『婚約破棄された悪役令嬢は今日から騎士になるそうです。』約束の青い薔薇編

「リヒト様の指輪が盗まれた」

 リヒトが指輪を紛失したことは、すぐに騎士団の知るところとなった。

「本当に、あの方には頭が痛くなりますね……」

 真面目な顔をしているユーリに対し、ベアトリーチェの表情は厳しい。
 ローズは『聖剣の守護者』であり救国の英雄ということで、今は騎士団の会議への参加を許されていた。
 リヒトが何者かに襲われ指輪を奪われたという話を聞いたローズは、一瞬動揺の色を見せたが、発言は控えることにした。
 今回の問題はリヒトだ。
 元婚約者である自分の意見は、相応しくないとローズは思った。

「だから、さっさと差し出しておけばよかったのです。もしものときの被害は理解していただろうに、自分のことだけを考えて渡さないからこうなる」

 ベアトリーチェはこの事態を予測して、リヒトに指輪を渡すよう求めていたのだ。
 だというのにその進言が聞き入られず、指輪が盗まれたと聞いたベアトリーチェの言葉は厳しかった。

「ビーチェ……」
「しかし、過去を悔やんでも仕方がない。今やるべきことは一刻も早く指輪を取り戻すことです」

 確かに自分は危険視していたし伝えてもいたが、今更それを話しても何の解決にもならない。
 今すべきことは、状況を打開するための策を考える行動することだけだ。
 ベアトリーチェは目を細めた。

「指輪が鍵となることを知っている人間は少数のはず。わざわざ王子に暴行を加えて指輪を奪う人間は馬鹿なのか賢いのか……前者であればまだよいですが、後者の場合厄介です」
「とりあえず報告が上がってからすぐに王都の門は閉じさせた」
「今のところそうするしかないでしょうね」

 ユーリの行動にベアトリーチェは頷いた。今のところその判断は正しい。
 ただ――……。

「しかし、時間が経っていることを考えると、捜索範囲は広げたほうが良いかもしれません」

 彼はそう言うと地図を広げた。王都を中心とした地図だ。

「いっそ王都で鍵が使われ、王都に指輪があるとわかればまだ考えようによっては救いかもしれない」
「どうして?」
「少なくとも、捜索範囲が絞られる。王都にあるならまだ楽です」

 ベアトリーチェは地図を指でなぞった。

「犯人の目的がわからない。一体、何のために……」

 鍵として利用するために、魔力を充填させるために他にも人間を襲うつもりだろうか? だったら用心の警備を――いや、今更それをして、全てを守り切れる可能性は低い。
 それに、次の事件が起こってもいいだけの時間は十分に経過している。
 リヒトが倒れて目を覚まし、報告を上げて騎士団が警備を開始するまでの時間何もしないような間抜けなら、そもそも指輪を鍵とは思うまい。ベアトリーチェはそう考えた。

「やはり犯人は、指輪の力を知らず盗んだということでしょうか? それとも、王都からすでに持ち出されたか……」

 ベアトリーチェの表情が険しくなる。
 どこにでも入れる魔法の鍵を、その存在も世界に明かしておらず、碌に管理もせずに「はい盗まれました」では、他国に申し開きが出来ない。

「『地剣』殿!!!」

 そんな時、突然会議室の扉が開かれ中に入って来た人物を見て、ベアトリーチェは目を見開いた。

「貴方がどうしてこちらへ……まさか」

 ローズはユーリの顔を見た。
 ユーリはベアトリーチェと親しげな男を見て驚いているようにローズには見えた。
 男は息を切らして言った。

「薔薇が……『青い薔薇』が盗まれました!」

「……え?」
 その瞬間、ベアトリーチェの顔から表情が消えた。

「青い薔薇……?」
 ローズは思わず言葉を繰り返していた。
 それは三年前――ベアトリーチェが発表した、ある病気の特効薬の材料の筈だ。
 ローズは盗まれたものが、青い薔薇(ただのはな)であったことに胸を撫で下ろした。
 だが。

「薔薇は……薔薇は無事なのですか!?」

 ベアトリーチェは声を荒げ、手を震わせて男に尋ねた。

 これはよくない――ローズは静かにそう思った。
 騎士団の精神的な柱であるベアトリーチェの激しい動揺は、騎士たち全員に不安となって伝染してしまう。
 けれどベアトリーチェが、たかが花ごときに揺らぐなど一体誰が予測出来ただろう?
 皆の顔に動揺が走る中、ユーリは一人、あの日のベアトリーチェを思い出していた。
 ローズは魔王を倒し、生きて戻ることが出来るのか。そう自分に尋ねたときの、ベアトリーチェの揺れる瞳を。

『――私は。ずっと、それを感じて生きてきました』

 その言葉に込められた彼の過去を、ユーリは知らない。

「早く。早く、あの花を見つけなければ! あの花は、私でなくては薬には出来ないのです。ただ摘み取られた花では毒になってしまう!」

 ただベアトリーチェにどんな過去があったって、ユーリには団長として場を纏める義務がある。
 半人前なせいでいつもは年上の部下(ベアトリーチェ)に頼ってばかりだが、今その部下《かれ》が心を乱しているならば、自分がしっかりしなくては騎士団が纏まらない。

「ベアトリーチェ・ロッド!」

 ユーリはベアトリーチェの名を叫び、彼の頬を叩いた。

「落ち着け。お前が焦ってどうする!」
「……ッ!」

 これでは、いつもと立場が逆だ。
 会議室の中の動揺はユーリの一声によって漸く打ち消され、騎士たちは平静さを取り戻した。

「なんでそんなに焦っているんだ。――その花の毒は、それほど強いものなのか?」
「……そういう、わけでは……ありませんが…………」

 ベアトリーチェの言葉は、珍しく歯切れが悪かった。
 そう。そのはずなのだ――。ローズは首を傾げる。
 ローズは彼の論文で、薔薇の毒性についての記述も読んでいた。
 正しく処理されなかった場合の青い薔薇の毒性は、寝込む可能性はあるが死に至るほどではない。
 そうであるなら、今は薔薇より指輪の捜索を考えるべきだろう。
 有能な筈の彼が、何故そう考えられないのかローズにはわからなかった。
 ベアトリーチェはユーリに叩かれた頬を手で触れてると、黙って下を向いてしまった。

「――すいません。頭を冷やします。今の私がここに居ても場を乱すだけですし、私は今日はあちらに戻ります。ユーリ、貴方は引き続き捜索をお願いします」

 いつもの彼の普段とは明らかに異なる行動に、会議室がしんと静まり返る。

「ビーチェ……」

 ユーリは会議室を一人後にしようとする彼に手を伸ばした。
 しかしユーリが伸ばした手は、ベアトリーチェの知り合いらしい男に遮られた。

「『天剣』殿。『地剣』殿は、私が」
「……すいません。アンクロット」

 男は、動揺のためか少しふらついているベアトリーチェの体を支えた。
 そんな男に、ベアトリーチェは礼を言う。

 その声は、ユーリの知るベアトリーチェの声とは違う。教えるような声ではなく、対等に話すベアトリーチェの声に気付いて、ユーリは手を引いた。

「団長殿」
「……ああ、わかっている。俺の指示に従ってくれ」

 ベアトリーチェが部屋を出てから、老騎士に呼ばれユーリは気を引き締めた。

「指輪が鍵だとは知られてはならない。これ以上被害が広がらないよう、早く指輪を見つけなければ」
 ユーリはそう言うと、騎士たちに指示を出した。
 とりあえず、王都にあるとわかったのは朗報だ。


「あんなビーチェを見たのは、初めてだ」

 指示を終え会議室に一人残った彼は、いつもベアトリーチェがしているように、カーテンに寄りかかって窓の外を眺めた。
 彼と同じ行動でもしてみれば何か閃くかと思ったが、結局何も思いつかずユーリは姿勢を正した。

「『青い薔薇』はそれほど、ビーチェにとって大切なものなのか……?」

 薬学に疎いユーリに、青い薔薇の価値は分からない。
 そしてユーリは何故か、その薔薇の価値を知っているのは、あの男だけなのかもしれないとも思った。
 自分の知らないベアトリーチェの過去。
 それを知っているからこそ、ベアトリーチェは自分ではなくあの男の手を取ったのだと。

「ビーチェ……」
 ベアトリーチェの幼い頃を、十歳年下のユーリは殆ど知らない。
 そのことを、今になってユーリは気が付いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 陽光が生者を照らす光なら、月光は死者を照らす光だ。
 月明かりの下、ガラス張りの薔薇園で、彼は愁いを帯びた表情で青い薔薇を見つめていた。

 調査の結果、盗まれた薔薇はおよそ一〇。
 彼には余計に、犯人が何の意図をもって植物園に侵入したのか理由がわからなかった。
 まるで子どもの悪戯だ。
 どこにでも入れる鍵を手に入れて、その鍵で少し盗みを働く。
 そんな幼稚さしか感じられないというのに、指輪を鍵と理解しているところが恐ろしい。
 この理解出来ない行動は、何らかの大仕事の前準備かとも思われたが、その場合何故植物園を狙ったかが彼には分からなかった。
 夜の吐息は白く染まる。

「……貴方に、誰かを傷つけさせるようなことはしない」

 新緑の瞳は月夜に光る。

「私は、ずっと貴方のことを愛している」

 ガラスの向こう側に浮かぶ月に、彼は手を伸ばした。
 彼は『地剣』。
 どんなに彼の魔力が強くとも、その魔法は、手は、決して空には届かない。
 彼の瞳を、涙が伝う。
 もう戻らない。もう会えない。貴方は月の向こう側に行ってしまった。
 この花は、貴方が私に残した希望だ。
 だからそんな花で、誰かを傷つけることなんて許さない。
 瞳を閉じれば、かつての誰かの声が聞こえる。
 光が降る。与えられた水の温かさに気付くまでに時間がかかりすぎた、かつての自分を思い出す。

『――君は、【神の祝福】を受けた子どもだ』
『……泣くなよ。俺はお前を、泣かせたいわけじゃないんだ』
『貴方は愛し愛される人だ。貴方が選ばれたのは、きっと貴方が、誰よりも優しいから』
『貴方はいつか、この国を変える人になる。だから、貴方を生かすと決めたのです』
『彼は、必ず役に立つ人間になるでしょう』
『森の精霊かと思ったの』

 小さな彼の体に与えられたいくつもの肩書は、彼の心にたくさんの傷を作る。
 そんな彼を支え、笑いかけていくれた少女は、今はもう彼の前にはいない。

『身長が低い貴方とは結婚できません』 

 今の彼を作る過去たちは、前に進めと彼に告げる。
 それでも今は痛む傷が、彼を少しだけ立ち止まらせる。

「――……ティア」

 まるで恋人にするように、彼は青い薔薇に口付けた。
 青い薔薇から透明な雫が落ちる。
 それはまるで涙のように。

 その薔薇は彼の痛みも静寂も、何もかもを受け入れ吸い込むような、深い青い色をしていた。
「本当にすまない」
「……リヒト様」

 リヒトが指輪を奪われ三日経ったが、あれ以来『鍵』が使われたと思われる事件は起きていなかった。
 ベアトリーチェあれから植物園に籠もり、ずっと騎士団を不在にしていた。

 そして三日目にして、ようやくやってきたリヒトを前に、ローズは腕組みをして溜め息を吐いた。
 今更謝罪に来られても困る。
 ベアトリーチェが不在ということもあり、リヒトの相手はユーリとローズがつとめていた。

「リヒト様。貴方に謝られても、ユーリが困るだけです。そして貴方に頭を下げられても、何も変わりません」 
「……お前は本当にえげつなく俺の心をえぐってくるな」
「本当のことを言っただけではありませんか」

 少し兄に似たところを感じるベアトリーチェが、あれほど取り乱す姿を見ていただけに、ローズの言葉はリヒトに対して刺々しかった。
 騎士団の訓練場にやってきたリヒトは、何故か大量の荷物を手に持っていた。

「これが役に立てばいいんだが」
「何です? これは」
「まず、これは魔力の残滓を可視化できる」

 リヒトが手にしていたのは、変わった形をした眼鏡だった。眼鏡のレンズ部分には、ぐるぐるとした渦巻き模様のような模様が施されている。
 普段こんなものをつけている人間がいたら間違いなく頭を疑う。ローズは眉間に皺を作った。

「……残滓?」
「ああ。使われた魔力のみだが」

 リヒトは至極真面目な顔をして言う。

「それを辿って何になるというのです?」

 魔力の形跡を辿る方法なら、こんなものがなくても方法はある。
 魔王討伐のときのように、ベアトリーチェのような自身の魔力が体外に溢れ出るような体質の人間であれば、魔力の流れを感じることができるからだ。

「……これはもともと、俺の魔力をコントロールするために研究していたことから作った物なんだ」
「それがどうかしたのですか?」

 意味がわからずローズは首を傾げた。

「……だからこれを使えば、魔力が低い人間でも、これまでよりも高い精度の調査が出来る」

 従来のやり方は、個人の能力に依存する。だがリヒトの道具を使えば、誰もが平等に行動出来る。

「私の調査よりも、ですか?」

 実はローズも、ベアトリーチェに似たことが少し行える。
 しかしその力では、兄たちが眠りについた原因はわからなかった。
 力の流れが小さすぎたからだ。

「お前の言う『細かい』は、俺からしたら大ざっぱなんだ。魔力が強いと必然的にそうなるんだろうが……。この道具は、普通は目には見えない魔力の痕跡をたどることができる。効果は半日という点はまだ課題点なんだが」
「…………半日? それだと、今は役に立たないのでは?」

 ローズの言葉に、リヒトはギクリとした。

「うぐっ」
「そういえばリヒト様は昔から人とは発想が違いましたね」
「お前、俺のことバカにしてるだろ?」

 他にもたくさんのとんでもグッズを持ってきてきたリヒトに対し、ローズは冷ややかな言葉を浴びせた。
 彼のことだ。どれも今は使えないものばかりに違いない。つい、ローズはそう思ってしまった。
 それにしても、どうしてこうもいちいち使いたくなくなる見た目なのか。センスが悪すぎる。

「というか、何故今更来られたのです?」

 ローズはさくっと再びリヒトの心を抉った。

「作ってたら時間がかかって」
「そこは普通、捜索の為に役に立つものを作るのではなく、謝りに来るのが先では? 順番がおかしい」

「……」
 ぐうの音も出ない正論だ。
 しかも作った道具は、今は使えない。
 かつてのリヒトであれば、ここで引き下がっていたところだろう。しかし今の彼は、ぎゅっと拳を握って、精一杯前に進もうと声を上げた。

「……俺のせいで迷惑がかかったなら、せめてなにか手伝いがしたい」
「……わかりました」

 リヒトの言葉に返事をしたのはユーリだった。

「ユーリ、よいのですか?」
「ええ」

 ユーリは頷く。彼はリヒトの作った発明品を手に、にこやかにローズに笑いかけた。
 しかしユーリがリヒトを見る目は厳しかった。

「ただし、私と一緒に行動していただきます」
「…………えっ?」



 針の筵このことだ。
 ユーリの隣を歩くせいで、リヒトは明らかに侮蔑の目を向けられていた。

 平民出身でありながら騎士団長で見目美しいユーリと、兄王子に劣り魔法を使えない、第二王子であるリヒト。
 姿勢が綺麗なユーリに対し、リヒトは下を向いて歩いていた。
 これではどちらが高貴な身分なのか分からない。

「……リヒト様は」
「うん?」
「ローズ様のことを、どう思われているのです」

 そんな相手に突然まさかの質問をされて、リヒトは混乱した。

「……は?」
「私には、貴方がわざわざ会いに来れるような状況を作られたようにも思えてしまいます」
「……俺がわざわざ、ローズに会うために指輪を紛失したと言いたいのか?」
「違うのですか?」

 ユーリの声は冷ややかだった。
 リヒトは顔をしかめた。 
 まさか幼馴染の信頼がここまで落ちていたとは――……当然といえば当然だけれど。

「……俺はこれでもこの国の王子だ。わざわざ周りを困らせるために指輪をなくすわけがないだろ」
「……」

 リヒトの返答にユーリは静かに目を伏せた。
 リヒトが周りを困らせるとき。それは彼が意図的にやっていることではなく、意図せず、勘違いなどで周りを混乱の渦に巻き込んでいるだけなのだ。
 ローズとの婚約破棄然り。ただ本人に悪気がないだけ、余計たちが悪いとも言える。

「しかし普通、自分が婚約破棄した相手にわざわざ会いに来ないのでは……?」

 ユーリの言葉は正論だった。
 リヒトは最近、何かと理由をつけては騎士団によく来ていた。
 ローズの元に来ているアカリに会うためらしいとは周囲に聞いていたものの、ユーリはそれが不満で仕方がなかった。

 ――貴方は自ら彼女を傷付けたのだから、はやく舞台から退場してください。

 新しく公爵が指名したという婚約者のことも気掛かりだったが、リヒトとローズの決闘(?)の時にローズを抱き上げ、魔王討伐の時はローズへの思いを新たにしたユーリからすれば、リヒトの存在は邪魔でしかなかった。
 
「ユーリは」

 リヒトは、普段温厚な筈のユーリがなぜここまで自分を責めるのか一つ理由を思いついて尋ねた。

「もしかして、ローズのことが好きなのか?」
「はい。私は、ローズ様をお慕いしております」

 それはリヒトがローズの婚約者だったときには、絶対ユーリが口にしなかった言葉だった。
 そしてそれが伝えられなかったからこそ、ユーリはローズと長い間、会って言葉を交わそうとはしなかった。

 ユーリの初恋は彼の身分のせいもあるが、リヒトがいたからこそ実らず、彼はローズに手を差し出すことができなかった。
 兄たちを失い笑顔を失ったローズに、一番最初に手を差しのべたのは幼いリヒトだ。
 指輪を贈られたローズは、リヒトと婚約した。
 ローズを励まそうとしていたユーリは、ローズの婚約後、騎士団に入団した。

 笑ってほしくて。幸せでいてほしくて。
 でも自分は相応しくないとどこかで理由をつけている間に、ユーリはいつも一歩他人に遅れる。

 今回のことだってそうだ。
 ローズの新しい婚約者。
 二代にわたり恋愛結婚の家系である公爵家であれば、ユーリがもっとはやくローズに思いを告げ、彼女に婚約を了承してもらえていれば、それは認められたかもしれない。

 ローズは恋愛面でかなりの鈍感だが、今のように告白すれば流石に気付く。
 ただ、騎士団の入団試験のときのような求婚では、ローズが状況とユーリの性格を考慮に入れてしまうせいで伝わらない。

 少しずつ、何かがずれて。ユーリの言葉はローズには届かない。
 そしてそれを踏み越えようとしても、不幸な偶然が彼のそれを阻んでしまう。

「……そうか」

 リヒトは、ユーリの言葉に静かに頷くだけだった。
 そんなリヒトに、ユーリはまた悔しくなった。
 騎士団に来るたびに、リヒトは当然のようにいつもローズの隣にいる。
 それを見るたびに、ユーリの胸は痛む。そして心のどこかで責めてしまう。
 それを許す、ローズのことも。

 自分と彼の、何が違うというのか。
 婚約破棄した彼と身分差がある自分なら、今はどちらも壁があるのは同じはずなのに。
 誰かの不幸を願うことは、ユーリにとって一番遠いはずの感情だ。
 けれど最近のリヒトにだけは、少しだけ不幸を願っている自分に気付いていた。

 その感情は、ユーリの魔法や剣に迷いを与える。
 だから。
 これ以上自分を嫌いにならないでいいように、自分の世界が曇らないように――人を拒絶することに、なんの罪があるというのだろう?
 ユーリはリヒトの目を見て言った。

「リヒト様。私は――貴方が嫌いです」



 一人残されたローズは、ガラクタの入った箱を前に一人手持ち無沙汰だった。

「さて、私はどうしましょう……?」

 昨日までは魔力を感じとれるローズが調査に参加していたが、指示を出す人間であるユーリは何も言わず、リヒトともに出かけてしまった。

「リヒト様のこれ、とりあえず何か役に立つかもそれませんし、お借りしておきましょうか」

 ユーリとリヒトが帰ってくるまで待つべきか? ローズは思案した。
 魔力の痕跡を辿るのは眼鏡では半日らしいが、ローズなら二日ほどはわかる。ただ、その精度はそこまで高くない。
 解呪の式程度の少ない魔力を使った痕跡は、リヒトの言うように人の力で辿るのは難しいのだ。

「え?」

 そんなとき、開け放たれた窓から一羽の鳥が室内に入ってきた。
 手紙を運ぶ『輝石鳥』。
 それは真っ白な体に、青い目の鳥だった。
 首には青い紐と共に鈴がくくりつけられていて、ローズに手紙を渡した際鳥が首を動かすと、その音が静かに鳴った。
 ――ちりん。

「……?」

 宛名はローズ宛てだった。
 ローズが手紙を受け取ると、鳥はすぐさままた窓から飛び立ってしまった。

「待って!」 

 ローズは手を伸ばしたが、鳥はもう遠くへといってしまっていた。

「一体誰から……?」

 ローズは差出人を確認した。
 そこに名前はない。

 ただ――丁寧な文字は見覚えがあり、何より。
 その手紙からは、ローズには以前彼から淹れてもらったハーブティーの香りが、微かに残っているような気がした。

「突然お呼びして申し訳ございません。ローズ様」

 ローズを呼び出したのはやはりベアトリーチェだった。
 ここ数日、騎士団に顔を見せていない彼は少しやつれているようにもローズには見えたが、ローズに向ける笑顔は相変わらず優しげで、それがどこかで彼に儚さを感じさせていた。

「今日お呼びしたのは、貴方にお見せしたいものがあったからです」

 ベアトリーチェはそう言うと、以前ローズを招いた植物園の前を通り過ぎ、奥の方へと進んだ。
 するとまた門が現れ、ベアトリーチェは再び剣を魔封じに押し当てた。

 薔薇のかたどられた門。
 門を進むと、小さなガラス張りの建物があった。
 そこは、小さな薔薇園だった。

「青い、薔薇……」

 それは、これまでこの世に存在しなかったはずの色。 
 だからこそ、ベアトリーチェがこの花をもちいて病を克服出来ると発表したとき、青い薔薇は「不可能」から「可能性」に花言葉を変えた。

「どうして私をこちらへ?」
「……貴方であれば、話をきちんと聞いてくださると思ったので」 

 ベアトリーチェは静かに答えた。
 薔薇園に入るには、また解錠が必要だった。
 これほど厳重なものならば、偶然門が開いていて侵入出来たというのは有り得ない。
 そんなことを考えるローズを、ベアトリーチェは園内に招き入れた。

 まるで青い薔薇の国に迷い込んでしまったような、そんな不思議な感覚を抱く。
 美しい。美しいはずなのだ――けれど。
 妙な違和感をローズは覚えた。

 ローズは本来、花の中でも薔薇は好きな方だ。
 赤い薔薇は生命の象徴とされており、ローズの名前のこともあって、公爵家にはたくさんの赤い薔薇が植えられている。
 でも、この花は――……。
 まるで氷のような冷たさを感じて、ローズは胸を手で押さえた。
 凄絶なまでに美しい。
 月明かりのもとであれば、それはより際立つに違いない。
 この花が宿すのは死の香りだ。

「ローズ様は、屍花《しか》というものをご存知ですか?」 

 表情《かお》を曇らせるローズに、ベアトリーチェは静かに尋ねた。

「この花は、屍花なのです」

 彼はそう言うと、小さく細い手で優しく青い薔薇の花に触れた。

「病で死んだ人間の墓の上に咲き、生前親しかった人間の魔力に触れていなければ枯れてしまう花。……私が、定期的にこちらに来ているのはそのためです」

 ベアトリーチェは目を瞑り、そっと花に口付けた。
 すると花はまるで涙を流すかのように雫を落とした。
 『青い薔薇の雫』
 それは彼が三年前発表した薬の材料だ。

「盗まれた花は少なかった。でも、私の動揺を花が感じ取ってしまったためでしょうね。ずっと、花に元気がなくて。私はこの花のそばから離れられずにいます」

 彼はそう言うと目を細めた。
 まるで薔薇を通して、誰かを見つめているように。

「ユーリにも言ったように。この花は本来、他の毒に比べたら毒性は強くないのかもしれない。でも私は……私はこの花で、誰かを傷付けたくはない」

 新緑の瞳が僅かに翳る。

「すいません。本来このような状況で、騎士団を空けるなど、あってはならない事だとは理解してはいます。でも私は……この花を、枯らすわけにはいかないのです」

 ベアトリーチェは瞳を閉じた。感情を隠すかのように。
 そして次に彼がローズの方を見た時には、ローズには「いつもの彼」がそこにいるような気がした。

「……明日からは私も、調査に参加します。花もだいぶ持ち直しましたし。ただ今の私は、周りより自分の感情を優先してしまう可能性が高い。調査は私一人で行いたいと思っています。……ユーリに、そう伝えていただけますか?」
「わかりました」
 ローズは首肯した。 

「ありがとうございます」
 ベアトリーチェはローズに微笑んだ。
 そして――ふと、彼女の手にしていたある物に気づいて、彼は首を傾げた。

「――随分変わったものをお持ちですね。それは一体?」

 思わず胸ポケットに入れたまま来てしまっていたことに気付いて、ローズは慌てて答えた。

「これは、リヒト様が作られた道具です」

 ローズは、リヒトの作ったぐるぐる模様のメガネを差し出した。

「半日限定ではありますが、魔力の低い人間も、魔力の残滓を見ることが出来るのだと仰っていました」
「これは……」

 ベアトリーチェは眼鏡を少しだけかけて目を見開いた。

「……これを、リヒト様が?」
「はい」
「……そう、ですか……」

 ベアトリーチェはそれだけ言うと、ローズにメガネを返した。

「――あの方も、本当は愚かなだけではないのかもしれない。でもそれだけでは、やはりレオン様には敵わない」
「……」

 その言葉は、きっと正しい。
 ベアトリーチェの言葉を、ローズは否定はしなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……ユーリに嫌いって言われた……」
「おやリヒト。何をしているんだい?」

 ユーリとの調査を終え、リヒトが城に帰って廊下をトボトボ歩いていると、背後から声を掛けられ、リヒトは振り返った。

「……兄上」
「君の失態のために連日心を悩ませているユーリからしたら、そう言いたくもなるんじゃないかな?」

 声を掛けてきたときの言葉の割に、レオンはリヒトの言葉をはっきりと聞いているようだった。

「う……っ」

 リヒトは胃がキリキリした。
 どうして自分の周りの人間は、こうも鋭い言葉を吐く人間が多いのか。
 ――まあ多分、全部自分のせいだろうけど。

「ユーリはローズが好きだから、俺のことが嫌いなのかも……」
「なるほどね」

 レオンの声は、冷たくもなければ温かくもなかった。
 まるでそれになんの感情も抱いていないような、そんな声だ。

「ユーリも君も、よくそんなものにかまけてられるな。僕からしたら、色恋なんていう感情は、とてもくだらないものに思えるのだけれど」

 レオンは静かな声で言う。 

「……兄上?」

 リヒトは、思わず兄の顔を見上げていた。
 ローズとリヒトの身長差はそこまでない。細身ではあるものの、ローズの体を包み込めるレオンとでは、レオンのほうが身長が高い。

「感情なんてものはね、人を惑わせるだけなんだ。だから、本当は要らないんだよ」
「……あの、兄上……?」

 その言葉は、何故か自分に向けられたものではない気がして、リヒトは少し困ってしまった。
 わからない。自分の兄は、完璧な筈なのに――その兄が何故、こんなに寂しげな目をしているんだろう?
 でもその理由を尋ねることは、リヒトには出来なかった。
 レオンはリヒトの言葉を遮った。

