リヒト王子の妨害により『光の聖女』が魔王討伐に参加出来ない。
そんな状況が一週間ほど続いた頃、騎士団の中には焦りや苛立ちを感じる者もいた。
馬鹿げた話である。
戦うために異世界から招かれた人間を、鳥のように囲って愛でるなんて、愚かしいとしか言えない。
この行動により、リヒトの騎士団における評価は更に下がった。
確かに、先日と同様の事件が起こる可能性はある。だがその上で戦うのが、『光の聖女』の役目なのだ。
共に戦うためには信頼が必要だ。
騎士は『光の聖女』を信じ命を託し、『光の聖女』は騎士を信じ命を託す。その信頼がなければ、『加護』は生まれない。
そして魔王討伐の後から一週間。ローズはずっと、魔力の制御の訓練をしていた。
「なんとか、力の調整は出来るようになったでしょうか……?」
遠くにある的を狙い魔法を放つ。
もともと弓矢の訓練に使われる的であるが、漸く中心を集中して穿てるようになり、ローズは一安心した。
測定不能の魔力。
強すぎる魔力は、使いこなせなければ味方を危険にさらしてしまう可能性だってある。
「こんにちは。精が出ますね、ローズ様」
「こんにちは。ライゼン」
アルフレッドは、今日もあの少年と一緒だった。
ウィル・ゲートシュタイン。
少し変わった少年だが、彼は光魔法と風魔法に適性を持つらしく、ユーリと同じく風魔法を組み合わせた剣の腕は確かなものだ。
光属性も持つ彼には動物が集まりやすいらしく、よく毛やら羽やらを頭につけていた。
そして彼の周りは、ローズの知る光属性の適正者同様、いつもどこか空気が澄んでいるようにローズは感じた。
「ウィル、挨拶」
「……おはようございます」
「おはようございます。ゲートシュタイン」
ローズは笑顔でそう返した。だが、もうすぐ正午である。
「おはようじゃないだろ!? おはようはお前だけだ!」
「…………」
「おい。目を閉じるな!!」
「ライゼン、無理にゆするのは……」
ローズは苦笑いした。
幼馴染だという二人を見ていると、ローズは少しだけ昔が懐かしくなって胸が痛んだ。でも喧嘩をしている二人は、仲の良さがわかって微笑ましくも見えた。
全力でぶつかりあえるのは、信頼し合っている証だ。
「ローズ様」
そんなことを考えていると、ユーリに名前を呼ばれてローズは振り返った。
アルフレッドとウィルは、ユーリに頭を下げる。
「ここにいらしたのですね」
「はい。新しい石にも慣れなくてはいけませんから」
ローズは当然のように言った。
ユーリは、彼女の前――遠くにある的を見て顔をこわばらせた。
――一体どうやったら。こんなことになるのだろう?
「それにしても……凄い精度ですね」
ローズの魔法は的の真ん中の、更にその真ん中を正確に射抜いていた。
「そうですか?」
一発で針に糸を通すような精密作業だ。しかも連続だなんて、並の技術と集中力では出来ない。
ある意味、ローズの性格がとても良く出ているとも言えた。彼女は昔から大雑把なようで、無駄に細かいところまで気にする。
「ユーリだってできるでしょう?」
ローズの問いにユーリは苦笑いした。
自分が出来ることを努力すれば他人にも出来ると考えてしまうところは、才能がある人間の考え方だ。
「出来なくはありませんが、私の魔法の有効範囲はローズ様よりも狭いので、あまり得意ではないですね。接近戦が得意なのはそのためですし」
「そうなのですか?」
ローズはきょとんとした。
確かにユーリが風魔法を使う時、その範囲は決して広くなかったことを思い出した。
「グラン様にも、魔法そのものはそこまで強くないと言われましたし。私の剣は、魔法と自分の剣の組み合わせですから」
「それでも騎士団長なのだから、ユーリはすごいです」
「そ、そんなことは……」
ローズに褒められてユーリは頬を染める。けれどその後、彼は小さな声でこう付け足した。
「……そもそも私が団長に選ばれたのは、ビーチェの推薦あってこそですし……」
「?」
ユーリの言葉がよく聞こえず、ローズは首を傾げた。
「あの、ローズ様。もしよろしければ、これから少し付き合っていただけませんか?」
「……それは大丈夫ですが」
「ありがとうございます……!」
ローズに見えないよう隠したユーリの手は、いつもより少し濡れていた。
「どこに行けばよいのです?」
◇
「すいません。こんな所に付き合わせてしまって」
「構いませんよ」
ユーリがローズを連れてきたのは、『春の丘』と呼ばれる場所だった。
沢山の花が咲く『春の丘』には、薬草が植えられている場所もある。ユーリのローズへの『お願い』は、薬草摘みの手伝いだった。
「ローズ様なら、植物にも詳しいだろうと」
リストを見ながら、もくもくと薬草を摘んでいくローズ。
ユーリはそんな彼女を見て苦笑いした。パーティーの時も思ったが、この分野にまで造詣の深い令嬢は、この国だけでなく世界でもローズくらいだろう。
「そうですね」
手袋を付けて作業をしていたローズは、作業が終わったのか立ち上がって手袋をはずした。
「……それなりに、勉強はしています」
古来、光魔法と医学・薬学は、別個のものとして扱われてきた。
光魔法は、ある一定の基準を満たす魔力を持つ人間であれば、一日以内の傷は、切り落とされた腕であろうと繋げることも可能だ。
それはまさに、『魔法』というに相応しく。
しかし人体に多くの影響を与える光魔法は、多くの魔力を消費する。
故に光魔法による治療は、非常に高価なものになってしまう。
この世界には、魔法を使える人間とそうでない人間がいる。
魔法を使える人間は貴族に多く、これが経済的な格差に繋がっているとも言われており、魔法を使える者は民を思い行動するのが美徳・責務であるとされているが、流石に大きな病や怪我にまでは力は回らない。
魔法を使った治療を、平民が受けることは難しい。
それにローズやアカリのように規格外の潜在能力を持つ人間となると、どの国にも一人か二人しか生まれず、彼らが大掛かりな魔法を使うことは、国が止めることが多いのだ。
それは王族の有事の際、彼らが常に魔法を使えるようにするためで、そもそも今のように魔王討伐に二人とも参加しているということは、異例中の異例だ。
これまではそのように、別のものとして分けられていた魔法と知識であったが、最近になって魔力を持つとある変わり者の伯爵によって、距離は一気に縮まった。
研究が進められたのは、ここ数十年のことだ。
変わり者の伯爵家の当主が、自身の特殊な魔力を有効活用するために、研究を推し進めたと本で読んだのをローズは記憶していた。
確か今、その研究はその後継者に受け継がれているとの話だった。ローズが、毒草を薬草として使用できると知っているのもそのためだ。
話によると、次期伯爵としても信望を集めているその人物は、三年ほど前に死に至る病とされていた病気の特効薬の開発に成功したと、ローズは聞いたことがあった。
ちなみに、アカリが触ろうとした毒草を城に植えるよう指示したのはリヒトの父のリカルドである。
クリスタロス王国の城には、実は花に見せかけた薬草が多く植えられている。
――リヒトは知らなかったが。
「でもそういえば今日のこと、どうして本人が来なかったのですか?」
今回の依頼は、ユーリではなくローズが指名されていた。
紙に書かれた文字はきっちり整理されていて、こんな文字を書く人間なら大事な薬の原料の採集を、見ず知らずの他人に頼むなんて、ローズはとても思えなかった。
「私に頼んだ相手がここに来ると、花が異常成長してしまって景観を崩す恐れがあるので」
「?」
ユーリはそう言うと苦笑いした。
ローズは首を傾げた。
植物の異常成長ということは、ユーリにこれを頼んだ人物は、地属性の適性を持つ人間ということだろうか。まあそもそも、ここ数十年薬学に興味がある人間となると、地属性に適性がある人間が多いのは事実だが――。
成長を促進させる魔法を故意に使わない限り、異常成長など普通は有り得ない。
自分に依頼した人物についてローズが思案していると、ユーリがローズに訊ねた。
