分かってはいた。
この契約がとても危険なことを。
万が一にも自分の存在が隠世に広まってしまったら。
そう考えれば今後の生活を鬼頭家の中で安全に送り続けられるか確信なんて持てないのだから。
でも一つだけ分かることがある。
それは白夜様と共に。
この隠世で生きていくことは決して楽な道のりではないということ。
彼の存在は大きすぎる。
それは自分が十分理解している。
でもそれでも…
「私…白夜様が好きなの」
その気持ちは契約があろうとなかろうと。
今後何が起きようと決して変わることはない。
心のままに。
素直な気持ちで好きなんだと気づかせてくれたのは白夜様なのだ。そしてそんな彼もまた、私を好きだと言ってくれた。
あの日、彼から向けられた甘い言葉に優しさの目。
その全てに偽りはなく、お互いの中に潜む不確かなわだかまりが溶けた瞬間ともなった。
晴れて私達は初めて両想いになれたのだから。
好きだと言ってもらえたこと。
無能な自分の存在を認めてくれたこと。
その全てがただひたすらに嬉しくて。
気づいた時には彼を好きになっていた。
「確かに白夜様は自由奔放だし…性格も悪くて意地悪で変態でムカつくとこもある。でもね、人を見る目は誰よりも真剣で厳しくて、強く正しいと思う道に手を差し伸べてくれたことに変わりはないの。あの方は誰よりも周りを見て下さっている」
「…」
「契約が危険なことは承知している。でもどんな理由があれ、あの方の側にいると私は約束したの。彼一人を置いて現世に戻るつもりはない」
「…時雨殿」
「ごめんね、気持ちは嬉しいけど。それでも私は白夜様と生きていきたいの」
私は青龍さんを真っ直ぐに見つめてそう答えた。
すると彼は苦しそうな顔で下を向くと話さなくなってしまった。
青龍さん、ごめんね。
私の為を思って言ってくれたことは嬉しかった。
でもやっぱりダメなの。
例えこの契約にどんな理由があろうと。
私が彼の側を離れることはない。
愛してると言ってくれた。
だから私も彼を信じ続けたい。
甘えたい。
素直になりたい。
触れたい。
愛したい。
信じたい。
そして貴方と一つになれたら。
そんな様々な思考が頭を駆け巡る。
もっと彼のことを知りたいと、そう思う気持ちが日に日に高まっていくのを実感する。
「…僕は時雨殿の眷属。眷属は主人のご意思に従うのもまた役目」
「…青龍さん」
「時雨殿がそう仰るのでしたら。もうこれ以上、私からの干渉は致しません。ですがこれだけは覚えておいて下さい。僕はあくまで貴方様にお仕えする身、あの鬼を認めた訳ではありません」
「…分かった」
青龍さんは白夜様に納得がいっていないようだった。
どうしてそこまで彼の存在を嫌うのか。
隠世に私がいることで、体に害を及ぼすことを暗じて戻したがっているのならまだ納得がいく。
でもこれではまるで、、、
邪気そのものより、白夜様と私の仲を引き剝がそうとしているようではないか。
「ふぅ…、どうやらまだ上手く体が安定しないようです。この姿を保つのも難しくなってきたので一旦元の姿に戻りますね」
青龍さんがそう言うとポンっと音がして目の前に煙が立ち込めた。だが煙は直ぐに晴れると、そこにいたのは一匹の小さな青い龍だった。
「わあ、綺麗…」
ふわりと浮かび上がる青龍を観察する。
鱗は光に反射すると青から時に銀へと色素を変えて光り輝いている。長く艶のある銀色の触角に、頭から生える二本の逞しい角。
金色の手と脚。
よく見れば手には青色の玉を持っていた。
これが青龍の姿か。
人型の時とはまた違って、綺麗な姿をしている。
しばしその姿を堪能していれば青龍は私の方へと近づくる。そうしてためらうことなく、シュルシュルと私の腕に巻き付いていった。
白蛇だった頃と何ら変わらず、ここが安定地とでも言いたげに自分の体を巻き終えれば顔を上げて私を見上げた。
「ふふ、ミニ青龍も可愛いね」
「ここが一番落ち着くのですよ」
龍の姿になっても声は出せるようだ。
その頭を優しく撫でて上げれば青龍は気持ち良さそうに目を細めた。
「さて、じゃあ戻るよ」
柘榴も置けたことだし、早く母屋へ戻ろうと私は倉庫を後にした。
「お疲れ様。疲れたかい?」
「ううん、これぐらいへっちゃら」
母屋に戻ると、鳳魅さんが奥の方で作業しているのが確認できた。
近づいてみると足元には大きな鍋が火にかけられた状態で置かれており、中を覗いてみれば何やら赤い液体がぐつぐつと煮立っている。
「これってさっきの柘榴?」
「そうそ、沢山採れたから色々と作ろうかと思ってね。因みにこれはジャム」
大きめの鍋に柘榴の果汁、レモン果汁、砂糖を入れて混ぜ合わせ強火で沸騰させる。沸騰したら、そこへペクチンを入れてかき回し続ける。煮立ってくると硬くなってくるため火から鍋を下し、消毒済みの綺麗な瓶に入れれば柘榴ジャムの完成だ。
「私も何か作ってみようかな」
「まだまだ沢山あるから好きに使っていいよ」
「ほんと!ありがとう」
シロップ漬けなんてどうだろうか。
今後は少しずつ寒くなっていくだろうし、喉のケアも兼ねて蜂蜜入りのシロップを作ったり、砂糖やハーブを混ぜてのど飴なんかにしても良さそうだ。
「おや?そう言えば青龍君が見当たらないけど」
「あ、それならここに居るよ」
私はぺらりと着物の袖をめくり、鳳魅さんへ見せる。
するとそこには腕へと巻き付き、吞気に眠りこける青龍の姿が。
私の体温が温かいのか、ツンツンとつついてみても起きる気配はなく鼻提灯まで出している。
「随分とまあコンパクトになったね。人の姿にはもう飽きたのかい?」
「なんでも神聖力が安定しないから、この姿の方が今は落ち着くんだって」
「なるほどね~まあ無理もないか。神獣からしたら、この世界の空気は体への負荷が大きいだろうし」
四神は神聖な場所で本来ならば邪気を跳ね返す存在だ。
吞気に生活してきたが、よくよく考えてみればこの世界で一番邪気による負担が大きいのって青龍さんなのではないか?