「リヒト」

 レオンはそう言うと、そっとリヒトの頬に触れた。
 それはかつて、リヒトが記憶が無いくらい幼い時は、優しかった気がした兄のように。

「また、夜遅くまで何かを作っていただろう? 目が赤い。君が何をしても無駄なんだから、さっさと早く寝るべきだと思うけど?」

 でもやはり言葉は冷たい。
 それだけ言うと、レオンはぱっとリヒトから手を離した。

「……」
「ああ。そうだ、これを」

 動けずにいる弟に、レオンはリボンの巻かれた箱を手渡した。

「女性からの贈り物の中に、入眠効果のある菓子があったから君にあげよう。僕は食べる気にはならないけれど。……ああ。毒性は特に無いから安心していい」
「……」

 ――女性からの贈り物を自分に回すな……!
 リヒトはそう思ったが、突き返すわけにもいかず受け取った。
 城を出れば女性に囲まれる兄ではあるが、兄が別に女好きでないことをリヒトは知っている。
 そして兄が、自分に対して直接的な攻撃を下すような人間ではないことも。

「――甘い」

 自室に帰ったリヒトは、レオンから受け取った菓子を一つ口に含んだ。
 ホワイトチョコレートで包まれた、乾燥させた苺の菓子。
 一つ口に含んで、彼は目を瞑った。
 連日の徹夜で疲れた体には、入眠効果があるというこの菓子はよく効くような気がした。

「なんだろう」

 瞳を閉じれば、リヒトの中にある風景が浮かんだ。
 それは自分が壊してしまった、笑い声が響く場所。 
 自分だけがそこにいるのに、そこにいないような気がしていた。それでも、ずっと嫌いになれなかった場所。

「……なんだか……懐かしい、味だ……」
 リヒトの声はチョコレートが口の中で解けるように、一人きりの室内に、小さくとけて消えていった。



「眠った、か」

 壁の向こう側ですうすうと弟が寝息を立てるのを確認して、彼は石の嵌った指輪に触れた。
 赤と青。
 火属性と氷属性。正反対の色をした石をそっとなぞって、彼は苦笑いする。
 自分に与えられた属性の意味を、考えてはならないと否定する。

「さて僕は――指輪を探しに行くとするかな」

 彼はそう言うと、自室に戻り窓を開けて、小さく誰かの名前を呼んだ。
 すると彼の声にこたえるように、夜の漆黒の中を翼を羽ばたかせ、巨大な鳥が現れた。

 黒い体に赤い瞳。
 それはローズと同じ色。強い魔力を持つ生き物の証。
 契約獣。あるいは従獣。
 この世界の生き物は、相手の魔力が自分に相応しいと思わない限り従わない。
 ローズやアカリに求婚してきた王子たちが、主従契約を結べたのも、彼らの魔力があってこそだ。
 だからこそ、十年も前からこの鳥と契約を結んでいたレオンの異質さは際立つのだ。

 この世界で最も高貴な生き物と言われている生き物は、二ついる。
 黒い翼に赤い瞳を持つ鳥『レイザール』。
 白い翼に青い瞳を持つドラゴン『フィンゴット』。
 しかし後者は、相応しいものが訪れない限り卵からは目覚めないと言われており、その卵はとある国にある魔法学院で保管され、千年以上眠ったままだ。

「ありがとう、レイザール」

 黒い鳥はその巨体に反し、優しい心を持つという。
 心配そうに自分を見つめる鳥に、彼――レオンは微笑みかけて礼を言った。
 窓枠に手をかけて足を踏み込み、レオンは窓の向こう側へと飛んだ。
 風魔法が使えない彼にこれが出来るのは、相手への信頼あってこそだ。レオンを受け止めた鳥は、大きく翼を動かして浮上した。

「さあ、行こう。――僕の国を、守らなくては」

 レオンの言葉にいらえるように、鳥はその嘴をあげた。

 その日、ユーリの帰宅は遅かった。
 ベアトリーチェからの伝言を紙の鳥を飛ばして伝えたローズは、翌朝改めてユーリに口頭で伝えたが、ユーリは静かに頷くだけだった。

「……そうか」
「別行動とはなりますが、指輪の捜索は行うとのことでした」

 ローズの言葉に、ユーリは渋い顔をした。
 指輪の捜索とこちらには言ってはいるが、ベアトリーチェの先日の行動から考えて、彼は指輪より薔薇を優先して探している可能性は高い。

「申し訳ございません。兄様も、お考えがあってのことだとは思うのですが……」

 ユーリがそんなことを考えていると、ローズも見知った顔の少年がそう謝罪した。

「貴方は……」
「……おはようございます。ローズ様。以前は大変失礼いたしました」

 ベアトリーチェを『兄様』だと言ったのは、騎士団入団の際、ローズを縛りあげたあの少年だった。

「僕はジュテファー・ロッドと申します。兄様の……いえ、副団長、ベアトリーチェ・ロッドの弟です」

「貴方が……?」
「?」
 ローズは少年を観察した。
 礼儀正しく頭を下げる彼の雰囲気は確かにベアトリーチェに似ている気もするが、顔自体はそこまで似ていないような気がしたからだ。

「……やはり、弟がいらっしゃったんですね」
「はい。兄は心から尊敬する僕の兄様です」

 ジュテファーはにこりと笑った。

「失礼ですか、ご年齢は?」
「今年、一三になりました」
「随分年が離れているのですね……?」

 ローズは思わず訊ねていた。
 外見年齢だけならベアトリーチェは彼とそう年が離れていないようには見えるが、ベアトリーチェの実年齢は二六歳だ。
 二六歳と一三歳では随分離れている。

「ええと……それは、血が繋っていないので」
「え?」
「兄様は、父様に才能を見込まれて養子に入られた方なので……」
「……すいません。失礼なことを」

 失言だ。申し訳なさそうに言うジュテファーに、ローズはすぐ謝罪した。

「いいえ。……それに、兄様は命の恩人でもあるんです。だから父様の後継には、兄様が相応しいと思っておりますし……」 

 ――命の恩人? 後継?
 ローズはジュテファーの言葉が少し引っかかったが、詳しく聞くことは出来なかった。

「申し訳ございません。実は副団長に呼ばれていて。これからそちらに向かっても構いませんか?」
「ああ。構わない。元々君はビーチェの補佐だしな」
「ありがとうございます。団長」
 ジュテファーはそう言うと、頭を下げて二人の前を後にした。


「ユーリは知らなかったのですか?」

 ジュテファーの姿が見えなくなる頃、ローズはユーリに尋ねた。
 ローズがそんな質問をしたのは、ジュテファーの言葉にユーリが驚いたように見えたためだ。
 ユーリがジュテファーを弟だということも、養子で伯爵家に入ったことを知らないなんて、有り得ないはずなのに。

「養子であることは知っていましたし、彼が弟であるのは知っていましたが、ビーチェ自身は爵位は弟にと言っていたので驚いて……」

 貴族の結婚は、魔力が強い者の方が身分の劣る場合を除き、通常近しい家柄で、魔力が同程度の者と行われる。
 それはそうする方が生まれた子どもが強い魔力を持つ場合が多いためであり、このような婚姻を繰り返すために、身分ある家系に魔力の弱い子どもは殆ど生まれない。

 王族でありながら魔法を使えないリヒトの方が珍しいのだ。
 だからこそ、実子であるジュテファーが魔法を使えるのに、ベアトリーチェが養子として迎え入れられたのがローズは少し疑問だった。
 それに本来爵位を継ぐべき立場の人間が、ベアトリーチェに爵位をと言うのも変だ。

「ベアトリーチェ様が?」
「……」

 ローズのベアトリーチェに対する呼び方を聞いて、自分との呼び方の違いに気付いてユーリは一瞬表情を曇らせた。だが、すぐにユーリはいつもの彼に戻りローズに話を合わせた。

「妙な話ですよね……?」

 ベアトリーチェは爵位を継がず弟を支えようと思っていて、ジュテファーは養子の兄に爵位を譲り、兄を支えようと思っている。
 二人の考えがすれ違っている理由がわからず、ローズは更に首を傾げた。
 彼の家庭事情はなかなか複雑らしい。青い薔薇の屍花といい――何か理由があるのだろうか?
 それは、今のローズには分からなかった。



「やはり、手掛かりは無し、ですか……」

 事件が起こり五日目。
 ベアトリーチェが不在ということもあり、ローズは毎日ユーリと行動を共にしていた。

 しかし甘い雰囲気など露ほどもなく、元々自分にも他人にも厳しいローズは、職務中はずっと仕事モードでユーリには接していた。
 ユーリが肩を抱こうものなら、叩き落とされるに違いない。
 勿論、公爵令嬢であるローズに、許しも得ず軽々しく触れるユーリでは無いのだが。

「しかしここまで他に被害がないとなると、今回のことは、ベアトリーチェ様を狙った犯行と考えるのが良いのかもしれませんね」

 リヒトの発明品は結局どれも使えず、ローズたちは町の警邏をしつつ、手掛かりになりそうなことを探していた。
 でも何も見つからない。
 考えた結果、ローズは今回の事件の発端にある結論を出した。

「ビーチェを?」
「考えてもみてください。鍵を鍵と知りながら使わない。どう考えてもおかしいではありませんか」
「確かに……」

 指輪が盗まれて使用されたのは、ユーリが王都からでるための扉を閉めさせた後だ。
 今は既に開けられているが、検問は厳重に行われている。
 魔法式を保存できる石は探知機に必ず引っかかるため、外に持ち出されることは有り得ない。
 だとしたら指輪はまだこの王都にあり、警備が厳しくなってから使用され、かつ二度目の使用はされていないことになる。

 どう考えてもおかしい。
 だとしたら犯人の狙いは、ベアトリーチェ個人、あるいは青い薔薇ということになるが、青い薔薇の研究に最も熱を入れている彼の言葉から考えると、薬として使用出来ない青い薔薇を危険を冒してまで盗むのはおかしいようにローズには思えた。
 もし犯人が本当に青い薔薇を欲し、そのために指輪を盗んだならば、当然ベアトリーチェの論文は全て読んでいる筈だからだ。
 ベアトリーチェしか育てることの出来ない屍花《はな》。それを盗む意味はない。

「ユーリは、彼についてどれほど知っているのですか? 騎士団長として、副団長のことは知っていますよね?」
「いや……」

 ローズの問いに、ユーリは曖昧な返事をした。

「ビーチェは、あまり自分のことを話さないので。俺のことはよく見てくれているんですが、ビーチェの言葉は比喩? が多くて。直接的なことはあまり言わないので」
「つまり、よくわからないと」
「…………はい」

「彼の過去について、調査したほうがいいのかもしれません。彼に恨みを持つ人間、悲しむことを望む人間……狙う理由はわかりませんが」
「ビーチェに恨みを持つ……」

 ユーリにはリヒトくらいしか思いつかなかった。

『私は――貴方が嫌いです』

 そうしてふと、自分の言葉に傷付いた顔をしたリヒトを思い出して、ユーリは顔を曇らせた。
 泣きそうな表情。
 あそこまで自分の言葉で、リヒトが傷付くとはユーリは思ってもみなかった。
 そして自分の中に生まれた感情も、ユーリは整理できずにいた。

 ――貴方に、そんな表情《かお》をさせたいわけではなかったんだ。

「……っ!」

 その時、ユーリは強い頭痛に襲われて頭を押さえた。
 誰かの声が頭の中に響く。

『君ならば空を飛べる。君の剣は天にも届く。だから俺は――君に、『天剣』の名を与えよう』

 ――誰、だ……? 
 ユーリの記憶にはない言葉。それでもその声を聞くだけで、ユーリは懐かしさに胸が苦しくなった。
 ユーリは記憶を辿ろうとしたけれど、靄がかかったように景色は霞んで、誰が言ったのか思い出せない。

「……ユーリ?」
 記憶の片鱗を掴みかけた気がしたその時、ユーリはローズに名前を呼ばれて現実に引き戻された。

「ああ。い、いえ。なんでもありません」
 慌てて頭を押さえていた手を下ろす。

「とりあえず、騎士団に保管されている資料をあたりましょうか?」
 ユーリの言葉に、ローズは頷いた。



「ありませんね……」
「そうですね」

 団長・副団長と一部の人間だけが閲覧を許される騎士団の資料室に、本来保管されてあるべき彼の情報は、何故かベアトリーチェとジュテファーの分が欠如していた。
 ベアトリーチェが隠したに違いない。
 ユーリはそう思い眉をひそめた。

 そしてユーリはこうも思った。
 ジュテファーをベアトリーチェが呼んだのは、自分のことを知っている人間を手元に置く為だったのではないだろうかと。
 けれど何故ベアトリーチェが、自分の経歴を隠すのかがユーリには理解出来なかった。
 ユーリとローズは、ベアトリーチェのことについて歳を重ねた騎士たちに尋ねてみたが、先日のこともあってか、彼らはローズたちの質問には答えてくれなかった。
 誰もが「あの方は大変な想いをされたから」とか、「苦労された」とか、そんな言葉ばかりを並べた。
 そして騎士団での情報収集を諦めたユーリとローズは、王都でベアトリーチェの評判について聞くことにした。

「ベアトリーチェ様? あの方ほどの貴族はいないよ!」
「ベアトリーチェ様はどなたにもお優しい」
「あの方が爵位を継がれるのは当然だ」
「騎士としても研究の分野でも成果を挙げられている。強く賢い」
「体は小さいが、それは魔力のせいだと聞いている。その分、心の大きな方だ」
「思慮深く、相手を思いやれる方。あの方を怒らせるのは相当難しいのではないでしょうか?」
「娘を嫁にやるのなら、この国では一番あの方が安心と専らの評判ですよ。尤も未来の伯爵様に、俺たちのような人間は恐れ多くてとても言えませんが」

 王都の住人たちは、身分の貴賎を問わず誰もがベアトリーチェのことを褒めたたえた。

「評判……」
「まさかここまで良かったなんて……」

 ローズは些か驚いた。
 変わり者のロッド伯爵とその後継。
 まさか後継と呼ばれるベアトリーチェが、ここまで人々の心を得ていたなんて。 

「平民出身だというのもあって、彼はいろんな立場の人間から信頼を得ているのでしょうね。しかし……」

 だからこそ、今回の彼の行動は異常だ。ローズは余計にそう思えた。
 ここ数日、騎士団の輪を乱す彼の身勝手な行動。
 それは、人心を得ている人間の行いとはとても思えない。

「ビーチェの過去について、私はまた別の角度で調べてみようと思います。もう日が暮れますし、ローズ様はお屋敷にお戻りください」
「わかりました」

 気付けばだいぶ陽が落ちていた。
 ローズは紙の鳥をミリアに飛ばすと、馬車で屋敷へと帰った。
 彼女の父である公爵が、娘が一人で行動することをあまりよく思ってはいないのだ。
 騎士団入団は認めた公爵だったが、可能な限り娘の送迎はさせてほしいと、ユーリは公爵に言われていた。

「では、ユーリ。また明日」
「はい。また明日」

 ユーリはローズに向かって笑顔を作った。
 馭者を務めていたミリアが馬に鞭打ち、馬車が動き出す。ローズを笑顔で見送ったユーリは、引き続き次の調査へと向かった。

 ローズが屋敷に帰ると、訓練を終えたらしいギルバートが、ローズの眉間にちょんと指を押し当てた。
 ぐりぐりぐりぐり。普段人に触られない場所で押しまわされ、ローズは慌てた。
 兄の行動が理解できない。

「あ、あの。お兄様?」
「眉間に皺が寄っているぞ。ローズ。難しい顔をして、どうかしたのか?」

 漸く指を離したギルバートは、ふっとローズに笑いかけて尋ねた。

「お兄様」
「俺には言えないことか?」
「……その、騎士としての仕事のことなので……」

 ローズは兄から目線を逸らした。
 大好きな兄で公爵子息とは言えど、事が事だけに軽々しく家族に話すべきではないだろうとローズは思った。

「ああ。だったら俺には言えないな」

 ギルバートはそう言うと、ローズの頭をポンポンと軽く撫でた。まるで、気にするなとでも言うように。

「お兄様は」

 そんな彼に、ローズはずっと疑問だったことを尋ねた。

「私の考えの全てがわかるのではないのですか……?」

 ギルバートは昔から、ローズに完全な答えは教えない。
 けれど彼の言葉は、まるで遠い未来が見えているかのように思えて仕方がないことがあったのだ。だからこそ幼い頃のローズは、兄が神様のように思えて仕方がなかった。
 自分の全部をわかってくれる。これから起こる全てを見通せる。
 そんな、絶対的で正しい神様に。

「俺は相手の話が嘘か本当かどうかがわかるだけであって、俺は人の考えの全てがわかるわけじゃない。ただ、それがわかれば推測の材料としては十分だろう?」

 妹の羨望の眼差しに気付いて、ギルバートは苦笑いした。

「それに特別な目なんてなくても、相手の感情を感じ過ぎてしまう人間は居る。鏡のように相手の心を映す。そう言う人間は、自分の領域を侵されることにも敏感だ。――だから、気を付けろよ?」

 昔からローズは、兄の言葉の全ての意味は分からない。

「?」
「あんまり踏み込むと、壁を作られる可能性があるぞ」
「それはどういう……?」
「今の俺に言えるのはそれだけだ」
 ギルバートはそう言うと、自室へと戻っていってしまった。


「ローズ様。ゆっくり休まれてくださいね」
「ありがとう。おやすみなさい、ミリア」

 夜。
 ミリアに就寝の挨拶をして、ローズは自分の部屋の扉を閉めた。
 天蓋付きのベッドに体を横たえる。
 公爵令嬢の自室ということもあって、ローズが華美なものをあまり好む性質ではないにしても、父やミリアたちが彼女を思い用意した部屋は、女性らしさと優雅さを兼ね備えた調度品で纏められている。

 ローズは大きく息を吐いた。
 箸より重い物は持ったことは無い。
 これまで社交界ではそう取り繕ってきた自分だが、最近剣を毎日握っているせいで少し硬くなった皮膚を撫でる。

「こんな私を妻に欲しいという方などいるのでしょうか……?」

 ローズは苦笑いした。
 ドレスを着てダンスを踊るより、男に混じって剣を振るう方が、自分の性に合っている。
 そう思ってしまう最近の自分は、これから一生誰とも結婚なんて出来ない気がした。
 望まれても、相手に合わせて妻らしく振る舞える自信が、今のローズには無かった。

 四枚の葉。
 そんな時、ローズは事件が起こる前に、ベアトリーチェに渡された葉のことを思い出した。薔薇のケースを開く。
 光魔法で生命を維持しているおかげで、今のところ枯れる葉が様子はない。

『私は貴方にこれを託しましょう。貴方が幸福を願うその相手に、どうかその葉を渡してあげてください』

 ローズには、何故ベアトリーチェが自分にそう言ったのか、彼の気持ちがわからなかった。
 大体自分と彼は、そこまで親しい間柄ではない。
 ではなぜ、彼はこれを自分に渡したのか。

『ベアトリーチェ様はどなたにもお優しい』

 彼は、誰にでもこうなのかもしれない。ローズにはそう思えた。
 きっと彼が自分にかけてくれる優しさは、彼が他の人間に与えるものと変わらないのだと。

 大地はその地面に宿す栄養を、水を、全てのものに分け与える。
 人を愛し、支え、育てる。
 それが、地属性の適性。
 彼は属性を体現したような人間だが、成長が止まるほどの回復力を持つとなると、一般的な適性を遥かに超えるきっかけがあったと考えるほうがいいのかもしれない。
 
 魔法は心から生まれる。
 魔力の強い人間ほど、強い心の傷を抱えるという説もある程だ。実際ローズは、魔王討伐後、回復力が上がっている。
 人の心に負荷がかかり、それを乗り越えるほど、その人間の魔法は強くなる。
 だからこそ、先天的に魔力の強い人間以外に、後天的に魔力が上がる人間がいるのだ。
 この世界では、魂は巡るものという考え方もあり、生まれつき強い魔力を持つ人間は、前世で心に深い傷を負った人間である可能性が指摘されている。
 ただこの説は、前世の記憶を持つ人間が少なく、まだ証明は出来ていない。

「彼は……」

 ベアトリーチェは、養子だ。
 この世界では、普通平民に魔力の強いものは生まれない。
 この世界で平民で強い魔力を持つ人間は、【神の祝福】を受けた人間であるとされる。

「どちらなのでしょうか……?」

 先天的なのか,後天的なのか。
 あるいは自分のように、そのどちらもなのか。
 そしてもし、彼が生を得てから魔力が強くなったのなら――結果には必ず原因がある。

「養子……青い薔薇……」

 ローズは一人呟く。

『この花は、屍花なのです』

 そう言った彼の言葉が、今はやけにローズの頭の中に響いた。
 月の世界の、青い薔薇の国。
 彼の周りを取り囲む、誰かの分身。愛しげに花に触れる彼。

「そうか」

 ローズはふと、薔薇園を思い出してあることを思いついた。
 そうしてベアトリーチェから貰った四つの葉を持つ植物を、ローズは薔薇のケースから取り出した。
 数年前に貰った、リヒトの発明品で、数少ない利用価値のある道具。
 この容器に入れておけば、少ない魔力で状態を保存できる。

「――そうすれば……」

 ローズはそう言うと、そっとその葉に触れた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ローズと別れたユーリは、国立図書館を訪れていた。
 ユーリにローズのような医療知識は無い。

「青い薔薇……」 

 図書館の資料は膨大だ。
 ベアトリーチェの管理する研究施設の資料は四つの部屋に纏められているらしく、そのうち一室に案内されたユーリは驚いた。
 壁一面を埋め尽くす夥しい量の資料が、そこには保管されていたからだ。

 ベアトリーチェは騎士団の副団長も務めている。
 その仕事の傍ら研究を続けていたのだとしたら、騎士団の管理を怠った自分に対して怒り、『手が回らない』と言ったのもユーリは頷ける気がした。

 ユーリは目に入った本をぺらぺらと捲ったが、知らない名前の羅列ばかりで、全く頭に内容が入ってこない。
 知らない魔法陣。知らない植物の名前。どの属性の魔法をかけ、その時間はどれほど継続すべきなのか。魔法をかけることによっての効能の変化等――……とても覚えられるものではない。
 ユーリは眩暈がして本を閉じた。
 溜息を吐きながら本を戻すと、ふと彼の目の前を柔らかい光が横切った。

「光……?」

 ふわふわと、それは踊るように楽し気に、ユーリのまわりをくるくる周る。
 そして光はユーリから離れて飛ぶと、とある本の前で止まって消えた。

「…………?」

 ユーリは首を傾げつつ、その場所へと歩いた。
 そこには一冊の本があった。

「『精霊病』……?」

 背表紙にはそう書かれていた。
 ユーリは本を手に取るとパラリとと捲る。
 中にはまず、こう書いてあった。

「【魔法式を書き込める石のことを、古くは精霊晶と呼んでいたことに由来する。この病を罹患した人間の心臓は石となり、魔法式を保存することが可能である。発病率は限りなく低いが、世界中で発症例がある。不治の病とされていたが、クリスタロス王国ベアトリーチェ・ロッドが、特効薬の開発に成功。これにより、屍花『青い薔薇』を第一級指定薬に認定。】」

 探していた本はこれだ。
 ユーリは安堵した。知識のないユーリが、薬の調合方法など知ってもなににもならない。
 欲しいのは、青い薔薇とベアトリーチェに、どんな関わりがあるかだけだ。
 ここまでは、ローズも知っている情報だろうとユーリは思った。
 しかし流石の彼女でも、誰が病に罹り亡くなったかまでは、把握していないだろう。
 ユーリは本の頁を捲った。

 そこには、この病にかかった人間の名前と年齢、出身地がずらりと記されていた。
 未曽有のこの病は、国家による闇魔法の実験が疑われ、その罹患者数の分布が調査された。彼らの国籍・年齢・経歴・魔法適性に至るまで。情報量は膨大だ。

「罹患者は……」
 魔法適性なし。発病時9歳。完治後、地属性の適性が発現。

「ジュテファー・ロッド」
 ベアトリーチェの弟の名前だ。

 命の恩人という彼の言葉は、『精霊病』に罹り死ぬはずだった命を、救われたという意味だろう。
 ベアトリーチェが伯爵家に入ったのが、元々家を継ぐべき嫡男が魔法を使えなかったことが原因だったとしたら、ユーリは納得は行った。
 ベアトリーチェは悩んだはずだ。
 養子に入った頃はジュテファーには魔法が使えなかったなら、自分という存在が、新しく出来る弟を否定することに繋がると理解していたなら。
 それでもベアトリーチェが伯爵家に入ったのは、きっかけがあったに違いない。
 彼の人生を、価値観を変えるような出来事が。

「死亡したのは……」

 ユーリは一〇年前の頁を捲った。流石のベアトリーチェでも、国の図書館の資料に手は出せない。
「水・光魔法に適性。享年一六歳」
 記されているのは、過去の事実。
 
「――ティア・アルフローレン」
 少女の死亡した年齢は、当時のベアトリーチェの年齢と一致する。
「ローズさん!」
 翌朝、ローズが騎士団の前で馬車から降りると、アカリが駆け寄って来た。

「最近会えなくて寂しくて……お忙しそうでしたが、何かあったんですか?」

 神殿に向かうため純白の服に身を包んだアカリは、ローズには立派な聖女に見えた。
 そんな彼女だったが中身は相変わらずのようで、ローズを見上げるとアカリはしゅんと眉根を下げた。
 魔王討伐以降、『光の聖女』として振る舞うよう努力しているが、唯一ローズの前だけでは、彼女は『七瀬明』に戻るのだ。

「実は……」
 かくかくしかじか。ローズはアカリに今回のことを話した。
 現在のアカリは騎士たちからも信頼されており、一部聖女として仕事も頼まれている。
 事件解決までは騎士団が慌ただしくなる以上、アカリには真相を話しておいた方がいいとローズは判断した。

「ええっ!? リヒト様の指輪が盗まれて、ベアトリーチェさんの青い薔薇が盗まれた!?」
「――アカリ、静かに」

 ローズは思わずアカリの口を手で塞いだ。
 すると、アカリの頬が赤い林檎のように真っ赤に染まった。
 ローズは手を下ろした。

「す、すいません……」
 アカリは頭を下げて謝罪した。

「街が騒がしいと思っていたら、そう言うことだったんですね。でも確か、あの指輪は鍵になるんでしたよね? ……何も音沙汰がないとなると、それはそれで不気味ですね?」

 事実を知るアカリはローズに尋ねた。ローズは頷いた。アカリの目の付け所は間違っていない。

「そうなのです」
 ローズは静かに頷き――あることを思い出してアカリに尋ねた。

「そういえば……アカリは、ベアトリーチェ様の過去についてなにか知りませんか?」
「え? 私ですか?」
 アカリはきょとんとした。
 魔王討伐の際、ローズに『誓約の指輪』の情報を教えたのはアカリだ。
 今回ももしかしたら、何か海月の糸口になる情報を彼女は知っているかもしれない。ローズはそう考えたが、アカリはうーんと首を傾げた。

「うーん……私、全クリしたわけではないので……詳しく知らないんですよね。あ。でも、これだけは覚えています」
 『全クリとは何だろう』とは思いつつ、ローズは疑問をスルーした。

「それは何ですか?」
 ローズは尋ねる。
 ローズの問いに、アカリはまた意味が分からない言葉を口にした。

「『ベアトリーチェ・ロッドの初恋』」

「え?」
 ――初恋?
 ローズは驚きのあまり思わず声を漏らしてしまった。

「……ええと、そういうイベント? というか、話があって。私の記憶では、彼には病気でなくなった初恋の相手がいたはずです。確か、彼が伯爵家に入ったのもそれがきっかけだったという話だった気が……。ゲームの中で、唯一ヒロインが初恋の相手じゃないという設定で、初めは批判があったんですが……最終的にそれらの意見を全部覆して、私の知る限りでは、彼が一番ゲームの中では人気が高くて……」

 『ゲーム』を理解していないローズには、アカリの言うイベントの意味がよく分からなかった。
 ただアカリから話を聞いたローズは、やはりアカリの話す『ゲーム』の世界は、自分たちの世界と多少の違いはあれど、共通点は多いように思えた。だったらアカリの言う『ベアトリーチェの過去』が、この世界の彼の過去と一致している可能性はある。

 初恋の相手が病気で死んだ。
 ローズは、恋人に触れるように、青い薔薇に触れるベアトリーチェを思い出した。

『病で死んだ人間の墓の上に咲き、生前親しかった人間の魔力に触れていなければ枯れてしまう』

「まさか、あの花は……」
 亡くなった、彼の初恋の相手の――。
 
 ローズは眉をひそめた。もしこの予想が正しければ、青い薔薇に彼が執着する理由に納得がいく。
 初恋の相手の屍花。
 それが盗まれたというのなら、彼が取り乱すのも頷ける。

 ドガ! ガラララ……ガッシャン!!