「毒草と薬草を見分けるコツでもあるのですか?」
「あるにはありますが、ユーリには難しいと思いますよ」
「……どうしてですか?」
「見分けるには、地属性に適性が必要だからです」
「地属性の?」
「ええ。勿論知識は必要ですが、地属性に適性を持つ場合、植物の持つ能力というのは、なんとなくわかるんです。地面に根が広がっているから、その本質を理解できるといわれています。ただ適性があってもここまでで、どう組み合わせるべきかやどう魔法をかけるべきかということは、地属性のみではわからないので研究が必要なのです。毒と毒を混ぜることによって、薬になるという話も聞きますし」
ローズは淡々と話す。
「刺されたら死に至ると恐れられていた海洋生物の持つ毒が、希釈することによって人体に影響のない麻酔になるという話も聞きますから、そもそも毒と薬、その他と分けることの自体が誤りなのかもしれません」
「そうなのですね……」
ユーリはどれも初めて聞く内容ばかりで、頷くことしか出来なかった。
まるで教師と生徒のように、ローズは首振り人形化しているユーリを見て少し笑うと、持ってきていた籠を彼に差し出した。
「ユーリ、そろそろお昼にしませんか?」
★
春の丘にある大きな樹の下、二人は地面に座ると、今日の昼食を取り出した。
柔らかな花の香り。すこし湿った土の匂い。そして、草木の微かな苦さと爽やかさが、風に乗って運ばれてくる。
空は快晴。青い空はどこまでも澄んで見える。
外で食べるのに、今日ほど適した日は無いだろう。
今日の昼食はサンドイッチだ。
ローズは、とりあえず一つ彼に渡した。
元々アルフレッド達と一緒に食べようと思って持って来ていたので、ユーリの分は十分ある。
「ありがとうございます」
ユーリはがぶりとサンドイッチに齧り付いた。
「おいしいですね」
「よかった。それ、私がつくったんですよ」
「……これをローズ様が!?」
ローズの手料理。
ユーリからすれば、それだけで感無量だ。
てっきりミリアが作ったとばかり思っていたユーリは、もっと味わって食べればよかったと少しだけ後悔した。
そんな時。
「懐かしいですね」
ローズが空を見上げて言った。
「こうしていると、あの日々のことを思い出します」
ローズは目を細めた。空には、鳥たちが悠々と飛びまわっている。
「そうですね」
ユーリもローズに傚い、空を見上げて目を細めた。
「本当に懐かしい……あの頃は、こうやって過ごすことが、当たり前だと思っていました」
ユーリの言葉にローズも頷く。
「あの頃の私は、小さくて弱くて。ユーリたちを見ていることしか出来なかった。こんなふうに、貴方と話す日が来ることなんて想像もしていませんでした。――でも、今は」
ローズはそう言うと、目線を下げて自分の手を見た。
「昔は出来なかったことも、今は一人で出来るようになりました」
「ローズ様……」
ユーリは彼女の名を口にしていた。
今の彼女には強い意思と共に、誰かが繋ぎ止めなければ風に飛ばされてしまいそうな、そんな脆さを彼は感じた。
ユーリはローズに向かって手を伸ばそうとした。
けれど手が届く前に、ローズはきゅっと唇を噛んで、いつもの表情《かお》に戻ってしまった。
「ユーリ。先日の魔法陣について、なにかわかったことはありますか?」
「いいえ」
ユーリは首を振った。
本来であればユーリは、部下であるローズに情報を開示する責任は無い。
「一応指輪の調査は行ったのですが、式は完全に壊れていて復元も不可能とのことでした」
だというのにその問いに答えてしまうのは、ユーリの甘さだった。
「そうですか……」
ローズは、得た情報をもとに考え込む。
魔力によって使える魔法の威力は変わるが、魔法は基本、属性への適性と式さえあれば発動出来る。そして解呪の式も含め、石に書き込まれた式は通常他の石に書き写すことが可能だ。
「それとローズ様の指輪の石についてですが、少し不可解なことがありまして。あの石がなんの石か、結局わからなかったそうです。ローズ様は石に荷物を収納されていたとのことですが、石は本来魔法式を書き込むことは出来ても、荷物の収納までは出来ないそうで……そこまで大きな空間を持つ石は、記録に無いとのことです」
「そうですか」
あまり気にしていなかったが、やはり異常なことだったらしい。
ローズは顔を顰めて考えていたが、ユーリにじっと顔を見られていることに気付いてから笑顔を作った。
もともと気が強そうと言われる顏なのだ。これ以上怖い顔をしてはいけない。
「薬草も無事集まりましたし、ご飯も食べましたし帰りましょうか?」
籠を持ち立ち上がったローズは、そう言うとユーリに手を差し出した。
◇
帰り道、ユーリはずっと先程のローズのことを考えていた。
空を見上げる瞳、言葉。何もかもが、彼の不安を膨らませる。
指輪のことだってそうだ。
もう同じ魔法が使えないなら、今度は本当にローズは死んでしまうかもしれない。
「……ユーリ?」
騎士団の門の前で、ユーリは扉を開こうとしたローズの前に立ち塞がった。
「……ローズ様。やはり貴方が、魔王と戦うなんて危険過ぎます」
ユーリの瞳は不安に揺れる。
そんな彼を、ローズは真っ直ぐに見つめていた。
ローズはユーリの唇に人差し指を押し当てると、「お願い」とでもいうように少し悲しそうな顔をした。
「言わないでください。……私を、騎士でいさせてください」
「……っ!」
自分の唇に触れる感触に、ユーリは声が出なかった。自分に向けられる何もかもが、彼から思考を奪ってしまう。
ユーリではローズを止められない。
動けないユーリを置いて、ローズは騎士団の門を開いた。
「お帰りなさい」
門を抜けると、アルフレッドがローズにそう言って笑いかけた。
「ローズ様は、団長のことをどうお考えなのですか?」
「ユーリは、私の大切な幼馴染。過保護すぎるのは反省して欲しいけれど」
「手厳しいですね。そしてそんな相手にああ言われても、ローズ様は騎士をやめるつもりはない、と」
アルフレッドは苦笑いする。
「私は今騎士をやめることは出来ない。約束したから。この国を守ると」
――誰と、とはローズは口にしなかった。
ローズはそう言って遠くを見やる。まるで過去に思いを馳せるかのように。
「……やはり彼女は、騎士には相応しくない」
その様子を見ていた小さな影は、静かに目を伏せてその場を去った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ローズ・クロサイト様。会議への参加をお願いします」
「え?」
翌日、ローズがいつも通りアルフレッド達と訓練をしていると、突然そう言われてローズは驚いた。
「なんでローズ様が……」
しかし当のローズより、アルフレッドの方が驚いているようだった。
「そもそも会議とはなんなのですか?」
「……内容は僕にはわかりませんが、騎士団の会議には、統括する立場の人間のみが参加するものかと」
アルフレッドは静かに答える。
となると、ローズには余計に呼び出される理由がわからなかった。
「どうして私が?」
「副団長が、貴方も参加するようにと」
「副団長……?」
問いの答えに、ローズは更に首を傾げた。
ローズは当の副団長とは、これまで一度も言葉を交わしたことが無かった。
ローズは顔を顰めた。
もしかしたらその副団長は、自分にとって警戒すべき相手なのかもしれない。ローズは何故かそう思った。
会議の議長を努めたのは、先日の魔王討伐の際、ユーリの隣にいた少年だった。
彼の補佐をしているのは、ローズを過去捕縛した少年だ。
副団長とは彼だろうか? 黄緑の瞳と目が合ったが、すぐに視線を避けられる。ローズは机の下で拳を作った。
やはり、良い印象を持たれていないのは確実らしい。
「資料の通り、魔力が高いとされている者たちから順に、眠りについています。王族だけでなく平民出の人間も含まれるとなると、王子のみを狙ったものとは考え難い。また同時期、魔王が巨大化したという記録が上がっています」
会議の内容は、ローズが騎士としてではなく、公爵令嬢として父から話を聞いていた内容だった。