「はぁ、私を守護してくれてるしで余計に心配だよ」
「まあ時雨ちゃんとはもう契約している仲なんだし。少なくとも双方の神聖力が共有されているとなれば、案外彼も大丈夫なんじゃない?若と同じようにさ」
そう言えば私の体には白夜様の妖力も流れているんだった。
青龍さんが不在の間、私のケアをしていたのは彼だ。
日頃から体内の安定化を図るためにも定期的に妖力を供給してくれていた。お陰で邪気により体調を悪化させることはなく被害も受けなかった。
私が御神の子として青龍さんが契約したとなると、何らかの形で私達の間にも自然と神聖力の供給が行えていることになる。つまり双方の安定化は保たれたのか?
「…御神の子か。青龍さんが言っていた意味、やっぱり分かんないな」
御神の子ってなんだろう。
巫女の血とも言えるし、神の子とも称されているんだっけ?
一体、どんな能力を持っていて、何がそこまで凄いのかさえ全く分からない。
「彼は私を御神の子だと言うけれど、久野家にいた時もそんな話は聞いたことないし」
「ん~残念ながら僕もその分野にはとんと疎くてね。でも神獣が言うんだ。今後の為にもこういう話は彼に聞いておくのが一番ベストだ」
異能をもつ人間が無能者に術学を教えたとこで何か出来る訳ではない。
一般人にでさえ到底理解出来ない。
現代風に読み解けば我々は魔法に近いものを有し、その領域の中で国のため身を挺して日々活躍している。
「私ね、異能とはずっと無縁な生活をしてきたの。使用人として一華さんの侍女として働いていただけ」
ここに来るまで異能や術家に関する一切の情報は何一つ教えられて来なかった。
隠世の存在ですら最近知ったのだ。
つまりは彼らにとって、無能者が生まれた時点でその世界に干渉させる気はないということ。
実力のある者はとことん上に。
そうでない者はとことん下に。
それがあるべき彼らの社会としての姿というわけだ。
「打算的に、利益と質を第一に優先して作られた世界なの。術家とあれば己の完璧を求めて下を顧みない、残酷な日常を上から見下ろすのが基本的なとこあるし」
「まるでカースト制度のような生き方だね。そんなんじゃ、例え異能があったとて無意味みたいに思えるよ」
「でも実際そうだと思う。何も異能を持つ全員がみんな優秀かって言われたらそうでもなさそうだし。昇格前の任務で死ぬ人も多くいるって聞いたことあるから」
久野家ではそういった事情に深く踏む込まない代わりに学校へは通わせてもらえていた。
基本的な教養と高い学力を身につけさせる。
まあ無能だと言われてる時点で、果たして彼らは私を人間同等に扱ってくれていたのか。
それすらもあの業界では危ういどこだが。
「なら尚のこと君は鬼頭家に来て良かったのさ。間違ってもそんな腐った世界にいる時に比べたら、今の君は心底幸せそうな顔してると思うよ」
「うん、ここに来て良かったと思ってる。邪気のこととか、色々と考えればまだまだ油断は出来ない状態だけれど。でも白夜様がいてくれるから」
本来なら、白夜様の隣に立っていたのは妹の一華さんだった。現世へ戻り、彼とデートをしたあの日、私は彼女と再会した。
怖かった。
白夜様を見つめる彼女の顔はそれはそれは嬉しそうで。
見つめ合う二人の姿が頭から離れなかった。
「一華さんと会った日ね、本当は凄く怖かったんだ。もし白夜様が彼女を選んでしまったらって思うとどうにかなりそうで。本来なら、ここに来ていたのは彼女のはずだったわけだから」
一華さんからすれば、白夜様の存在は私が出会う遥か前から密かに想いを寄せていた相手だったのだ。
名前も知らず、声をかけることさえ叶わない。
だがそれでも、また会える日を願って。
ずっと探し求めていた相手にやっと出会えたあの日、その隣にいた私を見た時、彼女は一体何を感じたのだろうか。怒りと憎しみを含ませた顔で、私を睨みつけてきたのを今でも忘れられない。
だが白夜様を前に、一度その姿を見てしまえば忘れろという方が難しい。
それがプライドの高い術家の女性なら尚のこと。
仕切りに彼へと想いを寄せる彼女の姿に、この上なく酷い劣等感を覚えた。久野家の才女と称される彼女に無能な自分が勝てる要素なんて一つもなくて。
白夜様がこの手を振り切り、彼女の元に行ってしまったら。そう思ったら体が震えた。
「彼を信じていたはずなのに。でもいざ目の前に立つとどうしても不安で信じきれなかったの」
「でも若が選んだのは彼女じゃない。君だ」
また孤独になってしまうのだろうか。
泣きそうな程に逃げ出したい。
そんな意欲を必死になってこらえた。
それでも結果、白夜様が私の側を離れることはなかった。みじめな気持ちで俯き、怯えることしか出来なかった私を彼女から守ってくれた。