 ローズがユーリに情報を伝えるために、彼の部屋に向かった時。室内から誰かが争う音が聞こえ、ローズはノックをせずに扉を開けた。

「なんの騒ぎです!?」
 ローズとアカリは、部屋の中を見て仰天した。
 ユーリの部屋が荒らされていたのだ。
 そして犯人らしきベアトリーチェは、ユーリを壁に追い詰めていた。

 ユーリは壁に背中を、床に手をついているような状態だ。
 小柄なベアトリーチェはユーリの腹部に片膝を押し当て、ユーリの右顔の横の壁に拳を突き立てていた。
 いつもは穏やかな緑の瞳は、今は強くユーリを睨みつけている。

「――これ以上、私のことを調べるのはやめてください。貴方だって、知られたくないことはあるでしょう? ……たとえば」
 ベアトリーチェはそう言うと、ユーリの髪紐をするりと解いた。

「……この髪紐を、最近ずっと貴方が身につけている理由とか」
「ビーチェ!」

 自分の大切なものに触れられて、ユーリは思わずベアトリーチェに手を上げてしまった。
 自分の行為に、ユーリ自身驚いていた。
 そんなユーリの幼さを、ベアトリーチェは嘲笑った。

「人の心に踏み入ることを許されるのは、自分も踏み入られる覚悟がある人間だけだ。――その覚悟がないのなら」

 ベアトリーチェの口の端は、切れて血が滲んでいた。
 指でそれを拭った彼は、指についた血を見て冷たく笑った。

「私のことは放っておいてください」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる」

 自分を馬鹿にしたようなベアトリーチェの目に苛ついたユーリは、彼の胸ぐらを掴んで言った。

「いつもなんでもわかったような顔をして。自分は人の心には踏み入るのに、お前は踏み入られることを恐れている。覚悟が無いのはビーチェ、お前のほうじゃないか!」

 ユーリは、自分からベアトリーチェが瞳を逸らすことを許さなかった。
 体格上、この体勢ではベアトリーチェはユーリから逃れられない。

「貴方に」
 ベアトリーチェは唇を噛んだ。
 底冷えするような低い声。

「……貴方には、私の気持ちはわからない。私の時間は、ずっと止まったままだ!」
「きゃ……っ!」

 その時、ベアトリーチェの感情に引きずられるように、地面が大きく動いて建物がきしんだ。
 ユーリの部屋に置かれていたリヒトの発明品が、音を立てて棚から落ちる。

「アカリ!」

 ローズは思わずアカリを庇った。
 ユーリはベアトリーチェから手を離した。
 その隙に、ベアトリーチェは部屋を出て行った。

「ビーチェ! 待て!」 
 追いかけよう呼び止めたが、ローズに服の袖を引かれユーリは動きを止めた。

「……ユーリ? 一体、何があったのです?」
「……っ!」
 ユーリはローズから顔を背けた。
 ローズを置いて、ベアトリーチェを追いかけることはユーリには出来なかった。

「ユーリ、さん」

 アカリはハンカチをユーリに差し出した。
 ユーリは僅かに表情を曇らせた。

 ――完全に二人に足止めされた。今更、追いかけるのは無理だ。

「怪我、大丈夫ですか?」
「……すいません。ありがとうございます」

 ユーリはアカリに礼を言うと、ハンカチを受け取った。
 口元が切れ、殴られたのか少し青くなっている。
 ここまで怪我の具合がひどくては、ローズとアカリは立場上治癒が出来ない。
 ローズは氷魔法で氷を作ったものを布でくるむと、ユーリに手渡した。

「ありがとうございます。ローズ様」
「……いいえ。治療が出来ず、申し訳ありません」
「これだけで、十分です」

 氷魔法であれば魔力はそこまで消費しないが、光魔法は消費が桁違いなのだ。
 それを理解しているユーリは、心配そうに自分を見つめるローズに笑みを作った。
 ローズはいつものように温和な笑みを浮かべるユーリを見てほっと胸をなで下ろすと、別室で安静にするよう言いわたした。
 ユーリは一人寝台に横になると、先程のベアトリーチェのことを思い返した。

「あれのどこか温厚なのか」
 自分を睨み付ける強い瞳。
 溢れだす地属性に適性を持つ強い魔力は、感情の高ぶりに合わせて周囲の環境にまで影響を及ぼす。

「感情をひたがくしにしているだけじゃないか」

 窓の向こう側からは、他の騎士たちの声が聞こえる。
 いつもと同じ時間が流れているようにも感じるのに、隣に居る筈の相手がいない。
 今のユーリは、それが無性に落ち着かなかった。

『……貴方には、私の気持ちはわからない。私の時間は、ずっと止まったままだ!』

 ユーリはベアトリーチェの言葉を思い出した。
 地を揺らすほどの慟哭を、その身に抱えていつも笑っていたことを、自分は気付いていなかった。
 次期伯爵。騎士団の副団長で、研究者。
 その彼の肩書を、ユーリはどこか当然のことのように思っていて、苦労も何も理解してはいなかった。
 だっていつでも自分の前にいる彼は、導べとして真っ直ぐに前を向いていてくれたから。

「隠されていたら、わかるわけがないじゃないか」
 自分が一番近くに居ると思っていた相手は、自分とは違う相手の手を取った。
 その光景を思い出して、ユーリは唇を噛んだ。

「……ビーチェ」
 ためらいがちに囁かれたその声は、誰にも届かずに消えた。



「ローズ」

 ユーリの部屋に長居するわけにもいかず、部屋の整理を終えたローズがアカリを送って騎士団に戻ろうとしていると、名前を呼ばれて彼女は振り返った。

「リヒト様?」
「……騎士団で何かあったのか? さっき怪我人とすれ違ったんだが」

 リヒトはどうやら買い出しに来ていたらしかった。
 何を作るつもりなのかは謎だが、材木やら鉱石やら、謎の材料が入った袋を彼は抱えていた。

「……その、ユーリとベアトリーチェ様が喧嘩を……」
 怪我人というと、おそらくベアトリーチェのことだろう。ローズはそう判断してリヒトに答えた。

「なんで喧嘩なんか……また、もしかして俺のせいか?」
 リヒトは、恐る恐るといった表情でローズに尋ねた。

「間接的にはそうかもしれませんが、リヒト様が責任を感じる必要はないかと思います。今回のことは……多分、ユーリが」
「?」

 ユーリが彼の地雷を踏んだのだ。
 ギルバートの言葉はそういうことだ。
 兄の言葉の意味をもっとちゃんと考えるべきだったと、ローズは一人反省した。

「リヒト様。ベアトリーチェ様について、なにかご存知ではないですか?」
 ここで会ったのも何かの縁だ。
 せっかくなので、ローズはリヒトにも尋ねてみた。

「ベアトリーチェ・ロッドといえば、『光の巫女』の予言を受けた人間だろう?」
「え?」
 当然のように言われて、ローズは驚きの声を上げた。

「『国を変える人物』――未来を視る光の巫女がそう予言したから、彼は産まれたとき呼吸をしていなかったが、本来王族しか受けられないような光魔法による治療を行われて、蘇生したという話だったはずだ。以前王家の記録で読んだことがある」

 リヒトは実技の魔法はからきし駄目で、医療知識も殆どないが、読書家ではあるし、王家の情報はそれなりに把握している。
 婚約破棄は、彼の知識の偏りと、弱い者いじめを許せない正義感が空回りした結果のやらかしだ。
 子どもたちにからかわれていたように、『馬鹿王子』で『アホ王子』なのは確かだが、彼は彼なりに努力している。

 ――最も、その努力の方向性はやや人とずれていたりすることは多かったけれど。
 それを知っていたからこそ、ローズ様はリヒトに今も普通に接しているという面はある。

 流石に寛容なほうなローズでも、ただの馬鹿でクズでろくでなしの王子なら、自国の王子とはいえ面倒を見てやる義理はない。
 子どもにからかわれ、叩かれたり蹴られたりはしていても、彼は決して弱者に対して手を上げるようなことはしない。

 リヒトの行動は一貫している。
 彼は弱者だからこそ、弱者に寄り添う人間なのだ。

「それが、どうかしたのか?」

 ただ少しズレているせいで、リヒトはいつも自分の持つ情報や知識の価値を正しく評価できない。
 アカリとリヒトは似ている。

「ありがとうございます。リヒト様。今頂いた情報はすごく役に立ちそうです」
「お、おう……?」

 手を握ってローズが言えば、リヒトは少し顔を赤くして、ローズから視線をそらした。
 植物園に戻ったベアトリーチェは、仮眠用の長椅子に腰かけていた。

 彼の周りには、彼を心配した他の職員たちが、持ち寄った薬などの貢物で溢れかえっていた。
 ただ薬はともかく菓子を置いていくのは、お見舞いのつもりなのかもしれないがやめてほしいと彼は思った。

 自分はこんな外見だが、子どもではないのだ。
 ベアトリーチェは、濡れタオルを頭に載せて静かに目を瞑った。
 殴られたところがジワリと痛む。
 目を瞑れば、ユーリに言われた言葉や、自分がユーリに向けた言葉が頭の中で繰り返された。

『いつもなんでもわかったような顔をして。自分は人の心には踏み入るのに、お前は踏み入られることを恐れている。覚悟が無いのはビーチェ、お前のほうじゃないか!』
『……貴方には、私の気持ちはわからない。私の時間は、ずっと止まったままだ!』

 あんなことを言うつもりはなかった。
 ただユーリに自分の過去を調べられるのが嫌で、ついカッとなってしまったのだ。
 動揺のあまり、十年ぶりに周りに影響を出してしまったことを思い出して、ベアトリーチェはやり過ぎたと少し後悔した。
 思わず彼の名前を呟く。

「ユーリ……」
「『地剣』殿、大丈夫ですか?」
 そこへ氷を抱えた男がやってきて、ベアトリーチェは小さな声で男の名を呼んだ。

「……アンクロット」
「すいません。私で」
「別に、そういうつもりで言ったのではありません」

 冷やかすように言う男の言葉に、ベアトリーチェはむすっとした。
 ユーリの前では見せないベアトリーチェの子どものような態度に、くすくすと男は笑う。

「それにしても、貴方が喧嘩なんて珍しい。出会って十年ほど経ちますが、貴方のこんな姿を見るのは二度目です」
「……」

 男はそう言うと、ベアトリーチェの額にのっていたタオルをとって、氷水につけて絞った。

「出会ったばかりの頃の貴方は、彼女に振られたばかりで荒れていらっしゃいましたから」
「……言わないでください」

 男はそう言うと少し笑って、ベアトリーチェの腫れた額に濡れタオルを押し当てた。
 ベアトリーチェは不機嫌そうな顔をして、男からタオルを受けとった。
 冷たいのが気持ちいい。ベアトリーチェは目を瞑る。

「別にいいではありませんか。私は、あの頃の貴方は、自分に正直でよかったと思っておりますよ?」
「……」

 ただその安らぎの時間の間に、自分の過去を話す目の前の男のせいで、ベアトリーチェは心安らかでは居られなかった。

「彼女は貴方のことを愛していらっしゃった。私は、そう思っています。だからこそ、青い薔薇は貴方の魔力で咲く」
「……はい」

 自分に向けられる優しい瞳。変わらないその眼差しに、ベアトリーチェの心は僅かに痛んだ。
 男の言う『彼女』が、誰なのかを理解して。

「『地剣』殿。貴方は愛し、愛される人だ。だからこそ時には貴方の本当の心を、もっとちゃんと相手に伝えるべきだと私は思います」

「……何を言いたいのですか」
「貴方の言葉は回りくどい」
「…………」

 さらっと指摘された自分の欠点に、ベアトリーチェは口を噤んだ。
 男はあけすけに物を言う。

「だからこそ貴方の属性は水ではなく大地なのです。性分なのだから仕方がない。それはわかりますが、もう少し相手に合わせないと伝わりません」

 水属性に適性のある人間は、基本言葉が真っ直ぐだ。
 対して、地属性に適性がある人間の言葉は大体回りくどいというかわかりにくい。
 でも、共通点が一つある。
 それは相手を思う心が、誰かを育てる力を持つということ。
 この二つの属性の適性の違いには、実はもう一つ大きな違いがあるとも言われている。

「私は貴方の過去を知っている。だからこそ貴方がわかる。……貴方は、自分の過去を知られることを、なぜそこまで拒もうとなさるのですか?」
「……あの子には、綺麗なものだけを見ていてほしいと、そう思ってしまうのです」

 ベアトリーチェは小さな声で答えた。

「……『地剣』殿」

 男はベアトリーチェを、困った子どもを見るような目をで見た。

「『天剣』殿は、もう子どもではありません。永遠ともいえる時間を生きる貴方にとって、時間は止まっているように感じられるかもしれないけれど。それだけは、確かなことなんですよ」
「…………」

 ベアトリーチェは答えない。

「それに私からすれば、貴方だって年下です」
「……それでも。いつか貴方も、ユーリも、私の前から居なくなる。私は一人残される」

 ベアトリーチェは、頭に載せられていたタオルを少し下げて言った。
 その声は、少しだけ震えているように男には感じられた。

「ええ。そうでしょうね」
 男は頷く。

「……だったら。せめて誰かの心の中に生きる私は、綺麗なままでいたいと思うことの、何がいけないことなのですか?」
「――『地剣』殿」
 男は、今度のベアトリーチェの言葉には、頷きはしなかった。

「貴方の仰る『綺麗なもの』がそれを指すのなら、その考え方はもっと間違えている」
 濡れた冷たいタオル越しに、男はそっとベアトリーチェに触れた。
 幼い子供に、優しく触れる親のように。

「楽しいこと。嬉しいこと。そんな綺麗なものだけが、思い出ではないはずですよ」
 男は微笑む。

「『地剣』殿。――私は」
 男はベアトリーチェから手を離した。

「貴方と出会ったことを、後悔はしていません」
 男の腕は義手だ。

「私は少し――後悔、しています」
 自分から離れた手の感触に、ベアトリーチェはまた胸が苦しくなった。
 その理由を、ベアトリーチェ自身理解していた。
 何故ならその手は――自分に触れる優しい手が、偽物になってしまったのは……。

「……私が……私が、もっとちゃんとしていたら。貴方は今も、騎士でいられたのに」
 ベアトリーチェの声は、今にも泣いてしまいそうだった。
 もしかしたら濡れた布の下で、彼は泣いているのかもしれない。男はそう思ったが、隠そうとする小さな体の子の心を、無理に暴こうとは思えなかった。

「貴方は、私に新しい手をくれた。居場所を与えてくれたではないですか。私は、今の生活はとても楽しいですよ。元々植物は好きですから」
「……でも」

 代わりに男は優しい言葉を口にした。
 ベアトリーチェはその言葉を遮るように、また自分を否定する言葉を続けようとした。

「『地剣』殿」
 窘めるように呼ばれて、ベアトリーチェは言葉を止めた。

「鎮静効果のあるハーブティーを淹れました。今はどうか、一度眠ってください」
「……分かりました」
 ベアトリーチェはそう言うと、少しだけ上体を起こして差し出された飲み物を飲み干して、再び横になった。

「ありがとうございます」
「いいえ。治療をするので、これはもう外させていただきますね」
「……わかりました」

 光属性と水属性。
 ベアトリーチェがアンクロットと呼ぶ男は、タオルをとると、横になったベアトリーチェの目に手を当てた。
 光魔法特有の温かさがベアトリーチェを包む。
 ベアトリーチェの瞳が静かにおりる。
 すやすやと眠る彼の姿は、まるで幼い子どものようだった。

「私の力では、貴方の傷の全てを癒やすことは出来ない。それでも私は、貴方の幸福を、ずっと祈っています」

 ――この子の傷のすべてを癒やすような光を、どうか誰かが与えてくれますように。
 彼はそう、願わずにはいられなかった。

 彼が腕を失ったは十年前だ。
 彼はベアトリーチェを守るために、その腕を失った。
 ベアトリーチェはそれから数年かけて、魔力を使い自分の意思で動かせる、木製の義手を開発して彼に贈った。

 ベアトリーチェはここの管理を任されてから、騎士としての職を失った彼を職員として雇った。
 償いは、もう十分にしてもらっている。
 けれどベアトリーチェは、今もまだ自分を許せないでいることに、彼は気が付いていた。

「貴方は、愛し愛される人だ」
 眠るベアトリーチェの頭を、アンクロットと呼ばれた男はそっと撫でた。
 十年前に比べたら大きくなった。
 けれどまだ子どものような年下の上司は、きっと自分たちが死ぬ頃も、同じ姿をしているような気がした。

 千年に一度、【神の祝福】を受けた子どもの中には、千年以上生き続ける子どもが生まれるとも言われている。
 それが彼だ。
 ベアトリーチェ・ロッドは、永遠とも思える時間を生きることを義務付けられた人間なのだ。

「『ベアトリーチェ』。君と同じ名を持つこの方に、どうやったら笑ってもらえるだろう……?」

 すやすやと寝息を立てる、子どものような上司を彼は見下ろしていた。
 彼の魔法は後天的だ。
 目の前で妻を失った彼は魔法を使えるようになり、妻と同じ名を持つ少年を守って剣を失った。

「私では、この方を癒せない」

 過去を知っているから結びつく。
 でもだからこそ、傍に居続ける限り、ベアトリーチェは自分を責め続ける。
 外側の傷は癒せても、内側の傷は癒せない。

「どうかこの方をお救いください。――『天剣』殿。ローズ様……」

 彼。あるいは、彼女。もしくはそのどちらも。
 小さな体に宿るすべての翳りをはらうには、彼は新しい風や水が必要な気がした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 


「整理しましょう」
 ローズとユーリは、会議室で話をしていた。

「つまり彼は平民の出で、生まれたときに呼吸をしておらず、『光の巫女』の予言があり、蘇生を国家に許された。そして伯爵に才能を見出され、跡継ぎとなることを望まれずっと断っていたけれど――初恋の少女がなくなったのをきっかけに、伯爵家に入り研究を重ねて三年前に特効薬の開発に成功した。今は騎士団副団長と、国の研究施設の管理も任されていて、周りからの評価はすごく高い……?」

 ローズは、自分で言いながら首を傾げた。
 これだけだと、彼の輝かしい経歴を並べただけのような気がしてならない。
 ローズには、ベアトリーチェがこの経歴を隠したがる理由がわからなかった。
 補足するように、ユーリは昨日手に入れた資料の複写の要点を読み上げた。

「『青い薔薇』の罹患者。我が国で発病したのは三名。亡くなったのはうち二名。三年前、ビーチェが特効薬を発見し、助かった一名が『ジュテファー・ロッド』。ビーチェの弟のようです。彼の命の恩人という言葉は、恐らくこれが理由でしょう。そして彼の魔法は後天的。元々彼は魔法が使えない少年だった。ロッド伯爵がビーチェを養子にしたのは、当時の息子が魔法を使えなかったためで、命を救われたからこそ、ジュテファーはビーチェを後継にと思うのかもしれません。それと……恐らくですが、ローズ様の仰る初恋の少女の名がわかりました。名前は『ティア・アルフローレン』。亡くなったのは、当時のビーチェと同じ一六歳。男爵令嬢で、当時のビーチェとは身分に差はありますが、恐らく……」

「そうですか……。ユーリ、情報をありがとうございます」
「はい」

 ローズに礼を言われて、ユーリは笑みを浮かべた。
 ローズは改めて考えてみた。
 ベアトリーチェの初恋の相手が青い薔薇の屍花を咲かせた人物という人物なのは間違いなさそうだ。
 そしてジュテファーの経歴も、納得のいくピースとしてローズの頭の中で組み上げられていく。
 与えられた情報は、ローズの中に『ベアトリーチェ・ロッド』という人間を描く。その真実の姿を。

「……違う」

 けれど――何かが、足りない気がしてならない。ローズは、そう思えてならなかった。これでは正しい絵にはならない。

「おかしな点が?」
 顔を曇らせるローズにユーリは尋ねた。
 騎士団の参謀は、元々ベアトリーチェなのだ。ユーリはあまり、こういうことは得意ではない。

「……そうですね……」
 ローズは眉間に皺を作り、手を口元に寄せた。
 その動作が、少しだけユーリの中のベアトリーチェと被る。
 性格も言動も、もしかしたら二人は、よく似ているのかもしれないとユーリは思った。

「一つ疑問が」
 ローズはとん、と人差し指で資料を指差した。

「彼の治療費は、誰が出したのでしょう?」
「?」
 ユーリはローズの言葉の意味が分からなかった。

「蘇生について、です。国が許可は出したとしても、その治療費は請求されるはずです。そうでなければ、例外を出すことになりますから」
「ああ、確かに……」

 神殿には光魔法を扱える者入るのが普通だが、彼らに光魔法をかけてもらう場合、それなりの額の金銭を要求される。
 蘇生ともなれば、その額は計り知れない。

 それにそれほど大掛かりな魔法であれば、ローズやアカリのように強力な光魔法が使える人間しか出来ない筈で、国に一人か二人しかいない人間を、王族以外に魔法をつかわせるとなれば――一生かかっても返せないほどの額の借金を、彼が背負った可能性は高い。

 ただそんな話を、ユーリはベアトリーチェから聞いたことが無かった。ユーリはベアトリーチェに奢った経験はないが、彼からはよく奢られている気がした。

「そういえば……ビーチェは昔から、給与の一部を誰かに送っていたような……」
「本当ですか?」
 ローズは尋ねた。

「……『恩返し』。確か、そう言っていました。相手はわかりません」
「もしかしてその誰かが、肩代わりしていたのかもしれませんね」
 ローズの言葉に、ユーリは静かに頷いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 


「ローズ様! おはようございます!」
「ライゼン。おはようございます」

 翌朝騎士団の門をくぐると、アルフレッドが元気よく挨拶をしてきてローズは思わず苦笑いした。
 最近はユーリと行動することが多かったため、彼とこうやって話すのは、ローズは久しぶりな気がした。

「はい! 元気だけが僕のとりえなので! ローズ様はなんだか元気が無いようですが、大丈夫ですか?」
「ええ。私は……」

 元気が無いのはユーリの方だ。そしてベアトリーチェ。二人の昨日の喧嘩を思い出して、ローズは少し困った顔をした。
 喧嘩をする筈がないと思っていた相手がああもぶつかり合う様を見せられると、今後ちゃんと関係を修復できるか心配になってしまう。

「ローズ様?」
 黙り込んだローズを前に、アルフレッドは首を傾げた。
 するとその時一人の少年が、二人の間に割り込んできた。

「お話のところ、申し訳ございません。ローズ様」
「……おはようございます、ジュテファー様」
「はい。おはようございます」

 ジュテファー・ロッド――ベアトリーチェの弟だった。

「申し訳ございません。昨日、兄様が怪我をして帰ってこられたのですが、なにか原因をご存知でしたら、教えていただけたらと思いまして……」
「それでしたら、ユーリと喧嘩されたせいだと思います」
「団長と?」

 ジュテファーは明らかに驚いたという顔をした。
 ローズは彼の驚きはもっともだと思った。
 ベアトリーチェの補佐だとユーリも言っていたし、二人を近くで見てきた彼からしても、二人の喧嘩はあまり想像出来なかったのだろう。
 ユーリもベアトリーチェも、血気盛んな人間も多い騎士の中では、どちらかと言えば落ち着いた部類の人間だ。

「……かしこまりました。ありがとうございます。では、喧嘩の原因などについては団長からお窺いしますね」
 ジュテファーはそう言うと、ぺこりと頭を下げた。

「本人からは聞かなかったのですか?」
「兄様はあまり自分のことは話されないので。……それに、父様も母様も心配されていたので」

 ジュテファーは苦笑いした。どうやらベアトリーチェはユーリだけにだけでなく、弟や養父母に対しても秘密主義な所があるらしかった。

「そうなんですね」
「お話のところ、申し訳ございませんでした。では、僕はこれで」
 ジュテファーはそう言うと、綺麗に一礼してローズに背を向けてその場を後にした。

「今のは……」
 その姿を、アルフレッドはじっと見つめていた。

「副団長、ベアトリーチェ・ロッド様の弟のジュテファー・ロッド様です。兄が怪我をして帰ってきたから、心配されたのでしょう」

 ローズは最近ユーリと長くいたせいで、アルフレッドに対してもついつい丁寧な言葉で話していた。
 騎士の言葉は、そもそもローズにとっては仮面に過ぎない。

「怪我……?」
「はい。ユーリと喧嘩して、殴り合いになったようで」

 昨日の事もあってか、ベアトリーチェはその日も騎士団には来てはいなかった。

「そう……ですか……」
 ローズの返答を聞いたアルフレッドは、少しだけローズから顔を背けた。
 だからローズには分からなかった。その時の彼が、どんな表情をしていたのかは。



「誰ですか!!!」

 その夜、薔薇園で過ごしていたベアトリーチェは、ガラスの向こう側に人の気配を感じて叫んだ。

「この花を傷付ける人間相手に、私は一切容赦はしません!」

 ベアトリーチェは剣を抜く。
 ガラスの向こう側の人間に向かって、地属性の魔法を発動させる。
 ぼこぼこっという音がして、土の棘が『誰か』に向かって攻撃する。
 植物園の職員が、この時間ここに居る筈がない。
 だとしたら『誰か』は、犯人と考えるべきだ。ベアトリーチェは犯人を捕らえようとしたものの、動きが思ったより早く捕まらない。けれどベアトリーチェの攻撃がその人物を掠めかかった時に、僅かに犯人の石に手が触れたらしかった。
 微かな光が夜の暗闇を照らす。

「待ちなさい!」

 一瞬魔法を発動させて、暗闇の影は夜に再び隠れてしまった。
 ベアトリーチェは追いかけるのを諦めた。そして薔薇園の扉の前に、盗み出されたいくつかの青い薔薇が落ちているのを拾い上げて、彼は顔を顰めた。

 ――やはり、あれは犯人だった。さっさと仕留めておくべきだった。

 ベアトリーチェの表情は厳しかった。
 王子の暴行に、国の研究施設への無断侵入。こんな罪を犯す人間は罰を受けるべきで、死罪に処されても文句は言えない。
 早く犯人を突き止めなくては――そう思ったが、一瞬行使されただけの魔力を辿るのは、ベアトリーチェでも難しかった。
 もっと小さな魔力でも、辿る魔法道具でもあれば――……。

「魔力の残滓を辿る……?」
 ベアトリーチェはそう考えて、ローズが話していたリヒトの発明品を思い出した。

 夜。
 一人騎士団に戻ったベアトリーチェは、リヒトが作ったという眼鏡を手にして、そして示された犯人の正体に、声を震わせた。

「――まさか。まさか、こんなことが……。どうして。どうして貴方が……?」

 ベアトリーチェは胸をおさえた。
 真実を受け入れられない。

「――アルフレッド……!」

 リヒトの作った眼鏡は、発動されかかっただけの僅かな魔力をも可視化する。
 その結果、真相は明らかになった。

 アルフレッド・ライゼン。
 彼が、この全ての事件の犯人だと。



 翌朝、ローズとユーリが植物園へ行くと、ベアトリーチェは何故か不在だった。
 昨夜も侵入者が出たということで、施設の中は慌ただしい。

「昨夜も侵入者がでたのですか……?」
「いや、でもそんな報告は」

 二度目の侵入。その時すぐ試せば、リヒトの道具は使えたかもしれないのに。
 ローズはそう思ったが、すぐにその考えを否定した。

 ――いや、違う。リヒトの発明品を評価していた、あの彼が試さない筈はない。

 彼は、リヒトの作った道具がユーリの部屋にあると知っている。
 ローズは、二人が喧嘩をしたときにユーリの部屋の片づけをしていたから、部屋に散乱したものの中にリヒトの発明品もあったことには気付いていた。
 優秀なベアトリーチェが、気付いていないというのは考えづらい。

「ユーリ。貴方の部屋の入室記録の確認は出来ますか?」
「はい。勿論それは可能ですが……」

 もし彼が部屋を訪れたという記録が残っていれば、ローズの予想は確信に変わる。
 彼は誰かを庇うために報告をしなかったのだ。
 きっとそれは、この事件の犯人。

 ――犯人は彼にとって身近な人だと言うの……?