あの魔王討伐作戦から一週間。
世界中で高い魔力を持つという王子たちが眠りについているという話を、ローズは父から聞いていた。
しかし魔王が大きくなっているという話は、初めて知る話だった。
「それは……」
「他国の王子たちが眠りについた時期は、魔王が巨大化した時期とも一致します」
淡々と彼は話す。
「昨日、私は前回の討伐隊の際、襲撃を受けた地点まで向かった結果、各国から流れ出た魔力が、全て魔王に注がれていることが判明致しました。またこのことから、クリスタロス王国で十年前から眠り続けているお二方の魔力も、魔王の魔力の供給源になっていることがわかりました」
「なんだと!?」
しかし明かされる内容が内容だけに、立ち上がって声を上げる者も居た。
当然だ。
「このことに気付けなかったのは、私の落ち度です。申し訳ありません。魔王が復活したのが三カ月前。一○年も昔のことが、今になって影響を及ぼすとは考えておりませんでした。魔王は魔力の強い人間の生命活動を最低限に保ち、その器に本来満たされるべき魔力を、自らの力として吸収している可能性があります。三ヶ月前の魔王の復活は、彼らの魔力を十年間蓄えた結果、漸く復活出来たという見方もできるでしょう」
「……では、レオン様がこの国を脅かしていると?」
老年の騎士の一人が、声を震わせて尋ねた。
「――その言い方は相応しくないでしょう。彼らは奪われているだけに過ぎない。魔法の行使を人は意識して行いますが、魔力の貯蔵・回復については、本人の意識は介在しないのですから」
あくまで冷静に、ベアトリーチェは持論を述べる。
「おそらく魔王の核とは、魔力を吸収し貯蔵する力を持つ石なのでしょう。……これまで魔力を貯蔵出来る石は、神殿の石以外には存在しなかった。その石が人の生命力を奪うという話も聞いていない。けれど先日、ローズ様の指輪にかけられた保護魔法の発動により、『魔力を保存できる石』が他にも存在しうる可能性が出てきました。だからこそそのような石がもし存在し、かつ何らかの原因で闇の力の影響を受け、それがまるで生き物のように魔力を捕食し成長したのだとしたら――……」
彼は静かに目を伏せる。
「もしかしたらその石のことを、私たちは『魔王』と呼び、恐れているに過ぎないのかもしれない」
「なん、だと……!?」
「それを証明するために貴方をお呼びしました。……ローズ様」
一同に視線を向けられて、ローズはびくりと反応した。
「――私、ですか?」
「ええ。そのために、私に貴方の……」
ベアトリーチェはローズに対し、好意的な表情を見せていた。
――今、この状況においてのみは。
ローズは拳に力を籠めた。自分を見つめる彼の印象は、その外見とまるで一致しない。
年の離れた大人が、年下相手に自分の都合のいいように話を進めているような――今日自分が呼ばれたのは、彼の陣地に無理やり引きずり込むためのような――そんな威圧感が、彼の言葉にはあった。
飲みこまれる。
ローズは、彼の瞳を精一杯見つめ返した。
けれど相手は、ローズのことなど歯牙にもかけていないという様子だった。
今のローズにとって、一秒は一日にだって感じられた。
――この人は、怖い。
ローズがそう思い、彼が――ベアトリーチェが、薄く笑ったまさにその時。
「ローズ・クロサイト! 出てこい!」
会議室の外から聞こえた声は、張り詰めた空気を断ち切った。
怒っている、子どもの様な声。
「……何やら、外から声がしますね」
ベアトリーチェは窓を向き目を細め、眉間に深い皺を作った。
ローズは窓を開けると、風魔法を発動させて窓から外に飛び降りた。
あまりの素早さに、誰も止めるものは居ない。
ローズはふわりと地面に着地すると、声の主を見て顔を顰めた。
建物の外には、ローズの元婚約者であるリヒトがいた。
「……リヒト様、何故ここに居らっしゃったのです?」
険しい表情を浮かべるリヒト相手に、ローズは尋ねる。
リヒトは、まさか窓から飛び降りるとは思っていなかったため目を瞬かせていたが、ローズの言葉に我に返ると、すぐさま彼女を罵った。
「ローズ! お前、俺に呪いをかけただろう!」
「人を悪人のように言わないでくださいますか? 私がそんなことをして、一体何の得になるというのです」
「じゃあなんで、俺の魔法が弱くなっているんだよ!」
「知りません。王子自身に身に覚えはないのですか? 最近変わったこと、など」
「あるわけないだろ!?」
リヒトは憤慨した。
「人の魔力を奪うなんてそんな芸当、出来るのはお前くらいしか考えられない」
リヒトはさも当然のように言った。
とんだ偏見だ、とローズは思う。彼は自分のことを、いったいなんだと思っているのか……。
「あ」
しかし会話をしているうちに、ローズはあることを思い出した。
「……そういえば私の話になりますが、先日の魔王討伐の際、以前いただいた指輪が壊れました」
「は……はあっ!? お、お前! あれは王家の財宝の一つだぞ!?」
リヒトは焦っているようにローズには見えた。
「え?」
ローズは首を傾げた。
「何故そんな大切なもの、私に下さったのです?」
「――それは……」
ローズの問いに、リヒトは口ごもった。唇を噛んで、彼はローズから顔を背けた。
「……リヒト様?」
ローズはリヒトに手を伸ばそうとした。しかしその行動は、冷たい声で遮られた。
「喧嘩はよそでやってくださいますか? ローズ様、リヒト様」
ローズとは違い、階段で降りてきたらしい彼は、二人に侮蔑の目を向けていた。
「リヒト様。貴方には一国の王子として、このような行動は謹んでいただきたい」
「……!」
まさか騎士団で叱られるなんて、リヒトは予想もしていなかったのだろう。碧の瞳が大きく見開かれる。
「レオン様とは大違い、ですね。――私は願えるなら、リヒト様ではなくレオン様のために戦いたかった」
そして次に彼にかけられた言葉によって、リヒトの顔から表情が消えうせた。
「ビーチェ!」
その姿を見て、ユーリは思わずベアトリーチェの名を呼んでいた。
リヒトはローズを苦しめた。このことで、ユーリ自身リヒトを憎んでいるのは確かだった。
それでも、ユーリにとってリヒトが幼馴染であることは変えられない。
どんなに憎らしく思っても、トラウマを引きずり出すようなベアトリーチェの言葉を、ユーリは見過ごすことは出来なかった。
「ユーリ」
そんなユーリの甘さに、ベアトリーチェはついに堪忍袋の緒が切れた。
「幼馴染相手とはいえど、貴方は甘すぎます」
ベアトリーチェは厳しくユーリを叱責した。
普段温厚な人間ほど怒らせると怖い。ユーリはそれ以上何も言えず口を噤んだ。
クリスタロス王国には、もう一人王子が存在する。
リヒトの兄、レオン・クリスタロス。
幼い頃から魔法も碌に使えない出来そこないの弟《リヒト》と違い、兄であるレオン王子は当時世界中の王子と比べても一、二を争う程強い魔力を持ち、才能があると賞賛されて美しく立派な王子だった。
誰もが彼を未来の王にと望んでいた。
だからこそ一〇年前、レオンが原因不明のまま眠りについた時は、国中が悲しんだ。
そして彼より明らかに劣るリヒトが次期王位継承者となり、彼はローズと婚約した。
婚約は、不出来な彼を支えるためのものである――彼らを知る人間であればある程、二人の婚約はそう映った。
レオンが眠りにつく前。
当時一六歳だったベアトリーチェは、何度か彼と会ったことがある。
レオンはベアトリーチェの体格や能力、性格を蔑むどころか高く評価し、ベアトリーチェを「副団長に相応しい人材」であると、当時の団長に推薦した。
『彼は、必ず役に立つ人間になるでしょう。団長には向いていない。けれど――彼には、補佐の才がある』
当時のベアトリーチェは一人でしか戦う術を知らず、一人その能力を、接近戦に活かして戦っていた。
しかし今のベアトリーチェは、後援を得意とする。
彼は前団長に指名され、副団長の地位を得た。そして前団長が騎士団を去った時、ベアトリーチェは新しい団長として、ユーリを指名した。
