はじけろ!コーラ星人 ~残念宇宙人が地球にやってきた~

 秋葉原は東京都千代田区にある街で、戦後は闇市として、高度経済成長期は電気街、現在はオタクの街と時代に合わせて姿を変えてきた街である。
 ダーツによって調査の地に選ばれたのは観光地としても人気のある、この秋葉原だった。
 
 俺は秋葉原の路地裏に立っていた。どうやら転送は成功したらしい。
 人があまり通らない路地裏を狙って転送したようで、周りに人は誰もいない。

 路地裏を出てみると、結構な数の地球人が歩いている。観光地だからだろうか。
 道路に沿って小さな店が立ち並び、頻繁に人が出入りしているようだ。

 人は多いが大声で叫んだり喧嘩を始めたりする様子はない。
 飲食店と思われる店の前で順番に並んでいる姿も見かけたので、地球人は比較的大人しく規律を守る種なのかもしれない。
 俺の姿を見ても特に敵対反応は無いので、地球人と思われているか、宇宙人に興味がないのかのどちらかだろう。
 外見上はほとんど見分けがつかないはずなので、恐らく前者だと思われるが。

 特に気になるのは至るところに置かれた金属製の箱だ。
 お金を入れてボタンを押すと、中なら商品が出てくる仕組みのようだ。
 人の作業を減らすために自動化するというのは合理的なのだが、防犯上の観点から実際に実現するのはなかなか難しいはずだ。
 これまで多くの惑星を旅してきたが、初めて目にしたような気がする。

 試しに1つ購入してみることにする。
 赤い自動販売機の前に立ち、地球人がやっていたように硬貨を入れて適当なボタンを押す。

「ガチャコン!」

 予想より大きな音とともに赤い缶に入った飲み物が出てきた。どうやらコーラという飲み物らしい。
 早速取り出してプルタブを開けてみる。

「カシュ!」
 
 プルタブを開けると、缶に閉じ込められた気体が勢いよく噴出するような音を立てた。なんとなく甘いような匂いもしている。

「ゴクゴクゴク……。ゲホゲホッ、なんだこれは!」

 一気飲みしてしまいむせてしまったが、ピリピリとする喉越しと甘い風味が五臓六腑を駆け巡る。
 飲んだ後も清涼感と甘さが鼻を抜け、爽快さを感じる。
 今度はむせないように気を付けながら、一気に飲み干した。

「なんてことだ……。宇宙一美味い飲み物がこんな所にあるなんて……」
 
 衝撃だった……。
 地球という星に上陸してわずか10分足らずでかつて経験したことのないような味と巡り合ったのだ。
 この星の科学力はこれまでの惑星と比べても、決して高いとは言えないはずなのに一体何が違うというのだろうか……。
 
 ―― 

「ちょっ、早っ!」

 帰還した俺を出迎えたのは、ハカセのツッコミだった。
 それもやむを得ないだろう。さっき転送したはずの俺が何故か大量の缶を抱えて帰還したのだから。
 転送に成功し、安堵の気持ちでお茶を一服しはじめたばかりのハカセは驚いたに違いない。
 
「ハカセ、地球はすごい星かもしれない!」

「え?どういうこと?ちゃんと説明してよ……」

 俺はわずか10分程度の上陸で分かったことをハカセに説明した。
 地球人の行動、自動販売機、そしてこのコーラという赤い缶のことだ。

「色々と衝撃を受けたんでしょうけど、いくらなんでも早すぎない?調査はどうなったのよ?」

 ハカセが当たり前の事を言ってきたが、俺の気分はそれどころでないのだ。

「調査なんてどうでもいいから、まずこれ飲んでみて!」

 持ち帰った赤い缶の1本を取り出し、プルタブを開けるとハカセに差し出した。

「いきなり何なのよ!分かったわよ、飲めばいいんでしょ。ゴクゴク……」

 案の定むせ返るハカセ。
 そう、数分前の俺もそうだったよ……。
 次はその美味さに驚くはず!

「何これ?薬みたいな味がするんだけど……なんだか口の中がピリピリするし……」

 あれっ?思っていた反応とちょっと違うような……。俺の目論見では美味しさに打ち震えているはずなのだが。
 とはいえ、ハカセも初めて経験する味に戸惑っているようだ。

「そこがいいんだよ。様々な味が複雑に絡んでいるだけでなく、冷たさや刺激も加わって想像を超えた味わいをもたらすんだ。こんな飲み物は初めてだよ!間違いなく宇宙で一番美味い!」

 そう熱く語ったのだが、ハカセの反応はイマイチだった……。
 この味は個人差が大きいのだろうか?
 
「で、転送先で早速これを見つけて帰ってきたと……?」

 ハカセは怪訝そうな表情を浮かべていた。
 想定と異なる反応に俺も少々戸惑い始めている。

「まあ、そういうことなんだけど……。この感動を少しでも早く、誰かと共有したくてさ……」

「前から思ってたんだけど、イチローってこういうガツンと来るような味に弱いわよね。舌が貧乏なんじゃない?」

 ハカセの容赦ない言葉に反論の言葉を失ってしまった。
 実際、7人の中で俺とサクラ氏は偏食で有名だ。
 サクラ氏は肉と酒、俺はお菓子ばかり食べているので食事当番を困らせることが多い。
 ハカセは味よりも栄養バランスを求めるタイプなので、ハカセの作る食事を残してしまうことも多々ある。

「お、イチロー早いじゃん。早速何か持ち帰ったみたいだし、味見させていただきますか!」

 そんなタイミングで部屋に入ってきたのはサクラ氏。
 勝手に赤い缶を空けて、ゴクゴク飲んでしまった。

「ぷはあ……甘ったるいけどなかなかいいな、これ。シュワシュワ感が特にいい感じなんだけど、酒バージョンは無いの?」

「ですよね、酒ですよね……。次回探してきます……」

 とりあえずサクラ氏はこっち側の味覚だと判明したが、ハカセは面白くないようで明らかに不機嫌になっていた。
 こういうときには丁度いい方法があるのだ。

「ハカセ、この飲み物の成分を分析してくれないか」

「なんで、私がこんな変なものの分析をしないといけないのよ……。私、結構忙しいんだよ?」

「何故って、こんなことをお願いできるのはハカセだけだからだよ」

「そう?そうかしら……じゃあ、気が向いたらやることもあるかもね……」

 相変わらずドライな反応なのだが、顔色は明るくなっている。
 計算通りの反応に満足していたのだが、部屋にもう一人入ってきていたことに俺は気付いていなかった。

「イチロー、後ろ……」

 ハカセが後ろを呼び指すので振り返ってみると、ボス氏が睨んで立っていた……。
 出発したはずの俺の声を聞いて、何事かとやってきたようだ。

「イチロー君?ずいぶん早いお戻りのようだけど、もう一度調査に行ってくるよね?調査なんてどうでもよくないよね?」

 ハカセとのやり取りで【調査なんてどうでもいい】などと言ったような気がするのだが、どうやら聞かれていたらしい……。
 
「はい、直ちに……」

 俺が再び転送装置に乗ると、ハカセが無言で転送スイッチを押したのだった。
 私、ハカセは考え事をしていた。
 先日、イチローに調査を頼まれたのだが、まんまと利用されたのではないだろか……。

