その日はとても良い天気でした。心地よく、外で取った御昼の食事も、とても朗らかで楽しいひとときでした。ヤマトタケル様はお食事の感想をよく述べられました。「これは旨い」だとか「酒が進む。素晴らしい食事だ」だとか、それはそれは美味しそうに食べていただけたのです。私もとても嬉しくて、沢山食べていただこうとあれこれ勧めました。従者のお一人が「こんなによく食べるヤマトタケル様は始めて見た。オトタチバナヒメの食事は確かに旨いが、きっとヤマトタケル様はオトタチバナヒメが作られた、というところにさらに価値を見出しているのでしょうな」と仰られたのです。その言葉が嬉しくて、今ならなんだって上手くいくような気すらしていたのです。ですから、航海だって、順調に進むと思っていたのです。
走水を渡ろうとしたその航海で、海峡の神の怒りに触れてしまったのです。天は暗くなり、雨風は酷く吹き荒れ、船は制御がきかず、まるで木の葉のようにただ回され流されるばかりで、進むことも退くことも叶わぬ状況に陥ってしまいました。
「もうダメだ!」「おしまいだ!」そんな悲観する声が従者の方々からあがります。私はただひたすらに顔をふせ、神にお祈りを捧げていましたがそれも最早聞き届けられることなし。そう悟り、私はヤマトタケル様をふりあおいだのです。ある考えを持って。それは大変な決意を必要としましたが、いつだってヤマトタケル様の為であればどんな決意も困難としないのです。
「私は神になります」
「オトタチバナ……!」
「この日の本の国は、本当に素敵な国です。山も、海も、空も、動物に植物、人も神も……どれをとっても素晴らしい。私は、この国を護り続けたいのです。そのためにはヤマトタケル様、貴方は生きなければなりません。」
「何故、何故そなたを殺す海を、神を素晴らしいと言える!?我には分からぬ!我には……!」
半狂乱になって取り乱すそのお姿すら、かのヤマトタケル様は神々しいと思いました。
ただ、最早私なんぞにかけられる言葉はなく、和々と、ヤマトタケル様の不安や悲しみを煽るような顔をしまいと、それだけを考えていたのです。
「オトタチバナ……」
この状況で私が笑っていることが信じられない、といったご様子でした。
「……もう、そなたは神になってしまったのだな…………」
ヤマトタケル様は拳を握りしめ、奥歯を噛み締めながら、とても苦しそうに黙っておられました。その時間は僅かでも、幾千年の間でもあったように思います。
「……最後に口吻をさせてくれぬか」
「……喜んで」
嗚呼、波しぶきに当たって身体が冷たい。
唇も紫色ではなかろうか。こんなにヤマトタケル様が近くにいるのに。最期位、一番美しい姿で貴方の脳に焼き付けたかった。それだけが哀しい。
「オトタチバナ……」
――あぁ、あつい。何よりも……。
「ヤマトタケル様を誹る神があるのならば、救う神もありましょう。私は神になります。そして未来永劫、貴方と国を護りましょう。――さぁ、かけまくもかしこき海神《わだつみ》よ!我が身体、献上いたす!これをもちて、彼の人らの行く末を阻むのをお控え願い恐み恐み白す!!」
橘は元々この国のものではありません。オオクニヌシノミコトと共に国造りを成したスクナヒコナノミコトが向かった常世国。但馬守も天皇の命で橘を探し求めた常世国。
私はそこに還るのです。
私は大きく柏手を打ち、船から身を投げました。
「オトタチバナァアア!!!!!」
――さねさし 相模の小野にもゆる火の 火中に立ちて といし君はも
(相模野にもえる火の そのただなかに立って わたしの名をよんでくださった やさしい君よ)
誰にも届かない、私の愛のうた。
船の柄を掴み、追って入水しようとするヤマトタケル様と、ヤマトタケル様をお止めする従者の姿が摩天楼のように揺れておりました。
ヤマトタケル様がこぼされた涙が、この大海原の中でも特段光り輝き、まるで翡翠のように私を照らしてくれるのです。きらきら、ぴかぴかと。……ああ、あの人の擬音表現の癖が、うつってしまったようです。