私の代わりに怒ってくれた。
心から救われた気持ちになったのだ。
「若は君と出会って本当に変わったよ。投げやりな前までの性格も君といると丸くなっちゃうし。それだけ若は君を大事に思っているってことだよ」
「そうかな?」
「ああ、八雲家での一件もそうさ。本来なら、妖が術家の家に踏み入るなんて自殺行為もいいとこなのに。それでも若はたった一人で君を救いに行くってきかなくてね」
私は彼に命を救われた。
だから今もこうして生きていられる。
身を挺して助けに来てくれたんだ。
やはり好きと言ってくれた彼を最後まで信じて良かったと思っている。
もう彼女達とも関わることはないのだから。
「若は時雨ちゃんが大好きだからね。心配しなくとも大丈夫さ」
「うん」
「だから今朝のことも許してあげたら?」
白夜様のことは好きだ。
今朝は平手打ちをしてしまったことに若干の申し訳なさは残っている。
が、つい鳳魅さんのペースに流されるところだった。
そうと来れば話は違うぞ。
「…その手には乗らないよ。結局のところ、胸を揉まれたのは私なんだから」
「ありゃま、いけると思ったんだけどな」
笑いながら鍋をかき混ぜる彼を軽く睨み付けた。
「もお、その表情、絶対に面白がってるわね⁈」
「だって~あの鬼神様がまさか、乳揉みの代償に平手打ちを受けるだなんて。そんなん前代未聞…クククククッ」
「ちょ、何がそんなに可笑しいのよ!!」
腹を抱えて笑いこける彼にたまらず言い返す。
冗談じゃない、一体何が楽しくてこんな話をしなくてはならないのか。
「もう…相談した私が馬鹿だったわ」
「ごめんごめん。君を怒らせるつもりはなかったんだ。許しておくれよ」
「…」
「あ、そうだ!じ、じゃあ!!今度の休み明け、若に頼んで一緒に妖都へ連れて行って貰ったらどうだい?」
「え?妖都??」
だんまりを決め込む中、鳳魅さんから言われた言葉に目を丸くする。
「ああ、なんでも今回の術家との騒動のせいで、鬼頭家と狐野家が王家に呼び出されたみたいなんだよね~。本当なら当主の深夜君が出向くところだけど、今回は若が代行するみたいよ?」
「え、どうして白夜様が⁈」
初めて聞いたその話題に思わず釘付けになる。
そう言えば白夜様も最近はやたらと忙しくしていたような、、、。
「あー、時雨ちゃんは知らないようだけど。ああ見えて深夜君も結構な歳だからね。あんな若くて綺麗な顔してちゃそうは見えないだろうけど。元々患っている持病があるんだ。最近はあまり部屋からも出れてないみたいだし」
「そんな…ご当主様が」
知らなかった。
妖の容姿では若すぎて本来の歳が分からない。
隣にいる鳳魅さんを見てみても成人後から少し経った若者にしか見えない。
「若が最近忙しくしているのもそのためさ。鬼頭家での仕事も今ではほぼ彼が代行している状態なんだ。若が鬼頭家の当主になる日も、もうそう遠い先の未来ではないのかもしれないね」
「白夜様…」
そうだ、白夜様は鬼頭家のご子息様なのだ。
分かってはいた。
いずれは三大妖家を背負うトップになるお方なのだと。
何だかんだ仕事への文句は言いつつも、定められた自身の役割には責任を感じているのだろう。
一緒の部屋で寝ていても起きれば隣にはもう居なかったり、日中も何処かに出かけているのか不在の日も多かった。
夜遅くに帰ってくることもざらにあった。
どうして今まで忘れていたのか。
となれば心配になってくるのはやはりご当主様の容態。
「私、後でご当主様のとこに行ってくる」
まだ数回しか会ったことはない。
だが会えば優しく微笑み頭を撫でて下さる。
自分が鬼頭家に居られるのも全てはあの日、対面した時に私の存在を歓迎してくてくれたご当主様のお陰だ。
「深夜君も時雨ちゃんが来てくれるなら喜ぶさ」
「うん。…ねえ鳳魅さん」
「んー?」
ふと、私はここにきて気になっていたことを思い出した。
「式神って未来を予知出来たりとかってするのかな?」
自身の中に宿る二体の式神が夢の中で言っていた言葉。
それがもし、何らかのお告げを意味するものだというのなら、、、
「未来予知?」
「うん、実はね」
私は夢での出来事を鳳魅さんに言って聞かせた。
彼らは基本、表の世界に姿を表さない。
何をもって具現化しているのかはサッパリだが、今回の言葉には何処かとっかかりを感じていたのだ。
「なるほど、式神がね…」
話し終えると鳳魅さんは興味深そうに考え込んだ。
「もう直ぐ迎えが来るって何のことなのかなって。言葉も最近になって漸く理解できたばっかだし、知識が浅すぎて何も分からないの」