――その未来を。まだ幼かったレオンは、見事に言い当てたのだ。
「レオン様さえいてくだされば、こんなことにはならなかったのに」
それはリヒトに対しては禁句だ。
でもベアトリーチェの言葉を、誰も否定しなかった。
部下である彼が、自分たちの長であるユーリを叱っても、責めるものは誰も居ない。
宴会の時の、ユーリに対する軽口だってそうだ。
騎士団の誰もが、ユーリの実力は認めている。
けれど精神面については、老年の騎士はまるで孫を見守るような視線をユーリに送る。
ユーリ・セルジェスカが、騎士団長としてその座に居ることが出来るのは、彼を補佐するベアトリーチェへの信頼のおかげなのだ。
その彼が、今の騎士団に不快感を示しているのだ。
騎士団の中がぴりりとした空気に支配される。
「――静かにしていてください。ここは、子どもの遊び場ではないのですから」
ベアトリーチェはそう言うと、固まったまま動けないリヒトたちに背を向け歩き出した。
魔王が復活したというこの大事に、王家は婚約破棄、しかも騎士団は、公爵令嬢というお荷物な『騎士』を抱える羽目になった。
彼女が来たせいで、騎士団の中は落ち着かない。
騎士団を率いなければならないユーリは、ローズに気を取られて守るべき相手を間違える。
国を守る騎士であるベアトリーチェにとって、公爵令嬢よりも『光の聖女』のほうが重要だ。
まだ力を覚醒させていないとはいえ、今後の魔王討伐に役に立つのは、彼にはどう考えても『光の聖女』だとしか思えなかった。
だから――アカリを危険に晒す可能性のあり、ユーリの立場を揺らがせるローズを、ベアトリーチェは認めることは出来なかった。
「……全く。これでは、私のほうが先に胃に穴が空いてしまいそうです」
ベアトリーチェの退席により、会議は明日に持ち越しされることとなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜。
ローズが帰宅し入浴を済ませて一人屋敷の中を歩いていると、暗い庭の中に思わぬ人物を発見して、彼女は思わず手にしていた灯りを落としかけた。
夜の庭の中に、『光の聖女』であるアカリが立っていたのだ。
ローズは窓を広くと、風魔法を使って庭に降りた。
「ローズさん!」
「あ、アカリ? なぜ貴方がこちらに……?」
アカリが公爵家にはいるための解呪の式を持っているとも思えず、ローズは慌てた。普通式も無しに、敷地内に入ることは不可能だ。
「えっと、その……。私、この世界の鍵? には影響は受けない体質みたいで……」
彼女の言葉の意味を理解するのに、ローズはいつもより時間を要した。つまり彼女には、鍵は意味をなさないらしい。
「アカリ。とにかく夜も遅いですし、ユーリを呼びます。貴方は私の部屋ヘ来てください」
「わっ」
ローズはそう言うと、屋敷の人間に出来る限り彼女の存在がばれないよう、アカリを抱きかかえ、自分の部屋へと誘導した。
「すいません、こんな遅くに……ここが、ローズさんのお部屋なのですね」
ローズの部屋に入ったアカリは、きょろきょろと部屋の中を見渡していた。
ローズは魔法陣の書きこまれた紙にユーリへの手紙を書くと、鳥の形にして飛ばした。
「すいません。散らかってしまっていて」
ローズはそう言ったものの、部屋は掃除したてのように綺麗だった。
ローズの言葉にアカリは苦笑いした。
「ローズさんは、本当に何でもできる方なんですね」
「そうですか?」
「私とは大違い。私の部屋は……その、『散らかっている』と私が言う時は、本当に散らかってしまっているので……」
「……そうなのですか?」
顔をゆがめるアカリを見て、ローズはくすりと笑ってたずねた。
二人はたわいない話をした。
ユーリが来るまで、ローズは彼女の話に相槌を打ちながら紅茶を淹れた。
「どうぞ」
ローズはアカリに紅茶を出すと、彼女の前の椅子に座った。
「……美味しい」
アカリは一口飲んで顔を綻ばせた。
その表情からは、ローズに対する悪意は見えない。
そもそも、信用していない相手から飲み物を受け取り口をつけるなんて、余程の馬鹿ではない限り有り得ない。
「……ローズさん」
アカリは僅かに目線を下げたかと思うと、立ち上がって頭を下げた。
「ずっと、騎士団の討伐に参加できずすいませんでした。本当は、自分の役目を果たさなきゃいけないって思っていたんですが……リヒト様に、なかなか部屋から出してもらえなくて」
「……」
アカリの言葉は、聞きようによってはローズに対する嫌味のようにもとれた。
けれどローズは、アカリはもっと別のことを自分に伝えようとしているような気がした。
それは――二人の関係について。
「リヒト様、言うんです。『また失敗したらどうするんだ』『今度はもっとつらい目に遭うかもしれない』って。まるで小さな子どもを守るみたいに、外から部屋に鍵を掛けて出してくれない」
それが何によって、結びついたものなのか。
「リヒト様はもしかしたら、私と自分を重ねているのかもしれません。自分が出来ないから、私がまた失敗するのを恐れているというか。……でもそれって、私もだけど、自分も信じていないのと同じですよね……?」
ローズは黙って彼女の話を聞いていた。
周りの評価はどうであれ、ローズにはアカリが考えなしで動くような、自分勝手な人間だと思えなかった。
そもそも繊細な感性が求められる光魔法に適性がある人間が、馬鹿な少女のわけがない。
「……リヒト様は」
ローズは自分も一口紅茶を飲んでから口を開いた。
「昔から魔法が苦手なのです。だから、それは仕方がないのかもしれません。兄であったレオン様とは違って、彼は昔から魔法が使えていなかった。十五歳の魔力測定の際は、ある程度の数字が出ていたようでしたので、大丈夫かと思っていたのですが……」
「でも、この間は……?」
「そこが不思議なのです。ずっと使えていた魔法が使えないようになるなんて。だってあれでは、まるで昔の――……」
――昔の?
ローズは、カップを持っていた手を止めた。
魔力を貯めておける石。あの指輪が、そうであったなら。
その石が壊れリヒトが魔法を使えなくなったということは、きっと偶然ではない。
王家の財宝の一つの指輪。
魔法を使えなくなり、驚いていたリヒト。きっと彼は知らなかった。その二つの指輪が、どんな力を持つのかを。
ローズは思考を巡らせる。
「まさか……」
自分が彼からもらった指輪は。
指輪が壊れ、ローズの魔力が突然跳ね上がったのなら――。
ローズは立ち上がり、銀色のフレームのガラスケースの中から、薔薇の形をした小箱を取り出した。
中には真っ二つに割れた、リヒトから貰った指輪が入っている。
「ローズさん? 何を見て……」
アカリはローズに駆け寄って小箱の中を覗いた。
「――その、指輪は……」
「アカリ、どうしたのです?」
「それは……せ、誓約の指輪です!」
アカリは叫び、それから手で口をふさいだ。ローズには、彼女の行動の意味が理解出来なかった。
王家の財宝。
リヒトでさえ効果を知らず未知の力を秘めた指輪のことを、何故彼女が知っているのか。
「アカリ。貴方は……」
そもそもおかしな点は他にもあった。
鍵を無効化出来る力を持つ人間がいるとして、それが世間的に『鍵』だと認識されていると知っていた場合、そう簡単に突破しようとするものだろうか?
『アカリ・ナナセ』は馬鹿じゃない。
『鍵』という考え方が彼女にあるなら、その常識を崩そうとはしないだろう。
今のローズにはそう思えた。
他にも疑問点はある。
アカリとローズが出逢ったのは、リヒトに彼女を紹介される前だった。
だというのにアカリはその時からすでに、自分に対して怯えているように見えたことを、ローズは鮮明に覚えていた。
挨拶しようとしたら、あからさまに怯えられて逃げられたので落ち込んだのだ。
『これまではちょっと怖かったんですけど、昨日守ってもらえて、今日相談にものってもらえて、もしかしたらローズさんは、私が思ってるよりずっと優しい人なんじゃないかって思って』
彼女のあの言葉の中に、別の意味があったとしたら?
