電話で呼ばれてきてみれば、とんだ災難に巻き込まれたものだ。
 槙島は無宗教だったが思わず天を仰いで十字を切りたくなった。

 廃墟になったショッピングモールのバルコニーで血液まみれのカッターナイフを握りしめ、手すりにしがみついて「みゆきっ、みゆきぃっ……」と情けなく泣きじゃくっている男には見覚えがある。
 競技会で応援に来ていれば挨拶くらいはした仲だ。

「タカヒロさん」

 声をかけるとぎこちない様子でこちらを振り向いた。
 涙と鼻水と血液(といっても本人の血ではなさそうだった)にまみれた顔で呻く。

「深雪が、また死んだ」

 呆れすぎて一瞬言葉を失いながら、槙島は近づいていった。
 壊れてしまったタカヒロは「みゆきっ、みゆきっ」とテープレコーダーのように言い続けるだけだったのでカッターナイフは容易に奪えた。
 眼球の間、眉間にぴたりと刃先をあてるとようやくタカヒロが黙った。
 ぷちっという感触とともに切っ先がわずかに肉に埋まり、本人の血が表面張力で丸く浮きでてくる。

「あのね、あの子はマリちゃんなんだよ。わっかんねーかなあ」
「みゆき、みゆきだっ」
「あーはいはい。もうそれでいいよあんたらはさ。俺がマリちゃんもらうから。一生死んだ女引きずってろよ。でもな」

 そこでいったん言葉を句切り、槙島が刃先を押し込んだ。
 さらに深く肉が抉れて、溢れた血が鼻を避けてタカヒロの口角を濡らす。
 鉄の味に思わず「ひいっ」と声を漏らした。

「俺からライバル取ろうなんていい度胸してるな。あいつを殺すのは俺の専売特許なんだよ。次あいつらになんかしてみろ、そんときは俺がこの手であんたを殺してやる」

 どすっとタカヒロの腹部を蹴りあげると、糸が切れた操り人形のようにくたっと槙島の足にもたれかかってきた。
 それをさらに蹴って地面に投げだすと、槙島はスマートフォンを取りだして『119』とタップした。