?!どうしたでやんすか?!」
「こ、殺されるかと思った…」

 尻もちをつきながら紫髪の彼女を指差すガデル。子分達がよく見ると、彼女の手先からは"何か"が伸びているのだった。

「それは、、、」
「ああ、ほんっとごめんなさい!私ったらほんとうっかりしてたわ。光を出したまんまだったなんて...」
 
 その彼女の光は、指先一本一本から鋭く細長く伸びているものを指しているのだろうか。まさかと理解が追い付かずに唖然としている三羽の後ろから突然、前のめりになって口を開いたのはマロスだった。

「嬢ちゃん、もしかしてその手から伸びてるのが、あんたの光なんかい?」
「は、はい。そうなんです。みんなと違う形だから、不安になってオファエル先生に相談したら、『特に問題はない』って言ってくれたんです」
「ほええ、どうしてそんな形になったんや?」
「このあいだ座学の教科書で見た武器がどうしても頭に残ってたんです。そしたら、いざ出そうとしたら、本当にその形になっちゃって」

――なるほど、やっぱりイメージが先行してきているのか。確かに、実技指南書に『カギ爪』についてのページがあった気もするな。誰がこんな形作れるんやって思っとったけどな。さっきの弓矢の坊主といい、まさかうちだけじゃなくこの世代も...

 指に口を当てながらそんな考え事をしていると、横から聞き覚えのある声がしてきた。
 
「おーいヨエル。そんなところで何して……ってあれ、あんた達はさっきの、、」

 見えたのは、新しく練習用の的を左手に持ったサリルの姿だった。
  
「ありゃ、君はさっきの弓矢の子やないか。まさかキミらふたりは知り合いなんか?」
 
「なんすか、その呼び方...」
「私たち、一応幼馴染なんです。サリル(こいつ)とだなんて癪ですけど」
「そりゃこっちのセリフだわ。このおかっぱもどき」
「言ったわねぇ...」
 
 互いをにらみ合い始めた二羽。両者が同時に握った手のひらをかっぴらくと、そこから突然ピカッと光の筋が出始めた。そして各々の武器を構えるポーズをとったのを見て、そばにいたマロスが大急ぎで間に入って仲裁する。

「ほらほらほら!落ち着きなさいやふたりとも。キミらが戦闘なんか起こしたらここが大変なことになるで。せっかくふたりとも才能に溢れてるんやから、怪我なんかしたらもったいないで」

 するとマロスの言葉を聞くなり、二羽は急に光を解いて、手中に収めるように消滅させた。
 
「……ま、まあ”才能があって将来が有望”っていうんなら。しょうがないわよねぇ」
「力は無駄なことに使っちゃいけねえもんな。ここは先輩に免じて収めるとすっかぁ」

 顔を背けてそう言う二羽だが、後ろにいるガデル達の目からも彼ら二羽がにやけているのがまるわかりなほどに、その口角が吊り上がっているのが見えていた。そしてそのまま何事も無かったかのように二羽はその場を離れていったのであった。

「やっぱり今年度の子たちは良い子たちばっかりやな。
 才能に溢れてて...扱いやすい」
『……』

 ガデルたちのもとから離れたところで、サリルとヨエルの二羽は各々練習を始めるわけでもなく、気持ちそっぽを向きながら話しているのであった。

「あんた、ちょっと先輩に褒められたからって調子乗ってんじゃないわよ。さっきから目に見えて浮足立ってるわよ」
「お前こそ、さっきから口元がニヤついてるぜ。かぎ爪なんかよりも、光のマスクを作ったほうがいいんじゃねーの?」

 すると、さきほど沈められた喧嘩の火はまた燃え始め、次第に互いのほうを向き、声も大きくなっていく一方であった。
 
「そんなに生意気なこと言うなら、今から一対一で決着つけてもいいのよ?なに、ビビってんの?まあ、そりゃそうよね。昔っから運動不足のあんたじゃあ勝ち目ないもの」
「お前だって一度でもテストが平均点超えたことがあったかよ?足に栄養行き過ぎて、脳の分とっとくの忘れちまったんじゃねえの?」
「何よ、実験に失敗したみたいな髪型してるくせに!」
「いったなてめえ!」

 導火線の火が火薬に届こうとしたまさにその瞬間、どこからか二羽を呼び止める大きな声が聞こえてきた。

「こらー!ふたりともやめなさーい!」
『あ、ハニエ』
  
 走り寄ってきた彼女の顔を見るなり、二羽は一秒前の勢いが嘘かのように、すぐさま胸ぐらを掴み合っていた手を離した。
 
「もう!目を離したらすぐ喧嘩ばっかりするんだから。どうやったらもうちょっと仲良くできるの?」
『だってこいつが!』
 
「ほらほらストップ!!『喧嘩両成敗』っていうでしょ。まったくもぉ...」
 
 頭を掻きながら唸るハニエ。二羽はただ口をチョキにして目をそらすだけだった。

「まあいいや。それよりも聞きたいことがあって――」

 ハニエは唐突に眉間にシワ寄せていたのを戻し、素朴な顔で聞く。
 
「"フォルン"がさっきから見当たらないんだけど、ふたりとも見てない?」
 
 すると二羽は一瞬顔を見合わせ、今まで頭から消えていたフォルンの存在を思い出すように口を開く。
 
「いや、、そういえば見てねえな」
「私も見てないわ。てっきりハニエと一緒にいるもんだと思ってたけど」

 返答を聞くなり、つい数秒前まで二羽を叱っていた彼女(ハニエ)だとは思えないほどに、表情をうつむかせ、気が沈んだ顔を見せ始めた。
 
「そっか...フォルンったらどこ行ったんだろう...迷子になってたらどうしよう...授業中に見失っちゃうなんて...私ったら、、」
「おいハニエ、そんなに気を落とさなくても――」
 
「『幼馴染失格』だわ...」
 
 心配のあまり涙すらもこぼしそうな彼女を見て、サリルとヨエルは感慨深そうにつぶやく。

――これじゃあ幼馴染というか「姉弟(きょうだい)」だな
――ここまで平和な関係って存在するのね。私達も同じ幼馴染のはずなのに、どこでここまで違くなったのかしら...