「確かに式神の歴史は古い。あの有名な安倍晴明が使役していた式神のレベルとも同等ぐらいだとすれば。尚の事、邪険に扱うこともできないからねえ~…あ」
「?」
鳳魅さんは暫くして何かを思い出したかのようにポンっと手を叩いた。
「なら、尚のこと妖都に行くといいさ。あそこには図書館がある」
「図書館?」
「そうそ、隠世でも最古の大図書館。妖都都立文庫書館にさ!」
◯◯◯
広い座敷はシンと静まり返る。
煌びやかな装飾で飾られた内装とは裏腹に、置かれているものは少なく人の気配を感じさせない。
宮廷の中でも比較的奥側へと設置されたこの場所で布団の中、横たわる男が一人。
落ちくぼんだ目、衰えた体、眼窩の拡大に側頭部の凹み。鼻を形成する鼻骨や上顎骨の突起が浮き出た酷いやつれ顔で男は静かに眠っていた。
「父上、宜しいでしょうか」
ふいに、簾のかけられた部屋の向こう側から声がかかる。
「入れ」と男が声をかければ襖を開ける音が聞こえる。
重い目を開け、ぎょろりとした目でそちらを見やれば入ってきたのは一人の若い青年。
西洋風の軍服のような上級衣服を着こなし、肩にかかる程に長い黒く艶のある髪を生やした青年は、「お加減はいかがでしょうか」と言い男の枕元まで歩み寄るとその場所に控え、正座のまま着座する。
「変わりはないか?」
「はい、全ては滞りなく進んでおられます」
ああ、いよいよその役目を担わせる時が近づいてきているようだ。この脆く衰えてしまった体で最期を見届けられないのだけは実に不本意なことではあるが。
「近く、五摂家ならびに術家当主達による会合を行うつもりでいます。今回の件がどれほど重荷としてアレに作用を及ぼすかが明白ではありませんので」
「…そうか」
叩頭する我が息子に端的に返す。
「忌まわしき凶の呪いめ、実に難儀なものよ。だが遂に時はきたのだ。国のため失敗は許されん。見誤るでない、国はお前のものだ」
「承知いたしました」
青年は美しい顔には似合わない、貼り付けの笑みを浮かべると男に一礼した。
「陛下、宜しいでしょうか?」
すると再び部屋の外からは声がかかる。
「来たか、入れ」と男が言うと閉ざされていた襖は静かに開かれる。
入ってきたのは袴姿をした一人の青年だった。
「帝国の太陽に御挨拶申し上げます。(かずら)家より、藤壱都(いちと)が参りました」
襖越しに確認できる、金髪の髪に気立ての良さそうな性格をした青年はその場に着座すると男に向かって一礼する。
「ほう、藤の宮で生まれた男児の噂は聞いてはおったが。こうして見るのは初めてのことだ。して、今回の近状とはいかがなものか?」
男は襖越しの青年を横目に注意深く観察をすれば、強い威光の眼差しでそう問いかけた。
「はい。契約に基づき、術家側が犯した罪は非常に重罪であります。登録されていない娘の差遣、無悪不造の人体実験。八雲家、ならびに久野家での処遇は本日をもちまして無事に終了致しました」
「ご苦労。本来ならばあのような事例(・・)、決して起こすようなことはあってはならん。そう考えればあの日、判断を見誤ったのは他ならぬワシであってそれ故の失態だ」
まだ若く、息子とも歳はさほど変わらない。
穏やかな笑みを浮かべてサラサラと話すその表情からは威厳のかけらも感じさせない。
だが目の前にいるこの男こそ、後の時代を左右させる上では強力な駒となる。
自身の中に流れる血。
それを今世へと受け継ぎ、その威光を絶やすことだけはあってはならない。
果たしてどれほど使えたものか。
「壱都、例の神獣は見つかったのか?」
二人の意向を見守っていた青年はふいに気になっていたことを聞いた。
「はい、苦労した甲斐があってか、漸くその居場所を突き止めることに成功致しました。これで四柱の構成維持による心配はないかと」
「そうか。あれは術家の人間とて扱えん、お前達にしか任せられない極めて重要な代物だ。丁重に扱え」
あの四柱は国を構成する上で最も重要な役目を担う。
宮中に邪気を侵入させないためにも。
あの基盤だけは崩すことがあってはならない。
「…壱都といったか」
「はい、左様でございます」
男は横たわった姿勢のまま襖越へ壱都に体を少し傾けた。
「貴殿はこの国を維持させる上で極めて貴重な逸材となる。その能力を国の為に生かし後の世代に引き継ぐ為にも、優秀な母体とは必要じゃて。どうだ、そちさえ良ければ王家からもそれ相応の娘を差し出すが」
「(父上自らがそんなことを仰るとは、、、)」
青年はピクリと目を動かし、若干の動揺を見せた。
珍しい、本来なら相手に対して無関心だというのに。
打算的に損得を見極め、物事の謀をしてきた者が誰かにここまで気を配るなど。
よほど壱都の存在が気に入ったということなのか?