 正直なところ、イチローはあまり努力しないタイプだと思う。
 私は努力が苦にならないタイプなので、イチローは面倒事があると私にお願いしてくる気がするのだ。
 様々な知識は私の方が上だけど、口の上手さはイチローに遠く及ばない……。
 くそう、いつか見てろよ…………。

 そんな事をあれこれ考えながら、先日イチローが持ち帰った飲み物を分析している。
 非常にくやしいのだが……科学者目線で見ると、この【コーラ】という物質は非常に興味深い性質を持っていた。
 そんなことをイチローに言うと調子に乗るだろうから、絶対言わないけども。

 このピリピリする感じは気泡によるものだった。
 しかも、地球の大気組成では0.04%とかなり少ない量の二酸化炭素がその正体なのだ。
 二酸化炭素は水に溶けるが、地球の気圧であれば1:1くらいの量しか溶けないはずだ。
 そこで高圧をかけて無理やり溶かし込むのだから、蓋を開ければ気圧の変化で二酸化炭素はどんどん飛び出してくる。
 これが気泡となって喉越しに影響を与えているのだろう。
 二酸化炭素なんて食べるメリットが無いはずなのに、こんなに必死に溶かし込んで……地球人は何を考えているんだろう。

 黒い色も砂糖を加熱することでメイラード反応を起こした際に生じるものを利用しているようだ。
 食べ物や飲み物をわざわざ黒くするなんて……色が食欲に与える影響を考慮すると、やはり私には理解できない……。

 他の糖分としては果物に多い果糖も入っているようだ。
 これは想像だが、複数の糖分を組み合わせることで味を複雑にするだけでなく、冷やしたときに果糖の甘みがより強く働くように計算されているのだろう。

 すごい……。
 こんな飲み物は他の惑星では見たことが無かった。
 少しでも美味しく感じられるように……味覚を超えた領域まで、やれることは全部やったという職人の魂を感じる。
 科学では誰にも負けない!と思っていたが、私とは違う方向性の科学も存在していたのだ。
 先日はイチローに【舌が貧乏】なんて言ってしまったが、私の【科学舌】も案外貧乏なのかもしれない……。

 ということで……私は今晩の食事係なので、色々試してみたいと思っている。

 ――

 私、サクラは本日の戦闘訓練を終えて食堂にやってきた。
 1秒でも早く、肉にかぶりつきたい!酒を浴びるように飲みたい!
 戦闘訓練は激しく体を動かすので特にお腹が空くのだ……。そのくらいのご褒美は当然許されるだろう!

 食堂は騒然としていた……。何事だ?
 今日の当番は……ハカセか……。
 あ、これは何かやっちゃったかな……。

 トレーを受け取ってみると、見事にやらかしていた……。
 漆黒の丸い塊、ピンク色の麺状の何か、謎の発光をしている野菜、どう見ても金属に見えるクラッカーなど……食品に見えないものばかり並んでいた。
 
「おい、イチロー!お前またハカセに何かやらかしただろ?」

 イチローを捕まえて、耳元でそう囁いた。
 まあ、間違いなく原因はコイツだろうからな……。

「え?俺のせいなの?何も心当たりないんですが……」
 
「そんな訳ないだろ。ハカセがこういう暴走をするときは、決まってお前が原因なんだ!」

「理不尽すぎる!本当に心当たりないんだって!」

 イチローは必死に無関係をアピールしてくるが……いや、絶対お前が原因だよ。

「え、えっと、食事が冷めちゃうから……そろそろいただこうじゃないか……。いやあ、美味しそうだなあ……」

 ボスがそう言って、【いただきます】の号令をしてしまった。
 まったく、このオヤジはなんてことしてくれるんだ!
 ボスは本当にハカセに甘くて困る。ハカセと同年代の娘がいたらしいので、仕方がないのかもしれないが……。

「サクラ、食べないけどどうしたの?今日は戦闘訓練だよね、お腹空いてるでしょ?ちゃんとおかわりもあるよ!」

 食事を黙って眺めていたらハカセが余計な事を言ってきた。
 本当は恐怖で食べられないんだよと言いたかったが、ハカセにはそんな事言えないじゃないか……。

「いやあ、素敵な香りだと思ってね。香りを楽しんでいたところなんだ」

 我ながら完璧な返事だと思う。

「そうなんだ……それなら良かった!まさか見た目を気にして食べてくれないんじゃないか……と思ってドキドキしたよ……」

 いや、そのまさかなんだよ。見た目については自覚してたのか!

「ところでハカセ君、今日はいつもより独創的な感じだけど……何かテーマみたいなものがあるのかい?」

 ナイス質問!いいぞ、ナカマツ!
 皆が聞きたいことをよくぞ言ってくれた。

「今日はね、科学の力で料理の限界を超えてみたの。イチローが買ってきたコーラにヒントを貰ったのよ」

 全員一斉にイチローの方を見る。
 ほら、やっぱりイチローだったじゃん!
 それから、料理の限界は超えちゃだめなんだよ!それはもう料理じゃないんだ!

「そ、それなりに美味しいんじゃないかな……このピンク色のなんて地球にも存在しない味だと思うよ」

 自分が原因だと知り、イチローは覚悟を決めて食べ始めた。
 でも、お前……うっすら涙を流しているじゃないか……マズイんだろうな。
 
「そう?泣くほど喜んでくれてよかった。おかわりもあるから食べてね。サクラもね」

 まさかの流れ弾!
 もはやこれまでか……。よし、私も覚悟を決めるか。

 無理やり口に押し込むが、見た目と味に乖離がありすぎて脳みそがバグってくる。
 何を食べているのか……美味しいのか……不味いのか全く分からない食事が続いた。

 よし、あとでイチローを一発殴ろう……。
 きっと今日なら何をしても許されるはずだ。
 衝撃の晩餐会が終わって朝になった。
 俺、カトーはあの日の料理がコーラからヒントを貰ったと聞き、ハカセとイチローの元へ向かった。

「コーラについての調査は以上になります」

 ハカセが得意げな顔をしている。
 コーラの美味さを解明できたことが余程嬉しかったのだろう。
 
「な、俺の言った通り、宇宙一の飲み物だっただろ?」

 イチローまで得意げな顔をしている。
 お前のせいで、昨晩はえらい目にあったというのに……。
 サクラなんて助走を付けてイチローを殴ってたもんな……恐ろしい。

「イチローを褒めている訳じゃないから勘違いしないでよね……」

 今の心境としては、どっちも褒めたくはないな……。
 しかし、この2人は本当によく似ている。
 性格は正反対なのに、異なる形のパズルがピタリとハマるように……一緒になってとんでもないことをしでかすからだ。
 サクラが言っていた【ハカセが暴走するときは絶対イチローの仕業】というのも頷ける。

