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広い座敷はシンと静まり返る。
煌びやかな装飾で飾られた内装とは裏腹に、置かれているものは少なく人の気配を感じさせない。
宮廷の中でも比較的奥側へと設置されたこの場所で布団の中、横たわる男が一人。
落ちくぼんだ目、衰えた体、眼窩の拡大に側頭部の凹み。鼻を形成する鼻骨や上顎骨の突起が浮き出た酷いやつれ顔で男は静かに眠っていた。
「父上、宜しいでしょうか」
ふいに、簾のかけられた部屋の向こう側から声がかかる。
「入れ」と男が声をかければ襖を開ける音が聞こえる。
重い目を開け、ぎょろりとした目でそちらを見やれば入ってきたのは一人の若い青年。
西洋風の軍服のような上級衣服を着こなし、肩にかかる程に長い黒く艶のある髪を生やした青年は、「お加減はいかがでしょうか」と言い男の枕元まで歩み寄るとその場所に控え、正座のまま着座する。
「変わりはないか?」
「はい、全ては滞りなく進んでおられます」
ああ、いよいよその役目を担わせる時が近づいてきているようだ。この脆く衰えてしまった体で最期を見届けられないのだけは実に不本意なことではあるが。
「近く、五摂家ならびに術家当主達による会合を行うつもりでいます。今回の件がどれほど重荷としてアレに作用を及ぼすかが明白ではありませんので」
「…そうか」
叩頭する我が息子に端的に返す。
「忌まわしき凶の呪いめ、実に難儀なものよ。だが遂に時はきたのだ。国のため失敗は許されん。見誤るでない、国はお前のものだ」
「承知いたしました」
青年は美しい顔には似合わない、貼り付けの笑みを浮かべると男に一礼した。
「陛下、宜しいでしょうか?」
すると再び部屋の外からは声がかかる。
「来たか、入れ」と男が言うと閉ざされていた襖は静かに開かれる。
入ってきたのは袴姿をした一人の青年だった。
「帝国の太陽に御挨拶申し上げます。(かずら)家より、藤壱都(いちと)が参りました」
襖越しに確認できる、金髪の髪に気立ての良さそうな性格をした青年はその場に着座すると男に向かって一礼する。
「ほう、藤の宮で生まれた男児の噂は聞いてはおったが。こうして見るのは初めてのことだ。して、今回の近状とはいかがなものか?」
男は襖越しの青年を横目に注意深く観察をすれば、強い威光の眼差しでそう問いかけた。
「はい。契約に基づき、術家側が犯した罪は非常に重罪であります。登録されていない娘の差遣、無悪不造の人体実験。八雲家、ならびに久野家での処遇は本日をもちまして無事に終了致しました」
「ご苦労。本来ならばあのような事例(・・)、決して起こすようなことはあってはならん。そう考えればあの日、判断を見誤ったのは他ならぬワシであってそれ故の失態だ」
まだ若く、息子とも歳はさほど変わらない。
穏やかな笑みを浮かべてサラサラと話すその表情からは威厳のかけらも感じさせない。
だが目の前にいるこの男こそ、後の時代を左右させる上では強力な駒となる。
自身の中に流れる血。
それを今世へと受け継ぎ、その威光を絶やすことだけはあってはならない。
果たしてどれほど使えたものか。
「壱都、例の神獣は見つかったのか?」
二人の意向を見守っていた青年はふいに気になっていたことを聞いた。
「はい、苦労した甲斐があってか、漸くその居場所を突き止めることに成功致しました。これで四柱の構成維持による心配はないかと」
「そうか。あれは術家の人間とて扱えん、お前達にしか任せられない極めて重要な代物だ。丁重に扱え」
あの四柱は国を構成する上で最も重要な役目を担う。
宮中に邪気を侵入させないためにも。
あの基盤だけは崩すことがあってはならない。
「…壱都といったか」
「はい、左様でございます」
男は横たわった姿勢のまま襖越へ壱都に体を少し傾けた。
「貴殿はこの国を維持させる上で極めて貴重な逸材となる。その能力を国の為に生かし後の世代に引き継ぐ為にも、優秀な母体とは必要じゃて。どうだ、そちさえ良ければ王家からもそれ相応の娘を差し出すが」
「(父上自らがそんなことを仰るとは、、、)」
青年はピクリと目を動かし、若干の動揺を見せた。
珍しい、本来なら相手に対して無関心だというのに。
打算的に損得を見極め、物事の謀をしてきた者が誰かにここまで気を配るなど。
よほど壱都の存在が気に入ったということなのか?
表情すら変わりないが、青年は内心驚いた様子で黒髪越しに自身の父親を見つめていた。
「ご高配賜りまして誠にありがとうございます。ですが…」
「なんだ、言ってみろ」
滑らかな口調が突如として口ごもり、壱都は穏やかなだった表情を幾分か言いにくそうな雰囲気へと変えた。その様子に二人は不思議がったが、男の一言で壱都は困ったように笑みを浮かべると重い口を開いた。
「実は今回、鬼頭家へと見誤り差遣された例の娘のことなのですが。彼女は藤宮の才を存続しておいでです」