 膝をついて顔を手に埋める彼女に、ニ羽も同じように腰を落として語りかける。

  
「ま、まあそんなに深刻に考えなくても大丈夫だろ。俺らなんか、互いの安否を心配したことなんて一度もないぜ」
「サリルのいう通りよ。それに、もう少し彼のことも信頼しても大丈夫だと思うわ。フォルンならきっと大丈夫よ」
 
「サリル、ヨエル...そうだね。私のほうがちょっと不安になりすぎたのかも」

 二羽の言葉に我に返ったハニエの声には、活気を取り戻し始めていた。

「ふたりとも、ありがとう。じゃあフォルンが戻ってくるまでここで待とうかな」
「ああ、それがいいと思うぜ」

 すると、ヨエルは何かを思いついたのか、その場で立ち上がり口を開いた。
 
「そうだハニエ。じゃあその間に、私と()()()していかない?」

 ◇◇◇

 「学校で代々受け継がれてる”人形切り”っていう伝統の勝負があるのよ。一人一人のエリアに木の人形を十体ずつ配置するのね。合図でスタート地点から走って、先に自分の陣地にある人形を全部切った方が勝ち。あ、切り込みを入れるだけじゃなくてちゃんと最後まで切り落とさないとだめよ」
「わかった。とりあえず"全部切り倒せば"いいのね」
 
 ルールの確認をとりながら、二羽はそれぞれ人形が置かれた場所から、十数メートルほど離れたスタート地点に立った。
 
 二羽の会話を聞きつけた他の天使たちは、ざわざわと耳打ちをしながら周りを囲みだした。

 ――おいおい、あのハニエとヨエルが勝負するらしいぜ。どっちが勝つと思う?
 ――そりゃ"ヨエル"じゃないか?さっきから練習用の人形をバッサバッサ倒してるのを見てたか?あんなの誰もついてけねえよ
 ――私もヨエルだと思う。いくらハニエと言っても、実技にも才能があったわけじゃないみたいね。ほら、彼女の光を見て。私達と同じ"剣"の形よ。

 
 集まり始めた群衆の中には、ガデルと子分達の姿もあった。
 
「やっぱりこの勝負はあの紫髪(ヨエル)が有利っすかね」
「これは見物っすよガデル様。またさっきみたいにすごいことが繰り広げられるかもしれねえっす」 
「...さあな。どうでもいいわ」

「そんなこと言うて、ちょっとばかしビビってるちゃうんか~?ガデル君??」

 そう煽るように後方から顔を出したのはマロスだった。

「うっさいな!なんであんたも来てんだよ!」
「そりゃあ、()()()()()からに決まっとるやろ」
「そうっすよね!あのヨエルとかいうやつの光、どういう風に使うか気になりますよね」
 
 子分が指をさしながらそういうと、マロスは首を横に振り、その人差し指を握って別の方向をさした。
 
「ちゃうで、わいが気になるのは()()()や」

 ◇◇◇
 
「よし、じゃあ俺が合図したらスタートな。よーい....
 
ドン!」

 サリルが合図をならすと、スタート地点から目にもとまらぬスピードで走り出したのはヨエルだった。滑らかな足の運びからの力強い踏込みに、その場にいた全員の目線を集めた。ガデル達も目を奪われるように釘付けになっていた。

「なんなんすか?!あの足の速さ!?」
「人形との距離なんて一瞬で無くなったっすよ!?」
「なるほど、あそこまで脚が速ければ剣の長さが無くてもすぐに近づける」
「身体能力との相性が良い形で、実戦って意味での評価は高くなりそうやな。オファエル先生も良しと言ったわけや」
 
 十メートルという人形との距離も一気に縮まり、彼女が手振り上げる動きを一瞬だけみせると、周りにあった十数体の人形が、鋭く裂くような音とともに次々と切られていった。

「す、すごい……」
「太刀筋すらまるで見えないのに、木でできた人形が紙を破くみたいに…」

 十もあった人形は次々と倒されていき、ついに最後の一体に、彼女の爪がかかろうとしたその時だった。
 
 観衆の誰もが見ていなかったスタート地点から、突然大きな輝きが放たれたかと思うと、次の瞬間、強く光る何かが”もう一方”の人形の群れの中へとすさまじい速さで入っていった。その何かは中心あたりで一瞬止まると、次の瞬間さらに強く輝きを放った直後、その場で何かを真横に振りかざした。

 その瞬間巻き起こった風圧と強い輝きに、観ていた者は一人残らず目を瞑った。

「なんだ!?眩し!」
「一体何が起こってるんすか!?」
 
「きゃあっ!!!」
 
 
 
 数秒はかかっただろうか、吹き荒れていた場の風も収まり、やがて沈黙が訪れた頃。観衆がゆっくりと目を開けると、人形があったはずのエリアの真ん中に見えたのはハニエの姿だった。丸切りどころか、跡形もなくなった丸木の破片に囲まれるように突っ立っていた彼女の左手には、神々しくも感じるほどに強い輝きをまとった光が握られていた。
 