アカリに抱いていた疑問が、凡そ解決出来るように思えた。
ローズは意を決してアカリに尋ねた。
「貴方は、何か知っているのですか……?」
この世界の秘密を。
私と貴方が、出会う前に私を。
普通に考えれば、ローズの質問はただの問いに過ぎない。
けれどその問いに対し、あきらかな動揺を見せたアカリを見て、ローズは確信した。
彼女は。『光の聖女』は。
ずっと何か大切なことを、自分たちに故意に隠してきたのだと。
そんな状況が一週間ほど続いた頃、騎士団の中には焦りや苛立ちを感じる者もいた。
馬鹿げた話である。
戦うために異世界から招かれた人間を、鳥のように囲って愛でるなんて、愚かしいとしか言えない。
この行動により、リヒトの騎士団における評価は更に下がった。
確かに、先日と同様の事件が起こる可能性はある。だがその上で戦うのが、『光の聖女』の役目なのだ。
共に戦うためには信頼が必要だ。
騎士は『光の聖女』を信じ命を託し、『光の聖女』は騎士を信じ命を託す。その信頼がなければ、『加護』は生まれない。
そして魔王討伐の後から一週間。ローズはずっと、魔力の制御の訓練をしていた。
「なんとか、力の調整は出来るようになったでしょうか……?」
遠くにある的を狙い魔法を放つ。
もともと弓矢の訓練に使われる的であるが、漸く中心を集中して穿てるようになり、ローズは一安心した。
測定不能の魔力。
強すぎる魔力は、使いこなせなければ味方を危険にさらしてしまう可能性だってある。
「こんにちは。精が出ますね、ローズ様」
「こんにちは。ライゼン」
アルフレッドは、今日もあの少年と一緒だった。
ウィル・ゲートシュタイン。
少し変わった少年だが、彼は光魔法と風魔法に適性を持つらしく、ユーリと同じく風魔法を組み合わせた剣の腕は確かなものだ。
光属性も持つ彼には動物が集まりやすいらしく、よく毛やら羽やらを頭につけていた。
そして彼の周りは、ローズの知る光属性の適正者同様、いつもどこか空気が澄んでいるようにローズは感じた。
「ウィル、挨拶」
「……おはようございます」
「おはようございます。ゲートシュタイン」
ローズは笑顔でそう返した。だが、もうすぐ正午である。
「おはようじゃないだろ!? おはようはお前だけだ!」
「…………」
「おい。目を閉じるな!!」
「ライゼン、無理にゆするのは……」
ローズは苦笑いした。
幼馴染だという二人を見ていると、ローズは少しだけ昔が懐かしくなって胸が痛んだ。でも喧嘩をしている二人は、仲の良さがわかって微笑ましくも見えた。
全力でぶつかりあえるのは、信頼し合っている証だ。
「ローズ様」
そんなことを考えていると、ユーリに名前を呼ばれてローズは振り返った。
アルフレッドとウィルは、ユーリに頭を下げる。
「ここにいらしたのですね」
「はい。新しい石にも慣れなくてはいけませんから」
ローズは当然のように言った。
ユーリは、彼女の前――遠くにある的を見て顔をこわばらせた。
――一体どうやったら。こんなことになるのだろう?
「それにしても……凄い精度ですね」
ローズの魔法は的の真ん中の、更にその真ん中を正確に射抜いていた。
「そうですか?」
一発で針に糸を通すような精密作業だ。しかも連続だなんて、並の技術と集中力では出来ない。
ある意味、ローズの性格がとても良く出ているとも言えた。彼女は昔から大雑把なようで、無駄に細かいところまで気にする。
「ユーリだってできるでしょう?」
ローズの問いにユーリは苦笑いした。
自分が出来ることを努力すれば他人にも出来ると考えてしまうところは、才能がある人間の考え方だ。
「出来なくはありませんが、私の魔法の有効範囲はローズ様よりも狭いので、あまり得意ではないですね。接近戦が得意なのはそのためですし」
「そうなのですか?」
ローズはきょとんとした。
確かにユーリが風魔法を使う時、その範囲は決して広くなかったことを思い出した。
「グラン様にも、魔法そのものはそこまで強くないと言われましたし。私の剣は、魔法と自分の剣の組み合わせですから」
「それでも騎士団長なのだから、ユーリはすごいです」
「そ、そんなことは……」
ローズに褒められてユーリは頬を染める。けれどその後、彼は小さな声でこう付け足した。
「……そもそも私が団長に選ばれたのは、ビーチェの推薦あってこそですし……」
「?」
ユーリの言葉がよく聞こえず、ローズは首を傾げた。
「あの、ローズ様。もしよろしければ、これから少し付き合っていただけませんか?」
「……それは大丈夫ですが」
「ありがとうございます……!」
ローズに見えないよう隠したユーリの手は、いつもより少し濡れていた。
「どこに行けばよいのです?」
◇
「すいません。こんな所に付き合わせてしまって」
「構いませんよ」
ユーリがローズを連れてきたのは、『春の丘』と呼ばれる場所だった。
沢山の花が咲く『春の丘』には、薬草が植えられている場所もある。ユーリのローズへの『お願い』は、薬草摘みの手伝いだった。
「ローズ様なら、植物にも詳しいだろうと」
リストを見ながら、もくもくと薬草を摘んでいくローズ。
ユーリはそんな彼女を見て苦笑いした。パーティーの時も思ったが、この分野にまで造詣の深い令嬢は、この国だけでなく世界でもローズくらいだろう。
「そうですね」
手袋を付けて作業をしていたローズは、作業が終わったのか立ち上がって手袋をはずした。
「……それなりに、勉強はしています」
古来、光魔法と医学・薬学は、別個のものとして扱われてきた。
光魔法は、ある一定の基準を満たす魔力を持つ人間であれば、一日以内の傷は、切り落とされた腕であろうと繋げることも可能だ。
それはまさに、『魔法』というに相応しく。
しかし人体に多くの影響を与える光魔法は、多くの魔力を消費する。
故に光魔法による治療は、非常に高価なものになってしまう。
この世界には、魔法を使える人間とそうでない人間がいる。
魔法を使える人間は貴族に多く、これが経済的な格差に繋がっているとも言われており、魔法を使える者は民を思い行動するのが美徳・責務であるとされているが、流石に大きな病や怪我にまでは力は回らない。
魔法を使った治療を、平民が受けることは難しい。
それにローズやアカリのように規格外の潜在能力を持つ人間となると、どの国にも一人か二人しか生まれず、彼らが大掛かりな魔法を使うことは、国が止めることが多いのだ。
それは王族の有事の際、彼らが常に魔法を使えるようにするためで、そもそも今のように魔王討伐に二人とも参加しているということは、異例中の異例だ。
これまではそのように、別のものとして分けられていた魔法と知識であったが、最近になって魔力を持つとある変わり者の伯爵によって、距離は一気に縮まった。
研究が進められたのは、ここ数十年のことだ。
変わり者の伯爵家の当主が、自身の特殊な魔力を有効活用するために、研究を推し進めたと本で読んだのをローズは記憶していた。
確か今、その研究はその後継者に受け継がれているとの話だった。ローズが、毒草を薬草として使用できると知っているのもそのためだ。
話によると、次期伯爵としても信望を集めているその人物は、三年ほど前に死に至る病とされていた病気の特効薬の開発に成功したと、ローズは聞いたことがあった。
ちなみに、アカリが触ろうとした毒草を城に植えるよう指示したのはリヒトの父のリカルドである。
クリスタロス王国の城には、実は花に見せかけた薬草が多く植えられている。
――リヒトは知らなかったが。
「でもそういえば今日のこと、どうして本人が来なかったのですか?」
今回の依頼は、ユーリではなくローズが指名されていた。
紙に書かれた文字はきっちり整理されていて、こんな文字を書く人間なら大事な薬の原料の採集を、見ず知らずの他人に頼むなんて、ローズはとても思えなかった。
「私に頼んだ相手がここに来ると、花が異常成長してしまって景観を崩す恐れがあるので」
「?」
ユーリはそう言うと苦笑いした。
ローズは首を傾げた。
植物の異常成長ということは、ユーリにこれを頼んだ人物は、地属性の適性を持つ人間ということだろうか。まあそもそも、ここ数十年薬学に興味がある人間となると、地属性に適性がある人間が多いのは事実だが――。