表情すら変わりないが、青年は内心驚いた様子で黒髪越しに自身の父親を見つめていた。
「ご高配賜りまして誠にありがとうございます。ですが…」
「なんだ、言ってみろ」
滑らかな口調が突如として口ごもり、壱都は穏やかなだった表情を幾分か言いにくそうな雰囲気へと変えた。その様子に二人は不思議がったが、男の一言で壱都は困ったように笑みを浮かべると重い口を開いた。
「実は今回、鬼頭家へと見誤り差遣された例の娘のことなのですが。彼女は藤宮の才を存続しておいでです」
「何だと⁈藤宮家の巫女達は消滅したのではなかったのか?」
その言葉に男は驚きを隠せず、半開きの目をかっぴらけば分かりやすく動揺する。
「確かにその昔、神の血から生まれたとされる彼女達の存在は消滅したとも言われています。時代は巡り、今では御神の子が誕生する割合は1%にも満ちません。ですが生き残りがいたのです」
「…まさか」
男には思い当たるふしがあった。
壱都を見てみれば、ニコリと微笑んだままだ。
つまりはそれが肯定の意ということであろう。
「本人は上手く騙していたつもりだったでしょうが、私の御霊は誤魔化せません。それは陛下もよくご存知のはずです」
「まさか…信じられん」
まさかとは思っていたが、、、彼女が。
あれはたかが術師如きの異能など遠く足元にも及ばない、国でも屈指の力を誇る極めて重要な代物。
若干の違和感は感じつつ、見て見ぬふりをしてきたつもりではあったが。どうやら自分の考えはあながち間違ってはいなかったようだ。
「…死んだか。して、子の行方は?」
「無事です。神獣は彼女の元に」
「…そうか」
男は何処か安堵した様子を見せると気だるげに肩の力を抜いた。あの日、彼女を手元に置いておけばこうなることもなかったというのに。
だが今となってはそれも過去の話。
今さら何を思うことがあろうか。
「期限は?」
「まだ残っています」
「ならば見つけ次第、娘を藤宮家へ連れ戻すのだ。決してその血を途絶えさすでない」
御神の子が生きている。
今はそれだけでいい。
これを逃す手はない。
あるべき宝はあるべき場所にしまっておけばよいのだ。
「恐れながら陛下、娘に少々の問題が発生しております」
「問題だと?」
「はい。見たところ、純血の血が娘の存在を上手く囲っているようです。引き戻すには術師の力では少々手に余るかと」
「…鬼頭白夜か」
鬼頭家の噂は聞いていたが、やはり奴は生まれておったか。現世に目を向けるばかりでは、どうしても異界との通信に制限がかかるせいか碌な情報の一つ提供された試しがない。
こちらにしても、異界に住む奴らのことなど無関心。
娘さえ差し出し危害さえ加えられなければどうでも良かった。だが純血の血ともなるとそうもいかない。
奴の存在はいずれにしろ、かかる負担が大きすぎる。
「ふん、穢れた邪物め。奴らもまた厄介なものを生み出したものだ。…まあよい、そんなことは後にどうとでも出来る。今は娘達を最優先させろ」
「では、その許可を賜りたく」
「よかろう、綾瀬(あやせ)
男は枕元にいる自身の息子へと目を向ける。
「話は聞いたな。後のことはお前に任せたぞ」
「かしこまりました。では私達はこれで」
青年は美しい顔でクスリと笑うと綺麗に滴る髪をなびかせて立ち上がる。男へと一礼する壱都を引き連れれば、共にその場を後にした。
襖が閉じられると部屋には本来の静けさだけが残った。
男は天井を見上げ、「はあ」と深いため息をつくと左腕を上へと掲げた。
見ればそこには薬指にはめられた一つの指輪。
骨ばり、やせ衰えた指の中でも光を失うことなく銀色に光っている。
「…美椿、これがお前のやり方か。実に哀れなもんだ、そなたも…わしも」
目を閉じれば蘇る彼女の姿を暫く堪能する。
最後に彼女の姿を見たのはいつだったであろうか。
決して途絶えさせてなるものか。
今まで築き上げてきたこの地も。
自分の血も繋ぎとめておくためにも。
アレは息子の統治する世界には不必要なのだから。
どんな手段を使おうと、襲い掛かる脅威は徹底的に排除する。今度こそ、失敗は許されないのだから。