「ふたりのエリアのどっちにも人形は残ってない、てことは引き分けってことか...?」
「いやでも、ヨエルの姿がどこにもないっすよ?一体どこに?」

「いててて...」

 聞こえてきた声のほうを振り向くと、柱に尻もちをついて座り込んでいるヨエルの姿があった。

「おい、なんでヨエルがここで座ってるんだよ」

 ことが呑み込めないでいると、ハニエのいるほうから声が聞こえてきた。
 
「ねえヨエル。これって私とヨエル、どっちの勝ちなのかな?」
 
「...ハニエが自分の陣地の分と私の最後の人形も切ったから、()()()()()()()

 どこか悔しくて吞み込めないような顔をしながらヨエルがそう言う。

「やった!私の勝ちぃぃー!
 ちなみになんでそんなところで座ってるの?」
「あなたの起こした風に吹き飛ばされたからよ!」
 
 両手を高く挙げながらその場で華奢に飛び跳ねている彼女の背後で、観衆たちのあごはこれでもかというほど大きく落ちていた。

 ――え、今のなに??()()()()()()って...
 ――あの爆発みたいな光は、ハニエの仕業ってこと?
 
「あの一瞬で...」
「あの一太刀で...十体の人形をいっきに切ったってことすか??」
「信じられねえ、、どこからあんな出力が」
 
 空いた口がふさがりきらないまま呆然と立ち尽くすガデル達三羽の横で、マロスが口を開く。

「はは、やっぱりなぁ...どこかおかしいと思ってたんや。あの子の光」
 
「どういうことだ?どっからどうみても普通の光じゃねえのか?形状変化ってやつもできるようには見えねえし」
「確かに、形は普通の剣型の光や。だがな、光ってのはもう一つ別の性質があるんや。それは、発現者の身体能力の高さに応じて、光の”質量”が増えるということ。ちょうどガデル君も体格が筋肉質な分、光の直径が一回り大きい。それはつまり、光自身の出せる力、出力も大きくなっていくんや」

「でも、あいつ(ハニエ)の光は全然大きくないっすよ。ガデル様のほうがむしろでかいように見えるっすけどね」
 「いんや、よく見てみ」
 
 子分の一羽が疑問を呈すと、それを待ってたと言わんばかりに首を振り、もう一度強くハニエの方を指さした。
 
「彼女の光、ほかのより()()()ように見えんか?」
『確かに』
「そしてプラス、あそこから何かキラキラした空気みたいなんが漏れてるのが見えるやろ?あれはきっと、”光の粒”があまりに多すぎるから、たえずあそこから放出されてるんや」
『多すぎる?』

 呼吸を合わせたように三羽は首をかしげる。

「あれが小さいように見えるんは、その密度がとてつもなく高いからや。もう少しわかりやすく言うと、あの小さい剣型の中には、異常なほどの”質量”と”数”の光の粒が凝縮されとる。あの明るさがその証拠や」

 いわれてから見ると、確かにほかのどの天使よりも、あきらかに発光のしようが目立って見えた。

「けれど、それ以上に驚いたんは、あの粒子の”漏れ”やな。最初に彼女(ハニエ)が光を出した時からあった、わいも感じた違和感の正体や。まだ未熟ゆえに全部を凝縮できずに漏れてるってことなんやろうけど、そんな天使なんてうちの代でもその上の先輩たちでも見たことないわ」
「それって、どういう...」
「それほどに、彼女が持ってる身体的な力が強いっちゅうことや。たぶん木の人形くらいなら素手で――」

 マロスの話を聞いていくほどに、ガデル達は()()を思い出すように顔が真っ青になっていくのであった。
 
『....』

 彼らは心の中で静かに、そして固く、『フォルンに対しての嫌がらせ(いじめ)をやめよう』と決意したのであった。
 
 
 勝負が終わるとヨエルとハニエのもとへ歩み寄り、面白いものを観たというような顔で口をまっさきに開いたのはサリルだった。
 
「"圧倒的に"ハニエの勝ちだったな。一体一体ご丁寧に切ってくよりも、一振りで全部真っ二つのほうが早いわけだぜ。だいたい腕相撲でだって一回でも勝ったことなんて無いんだからハニエの方が力が強いに決まって――」 
「くううう!!悔しいいい!!!」

 それまで平然を装っていたヨエルだったが、ついにはその場で地団駄踏みながら頭を抱える。
 
 「ようやく勝てると思ってたのに、結局こんなに惨敗しちゃうなんて...」 

 その場で膝をついてうなだれる彼女を、手を叩きながら笑い飛ばすサリルと対照的に、そばに寄り添って言葉をかけるのはハニエだった。
  
「そんなことないよ。あと少し遅かったら"私の負け"だったんだよ。それぐらいヨエルの脚も速かったってことよ。自信持って!」
「そ、そうかしら。ハニエったら褒めるのも上手ね」
「いやいや、ほんとにヨエルがすごいんだから!」

 いつものような笑顔でそう言うと、ヨエルは気恥ずかしそうに笑ってそっぽをむく。

「でも、これじゃあまだハニエや()()()には到底及ばない。まだまだ頑張る余地はあるわ」
()()()?」

 ハニエは首をかしげる。

「ああ、お前がいつも言ってるあの先輩のことだろ。今日ついに会えるとか言ってワクワクしてたのに、まだ見てないんだろ?」
「そうなのよ。あの人なら絶対この授業にアドバイザーとして来てもいいはずなのに、全然見てないのよね。せっかく会ってお話できると思ったのに…」

