王子の生誕を祝うパーティーの翌朝。
 軍服に身を包んだ彼女は、黒い艶やかな長い髪を結い上げ真っ白なローブの帽子を目深に被り、高く聳える門を見上げていた。

「ここに来るのは久しぶり」
 
 クリスタロス王国王国騎士団。
 その訓練場の門の装飾は、ローズが腰に穿く剣と同じ形をしていた。

 『聖剣の魔封じの門』と呼ばれるこの特殊な形は、クリスタロス王国によくある門の形の一つであるが、騎士団の門に模られた聖剣は、細かい文様まで精巧に作られている。
 まさに職人芸。ローズは感心して門に触れた。
 しかしその瞬間、バチッという音と共に火花が散り、彼女は即座に手を引っ込めた。

「やはり『解呪』は必要、か」

 低い声でそう呟く。
 『解呪の式』――それはいわば『鍵』であり、水晶の産出国でもあるクリスタロス王国では、偽造が可能な鍵ではなく、鍵となる魔法式を組み込んだ石が同じ役割を果たしている。

 つまり、門を開けるのに必要なのはただ一つ。
 門に嵌めこまれた水晶に呼応する式を持つ石を当てればいい。
 この式は本来、騎士団の団員であれば誰もが持つ物であるが、公爵令嬢であるローズが持つはずはない。

「これが使えるといいんだけれど……」

 ローズは剣を手に取ると、剣に嵌めこまれた赤い石を門の魔封じに押し当てた。
 すると剣に嵌めこまれた石が光り出し、門は光を帯びて開いた。
 ローズは胸を撫で下ろした。
「流石、お爺様が設計されただけあって、この剣には解呪の式が組み込まれていたようですね」

 ローズが騎士団に来たのには理由がある。
 それは彼女が、騎士になるためだ。
 しかし通常、公爵令嬢が『騎士』になどなれるはずはない。
 そもそもクリスタロスでは騎士団の団員に女性を募集しておらず、女性騎士団もある隣国とは異なり男性のみで構成されており、女性が騎士になる術はない。それは騎士になるための学校への入学許可が、男子に限られていることが原因だ。

 クリスタロス王国の王国騎士になるためには魔法という希有な能力が要求され、一定期間戦闘訓練を行い、王国の顔となる資質を持ち合わせているかを測る試験に合格した男のみが入団を許可される。
 故に才能と実力があり、強く見目麗しいものばかりがあつまる。
 しかし実は入団試験には、地方出身者のために『特例』が設けられている。

 それは、騎士団が作られた当初の入団試験で、『二つ名を持つ騎士を倒した者に入団の資格を与える』というものだ。
 注目すべき点は、この場合性別は問われないということだ。
 ローズが今日、朝早くからここに来たのはその為だった。
 けれど。

『騎士になりたいのでお爺様の聖剣を持ってちょっと騎士団に潜入してきます』

 なんて公爵令嬢が言おうものなら、今は婚約破棄《きのうのこと》もあって心の病気を疑われかねない。

「私は、この国を守りたい。ごめんなさい。お父様、ミリア、みんな――」
 おそらく蛻《もぬけ》の殻になったベッドを見て、今頃自分を捜索しているだろう公爵家の父や使用人たちに、ローズは心の中で手を合わせた。

「しかし……いくら『解呪の式』を使っているとはいえ、警備が甘いのは減点です」

 『解呪の式』は、この世界で最も安全とされているが、慢心は良くない。
 どんなに万全を尽くしても、突破されないとは限らない。
 心の中での謝罪を終えたローズはいつも通り冷静に呟くと、減点いち、と心の中の採点帳に書き留めた。



 騎士団の正装であるローブと軍服のおかげか、ローズは難なく騎士団への潜入に成功した。
 どうやら監視の目が行き届いていなかったのは入り口だけでなく中もだったようだ。

 常に国を思い憂うローズは、祖国を守る騎士の質に対し、自分がここに入った暁には改善(という名の教育)が必要だなと思い溜息を吐いた。
 確かに自分の存在がバレるのは困るが、すれ違っても呼び止められない開放的な空気はいただけない。