 ハカセはあんなに頭がいいのに、なぜイチローが関わると凄いレベルの暴走をするのだろうか。
 やはりまだまだ子供なんだろうか……。

 色々と疑問は残るが、まずはコーラを飲んでから考えることとしよう。

「イチロー、例のコーラというものを俺にも一杯もらえるかい?」

「カトー氏……今飲んでいるので最後だったよ。ごめん」

「いや待てよ、昨日も両手一杯に抱えて帰還したって聞いたぞ。もう全部飲んだのか?」

「コーラは入る所が別なんだよ……。毎日買わないと足りないかもね」

 なんだよ、入る所って……。サクラも同じような事をよく言ってるぞ……。
 やっぱりイチローはどこか変わっている。ナチュラルに暴走している感じだろうか。

「そうだ、今日はカトー氏も一緒に秋葉原へ行こうよ。それなら飲み放題みたいなもんじゃないかな」

「うむ。惑星の屑作戦(※ カトーが勝手に命名した)成就の為には敵情視察も必要ということか……」

「よく分からないけど、そんな感じかな」

「炭酸バカがもう一人増えなきゃいいんだけど……」

 ハカセがため息混じりで呟いた。

 ――

 ハカセが転送装置のボタンを押すと、瞬時に風景が切り替わった。
 すごい……これが転送というものか……。

 イチローは毎日の事なので、すっかり慣れた様子で歩き始めた。

「もうお昼だね。この間カトー氏が好きそうな店を発見したので、案内してもいいかな?」

「今日はイチローに任せるよ」

 その言葉通り、今日はイチローに全部任せてみようと思う。
 そうすれば、イチローの謎を少しは理解できるかもしれない……。

 イチローに付いていったところ、【メイド喫茶 からめるどりーむ】と書かれた店までやってきた。
 なんだ?【メイド喫茶】って?

「おかえりなさいませ、ご主人様!」

 俺とイチローの2人を迎えたのは、【からめるどりーむ】一番人気の「かすみ」という地球人女だった。

「イチロー様、本日もご帰宅ありがとうございます♪」

「おい、あの子、『本日も』って言ったぞ。まさか毎日来てるのか?」

 イチローに小声で確認をする。

「今週は8回目だったかな……」

「毎日どころか、1日に複数回来てるじゃねえか……一体どうなってるんだよ……」

 やはりイチローからは目が離せない。
 余裕で想像の斜め上を超えていく……。

「初めてご帰宅されるご主人様ですね♪かすみです。どうぞよろしくお願いいたします」

 そう言うと、かすみという地球人女は俺の目をしっかり見ながら挨拶してきた。
 なんだこの子は……すごく……かわいいじゃないか!

「あ、どうも。イチローの友人のカトーです」

 なんだか胸が締め付けられるような……そんな気分になりながら俺も挨拶をした。
 イチローのやつ、こんなかわいい子と毎日のように遊んでやがるのか……許せん……。

「もうお昼なので、お給仕してもよろしいでしょうか?」

 かすみが満面の笑みでそう言った。
 もう何を言ってもかわいい。

「じゃあ、『いつもの』を2人分ね」

 イチローがそう言う。
 『いつもの』が通じるって相当の関係だぞ……。

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 しばらくして、かすみがオムライスセットを俺たちのテーブルに置いた。
 ケチャップで器用に【イチロー様だいすき♥】、【カトー様だいすき♥】とそれぞれ書いてある。
 くそう、いちいちかわいいじゃないか!

「それでは、おいしくなる魔法をかけますのでご主人様もご一緒にお願いしますね♪」

「え……?魔法……?地球人ってそんな事ができるのか?」

 イチローに小声で聞いてみた。

「そりゃあもう……なんか色々すごいぞ……」

「それではいきますね。もえもえきゅんきゅん、おいしくな~れ♪」

 手でハートを作りながら魔法を掛けていくかすみ。

「もえもえきゅんきゅん、おいしくな~れ♪」
「モエモエキュンキュン、オイシクナーレ……」

 ノリノリで繰り返すイチロー。
 こいつの順応性は本当に恐ろしい。
 俺は……なんだか恥ずかしくてカタコトになってしまった……。

「どうぞ召し上がれ♪」

 かすみちゃんにそう言われ、スプーンに掬ったオムライスを口に運ぶ……。
 なんだこれは!

「う、うめえ!」

 冗談ではなく本気で美味い。
 【昨晩のアレ】を相殺してもおつりがくる美味さだ。

「こんな美味い食事は久しぶりかもしれん……。イチロー、この星の住民はどうなっているんだ?」

 我を忘れ、次々にオムライスを口に運んだ。
 そういえば……昔は軍でストイックな生活を求められてきたし、現在近くにいる女性といえば……乱暴な女と時々暴走する少女だもんな……。
 食事は誰とするのかが重要な要素なのだと、眼の前のかすみちゃんに気付かされた。

「この星は我々の想像の斜め上を行った発展を遂げているんだよ」

 本当にそうだよな……。
 お前の行動も想像の斜め上を行っているけどな。

「このドリンクもなかなかいいよ。ドクペって言われているらしい。コーラとはちょっと違うけど、俺はこっちの方が好きかも」

 そう言われて飲んでみたが、確かに悪くない。
 不思議な味わいだったが、優しい甘さに包まれているようだ……。

「なんか薬みたいな味だけど、確かにクセになるな……」

「そういえばハカセも薬みたいな味とか言ってた気がするよ。20種類以上のフルーツフレーバーと謳ってるのになあ……」

「20種類以上って、随分と曖昧だな……。『いろんな味が混ざってる感じだから20種類以上とか適当な感じにしとくか?』みたいなノリで書いたんじゃないか?」

「あはは、そうかもね。でもさ、そういう曖昧さも俺は好きだな。具体的にアレとコレの味がしますって書いてあったら、確かめようとする人いそうだし。純粋に楽しむには曖昧なくらいで丁度いいんだよ」

「なるほどな……イチローって色々適当だと思ってたけど、適度な曖昧さってのも人生の奥行きに必要なのかもしれないな。今日一緒に行動してみて少し理解できた気がするよ」

「そうでしょ。ハカセなんてすぐに分析しようとするんだから……もう少し適当に楽しめばいいのに」

 ――

 その後、メイドと談笑したり、ステージライブを見るなど楽しみ尽くした。
 俺は久しぶりの楽しさに興奮が収まらないのだが、イチローは飲み物やお菓子を買い漁っている。
 イチロー、お前は本当にブレないな。