 ローズは顔を顰めた。だとしたらそれは、あまりに酷い行いだ。
 大切な初恋の相手の分身のような存在を、身近な相手に傷付けられたのと同じなのだから。

「ローズ様、『天剣』殿」

 植物園の門の前で話をしていると、名前を呼ばれて二人は驚いた。
 呼び止めたのが、ベアトリーチェに『アンクロット』と呼ばれていた男と、ジュテファーによく似た顔の男性だったから。

「ローズ様、『天剣』殿。私はレイゼル・ロッドと申します」

 変わり者のロッド伯爵。
 ローズがずっと名前しか知らなかった彼は、ローズを前に一礼した。

「申し遅れました。私は、メイジス・アンクロット。この植物園で、職員を務めております」

 その横に立つのは、普段のベアトリーチェと雰囲気が似たあの男。彼も自己紹介を終えると、二人に頭を下げた。

「お二人に、お話しておきたいことがあるのです。――あの子は、きっと話さないだろうから」
「……あの方は、一人で何もかもを抱え込もうとする方ですので」
「あの子が認めたお二人に、本当のことをお伝えします」

 そう言うとレイゼルとアンクロットは、どこか寂しげな顔で笑った。

 レイゼルとメイジスは、ローズとユーリを植物園の中へと招き入れた。
 植物園は騎士団とは違い、植物のための光を取り込めるようなガラスを使った建物が多くあった。

 二人が案内されたテーブルにはタイルで美しい絵が描かれており、ローズは管理者の品位を感じた。
 ベアトリーチェ・ロッドという人物の印象は、やはり騎士というよりも、こちらの方がローズのイメージに近かった。

 ローズにユーリ、レイゼルの三人は同じテーブルを囲み、メイジスはハーブティーを入れた。
 ハーブティーを一口飲んで、ローズは少し驚いた。
 何故ならそれは、以前ベアトリーチェが自分に淹れてくれた味や温度と、全く一緒だったからだ。

 レイゼルは植物の描かれたティーカップに少し口を付けると、静かに話を始めた。
 変わり者の伯爵ときいていたから、もっとおちゃらけた人物かとローズは思っていたが、レイゼルは呼び名とは異なり、ベアトリーチェと同じく礼節と厳しさを持ち合わせる紳士だった。

「あの子が産まれたのは、今から二六年前の冬の日でした。当時、平民の治療が薬学のみで、貴族の治療と言えば光魔法を用いるのが当たり前だった時代に、私は貴族の光魔法と平民の薬学などを統合させた新しい学問を設け、光魔法の代わりに安価で効能の高い薬を普及させようとしたことで、周りから変わり者と呼ばれておりました。この国ーーいいえ、この世界において、魔力の差による格差や待遇の差は当然のものとして受け入られている。私はそれを無くしたいと思い自分の財を使い研究を行い、幸運なことにそれは功を為し、私は大きな財産を得るととともに、国王陛下から私の研究を国家で執り行うことを許されるまでになりました。そしてある寒い雪の降る日にある夫婦が、私の屋敷の門を叩きました」

 彼は僅かに目を細めた。

「『子どもが息をしていない。どうかこの子をお助け下さい』それは、とても無理な願いでした。私がいくら医学・薬学の研究者であると言っても、生きている人間に対するものでしかない。死の淵にある子どもを蘇らせることが出来るとしたら、それは神に近しい行いです。そのようなことは光魔法においてしか行えず、神殿の巫女――そのうち最も高位とされる『光の巫女』でしか叶えられないような願いでした」

 『光の巫女』
 それはローズが生まれた頃に亡くなったという、神殿の最高職にいた人物だ。
 彼女が亡くなったからこそ、ローズはレオンとギルバートの生命維持魔法を担うことになった。

「しかし、『光の巫女』が光魔法を使うのは、王族に危機があった時。そう法で決められています。ですから、彼らの願いは叶わない。当時の私はそれをすぐに伝えることが出来ず、せめて子どもが安らかに眠れるようにと、二人を神殿へ連れて行きました。ですが、不思議なこともあったものです。神殿の前にはすでに『光の巫女』が私達をお待ちになっており、そこには国王陛下までもがいらっしゃったのですから」

 想像もしなかった光景。レイゼルは過去を思い出して目を伏せた。

「曰く、『この子どもはこの国の未来を変えると予言された。よってこの子どもの蘇生を、国家は認めるものとする。しかし、対価は支払ってもらわねばならない』」

 ローズはリヒトからベアトリーチェの蘇生の話は聞いていたが、まさかその場に国王自ら居たとは思っていなかった。

「夫婦は泣いて喜びました。彼の治療費は特別に後納が許され、一生をかけて対価を支払うと二人は言いました。子どもは息を吹き返し、冬だった筈の王都は緑に包まれました。一度は失われたと思った命。もう二度と子どもにこのようなことが無いように、性別とは逆の名を与えることで魔を祓うという言い伝えから、夫婦はその男の子に女の子の名前を与えました。『ベアトリーチェ』という名前を」

 ユーリはずっと疑問だった。
 エアトリーチェの名前が、女性名の理由。それは彼の出生のせいだったということを、ユーリは初めて知った。

「彼は健康に育ちました。人より成長が遅かったことは夫婦の心を悩ませましたが、そんなこと、一度味わった絶望に比べたら些細なことでした。夫婦は彼に何の心配もなく育つことを望んでいましたが、魔力を使える器の大きさは一五歳程度で決まる。年々魔力が強くなる彼は、やがて自分が、他の子どもたちとは違うことに気付いたようです。自分の為に両親が休みなく働くのを見ていられなかったのもあるのかもしれません。聡い彼は若干六歳という齢で私の屋敷の門を叩き、働かせてほしいと言ってきました」

 平民の子どもが幼い時から働くことは多いが、六歳で働くというのはそれでも早い。
 それに自分の価値をわかったうえで、伯爵家を訪れるのは子どもとして異質だ。

「彼は私の仕事を手伝うようになりました。優秀な子で、彼は一度教えたことはなんでもすぐに覚えてしまうような子でした。勿論私の知らぬところで懸命に努力を重ねていたのかもしれない。自分の精一杯で私について来ようとする彼を、私はいつからか自分の後継に相応しい少年であると思うようになりました。当時私の妻との間に子はおらず、妻も彼を気に入っておりましたので」

 レイゼルは苦笑いする。

「彼が一〇歳になった頃。私は、彼を騎士団に欲しいという当時の騎士団長からの言葉を受け、彼に騎士団の入団試験を受けさせました。騎士団に入れば、魔法を使うための石が貸し出される。魔力が強いとはいえ、彼は魔法を使うための石を持っていなかった。私からの援助で、石を購入するのははばかられたのでしょう。彼はより大きな魔法を使えるようになりたいと考えたのか、騎士団に入団を決めました。大きな魔法を使える人間ほど、収入が多いのも常識ですから。夢のない話、子どもらしくないと思われるかもしれませんが、昔から彼はそういうところがありました」

 お金の為に、彼は騎士になった。
 それは、ローズやユーリのはじまりとはまるで違うものだ。

「そんなある日のこと。彼はどうやら、一人の少女と出会ったようでした。男爵令嬢『ティア・アルフローレン』。彼女は少し変わった貴族らしくないご令嬢で、彼の好意を受け入れているようでした。私はそれを微笑ましくも思っていました。彼は魔力が高い。平民という身分であっても、魔力の高い者との婚姻を望む貴族は大勢います。それに彼は騎士にもなり、私の研究施設でも働いている。確かに平民であれば一生かかっても返せないような彼の治療費も、彼が今後地位を得て、まじめに働けばいずれ完済は可能でしょう。予言もあったことから、彼の治療費は通常よりはだいぶ抑えられていましたから」

 レイゼルは言う。
 確かに、国を変えると予言された人物に、額そのままの治療費の請求は出来ないだろう。
 しかし、彼にまだ何の功績もない以上、国が何の対価もなく彼を治療することを認めることは、出来なかったに違いない。

「彼が一三歳になるころ。私と、彼の実の両親の間に子どもが生まれ、彼は二人を弟のように可愛がっていました。けれど息子は魔法が使えず、私は彼をより養子に欲しいと思うようになりました。しかし何度言っても、彼は頷いてはくれなかった。優しい彼ですから、自分が私の息子を傷付けると思ったことも、彼が申し出を断った理由にあるのでしょう。でも一番の理由はそれではなかった。もし伯爵家に入ったなら、行き来はどうしても制限される。彼は家族を愛していた。その繋がりを失いたくないと思っているようでした。そんな時……」

 レイゼルは眉間に皺を作った。

「ある日この世界に『精霊病』という病が現れ、彼の愛した少女はその病に罹りました。光属性に適性があった彼女はそれを予知していたのでしょう。彼が一六歳になり彼女に求婚した際、彼女は彼の申し出を断ったそうです」

 光属性は、先の道を明るく照らすように未来を視ることが出来る人間も居るという。
 ローズにその能力は現れなかったが、歴史書の中には、はるか遠い未来を予知する人物がたびたび登場する。
 『先見の神子』と呼ばれるその存在は、千年先の未来さえも見通すことが出来ると言われている。

「当時のことは、私の方が詳しいので話を変わらせていただきます」

 伯爵の後ろに控えていたメイジスはローズとユーリに軽く頭を下げた。
 少し伏せた目をゆっくり開ける。その動作は、ベアトリーチェの癖によく似ている。

「あの方が一六歳だった当時、私は妻を亡くした後に魔法が使えるようになり、騎士団に入団を許されてから初めての部下となりました。あの方は想い人に振られたばかりで毎日酒屋に入り浸り、彼女に再び求婚しては断られるという生活をなさっておいででした。私は注意しつつ見守っておりましたが、ある日彼女はあの方の目の前で倒れられてしまいました。自分の求婚を断っていたのは、病気のせいだった。そのことを知ったあの方は、より彼女に強く思いを寄せられましたが、結局彼女は亡くなり、その後のあの方はまるで抜け殻のようでした」

 彼の語る全ては、二人の知る今のベアトリーチェとは全く結びつかない。
 求婚を断られてやけ酒なんて、ローズに振られた時の自分のようだとユーリは思った。

「どんなに悲しみを抱えても、時は過ぎてゆくものです。ある時騎士団に盗賊の討伐の命が下り、私達はそれに参加することになりました。これまでのあの方であれば、一瞬で片付けられるような相手。でもあの方は、死を望んでいたのかもしれない。敵の剣をその身に受けようとして、庇った私は腕と剣を失いました」

 メイジスはそう言うと、長い服の袖を捲った。

「義手……?」
 彼の左手は、人の手とよく似せてはいるものの、肌の質感などまるで感じられない冷たさがあった。
「はい。……失った腕の代わりに、あの方が私のために作ってくださいました」
 メイジスは服を戻した。

「この事件があり、あの方は自分を変えようと思われたようです。それにその後、あの方の実の弟が少し重い病にかかり……命を助けるには、治療費を支払う必要があった。それは予言のあったあの方とは違い後納が許されず、あの方は自分が伯爵家に入る代わりに、伯爵様に治療費を借りることをお願いされたそうです」

「あの子は、誰かに借りを作るのが苦手なようで。私のところに来て、そう申し出たのです。……彼が欲しかった私は……それを受け入れました」
 彼は自分の跡継ぎに、ベアトリーチェが欲しかった。だから彼自身からの申し出を受け入れたのは仕方がないのかもしれない。
 でもそれは、家族を思うベアトリーチェにとって、どれほど苦しい申し出だったことなのかは、想像に難くない。

「実の弟を助けるためにあの方は伯爵家に入り、弟は無事助かったそうです。そして埋葬された彼女の墓の上には、あの方の魔力で咲く『屍花』が咲き、もう二度と同じようなことが起きないように研究がすすめられました。『屍花』は古くから、亡くなった人間と同じ病の特効薬になるということが指摘されており、青い薔薇は最も『精霊病』に有効と考えられたためです」

 屍花が、死者の死亡理由の特効薬になる可能性が高いこと。
 これは、ローズは彼の話の後調べて知っていた。でもだとしたら余計に、彼に背負わされるものは残酷だ。
 愛した少女の遺した希望は、彼女自身に使うことは出来ないのだから。

「研究は認められ、その功績によってあの方は報奨として、自らに課せられていた治療費の返済を免除されました。しかしあの方は、今も毎月実のご両親に給与の一部を送られています。二人の息子を助けるために働いた実の尾ご両親が、体調を崩されたというのもあるでしょう。自分の罪をあがなうかのように、正式に伯爵家に入られてから、あの方はもうずっと前から、本当のご家族には会われていない」

 ――恩返し。
 それは子どもとしての、償い。日々忙しい生活を送る彼の、唯一の繋がり。
 お金で引き離された家族が、今はお金のみによって家族と結びつく。
 弟を助けるためとはいえ、実の両親より伯爵の手をとった。会わない選択をしたのは彼らしいともいえる。
 ユーリとローズは、二人の話を聞いて何も言えなかった。
 自分たちが調べていたことが、彼が知られたくないと思った過去が、そんな悲しいものだなんて二人は思ってもみなかった。

 二人だって、家族を、幼馴染を失いかけたことがある。
 そのためにローズは、これまで必死に生きてきたという自負がある。
 けれど結末だけ考えれば、今の彼女の周りにはいつだって大好きな家族が居る。
 ローズの母は彼女を生んですぐ亡くなってはいるものの、母親代わりのようなところもあるミリアは、いつだってローズを守り、愛してくれた。
 ベアトリーチェの抱える苦しみの全てを、きっと自分は分からない――そう思うのは、ユーリもまた同じだった。

「『天剣』殿」
「は、はい」
 ユーリは慌てて返事をした。
 ベアトリーチェにどことなく似た雰囲気のメイジスは、そんなユーリに微笑んだ。

「私が腕を失って少し経って、貴方の入団試験をあの方は受けもたれた。そして貴方に『天剣』の名を与え、数年後貴方を騎士団長に指名された。あの方は、貴方を選ばれたのです。――そして、ローズ様」
「はい」

 返事をして、ローズはじっとメイジスの目を見た。そして、彼の前に居る伯爵を。
 視線に気付いて、伯爵はローズに静かに頭を下げた。
 その時ローズは、今のベアトリーチェは、まるでメイジス・アンクロットの優しさと、レイゼル・ロッドの厳しさを合わせた人物のように思えた。

「あの方から、幸福の葉を受け取られた貴方だからこそ、私は貴方を信じています」
「?」
 メイジスの言葉の意味が、ローズにはよくわからなかった。ただ、続けられた言葉に、彼女は息を飲んだ。

「なぜならあの方に幸福の葉を最初に渡されたのは、他ならぬティア様なのですから」

 そう言うと、メイジスはふわりと笑った。
 そうして深く、頭を下げる。

「これが、ベアトリーチェ・ロッド。いえ、ベアトリーチェ・ライゼンの、これまでの人生の全てです。あの方は、優しい方なのです。でもだからこそ、いつだって自分を責めていらっしゃる。お願いします。あの方を――どうか救って差し上げてください。そうしないとあの方は、きっとすべて自分一人で背負おうとされてしまう。それを防げるのは、私たちではない。貴方たちだと私たちは思っております」

 私たち。
 メイジスの言葉を、不敬だとレイゼルは言わなかった。
 ただ彼も同じように二人に頭を下げて、たった一人の子どもの様な青年の、幸福を願う言葉を口にした。


「お願いします。――あの子を変えることは、私たちでは出来なかった。どうかあの子を、守ってやってほしいのです」
「ライ、ゼン……?」

 メイジスの口にしたベアトリーチェの旧姓に、ローズは驚きを隠せなかった。

「……まさか。彼の血の繋がった本当の弟は、アルフレッド・ライゼンなのですか?」

 なぜリヒトから指輪を奪った人間が、指輪を鍵だと知っていたのか――その理由が、ずっと誰もわからなかった。
 でも、魔王討伐の際アカリの話をする時に、アルフレッドはこう言っていた。
『盗み聞きならお任せください!』
 そしてローズがベアトリーチェによる招集を受け、会議に参加することになった時、アルフレッドはとても驚いていたのだ。

『なんでローズ様が……』

 不自然な彼の言葉。
 そして今回、二度目の侵入は、ローズが彼にベアトリーチェの負傷を伝えてすぐのことだ。
 いつもにこやかに笑う彼の影。
 ローズは知っている。彼の魔法属性が、彼の印象とは全く異なるものだということを。

「まさか……」
 ローズは顔を顰めた。
 でも犯人が彼だなんて信じられない。大体あの日、彼は他の騎士たちとずっと一緒に居た筈だ。

「ユーリ。ライゼンはあの日、ずっと貴方たちと一緒に居たのですよね?」
 ローズはユーリに尋ねた。

「……あの日。ローズ様のお帰りが思ったより遅かったので、アルフレッドを迎えにやらせたのです」
 ユーリは静かに答えた。

「何故青い薔薇を狙ったかはわかりませんが、彼なら犯行は可能です」
「……ッ!」

 ローズは息を飲んだ。
 それは、その場に居なかったローズやベアトリーチェが知り得なかった情報だ。

 灯台下暗し。
 架空の敵《はんにん》を追いかけても見つからない筈だ。
 その人物はずっと、自分たちのすぐ近くに居たのだから。

「それでは、犯人、は……」

 ローズは、ベアトリーチェを思う二人の大人たちの顔を見た。
 彼らは否定しなかった。ベアトリーチェを見守ってきた彼らには、彼が庇う人物というだけで、対象が絞られていたのかもしれない。
 彼の実の両親が指輪を鍵だと知る筈はない。

 だとするなら。
 答えは、ただ一つだ。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 その後公爵家に寄ったローズとユーリは、城下の警備をしていた騎士たちを、騎士団へと呼び戻した。

 「ローズ様?」
 先に騎士団に戻っていたアルフレッドは、ユーリと共に自分の前に現れたローズに、いつものように笑みを浮かべた。

「どうかされたのですか?」
 アルフレッドに反省の色は見えなかった。
 ローズは、そんな彼に聖剣を向けて言い放った。
 ――貴方の命は、こちらの手中にあるという意味も込めて。

「アルフレッド・ライゼン。王族への暴行及び指輪の強奪、並びに国の研究施設への侵入及び第一級指定薬『青い薔薇』の窃盗容疑により、貴方を捕縛します」

 アルフレッドは動かない。
 ローズは冷たく彼を見下ろしていた。真っ赤な薔薇の様な瞳は、圧倒的な強者であることを彼に理解させるには十分だった。
 アルフレッドの額にジワリと冷や汗が滲む。

 ――反論が無い。やはり、彼が犯人か。
 ローズが溜息を吐いて、彼に向けた剣をその喉元に向けた時。

「待ってください!」

 響き渡った声に、騎士たちは目を丸くして声の方を見た。
 クリスタロス王国騎士団副団長。
 ベアトリーチェ・ロッドは、見ない間に少し痩せたようだった。

「違います。……その子は、この子は何もやっていません!」

 彼はそう言うと、ローズたちの元へ走った。
 その様子はいつも冷静だった、これまでの彼とはどこか異なる。

「花は。……花は、私が自ら持ち出したのです。リヒト様がお持ちの指輪の危険性をみなに知らしめるために、全て私がやったことです」

 彼はそう言うと、ローズの剣の前に立ち、ゆっくりと首を垂れた。

「責任は私が全部私にあります。どうか、罰するなら私を」
 頭を下げる彼の、その表情は読み取れない。
「なん、で……」

 ユーリは、彼の行動が信じられなかった。
 ローズから、ベアトリーチェがアルフレッドを庇う可能性について前もって話はされていたものの、まさかそれが現実になるなんて。

「ビーチェ! 何を言っているんだ。お前が犯人なわけがないだろう。あの時、あれほど取り乱したお前が!」
「私が、犯人だと言っているんです!」

 ベアトリーチェは下を向いたまま、ユーリの声に被せるように叫んだ。
 普段の彼とは違う強い声音に、ユーリはびくっと体を震わせる。

「……ユーリ。お願いです。責任は、どうか私に」
「ビーチェ。お前は間違ってる」
 懇願するように呟かれた彼の言葉に、ユーリは唇を噛みしめた。

「これが、お前の決断だというのか?」
 こんなのは、自分が知る『ビーチェ』ではない。

「……本当に、それでよろしいのですか?」
 剣をベアトリーチェに向けたまま、ローズは静かに彼に尋ねた。
 それは騎士というより、公爵令嬢として。
 この国の民の上に立つ、貴族としての問いだ。

「貴方がそれを認めるならば、貴方はすべてを剥奪されることになる。貴方がこれまで積み上げてきたものを、全て失うことになるのですよ?」
「構いません」
 ローズの問いに、ベアトリーチェは頷いた。

「伯爵家での地位も、騎士団副団長の地位も、植物園の管理も。本来この身には過ぎたもの。全てお返しいたします」
 その声は、ユーリが知るいつもの彼の声。
 真面目で、努力家で、それを顔には出さず、人を導く。優しく厳しい、いつもの『ビーチェ』の声だ。

「え……? 嘘、でしょう……?」

 ベアトリーチェは、今回の事件の罰をきちんと理解していた。
 驚いたのは、彼が背に庇ったアルフレッドだった。
 平民出身で、自らの行い対しに下る罰を理解していなかったアルフレッドに、ローズは厳しい口調で、アルフレッドのせいでベアトリーチェが被る罪の重さを語った。

「当然です。王族を手にかけ、連日騎士団を動かし、王都を騒がせた。そんな人間を、同じ立場にとどめておくことは出来ません」

 アルフレッドには、積み上げてきたもの全てを失ってでも、弟を守ろうとしているベアトリーチェの行動の重さを理解してもらわねばならない。

「すべて、受け入れます。どうか私に処分を」
 そのローズの意図を理解してか、ベアトリーチェは早急な処断を求めた。
 ベアトリーチェは真っ直ぐにローズを見上げていた。
 新緑の瞳は、全ての罪を背負うことを望んでいた。

「わかりました」
 ローズは静かに言った。

「……ユーリ。彼を、捕縛してください」
「……っ!」
 ローズは直接手を下さない。それは自分の役目ではないと、彼女が考えていたためだ。

 ベアトリーチェがここに来ることを、ローズは予想してはいた。
 再度侵入があったにもかかわらずそれを報告しないのは、犯人が彼に親しい人物で、庇う理由のある人間しか考えられない。
 ベアトリーチェがアルフレッドを庇う可能性は高い。
 そしてもし、ベアトリーチェが自分が責任を取ると言うのなら――ローズは彼の捕縛は、ユーリがすべきだと考えていた。
 自分は相応しくない。
 この十年、彼の傍に居たユーリでなくては、きっとベアトリーチェの心は動かない。
 ユーリに捕縛されるというのなら、ベアトリーチェの決意は揺らぐかもしれない――ローズはそう考えていた。

 けれどユーリは動けなかった。
 そしてベアトリーチェも、ユーリの捕縛を受け入れてしまいそうな様子にローズには見えた。
 わざわざ悪役を買って出たというのに、これでは何にもならない。ローズは眉間に薄く皺が刻んだ。
 その時だった。
 大きく溜息を吐いたローズが、冷たい瞳でベアトリーチェを見下ろし、捕縛の為に魔法を発動させようとした時――ベアトリーチェに庇われていたアルフレッドが叫んだ。

「……違う!」
 彼の声に、場は再び静まり返る。

「違う。違うんです。ローズ様。兄上を責めないで。兄上を捕まえないで。兄上は何も悪くない。悪いのは、悪いのは全部僕なんです!」
 アルフレッドはそう言うと、ぼろぼろと涙をこぼしながら、兄の前に立って精一杯手を広げた。

「……アルフレッド」
 ローズは静かに剣を下ろした。

「それは、一体どういうことなのですか?」
 幼い子どもに尋ねるように、ローズはアルフレッドに尋ねた。

「……幼い頃、僕には兄が居ました。その兄は、兄上は本当に優しくて、僕の家はとても裕福とは言えなかったけれど、家族四人でいつも楽しかったのを覚えています。でもある日兄上は、僕たち家族をおいて家を出ていってしまった。兄上の魔力が強いから、『貴族様』が、兄上を欲しがったから」

 アルフレッドはもしかしたら、自分の病気の治療費の対価に兄が伯爵家に入ったのを知らないのかもしれない。ローズは話を聞きながらそう思った。
 彼の実の両親が、アルフレッドに責任を感じさせないために、告げなかった可能性は高い。
 そしてそれを、ベアトリーチェ自身が望んだ可能性もある。

「僕は。僕は、もういちど兄上に会いたくて騎士を志しました。でも、兄上には新しい弟がずっと傍に居て。僕は近寄れない。そして兄上は、僕が騎士団に入っても、一度も声を掛けてくれることは無くて。代わりに、いつも新しい弟を、貴族様の子どもを傍に置いていた」

 自分と同い年の、新しい兄の『弟』。
 騎士団の人間は、そこまで身分の違いで壁を作るようなものは少ないが、会議に参加するような人間と、若い騎士の間には隔たりがある。
 騎士団副団長の彼の地位は、アルフレッドからベアトリーチェに接触するのを躊躇わせるのには十分だったはずだ。
 その彼の隣に、いつもジュテファーやユーリが居たなら尚更。

「あの日、会議にローズ様が呼ばれたとき……どうして自分じゃないんだろうと思った」

 ローズから聖剣を奪うのが目的だったが、ベアトリーチェは魔王討伐の会議にローズを呼んだ。
 自分と同じ、一騎士に過ぎない。けれど、公爵令嬢という地位を持つ彼女を。
 特別な人間しか参加出来ないそれに、自分は呼ばれないのにジュテファーやローズは呼ばれる度に、アルフレッドの心は傷付いた。
 自分と兄はもう違う人間だと、思い知らされるようで。

「近くにいるはずなのに、前よりもずっと遠く感じる。だから、兄上が大事にしているものを盗んだんです。そうしたら、少しは困るかなって思って。こんな大事になるなんて思ってなくて。僕が。僕が全部悪いんです。だから、兄上から奪わないで。兄上は、兄上は何も悪くないんだ!」

「違います!」
 涙をこぼすアルフレッドを、ベアトリーチェは再び庇った。

「この子は、嘘を吐いています。この子は何も知らない。何も、何も……!」
 でもその声は、さっきよりずっと弱い。
 そんなベアトリーチェに、ユーリは尋ねた。

「本当にそれでいいのか?」
 ベアトリーチェは答えない。

「言ってたじゃないか。魔王討伐の時、ローズ様を心配する俺に。『弟がいるから安心だ』って。その弟は、ジュテファーではなく、アルフレッド。――彼のことだろう?」
「…………」
「お前が、本当に彼を思うなら。信じているなら。今すべきことは背に庇うことじゃない。彼に自分の行いの誤りを認めさせる。それが、本当の兄としての行動じゃないのか?」

 ベアトリーチェは、今はユーリの目をまっすぐに見据えていた。
 自分が以前彼に告げた言葉を、今持ち出されるなんて思ってもみなかった。
 ユーリの言葉は正しい。
 あの時のユーリはローズのことで頭がいっぱいで聞き流していたが、ローズと一緒に居たのはアルフレッドの方だった。

「え?」
 騎士団に入ってから一度も自分に声を掛けることのなかった兄が、ユーリ相手に漏らした言葉を知って、アルフレッドは目を丸くしていた。

「兄上……?」
 彼は、自分の方を見ようとしない兄を呼んだ。
 アルフレッドは、闇属性と雷属性だ。
 対してジュテファーは、ベアトリーチェと同じ地属性。
 兄に捨てられたと思っていた彼は、ジュテファーとは違い、ベアトリーチェと同じ属性を得られなかった。
 閉ざされた心と強い怒り。
 それが、彼の魔法《こころ》。