時雨がその日、浮かない顔で屋敷へと戻れば真っ先に向かったのは深夜のいる部屋。
あれからというもの、深夜の身が心配で気が気ではなかった。まさか自分の知らない曖昧にそんなことになっていただなんて。
「さあさ、時雨様。こちらですよ」
お香さんに事情を話せば、彼女は快くうなずくとご当主様のいるお部屋まで私を案内をしてくれた。
本当なら一人でも行けたはずなのだが。
どうにもこの屋敷は大きく複雑に入り組んだ構造をしているせいか未だ慣れない。
「すみません。一人で行けたら良かったのですが」
「いえいえ、何も気にする必要ありませんよ。本来、人間の方がお一人で当主様の部屋まで行くことは出来ませんから」
「え?何故ですか?」
「あの場所は鬼頭家の中でも最高位に配属される特殊な空間部屋です。当主様の放つ特別な妖力の気配をたどらなければ、使用人でも見つけることが出来ない秘密の領域に存在しているのですよ」
「じゃあどうしてお香さんは分かるのですか?」
「ふふ、以前は私が当主様の身の回りの世話をしていましたから。ですが当主様は、私が時雨様の元に就くようになった今でもこうして部屋へと通じる道筋を残してくれているようです」
お香さんって一体何者なんだろう…。
ご当主様が直属に私のお世話係に彼女を任命したとは言っていたし。明らかに他の使用人達に比べたら、その信頼性を高く評価していることはよく分かるが。
「あのー、お香さんって強いんですか?」
「は!も、もしや…時雨様の目には私がただのか弱い低級鬼に見えていたということですか⁈」
目をうるうるさせてこちらを見てくる彼女に思わず慌ててしまう。
「あ、いや!そういう事ではなく。ただご当主様からの信頼性が厚いと感じたので。ひょっとしたら持つ力が強いのかなって」
「ふふ、冗談ですよ。まあでも力だけでものをいうのでしたら、私もそこら辺の野次馬ぐらいでしたら鬼火ひと吹きで倒せるとは思いますが」
「…ひ、ひと吹き」
お香さんはそう言うと手の平から小さな鬼火を出して見せた。ポーっと燃える炎を笑って見せてくる彼女の姿に私は若干の冷や汗を流す。
「とは言っても、若様に比べたら私なんかミジンコです。あの方なら妖力を少し放つだけで上級妖とて失神させてしまいますから」
それもそれでヤバいとは思うが。
だが妖は人間の何倍も高い身体能力と知性を合わせ持っている。もし人間が妖の妖力なんかくらった暁には即死レベルだ。
「もしや若様ならば、最悪三大妖家の当主とて人差し指一本で弾き通せるかもしれませんね」
「…いや、より恐ろしいですよ」
とんでもないお方を好きになってしまった、、、。
うーんと考え込むお香さんを横目に改めて自分の置かれた立場を振り返る。
イケメンだけでは収まらない白夜様。
ここはあえて一種の破壊魔とでも言っておこうか。
「非常に注意深い当主様とは反面、若様は自由すぎるお方ですからね~。当主様もそれだけが心配のようで私共も当時はとても不安でしたが。でも今は時雨様がいらっしゃいますし。これで安心ですね!」
「うっ、また責任重大なことを、、、」
あの白夜様を大人しくさせるだなんて。
ご当主様とて手に負えない存在だと話していたというのに。彼は唯我独尊の意思が強く、誰かに指図され黙って従うことを酷く嫌う。
悪く言えばわがままな利己主義者。
良く言えば不羈奔放な実力者。
無邪気さも相まって、有象無象の者から見れば隙がありありにしか思われない可能性も無きにしも非ず。
鬼頭家は三大妖家の中でもトップに君臨する鬼の一族。
何としてでも縁を繋ぎとめたいと考える者は少なくはないだろう。
「でも私、時雨様が若様の花嫁で良かったです」
「え?」
お香さんは立ち止まり、後ろを振り返ればニコリと微笑んだ。
「正直に言ってしまえば、私も人間に対して良い印象はありませんでしたから…」
「お香さん?」
私はどこか言いづらそうに言葉を濁す彼女を不思議そうに見つめた。
「私の生まれ故郷である分家の家にも過去に嫁入りした花嫁様がいらっしゃいました。ですが暮らしてみて分かりました。何とも傲慢で癇癪持ちな…。何と言いますか…典型的なお嬢様って感じでしたので」