「楽しんでもらえて良かったよ」

 イチローは笑顔でそう言った。

「それにしても、かすみちゃんはかわいいな……俺の側にいる女といえば……あの凶暴女だもんな……魔法というより呪いをかけるんじゃないか!」

「カトー氏、上手いこと言うな~」

「でも、こんな姿をサクラやハカセに見られたら何を言われるか分からんよな」

「想像するだけで恐怖だよな……あはは」
 
 俺達2人の大爆笑が秋葉原の夜に響いていた。
「ゆうべはお楽しみでしたね!」

 翌朝、俺イチローとカトー氏はハカセとサクラ氏に呼び出され、2人にそう言い放たれた。
 嫌な予感がするのだが……。

「そういえば、私はすぐ分析しちゃう女らしいのよね……。どういう意味なのか分からないけども……」

 ハカセが不機嫌な表情でサクラ氏に向かって言った。

「私なんて、凶暴女らしいですよ……どういう事なんでしょうね……呪いでもかけちゃおうかしら!」

 サクラ氏も鬼の形相でそんな事を言っている……。
 これは相当やばいやつだ……。

 思わず下を向きつつ、カトー氏の方を見る。
 当然のようにカトー氏も下を向いて青ざめていた。

「おい、どうすんだ。完全にバレてるぞ……」

 カトー氏が耳元で囁いた。
 ですよね、やっぱりバレてますよね。
 
「だよね……やばいな……どうしよう……」
 
 俺もカトー氏に囁き返す。

「おい!何をこそこそ話している!昨日はもっと大きな声だっただろ?もえもえきゅんきゅんだっけか?」

 サクラ氏の口撃が止まらない……。
 バレているのは間違いないのだろうけど、一体どこからバレているのだろうか……。
 
「あたしたちにバレたら恐怖なんだよな?なあ、今どんな気分?あ?」
 
 なるほど、これが本当の恐怖というものか……。
 こうなった場合にできることは限られている。

「すみませんでした!」
「すみませんでした!」

 カトー氏と同時にそう叫ぶと、ゴツンという音と共に床に額を擦りつけた。
 痛みで目の前がパチパチしたが、そんなことはどうでもいいのだ……。

「サクラ、どうする?なんか少し可哀想になってきたんだけど……」

 よし、ハカセその調子だ。
 そのままサクラ氏を説得してくれ!

「いや、ダメだろ……イチローの顔を見てみろよ……『ハカセ、そのままサクラ氏を説得してくれ!』とか考えているような顔をしているぞ」

 ご明察です……。
 でも……俺、そんなに顔で出るタイプでしたっけ?

「決してそのようなことは……深く反省しております……どうか御慈悲を……」

 そう言って、再び床に額を擦りつけた。

「どうしようかな……じゃあ、カトーは私と本気組手3時間でゆるしてやる」

 お、それならいつもの訓練とそれほど変わらないし、良いんじゃないだろうか。
 そう思ってカトー氏を見ると恐怖で顔が引き攣っていた……。
 
「それだけは!それだけは……ご勘弁を!」

 カトー氏も再び床に額を擦りつけた。
 俺の想像以上にやばいやつらしい……。

「ダメだ、それ以外は許さねえ!」

 サクラ氏にそう言われ、ガックリとうなだれるカトー氏。

「で、イチローだが……お前はハカセの食事当番を半年間代わってやれ。ハカセを研究に専念させてやるんだ」

 なるほど、サクラ氏……上手いことを考えたな。
 昨晩のような状況にならないよう、罰ゲームにかこつけてハカセを食事当番から外したということだろう。

 しかもこれは……
 1.カトー氏の後、予想より軽い処分となった俺
 2.食事当番をしなくてよくなったハカセ
 3.ハカセの暴走飯を食べなくてよくなったサクラ氏
 と、3人が全員得をするという……なんという名裁き……。

 カトー氏はその……ご愁傷さまだけども。

「分かりました……半年間頑張ります!」

「今回はハカセに免じて許してやるが、いない人をからかうのは良くないな……日本の諺にも【ジョージにメアリー】とかいう言葉があるらしいぜ。今後は気をつけるんだな」

 勝ち誇ったようにサクラ氏が言う。
 
「【障子に目あり】だよ、サクラ……」

 ハカセが優しく訂正する。

「こんな事を聞くのはどうかとも思うんだけど、どうやってバレたのでしょうか……」

 やはり気になるところなので、恐る恐る聞いてみた。

「『調査の補助を目的として超小型の偵察機を大量に送り込む』って、この間ボスが言っていたのを忘れたのか?その偵察機がバッチリ映像と音声を残しているんだよ」

 え?そんな事言ってたっけ?全く記憶にないんだけど……。

「ああ、アレか……そう言えばそんな事言ってたよな……」

 カトー氏がそう呟いた。
 どうやら本当に言っていたようだ。

「イチローのその様子じゃ、また考え事でもしていて聞き逃したんじゃないの?」

 今日のサクラ氏は恐ろしくするどい。
 やっぱり俺は顔に出るタイプみたいだな……。

「それはそれとして……分析女がイチローの惚れ込んだコーラを再現してみたんだけど、味見してくれないかしら?」

 そう言ったハカセの目は笑っていない。まだ怒っているらしい。

「ハカセの作ったコーラなら喜んで頂戴します!」

 自分でも驚くくらいの凄い低姿勢でコーラを飲み干した。
 ん?あれ?なんだろう……すごい違和感が……。

「何かおかしい?私の科学力を結集した分析装置で素材から製法まで完全に再現したはずなんだけど……」

 そんなはずはないという表情で聞くハカセ。
 
「正直に言うと、色々足りていない気がする。完成度70%くらいかな……」

「どれ、俺も一口……。うーん、確かに色々違う気がする」

 カトー氏もやはり違うと言っている。

「そういえばイチローが昨日買ってきたコーラがあったわよね……」

 と言って昨日買ってきたコーラを勝手に開けて飲み比べをするハカセとサクラ氏。

「お、確かに全然違うな……」
 
「ほんとだ……ショック……にわかには信じられないけど、私の科学力が地球のコーラに負けるなんて……」

 ハカセは子供の風貌だがプライドが非常に高い。
 特に科学関連で地球人に負けるなんて想像もつかなかっただろう。

「いや、私は宇宙一の科学者よ!必ずコーラを再現してみせる!」

 そう強く言い、ハカセは研究室へ向かった。
 その後姿を見て……またしても嫌な胸騒ぎを感じるのだった。
 翌日、俺イチローとカトー氏、サクラ氏はハカセの研究室に呼び出された。
 なんでも、コーラ再現のヒントを得ることに成功したらしいのだ。

 研究室に入ったところ、目隠し拘束された地球人の姿が目に入った。
 え?これはどういうことなの?
 コーラと何の関係があるの?