「ねえねえ、なんの話なの?」
 
 話の輪に入りたがるハニエに、ヨエルも語りたいとばかりに口を開く。

「私達四人が入寮した初日のことよ。消灯前の自由時間に、たまたまこのホールの前を通りかかったとき、中から音がしていたの。気になってほんの少しだけ扉を開けると、中で実技の自主練をしてる人がいたの。当時は光の存在も全く知らない私だったけど、"次々と"形が変わっていく何かを使って、無造作に並べられた百個以上の人形をあっという間に倒していった姿に、いつの間にか、魅入ってしまっていたのよっ!!」
「誰もそんな小説みたいな語りをしろとは言っとらん」
 
「へえ、聞いてるだけでもすごそうだね!その先輩はなんていう名前なの?」
「それが、声をかけれなくて名前を聞けてないのよね...あの日以来、ずっと姿すら見てないし」
「……でもたぶんだが、」
 
 サリルが思い出したかのように口を開くと、二羽も視線を合わせる。

「俺が思うに、巷で噂の"あのひと"なんじゃねえかなって最近話を聞いたんだが、」

「なによ、今まで話してたときには言ってくれなかったじゃない」
「最近聞いたって言ってんだろ。で、その名前なんだが――」 


 ◇◇◇

「そういや、サリルとヨエルの形状変化の見た時に思ってたんすけど、"百年に一度の才能"とか言う割には、マロス..先輩はそんなに驚いてなかったっすよね?」

 ふと思い出すかのように子分の一羽がつぶやく。

「ん?そう見えとったか?」
「確かに、なんやかんやベラベラ話してたよな。まるで、()()()()()()()()みたいにな」

 ガデルの言葉に、マロスは数秒ほどの意味ありげな沈黙の後に、頭を掻きながら口を開く。
 
「……まあ、”天才の被害者”は君らだけじゃないってことや。キミらの世代以外にも、そういうやつがこの学校におるんや」
 
「それって...」
「光の形を変えられる天使が、そっちの世代にもいたってことだろ?」

 腕を組みながらガデルがそう言うと、マロスは頷きながらも首を横にふるように返す。

「……いや、そんなレベルやない。そいつは、さっきの三人と同じように、()()()()()()()()()()。校内の教師陣すらもまともに口出しできるやつがおらんほどに、手に負えない奴なんや」

 聞いている三羽はごくりとつばを飲む。

「もちろんぼくは何千年もこの学校にいるわけやないが、もはや断言すらできる。星上園史上、稀に見ぬ"鬼才"。
 その名前は――」

  
――――――――――――


「はあ....」

 こんなため息を目の前でついてたら、きっとハニエはまたいつものように、酷いくらいに僕の心配ばっかりしはじめるんだろう。だからやっぱり、思い切って広間を抜け出してきてよかった..とはならないか。授業を抜け出すなんてこんな悪いことしていいはずがない。いやでも、どうせ座学でも居眠りして先生の話も聞いてないんだし、ある意味いつもと変わらないか。いやでも
 
 実技の授業が行われている学校の大広間、その天井付近にある窓を抜け出すと、そこは校舎の屋根上が広がっている場所に繋がっていた。僕はそこで何をしているのかというと、良い言い方をすれば今までの座学の授業でしたことのないほど自分の頭を使い、答えのない問いに頭を悩ませている最中だった。それはもう、後方から近寄ってくる誰かの存在に気づかないくらいに真剣だった。
  
「おや、こんなところに先客がいるだなんて珍しいこともあるんだな」
「わっ?!」

 驚いたあまり、座っていた屋根の棟から転げ落ちそうになった僕の手を、その声の主はしっかりと掴み、僕が振り向く前に二言目を発した。

「俺しか知らない”サボり場所”を見つけるなんて、君なかなかやるね」

 振り返ると、思っていたよりも間近に迫ってきていたその顔は、当然僕も見覚えのない天使のものだった。けれどそれ以上に印象的だったのは、おそらく自分よりも真っ黒が深い髪の色と、すでに僕をどこまでも見透かしてきているようなそのまっすぐな目だった。
 
「君は、、、誰?」
「なに、名乗るほどのものじゃないさ。――なんてのはちょっとカッコつけすぎか。ははは」

 笑いながら彼が手を引っ張ると、力を入れた様子もないのに簡単に僕の体が引き上げられ、されるがまま元いた場所に座らせられた。
 
「それできみ、名前は?」

 立ったまま彼が聞く。
 
「え、最初に聞いたの僕なのに....僕はフォルン」 
「”フォルン”か。いい名前だ」
「ほんとにそう思ってる?そんなこと言う天使初めて会うんだけど」
「ああほんとさ、僕好みの響きだ。そんなことよりいいのかい?こんなところで油売ってると下界行きだぜ」

 思わず息を呑んだ。
 分かっていたけど、やっぱり外から見ても、自分の置かれた状況はそうなんだと突きつけられたような気分だった。でもなんだか今日は、この屋上から見下ろせる星上園全体の街の小ささと、周りに漂う久しぶりに涼しい空気を吸っていると、()()()()()()悩んでいるのか、と誰かが語りかけてくるような気分がして仕方がなかった。
  
「別に。どうせ僕なんか落ちこぼれだし。ていうかもともと上界とか下界とか()()()()()()()()()

 ぼそっと不意に出た言葉に自分で驚いた。これじゃあまるで無理に強がってるみたいに思われたかな。なんて思い返した次の瞬間だった。

「ザゼル」
「……へ?」
 
「"ザゼル"、それが俺の名前だよ。なんでそんな急に言うのかって顔してるね。別に単なる気まぐれさ」
 
 だったら最初から答えておけば良かったんじゃないのか、ってツッコみたくもなったけど、だから”気まぐれ”なんだと切り返されそうな予感がしたから何も言わないでおくことにした。
 