成長を促進させる魔法を故意に使わない限り、異常成長など普通は有り得ない。
自分に依頼した人物についてローズが思案していると、ユーリがローズに訊ねた。
「毒草と薬草を見分けるコツでもあるのですか?」
「あるにはありますが、ユーリには難しいと思いますよ」
「……どうしてですか?」
「見分けるには、地属性に適性が必要だからです」
「地属性の?」
「ええ。勿論知識は必要ですが、地属性に適性を持つ場合、植物の持つ能力というのは、なんとなくわかるんです。地面に根が広がっているから、その本質を理解できるといわれています。ただ適性があってもここまでで、どう組み合わせるべきかやどう魔法をかけるべきかということは、地属性のみではわからないので研究が必要なのです。毒と毒を混ぜることによって、薬になるという話も聞きますし」
ローズは淡々と話す。
「刺されたら死に至ると恐れられていた海洋生物の持つ毒が、希釈することによって人体に影響のない麻酔になるという話も聞きますから、そもそも毒と薬、その他と分けることの自体が誤りなのかもしれません」
「そうなのですね……」
ユーリはどれも初めて聞く内容ばかりで、頷くことしか出来なかった。
まるで教師と生徒のように、ローズは首振り人形化しているユーリを見て少し笑うと、持ってきていた籠を彼に差し出した。
「ユーリ、そろそろお昼にしませんか?」
★
春の丘にある大きな樹の下、二人は地面に座ると、今日の昼食を取り出した。
柔らかな花の香り。すこし湿った土の匂い。そして、草木の微かな苦さと爽やかさが、風に乗って運ばれてくる。
空は快晴。青い空はどこまでも澄んで見える。
外で食べるのに、今日ほど適した日は無いだろう。
今日の昼食はサンドイッチだ。
ローズは、とりあえず一つ彼に渡した。
元々アルフレッド達と一緒に食べようと思って持って来ていたので、ユーリの分は十分ある。
「ありがとうございます」
ユーリはがぶりとサンドイッチに齧り付いた。
「おいしいですね」
「よかった。それ、私がつくったんですよ」
「……これをローズ様が!?」
ローズの手料理。
ユーリからすれば、それだけで感無量だ。
てっきりミリアが作ったとばかり思っていたユーリは、もっと味わって食べればよかったと少しだけ後悔した。
そんな時。
「懐かしいですね」
ローズが空を見上げて言った。
「こうしていると、あの日々のことを思い出します」
ローズは目を細めた。空には、鳥たちが悠々と飛びまわっている。
「そうですね」
ユーリもローズに傚い、空を見上げて目を細めた。
「本当に懐かしい……あの頃は、こうやって過ごすことが、当たり前だと思っていました」
ユーリの言葉にローズも頷く。
「あの頃の私は、小さくて弱くて。ユーリたちを見ていることしか出来なかった。こんなふうに、貴方と話す日が来ることなんて想像もしていませんでした。――でも、今は」
ローズはそう言うと、目線を下げて自分の手を見た。
「昔は出来なかったことも、今は一人で出来るようになりました」
「ローズ様……」
ユーリは彼女の名を口にしていた。
今の彼女には強い意思と共に、誰かが繋ぎ止めなければ風に飛ばされてしまいそうな、そんな脆さを彼は感じた。
ユーリはローズに向かって手を伸ばそうとした。
けれど手が届く前に、ローズはきゅっと唇を噛んで、いつもの表情《かお》に戻ってしまった。
「ユーリ。先日の魔法陣について、なにかわかったことはありますか?」
「いいえ」
ユーリは首を振った。
本来であればユーリは、部下であるローズに情報を開示する責任は無い。
「一応指輪の調査は行ったのですが、式は完全に壊れていて復元も不可能とのことでした」
だというのにその問いに答えてしまうのは、ユーリの甘さだった。
「そうですか……」
ローズは、得た情報をもとに考え込む。
魔力によって使える魔法の威力は変わるが、魔法は基本、属性への適性と式さえあれば発動出来る。そして解呪の式も含め、石に書き込まれた式は通常他の石に書き写すことが可能だ。
「それとローズ様の指輪の石についてですが、少し不可解なことがありまして。あの石がなんの石か、結局わからなかったそうです。ローズ様は石に荷物を収納されていたとのことですが、石は本来魔法式を書き込むことは出来ても、荷物の収納までは出来ないそうで……そこまで大きな空間を持つ石は、記録に無いとのことです」
「そうですか」
あまり気にしていなかったが、やはり異常なことだったらしい。
ローズは顔を顰めて考えていたが、ユーリにじっと顔を見られていることに気付いてから笑顔を作った。
もともと気が強そうと言われる顏なのだ。これ以上怖い顔をしてはいけない。
「薬草も無事集まりましたし、ご飯も食べましたし帰りましょうか?」
籠を持ち立ち上がったローズは、そう言うとユーリに手を差し出した。
◇
帰り道、ユーリはずっと先程のローズのことを考えていた。
空を見上げる瞳、言葉。何もかもが、彼の不安を膨らませる。
指輪のことだってそうだ。
もう同じ魔法が使えないなら、今度は本当にローズは死んでしまうかもしれない。
「……ユーリ?」
騎士団の門の前で、ユーリは扉を開こうとしたローズの前に立ち塞がった。
「……ローズ様。やはり貴方が、魔王と戦うなんて危険過ぎます」
ユーリの瞳は不安に揺れる。
そんな彼を、ローズは真っ直ぐに見つめていた。
ローズはユーリの唇に人差し指を押し当てると、「お願い」とでもいうように少し悲しそうな顔をした。
「言わないでください。……私を、騎士でいさせてください」
「……っ!」
自分の唇に触れる感触に、ユーリは声が出なかった。自分に向けられる何もかもが、彼から思考を奪ってしまう。
ユーリではローズを止められない。
動けないユーリを置いて、ローズは騎士団の門を開いた。
「お帰りなさい」
門を抜けると、アルフレッドがローズにそう言って笑いかけた。
「ローズ様は、団長のことをどうお考えなのですか?」
「ユーリは、私の大切な幼馴染。過保護すぎるのは反省して欲しいけれど」
「手厳しいですね。そしてそんな相手にああ言われても、ローズ様は騎士をやめるつもりはない、と」
アルフレッドは苦笑いする。
「私は今騎士をやめることは出来ない。約束したから。この国を守ると」
――誰と、とはローズは口にしなかった。
ローズはそう言って遠くを見やる。まるで過去に思いを馳せるかのように。
「……やはり彼女は、騎士には相応しくない」
その様子を見ていた小さな影は、静かに目を伏せてその場を去った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ローズ・クロサイト様。会議への参加をお願いします」
「え?」
翌日、ローズがいつも通りアルフレッド達と訓練をしていると、突然そう言われてローズは驚いた。
「なんでローズ様が……」
しかし当のローズより、アルフレッドの方が驚いているようだった。
「そもそも会議とはなんなのですか?」
「……内容は僕にはわかりませんが、騎士団の会議には、統括する立場の人間のみが参加するものかと」
アルフレッドは静かに答える。
となると、ローズには余計に呼び出される理由がわからなかった。
「どうして私が?」
「副団長が、貴方も参加するようにと」
「副団長……?」
問いの答えに、ローズは更に首を傾げた。
ローズは当の副団長とは、これまで一度も言葉を交わしたことが無かった。
ローズは顔を顰めた。
もしかしたらその副団長は、自分にとって警戒すべき相手なのかもしれない。ローズは何故かそう思った。
会議の議長を努めたのは、先日の魔王討伐の際、ユーリの隣にいた少年だった。
彼の補佐をしているのは、ローズを過去捕縛した少年だ。
副団長とは彼だろうか? 黄緑の瞳と目が合ったが、すぐに視線を避けられる。ローズは机の下で拳を作った。
やはり、良い印象を持たれていないのは確実らしい。
「資料の通り、魔力が高いとされている者たちから順に、眠りについています。王族だけでなく平民出の人間も含まれるとなると、王子のみを狙ったものとは考え難い。また同時期、魔王が巨大化したという記録が上がっています」
会議の内容は、ローズが騎士としてではなく、公爵令嬢として父から話を聞いていた内容だった。