「ハカセ、その人は一体……?」

 サクラ氏が恐る恐る尋ねた。
 こういう聞きにくい事を空気を読まずに言えるサクラ氏を少し尊敬する。

「この人はコーラ工場の責任者で、秘伝とされるレシピを知っている人なの。これから、この人にレシピを聞いて完全再現しようと言う訳よ」

 得意げに話すハカセ。
 いや、それ科学力とか関係ないじゃん……。完全に拉致じゃん……。
 と思ったが、ハカセの目が怖かったので心に留めておいた。

「さあ、コーラのレシピについて知っていることを洗いざらい全て話して!」

 コーラ工場の責任者に激しく詰め寄るハカセ。
 だが、コーラ工場の責任者は話す雰囲気ではないようだ。

「おい、お前のせいでまたハカセが暴走しちゃってるじゃねえか……どうすんだよ?」

 そう言ってサクラ氏が小声で俺を責めるのだが、これって本当に俺のせいなの?

「黙ってないでなんとかしろよ……ほら、お前が分析する女だとか言うから……ムキになってるんだよ」

 あ、確かに言いましたね。
 やはり俺のせいということになってしまうらしい……。
 理不尽だなと思いつつも……やはりそのままにしておく訳にもいかないだろう。

「ハカセ、ちょっとやりすぎじゃないか?少し冷静になろうよ……もしかしたら、この人レシピ知らないかもしれないじゃん?」

 そう言ってハカセをなだめてみる……。
 ところが……。

「レシピの事は……死んでも話すものか!」
 
 コーラ工場の責任者は唐突にそう叫んだ。
 せっかくフォローしたのに……レシピを知ってるって自分で言っちゃったよ……。

 あ、ほら……ハカセの顔が引き攣ってるよ……。
 また何かやらかさなければいいんだが……。
 
「そんなこともあろうかと……」

 そう言いながら、ハカセは注射器を何本か持ってきた。
 もう嫌な予感しかしない……。

「やはり、このくらいでは口を割らないようね……流石といったところかしら……。ならばここからは私の科学力で勝負よ!」

 そう言って注射器を取り上げる。

「地球で使用されている自白剤の300倍の効果がある薬。その名も【ハキタクナール】!」

 だ、ダセえ……。
 いや、その前に300倍って……。
 サクラ氏とカトー氏もあまりにダサいネーミングに唖然としている。

 だが、そんなことは気にせず、何の躊躇もなく、【ハキタクナール】をコーラ工場の責任者に注射するハカセ……。

「さあ、レシピを話すのよ!」

「ううう……し、死んでも言うもんか……」

 うめき声を上げるが……コーラ工場の責任者はまだ白状しない。
 見事な職人魂としか言いようがない。
 コーラはこのような崇高な職人によって作られていたのだ!

「バ、バカな……【ハキタクナール】が効かないなんて!ならばさらにもう一本……!」

 さらに注射するハカセ。
 ハカセの言う科学力とは一体何なのか……。

「うあああ……はあはあ……」

 コーラ工場の責任者は白目を向いている……。
 そろそろ限界のようだ……。

「ハカセ、それ以上はダメだ!死んでしまう!」

 サクラ氏とカトー氏が必死に止めに入った。
 しかし、ハカセは止まらない。

「さあ、知っていることを全て話すのよ!」

 さすがにこれ以上の薬は打たなかったが、尋問を続けるハカセ。
 怖いんですが……。
 
「ひき肉……たくあん……しおから……ジャム……にぼし……大福……味噌……を煮て、セミの抜け殻……」

 【ハキタクナール】の効果なのか、ついにコーラ工場の責任者がレシピをボソボソ話し始める。
 え?コーラってそんな材料なの?

「ふむふむ……なるほど……これで再現できる!」

 門外不出だったはずのレシピはついにハカセの手に渡ってしまった……。

「この人はもう不要ね……記憶を消して……元いた場所に転送しましょう」

 何事も無かったかのように犯罪の痕跡を消すハカセ……あなた本当に子供ですか?
 大の大人が3人もいて、何も出来ずにただ見ているだけになってしまっていた。

「では、レシピ通りに精製するのでちょっと待ってね」

 そう言ってハカセはレシピを片手にコーラの精製を始めた。
 コーラとは大分違う異様な匂いが漂い出したので、研究室を離れて会議室で待つことにした。

 ――

 俺、カトーは混乱していた。
 ハカセの大暴走を目の当たりにしたからだ……。
 ある意味ではサクラより恐ろしい……。

 とりあえず会議室に避難してきたが、もう一波乱ありそうな予感がしている。

「完成したわよ!」

 意気揚々とハカセが会議室に入ってきた。
 手には黒い液体の入った瓶が握られている。コーラなのだろうか?

「さあ、味見をしてちょうだい。うまいかおいしいかのどちらかよ!」

 思わずイチローの顔を見る。
 同時にサクラもイチローの顔を見ていたらしい。考える事は同じようだな。
 頼む、イチロー……お前が飲んでくれ。

「えっと、俺が飲むのかな?」

 雰囲気を察知し、イチローが反応した。
 そうだ、お前が飲むのだ!

「他に誰がいるのよ!イチローのために作ったんだからね!」

 ハカセにそう言われて……何も言えず、意を決して黒い液体を飲み込むイチロー……。
 そのまま動かなくなり、泡を吹いて倒れてしまった!

「やばいぞ、ナカマツ呼んでこい!」

 イチローの頬を叩きながら、サクラに叫んだ。
 サクラがナカマツを呼びに行ったのを確認しながら、俺はイチローの頬を叩き続けた。

「イチロー……ごめんね……。お願いだから死なないで!」

 ハカセは泣きながらイチローにしがみついていた。
 俺、イチローは遠い過去の夢を見ていた……。
 夢というより、走馬灯のようなものかもしれない。

 ――

 暗い病室に寝ていた。
 不治の病に侵され入院をしていたのだが、どうやら随分長い間寝ていたようだ。

 病で動かなくなっていたはずの体が、なぜか以前のように動くようになっていることに気付き、久しぶりにベッドを降りて部屋を歩いてみることにした。
 部屋の明かりはついておらず、室内を見渡すことさえ難しい。
 院内に人の気配はなく、静まり返っている……。
 寝ている間に何か大変なことが起きたことは容易に予想できた。

 病院の外も様子がおかしい。
 乗り物の音は聞こえないし、時折どこかで爆発の音や獣の遠吠えも聞こえてくる。
 手探りで明かりのスイッチを押してみたが、やはり反応はない……。

 静まり返った部屋で色々考えていると、かすかにすすり泣く声が聞こえてきたことに気付いた。隣の部屋だろうか。
 たしか自分と同じ病で少女が入院していたはず……と気付き、手探りで隣の部屋へと向かった。
 
「ぐすっぐすっ……お母さん、お父さん、お兄ちゃん……誰か助けて……」

 そう言いながら、子供が泣いているのを見つけた。
 この部屋も俺の部屋と同じく真っ暗なので顔までは分からないが、どうやら少女のようだ。

「君、大丈夫かい?俺は隣の部屋に入院してる者です」

 少女を刺激しないよう、可能な限り優しい口調で話しかけてみる。

「隣のお兄ちゃん?何がどうなってるの?みんないなくなっちゃった!」

 少女が泣き叫んだ。
 パニックを起こさないよう適度な距離を保ちつつ、落ち着くのを待った。

「実は俺もさっき目覚めたばかりで、何がどうなっているのか……全く分からないんだ……」

「あのね……私は2日ほど前に目が覚めたんだけど……ずっとこの状態なの……大声で助けを呼んでも誰も来ないの!」

 この少女は暗闇の中、2日間も孤独に耐えていたらしい……。
 なんということだ……やはり何かが起きている!