「そんなことより、さっきの言葉、ほんとうにそう思ってる?」
「いやえっと、、あれは強がってるとかじゃないというか、、」

 あたふたしながら頭の中で言葉を探していると、ザゼルという名前の彼は突然腰を下ろし、僕の真横に座ると顔を傾けるように口を開く。
 
「まさか、別に君を蔑んでるとかそういう感情は全くないよ」

 驚いた僕はつい横を見る。彼は僕の目の中を眺めるように顔を傾けながら続ける。

「ただ、そんなこと言う天使、初めて会うもんでね」
 
 ここは星上園。の全部の景色が見渡せる場所に建っている天使のための学園。ちゃんとした名前で呼ぼうとすると「神学園」なんて言うらしいけど、まあ誰もそんな呼び方はしていない。この世界で学校なんていうのはここ一つしかないからだ。まあ、そんなことはどうでもいいんだけれど。
 そんな学園で過ごしていたある日、僕はある事情がきっかけで何もかもが嫌になり、実技の授業を抜け出してこの屋上に逃げ込んでいた。しかしそんな()()()()場所で出会ったのは、どこか掴みどころのない雰囲気を纏った”ザゼル”という天使だった。すでに僕を見透かしているような鋭い目をした彼だったが、そんな彼に僕は今

 どうやら(なつ)かれているみたいだった

 
「フォルン君ってどこから来たの??都市部の生まれじゃなさそうだよね」
「君の名前は誰がつけたんだい?保護者的な誰かがいたのかい?」
「好きな食べ物は?」

 質問をするたびに顔が近づいてくるその勢いに圧されてたのもあるけれど、それ以上に今は自分の悩み事に頭の中がとらわれていたからか、だんだんと返答が簡素になり、少しづつ顔をそっぽ向け始めていることに、目の前の彼は当然気づいていた。

「おいおいフォルン君、なに無視してるんだよ」

 明後日の方向から目線を戻すと見えたのは、眉間をずっしりと細めて不快感を訴えてくるような眼だった。
 
「せっかくサボってるんだぜ。悩み事なんてしてる場合じゃないだろ?」
「あ、、うん。ごめんなさい」

 一方で口から出てくる口調、トーン、声量は、そんな不快感は嘘だと伝えてくるようで、それがもしかしたら彼の底知れなさを感じさせていたものだったのではないかと、そうこの頃から薄々感じていた。
 けどどっちにしても、せっかく目の前の相手が自分に興味をもって話しかけてくれているのを、無視するようになんの返事も返さないでいたことが、「相手にとって失礼なこと」だとわかるくらいには、森の中でほとんど他の天使と関わることのなかった頃と比べれば成長していた。

 申し訳なさとやるせなさで下を向いていると、彼は突然趣向を変えようとでも言うように口を開いた。

「じゃあさ、君がそんなに()()()()()()理由とやらを聞かせてくれよ」
「え、、いや別にそんな話すようなことでも……」
「良いじゃないか。悩んでることは一羽(ひとり)でため込むものじゃないぜ?それに、今ここで俺に話したら明日、いや"千年後"の未来だって変わってるかもしれないだろ」

 僕はあっけにとられていた。出会って1時間も経ってないだけの仲の僕に、悩みをたった一つ話させるためにずいぶんと大げさなことを言うんだなと。
 でもその言葉を聞いた瞬間、"千年後の僕"に希望があるわけじゃないけど、不思議と今まで自分一羽(ひとり)で溜め込むつもりだったものを、この屋根上でなら話していいかと思えた。
 
 僕は息を一つ吸い、翼の羽をいじりながら話し始めた。

 ◇◇◇
 
「……へぇ、そりゃ珍しいこともあるもんなんだなぁ。光が"発現"すらしないなんて」
「ちょっ!?あんまり大きな声で言わないでくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」
「別にここなら問題ないだろ。他に誰もいないんだから」

 確かにザゼル()()の言う通り、この校舎の屋根上には僕ら以外は誰もいないんだということをつい忘れていた。

「でもそれって、渡された"石"に問題があったっていう可能性もあるんじゃないのか?ほら、授業のときに配られた、天使が光を出すのに不可欠なやつだよ」
「最初はそう思って、石を取り替えてもらったんですよ。けどそれでも、何度試しても...」
「...正直にわかには信じがたいと言おうか。天使の身体の構造上、"光を出すことは息をすること"って揶揄されるくらいには自然にできることのはずなんだけどな」


 
「やっぱりそうですよね...周りを見ててもみんな当たり前のようにやってて、、本当に僕って”落ちこぼれ”なんだって。サリルは先生が褒めちぎるくらい頭が良いし、ヨエルはみんながうらやましがるくらい運動ができる。ハニエは僕ができないこと全部、僕の代わりにやってくれる。僕ができることって何なんだ?僕の天使としての価値ってなんなの?ぼくが、、、みんなと友達でいていい資格なんてあるの??...」

 普段のみんなには到底見せられない。そんな顔をしていたのだろうか。初めてどこかにさらけ出す本音を勝手に聞いてもらえている感覚がして、話せば話すほど声は大きくなるし、出てくる言葉の量も自分でびっくりするほどだった。

 そんな支離滅裂に話していた間ずっと黙って口を閉じて聞いてくれていたザゼルさんは、僕が口を閉じて息を整えながら涙の跡も消えたという頃に、突拍子もなくこんなことを聞いてきたのだった。

「逆に聞くけどさ、光が出せることがなぜそんなにも大事なことなんだい?」
「それは、、学校でいい成績をとるため...?」
「いやそういうことじゃなくて、もっと根本的なことを聞いてるんだ。なんのために天使は光の使い方を勉強しなければいけないんだい」
「え、、星上園を守るためですか..?」
「そうだね。じゃあ"誰が"僕たちに光の使い方を勉強しろといったんだい」
「それは神様ですね」 
「じゃあ、なんでオレたちは神様の言うことを聞かなきゃいけないんだい」
「それは、『神様こそがこの世で最も安全な場所に、最も楽園に近い星上園をお造りになったから』」
 