あの魔王討伐作戦から一週間。
世界中で高い魔力を持つという王子たちが眠りについているという話を、ローズは父から聞いていた。
しかし魔王が大きくなっているという話は、初めて知る話だった。
「それは……」
「他国の王子たちが眠りについた時期は、魔王が巨大化した時期とも一致します」
淡々と彼は話す。
「昨日、私は前回の討伐隊の際、襲撃を受けた地点まで向かった結果、各国から流れ出た魔力が、全て魔王に注がれていることが判明致しました。またこのことから、クリスタロス王国で十年前から眠り続けているお二方の魔力も、魔王の魔力の供給源になっていることがわかりました」
「なんだと!?」
しかし明かされる内容が内容だけに、立ち上がって声を上げる者も居た。
当然だ。
「このことに気付けなかったのは、私の落ち度です。申し訳ありません。魔王が復活したのが三カ月前。一○年も昔のことが、今になって影響を及ぼすとは考えておりませんでした。魔王は魔力の強い人間の生命活動を最低限に保ち、その器に本来満たされるべき魔力を、自らの力として吸収している可能性があります。三ヶ月前の魔王の復活は、彼らの魔力を十年間蓄えた結果、漸く復活出来たという見方もできるでしょう」
「……では、レオン様がこの国を脅かしていると?」
老年の騎士の一人が、声を震わせて尋ねた。
「――その言い方は相応しくないでしょう。彼らは奪われているだけに過ぎない。魔法の行使を人は意識して行いますが、魔力の貯蔵・回復については、本人の意識は介在しないのですから」
あくまで冷静に、ベアトリーチェは持論を述べる。
「おそらく魔王の核とは、魔力を吸収し貯蔵する力を持つ石なのでしょう。……これまで魔力を貯蔵出来る石は、神殿の石以外には存在しなかった。その石が人の生命力を奪うという話も聞いていない。けれど先日、ローズ様の指輪にかけられた保護魔法の発動により、『魔力を保存できる石』が他にも存在しうる可能性が出てきました。だからこそそのような石がもし存在し、かつ何らかの原因で闇の力の影響を受け、それがまるで生き物のように魔力を捕食し成長したのだとしたら――……」
彼は静かに目を伏せる。
「もしかしたらその石のことを、私たちは『魔王』と呼び、恐れているに過ぎないのかもしれない」
「なん、だと……!?」
「それを証明するために貴方をお呼びしました。……ローズ様」
一同に視線を向けられて、ローズはびくりと反応した。
「――私、ですか?」
「ええ。そのために、私に貴方の……」
ベアトリーチェはローズに対し、好意的な表情を見せていた。
――今、この状況においてのみは。
ローズは拳に力を籠めた。自分を見つめる彼の印象は、その外見とまるで一致しない。
年の離れた大人が、年下相手に自分の都合のいいように話を進めているような――今日自分が呼ばれたのは、彼の陣地に無理やり引きずり込むためのような――そんな威圧感が、彼の言葉にはあった。
飲みこまれる。
ローズは、彼の瞳を精一杯見つめ返した。
けれど相手は、ローズのことなど歯牙にもかけていないという様子だった。
今のローズにとって、一秒は一日にだって感じられた。
――この人は、怖い。
ローズがそう思い、彼が――ベアトリーチェが、薄く笑ったまさにその時。
「ローズ・クロサイト! 出てこい!」
会議室の外から聞こえた声は、張り詰めた空気を断ち切った。
怒っている、子どもの様な声。
「……何やら、外から声がしますね」
ベアトリーチェは窓を向き目を細め、眉間に深い皺を作った。
ローズは窓を開けると、風魔法を発動させて窓から外に飛び降りた。
あまりの素早さに、誰も止めるものは居ない。
ローズはふわりと地面に着地すると、声の主を見て顔を顰めた。
建物の外には、ローズの元婚約者であるリヒトがいた。
「……リヒト様、何故ここに居らっしゃったのです?」
険しい表情を浮かべるリヒト相手に、ローズは尋ねる。
リヒトは、まさか窓から飛び降りるとは思っていなかったため目を瞬かせていたが、ローズの言葉に我に返ると、すぐさま彼女を罵った。
「ローズ! お前、俺に呪いをかけただろう!」
「人を悪人のように言わないでくださいますか? 私がそんなことをして、一体何の得になるというのです」
「じゃあなんで、俺の魔法が弱くなっているんだよ!」
「知りません。王子自身に身に覚えはないのですか? 最近変わったこと、など」
「あるわけないだろ!?」
リヒトは憤慨した。
「人の魔力を奪うなんてそんな芸当、出来るのはお前くらいしか考えられない」
リヒトはさも当然のように言った。
とんだ偏見だ、とローズは思う。彼は自分のことを、いったいなんだと思っているのか……。
「あ」
しかし会話をしているうちに、ローズはあることを思い出した。
「……そういえば私の話になりますが、先日の魔王討伐の際、以前いただいた指輪が壊れました」
「は……はあっ!? お、お前! あれは王家の財宝の一つだぞ!?」
リヒトは焦っているようにローズには見えた。
「え?」
ローズは首を傾げた。
「何故そんな大切なもの、私に下さったのです?」
「――それは……」
ローズの問いに、リヒトは口ごもった。唇を噛んで、彼はローズから顔を背けた。
「……リヒト様?」
ローズはリヒトに手を伸ばそうとした。しかしその行動は、冷たい声で遮られた。
「喧嘩はよそでやってくださいますか? ローズ様、リヒト様」
ローズとは違い、階段で降りてきたらしい彼は、二人に侮蔑の目を向けていた。
「リヒト様。貴方には一国の王子として、このような行動は謹んでいただきたい」
「……!」
まさか騎士団で叱られるなんて、リヒトは予想もしていなかったのだろう。碧の瞳が大きく見開かれる。
「レオン様とは大違い、ですね。――私は願えるなら、リヒト様ではなくレオン様のために戦いたかった」
そして次に彼にかけられた言葉によって、リヒトの顔から表情が消えうせた。
「ビーチェ!」
その姿を見て、ユーリは思わずベアトリーチェの名を呼んでいた。
リヒトはローズを苦しめた。このことで、ユーリ自身リヒトを憎んでいるのは確かだった。
それでも、ユーリにとってリヒトが幼馴染であることは変えられない。
どんなに憎らしく思っても、トラウマを引きずり出すようなベアトリーチェの言葉を、ユーリは見過ごすことは出来なかった。
「ユーリ」
そんなユーリの甘さに、ベアトリーチェはついに堪忍袋の緒が切れた。
「幼馴染相手とはいえど、貴方は甘すぎます」
ベアトリーチェは厳しくユーリを叱責した。
普段温厚な人間ほど怒らせると怖い。ユーリはそれ以上何も言えず口を噤んだ。
クリスタロス王国には、もう一人王子が存在する。
リヒトの兄、レオン・クリスタロス。
幼い頃から魔法も碌に使えない出来そこないの弟《リヒト》と違い、兄であるレオン王子は当時世界中の王子と比べても一、二を争う程強い魔力を持ち、才能があると賞賛されて美しく立派な王子だった。
誰もが彼を未来の王にと望んでいた。
だからこそ一〇年前、レオンが原因不明のまま眠りについた時は、国中が悲しんだ。
そして彼より明らかに劣るリヒトが次期王位継承者となり、彼はローズと婚約した。
婚約は、不出来な彼を支えるためのものである――彼らを知る人間であればある程、二人の婚約はそう映った。
レオンが眠りにつく前。
当時一六歳だったベアトリーチェは、何度か彼と会ったことがある。
レオンはベアトリーチェの体格や能力、性格を蔑むどころか高く評価し、ベアトリーチェを「副団長に相応しい人材」であると、当時の団長に推薦した。
『彼は、必ず役に立つ人間になるでしょう。団長には向いていない。けれど――彼には、補佐の才がある』
当時のベアトリーチェは一人でしか戦う術を知らず、一人その能力を、接近戦に活かして戦っていた。
しかし今のベアトリーチェは、後援を得意とする。
彼は前団長に指名され、副団長の地位を得た。そして前団長が騎士団を去った時、ベアトリーチェは新しい団長として、ユーリを指名した。
――その未来を。まだ幼かったレオンは、見事に言い当てたのだ。
「レオン様さえいてくだされば、こんなことにはならなかったのに」
それはリヒトに対しては禁句だ。
でもベアトリーチェの言葉を、誰も否定しなかった。