「そうか……まずは明かりから何とかしよう。病院だから非常用電源があるはず。一緒に探そうか?」

「うん。一人じゃ怖いから一緒に連れて行って!」

「よし、じゃあ一緒に行こう。君は歩けるかい?」

「あれ……歩けるみたい。この間まで体が動かなかったのになんでだろう……」
 
 暗い廊下を歩きながらお互いの事を話した。
 少女の名前はベラ、12歳とのこと。
 俺はアダムで22歳だと伝えると、ベラは歳の離れた優しい兄がいたことを話してくれた。
 
 ベラも俺と同じ不治の病で入院しており、自分はもう助からないものだと思っていたらしい。
 【レーサ】と名付けられたこの病は発病後3年以内に確実に死ぬ恐ろしい病気であり、治療方法は未だに見つかっていない。
 俺たちはまもなく死を待つだけの末期状態となり、別棟に移されたばかりだった。
 入院というよりは研究用の体を提供するといった方が近かったのかもしれない。

 暗闇の中歩いていると、どこからともなく死臭が漂ってくる。
 恐らく、この病院内は死体があちこちに転がっているのだろう。
 幼いベラの事を思うと、暗闇で良かったとも思えてくる。これなら死体を見ずに済むからだ。

 1時間ほど歩いてると、電源が回復したのか突如明るくなった。

「きゃあ!」

 そう叫び、ベラが抱きついてきた。
 突然明るくなったため、死体を見てしまったらしい。
 死体はあちこちに転がっており、既に腐乱が始まっていた……。
 この世の地獄とはこのことだろう。

 しかし、少なくとも2日以上切れていた電気が点いたということは……他に生存者がいるということなのかもしれない。
 絶望の中に一縷の望みを見つけたような気がした。

「怖い……何がどうなってるの……」

 震えるベラを抱きしめながら、死体が目に入らないよう……ゆっくりと歩き出した。
 電源が生きているうちにやらなければならない事が山程あるはずだ……躊躇している時間は無い。
 
 死を待つだけだった俺とベラは何故か生きており、元気だったはずのこの人達は無惨な死を迎えている。
 本当に何が起きているのだろう……と必死で考えていると、館内放送が流れた。
 
「生存者はいるか?いたら、本館4階の会議室まで来てくれ!」
 
 生存者は他にいる!
 ベラを抱きしめたまま、階段を駆け出す。
 久しぶりに動いたので転倒を繰り返したが、それでも必死に走り続けた。
 
 本館4階の会議室に入ると、そこには5人の男女がいた。

「おいおい、本当に生存者がいたぞ。放送とかしてみるもんだな」

 長髪を後で束ねた若い男がそう言って驚いた。

「生存者がいて良かった……すぐに食事を用意するから、こちらに座って」

 髪の薄い中年男性がやってきて、席を用意してくれた。
 すぐに若い女性が食事を持ってきた。

「保存食だから口に合わないかもだけど、しっかり食べてね」

 そう言われてお腹が空いていることに気付く。
 食事と言っても保存食なのだが、久しぶりの食事は美味しい。
 別棟に移されてから点滴で栄養を摂っていたが、普通の食事も問題なくできるようになっていた。
 食事の最中、髪の薄い中年男性が簡単な自己紹介をしてくれた。

「私の名はダニエル、一応仮のリーダーということになっている。入り口にいる長髪の大男はチャールズ、食事を持ってきた女性はエマ、そこで機械をいじっているのが館内放送をしていたジョージ、それと医師のフレデリック。我々はこの5人で行動をしている」

「私はアダム、この子はベラです。残念ながら他の生存者には会えませんでした……」

「そうか……もう生存者はいないようだな。実は先程、電源を復旧させたのは私達なんだ。もし驚かせてしまったなら申し訳ない。だが、生存者がいて良かった……この病院は見ての通り……地獄だから」

「いえ、感謝しています。私達だけではどうなっていたか……想像もつかないです」

「その……君たち2人も【レーサ】で入院していたのかい?」

 ダニエルがポツリポツリと話し始める。

「はい、そうです。私達は末期患者だったので別棟にいました」

「そうか、やはりな……実は私達も入院患者だったんだよ。末期では無かったので君達より早く目覚めたんだろうな……」
 
 ダニエルは何かを確信しているようにそう言った。
 
「何かご存知なんですね?」
 
「どこから話せばいいのだろうか……」

 ダニエルが、ベラの方をチラっと見て考え込んでいる。
 恐らく子供には刺激の強すぎる話なのだろう。

「覚悟はしています。本当の事を教えてください」

 自分に遠慮して話せないことを察したのか、ベラが強い口調で問いただした。

「そうか、お嬢ちゃん強いね……。では知っている事を話そうか……この状況は戦争で使用された生物兵器によるものなんだ……」

「生物兵器……!」

「詳しい事は分からないんだが、敵国のいずれかが使用したらしい。感染力と致死性のいずれも高い凶悪なウィルスで、この国の人間はほぼ…………死に絶えた……と思われる」

「そう……じゃあ、私の家族も……」

 そう呟いてベラは俯いた。必死で涙を堪えているようだ。
 会議室は長い間沈黙に包まれた。

「ダニエルさん、先程【レーサ】の事を聞いてきたということは……私達が生きている事と関係があると考えているのでしょうか?」

「察しがいいね……現時点では仮定だが、間違いないだろう……【レーサ】患者にはその生物兵器ウィルスは効かないんだ……いや、効かないはちょっと違うな。フレデリック、説明をお願いできるかな」

「分かりました。ここからは私が説明します。ご存知の通り【レーサ】は罹患するとまず助からない不治の病です。そこに同じく凶悪なウィルスが体内に入った……普通に考えるとまず助からないのですが、なぜか【レーサ】とウィルスはお互いに敵だと認識して攻撃し合うようなんです。それがきっかけで私達の体に何かの変化が起きたと思われます」