 その質問には、普段ほとんど授業を聞くことのない僕でもすらすらと答えがでてきた。朝礼で毎朝のように口ずさむ決まりの言葉だった。けれど、ザゼルさんは思いにもよらないことを口にしたのだった。

「ほら、今矛盾したね」
「へ?」

 なんのことだか分からないまま口を開けている僕に向かって語るように問いかけたのだった。
 
「『地上から遠く離れたこの世で最も安全な場所』。ならなぜ、オレたちは光という戦う術を学ばなければならないんだい?」
「え、それは....そう言うと確かに()()()ですね」

 それを聞くや、彼の顔は急にパッと嬉しそうな表情を映し出し、勢いに口を任せるようにしゃべり始めた。

 「そうだろ!だいたいこの学校で習うことには不自然なことが多すぎるんだ。歴史の授業だって習うのはほんの五、六百年の浅い歴史ばっかりで、この星上園ができた頃の話は軽くしか触れられない。今までずっとこの大地の様子を見てきた神が今もまだ存在しているんだから、当時の記録がないなんてそんなわけがないのに。 ”下界落ち”っていう制度もオレからしたらすごく胡散臭いんだよね。天使の身体は人間には見えないし、オレ達もそいつらには干渉することはできない。それなのに毎度複数羽の人員がパトロールという名目で人間界に送り込まれる、それをやることの必要性がいまいちわからないんだ。だからオレは前から――」

 
 彼の勢いを受け止めきれない僕は何を言うべきか、それとも何も口を挟むべきではないのか答えが見つからないまま、背がどんどんと反れていくまま話を聞いていた。しかしそんな様子に気づいてくれたのか、ザゼルさんは我を取り戻したように熱弁にブレーキをかけた。
 
「ああごめんごめん。オレの話を聞いてくれる天使なんて初めてだったもんだからね。
 まあ、つまりオレが言いたいのは、君の上にいる誰かが重要だと思っているものがすべてではないってことさ。その上っていうのが例え先生でも神様でもね。実技のできるできないなんか、君という天使(ひと)の価値を図る指標になんてならないのさ」
 
 唖然と口を開いたまま聞いている僕に彼は、今度は詰める勢いは無く、ただまるで独り言のように語りかけてきた。
 
「学校や周りがどんな尺度で君を規定しようとしても、それは絶対的に正しいことかなんて、本当は誰も分かってなんかいない。少なくともオレからしたら、君は”価値のない天使”ではないよ」

 その言葉に、心の中で何かがハッと動いた感覚がした。
 やっぱり自分はバカなんだと気づかされたからだ。
 みんなもきっと同じことを言うに違いない。

「ザゼルさん、ありがとうございます。ちょっと元気が出てきたかもしれないです」
「そりゃよかった。行くのかい?授業に」

 はい!、と答えながら腰を上げて立ち上がると、その時初めて目の前に広がる景色をしっかりと見下ろすことができたような気がした。いつもよりしっかりと見える街ゆく天使たちを眺めていたのもつかの間。足元が急坂な屋根上であることを完全に忘れていた僕の体は前方向にバランスを崩した。

 うわああ!

 悲鳴をあげて落ちようとしたその瞬間、後ろでザゼルさんが僕の腕を軽く掴み、落ちる勢いは完全に殺された。しかし、なんでこれで止まっているのかが不思議なくらいに彼の手には力が入ってなかった。あとほんの少し力を緩めたら、このまま真っ先に落ちそうなくらいには。
 
「もっかい聞くけど、授業に戻るの?」
「...いえ、もう遅いので今日のところはいいかなと..」
「そりゃよかった。せっかくサボり仲間ができたのにすぐ帰られたんじゃ寂しいからね」

 助かった...と気を抜いた次の瞬間、彼は手を離し、またすぐに握り直した。一瞬ではあるものの、冷や汗をかくには十分だった。

「それと、その"敬語"やめて」
「はえ…?」
「別に君の上の立場とかなりたくなんかないからさぁ、平等な関係で関係でいかせてくれよー。最初はフォルン君もタメ語だったじゃん。てかなんでオレが()()()だって分かったの?」 

 腕を掴む手を人質に出しながら、彼は長々と喋りながら僕を問い詰める。

「えぇっとまあ、なんというか雰囲気でs、かな...よくわからないけど、この生活に慣れてる貫禄みたいなのがあって」
「ああ、なるほどね。まあでもオレと君の間に年の差があろうと、今度から敬語はやめてくれよ?」

 そう言うと、そのまま僕を引き上げてまた屋根のてっぺんに立たせてくれた。そして腰をまた下ろして横を見ると、ザゼルさんの向けた顔はどこか嬉しそうだった。

 その天使(ひと)が一体()()()()()、それを知らないまま僕は歯を見せて笑顔を返した。

 星上園。それは地上から何千キロも離れた、空とも宙とも言えない座標に浮かぶ大地。そんな場所を唯一住みかにしていたのは、天使。彼らのうち、まだ若いものは”学園”にて教育を受けることが義務とされている。それは、地上よりも遥かに楽園に近いこの大地を維持するのには必要なことだからである。しかし、日々勉学や訓練に打ち込む生徒たちにも、休養が全くないわけではなかった。