そうか…お香さんも鬼の一族。
花嫁が嫁いできたことも過去にはあったんだ。
初めて聞くお香さんの昔話に私は耳を傾けた。
「傲慢ですか…実に術家の人間らしいですね。それで人間に対する印象が?」
「ええ、どうにも息が詰まりそうで。決して私自身、家族仲は悪くありませんでしたが。でもそんな時、鬼頭家で働き手を募集しているとの噂を聞いて。それで家を出たんです」
お香さんは鬼頭家の数ある分家のうち、その更に分家にあたる身の出身なのだとか。
お香さんの家に花嫁が嫁いできたのは数十年も前のことらしく、そこで初めて人間の花嫁という存在を知ったという。
だがそれは嬉しいといった感情にはほど遠く、なんとも不愉快で嫌な印象だけを心に残したという。
だからこそ、今回は花嫁を迎い入れる話にも反対気味だったのだとか。
「花嫁は確かにこの世界を救って下さっています。ですが彼女達が私共に向ける目は何とも恐ろしくて。まるでゴミを見るかのようなあの瞳。今でも忘れられません」
「お香さん…」
「ですが嫌われても仕方はありませんね。邪気を吐き、人間を苦しめるのは我々妖の仕業ですから。住む世界は違えど、やはり人間と妖の共存とは難しいものです」
お香さんは何処か悲しげに顔を外の景色へと向けた。
季節は夏とあってか夕方なのに比較的外はまだ明るい。
「それでも時雨様は今まで会ったどのお方とも違いました。蔑むこともせず、あの日はお翠様を救って下さいました。だから私も信頼できるのです。若様のことも、時雨様になら安心してお任せできます」
「そ、そんな!私はただ当然のことをしたまでで。むしろ救われたのは私の方ですから」
私の存在は現世では認められなかった。
何処までも皮肉めいた感情が濃く纏わりつき離れようとはしない。
苦しかったあの日の思い出を隠世の皆が変えてくれた。
前よりもずっと生きやすくなったのだ。
感謝したいのは自分の方。
「そんな優しい貴方様だからこそ、当主様はその道を通すことをお認めになったのかもしれません」
お香さんは私と向かい合うと人差し指を口元へとあてた。すると指の先からは鬼火が灯り、ゆらゆらと動きだす。不思議と鬼火からは目が離せない。
「当主様がお待ちです。お気を付けて」
その声で鬼火は私を取り囲む。
驚いて辺りを見渡せば、そこはもう今いた場所とは違う。多くの階段が複雑に入り組み、どこに繋がるか見当もつかない。そんな謎の異空間を形成した場所の中、私は下へ下へと落ちていった。
「うわあ!!」
「時雨殿!」
「青龍さん⁈」
いつの間に起きていたのか、青龍さんは私の腕から抜け出すと大きな龍へと姿を変える。
「大丈夫です!しっかり捕まっていて下さい。行き先は恐らくあそこでしょうから」
青龍さんは私を救い取ると飛んでいく。
もう何が何だか分からないが、彼がそう言うのなら任せよう。取り敢えずは彼の言う通り、二本の角をしっかりと握りしめると振り落とされないよう必死に捕まった。
青龍さんは器用に階段と階段との間をすり抜けいく。
何処に向かっているのだろうか…。
だがそれは間もなく終わりを迎えた。
向こう側が明るくなっている場所に彼はなんのためらいもなく飛び込むとピカッと目には光が差し込んだ。
「うっ!」
私はその眩しさに目を閉じたのだった。
「時雨殿、着きましたよ。起きてください」
ゆさゆさと揺さぶる感覚に目を開けてみる。
見ると視界に移るのは木製の天井をバックにこちらを見下ろす青龍さんの姿。
よく見れば彼の膝上に頭を乗せた状態で、私は頭を撫でられているではないか。
「ご、ごめんなさ~い!」
慌てて飛び起きれば彼は名残惜しそうに膝を見つめていた。だが不意にこちらへと顔を向ければ微笑んだ。
「いえ、自分の膝にご主人様を乗せて頭を撫でるというのは何とも気分が良いものですね。気持ちよかったですか?」
「ッ//」
は、恥ずかしい…。
まさか自分が異性の膝の上で寝てしまう日がくるとは。
いや、異性といっても彼は神獣だしな。
そこは別にいいのだろうか?