「……全部、私の責任なのです。私が彼にこんなことをさせてしまった」

 ベアトリーチェは、静かに言う。そして漸く弟の方に向き直ると、自分とそう体格の違わない年の離れた弟を、ぎゅっと優しく抱きしめた。

「アルフレッド」
 『正解です』――その声は、ローズにそう言った時の彼の声と似ている。
 たぶんそれはきっと、この世界で最初にアルフレッドに与えられたはずの優しい声。
 弟を呼ぶ兄の声。

「名前が変わっても、どんなに遠く離れても、年をとって姿が変わり、いつか貴方が、私の背を超えてしまっても。私にとって貴方は、かけがえのない弟です」

 彼の腕に力が籠る。兄に抱きしめられたアルフレッドは、手を下ろしたまま動けなかった。

「貴方の痛みに、気付けなかった自分が不甲斐ない。離れて、また出会って、傍にいる時間が増えて。私はいつからか、貴方が傍にいるのが当たり前なように思えていた。このかけがえのない時間の幸せを、尊さを、忘れてしまっていたのです。時間が私を置いていく。みなが私を置いていく。それでも貴方だけは、私を追いかけてきてくれる。繋がっていてくれる。家族なのだから――それが、当然だと思ってしまっていた。遠くで駆ける貴方を見るたびに、私とは違う誰かと笑い合う貴方を見るたびに、私はそれを眺めるだけで一人満足して、貴方に手を差し出そうとはしなかった。それが貴方の心をどんなに傷付けていたかを考えずに、貴方に背を向けて、自分のことだけを考えて過ごしてきました」

 ベアトリーチェはそう言うと、弟から体を離し、その瞳を見て優しく笑った。
 新緑の瞳は涙にきらめく。

「許してください。アルフレッド。……私を。愚かな貴方の兄を」
「あに、うえ……」
 その時、アルフレッドの頬を、静かに涙が伝った。

「ごめんなさい。兄上、僕、僕は……!」
「わっ!」

 久々に成長した弟に遠慮なく抱きしめられて、小さな体のベアトリーチェは、勢いに押されて地面に手をついた。
 自分を抱きしめたままわんわんなく弟の頭を苦笑いしながら優しく撫でて、ベアトリーチェは兄としてユーリに願った。

「ユーリ。お願いします。全て私の責任です。ここまで騒動が大きくなってしまった以上、誰かが責任を取らねばならない」

 過去の因縁を断ち切った。すれ違っていた弟と漸く和解できたはずなのに、事件はそれだけでは収束出来ない。
 今のベアトリーチェは、ユーリの知るいつもの彼に見えた。
 そんな彼に、自分のところに戻ってきてほしいと言いたいのに言葉が出ない。

「ビーチェ……」
 ユーリは、微笑みを浮かべる相手の名を呼んだ。
 出会ってから十年間、ずっと呼び続けた呼び方で。
 初めて出会った時は入団試験。
 今より少し小さかったベアトリーチェを、ユーリは年下だと思って話しかけ、周りの大人たちに叱られた。
 けれどベアトリーチェはそれを許して、自分を『ビーチェ』と呼んでほしいと言った。だからユーリも、自分のことを『ユーリ』と呼んでいいと言ったのだ。
 出会ってからずっと、何故かベアトリーチェはユーリの傍に居続けた。

 『地剣』と『天剣』。
 『天剣』の名を与えたのはベアトリーチェだ。自分とは真逆の二つ名を、彼は自分を負かしたユーリに与えた。
 ずっと傍で見守って、いつだって導べのように居てくれたのに――ユーリは、こんなふうに彼が自分から離れていくなんて思いもしなかった。
 どんなに失敗しても、ベアトリーチェがいたからユーリは、騎士団長でいられたのだ。ユーリにはそう思った。
 自分は未熟だ。未熟な自分はまだ、彼無しではいられない。

「嫌だ。こんな……こんなふうに、お前と」
 失いたくない。でも、自分じゃ守れない。

「……ユーリ」
 ローズは泣きそうになっている幼馴染の名を呼んだ。
 ベアトリーチェを守ってほしいと告げられた二人だが、結局のところ二人に、今の彼の願いの全てを叶えてやることは難しかった。
 二人が出来るのは、どんなにそれが厳しい結末だとしても、ベアトリーチェに自分は無実だと言わせることだけだ。でもその場合、彼が守りたいと願うアルフレッドの罪は免れない。
 彼が家族との繋がりを断ってまで助けた弟を、彼自身が手を離すことで失う結末にしか、今のローズやユーリでは導けないのだ。

 ――どうしたらいいの……?
 ローズは悔しくてたまらなかった。魔王を倒しても、『聖剣の守護者』なんて大層な名で呼ばれても、目の前の仲間一人すら助けられない。
 確かに彼は悪いことをした。許されないことをした。
 でもその心は、決して悪人というわけではない筈なのに。
 すれ違った時間と思いが生んだ今回のことを、帳消しにすることは無理だ。
 たった一人を除いては。

「責任は俺が取る」

「リヒト様!?」
 ローズは振り返り、慌ててリヒトに駆け寄った。
 まさか彼がここに来るなんて彼女は思ってもみなかった。
「どうしてこちらへ……」

「城下にいたはずの騎士たちがほとんどいなくなったから、指輪が見つかったのかと思って」
「それは……そうですが……」
 
 彼にしては珍しく正しい判断だ。相変わらずガラクタを抱えてはいるが。

「元々、俺が指輪をなくしたのは王都の全員が知っているんだ。俺が落として、騎士団に迷惑をかけただけだと思わせていればいい」
「でも、それでは……」

 リヒトの評価が、更に落ちてしまうだけだ。
 ローズは苦い顔をした。

「どうせ低い評価だからな。今更下がっても、そう変わらないだろ」
 そんなローズに、リヒトははあと溜息一つ吐いて言う。

「俺がドジを踏んで落とした指輪を拾った子どもがいて、偶然同じ時に鍵の開いていた施設に入ってしまった人間が居た。そこで見つけた綺麗な花をついつい持ち帰ってしまった。どうだ? これなら、文句はないだろ?」
「…………」

 リヒトの提案に、騎士団は静まり返る。
 指輪が鍵ということは明かせない以上、多少強引だが説明するならそうするしかないのは確かだ。
 ――でも。

「よろしいのですか?」
「国民を守るのが王族の務めだ」

 彼の言葉はあっているようで、今使うのは多分間違っている。罪を代わりにかぶるのが王族の務めだなんて、ローズは聞いたことがなかった。

「でもまあ」
「いたっ!」
 リヒトは、謎の物体で泣いていたアルフレッドの頭を叩いた。

「何するんですか!!」
「身体強化の魔法道具、意外と使えたな」
 彼の発明品らしき謎の物体は、ハンマーの先が拳のようになっていた。
 半泣きだ。アルフレッドは頭を押さえつつ、リヒトを睨みつけた。
 
「拾ったものはすぐに届け出るべきだ。悪いことをした子どもには反省が必要だろ」
 リヒトはふふんといたずらっ子っぽく笑う。

「お前、俺のこと本気で殴っただろ。俺は数時間目を覚ませなかったんだから、これでおあいこだ」

 リヒトは自分の決断を、微塵も後悔していないようだった。
 ただ、この騒動のすべての責任を一人で背負い、かつ犯人に対してこれだけの処罰というのはあまりに軽い。
 ローズはじっとリヒトを見つめた。

「……なにか言いたいことがあるのか?」
「リヒト様……」

 ローズはリヒトにどう言葉をかけるべきか迷った。
 すぐに「ありがとう」が出てこないのは、今回の発端が彼のせいというのもあるけれど――彼が持つ荷物が、相変わらずガラクタすぎるように見えるせいだ。
 そして理由はもう一つ。

「たまには役に立つのですね」
「ローズ。……お前、やっぱり俺のこと馬鹿にしてるだろ」
「リヒト様が頓珍漢なのは、本当のことではありませんか」
「う……っ」

 言い返せない。
 一応自分としては、王族として民である子どもを守ったつもりのリヒトは、そりゃないだろと一人思った。

 ローズは傷付いた様子のリヒトをじっと見つめていた。
 リヒトは自分の言葉で落ち込んでいるようだった。ここ数カ月、彼の言葉に傷付いてばかりのローズは、小さな復讐は叶ったように思った。まあ蛙事件でも、軽く報復はしていたが……。
 気分が晴れた。だからローズは、今度はリヒトに向かって礼を言うことにした。

 今回のこと、彼でなければこの結末には導けなかった。
 そのことに、心からの感謝を込めて。

「でも。……友人を、助けてくださってありがとうございました」

 ローズの心からの笑みに、リヒトは思わず胸をおさえて視線をそらした。
 リヒトは自分の気持ちが分からなかった。
 自分が好きなのはアカリのはずなのに――どうして自分は、こんなにもドキドキしているんだろう?
 ローズがリヒトに対してこういうふうに笑ったのは、彼が彼女に指輪を渡したとき以来だった。
 困惑するリヒトを置いて、ローズはアルフレッドに駆け寄った。

「ローズ、様……」
 騎士団の騎士たちを、ローズは基本姓で呼ぶ。この国で、公爵令嬢が平民相手に名で呼ぶことは珍しい。
 ただ、今の彼女は――。
 リヒトに殴られて頭を押さえる彼のことを、前よりも親しい呼び方で呼びたいと思った。
 この騎士団で出会った、新しい自分の『友人』として。

「ライゼン。……いえ。これからは、私も『アルフレッド』とよんでも良い?」
「……はい! ローズ様!」

 ローズのその提案に、アルフレッドは目を輝かせた。
 そんな彼に、ローズは優しく微笑んだ。
 ローズに弟はいない。けれどもし弟ができるなら、彼のように真っ直ぐに、自分に好意を向けてくれる子がいいとローズは思った。



「リヒト様」
 ローズとアルフレッドが友好を深めている間、ベアトリーチェはリヒトに声をかけた。
 以前騎士団で自分を蔑み、再三指輪の返還を求めた相手を前に、リヒトは少し顔を曇らせた。
 怒られるのではと一歩退くリヒトを前に、ベアトリーチェは深く頭を下げた。

「寛大なご配慮、感謝いたします」

 まさか彼に頭を下げられる日が来ようとは――リヒトは自分より小さいベアトリーチェを、少しびくつきながらその光景を眺めていた。
 リヒトはベアトリーチェに対して苦手意識があった。
 ベアトリーチェは、どことなくローズに似ている。
 そして案の定、顔を上げたベアトリーチェは、リヒトに厳しい現実を告げた。

「リヒト様。指輪はもうお返しできません。同じようなことがあれば困りますから」
「わかってる」
 国を守る騎士として、そして次期伯爵として言葉。リヒトは、ベアトリーチェの諫言を聞き入れた。

「今回のことには俺に責任があるのは確かだし、俺のことは俺でなんとかする。……まだ、どうしていいかはわからないが……」

 リヒトはそう言うと頭を掻いた。
 そんな彼の言葉に、ベアトリーチェは微かに笑う。
 ――この方は、私の言葉をきちんと聞いて下さる。
 そう、思って。
 人は自分の行動の誤りを指摘された時、それを受け入れることは難しい。そしてそれは地位が高い人間ほど難しくなり、諫言を聞き入れない王の周りには彼を褒め称える者ばかりが集まり、やがて国家は腐敗する。
 だからこそ今回のリヒトのように人の意見を聞けることは、人の上に立つ者にとって重要な資質だとベアトリーチェは考えていた。

「リヒト様」
 ベアトリーチェは静かにその名を呼んだ。

「どうかこれからの私の言葉は、貴方に助けていただいたことを感謝したうえでの言葉と思ってお聞きください。今回のこと、貴方にも責任はある。ただ、私が貴方の作ったもので真実を知ったように、貴方がこれまで培ってきたことは、決して無駄ではないと思う人間もいることは確かです」

 努力で埋まらない才能の差は確かにある。
 でもこれまでの彼が培ってきたことはきっと、その心にだってあらわれているはずなのだ。
 他人の咎を背負うことを選んだ彼がもし王になったなら、きっとレオンとは違う王になれる。

「それはきっと、レオン様に対抗する貴方の武器になる」

 一〇年間のこの差が、どう影響するのか。
 ベアトリーチェはもう少しだけ、この愚かな少年の成長を、見守りたいと思った。

「私は、貴方がたのどちらが王に相応しいかと聞かれたら。今はやはりレオン様だと思っています」

 国を守る王は、魔法を使えるものが相応しい。
 今のリヒトを、民は王にとは望まない。

「ただ。もし貴方がこの国の王になられたらその時は」
 ベアトリーチェはそう言うと、リヒトの前に膝をついて頭を垂れた。
 それはレオンが目覚めた日、彼がレオンにしたように。

「――私は、貴方の為に戦いましょう」



「ビーチェ」
 リヒトとの話を終えたベアトリーチェに、ユーリは声を掛けた。

「すまない。お前がその姿なのを、そこまで気にしているとは思わなかった」
「……アンクロットに聞いたわけですか」
「あとはさっきの言葉から」

 ユーリは申し訳なさそうに言った。
 頭を下げる年下の上司に、ベアトリーチェは苦笑いした。

「いいです。私は、薔薇を生かし続けるためには長く生きていかなければならない。この命は、そう簡単に失っていいものではないんですよ」

 今回のこと、彼がアルフレッドの身代わりになろうとした理由は実はそこにもある。
 少なくとも自分であれば死罪にはならない。薔薇を生かすために生かされ続ける。ベアトリーチェはそう判断していた。

「ビーチェ……」
 遠くを眺める相棒の名を、ユーリは静かに呼んだ。
 今のベアトリーチェを見ていると、ユーリは彼のために何も出来ない自分が腹立たしく思えた。

「そのことなのですが、アカリが解決してくれるかもしれません」

「……え??」
「どういう……ことですか?」
 ローズはよく似た反応をする二人にふわりと笑って、自分の後ろに居たアカリの方を見た。

「魔王の核を砕いた欠片は、闇の魔法により汚染されていました。それを浄化することは、私では出来なかった」

 騎士団に来る前、ローズはアカリに手紙を出していた。頼んでいた物を持ってきてほしいと。

「ええと。ローズさんに頼まれて、ずっと浄化の訓練をしていたんです。それで今日、やっと浄化が出来て。この欠片は、式を書き込むことは出来ません。でも――魔力の保存は、可能です」

 アカリの手には、布一杯にきらきらと輝く石の欠片が握られていた。
 ベアトリーチェは目を見開いた。
 『光の聖女』は碌に光魔法が使えない。だから彼女が石を浄化することは、不可能だと思っていたのに。

「ベアトリーチェ様」
 ローズは優しく彼に微笑む。

「貴方の魔力が傍にあれば花は咲くというのなら、これで代用は出来ませんか?」
 それは、ベアトリーチェが薔薇の守護者として許されなかった死が、今後許される可能性を与えるものだった。
 長い終わりのない時を一人生き続ける。
 そんな彼に、人生の終幕を。

「ベアトリーチェさん。私、自分の選択が、自分の勇気が、運命《みらい》を変えることが出来るって、そう信じたいと思うんです。私はまだ、上手く魔法を使えない。でもだからこの欠片が、貴方の未来を切り開く力になるなら、私はとても嬉しい」

 アカリはそう言うと、ベアトリーチェに微笑んだ。

「……アカリ様、ローズ様……」
 ベアトリーチェはアカリからそれを受け取ると、震える手で布を握りしめた。
「……ありがとう……ありがとうございます……!」
 泣きそうになるベアトリーチェにつられて、見守っていた騎士たちは泣いていた。

「……あと、もう一つ」
 そんな中、ローズは子どものように笑って、ベアトリーチェが握りしめていた布を結んで、ユーリに手渡した。
 ベアトリーチェもユーリも目を丸くした。
 実はローズにはベアトリーチェのために、用意していたものがもう一つあったのだ。
 そしてそれこそが、本来ローズが考えていた、ベアトリーチェ説得のための最終手段。

「以前貴方に頂いた四枚の葉の答えを、私は今貴方に返したいと思います」

 ローズはそう言うと、自分の手にあった四枚の葉のうち一枚を、ベアトリーチェの手に置いた。
 そして、赤い石の指輪も。

「ローズ、様……?」
 ベアトリーチェはローズの行動の意味がわからず首を傾げた。
 
「指輪は、貴方の溢れる魔力を抑えてくれる。おそらくその指輪を嵌めていれば、貴方は年相応の成長が出来る。でもこれだけでは、貴方が本来の姿を得ることは出来ない。そして私だけの幸運では、貴方の時は動かせない。だから」

 悪戯っ子っぽくローズは笑った。

「私は、貴方を思う人の力を借りようと思います」

 ローズはそう言うと、自身の指輪に触れて右手を高く上げた。
 それと同時に、四つ葉をくわえた白い紙の鳥が、一斉に空へと飛び立っていく。

「これ、は……?」

 ベアトリーチェは驚いて、その光景を見上げていた。
 自分がローズに渡した葉は一つだけのはずなのに。

 鳥は何百、何千にも見えた。その鳥が咥えるだけの四つ葉を、ローズがなぜ手にしているのか。ベアトリーチェはただ茫然とするしかなかった。
 そもそも紙の鳥はユーリも使うが、それはこの世界における一般的な連絡の手段ではない。
 沢山飛び立ったうちの一羽。
 白い紙の鳥は、ベアトリーチェの手の上に降りると、その身を崩して手紙へと早変わりした。
 そこに書かれていたのは。

【これは幸福(ハピネス)とよばれる植物です。
 四枚の葉のうち一枚を与えられた人間は、貴方が持つ幸運の一部を受け取ることができます。
 貴方がもし、ベアトリーチェ・ロッドの幸運を、幸福を願うなら。どうか彼に、この葉を渡してあげてください。
          ローズ・クロサイト】

「ローズ様……?」
 ローズは地属性にも適性を持っている。
 たった一つしかないものを、人に分け与えるのは難しい。
 だったら答えは簡単だ。育てる力があるならば、それを自分で増やせばいい。
 ベアトリーチェがローズに渡したのも、たくさんある一つに過ぎない。
 本当に人を思いやれる人間は、与えて枯渇するものを人に与えるわけではない。与えてもまた育つ、また増える、そんなものでなければ、与え続けることは難しい。

「植物は――種は、育てることで増やすことが出来ます」

 それはきっと、人が誰かに与える愛情《やさしさ》も同じように。種のように育つと、ローズはそう信じていた。
 ベアトリーチェは動けなかった。
 ただ自分に微笑みかける彼女から目を離せず、僅かに高鳴る胸を、彼は小さな手で押さえた。

「ベアトリーチェ様!」
「貴方に渡したいものがあるのです!」
「騎士団の門に人が集まっています!」

 鳥が飛び立ってそう時間も経たぬうちに、騎士団の門の前には人だかりが出来ていた。彼らの手には、白い紙と葉が握られている。
 ローズはアカリに手紙を出すときにも、紙の鳥を放っていたのだ。
 彼らは第一陣。その後第二陣と人は続く。

 ローズはどんな理由があろうとも、ベアトリーチェが罪を被るのはおかしいと考えていた。
 だからこそ彼女は、ここにくるより前に手紙《たね》をまいていた。
 ベアトリーチェがアルフレッドを庇い立場を捨てることは、彼を信じる者たちへの裏切りだと、そう彼にわかってもらうために。
 リヒトがアルフレッドを庇ってくれたおかげで説得の必要はなくなったが、蒔いた種はどうやら、無事花を咲かせたようである。

「これ、は……」
 十年という月日が、彼に与えてくれたもの。
 彼が願った幸福は、誰かの心で育って増える。
 そこには、メイジス・アンクロットや、レイゼル・ロッドもいる。そして彼の、生みの親である実の両親も。
 騎士団の門は開かれる。
 先頭に立つのは、ベアトリーチェがかつて、自身の未熟さのせいで剣を奪った相手。

「……アンクロット」
「言ったでしょう? 貴方は、愛し愛される人だ」
 メイジスは、そう言うとベアトリーチェに微笑んだ。

「地属性の適性は、水属性とは違う適性を必要とする。植物を育てる肥沃な大地は、決して自分だけの力だけでは作れない。地属性の適性者の多くは、愛情をかけられて生まれ育った子どもであるとされる。……貴方は。貴方が与えられた属性の意味を、もっと受け止めなければならない」

 長命とされる地属性の適性者。
 彼らの進む道には愛する人の亡骸が横たわる。愛された分だけ傷を負い、それを背負って生きることを義務づけられる。
 ベアトリーチェは十年前、そのことを理解していたつもりだった。
 けれど流れる時の中で変わることのない自分という孤独が、彼の中に再び翳りを生んでしまっていた。

「私は貴方にこの葉を贈る。不可能を可能に変えた。貴方の幸福を私は願う」

 かつてこの世界に、青い薔薇は存在しなかった。
 だからこそ、屍花『青い薔薇』が病の特効薬として認められた時、花言葉は『不可能』から『可能性』へと言葉を変えた。
 アンクロットはそう言うと、ベアトリーチェの手に葉を置いた。彼の行動に続いて、誰もが彼に葉を贈る。彼の幸運を、幸福を願って。
 気付けば彼の小さな手にそれは収まりきらず、手から溢れて落ちるほど積み重なってた。

「ベアトリーチェ様」
 全ての人が彼に葉を贈り終えたのを見て、ローズは彼にもう一度歩み寄った。

「貴方に、沢山の幸せが訪れますように」

 ローズはそう言うと、彼の指に指輪を嵌めた。
 幸福の葉は光り輝く。
 それはベアトリーチェを包み込み、ローズたちは眩しさに目を瞑った。
 長い睫毛の下で輝く新緑の瞳は宝石のよう。
 魔力を帯びる長い髪は、まるで森の木漏れ日のようにきらきらと光り輝く。
 身長はユーリよりもやや高い。長身の美男子は、ゆっくりと瞼を上げる。
 それはユーリの騎士としての高潔さや、レオンの王族として高貴さとは全く違う美しさだ。
 神の祝福を受けた彼は、人とは異なる清らかさをその身に宿す。
 ローズはベアトリーチェを見て、ぽつりこう呟いた。

「まるで、森の精霊みたいですね」 
「………っ!」

『貴方、まるで森の精霊みたいね』

 その言葉は、かつて彼が愛した一人の少女が、初めて出会った日に彼に向けた言葉と似ていた。
 病に侵されながら彼に四枚の葉を贈り、この世を去った最愛の少女の言葉に。
 ベアトリーチェは目を伏せる。
 同じ言葉を自分にくれる。それでも彼女は、彼女じゃない。
 自分が愛した彼女なら剣はとらない。
 でも自分に葉をくれた。自分の心を理解して、手を差し伸べてくれた。
 そのことが、たまらなく嬉しい。
 暗い月の光の世界に、温かな光が差し込んでくる。

「ローズ様……」

 ベアトリーチェは、震える手をローズに伸ばした。
 触れる。
 触れられる。触れられるのだ。ローズの手は温かい。
 彼女は今、ここに生きている。
 ベアトリーチェは零れそうになる涙をこらえ、下を向いて小さく笑った。
 決めていた。とある申し出を受けた時に、その少女が自分の渡した四枚の葉を、誰かに渡せる人間であれば、その申し出を受けることを考えてみようと。
 かつて愛した少女のように、誰かの幸福を願える相手なら、自分も愛せるかもしれないと。
 でもそれは、自分でなくてもよいと思っていた。
 自分はずっと彼女に対して酷い態度をとっていて、彼女が自分に葉をくれることまでは望んではいなかった。
 しかし、実際はどうだろう?
 彼女は葉を増やし、それを使って自分の時間まで動かしてくれた。
 ――きっと。同じことを自分に与えてくれる女性は、この先二度と現れない。

「ユーリ」
 ベアトリーチェは、魔王の残骸を手に自分を眺めていた相棒に声を掛けた。

「貴方のことを応援するつもりでしたが、気が変わりました」
 少しだけ、楽し気な声音で。

「は!? ……び、ビーチェ、まさか」
 十年間の付き合いだ。相手が言いたいことを察して、ユーリは慌てた。
 彼が自分を応援と言えば、それは一つしか考えられない。
 ベアトリーチェは心からの笑みを浮かべた。
 ――決めた。この心を、貴方に捧げる。

「ローズ様。どうか私のことはビーチェとお呼びください。困った時は、何でも私に言ってください。私は必ず――貴方の力になりましょう」

 ベアトリーチェはそう言うと、ローズの手の甲に口づけを落とした。
 ローズは少しだけ目を見開いた。でも、それだけだ。
 手にキスされるくらいなら、ローズは割と慣れている。

「な、な、ななななな」
 ただ、貴族ではないユーリの場合違う。
 ユーリは思わず近くに居た騎士に袋を渡して、ローズとベアトリーチェの元に駆け寄った。

「ローズ様に対して失礼だぞ!」
「そんなことはありませんよ。私はローズ様の婚約者候補ですから」
 ベアトリーチェはにっこり笑って言った。

「は?」
「婚約者?」

 ローズは自分の婚約者の話を忘れていた。
 そういえば父から忠告をされていたような。
 ――思いっきり大立ち回りをしてしまいました……。
 ローズは少し反省した。どうやら父が選んだ婚約者候補を、自分は捕縛しようとしていたらしい。

「公爵様から、ローズ様の婚約者に指名されたのは私です」

 ベアトリーチェはローズと一〇歳差だ。
 彼であれば、ローズの無鉄砲さも受け入れて守ることが出来るだろう。次期伯爵であり騎士団副団長、医学・薬学における知識は特出しており、国家研究施設の管理を任されている。地位による築かれた財産を、彼は自らの為より民のために利用する。
 ノブリスオブリージュを心得ている。
 平民の出である彼は、どんな立場の人間からも高い信頼を得る。
 彼から信じられることが、そのまま信頼へとつながる程に。
 そして特別な立場である彼ならば、魔法におけるローズの孤独を理解することも可能だ。
 通常、魔力の高い人間から魔力の高い人間は生まれやすく、ベアトリーチェもローズ同様多くの縁談を持ちかけられている。
 初恋の相手(ティア)のことがありずっと断ってきた彼だが、ローズとなら身を固めてもいいかもしれないと、今の彼は考えていた。

「ですから彼女に愛を囁いても、別に問題は無いでしょう?」
「な、な……」
「申し訳ありません」
 ベアトリーチェはユーリから目線を逸らした。

「貴方のことは好きですが、友愛と恋愛は別物です。ユーリ」
 申し訳ありませんと言いつつ、ユーリを窘めるような声の響きは、大人の余裕を感じさせるものだった。
 ユーリは唇を噛んだ。
 ――ここで怒ったら負けだ。耐えろ、ユーリ・セルジェスカ……!

 今にも爆発してしまいそうなユーリを見てくすくす笑いながら、ベアトリーチェは指輪を外すとローズの手の上に置いた。

「戻られてしまうのですか?」
「ええ。この姿でなくては戦えないなら、私は今の姿のままでいい」

 そもそも、ベアトリーチェの強さは溢れる魔力なのだ。
 確かに指輪を嵌めていれば成長は出来ても、それで戦えなくては、騎士として意味がない。
 結局は今の自分を受け入れるしか、前に進めないことを、ベアトリーチェは知っている。
 ベアトリーチェは微笑んだ。

「指輪は、ローズ様が守ってくださいますか?」
「はい」

 元々、国王が定めた聖剣の守護者はローズなのだ。恐らく指輪の守護者も彼女が選ばれるに違いない。
 ベアトリーチェの言葉に、ローズは静かに頷いた。
 ローズは指輪を自分の指に嵌めた。どういう造りになっているかは謎だが、指輪は嵌めた瞬間ローズの指に合わせてサイズを変えた。
 謎アイテム……。
 微妙な顔をするローズを、ベアトリーチェは眺めてふふと笑った。
 剣を握って戦う時、自分に剣を向けた時、そして今の彼女。
 そのどれもが、今の彼には愛しく思えた。

「ローズ様。いつかこの指に、私とお揃いの指輪を贈らせてくださいませんか?」
 ベアトリーチェは、ローズの左手を軽く持ちあげて微笑んだ。

「はい?」 
 ――お父様の選んだ相手から、これは求婚されているのでしょうか…?
 ベアトリーチェは少しギルバートと似ている。お兄ちゃん子のローズの胸は僅かに高鳴った。
 手の甲へのキスの意味は敬愛。
 愛情深い彼とならば、ローズはお互いを敬い合える、国を支える夫婦となれることだろう。
 それはきっと穏やかな時間の流れる、幸せな関係だ。

「ビーチェ!!!」
 ユーリは思わずローズの耳をふさいだ。無礼は理解しているが、これ以上は見ていられない。

「……ユーリ。随分と子どもっぽい真似をしますね? ずっと思っていたのですが、貴方は外見の割に中身が幼すぎますよ。それではローズ様の心を守るなんて到底無理です。その点私なら、貴方と違って彼女に相応しいとは思いませんか?」
「……!!!」

 確かに、ユーリはベアトリーチェを心から信頼している。彼なら何を任せてもうまくやってくれる気がする。
 でも自分の初恋の相手を、そうやすやすとは渡せない。

「ビーチェ、お前性格悪いぞ」
「私は昔からずっとこうですよ」

 にこり。
 ベアトリーチェは爽やかに笑った。ユーリはその笑顔が、少し黒いと思ってしまった。
 恋は人をも変えるということだろうか。ユーリはそう思い、あることに気が付いた。
 ――もしかして自分たちは、最大のダークホースを助けてしまったのでは……?