 ◇◇◇

 学園のある階のある部屋に、素っ裸の二羽の天使が入ってきた。

「わーー!すごい、これがお風呂かぁ!!」
「おいおいフォルン。風呂場で走ると滑るぜ」
「痛たっ!」
「ほら、言わんこっちゃない...」

 ほらよ、と差し出された手を掴んで起き上がったフォルンは初めての大浴場を再度見渡すと、思わず感嘆の息を漏らした。

「マジで風呂に入るの初めてなのか?お前ら」
「うん、森に居た頃はずっと滝で水浴びしてたからね。温かい水に全身浸かるのってそんなに気持ちいいの?」
「俺に聞いてる暇があったらさっさと入ろうぜ!まだ()()()()は準備で遅くなりそうだし」
「そうだね。ひとまず、お先にってことで」

 ほかに誰もいない大きな浴槽に二羽が飛び込むと、中に張っていたお湯は大きな音と水しぶきをたてた。

「ほわぁ、ほんとだ。すごく気持ちいい、、」
「だろ?実技の汗も流れて極楽ってやつだな」

 男子二羽が浴槽の中でそのまま静かに湯を堪能していると、湯気を隔てた入り口の方から誰かが入ってくる音がした。

「あー!やっぱりフォルンたち先に入ってた。ずーるーいー!!」
「か弱い女子たちを置いて風呂を二羽占(ふたりじ)めだなんて良い度胸ね」

「あ、ハニエたちも意外と早く来たね」
二羽占(ふたりじ)めなんかじゃありませぇーん。遅いヨエルが悪いだろ。あとお前らのふたりのどこが()()()んだよ」

 ハニエとヨエルも浴槽へとまっすぐに歩いて来ると、縁に脚をかけ、そのままゆっくりと体を湯船に沈めていった。

「わぁ、ほんとだ、ヨエルの言ってた通りすごくあったかい!」
「でしょー。小さい頃も街のお風呂場にサリルとよく行ってたのよ」

 浴槽に座り込み、肩まで浸かり静かに湯船を楽しむ女子たち。しかし突然、どこからか来た強い波がヨエルの顔を襲った。

「温かいお湯でも水遊びは楽しいんだね!」 
「だろ!風呂ってのは一番はしゃいだもん勝ちなんだぜ。じゃあ、最初に端から端まで泳いだ方が勝ちな」
「いいね。負けないぞ!じゃあ…よーいドン!」
「おい、走るのはずりいぞ!泳ぎっつったろ!」

 ―――――― 
 
「泳ぐのもダメに決まってんでしょうが」
『はい…すみませんでした..』

 頭の上にたんこぶを腫らしたサリルとフォルンを湯船の中で正座させると、ヨエルはやっとゆっくりできるとため息をつきながら体を湯船に沈めた。その間ハニエは楽しそうにはしゃぎまわっていた二羽をどこか羨ましそうな目でぼんやり眺めていた。
 改めて円を囲むように座り、湯船を堪能していた彼らの間にはいつものような活気に満ちた談笑はなく、めずらしく誰も何の口も開かない沈黙の時間が刻々と過ぎていった。
 その沈黙を破るようにサリルが口を開いたのは、体の火照りが煩わしくなった数分後のことだった。

「なあみんな、知ってるか?人間って男女で一緒に風呂に入らないらしいぜ」
「え、なにいきなり?のぼせたんなら早く上がんなさいよ」
「いや、この前本で読んだんだけどさ。人間っていうのは男子と女子で互いに自分の肌を見せるのが嫌なんだってさ。だからこうやって体を洗ったり、服を着替えたりするときも絶対にお互いがいないところでしなきゃいけないんだってよ」
「へぇ、初めて聞いたなそんなこと。さすがサリルだね」
 
 すると話を聞いた三羽は意外にも興味を持った様子で、後を絶たず次々と質問を投げつけ始めた。
 
「でもさ、人間たちも顔とか腕は出すんでしょ?肌ってどこからどこまでが恥ずかしいの?教えてよサリル」
「私たち天使も男女一緒に入ってるけど、なんで恥ずかしいって感じないの?教えてよサリル」
「てかあんたどうやってそんな本手に入れたのよ?図書館には人間関連の書物なんて置くのは禁止されてるでしょ?説明しなさいよサリル」
 
 三羽の圧と湯船の熱に耐えかねたサリルは、ついに水しぶきが上げながら勢いよく立ち上がった。
 
「だぁーー!うるせえなお前ら!俺だって人間じゃねえんだからなんでもかんでも質問攻めにされても困るわ!あと書物に関しては内緒」
 
 浴槽の縁に腰を上げて湯船からでるサリルに、三羽は『ちぇ』と軽く舌打ちする。彼以外はまだまだ熱湯に浸かる余裕があるのか、動く素振りもみせずに座り込んでいた。
 
「あ、そういえばだけどフォルン。今日の実技の授業中、いったいどこにいってたのよ?」
 
 ヨエルが思い出したように口を開くと外野でぐったり首を垂れていたサリルも起きて口を挟む。

「ああそうそう、途中まで俺たちと一緒にいたのに、急にどっかにいなくなったもんだから俺たち心配したんだぜ?」
「いやいや、別にそんな話すようなことじゃ……」

 二羽に迫られてもなお、今日の出来事を話すことをためらうフォルン。すると視界に入った目の前のハニエは、いつになく真剣な声で口を開いた。

「フォルン。話して」

 今日一日、もしくばそれ以前からの何かが溜め込まれたような眼差しは、思わず息を呑みこんでしまうほどに彼の奥底に響かせてきた。
 そのひと呑みの後、彼は決心したようにゆっくりと話し始めた。

