仕事で来るときは職員用通用口を通るので正面から入るのは初めてだった。
大きい総合病院の受付はごった返していて、少し順番待ちをしてから病室を訪ねる。
関係性を訊かれて一時言葉に詰まってから、
「あー……師匠、とかか? 岩井って言やあわかるからよ」
受付嬢は少し困った顔をしてからどこかに内線電話をかけた。
どうやら事件の被害者という扱いらしく、家族で、かつ事前に申請した人しか面会にできないとのことだった。
数分電話でやりとりをした彼女は「確認が取れました」と言って部屋番号を教えてくれた。
「お前、俺のこと家族に指定してたらしいじゃねえか、かわいげがあるなあ」
ドアをあけて第一声をかけたが、そこにはすでに先客がいた。
白衣を着た清潔感のある三十代くらいの男で、ネームプレートには『小児科・加賀宗一郎』と書かれている。
小児科……?
リクライニング式ベッドの頭側を四十五度ほど持ちあげて、もたれかかった慧が面倒くさそうに窓の外を眺めていた。
男は構うことなく話しかける。
「そもそも義足っていうのは医師の処方箋がないと作っちゃいけないんだよ」
「知ってます」
「なのにあの子に無理させて! しかもこの腕はなんだ? 自分から刺すように煽ったって聞いたぞ。ふざけてるのか」
「ふざけてませんってば」
男の説教を適当に受け流して、オーバーテーブルに頬杖をついてそっぽを向く。
男が投げだされている左手に触れた。
「もう二度と動かないかもしれないんだぞ」
一歩踏みだそうとしていた足を止めた。
しかし慧は意に介した風もなく吐き捨てる。
「俺のせいで死なれちゃ寝覚めが悪いんで。なら別に腕の一本くらい」
「君ねえ」
男の顔が一層険しくなりどすの利いた声になる。
「それ、あの子の前でも言えるのか。四肢欠損がどういうことか、義足を作るなら少しはわかるだろう。身体が不自由になるだけじゃない。心も縛られるんだぞ」
「……わかってますよ」
「いいやわかってない。とにかく君自身が無鉄砲に身体を壊すのは百歩譲って許すが」
許していいのか、それ。
「それにあの子を巻き込まないでくれ」
医者はそれだけ言うとこちらに向き直り、初めて岩井の存在に気づいたらしくばつの悪そうな顔を向けてから一礼して部屋をでていく。
生真面目そうな医者だった。
「誰だ、あれ」
「月島の主治医」
「あーそういうことか」
合点がいったがまあそれ以上の感想もなく、オーバーテーブルの上に果物の詰め合わせをどんっと置いた。
ベッドに浅く腰掛け、慧の左手をつねってみる。
爪を立てて力を込めてみたが無反応で面白みもない。
「診断は?」
「橈骨神経と正中神経の麻痺」
「何、どっちもか。それじゃあ手首から下動かないじゃねえかよ」
橈骨・正中神経が麻痺すると肘は曲がるが手首や指が曲げ伸ばせなくなり、皮膚感覚もなくなる。
もう一度つねってみるがやはり反応はなかった。
「じゃあいっそ手首から下切っちまえよ。そしたら俺がいい義手つけてやる」
「それもいいな」
平板な声でさらりと答えたのでむしろこっちが動揺してしまった。
「いや冗談だっての。マジなトーンで返すなよ」
「ちなみに、あいつってどうなったの?」
〝あいつ〟が誰なのかを数秒考え、制服姿を掻き消してから果物籠に手を伸ばす。
「タカヒロっていう男なら精神の専門病院に入院したぞ。精神鑑定で実刑にはならなそうだな。まあ当分は病院からでてこられないだろうが」
「そうか」
「リンゴかなんか剥いてやろうか」
「いらねぇよ。気色悪い」
「なんだと。てめぇが家族として俺を登録したんだろうが。甘えてもいーんだぞ、おら」
ぐりぐりと肘で右側を小突く。
こちら側なら点滴もあるので抵抗できないと思ったが、普通に身を捻って躱された。
「着替えとか持ってこれるのは家族だけって言うから、とりあえずあんたと祐介の名前書いただけだよ」
「まあそんなこったろうと思ったがな」
輸血したらしいがまだどこか顔色が悪い。
大きなため息をついて岩井は立ちあがった。
「今日のところはこれくらいにしておいてやる」
「負け犬っぽい台詞だな」
「うるせえ。何か入り用なもんあったら連絡してこい」
ひらひらと手を振って立ち去ろうとして、しかしこれだけは言っておかなければと思い直し振り向いた。
慧は相変わらず頬杖をついて揺れる白いカーテンを眺めていた。
白い壁に白い床、白いカーテンに白い布団。
そして血の気が失せて蒼白い慧。
このままこの白い空間に溶け込んで消えてしまいそうな青年へ向けて、
「あの子、どうするつもりだ?」
短く問う。
こちらも人物名はださなかったがわずかに肩が動いたのを見て、向こうは考えるまでもなく誰のことだか気づいたのがわかった。
「もう来ないだろ、どうせ」
「そうだろうが、万が一来たら――」
「わかってる。ちゃんと首にするって」
「……なら、いい。邪魔したな」
それだけ訊くと、岩井は病室をあとにした。
大きい総合病院の受付はごった返していて、少し順番待ちをしてから病室を訪ねる。
関係性を訊かれて一時言葉に詰まってから、
「あー……師匠、とかか? 岩井って言やあわかるからよ」
受付嬢は少し困った顔をしてからどこかに内線電話をかけた。
どうやら事件の被害者という扱いらしく、家族で、かつ事前に申請した人しか面会にできないとのことだった。
数分電話でやりとりをした彼女は「確認が取れました」と言って部屋番号を教えてくれた。
「お前、俺のこと家族に指定してたらしいじゃねえか、かわいげがあるなあ」
ドアをあけて第一声をかけたが、そこにはすでに先客がいた。
白衣を着た清潔感のある三十代くらいの男で、ネームプレートには『小児科・加賀宗一郎』と書かれている。
小児科……?