「まあ、ローズ様は恋愛に対して相当疎い方のようですし、私も一〇も下の方との結婚を無理に進めようとは思っていません」
 相手の感情を重んじるベアトリーチェは、ローズに無理強いはしない。ただ彼女を自分の妻に迎える、その地盤は盤石だ。

「だからこれから少しずつ、距離を縮めさせていただこうかと」
「ビーチェ!!!」
 自分の名前を起こって叫ぶユーリを見て、ベアトリーチェは心からの笑みを浮かべた。 
 それは昔の彼のように。
 彼が最初に愛した少女が生きていたあの頃の。

 ベアトリーチェを眺めていたメイジスは、その光景を見て眩しそうに目を細めた。

「以前より、自然に笑うようになったな」
「それはきっと、彼や彼女のおかげでしょうね。……私では、引き出せなかった」

 ベアトリーチェは自分を『アンクロット』と呼び、ユーリのことを『ユーリ』と呼ぶ。そのことが、メイジスはほんの少しだけ苦しかった。

「違う。きっとこの世界は、誰が欠けても「今」にはならない。私は、そう信じて生きている」
 それは、メイジスを肯定する優しい言葉。

「レイゼル様……」
「これからも――あの子を宜しく頼む」
「はい」
 年下の上司の養父に微笑まれ、メイジスは下を向いたまま笑みを作った。



「……あいつが、ローズの新しい婚約者……?」

 自分が庇った相手の正体に、リヒトは目を丸くしていた。
 助けたことは後悔しないが、ローズに近付かれると何故かもやもやしてしまう。
 ユーリがローズに直接触れることは珍しい。
 風属性に適性のある人間は、本来風のように相手を守る。その彼がここまで行動しているということは、それほど彼がベアトリーチェを危険視しているということだ。
 ローズは全ての魔法属性に適性は持つものの、最も得意なのは水魔法だ。
 地属性と水属性は相性がいいと言われている。ベアトリーチェとローズの属性の相性は、風属性のユーリよりもずっといい。

 ――というか、ユーリはローズから離れろ。
 ふと、そんな言葉が頭に浮かんで、リヒトはぶんぶん頭を振った。
 自分が振った元婚約者が誰と触れ合おうが、どうでもいいことのはずなのに。心が乱される理由が、彼には分からなかった。

「……そういえば。指輪はあったとして、薔薇はどうしたんだ?」
 リヒトはふと、疑問だったことを近くに居たアルフレッドに尋ねた。

「実はその……返そうと思ったけど兄上に剣を向けられて驚いて落としてしまって」
「落としたあ!?」
「朝一で見回ったけどなかったんです。大きな黒い鳥の羽が一つ落ちていたというだけで」
 ということは、夜のうちに誰かが回収した……?

「……大きな、黒い鳥の羽……?」

 リヒトがそう聞いて、思い浮かぶのは一人だけだ。
 でももしその人が自分たちより先に真相を掴んでいたのなら、手を出してこない理由がリヒトにはわからなかった。
 リヒトが珍しくまじめな顔をして考えていると、アルフレッドがリヒトの発明品であるあの眼鏡を、彼が抱えた袋の中からとって笑った。
 ぐるぐる眼鏡(効果半日)。

「それにしても、この眼鏡ださすぎませんか。王子センス悪すぎ」

 リヒトの人柄のせいだろう。
 ローズの前ではそれなりにかしこまるアルフレッドだったが、リヒトに対しては遠慮が無かった。

「う、五月蝿い! 異世界では、このぐるぐる眼鏡は賢さの象徴だって本に書いてあったんだ!!」

 リヒトは読書家だ。
 異世界では魔法ではなく『科学』と呼ばれるものが生活を支えているという記述を見てからは、特に傾倒して研究している。
 今回の眼鏡は、異世界には『科学捜査』と呼ばれるものがあると知り、この世界でも似たようなことが出来ないかと発明したものだ。
 因みにローズが使う手紙の鳥は、異世界の職業である『マジシャン』の鳩の『マジック』と呼ばれるものを面白いと思い幼い頃リヒトが作った魔法で、当初はローズを驚かすためだけに作っており、手紙としての使用は考えてはいなかった。

 それを手紙として使用できるよう、彼に改良をすすめたのはローズだ。
 リヒトは発想が少し人とずれているため、彼の発明品は使い道が不明なものも多い。
 そして彼の作るものは、強い魔力を必要とする国の戦力や土木事業などには応用できず、彼の評価は上がらない。
 魔力の低い第二王子というレッテルは、彼の発明の評価を下げる要因にもなり得てしまう。
 結果、手紙の鳥の魔法でさえも、現在人には信用されてはおらず、使っているのは彼の幼馴染たちだけだ。

 通常手紙のやり取りは、ベアトリーチェの白い鳥のように、輝石鳥と呼ばれる生き物と契約して行われている。
 この世界において、魔力の強さは発言権と信頼に置き換わる。王族でありながら魔力の低いリヒトが、周囲の信頼を得ることは難しい。
 強者と弱者の関係は、魔法を使えるものと使えないものではっきりと分かれている。
 それは変えることの出来ない世界の構造そのもので、だからこそリヒトの父は、ろくに魔法を使えない息子を認めない。
 そして魔法を使えない多くの国民も、強者である王を戴くことを望む。

「ん?」
 眼鏡を掛けて遊んでいたアルフレッドは、ふと上空に魔力の反応を見てピタリ動きを止めた。

「どうかしたのか?」
「いえ……」
 上空に見える大きな影。
 それはアルフレッドが気付いたことに感づいたように、遠くへと飛んで行ってしまった。



 闇属性のその鳥は、人の視界を遮断する。

「麗しき兄弟愛、か。……まあ、くだらない茶番だね」

 夜に回収をしておいた薔薇を凍らせて、彼はそれに火をつけた。
 青い薔薇は彼の手の中で灰になる。
 巨大な黒鳥レイザール。
 その上に居たのはレオンと、もう一人。
 城の塔の上に降り立ったレオンは、今はその高台から、自らの国を見下ろしていた。

「……お前は、本当にこれでいいのか」
「僕がこの国の王になる。やっぱりあの子は甘すぎる。あの子にまかせていては、国が崩壊しかねない。協力してくれるよね?」

 当然のようにレオンは笑った。彼が笑みを向けられた相手の表情は少し暗い。

「俺は、お前たちが一番いい未来に辿り着けるよう動くだけだ」
「そう」

 彼の答えにレオンは静かに目を伏せた。

「なら君は、僕の味方のはずだ。そうだろう? この国の為には、僕が王になるのが『正解』だ」
 その言葉は、ベアトリーチェが使う言葉と同じなのに、全く違う意味を持つ言葉のようだった。
 レオンは彼に手を差し出した。

「僕のために、その瞳の力を使ってくれ」
 レオンが協力を求めるその相手は、ローズと同じ黒髪だ。

「ギルバート。――いや、『先見の神子』」

 ローズが感じていた違和感は正しい。
 遠い未来を見通す者。
 ギルバート・クロサイトは、『真実を見極める瞳』を持つだけの人間ではない。

『先見の神子』
 この世界の歴史に、転生を繰り返し稀に現れては予言を残し続ける人間は、歴史書においてその名で呼ばれる。

 ただその『先見の神子』は、結末は見えても原因となる過程は見通せない。彼が自分とレオンの未来を回避できなかったのもそのせいだ。
 ギルバートは、この力をずっと隠して生きてきた。
 ローズの兄の正体を、知っているのはレオンのみだ。

「俺はこの目をこの国の為に使う。それが俺の役目だ」
 自分に差し出された手を取らず、ギルバートは静かに呟いた。
 十年前の彼と同じ言葉を。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「うう……。ローズさんを狙う方がまた増えて……あれ」

 アカリは、ローズを巡って火花を散らせる騎士団の双璧を見て溜息を吐いた。
 『Happiness』において、初期から解放されている攻略キャラは五人だ。

 リヒト、レオン、ギルバート、ユーリ、そしてベアトリーチェ。
 ギルバートは彼女の実の兄だから攻略対象から外されるにしても、残りの四人の反応からいって、ローズは攻略対象を着実に落としているようだ。
 本人はそのつもりはまるでなさそうで、相変わらず国一筋といった様子ではあるが――……。

 アカリは頭を押さえた。ローズの『trueend』への明日はどっちだ……??
 そして、ふと思いだす。そういえばこの世界には、まだもう一人彼女が出逢っていない『攻略者』が居ることを。

「そういえば、彼はまだここには来ていないんですね」
 それはアカリが知るゲームでは、魔王討伐後に開放される、最後の攻略対象。

「大陸の王――ロイ・グラナトゥム」

◇◆◇

「――鍵、ねえ……」

 赤い瞳に髪。
 まるで炎そのものを体現したかのようなその男は、王に相応しい勇猛さ、豪傑さをその身に宿していた。

「もしそんなものがあるならば、是非お目にかかってみたいものだな」
 男はそう言うと薄く笑った。
 手のひらに炎が灯る。それは高く燃え上がり、生き物のように揺らめいていた。
 絶対的な自信。
 炎属性の適性は王に相応しいとされ、最も重視される素養だ。

「この世のあらゆる宝物を、手にすることもできる魔法の鍵は、かの国ごときが手にしていいものではないな」

 彼の傍には、仮面を被った小さな少女が、膝をつき彼に頭を垂れていた。
 王の座すその場所は、長く続く赤い絨毯が敷かれており、玉座から立ち上がった彼は、一人階段を下りていく。

「行くぞ。あれは俺にこそ相応しい」
 王の背を、小さな少女はとてとてと追いかける。傷付いた裸足で。

「……どこへ、行かれるのですか……?」

 少女は小さな声で尋ねた。
 赤い髪のその男は、くるりと振り返るとにやりと笑った。

 『大陸の王』
 この名で呼ばれる青年は、今は二十三歳。若干十八歳で王座を継いだ若き王だ。
 既に国を統べる者。しかもその領土は、世界で最も広大だ。
 彼の浮かべるその笑みは、レオンを上回る妖しさを宿していた。

「決まっている。さあ、行くぞ。水晶の王国――クリスタロス王国へ」


 愛する人から「身長が低いから貴方とは結婚は出来ない」なんて言われたら、もうこの世の終わりというくらい、絶望的な気持ちになる。



「ふ……ふふふ……」
「お客さん、飲み過ぎだよ」
「ふ、ふふふふ……あはははははは!」

 ドン! と空のジョッキを机に叩きつけた声のは、まだ十歳にも満たない程体の小さな少年だった。

「もう……私なんて、どうでもいいんですよ」
 茶色の髪に黄緑の瞳。
 奇妙な笑い声を上げた後、机に突っ伏して小さな低い声で呟く。その声はまだ幼く、子どもが無理やり低く話しているかのようだった。

「一体どうしたんだ?」
 そんな彼の後ろから、精悍な顔つきの青年が尋ねた。
 くすんだ金色の髪に赤い瞳。
 少年と同じ白地に金色の装飾の服を着た男は、自分も酒を注文すると少年の隣に座った。

「――『身長が』」
「ん?」
「『身長が小さいから、貴方とは結婚できない』だそうです」
 少年はゆらりと体をゆらして顔を上げた。顔は酔って赤くなっている。

「私だって、好きでこんな体じゃありませんよ!」
 これが飲まずにいられようか。

「まあお前の気持ちはわからんでもないが、お前の体が小さいのは変えようのない事実だからその子の言い分もわからんでもないな」
 青年はそう言うと、自分もマイペースにぐびぐび酒を飲み始めた。

「『地剣』殿!」
 そんな二人の元へ、息を切らした髪の長い男が、息を荒げて店内に入って来た。
「こんなところで大酒を食らわないでください!」
「嫌です!! 私はもう今日一日ここで過ごします!! あははははは今日はもう記憶がなくなるまで飲みますよ」
 男の言葉に対し、子どものような外見をした彼は笑い声を上げた。
「外見だけでなく中身も子どもみたいなことを言わないでください!」
 しかし男が放ったその言葉には、子どもはピクリと反応して怖い顔をした。酔っ払いが怒っている。
「――今、何と言いました?」
 底冷えするような低い声。
「まあ、落ち着けよ。ベアトリーチェ。感情的になると更に子供っぽく見えるぞ」
 そんな彼を、隣で飲んでいた青年は宥めつつ地雷を踏んだ。
「私は、子どもではありません!!!!」
 子どもの怒号は酒場の中だけでなく、店の外まで響いた。

 クリスタロス王国騎士団所属。 
 ベアトリーチェ・ライゼン。一六歳。
 魔法適性は地属性。
 年齢の割に身長は一〇歳にも満たない程度しかなくずいぶんと幼く見える。
 それは彼の特殊な魔力のせいだ。
 この世界における魔法とは、魂に宿るという器と回復力で決まる。
 器の大きさはおよそ一五歳で確定すると言われており、その器は前世から引き継がれる魂により決まるという説もある。
 通常、器から魔力を溢れさせるような人間はいないが、彼は器よりも明らかに回復力があるせいで、溢れ出した魔力の影響でかなり成長が遅く体が小さい。
 若干一〇歳で騎士団の入団試験に合格した天才は、『地剣』という二つ名を与えられており、彼をその名で呼ぶのは今年入団した新しい騎士だ。
 メイジス・アンクロット。二九歳。魔法適性は光と水。
 一三歳差の二人だが、メイジスは新米でベアトリーチェが彼の教育係……の、筈なのだが。

「『地剣』殿!」
 メイジスがベアトリーチェの下に配属されてからずっと、彼は自分の教育係を探し回る日々を送っていた。
 しかも、職務時間中に。
「職務中に飲むのはやめてください!」
「……お断りします」
 昨日に続き今日もだ。
 メイジスは怒っていた。目の前のベアトリーチェの行動は、国の為に剣をとる騎士の行動とはとても思えない。

「これまで真面目に生きてきたんです。自分なりに。そんな自分を、やっと受け入れてくれる人に出会ったと思ったのに……! こんなの、あんまりじゃないですか」
 小さな子供が、酒を片手にうっうっと泣くの図。
 シュールだ。メイジスはちょっと困る。
 子どもに甘い彼は、目の前の上司がすでに一六歳というのは分かってはいたが、どうも心がついていかなかった。
「飲み過ぎだぞ」
「……団長」
 そんなベアトリーチェに、昨日も隣に座っていた青年が困った子どもを叱るように声を掛けた。

 ローゼンティッヒ・フォンカート。
 クリスタロス王国騎士団の団長である彼は、幼いベアトリーチェが入団した当初から、兄のような存在だ。

「そうやってダダこねてると余計子どもっぽくて彼女の一人も出来ないぞ」
「いいんです。……私はもうずっと子の初恋を抱えて生きていきます」
「失恋した初恋を抱えて生きてくのか? お前面白い趣味してるな」
「……!」
 ベアトリーチェの動きが止まる。
 失恋、初恋。今、このワードはベアトリーチェには禁句だ。
 自分で言うのはいいにしても、他人から言われるのは嫌らしい。めんどくさい小さな酔っぱらいは半泣きになっていた。
「団長……『地剣』殿をいじめないでください」
 その光景を見ていたメイジスは、はあと溜息を吐いた。
「ちびっこいから弟みたいでからかいたくなるんだよな~~。普段すましてるだけに、こう、弱ってる姿を見ると余計に?」
「いじめっ子ですか……?」
 メイジスは子供じみたことを言う上司に、明らかな不快感を示した。

「俺は団員を大事に思ってるぞ? そりゃあもう、家族のように。ちなみにこいつは弟」
「弟さん、振られてやけ酒中なんですから、頭を回すのはやめてあげてください」
「いやー。ちょうどいい高さにあるから。肘おきの」
 ローゼンティッヒはケラケラ笑う。
 その様子は、子どもに絡んで苛める悪い大人にしか見えない。メイジスは思わず叫んでした。
「『地剣』殿は、肘おきではありません!!!!」
 そもそもベアトリーチェが一六歳であるといっても、メイジスからすれば一三も下の少年なのだ。その相手に団長であるローゼンティッヒが、非道な行いをするのは許されない。
 ローゼンティッヒと長い付き合いのベアトリーチェからすれば、今日のようなことはよくあることで、本人はさして気にしていなかったが、年下に甘く過保護なメイジスはそれが許せなかった。
 呑み続けるベアトリーチェを挟んでぎゃあぎゃあ話していたら、突然動きを止めたベアトリーチェがら下を向いてうっとうめいた。

「……気持ち悪い」
「え」
 固まるメイジス。
「おいおい。ここで吐くなよ~?」
 隣に座っているローゼンティッヒは、まるで他人事だった。
「何冷静に注意してるんですか団長!!! ……って、ああもう!!! 『地剣』殿!」
 二人の関係が掴めない。
 巻き込まれた新人騎士メイジス・アンクロットは、年下の自分の教育係を抱えて慌てて外へ出た。



「……飲み過ぎですよ」
 ベアトリーチェが目を覚ますと、風のそよぐ『春の丘』と呼ばれる場所だった。
 彼が新緑の瞳を開くと、彼の周りの植物は、他の場所よりも少し成長してしまっていた。
 酒を暫く飲んだ後、具合が悪くなった後の記憶が無い……。
 ベアトリーチェは頭を押さえつつ、ゆっくりと起き上がった。
 二日酔いの、いつもならするはずの頭痛が無い事に気が付いて首を傾げる。

「自分は弱いですが、一応水魔法と光魔法が使えるんです」
 メイジスはそう言うと、ベアトリーチェに微笑んだ。
 光属性に適性がある人間は治癒が使える。
 ベアトリーチェはメイジスが、自分が眠っている間に光魔法をかけてくれていたと気付いて、少し驚いた。
 光魔法は他の魔法より多く魔力を消費するため、仕事でない限り、他人に使いたがる人間は少ないからだ。

「本当に、貴方には驚かされることばかりです」
 メイジスはベアトリーチェの考えは他所に、空を見上げて溜息を吐いた。
「平民出身の私のような人間からしたら、【神の祝福】を受けた貴方は憧れのような存在だったのに。まさかこんな方とは」
「……平民出身で魔法が使えるなら、貴方だって祝福を受けたものの筈です」
「私などは、とても」
 この世界で、魔法を使える人間の多くは貴族だ。
 普通平民に魔力を持つ者は生まれない。
 平民で魔力を持つ者は、【神の祝福】を受けた人間であるとされる。

「私、実は一年前に妻を亡くしたのです」
 ベアトリーチェの言葉に、メイジスはそう返した。
「目の前で、事故にあって。私が魔法を使えるようになったのは、それからなので」
「……申し訳ありません」
 悲し気な彼の声に、ベアトリーチェは謝罪した。
 失言だ。
 魔法が使える人間には二つのパターンがある。
先天的か、後天的か。
 先天的の場合血によるものが大きいが、後天的の場合、主な原因とされるのは愛する人間の死だ。
 魔法は、何か大きなショックを受けた人間に稀に発現することがある。
 魔法は心から生まれる。
 この世界で今は常識とされるこの言葉は、元々後天的に魔法を使えるようになった人間をさして使われた言葉だ。
「い、いえ! 『地剣』殿が謝られることではありませんよ。だいたいこんな話を始めたのは私の方ですし。突然身の上話をしてしまい申し訳ありません」
 頭を下げる年下の上司に、メイジス・アンクロットは慌てて謝罪した。


「そもそも、どうしてあのように飲んでいらしたのです? 職務中に……。私が人から聞いていた『地剣』殿は、とてもこのようなことをする方とは思えなかったのですが」
「……実はここ数年、とある女性と交際させていただいていたつもりだったのですが、いざ求婚すると思いっきり振られただけです」
 光魔法をかけてくれたメイジスの問いを無視するわけにもいかず、ベアトリーチェはぽつりぽつり語り出した。

「確かに今の自分は、借金返済中の身ではありますが……。いずれは立派に返済して家を建て、そこで幸せな家庭を築きたいと……」
 ベアトリーチェは、多額の借金を抱えている。
 彼は生まれた時呼吸をしておらず、両親は神殿で彼を蘇生させた。
 本来であれば平民の子である彼が、王族のみに許される高度な光魔法をかけてもらうなどとても許されないが、ベアトリーチェは神殿で当時の最高位だった『光の巫女』に『国の未来を変える者』と予言され、特別に蘇生を許された。

 彼は異常に魔力の回復が速く、地属性という魔法の適性もあってか、周りの植物を異常成長させる一方で、彼自身の成長はとても遅い。
【神に祝福された子ども】
 何でも千年前も同じような子どもが居たという記録があるらしく、彼の様な人間は千年に一度という頻度で生まれ、千年以上生きるというのが普通らしい。
 そんな特別な彼ではあるが、彼自身はまだ国家に何も貢献していない一平民に過ぎず、光魔法の治療費の返済に追われている。
 光魔法はとても便利で、一日以内の傷であれば腕を繋ぐことも可能というまさに魔法の様な治療が可能だが、それを行える光魔法の使い手は基本的に神殿に勤めており、その治療費は目が飛び出るほど高い。

 予言のこともあり、ベアトリーチェの治療費は特別に後納が許されてはいるが、毎月かなりの額の返済が求められるため、今のところ借金に追われる日々だ。
 しかし、頑張って返せば返せない額ではない。
 それに彼は今、その魔力を生かして賃金の高い仕事を二つ行っている。
 『変わり者のロッド伯爵』
 そう呼ばれる伯爵の医学・薬学と魔法を組み合わせた新しい治療方法の研究の手伝いと、騎士団の騎士としての仕事だ。
 おかげで休みはほぼないが、借金返済まではそれも我慢しようと彼は考えていた。
 いずれ全ての借金を返済し終えたら、ささやかながら幸せな家庭を築いて、家を買って愛する人と暮らすのだ。
 彼の夢は昔から、彼に与えられた肩書に比べてとても庶民的だった。

「……なんで震えているんですか」
 その夢を、ベアトリーチェが目をきらきらさせて語っていると、話を聞いていたメイジスが体を震わせていた。
「『地剣』殿の夢があまりに可愛らしかったので」
 返ってきた返事に、ベアトリーチェは不快感を示した。
「ふざけたことを言わないでください。男に可愛いと言われても虫唾が走ります」
「いえ、なんというか。貴方は見た目が子どもっぽいので、小さな子が夢を語るみたいで可愛いなあと」
 メイジスはしみじみと語る。
 まるで子供を見守る親のような目で見つめられ、ベアトリーチェは憤慨した。
「私は!!! これでも!!! 一六です!!!!」



「にーに!!」
「ただいま、アルフレッド」
「母さん、父さん。ただいま」
「お帰りなさい。ビーチェ」
 ベアトリーチェが家に帰ると、両親と最愛の弟が自分を迎えてくれて、彼は破顔した。
 可愛い。
 弟は自分と違って魔法は使えないが、小さな体で精一杯自分に好意を向けてくれる姿を見ると、連日仕事ばかりの疲れも吹き飛ぶというものだ。
 最近初恋の相手に求婚を断られ、職務中に酒場に行ってしまうことはあるけれど、その時はいつも何故か団長が隣にいるので、今のところ特に注意などはされていない。

「アルフレッド。いい子にしていましたか?」
「にーに! え! かいた!」
 アルフレッドはそう言うと、ベアトリーチェに紙を渡した。
 そこには自分と同じ髪と瞳をした謎の物体と、弟と同じ髪と瞳をした謎の物体がかかれていた。
「これは、私とアルフレッドですか?」
 腕の中の小さな弟に尋ねると、彼は大きく頷いてにっこり笑った。
 ベアトリーチェは胸をおさえた。
 可愛い。可愛すぎる。
 弟は地上に舞い降りた天使じゃないかと思ってしまう。
 もしかして弟は、魔法が使えるんじゃないかとベアトリーチェは思う。だって彼に笑いかけてもらえるだけで、自分こんなに元気になれるのだ。

「ありがとうございます。アルフレッド! 貴方は私の世界一大切な弟です」
 ぎゅううううっと抱きしめれば、小さな弟は少し苦しそうにしていた。
 慌てて手の力を緩める。
 そんなことをしていると、咳き込んでいた彼の母が、くすっと笑って彼に言った。
 ベアトリーチェは、六歳の頃から伯爵のところで働いている。
 それは母が原因でもあった。
 息子の借金を返そうと、体がさして強くないのに働きづめだった彼の母は、体調を崩してしまったのだ。
 元々自分の借金。
 母に無理をさせないためにも、ベアトリーチェは日々働いている。

「ほんと、仲良しねえ」
「……だって、アルフレッドが可愛いから」
 ベアトリーチェは、母に笑われて頬を染めた。
 一六にもなって弟をこんなに溺愛しているのはおかしなことかも知れないが、年が離れていると、なんだか庇護欲が増してしまうのだ。
 初めて弟にあった時、指を握られた瞬間、この子を命をかけても守らねばという使命感が生まれたことを、ベアトリーチェははっきり覚えている。
 その可愛い可愛い弟が、自分の為に絵を描いてくれたのだ。感激しかない。
「……額を買ってこないと」
 この絵は自分の家宝にしよう。ベアトリーチェはそう心に誓った。


 そんな幸せなベアトリーチェだったが、実は玉砕以外に頭を悩ませていることが一つある。
「君を伯爵家に迎えたい」
「にい様!」
「ジュテファーも君になついているし。何より研究を任せられるのは、君しかいない」
「……私には家族があります。それにこの子だって、将来家を継ぐことを望むかもしれない」
「君を支えたいと、そう言ってくれると私は思っているよ」
 実は、自分を六歳のころから雇ってくれているレイゼル・ロッド伯爵が、自分を養子に迎えたいと言ってくることだ。
 彼には、ベアトリーチェの弟アルフレッドと同じ年の息子ジュテファー・ロッドが居るのだが、その伯爵位を継ぐべき子息が魔法を使えない為、ベアトリーチェを後継者として養子に欲しいという話だった。

「はあ……」
 ベアトリーチェは溜め息を吐いた。
 彼の申し出は絶対に受けるつもりはないが、伯爵の気を損ねたくはない。
 愛する家族と離れるなんてごめんだし、だいたい伯爵が自分を養子に欲しい理由が嫌なのだ。
 魔法を使えないジュテファーのことを思うと、ベアトリーチェは胸が痛んだ。
 伯爵子息ジュテファー・ロッド。
 自分のことを『にい様』と呼んでくれる彼を、ベアトリーチェは少なからず思っていた。実の弟に比べたら劣るが、幼い頃から知っていて自分を慕ってくれているので可愛くはある。
 そんな彼と敵対するような未来は、絶対に嫌だった。
 だから伯爵の申し出を受けることは有り得ない。だというのに仕事で一緒になると高い確率で言われるため、ベアトリーチェは精神的に疲れていた。
 そろそろ諦めてくれないものか。