その日はとても良い天気でした。心地よく、外で取った御昼の食事も、とても朗らかで楽しいひとときでした。ヤマトタケル様はお食事の感想をよく述べられました。「これは旨い」だとか「酒が進む。素晴らしい食事だ」だとか、兎も角美味しそうに食べていただけたのです。私もとても嬉しくて、沢山食べていただこうとあれこれ勧めました。従者のお一人が「こんなによく食べるヤマトタケル様は始めて見た。オトタチバナヒメの食事は確かに旨いが、きっとヤマトタケル様はオトタチバナヒメが作られた、というところにさらに価値を見出しているのでしょうな」と仰られたのです。その言葉が嬉しくて、今ならなんだって上手くいくのです。ほら、一時荒れていた海だって、この通り穏やかに。
走水を渡ろうとしたその航海で、海峡の神の怒りに触れてしまったのです。天は暗くなり、雨風は酷く吹き荒れ、船は制御がきかず、まるで木の葉のようにただ回され流されるばかりで、進むことも退くことも叶わぬ状況に陥ってしまいました。
「もうダメだ!」「おしまいだ!」そんな悲観する声が従者の方々からあがります。私はただひたすらに顔をふせ、神にお祈りを捧げていましたがそれも最早聞き届けられることなし。そう悟り、私はヤマトタケル様をふりあおいだのです。ある考えを持って。それは大変な決意を必要としましたが、いつだってヤマトタケル様の為であればどんな決意も困難としないのです。
「私は神になります」
「オトタチバナ……!」
「この日の本の国は、本当に素敵な国です。山も、海も、空も、動物に植物、人も神も……どれをとっても素晴らしい。私は、この国を護り続けたいのです。そのためにはヤマトタケル様、貴方は生きなければなりません。」
「何故、何故そなたを殺す海を、神を素晴らしいと言える!?我には分からぬ!我には……!」
半狂乱になって取り乱すそのお姿すら、かのヤマトタケル様は神々しいと思いました。
ただ、最早私なんぞにかけられる言葉はなく、和々と、ヤマトタケル様の不安や悲しみを煽るような顔をしまいと、それだけを考えていたのです。
「オトタチバナ……」
この状況で私が笑っていることが信じられない、といったご様子でした。
「……もう、そなたは神になってしまったのだな…………」
ヤマトタケル様は拳を握りしめ、奥歯を噛み締めながら、とても苦しそうに黙っておられました。その時間は僅かでも、幾千年の間でもあったように思います。
「……最後に口吻をさせてくれぬか」
「……喜んで」
嗚呼、波しぶきに当たって身体が冷たい。
唇も紫色ではなかろうか。こんなにヤマトタケル様が近くにいるのに。最期位、一番美しい姿で貴方の脳に焼き付けたかった。それだけが哀しい。
「オトタチバナ……」
――あぁ、あつい。何よりも……。
「ヤマトタケル様を誹る神があるのならば、救う神もありましょう。私は神になります。そして未来永劫、貴方と国を護りましょう。――さぁ、かけまくもかしこき海神《わだつみ》よ!我が身体、献上いたす!これをもちて、彼の人らの行く末を阻むのをお控え願い恐み恐み白す!!」
橘は元々この国のものではありません。オオクニヌシノミコトと共に国造りを成したスクナヒコナノミコトが向かった常世国。但馬守も天皇の命で橘を探し求めた常世国。
私はそこに還るのです。
私は大きく柏手を打ち、船から身を投げました。
「オトタチバナァアア!!!!!」
――さねさし 相模の小野にもゆる火の 火中に立ちて といし君はも
(相模野にもえる火の そのただなかに立って わたしの名をよんでくださった やさしい君よ)
誰にも届かない、私の愛のうた。
船の柄を掴み、追って入水しようとするヤマトタケル様と、ヤマトタケル様をお止めする従者の姿が摩天楼のように揺れておりました。
ヤマトタケル様がこぼされた涙が、この大海原の中でも特段光り輝き、まるで翡翠のように私を照らしてくれるのです。きらきら、ぴかぴかと。……ああ、あの人の擬音表現の癖が、うつってしまったようです。
その日はとても良い天気でした。心地よく、外で取った御昼の食事も、とても朗らかで楽しいひとときでした。ヤマトタケル様はお食事の感想をよく述べられました。「これは旨い」だとか「酒が進む。素晴らしい食事だ」だとか、兎も角美味しそうに食べていただけたのです。私もとても嬉しくて、沢山食べていただこうとあれこれ勧めました。従者のお一人が「こんなによく食べるヤマトタケル様は始めて見た。オトタチバナヒメの食事は確かに旨いが、きっとヤマトタケル様はオトタチバナヒメが作られた、というところにさらに価値を見出しているのでしょうな」と仰られたのです。その言葉が嬉しくて、今ならなんだって上手くいくのです。ほら、一時荒れていた海だって、この通り穏やかに。