リクライニング式ベッドの頭側を四十五度ほど持ちあげて、もたれかかった慧が面倒くさそうに窓の外を眺めていた。
男は構うことなく話しかける。
「そもそも義足っていうのは医師の処方箋がないと作っちゃいけないんだよ」
「知ってます」
「なのにあの子に無理させて! しかもこの腕はなんだ? 自分から刺すように煽ったって聞いたぞ。ふざけてるのか」
「ふざけてませんってば」
男の説教を適当に受け流して、オーバーテーブルに頬杖をついてそっぽを向く。
男が投げだされている左手に触れた。
「もう二度と動かないかもしれないんだぞ」
一歩踏みだそうとしていた足を止めた。
しかし慧は意に介した風もなく吐き捨てる。
「俺のせいで死なれちゃ寝覚めが悪いんで。なら別に腕の一本くらい」
「君ねえ」
男の顔が一層険しくなりどすの利いた声になる。
「それ、あの子の前でも言えるのか。四肢欠損がどういうことか、義足を作るなら少しはわかるだろう。身体が不自由になるだけじゃない。心も縛られるんだぞ」
「……わかってますよ」
「いいやわかってない。とにかく君自身が無鉄砲に身体を壊すのは百歩譲って許すが」
許していいのか、それ。
「それにあの子を巻き込まないでくれ」
医者はそれだけ言うとこちらに向き直り、初めて岩井の存在に気づいたらしくばつの悪そうな顔を向けてから一礼して部屋をでていく。
生真面目そうな医者だった。
「誰だ、あれ」
「月島の主治医」
「あーそういうことか」
合点がいったがまあそれ以上の感想もなく、オーバーテーブルの上に果物の詰め合わせをどんっと置いた。
ベッドに浅く腰掛け、慧の左手をつねってみる。
爪を立てて力を込めてみたが無反応で面白みもない。
「診断は?」
「橈骨神経と正中神経の麻痺」
「何、どっちもか。それじゃあ手首から下動かないじゃねえかよ」
橈骨・正中神経が麻痺すると肘は曲がるが手首や指が曲げ伸ばせなくなり、皮膚感覚もなくなる。
もう一度つねってみるがやはり反応はなかった。
「じゃあいっそ手首から下切っちまえよ。そしたら俺がいい義手つけてやる」
「それもいいな」
平板な声でさらりと答えたのでむしろこっちが動揺してしまった。
「いや冗談だっての。マジなトーンで返すなよ」
「ちなみに、あいつってどうなったの?」
〝あいつ〟が誰なのかを数秒考え、制服姿を掻き消してから果物籠に手を伸ばす。
「タカヒロっていう男なら精神の専門病院に入院したぞ。精神鑑定で実刑にはならなそうだな。まあ当分は病院からでてこられないだろうが」
「そうか」
「リンゴかなんか剥いてやろうか」
「いらねぇよ。気色悪い」
「なんだと。てめぇが家族として俺を登録したんだろうが。甘えてもいーんだぞ、おら」
ぐりぐりと肘で右側を小突く。
こちら側なら点滴もあるので抵抗できないと思ったが、普通に身を捻って躱された。
「着替えとか持ってこれるのは家族だけって言うから、とりあえずあんたと祐介の名前書いただけだよ」
「まあそんなこったろうと思ったがな」
輸血したらしいがまだどこか顔色が悪い。
大きなため息をついて岩井は立ちあがった。
「今日のところはこれくらいにしておいてやる」
「負け犬っぽい台詞だな」
「うるせえ。何か入り用なもんあったら連絡してこい」
ひらひらと手を振って立ち去ろうとして、しかしこれだけは言っておかなければと思い直し振り向いた。
慧は相変わらず頬杖をついて揺れる白いカーテンを眺めていた。
白い壁に白い床、白いカーテンに白い布団。
そして血の気が失せて蒼白い慧。
このままこの白い空間に溶け込んで消えてしまいそうな青年へ向けて、
「あの子、どうするつもりだ?」
短く問う。
こちらも人物名はださなかったがわずかに肩が動いたのを見て、向こうは考えるまでもなく誰のことだか気づいたのがわかった。
「もう来ないだろ、どうせ」
「そうだろうが、万が一来たら――」
「わかってる。ちゃんと首にするって」
「……なら、いい。邪魔したな」
それだけ訊くと、岩井は病室をあとにした。