「あら。ビーチェじゃない」
 久々の非番の日。
 街を歩いていると、とある少女に話しかけられてベアトリーチェは思わず顔を背けた。
 自分の求婚を断った男爵令嬢ティア・アルフローレン。
 貴族らしくない彼女は、今日も手に荷物を抱えていた。
 彼女付の侍女も居る筈なのに、自分で何でもしようとするなんて相変わらず変わっている。
「プロポーズを断ったのに普通に話しかけてこないでください」
「断られたからってあからさまに避けないで欲しいんだけれど」
「普通避けます」
「器が小さいわね」
 金色に青い瞳の少女は、ずばっとそうベアトリーチェを切り捨てた。
 思わず胸をおさえる。大丈夫、傷は深い。

「……荷物、持ちます」
「別にいいわ」
 ベアトリーチェは、せめて挽回しようと彼女の荷物に手を伸ばした。
 最近自分に対して妙にひどい気がするが、ベアトリーチェは六年越しの初恋の相手を、多少のことでは諦めたくなかった。
「一緒に歩いているのに、女性の貴方に持たせるのは気が引けるだけです」
「言い方さえ変えたらよかったのに。それじゃあ、紳士的とは言えないわね」
「……」
「やっぱり駄目ね。身長が低いのと同じくらい中身もお子様なんだから。それにそんな風に拗ねてるとさらに子どもっぽく見えるわよ?」
「う……っ」
 何か自分は失敗してしまったらしい。
 更に傷付く内容を言われ、ベアトリーチェの心は崩壊寸前だった。
 胸が痛いが諦めたくない。

「わかりました。責めません。代わりにもう一度チャンスを下さい。貴方の心を射止めることが出来たら、私と結婚してください」
「申し訳ないけれど、何度言ってもそれは受けられないわ」
 ベアトリーチェの求愛に、彼女は今日も首を振った。
「他に好きな相手が出来たのですか?」
「そう言うわけではないけれど」
「ならどうして?」
 ベアトリーチェは尋ねる。
 この六年。少し彼女が変わっているせいか、自分以外に彼女と仲が良い相手なんて居ない筈なのに。
「私、もうすぐ引っ越す予定なの。貴方は借金返さなきゃ出し、一緒には来れないでしょ?」
「…………」
「私大きな家に住みたいの。薔薇の花が沢山咲く家がいいわ。静かな場所で、心穏やかに暮らすのが昔からの夢なの。遠距離恋愛で、貴方が私を迎えに来るまでに何年もまつなんて御免だわ」
 彼女が求婚を断った理由を聞いて、ベアトリーチェは何も言いかえすことが出来なかった。



「もういやだ……」
 再び酒場。
 誰がどうみても子どもの、彼を見る周りの大人たちの目は厳しい。
 真昼間から子どもが酒を飲んでいる。それはあまり褒められることじゃない。
 実年齢なら飲んでいてもおかしくはないが、外見年齢はまだ十歳ほども無いのだ。
「だってどうしろっていうんですか。生きるために作った借金が求婚を断られた原因なんて、もうどうしようもないです」
 うっうっと彼はむせび泣く。
 そして顔を上げたかと思うと、全てを悟ったかの様な、涼やかな目をして言った。

「……所詮、この世は愛よりお金なんですね」
「『地剣』殿。ぐれないでください。何もかもわかったみたいな顔してますけど、童顔のせいでギャグですよ」
「失礼な!!」
 ベアトリーチェはメイジスの言葉に激怒した。
 しかし大人のメイジスは、ベアトリーチェの怒りなど特に気にしていないようだった。
 冷静に、彼は尋ねる。
「だいたいそんな少女なら、六年も付き合っていればわからなかったのですか?」
「これまでの彼女は、野に咲く花を渡しても喜んでくれるような方で……」
「女性への贈り物は花屋で買いましょう」
「お金のない人間の精一杯の愛情表現に対して駄目だしするのやめてください」
 妻は故人だが、元既婚者のメイジスの言葉はもっともだった。
 それに、いくら少し変わっているとは言えど、ティア・アルフローレンは男爵令嬢なのだ。
 魔力が強い将来有望な人間とはいえ、平民であるベアトリーチェ自ら摘んだ花を貰って喜んでいたとしたら、余程心が広いかベアトリーチェが好きだったかしかありえない。

「……というか、そんなにお金がないのなら、何故ここで飲んでいるのですか?」
 年下の上司の恋愛相談。
 半分彼に仕事をさせるのを諦めて話を聞いていた彼は、疑問に思ったことを尋ねてみた。
「ああ」
 そして、彼が当然のように言ったことにメイジスは思わず机を叩いた。
「ここ、ローゼンティッヒが私のぶんは自分のツケにしていいって」
「団長!!!」
 甘やかしすぎだろう! 
 メイジスの思いは当然だった。
 しかし――その話を聞いて、また彼の中に疑問が生じた。

「……『地剣』殿と団長殿はどういう間柄なのですか?」
「どういうとは?」
「その、他の方に比べて随分親しそうに見えましたので」
「ローゼンティッヒのご生母が、私の命を救ってくれた方なのです」
「え……?」
 メイジスは目を瞬かせた。
 と、いうことは、あのおちゃらけた騎士団長は――……。
「では、団長は『光の巫女』の??」
「はい。そのこともあって、いろいろと気をつかってくれているのでしょう。彼女自身はもう無くなっていますが、昔からよくして頂いています」
 ベアトリーチェは酒を飲みながらこたえた。
 クリスタロス王国騎士団騎士団長を務めるローゼンティッヒ・フォンカートが、『光の巫女』の実の息子であることはあまり知られてはいない。
 もともと国に一人か二人しか生まれない神殿の最高位を務められるような光魔法を使える人間は、出産の際に母体に何かあったら国家の損失と考えられるため、家庭を持つことが推奨されていないのだ。
 ローゼンティッヒは、本来クリスタロス王族に受け継がれる金髪を生まれ持っているのだが、面倒ごとに巻き込まれるのが嫌だという理由で、わざと美しい金髪を茶色に近い少しくすんだ色で染めている。


 翌日。
 騎士団の休暇の日に伯爵のもとで仕事をしていたベアトリーチェは、再び伯爵に声を掛けられ、顔を歪めた。
 そろそろ諦めてほしい。
 ここ三年間、ずっと請われている内容は、とても受け入れられるものではないのだから。
「伯爵。養子の件なら私は」
 しかしその日の伯爵は、いつもとは違う言葉でベアトリーチェに話をした。
「もし君が伯爵家に入ってくれるなら。請求されている治療費を、全て私が支払おう。そうしたら、君の家族の生活も、十分楽になるんじゃないか?」
「え?」
「君を買うような物言いはあまりしたくなくて言ってこなかったが、私はずっとそう思っていた」
「え……」
 平民でなく爵位も得て、借金も無くなる。
 彼女もそんな自分なら、喜んで求婚を受けてくれるかもしれない。
 借金。
 それを理由に愛する少女から振られたばかりのベアトリーチェは、少しぐらついた。

 でも。
『にーに!』
 頭の中に小さな弟が自分を呼ぶ声が浮かんで、彼は頭を押さえた。
「少し、考えさせてください……」
 家族は大切だ。でも、自分のせいで家族に苦労を掛けているのは確かで。それにこれからの人生を考えるなら、新しい家族のことを考えることも大切だと思えた。
 六年越しの初恋の相手。
 伯爵家に入れば彼女との婚姻も可能かもしれない。そう思うとベアトリーチェは、いつものようにすぐに断ることが出来なかった。



 伯爵からの申し出を聞いた翌日。
 その日ベアトリーチェは、休憩時間中ずっと空を眺めていた。
 どこまでも青い空、白い雲。
 それを眺めていると、整理できない感情から目を逸らせるような気がした。
「どうかしたのか?」
「いえ……」
 そんなベアトリーチェに話しかけてきたのは、騎士団長のローゼンティッヒだった。
「伯爵に、借金を肩代わりするから養子になってほしいと言われて……」
「は? あの方がまさかお前をただ働きさせるつもりだったとでも?」
 ローゼンティッヒは、ベアトリーチェが申し出を聞いた時驚いたのと違って、ずっとそう思っていたような口ぶりだった。

「……私は、よくわからないのです。自分に与えられた肩書ばかりが大きくて。私の心が付いていかない」
 ベアトリーチェは、母が作ってくれた昼食を一口食べた。
 いつもはおいしい筈なのに、今はなんだか味がわからない。
「私が伯爵家に入れば、家族も、結婚も、上手くいくかもしれない」
「いや、最後はどうかと思うぞ」
「え?」
 ベアトリーチェは首を傾げた。
「伯爵家となれば、結婚は伯爵が決めた相手を望まれるんじゃないか? たしか、その男爵令嬢、魔力はそんなに高くないという話だっただろう? せっかくの養子なんだ。魔力の高い令嬢と結婚をと伯爵もお考えになるんじゃないか?」
 魔力の高い人間同士の間には、魔力の高い人間が生まれやすい。
 だからこそ貴族の婚姻において、魔力の強さは昔から重視される。
 それは生まれた子どもの魔力の強さが、家の繁栄に繋がるからだ。

「あ!」
 誰もが知る当然のことを、すっかり忘れていたベアトリーチェは声を上げた。
「……も、盲点でした」
 しゅんと目線を下げる。
 その様子は、彼の子どもっぽさを際立たせていて、ローゼンティッヒはそんなベアトリーチェを見て苦笑いし、その後その背をバンバン叩いた。
「見方が甘いな~~物事はもう少し俯瞰して見ないと」
「……背中を叩かないでください」
「あはははは」
「やめてくださいと言ってるでしょう!」
 ベアトリーチェが声を上げ、立ち上がったその時。
 突如として地面が揺れ、ローゼンティッヒは彼の腕を掴んだ。

「……落ち着け」
 ローゼンティッヒはそう言うと、ベアトリーチェの目に手をあてた。
 光属性特有の温かさがベアトリーチェを包む。
「お前が本気で怒ったら、ここ辺り一帯が倒壊しかねない」
「…………」
 ベアトリーチェは動きを止めた。
 彼の魔力は他の人間より多く、更にその回復力は計り知れない。
 だからこそ彼に期待する人間は多いが、彼の魔力には成長を緩やかにする以外、もう一つ実害がある。
 それは彼の感情の高ぶりが、周囲に影響を与えてしまう可能性があるということだ。
 ベアトリーチェの丁寧な口調はこれを防ぐためのもので、騎士団に入ってすぐローゼンティッヒはベアトリーチェにいつでも平常心を保つために言葉遣いを改めるように言った。
「自分の感情をコントロールするのも、今のお前には大事なことなのかもな」
「…………」
「ベアトリーチェ」
「でも、ティアのことを、諦めたくないんです」
 兄貴面するローゼンティッヒに、ベアトリーチェは小さく漏らした。
「いや〜〜。青春って、青いな!」
 ローゼンティッヒはそう言うと、手を離してベアトリーチェの頭をわしわし撫でた。


「……で?」
 案の定、それをベアトリーチェがティアに伝えると、彼女は盛大な溜息を吐いた。
「そんなに簡単に家族を捨てていいの? 大体、伯爵家に入ったからといって私との結婚が許可してもらえるとは限らないでしょ?」
「…………」
「見た目も中身も子どもなんだから。そんなんじゃ、私以外とだって結婚なんて無理よ」
「そういうなら貴方の友人に聞いてみてください」
 呆れ顔のティアに、ベアトリーチェはボソッという。
 ベアトリーチェは知っていた。自分の価値を。
 彼は平民だが、その潜在能力の高さから彼を望む人間は多い。
 養子にと強く望んでいるのは伯爵だけだが、自分を婿にと思う人間は多いことを彼は知っていた。
 ただ、そんな彼のプライドをズタズタに傷付けるのがティアなのだ。

「貴方、自分が腐った林檎を私が誰かに与える様な女だと思っているの? 嫌よ。そんなの渡したら私が誤解されるじゃない」
「私は腐った林檎だと?」
「ええ」
「貴方は何も捨てられないし何も選べない。それなのに何でも欲しがろうとするなんて欲張りなだけだわ。貴方は周りを腐らせる腐った林檎。借金も貴方の立場も何もかも、周りを困らせるだけだわ」
「…………」
「反論できないじゃない」
 ティアはベアトリーチェを嘲笑った。
「求婚をするなら、身辺整理をしてから来てもらわなきゃどうしようもないわ。帰って」



 彼女に振られた翌日、ベアトリーチェは再び酒場に居た。
「私は腐った林檎らしいです」
「めっちゃ面白いなその子」
「何故ですか」
「発想が笑える」
「悪口で笑うのはやめてください」
 その隣にはローゼンティッヒも居り、案の定そこにはメイジスがやって来た。

「団長、『地剣』殿。お願いですから真昼間から飲むのはやめてくださいと」
「平和な証拠だろ?」
「平和ボケって言葉知ってます?」
「知っているが、今は知らないことにする」
「団長!」
 ベアトリーチェは職務時間中だというのに今日もやけ酒していた。
 その横で、ローゼンティッヒとメイジスが口喧嘩をしている。
 そんなところへ。
「何をしているんだ? 君は」
 幼い頃から聞きなれた、厳しい男のその声に、ベアトリーチェは思わず背筋を伸ばした。
 声の主は、ずっとベアトリーチェを養子に欲しいと言っていたレイゼル・ロッドその人だった。

「今日は騎士団の仕事だったのではなかったのか? ……まさか、君がこんなことをしているとは思わなかった」
 伯爵、レイゼル・ロッドは彼の研究内容から『変わり者』と呼ばれているが、厳格な人だとベアトリーチェは知っている。
 だからこそベアトリーチェは、彼を尊敬していた。
「伯爵家に入るのなら、もっとちゃんとしてもらわないと困る。私は変わり者とは言われるが、今日のようなことは見過ごせない」
 その相手に厳しく叱責され、ベアトリーチェは暫く下を向いたまま動くことが出来なかった。



 ベアトリーチェの知るティア・アルフローレンは、貴族でありながらとても自由な少女で、森の中を駆けまわって水遊びをするような子だったが、ベアトリーチェの求婚を断る少し前位から、彼女が外を出歩くことは少なくなっていた。
 そもそも二人の出会いは、王都の外れにある森の中だった。
 歳を重ねても、よく彼女は森を訪れていた筈なのに、最近はめっきり、足が遠のいてしまっているようだった。

 ――やはり子どもっぽく森で遊ぶなんて、おかしいということなんだろうか。
 そう思うと、ベアトリーチェは悲しくなった。 
 彼の成長は他の人間に比べて緩やかだ。
 彼は今年一六になったが、いまだに彼は森を愛しており、時折今も訪れる。
 でも普通の人間は、そうではないらしい。
 そう思うと、自分だけが時の流れに取り残されているような気がしたのだ。
 彼が、ティア・アルフローレンという少女に固執したのにもそこに原因がある。
 ティアという少女は、いつまでも子どもの心を忘れないような、そんな女性にベアトリーチェは思えたのだ。
 いつまでも穢れなく、優しく、真っ直ぐで、自然体で――……。
 野に咲く花を差し出しても、「ありがとう」と言って受け取ってくれるそんな少女に。
 だからこそ、ここ最近のベアトリーチェは、求婚するたびに自分に酷いことばかり言うティアが、少しずつ嫌になっていた。

 仕事帰りに男爵家の扉を叩くと、いつも通りティアが彼の為に屋敷から出てきた。
「だから貴方は駄目なのよ」
 彼女はベアトリーチェの話を一通り聞くと、最近の彼女らしく、ティアは思い遣りの欠片も無いような、ベアトリーチェが傷付く言葉を吐いた。
「頭が良くて紳士で大人っぽくて、包容力があって、小さくても色気を感じさせる大人の男になったら結婚を考えてあげてもいいわ」
 そして、今の彼にはとても無理な注文をずらずらっと彼女は並べた。
「注文が多いですね」
「何? 文句でもあるの?」
「昔は道端に咲く花だって喜んでくれたのに、それが貴方の本当の姿だったというのですか?」
「……」
 彼女は答えなかった。ただ、自分を軽蔑するようなベアトリーチェの視線を、まっすぐに受け止めていた。
「答えられないのですか?」
 ベアトリーチェの声はとても低い。
「貴方が、そんな方だとは思わなかった」
 彼はそう言うと、何も言わない彼女を置いて家に帰った。


「にーに!」
「ただいま」
 彼が家に帰ると、相変わらず小さな弟は自分を待っていてくれて、嬉しそうにかけよって抱き付いてくる。
 小さな、温かな、生き物。
 ベアトリーチはアルフレッドの頭を優しく撫でた。
 思う。もう、結婚なんてどうでもいい。養子の話など知ったことか。
 どうせ自分の人生は人より長いのだ。好きなように、自由に生きて何が悪い。
 せめて家族が亡くなるまで。この家を守って、生きていくのも悪くない。
「アルフレッド」
 ベアトリーチェは、優しい声でその名を呼んで、小さな弟を抱きしめた。



 ティアにベアトリーチェが初めての告白をしてから一か月。
 最後にあってから一週間ほど経ったある日のことだった。
「『地剣』殿!」
 仕事をしていたベアトリーチェを呼び止めたのは、漸く教育期間を終えたメイジスだった。
「『地剣』殿は、この病をご存知ですか?」
 彼は真新しい紙を手に、ベアトリーチェに駆け寄った。
「心臓が石になる……?」
 記事の見出しに、ベアトリーチェは目を細めた。
 それは、医学・薬学の国の研究施設で働く彼も、聞いたことのない病。
 騎士団に報告が来たとなると、今頃施設の方にも資料が届いていることだろう。

「今巷で、『精霊病』と言われている病です。魔法式を書き込める石のことを、古くは精霊晶と呼んでいたことに由来するそうです」
「ああ……」
 今は、魔法式が書き込める石のことをただ『石』としか呼んでいないが、昔はそう呼ばれていたことを、彼は知ってた。
 そもそもこの世界の魔法は、一部欠落しているところがあるのだ。
 欠落時期の魔法は古代魔法と呼ばれ、記録が残るだけで魔法陣などは全く残っていない。
「でもなんで、そんな奇病が……」
「人間を石に変える。どこかの国が新しく作った病ではないかとも思われたそうなんですが、世界中で起きていることもあって、何も特定できないそうです」
 メイジスはそう語る。

「発症率は限りなく低いそうです。この国ではまだ発症した人間は居ないそうですが、ただ現実にそんな病があるとしたら……。混乱する可能性はあります」
 恐怖は伝染する。
 発症率が低いと他国は報告を上げていても、そもそも最近流行り出した病なのに、それが何のデータとして役に立つというのか。
「薬や治療法などは?」
 ベアトリーチェはとりあえず尋ねた。
「わかりません。ただ、罹患した場合助からないと」
 ベアトリーチェは顔を顰めた。
 未曽有の病。そんなものが、この国に訪れることがあったら。
 自分がどう対処すべきか、今の彼にはわからなかった。


「ビー……、チェ……」
 その時。
 自分の名を呼ぶ弱弱しい声が聞こえて、彼は背後を振り返った。
「ティア?」
 そこに居たのは、ティア・アルフローレン。
 随分顔色が悪い。
「ごめん、な、さ……」
 彼女の手は、ゆるゆるとベアトリーチェへ伸ばされる。
 しかしその手が届く前に、彼女は地面に崩れ落ちた。
「ティア!」
 ベアトリーチェは思わず彼女を抱きとめた。
 その身体は、彼が知る彼女の重さより、ずっと軽く感じられた。
「一体どうして……」
 ベアトリーチェの知るティア・アルフローレンは、よく笑う元気な少女だった。
 風邪一つ引かないのが自慢と言っていたほどの彼女が、どうしてここまで弱って自分の元に?
 少女の体を抱き上げた彼は、その手の異常に気が付いた。
 彼女の手首には、まるで茨のような文様が浮かび上がっていたのだ。
 それは。
 ――『精霊病』の末期症状の印。




「彼女はずっと、病に侵されていたんだな」
 ティアの体は、すぐに男爵家ではなく、ベアトリーチェの働く研究施設敷設の病院へと運ばれた。
 ベアトリーチェ自身が彼女を運びたかったが、それは許されなかった。
 運ばれた彼女の体は綺麗に洗浄され、白い病室ベッドに横たえられた。
 窓の向こう側には、偽物の風景。
 死期の迫る末期患者の為の病室は、せめて彼らが心穏やかに生を終えられるよう特別な配慮がされている。
 それは彼女が貴族だからの特別扱いだからというよりは、彼女を死に追いやるその病のための対策だった。
 彼女が逃げ出したいなんて思わないようにして。
 静かに、彼女の病を観察するための部屋。

『――私と、結婚してください』
『身長が低い貴方とは結婚は出来ません』
 ティアが病室のベッドで眠るころ。ベアトリーチェは、病院の屋上に居た。
 ここから飛び下りれば、彼女が息を引き取るとき、自分もこの世界から消えてしまえる気がした。
 地属性の人間の周りには死がつきまとう。
「何、やってるんだ」
 屋上から、彼が飛び下りようとした時。
 それを止めたのは、ローゼンティッヒだった。

「私なんて、いないほうがいいんです。私がいるから周りの人間は不幸になる。彼女が病気になったのだって、きっと私の……」
 ベアトリーチェの声は震えていた。
 地属性に適性のある人間は、死を招くという言い伝えがある。
 大地が死骸を栄養に変えるように、その属性の人間の周りには死がつきまとうと。
 ただそれは、本人が望むことでは決してない。
「お前のせいじゃない。馬鹿なことを考えるのはやめろ」
 ローゼンティッヒは、そう言うとベアトリーチェを自分の方へ引き寄せた。
 ベアトリーチェの体は小さい。
 彼がどんなにローゼンティッヒから逃れようとしても、その身体の大きさと力の差がそれを許さない。
 ベアトリーチェの目から涙が零れる。
 最愛の彼女はもうすぐこの世から去ると言うのに、この体は、死ぬことを許されないのかと。
 そのことが、たまらなく悔しくて。



 ティア・アルフローレンが倒れて三日後。
 漸くベアトリーチェの監視の目を解いたローゼンティッヒは、ベアトリーチェとメイジスの二名を含めた騎士に、最近王都周辺に現れるという野盗の捕縛を命じた。
 簡単な任務だ。
 野盗は数は多くても、その殆どが魔法を使えない。
 この世界で魔法を使えるのは、選ばれた人間だけ。そして騎士の多くは魔法が使え、ベアトリーチェの魔法はその中で並ぶものが居ないほど強力だ。
 いつもの彼であれば一瞬で終わる仕事。
 だというのに、ベアトリーチェは魔法を使わなかった。
 ただただ地面に立つだけ。
 そんな小さな体の彼に、野盗の一人が武器を振り下ろした。

「『地剣』殿!」

 世界を染める赤い色。
 けれど不思議と痛みはなく、ベアトリーチェは伏せていた目をゆっくりと開いた。
 そして自分の目の前に広がる光景に、ベアトリーチェは言葉を失った。
「な、何故、貴方が……」
 声が震える。
 何故ならその光景は、彼が望んだものとは全く別のものだったからだ。
 ベアトリーチェ・ロッドは死を望んでいた。だから殺されていいと思った。だから何もしなかった。
 でもそれは、一人の騎士によって阻まれた。
「貴方が。……貴方がご無事でよかった」
 そう言う彼の片腕は、地面に転がっている。
「……『地剣』殿」
 メイジス・アンクロット。
 ベアトリーチェ・ロッドの初めての部下は、彼を庇ってその片腕を失った。


 その後の仕事はすばやかった。
 可能な限り早くメイジスを神殿に運ぶため、ベアトリーチェは一瞬で野盗を無力化した。
 地属性の魔法。彼の作る牢獄は、そう簡単には抜け出せない。
 ベアトリーチェはメイジスを神殿へと連れて行った。
 一日以内の怪我であれば、治療費は高額だが治すことが出来る。そう思って向かったものの、何故か神殿はベアトリーチェの願いを断った。
 曰く。
『今、彼を治療できる人間は、この国には居ない』
 なんでも、第一王子レオン・クリスタロスと、と公爵子息ギルバート・クロサイトが原因不明の病で眠りについて、総動員で彼らに光魔法をかけているとのことだった。
 本来この魔法を執り行うべきは、ベアトリーチェを蘇生させた『光の巫女』だ。
 しかし彼女は、数年前に亡くなっている。
 王族の大事に、平民出身の男の願いなど聞き入れられない。
 メイジス・アンクロットの腕を元に戻すことは、もう絶望的だった。




「やっぱり、私のせいです。私が、私のせいティアも、彼も……」
 ベアトリーチェは泣いていた。
 一応の処置は行われ、メイジス・アンクロットが生命を脅かされることは無かった。けれどもう二度と、彼は騎士としては戦えない。
 そう告げられたとき、ベアトリーチェは苦しくてたまらなかった。
 メイジスは自分を助けただけだ。お金の為に騎士になった自分が、国の為に騎士になった彼の腕を奪ったことが申し訳なくて、何と声を掛けていいかわからなかった。

 ごめんなさい。ごめんなさい。
 こどものように謝ることは出来ても、それでは何の解決にもならない。
 メイジスは自分を許すだろう。彼はそういう人だ。彼は優しい人だから。
 そう思ってしまう自分が、ベアトリーチェはまた許せなかった。
 騎士団長であるローゼンティッヒは、騎士であるメイジスの為に病院に来ていた。
 けれど彼がメイジスと話したのは僅かな時間だけで、相変わらずローゼンティッヒはベアトリーチェの傍にいた。
 ベアトリーチェがまた、自分から命を断とうなんてことを考えないように。

「やっぱりあの時死んでおけばよかった。いや、それよりもっと早く。私なんて、生まれるべきじゃなかった。生まれた時そのままに、死んでおけばよかったんだ」
 ずっとベアトリーチェの泣きごとを聞いていた彼だったが、流石にその言葉は許せなかった。珍しく激高したローゼンティッヒは、ベアトリーチェに怒鳴った。
「いいかげんにしろ!」
 いつも自分の傍で笑っていてくれたその人の声に、ベアトリーチェはびくっと体を震わせた。
 それまでベアトリーチェを見下ろしていた彼は、ベアトリーチェに目線を合わせるために膝を折ると、そっとその小さな体に触れた。

「お前の命は、お前だけのものじゃないんだ」
「……」
「お前を助けた後に、母さんは亡くなった」
 ベアトリーチェには、何故彼が今そんなことを言うのか分からなかった。
「魔法の使い過ぎは、寿命を縮めるのかもしれない。だからこそ……。お前には、母さんの分まで生きてもらわなきゃ困る」
「……!」
 ベアトリーチェは息を飲んだ。
 それは、彼が一六歳だったときはまだ、有名ではなかった一つの仮説。
 魔法。特に光魔法の使い過ぎは、その寿命を縮めると。
 この体に宿る命は、決して自分だけのものではない。
 ベアトリーチェは、彼にそう言われた気がして胸を抑えた。
 赤い瞳は真っ直ぐに、ベアトリーチェを見つめている。

 考える。
 自暴自棄になる自分のことを、この人はいつもどんなふうに思ってきたのだろう。いつだって自分の愚痴を聞いて、酒代だって彼がいつも払ってくれた。「お前らしく生きろ」なんて言う言葉を、かけてもらったこともある。
 この人は、これまでどんな思いで。
 ――自分の母親を奪った相手(わたし)に。
「ベアトリーチェ」
 ローゼンティッヒはベアトリーチェの頭を撫でる。兄が弟にするように。
「……泣くなよ」
 その声は、泣くベアトリーチェを見て傷ついている声だ。
 彼を。ローゼンティッヒを傷付けたいわけではないのに、ベアトリーチェは涙を止めることが出来なかった。