「うん、心配かけてごめん。長くなるから話すタイミングがなかっただけなんだよ」
 
 ◇◇◇
 
「まじかお前。()()ザゼル先輩と会ったのかよ」
「その名前ってあれだよね?今日ヨエルが言ってた――」
「そうよ!あのザゼル先輩だわ!羨ましぃ…」

 みんなの反応を見て驚いていたのはフォルンの方だった。

「え?なんでみんなザゼルさんのこと知ってるの??」
「そりゃ当然よ。彼、運動好きな生徒の間では尊敬の的なのよ。私もいつか手合わせできる日が来るといいんだけれど。でも彼、めったにほかの天使と関わろうとしないから誰も近づけないんだとか。それどころか授業にも滅多に来ないから、実際にそんな生徒が存在するのか、だなんて都市伝説だと思ってる天使もいるくらいなのよ。けどね入学式の日の大広間で私はしっかりこの目で――」
 
「ヨエル、今日フォルンが目の前で会ってるから都市伝説じゃないと思うよ」
「まあ、うん。そうなんだけど、、」
 
 水を差すハニエに便乗するようにサリルも口を開く。
 
「まったくその通りだな、同じ話を1日に5回も聞かされる身にもなってほしいぜ。だいたいザゼル先輩と手合わせとか言ってるけど、お前はまずハニエに勝つところからだろ」
「うっさいわね!あんただって勝負しても勝てないでしょうが!」
 
 サリルの頭をわしづかみにして湯船に勢い沈めると、大きく上がった水しぶきが音を立てて他の二羽の顔にかかる。

「なんだ。なんやかんや言ってヨエルも結局遊びたかったんじゃない。いいなぁ、私も混ざりたい!」
「いや、遊んでるわけじゃないでしょ...それに止めないと、このままサリルおぼれちゃうんじゃない?」

 何はともあれ、フォルンとハニエもいまだ大きく波立つ抗争の水しぶきの中に参戦していったのであった。
 
 
 ◇◇◇

 二十分後

「いやぁ、お風呂って最高だね。体もぽかぽかだよ」
 
 風呂場から出た脱衣所で布で体の水気を拭いていたフォルンがそう言うと、二つできたたんこぶを押さえながら棚に入った服をまさぐっていたサリルが答える。

「そうだなー。あいつ(ヨエル)がいなけりゃもうちょい楽しめたんだけどなー」
「あはは、、まあでもみんなで一緒に入れて本当に良かったよ。その、なんていうかさ。温かいお湯だからなんでも話せたっていうか、、」

 明後日の方向を見ながらどこか落ち着かない様子で話すフォルンの顔は、しかしどこかほっとした表情をしていた。それを見たサリルはすると、彼のもとに一歩踏み出して下から覗き込むようにこう言った。

「なあ。そういうのをなんて言うのか知ってるか?」
「へ?」

「”いい湯だった”って言うんだぜ」
「いい湯だった...そうだね。いい湯だった!」

 言い放った後に大きな満面の笑みで白い歯を見せられると、心の奥から湧き上がってくる何かにサリルも微笑みを隠せなくなる。
 
「……へへ、じゃあ次は早着替え競争な。よーいドン!」
「わ、ずるいよ!自分でタイミング決めるの」


 
 またもや騒ぎ出した男子たちの声に呆れたヨエルがため息をついたのは、ちょうど彼女たちが反対側の棚で着替え終わった頃だった。
 
「またあいつら、、というかあいつ(サリル)がフォルンに悪影響を与えないか心配ね。ごめんねうちのバカが――」
「さっきフォルンがしてくれた話だけどさ、ザゼル先輩が言ってること、私も間違ってないと思う」
「ん?」

 ヨエルの話を断ち切ったその重たい一声を上げたのは、その横で着古した服を畳む手を止めたハニエだった。しかし何を話し出すかと思えば、それ以上に彼女からどこか普通ではない何かを、この瞬間で薄々と感じ取ってしまっていた。
 
「実技とかテストの点数とか、そんなのだけで私たちの”価値”まで学校は決めてくる。ましてや、それを覚えた生徒たちが評価がほしいばかりにその腐った価値観に感化される。そうなったあいつらはもはや学校と同じ尺度でしか目の前の誰かを測れなくなる。だからほんのちょっとみんなよりできるわたしとフォルンとで違う目を使い始めた」
「ハニエ?」
「私たちは...わたしはそんな目で誰かを見る奴らとは違う。なのにフォルンは、そんな不安を今日の今日まで言えないまま抱え込んでいた。ザゼルさんに押されて話すまで。フォルンは悩んでたの、自分が私たちと一緒にいていいのかなんて。そんな馬鹿げた不安を募らせてしまうくらいに、私の大切な幼馴染を――」

「ハニエっ!」
 
 少し語気を強めたヨエルの声に、彼女はハッとしたようにいつの間にか下を向いていた顔を上げた。まるで正気に戻ったかのように、息が上がった様子も見せまいと何か取り繕う言葉を探そうとする前に、すでに目の前のヨエルは口を開いていた。

「いったいどうして言い直したりなんかしたの。私とサリルだって、あんたたちふたりをそんな目で見たことなんて、一瞬たりともないわよ」
「……いや、ごめん。そうだよね。そうに決まってるよね!わたしったら何考えてんだろう。
 それに、フォルンがもう元気なんだから万事解決だよね!そうそう。向こうはまだ着替えに時間がかかりそうだし、先に外に出とこ?」

 あっという間にその表情に笑顔を取り戻した彼女は、声のピッチも()()()()()()()()自然にいつもの調子に戻っていた。畳んだ服を腕に抱えて入口を指さしながら振り向いてヨエルに見せた”それ”は、まさしくいつも絶やされることのない、一羽の少女の完璧な笑顔だった。

 
 しかしそれでも、”あれ”を見てしまった彼女には、もはやその衝撃を忘れることなどできはしなかった。

「ハニエ....あんな顔するんだ...」
 

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