「私達は【レーサ】とウィルスを両方とも克服したのでしょうか?」

「どうやらそのようです。検査してみなければ確かな事は言えませんが、少なくとも我々5人はどちらの抗体も持っているようです」

「そうか、だから体がこんなに軽くなっているんですね……。死を待つだけだった私達が生き残り、健康だったはずの人々が死に絶える……不思議なものですね……」

「しかし、まだ油断はできません。私達に起きた変化が何なのか……まだ調査中で詳しい事は分からないのです。もしかしたら……他にも副反応が起きている可能性もあります。何しろ、人類が初めて直面する事態なんですから……」

 何か大変な事が起きていることは分かっていたが、まさかこれほどまでとは……。
 不治の病を克服できたことは嬉しい事だが、俺もこの人達も大事な人を失ってしまったのだ。
 これからどうやって生きていけばいいのだろうか……。

「ダニエルさん達はこれからどうするおつもりですか?」

「実のところ、まだ何も決まっていないんだ。分からないことだらけだしね。でも私達は生き残らなければならない……死んでいった者達の分までね……」

「そうですね……奇跡的に貰った命を無駄にする訳にはいかないですね」

「その通りだ。そのために必要なことを共有しよう。ジョージ、チャールズ、説明を頼む」

「もちろんオーケーだ。まずはライフラインだが……水も、電気も、燃料も絶望的だ。この病院の非常電源もそう長くは持たないだろう。また暗闇に逆戻りって訳だ……。まるで野良猫にでもなった気分だぜ」

 ジョージがオーバーアクションを交えて説明してくれたとおり、急に人類が絶滅したことによりライフラインは致命的なダメージを負っているようだ。時折聞こえてくる爆発音がそれを物語っていた。

「だから、まずは自分達の分だけでもライフラインを作り上げる必要がある。発電機や3Dプリンタ、機械の設計図など入手が必要なものは山程あるぜ」

「ここからは俺が話そうか。必要なものを集めるために病院から出て拠点を作る必要があるんだが、死体の匂いが凶暴な野生動物を呼び寄せてしまっている。安易に外出するのは自殺行為と言えるだろう」

「戦う術はあるのでしょうか?」

「俺は元軍人だから銃さえあればなんとかなりそうなんだが……あいにくここは病院だから難しそうだ。武器になりそうなものといえば……鉄パイプや小さな刃物くらいなものか……」

「なるほど、問題は山積みですね……私達にできることがあれば手伝わせてほしいのですが」

 俺がそう言うと、待ってましたとばかりにダニエルが反応した。

「もちろんだよ。私からも手伝いを頼みたいと思っていたところなんだ。お嬢ちゃんもそれでいいかい?」

「はい、よろしくお願いします」

「よし、では今から君達は私達の仲間だ!共に生き抜こう!」

 こうして俺達7人は仲間となった。
 この時はまだ知らない。さらに予想以上の不運が俺達を襲うことを……。
「早速だが、警察署に銃を探しに行くメンバーを選出したい」

 ダニエルが複雑な表情を浮かべている。
 先程も聞いたが、外には凶暴な野生動物がいるらしいので難易度が高いミッションになりそうだ。

「当然、俺は決まりだろう。だが、探索と防衛を同時に行うのは難しいので、あと2人ほどいるとありがたい」

 当然のようにチャールズが名乗りを上げた。
 元軍人らしいので、こういうときは本当に頼りになる。

「私も行くわよ」

 続いてエマが立候補した。

「女性を連れて行けるわけないだろう。遊びじゃないんだぞ!」

「チャールズ、あなた……女は皆弱いと思っているのかしら?」

「当たり前だ!さすがに危険すぎる!」

「よく考えてみて、医者とエンジニアはチームに必須だし、ダニエルは指揮を執らないといけないし、ベラはまだ子供。消去法でも私とアダムしかいないじゃない?」

 自分の名前が出て、その任務の重さを改めて痛感する。
 そうか……生きるために戦わないといけないのか……。

「それはそうかもしれないが……さすがに女性はダメだろ……」

「軍にだって女性はいるでしょ?あ~さては女性を守る自信が無いのか~?お前弱そうだもんな~」

「な、何を……くっ……女性の一人や二人ぐらい楽勝だよ!」

「ダニエル~。探索はチャールズ、エマ、アダムの3人に決定しました!早速行ってきます」

 嬉しそうにエマが言う。
 すごく危険なはずなのに、なぜこの人はこんなに楽しそうなんだろう……?
 それにしても、チャールズさん……あなたチョロすぎでは……?

 そして……俺の意見は全く聞いてくれないの?
 色々とツッコミどころが満載だ。

 ――

 警察署までは車で向かっている。
 幸いな事に使える車両がいくつか残っているとのこと。それも残りの燃料次第だが……。

 道中は予想以上に野生動物を見かける。
 以前は町中で見かけることは無かったが、今は人の気配がしないので山から降りたのだろう。
 幸いな事に車には近づいてこないようなので、目的地の警察署まではすぐに辿り着けた。
 
「よし着いたぞ。ここからは車を使えないから十分に気を付けてくれ」

 警察署の入り口は壊されており、動物が荒したような形跡もある。
 いつ、どこから襲われるか分からない恐怖の中、探索をしなければならないのだ。

 チャールズ、エマ、俺の順で隊列を組んだ。
 案の定、エマが前を歩きたいような事を言っていたが、チャールズは無視して進んでいった。

 地下の武器庫まで辿り着いたが、当然のように扉は厳重に鍵が掛かっており、開けることができない。

「よし、俺がこじ開けるから2人で警戒をしていてくれ」

 そう言って、チャールズは事前に用意していたバールで鍵の破壊を始めた。

「最近の軍って、泥棒みたいな事もやるのね……」

 この人、なんか色々面倒くさいな……。

「気が散るから、2人で見回りをしてきてくれないか。でも無理はダメだぞ」

「了解。アダム行くよ」

 エマはそう言うと、鉄パイプを振り回しながら来た道を戻っていく。
 俺もおいていかれないように、慌てて付いていく。

 入り口の広間まで戻ったとき、見たことの無いほど大きな肉食獣がいた。
 すぐにこちらに気付くと、唸り声を上げながら少しづつ距離を詰めようとしてくる……これはヤバイ!