 苦しくてたまらない。
 自分に優しくしてくれる人の痛みを、自分は何も考えていなかった。
 ただ彼は優しい人だ。ただ彼女は優しい人だ。
 そう思って生きてきた。
 その優しいが何から成り立つのか、自分は何も理解していなかった。
 そのことが、どれだけ相手を傷つけてきただろう?
 違う。本当は自分はどこかで気づいていた。
 自分はずっと自分が傷つくのを恐れて、気づかないふりをしていただけだ。
 人の心を移す鏡のようなこの心に、壁をつくって誰の心も移そうとはしなかった。
 臆病な自分の。弱い自分の選択が。
 どれだけ自分を守ってくれた優しい人を、傷付けていたことだろう?
「俺はお前を、泣かせたいわけじゃないんだ」
 ベアトリーチェは涙を流す。涙を止めることができない。自分を責める感情が溢れて、ただただ胸が苦しかった。



 片腕を失ったその騎士は、原因となった子どもが病室へ入って来ると、いつものように笑顔で迎え入れた。
 大人が子どもを見つめる優しい瞳。
 メイジス・アンクロットは、ベアトリーチェの顔にそっと触れた。
「どうしたんです? 目なんか腫らして。私はちゃんと生きているんですから、そんな顏しないでください」
 彼はそう言うと、当然のようにベアトリーチェの為に光魔法を使った。
 光魔法特有の温かさが、ベアトリーチェを包み込む。
 その温かさが、またベアトリーチェの胸を痛ませる。
 優しい人。自分に優しさを向けてくれる人。
 その相手から、自分は大事なものを奪ってしまった。
 せっかく彼に治療してもらったというのに、ベアトリーチェはまた泣いてしまいそうだった。
 そんな彼に向かって、メイジスは微笑んでからこう言った。

「私の妻の名前も。貴方と同じ『ベアトリーチェ』だったんです」

 メイジスはベアトリーチェの頭を撫でる。愛しい人に触れるように。
「だから貴方を、守れてよかった。……私は、あの日守れなかったから」
「!!」
 ベアトリーチェは思い出していた。自分に光魔法をかけてくれた彼が、自分に語ってくれたことを。
『私、実は一年前に妻を亡くしたのです』
『目の前で、事故にあって。私が魔法を使えるようになったのは、それからなので』
 その名を持つ自分が自ら死を選んだことを、彼はどんな思いで見守って、そして助けてくれたのか。
 そう思うと、ベアトリーチェはやっぱり泣いてしまった。

 愛する家族から笑顔を奪う自分が嫌いだ。
 自分を大切にしてくれる上司の母を奪った自分が嫌いだ。
 自分を慕ってくれたはじめての部下から、剣を取り上げるそんな自分を、どうして好きになれるだろうか。
 自分はただ、幸せになりたいだけだった。
 自分が好きな人たちと、笑い合って時を過ごす。
 そんな平凡な、手のひらに収まるだけの幸福を、一生大切にしたいだけなのに。この命に与えられた使命が、それを許してはくれない。

『貴方はいつか、この国を変える人になる。だから、貴方を生かすと決めたのです』
 最後に会った日。
 『光の巫女』の最後の言葉は、その未来が平穏ばかりでないことを暗示するかのように、ベアトリーチェについてまわる。  

「貴方が、ご無事で良かった」
 メイジスはそう言って笑う。ベアトリーチェの、頭を撫でて。
「う……あ……ああ……! あ……ッ!」
 ベアトリーチェは声にならないこえをあげた。
 奪った未来。奪われた未来。誰かを傷付け、救われる。
 心の中に生まれる沢山の感情(こえ)が、溢れて止まらない。
 でもその痛みが、また魔法を強くする。
 魔法は心から生まれる。
「泣かないでください。……私にとって貴方は、ずっと憧れだったんですから」
 この世界で、魔法を扱える人間は少ない。
 庶民の出で魔法を扱えることは、『神の祝福』であるとされる。

 しかし、器と回復量があわない自分は、時に好奇の瞳をむけられ、大切な人を傷付ける。
 ベアトリーチェは胸を押さえた。
 ズキズキと痛む心は、まるで心臓を貫かれ、血があふれるような痛みがある。
 ベアトリーチェは思い浮かべる。自分に向けられたたくさんの笑顔や言葉。
 向けられた愛情を。返せない温かさを。
「……っ!」

 人に愛された心を。その思いを、返したいと思わずにどうしていられるだろう。
 自分を愛してくれた人を傷つけるたびに、どうして傷つかずにいられるだろう?
 守る力のない自分を、どうしようもなく無力な自分を、どうして嫌わずにいられるだろう?
 そんな自分に優しい言葉をかけてくれる人を、どうして愛さずにいられるだろう?
 この手に彼らを守る力はないのに。

「貴方は愛し愛される人だ。貴方が選ばれたのは、きっと貴方が、誰よりも優しいから」
 メイジスはそう言うと、優しくベアトリーチェの頭を撫でた。
 その手は相変わらず温かくて。優しくて。ベアトリーチェの胸は更に痛んだ。
 強くなりたい。強く。
 守られるのではなく、守る人間になりたい。
「だから、泣かないで。私は貴方を、傷つけたいわけじゃないんです」
 齎される言葉は光を伴って、水のように染み渡る。
 深く傷を残す。
 この心を、誰にも伝えることなんて出来ない。
 それでも、涙脆い弱い自分に差し伸べられる手は、いつだって温かいのだ。




「貴方のせいでその人は騎士ではなくなったの? やっぱり貴方って駄目駄目ね」
 白い病室ではカーテンが揺れていた。
 ベアトリーチェはその日、彼女のために花を買った。
 彼女がいつか好きだといった青い花。
 『forget me not』
 この世界には異世界から招かれた人間がいて、その人間がつけた物の名前がある。
 この花の名もそれで、図鑑には違う世界の言語によって登録されている。

「そんなんじゃ私の夫になんて相応しくないわ」
「……はい」
 花を受け取ったティアは、青い花に触れると目を細めた。
 ベアトリーチェはただ下を向いて、彼女の言葉にうなずく。
「私、もうすぐここから引っ越すの」
 その言葉は、最近の彼女の口癖だった。
「だから貴方は、誰か別の子を見つけて」
 彼女は言う。そして続ける。
「きっと貴方なら、誰だって幸せに出来る」
 ――いつかの言葉とは、まったくの逆の言葉を。

「ティア」
 ベアトリーチェは顔を上げた。
 彼女の手には、花が握られている。
 彼が買ったものだ。彼が初めて、誰かのために買った花だ。
 彼女は、礼は言わなかった。だから彼は、もしかして自分はまた失敗したのかもしれないと怖くなった。
 だっていつも、彼女は笑ってくれていたから。
 ベアトリーチェは目を瞑る。初めて彼女と出会った日のことを思い出す。
 その頃の彼と彼女はそこまで体格が変わらなくて、ベアトリーチェは自分も彼女と同じ普通の子どもだと信じていた。
 木漏れ日のさす森の中には、自分たちの笑い声だけが響いているような気がした。
 ベアトリーチェには、目の前の少女はやはり、昔と何も変わっていないように今は思えた。

 野に咲く花を贈っても、笑ってくれた貴方が、本当の貴方だと信じている。
 自分に優しさに、確かに嘘はなかったと信じている。
 長い時を生きる。この命の僅かな時かもしれないけれど、それでも同じ景色を見ていたいと思った、貴方のことを愛している。
 貴方は私に他の誰かと幸せになれと言う。
 でも私が幸せにしたいのは、貴方一人だけだ。

「顔を、よく見せて?」
 彼女は昔から、よく笑う人だった。
 病室であってもそれは変わらずに、彼女はベアトリーチェの前で笑っていた。
「ああ。やっぱり、まるで森の精霊みたい」
 自分に伸ばされた手。
 ベアトリーチェは彼女にされるがままで黙って立っていた。
「私ね、貴方に出会った時、貴方のこと、森の精霊かと思ったの」
 ベアトリーチェは何も言わなかった。
 彼は覚えていた。
 今でも鮮明に、彼女と初めて出会った日のこと。
 そしてその日、かけられた言葉を。

『貴方、まるで森の精霊みたいね』

 初めて彼女に貰った言葉。
 その言葉をきっと、ベアトリーチェは千年経っても忘れられない気がした。
 自分という人間を、永遠のような時を生きるこの命を、自分の属性も何も知らない彼女が、最初からすべてわかってくれたような気がした瞬間。
 世界に光が差し込むような、そんな感覚。
 それは、多分一生消えてはくれない。
 だからこそ。癒すことの出来ない甘い傷となって、彼女は自分の中に残り続ける。

「ねえ、ビーチェ」
 涙の名を与えられた少女は笑う。
「精霊病にかかった人間の心臓は、魔法を使える石として利用出来るんですって」
 ベアトリーチェの手を、自分の手で包んで。
「だから。私がもし石になったら。その時は私の石を、貴方に持っていてほしいの」
 彼女は笑って、残酷なことを彼に願う。

 ベアトリーチェの魔法の才能は特出している。
 魔法を使うためには魔法式を保存出来る石が必要であり、その石は高度などにより魔法式を保存出来る量が異なる。
 強大な魔法程多くの情報量となり、ベアトリーチェはその才能に見合う石を今だ手にすることが出来ていない。
 石は高価で、平民で、しかも借金を抱える彼では相応しい石など購入できるはずもなく、一応の功績は認められてはいるものの、騎士として戦うベアトリーチェはいつも全力であるとは言えない。
 彼は望んでいた。
 昔から、自分に見合う石が欲しいと。
 そして彼女も、そのことを知っていた。
 でもそれは、彼女を犠牲にしてまで、彼が望んだことではない。

 ベアトリーチェの頬を涙が伝う。
 一度泣いてしまうと、涙はただただあふれるばかりだった。
 彼はベッドの上の彼女に手を伸ばした。でも、抱きしめることは叶わない。
 必要以上の接触をできない魔法が、今の彼女にはかけられている。
 せめて、彼は彼女に伝えたかった。
 もうすぐ失われる灯。その命を必死に生きる、彼女に永遠の愛の誓いを。
「ティア……ティア。私は……ずっと、これからも、貴方を」
 貴方だけを。
「駄目」
 けれどベアトリーチェが口にしようとした言葉を、彼女は笑って阻んだ。
「私、もうすぐ引っ越すんだから」
 それは最近の彼女の口癖。
「だから、駄目」
 そう言って、彼女は笑う。

「私ね。どんなに辛いことがあっても。生まれたことを後悔なんてしないわ。どんな使命を持って生まれても、何も持たずに生まれても。きっと、笑って生きた人間が勝ちなんだわ。だから」
 それは光属性に適性を持つ彼女の、最後の祈りの言葉だ。
「貴方はずっと、笑っていて。貴方は生きて。それが、私の願い」
 相手を思い、慈しむ。その心が、誰かを守る力になるなら。そのとき祈りは、自分だけのものではなく、誰かに影響を与える力になる。
 彼女は、そう信じていた。
「ねえ、手を出して?」
 彼女はそう言うと、ベアトリーチェの手を取った。
 彼女はベアトリーチェに、一枚の葉を握らせる。
「ビーチェ。私ね、貴方の幸福を願ってる。どんなに遠く離れても、この気持ちは変わらない」
 好きだとは一言も告げずに。
 掌に残された祈りだけが、彼女の彼への思いの証だ。
 ハート形の葉っぱの欠片。
 その葉が、とあるおまじないの一種だと知ったのは、随分時間が経ってからだった。
 幸福の名を与えれた四つ葉。
 四つ葉のまま持っておけば、その人間には幸運が訪れる。
 しかしそのうちの一つをちぎって誰かに渡すと、その人間の幸運が、相手に移るという言い伝えがあるらしい。
 死の淵にあった彼女が願ったのは、彼の幸福だった。



 彼女が好きだった花。彼が最後に彼女に贈った花。
『フォーゲットミーノット』
 異世界の文字はそう読み、「私を忘れないで」を意味するらしい。
 花言葉は『真実の愛』。
 もしかしたら彼女は、自分が病にかかることを予知していたのかもしれない。
 後からになって、彼はそう思った。
 彼女は光属性に適性があり、光属性は時に未来を見通すと言われているからだ。
 目の前の道を光が照らすように、彼らは――。
 だとしたら。
 彼女はいつからそれを知っていたのだろう。
 ベアトリーチェが花を贈ったときに笑っていた。きっとその頃の彼女は、まだ未来を知らなかったに違いない。
 見通せる未来は、その魔力に依存する。
 『光の巫女』がベアトリーチェの先の未来を見たとして、ティアが見ることができた未来はよくて数カ月だったはずだ。
「私は」
 ベアトリーチェは葉を抱く。
「貴方を忘れない」

 これは、貴方への真実の愛だ。




 彼女が息を引き取って少しして。
 ベアトリーチェの実の弟であるアルフレッドが重い病にかかった。
 幸い彼は『精霊病』ではなく、ベアトリーチェは彼の病を治すためにレイゼル・ロッドに治療費を借りることを条件に伯爵家入りを受け入れた。
 その時の彼には、人の命に比べたら、何もかもが些細なことに思えた。
 『国の未来を変える者』大層な肩書のおかげで、ベアトリーチェは蘇生と治療費の後納を許されたが、普通は治療する前に代金は支払わねばならない。
 アルフレッド・ライゼンは、その後無事回復した。
 ベアトリーチェはそれを一人喜んだ。もう会うことはないと決めた親からの手紙を読んで。
 彼の母は相変わらず体を崩したままだ。
 ベアトリーチェは伯爵家に入り、アルフレッドの治療費を返済しながら、家にお金を送った。
 彼はもう家族には会わずにいようと思った。
 弟を助けるためとはいえ、自ら家族の関係を断ち切ることを選んだ。それは彼にとって、自分へのけじめに思えた。



「笑ってください。『地剣』殿。誰も貴方の、不幸は望んでいないのだから」

 ベアトリーチェが伯爵家に入ると、レイゼル・ロッドは研究室の管理をベアトリーチェに一任すると言った。
 新しく施設が作られるらしい。相変わらず変わっているというか、自由な人だとベアトリーチェは思った。ただ管理を任されたおかげで、彼はある権利を手に入れた。
 それは職員の雇用。
 ベアトリーチェは、騎士団を退いていたメイジス・アンクロットを、職員として雇用することにした。
 後々になって思ってみると、それはレイゼル・ロッドなりの自分への愛情だったのかもしれないとも彼は思った。

 レイゼル・ロッドは地属性に適性を持つ人間だ。
 地属性の人間の愛情表現は、基本的にわかりづらく回りくどい。
 片腕を失ったメイジスは、今は職員として楽しそうに過ごしている。
 ただ本当は彼は騎士として生きていきたかったはずだと思うと、今も自分が騎士であり続けられることにベアトリーチェの胸は痛んだ。
 ガラス張りの植物園。
 自分の周りは緑で満たされ、ガラス越しに入りこむ光は、きらきらと光って見える。
 それはどこか遠い日の、誰かと出会った森のような温かさのある場所だ。
 ベアトリーチェは目を瞑る。
 自分に語りかける長身の、彼との出会いを思い出す。

 新人の騎士は少し緊張した面持ちで、ベアトリーチェが声を掛けると、何故か頭を撫でてきた。
『こんにちは、僕』
『…………』
『騎士団の子かな? こんなに小さいのに偉いね』
 頭を撫でられてベアトリーチェは顔を顰めた。
『貴方は誰ですか? 私はベアトリーチェ・ライゼンです』
『え!? あ、貴方が『地剣』殿!?』
 不機嫌そうに返せば、彼は慌てて首を垂れた。
『た、大変失礼いたしました。今日から貴方の下で学ぶように言われている、メイジス・アンクロットと申します』

 ベアトリーチェがメイジスと初めて出会った日。
 彼はベアトリーチェを子どもと勘違いして話しかけてきた。
 そしてその子どもが何者かわかると、すぐさま言葉遣いを改め壁を作った。
「メイジス……アンクロット」
 小さな声で、ベアトリーチェは彼の名を呼んだ。
 片腕を奪った自分が、今更彼を姓でなく名で呼ぶことは許されないことに思えた。
 後悔は遅れてやってくる。
 ――出会いをやり直せるなら、今度は。私は貴方と友達になりたい。
 彼はそう思ったけれど、告げる勇気は生まれなかった。

「森の木陰、新緑の瞳。貴方はきっと、この世界に愛された人だ」
 メイジス・アンクロットは楽し気に、そう言ってベアトリーチェに笑いかける。
 緑と光に包まれるその場所で流れる時間は、どこまでも穏やかに優しく過ぎていく。
 ベアトリーチェは魔法をかける。
 大地に願う。祈りを捧げる。
 彼の心は、命を育てる。



 それからまた、少し経ってのことだった。
 騎士団の入団試験を受けたいと、一人の少年がやって来た。
 年は一〇。
 ベアトリーチェが、騎士になったのと同じ年だ。
「今度の入団試験、お前に任せたい」
 ローゼンティッヒは静かに言った。
「私に……ですか?」
「――ああ。『剣聖』様の愛弟子らしい」

 七〇年前この世界を終焉へと導くとされた魔王。
 『剣聖』とは、先代公爵グラン・クロサイトのことだ。
 彼は元々平民の出であったが、魔王討伐の功績として恋仲にあった公爵令嬢と結婚したという異例の経歴の持ち主だ。
 その彼の愛弟子とあれば、並々ならぬ才能なのだろう。
「ユーリ・セルジェスカ……」
 ベアトリーチェは、自分の対戦相手の書かれた紙を受け取った。 
 どことなく、柔らかい印象を与える名前だ、と思う。 
 人は少なからず、音に対してある一定の印象を抱くような気がする。
 ゆるやかで、温かい。涼しげで、どこか真面目そうな硬さを帯びる。
 ベアトリーチェはその名から、何故かそんな印象を抱いた。
「……どういう子なのでしょう?」
 願わくばこの名を持つ少年が、今自分が思ったような、そんな子供であることをベアトリーチェは願った。
 まっさらな白。銀色。この名を持つ人間は、きっとそんな色が似合う。

 地を動かす力はあっても、彼の力が、天へと届くことはない。
「はああああああっ!」
 天を舞う。
 まだ幼い少年。
 ユーリ・セルジェスカは、ベアトリーチェが願った通りの少年だった。
 ――なんて、綺麗な剣を使うんだろう。
 そう思って彼は空を見上げた。
 魅せられる。
 銀色の髪も、金色の瞳も。まるで宝石のように美しい。
「これで」
 そんなことしているうちに、少年の攻撃はベアトリーチェをとらえていた。
「終わりだ!!!」

「――参りました」
 ベアトリーチェは、負けたのに不思議と清々しい気分だった。
 自分より年下なのに大きな彼に、ベアトリーチェは手を差し出した。
「私は、ベアトリーチェ・ロッド。これからどうぞ、よろしくお願いします」
 その手に、ひそかな願いを込めて。

 自分のことを何も知らないまっさらな貴方の中に、私はこれから、どんな「私」を貴方の中に宿せるだろうか。
 貴方が尊敬してくれるような、貴方が頼れるような、貴方を導き支えられるような、そんな大人に私はなりたい。
 ベアトリーチェはそう思った。
「まだ小さいのに強いんだな」
 ただそんな思いを知らない子どもは、ベアトリーチェに向かってため口だった。
「お前! 彼はお前より年上だぞ!」
「え?」
 審判をしていた騎士に怒られ、ユーリは顔を蒼褪めさせた。

「え? あ、え? も、申し訳ございません!」
 どうやら年上を敬う人間ではあるらしい。
 その態度は嬉しいけれど、なんだか壁を感じてベアトリーチェは苦笑いした。
「いいですよ。どうか、そのままで」
 もう間違えないように。自分を変えていけるように。
 この子どもとは、壁を作らずに過ごしたい。
「これから、よろしくお願いします。セルジェスカ」
「……ユーリでいい」
 ベアトリーチェがそういえば、子どもは申し訳なさそうにしながらも、短くそう返してくれた。
「そうですか。では私のことは、ビーチェと読んでください」
 ベアトリーチェがそういえば、子どもは小さく「ビーチェ」と呼んだ。
 その彼の声が、ベアトリーチェはとても愛しく思えた。
 彼はまるで、真っ白なキャンバスのように思えた。

 ユーリ。
 私は。貴方と共に、「私」を育てていきたい。
 弱いこれまでの自分とは違う、他者を思いやれる新しい強い自分を。
 変わるんだ。
 大切なものを、大切な人を、もう傷つけない。
 今度はちゃんと守れるように、自分を変えていきたい。 
 その隣に、貴方にいてほしい。
 貴方のしるべとなれるような、そんな「私」に私はなりたい。

 それはこれまでの、自分との決別。その願いのような誓いは、小さな少年へと託される。



 クリスタロス王国騎士団。
 二つ名を持つ騎士を倒して入団を許された騎士は、同じく二つ名を与えられる。
 ベアトリーチェは自分の対戦相手に、自らその名を与えることにした。
「『天剣』か」
 紙に書かれた文字を見て、ローゼンティッヒは少し笑った。
「はい。彼にこそ、この名は相応しい」
「珍しいな。気に入ったのか?」
 その声はとても嬉しそうで。彼の声を聞いていると、ベアトリーチェも嬉しくなった。
「――ええ。彼の剣こそ、私の対を為すに相応しい」
 それは小さな彼の前進。
 そのための、第一歩。

 ベアトリーチェは変わることを願った。
 彼は共に前に進む相棒に選んだ子供に、自分とは真逆の名を与えた。
 彼の祈りは、願いは、空へとは届かない。
 でも空を飛べる彼となら。『天剣』を持つ彼となら。
 心は、どこまでも高く飛んで行けるような気がした。



 ティア・アルフローレンの葬儀はつつがなく行われ、その身体は『春の丘』へと埋葬された。
 その墓の上に、ある花が咲いた。
 それは、屍花『青い薔薇』。 
 病で死んだ人間の墓の上に咲き、生前親しかった人間の魔力に触れていなければ枯れてしまう花。
 『屍花』は古くから、死んだ人間を死に追いやった同じ病の薬になる可能性が高いと指摘されており、だからこそその花は、彼には彼女の分身に思えて仕方なかった。
 人はきっと、人に祈りを託して生きる。
 祈りは人の中で、命のように宿り続ける。
「――ティア……!」
 ベアトリーチェは彼女の墓に手を合わせた。
 最後の最後に自分でなく他人の幸福を願った彼女が残した祈りを、彼は絶対に無駄にしないと誓った。
 貴方が眠るその上に、貴方の病を治すための花が咲く。
 青い薔薇から零れる滴は、まるで貴方の涙のようだ。

 ガラス張りの植物園には、柔らかな光が射し込む。
 愛した彼女と過ごした森に似た場所で、彼は時折追悼するように目を閉じる。
 そうしていると自分が生きていることが、今の彼にはとても幸福なことに思えた。

 ――ティア。
 貴方のことを愛している。
 この手が、空に届くことは無くても。
 それでも私は、貴方が愛したこの世界を生きていこう。
 優しさは美徳だ。信じることは美しい。ただ一つの決意を信条に掲げ、強さを求めることを否定はしない。でも人は、それだけでは生きていけない。
 立ち止まって振り返る、横を見たそのときに。自分を見守っていてくれる人たちを思い出す。そうでなければ、人間は生死を分けるとき、死(かんたんなほう)を選んでしまう。
 生きることは戦いだ。そして、自分が帰るべき場所が無い人間は、本当の意味では戦えない。
 人はずっと自分を信じ、優しさを向けてくれていたのに。
 自分は、ちっぽけな強さだけを、幸福だけを求めて、自分一人だけで生きているつもりだった。
 昔から、強くなりたいと思っていた。
 けれど小さな体では、誰かを守るために手を広げても。結局何も守れやしない。
 弱い心は死を願い、そしてまた誰かを傷つける。
 沢山の人に生かされていたこの命の価値を、気づくのが遅れた私は、これからは罪を背負って生きる。

 貴方に伝えたい言葉がある。
 この心は、誰かの幸福を願う。
 この小さな体に宿る、溢れる想いを貴方に捧げる。
 貴方のことを忘れない。私を愛してくれた貴方を、私が貴方を愛していたことを。
 貴方は私の中で生き続ける。これから先も、ずっと。
 大地を慈しみ、土に染みわたる水のように人を育む。
 与えられた自分の属性の意味を、もう間違いたくはない。
 貴方のことを、愛している。
 どんなに傷付こうとも、私はきっとこの先も、人を愛さずにはいられない。
 人に裏切られても、私はまた人を信じたいと願うことだろう。
 誰かを失っても、また誰かと繋がりたいと思うことだろう。
 地に根を張り聳え立つ。この心は天を目指す。
 想いは、まるで樹が地面に根を張るように強く延び、私という人間を少しずつ変えていく。
 どうか貴方にも信じてほしい。
 私のこの思いが、誰かを守る力になることを。

 この世界には、体の弱い子どもが早世しないよう、逆の性別の名を与える風習がある。
 健康を願いこの名前を与えてくれた父や母が、私を見つめたあの温かい瞳。
 木陰に守られ生きるということ。私は今、それを感じて生きている。
 この体は小さい。
 きっとこの体では、誰かを身を挺して庇うことなんて出来ない。
 でも、この体に宿る心が、魔法となって誰かを守る。そんな力になるなら、私は大嫌いな私のことを、少しは好きになれる気がする。
 届かない青空に手を伸ばす。
 私を慈しんでくれた誰かの愛情が、今はこの心に宿り魔法を生みだしている。
 目を瞑る。彼は思う。
 もう間違わない。
 これからの自分は、誰かを幸せにするために、この力を使いたい。

 ――ごめんなさい。ありがとう。

 この手は空には届かない。
 それでも、託された想いや祈りはきっと、いつか誰かを空へと導くと信じている。
 未熟な自分は。
 もしかしたらまたこれからも、何かを間違えるかもしれない。
 誰かを傷付けて、泣かせることもあるかもしれない。
 でもそれは仕方のないことだ。
 人は未熟な生き物だ。
 誰だって。いつも正しいばかりの選択をして生きていくことは出来ない。

 もしかしたらいつかは、貴方以外にも愛しい人を、私は見つけるのかもしれない。
 生きている限り、人は誰かを思わずにはいられない。
 ――貴方のことを愛している。
 この心が変わることは無いけれど。
 いつか貴方が願ったように。私はいつか、違う誰かを愛せる日が来ると信じている。
 そして、もしそんな日が来るなら。
 私は、その可能性のある相手に、貴方が私にくれたあの葉を贈ってみようと思う。
 その相手が私ではなくても。
 自分の幸運を願うだけでなく、誰かに欠片を渡せる人がいい。
 そういう女性なら、自分はもう一度、恋をしてもいいと思えるかもしれない。
 今のところもうしばらくは、そんなと出会える気はしないけれど。
 もしそんな女性と出会えたら、私はその女性の幸福を、貴方のように願って生きようと思う。
 長い時を生きるこの命。
 その女性が瞳を閉じるその時まで、私はその女性の幸福を願って生きる。
 願わくばその女性の一番傍で、私も共に笑うことができますように。



「いつか、きっと。この病を治す薬を作る。どうか、力を貸してください――ティア」

 精霊晶。
 愛した少女の心臓の宿る剣。
 誰かを守るために剣を使うたびに、彼は彼女の心に触れる。
 人の命は失われても、人の心に人は生きる。

「貴方が愛したこの国を、私が守ると誓います。……この命が、続く限り」


 そうやって、命は巡る。







 ベアトリーチェ・ロッド。
 『神の祝福を受けた子ども』『国の未来を変える者』生後すぐにその肩書を与えられた彼の晩年の呼び名は『騎士伯爵』。
 騎士団に所属し騎士として生きたものの、伯爵として国家に尽くしたことを大きく評価されたことから、この名で呼ばれている。
 生前彼はよくこんなことを語っていたという。
「青い薔薇と赤い薔薇。二人の女性との出会いが、私の人生を変えた」と。

〇歳  『光の巫女』の予言を受け、蘇生。
六歳  ロッド伯爵家の門を叩く。
一〇歳 クリスタロス王国騎士団に入団。
一六歳 伯爵家の養子となる。
   植物園の管理を任され、青い薔薇の研究を開始。
二〇歳 騎士団長副団長に就任。
二三歳 青い薔薇を使った『精霊病』の特効薬の開発に成功
二四歳 騎士団長退団時、新しい騎士団長にユーリ・セルジェスカを指名。
二六歳 魔王討伐作戦に参加 魔王討伐に成功。……………………………………………………………………………………………