部下である彼が、自分たちの長であるユーリを叱っても、責めるものは誰も居ない。
宴会の時の、ユーリに対する軽口だってそうだ。
騎士団の誰もが、ユーリの実力は認めている。
けれど精神面については、老年の騎士はまるで孫を見守るような視線をユーリに送る。
ユーリ・セルジェスカが、騎士団長としてその座に居ることが出来るのは、彼を補佐するベアトリーチェへの信頼のおかげなのだ。
その彼が、今の騎士団に不快感を示しているのだ。
騎士団の中がぴりりとした空気に支配される。
「――静かにしていてください。ここは、子どもの遊び場ではないのですから」
ベアトリーチェはそう言うと、固まったまま動けないリヒトたちに背を向け歩き出した。
魔王が復活したというこの大事に、王家は婚約破棄、しかも騎士団は、公爵令嬢というお荷物な『騎士』を抱える羽目になった。
彼女が来たせいで、騎士団の中は落ち着かない。
騎士団を率いなければならないユーリは、ローズに気を取られて守るべき相手を間違える。
国を守る騎士であるベアトリーチェにとって、公爵令嬢よりも『光の聖女』のほうが重要だ。
まだ力を覚醒させていないとはいえ、今後の魔王討伐に役に立つのは、彼にはどう考えても『光の聖女』だとしか思えなかった。
だから――アカリを危険に晒す可能性のあり、ユーリの立場を揺らがせるローズを、ベアトリーチェは認めることは出来なかった。
「……全く。これでは、私のほうが先に胃に穴が空いてしまいそうです」
ベアトリーチェの退席により、会議は明日に持ち越しされることとなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜。
ローズが帰宅し入浴を済ませて一人屋敷の中を歩いていると、暗い庭の中に思わぬ人物を発見して、彼女は思わず手にしていた灯りを落としかけた。
夜の庭の中に、『光の聖女』であるアカリが立っていたのだ。
ローズは窓を広くと、風魔法を使って庭に降りた。
「ローズさん!」
「あ、アカリ? なぜ貴方がこちらに……?」
アカリが公爵家にはいるための解呪の式を持っているとも思えず、ローズは慌てた。普通式も無しに、敷地内に入ることは不可能だ。
「えっと、その……。私、この世界の鍵? には影響は受けない体質みたいで……」
彼女の言葉の意味を理解するのに、ローズはいつもより時間を要した。つまり彼女には、鍵は意味をなさないらしい。
「アカリ。とにかく夜も遅いですし、ユーリを呼びます。貴方は私の部屋ヘ来てください」
「わっ」
ローズはそう言うと、屋敷の人間に出来る限り彼女の存在がばれないよう、アカリを抱きかかえ、自分の部屋へと誘導した。
「すいません、こんな遅くに……ここが、ローズさんのお部屋なのですね」
ローズの部屋に入ったアカリは、きょろきょろと部屋の中を見渡していた。
ローズは魔法陣の書きこまれた紙にユーリへの手紙を書くと、鳥の形にして飛ばした。
「すいません。散らかってしまっていて」
ローズはそう言ったものの、部屋は掃除したてのように綺麗だった。
ローズの言葉にアカリは苦笑いした。
「ローズさんは、本当に何でもできる方なんですね」
「そうですか?」
「私とは大違い。私の部屋は……その、『散らかっている』と私が言う時は、本当に散らかってしまっているので……」
「……そうなのですか?」
顔をゆがめるアカリを見て、ローズはくすりと笑ってたずねた。
二人はたわいない話をした。
ユーリが来るまで、ローズは彼女の話に相槌を打ちながら紅茶を淹れた。
「どうぞ」
ローズはアカリに紅茶を出すと、彼女の前の椅子に座った。
「……美味しい」
アカリは一口飲んで顔を綻ばせた。
その表情からは、ローズに対する悪意は見えない。
そもそも、信用していない相手から飲み物を受け取り口をつけるなんて、余程の馬鹿ではない限り有り得ない。
「……ローズさん」
アカリは僅かに目線を下げたかと思うと、立ち上がって頭を下げた。
「ずっと、騎士団の討伐に参加できずすいませんでした。本当は、自分の役目を果たさなきゃいけないって思っていたんですが……リヒト様に、なかなか部屋から出してもらえなくて」
「……」
アカリの言葉は、聞きようによってはローズに対する嫌味のようにもとれた。
けれどローズは、アカリはもっと別のことを自分に伝えようとしているような気がした。
それは――二人の関係について。
「リヒト様、言うんです。『また失敗したらどうするんだ』『今度はもっとつらい目に遭うかもしれない』って。まるで小さな子どもを守るみたいに、外から部屋に鍵を掛けて出してくれない」
それが何によって、結びついたものなのか。
「リヒト様はもしかしたら、私と自分を重ねているのかもしれません。自分が出来ないから、私がまた失敗するのを恐れているというか。……でもそれって、私もだけど、自分も信じていないのと同じですよね……?」
ローズは黙って彼女の話を聞いていた。
周りの評価はどうであれ、ローズにはアカリが考えなしで動くような、自分勝手な人間だと思えなかった。
そもそも繊細な感性が求められる光魔法に適性がある人間が、馬鹿な少女のわけがない。
「……リヒト様は」
ローズは自分も一口紅茶を飲んでから口を開いた。
「昔から魔法が苦手なのです。だから、それは仕方がないのかもしれません。兄であったレオン様とは違って、彼は昔から魔法が使えていなかった。十五歳の魔力測定の際は、ある程度の数字が出ていたようでしたので、大丈夫かと思っていたのですが……」
「でも、この間は……?」
「そこが不思議なのです。ずっと使えていた魔法が使えないようになるなんて。だってあれでは、まるで昔の――……」
――昔の?
ローズは、カップを持っていた手を止めた。
魔力を貯めておける石。あの指輪が、そうであったなら。
その石が壊れリヒトが魔法を使えなくなったということは、きっと偶然ではない。
王家の財宝の一つの指輪。
魔法を使えなくなり、驚いていたリヒト。きっと彼は知らなかった。その二つの指輪が、どんな力を持つのかを。
ローズは思考を巡らせる。
「まさか……」
自分が彼からもらった指輪は。
指輪が壊れ、ローズの魔力が突然跳ね上がったのなら――。
ローズは立ち上がり、銀色のフレームのガラスケースの中から、薔薇の形をした小箱を取り出した。
中には真っ二つに割れた、リヒトから貰った指輪が入っている。
「ローズさん? 何を見て……」
アカリはローズに駆け寄って小箱の中を覗いた。
「――その、指輪は……」
「アカリ、どうしたのです?」
「それは……せ、誓約の指輪です!」
アカリは叫び、それから手で口をふさいだ。ローズには、彼女の行動の意味が理解出来なかった。
王家の財宝。
リヒトでさえ効果を知らず未知の力を秘めた指輪のことを、何故彼女が知っているのか。
「アカリ。貴方は……」
そもそもおかしな点は他にもあった。
鍵を無効化出来る力を持つ人間がいるとして、それが世間的に『鍵』だと認識されていると知っていた場合、そう簡単に突破しようとするものだろうか?
『アカリ・ナナセ』は馬鹿じゃない。
『鍵』という考え方が彼女にあるなら、その常識を崩そうとはしないだろう。
今のローズにはそう思えた。
他にも疑問点はある。
アカリとローズが出逢ったのは、リヒトに彼女を紹介される前だった。
だというのにアカリはその時からすでに、自分に対して怯えているように見えたことを、ローズは鮮明に覚えていた。
挨拶しようとしたら、あからさまに怯えられて逃げられたので落ち込んだのだ。
『これまではちょっと怖かったんですけど、昨日守ってもらえて、今日相談にものってもらえて、もしかしたらローズさんは、私が思ってるよりずっと優しい人なんじゃないかって思って』
彼女のあの言葉の中に、別の意味があったとしたら?
アカリに抱いていた疑問が、凡そ解決出来るように思えた。
ローズは意を決してアカリに尋ねた。
「貴方は、何か知っているのですか……?」
この世界の秘密を。
私と貴方が、出会う前に私を。
普通に考えれば、ローズの質問はただの問いに過ぎない。
けれどその問いに対し、あきらかな動揺を見せたアカリを見て、ローズは確信した。
彼女は。『光の聖女』は。
ずっと何か大切なことを、自分たちに故意に隠してきたのだと。