「アダム!これを持ってろ!」

 エマは持っていた鉄パイプをこちらに投げてよこすと……なんと素手で獣と向き合った。

「エマ!危険だよ……一旦退こう!」

 俺はそう伝えたのだが、エマは黙って戦闘態勢に入っている。
 やむを得ないので俺は鉄パイプを構えて、いざという状況に備える。

「うがあああ」

 獣は大きな雄叫びを上げて、2足で立ち上がった。
 で、でかい!3メートルくらいはあるだろう……。

 大きく振りかぶった爪攻撃をエマは軽々と躱す。
 これは当たれば即死だろう……。

 エマはその後も突進と爪攻撃を次々と躱すと、獣の背後に回り込んだ。
 獣が後を振り返った瞬間、エマの強烈な回し蹴りが獣の頭部に直撃した。
 
「バキッ!」

 と大きな音が響き、獣がガクリと崩れ落ちた。
 獣が動かないことを確認し、エマと2人でゆっくりと近づいた。

 獣は白目を向いており、頭部は出血で膨らんでいた。
 触ってみると頭蓋骨が砕けており、回し蹴り一発で即死だったようだ。

 凄い……凄すぎる……。
 武器も使わずにこんな獣を倒せるものだろうか……。

「もっと楽しめるかと思ったけど……案外大したこと無かったわね」

「いや、あんな攻撃……一発でも食らったら即死でしたよ……」

「あんなノロい攻撃なんて当たらないわよ。当たらなければどうということはないの!」

「エマさん、あなた何者なんですか?」

「普通の女の子で~す」

 普通の女の子は肉食獣と素手で戦わないんだよ……。
 この人と話していると調子が狂うな。

「おーい、鍵空いたぞ~」

 武器庫からチャールズの声が聞こえる。
 急いで戻ると大量の武器と弾薬が用意されていた。

「すごい量だろ、レーザー銃も少しあるし、これで当面はなんとかなるな」
 
「そうですね……早いところ車まで運びましょう」

「うお、なんだこれ!」

 エマが倒した獣にチャールズが気付いた。

「あ、それ……エマが回し蹴り一発で倒したんですよ……」

「え?嘘だろ?これ……【ナビレ】だぞ……うわあ、頭蓋骨砕けてるじゃん……」

 【ナビレ】というのは最強の肉食獣と言われている。
 体が大きく、肉が厚いので銃でもなかなか倒すことができないことで知られている。

「まあ、それほど大したこと無かったわよ。動きが止まって見えるくらいだったし」
 
「エマ……お前一体何者なんだ?」
 
「普通の女の子で~す」

 それ、さっき俺も聞きました。
 助けてもらって何ですが……ちょっとイラッとしますよね。
 警察署から3人が無事に帰還した事は大きな収穫となっていた。

 大量の実弾銃に加えて、少しではあるがレーザー銃も入手することができた。
 レーザー銃は弾薬を必要としない反面、エネルギーのチャージを必要とするため使い所は限られてくるが、女性でも使いやすく威力も大きいためだ。

 銃だけでなく、エマが【ナビレ】を一撃で仕留めた話も留守番メンバーを驚愕させた。
 この先も【ナビレ】のように銃が効きにくい敵性生物との戦闘も想定されるからだ。

 エマの実力を測るため急遽チャールズとの模擬戦を行ったのだが、結果はエマの圧勝であった。
 チャールズの攻撃はエマを掠ることさえなく、全て空を切るだけとなった。
 ゴム弾を装填した銃をチャールズに持たせてみたが、やはりエマの動きが早すぎて1発も当てることができなかった。

 軍の特殊部隊にいたチャールズが全く相手にならないほどの強さを、普通の女性だと思われていたエマが持っていたことは嬉しい誤算であった。
 その分、チャールズの落ち込み方といったら……見ていられないほどだった。
 そりゃあそうだよね……。

 ――

 武器を入手したことで、新たな拠点での生活をスタートさせることができた。

 資源の調達や研究資料の充実を考慮し、俺達は宇宙科学研究所に引っ越しを行った。
 生活に必要な機材は3Dプリンタで作成が可能なのだが、そのためには資源と設計図データの両方が必要となる。
 この研究所はどちらも豊富なので生活に困らないし、その気になれば宇宙船の建造すら可能かもしれない。
 また、研究施設だけにライフラインも独自のものが用意されており、当面の生活に困らないことも判明している。

 新生活に合わせて担当にも少し動きがあった。
 と言っても、エマがチャールズと共に防衛担当になったことと、俺が雑務担当となったくらいだが。
 雑務担当?と思ったのだが、食料確保や資材運搬など人手の足りていない仕事は多いため、毎日忙しく働いている。

 問題はベラだ……。彼女に何を担当してもらうべきなのか……非常に難しかったようだ。
 彼女はまだ12歳でやれることが非常に少ないためだ。
 真面目な性格なので、自分が貢献できないことに後ろめたさを感じていたようだが、ダニエルがうまくフォローしてくれた。

「ベラ、君にお願いしたい仕事があるんだ」

「私でもできる仕事なら……喜んで!」

「ありがとう。実は君にお願いしたいことは学習なんだ。これから毎日勉強をして、私達を助けられるような知識を沢山身につけてほしい」

「勉強ですか?私はすぐにでも働きたいと思っていたんですが……」

「気持ちはとても嬉しいよ。でもね、焦ってはいけないな。これは君を仲間だと思っているから……これからずっと一緒に生活することを考えて、ベストだと考えたからなんだ。言い換えれば、私達は君の可能性に投資をするということだな」

「具体的には何を勉強すればいいの?」

「ここは研究所だからね、科学を中心に勉強してほしい。もし設計図を発明できれば、3Dプリンタで様々なものを作ることができるんだよ」

「そうなんだ……少しやる気が出てきたかも。勉強方法はどうすればいいの?」

「学習用の人工知能が教えてくれるみたいだよ。それでも分からないところはアダム、ジョージ、フレデリックが分担して教えるから安心してほしい」

「分かりました。早くみなさんの役に立てるよう、頑張ります」

「ありがとう、とても助かるよ」

 ダニエルは笑顔でベラにお礼を言った後、仕事に戻っていった。
 その様子を見ていたエマがベラに声を掛けた。

「ある意味一番大変な仕事かもしれないけど、頑張ろうね。私は勉強が苦手だからあまり教えられないけど、色々フォローするからさ」

「ありがとう。ここのみんなはとても優しくて……本当に感謝しています」

「あ、ここだけの話だけどさ……ダニエルにはベラと同じ歳の娘さんがいたんだって……勉強が好きな子だったらしいからさ、この国がこんなことになってしまって娘さんに勉強させてあげられなくなったことが残念だと思っていたみたい……」

「そうだったんですね……あんな優しいお父さんなら娘さんは幸せだったでしょうね」

「私はあんな悪人顔のお父さんは嫌だな……。それでね……ベラが暇なときに本を読んでいるのを見て、勉強が好きなら存分に学ばせてあげたいって思ったみたい。案外いい所あるよね、悪人顔なのに!」

「あはは、悪人顔言い過ぎ~」

「でもさ、人間は第一印象ってすごく大事なんだよ。そのうち化粧とかファッションとか色々教えてあげるね。私、本業はモデルだったんだ」

「道理で……すごく綺麗な人だと思ってたから、納得できました。私も大人になったら……エマみたく綺麗になれるかな?」

「なれるわよ。お姉さんが責任をもって美人にいたします!」

「やった~。大人になるのが楽しみです」

「その前に……しっかり勉強しないとね。目指せ!知的美人!」

 その日から、ベラの表情はどんどん明るくなっていった。
 目標があるということは、人生を有意義なものにするのだろう。
 俺はベラを見て、そう思っていた。

 あの事実を知るまでは……。