だがマスク越しとはいえ、彼は妙にお顔が優勝している。平然な顔でそんなことをさらりと言われ、恥ずかしがらない女性が何処にいる。
「はは、時雨殿。さては照れてますね」
「て、照れてなんかいないもん!」
「ふはっ、もんって。なんとも可愛いらしい」
吹き出す青龍さんについムッとした顔を向ければこちらへと伸びてくる白い手。
その手はするりと私の頬を撫でれば至近距離に彼の姿が確認できる。
互いに見つめ合うこと数秒。
私は顔を赤くすれば慌てて距離をとる。
「おやおや~?時雨殿、お顔が真っ赤ですよ?」
「ちょ、からかわないで!いいから早くご当主様のとこに行くわよ」
「おや、なんとも釣れない。ならばいっそのこと、この僕と結婚しちゃいませんか?」
「え?」
突然言われた告白の言葉に固まってしまうも、彼は私をジッと見つめていた。
「僕、結構本気です。それに少なくとも、あの鬼よりは貴方を幸せにして差し上げます」
「私は白夜様一筋ですし、彼以外の誰とも添い遂げるつもりはありません」
四神に求婚されてもなあ~
それはそれで困ってしまうではないか。
でも見るからに面白そうな顔をしてこちらを観察している。さては楽しんでやがるな。
「はは、それはそれは。ではまいりましょうか」
ひとしきり私をからかって満足したのか、青龍さんは立ち上がると手を差し出す。
私はムッとしながらもその手をとり、同じように立ち上がれば続くようにして歩き出す。
なんとも不思議なところだ。
構造的には鬼頭家と何ら変わりないようにも見える。
だが空は虹色にマーブリングされており、景色は何処までも続いていた。
「不思議なところだね」
「見たところ、ここは当主が形成する精神領域のようですね」
「精神領域?」
「妖が自身の精神に妖力を注ぎ込むことで展開させる異界の空間です。ここでは時間も止まっています」
見渡せば、確かに妙に周りが静かだ。
長く続く奥行きの木製でできた吹き抜けの長廊下をひたすら進んでいく。廊下は橋のようにも見えるためか、下は池となっており蓮の花が咲いていた。
「すごく綺麗な場所」
「時雨殿、当主は恐らくあちらにいるかと」
青龍さんが指差す視線の先にはひっそりと構える御殿が一つ。部屋に続く石階段を緊張の足どりで登っていく。
「時雨さんか」
「あ、お久しぶりでございます。ご当主様」
襖は開かれており、中には声がかかるとご当主様の姿が確認できた。彼は奥側に設置された縁側に腰掛けており、私達の来た気配に気がつくと姿勢を正してこちらへと体を向けた。
「よく来たな。さあ入りなさい」
「はい、失礼致します」
促されるまま、奥座敷へと入っていく。
中は比較的物が少なく、サッパリとした空間で構成されていた。
ふと、縁側へと目を向ければ不思議なことに外は夜になっていて、苔で覆われた石の池には竹で造られた角状の照明から漏れ出る灯りも相まって鯉が優雅に泳いでいるのが確認できる。
側には真っ赤に色づいた紅葉の木々が枝垂れかかっており、はらりとその葉を池の中へと落としていく光景が何とも幻想的であった。
「久しいな。あれから変わりはないか?」
「はい、邪気への影響もさほど受けておりません。白夜様や皆様のお陰で今ではとても快適に過ごさせて頂いております」
「そうか。して、その後ろに控えるのは…」
ご当主様の側に控えた私の後ろには、少し離れた場所から立ったままの状態でこちらの様子をジッと観察する青龍さんの姿が。
ご当主様が目を向ければ、彼は怪訝そうな顔で警戒モードに入ってしまう。
「なんとも警戒心の強い奴じゃ。こうして近づくこともせず、私を険悪そうな目で見つめておる」
ご当主様はそれに怒ることをせずそう言えば、面白そうに青龍さんを観察した。
青龍さんはその様子に更に警戒心を強めると、今度はご当主様を睨み付けていた。
私はこれに慌てると彼を何とか落ち着かせようとする。
「彼は私の神獣です。普段は私を邪気から守ってくれています。ご当主様にはもっと早くにお伝えするべきでした。遅れてしまい申し訳ありません」
「よい。白夜から大まかな話は聞いておる。なんでも契約をしたと聞くが?」
「彼を見つけたその日、契約と称して加護を受けました。契約により、これで私の体は邪気による被害を受けずとも済むようになりましたので、彼には感謝しています」
「そうか。神獣の加護があるならば、そなたはもう安心じゃろ。…例えその身に異能がなくとて」
ハッとその言葉に驚き、ご当主様を見た。
見れば彼は冷ややかな瞳で私を見つめていた。
「(そうか!私に異能が無いのは一部の人しか知らない。もしもここに連れて来られた理由がそれだったとしたら?)」
「私が久野家から要求したのは、封印の異能を色濃く受け継いだ娘であったはずだが?」
「ご、ご当主様…。わ、私は」
放たれた強い怒りの籠る妖力への気配。
鬼頭家との約束を久野家が破り、八雲家での一件で私に異能が無いのを聞きつけたのだろう。
今までなんとかバレずに過ごしてきたせいか、ご当主様に本来の姿を伝えることが疎かになっていたのだ。
知られてしまった以上、白夜様がいなければ今の私にはどうすることもできない。
私はブルブルと震え出した。
「…貴様、殺されたいのか?」
「!」
突如、頭上からは声がかかれば、私の直ぐわきには青龍さんの姿があった。どこから取り出したのか、その右手には青く光る刀剣を持っている。
体からは青い光のオーラを放ち、ご当主様を威嚇すれば刀の矛先をその首元へと向けた。
「主君に手を出してみろ。貴様をここで殺してやる」
「ほお、鬼頭家当主であるこの私にそれを向けるか」
青龍さんの言葉にご当主様は臆することもせず、落ち着いていた。
「貴様の意思など関係ない。俺は時雨殿を御守りする以外にこの世界に用などない。例え貴様が妖家のトップとて、妖が四神であるこの俺に勝てるとでも本気で思っているのか?」
青龍さんは本気で怒っていた。
マスク越しに伝わる瞳は殺気を帯び、今なら本当にご当主様を殺してしまいそうな勢いだ。
鬼族のトップと四神の神獣がにらみ合う。
逼迫したこの状況はまさにカオスとも言えた。