 ローズは目的の人物を探す為、近くの建物に入ることにした。
 そして建物の中に入ったローズは、思わず顔を顰めて口と鼻を手で覆った。

「……これはひどい」
 建物の中は訓練で使われたであろう服や布、防具などが散乱しており、立派な外装とはうってかわって、壁にはカビが生えていた。
 一歩中に踏み入れ進もうものなら、地面に広がる障害物に足をとられ、転んでしまいかねない。
 その場合、いつ洗ったかもわからない洗濯物に顔を埋めるのかと思うと、ローズはぞっとした。

「部屋の乱れは心の乱れ。心を磨いてこそ剣も輝く。このような場所で訓練するのは見過ごせませんね」

 ローズは左手の薬指に嵌めた指輪を三回叩いた。
「箒にちりとり、水の入ったバケツに雑巾、マスクに眼鏡よ、でてこい!」
 彼女がそう口にすると、石は赤く光り輝き、彼女の周囲に空いた穴から目的のものが出現した。

「掃除をしましょう」
 フードを被り、マスクに眼鏡(黒)を装着。
 不審者極まりない恰好になったローズは、服の袖を捲り上げ元気に手を叩いた。



「完璧!」
 一時間後、掃除を終えたローズが満足して額の汗を拭っていると、閉じていた筈の扉が開かれ少年がローズを見て声を上げた。

「……だっ誰ですか!?」
 茶色い瞳に柔らかそうな癖のある髪。
 軍服に身を包んだ少年は、ローズの恰好を見て信じられないという顔をした。

「誰か来てください! 怪しい人が居ます!」
 少年のアルト声は良く響いた。
 怪しい人? 一瞬首を傾げたローズだったが、今の自分の恰好を確認して漸くその異質さに気付く。
 確かにこれは、叫ばれても仕方がないかもしれない。

「団服は着ていますが、部外者に違いありません!」

 叫び声に、人が集まって来る。
 ローズは装備(マスクと黒眼鏡)をとくことも出来ず、ガラスの下で顔を顰めた。
「何者だお前は! どこから来た!?」

 叫んだ少年よりは年上そうに見えた騎士は、ローズに顔をずいと寄せて大きな声で尋ねてくる。
 ローズは思わず後退り、柄に無く嘘を吐いた。

「……私は、ここの騎士です。入団してから日が浅いので、皆さんご存知無いのかもしれません」
 我ながら苦しい嘘だとローズは思った。
 男はローズが掃除した部屋の中を見わたすと、探偵が名推理を披露するかのように、勢いよくローズを指差した。 

「いくら日が浅いとはいえ、この腐海を掃除しようなんて人間が騎士団の人間なはずないだろう!」
 沈黙ののち、ローズは深い溜息を吐いた。

「………………衛生面に気を配っていないとは。ここの教育は、本当にいろいろと考え直した方が良さそうですね」
 男は革製の黒縄を少年に放ると、鼻息荒く言い放った。

「ひっとらえろ! 団長のところに連れていけ!」
「は、はいっ!」
 少年は敬礼し、受け取った縄でローズを縛り始めた。
 少年の手つきは明らかに初心者だった。

「? 連れて行ってくれるのか?」
 一生懸命自分を縛る小柄な少年に、ローズは出来るだけ低い声で尋ねた。
「当たり前です……だ! 今更逃げようったって……そ、そうはいきませ……ないぞっ!」

 少年は先輩(仮)の言葉を真似て、必死に荒い言葉に言いかえる。
 ――好都合だ。
 ローズはほくそ笑み、緊張のあまりどもる少年に心の底から感謝した。

「これで探す手間が省けた」
 ローズの声は、少年には聞こえていないようだった。



 肩にかかる程の銀髪に金色の瞳。
 白を基調に、金色の飾りのついた騎士団の服を着こなす彼は、まるでどこぞの王族かのような気品に溢れている。
 『団長の部屋』に連行されたローズは、縄に巻かれ床に膝をついていた。

「顔を見せなさい」
 声はすみわたり、歌を奏でるよう。
 その声に促され、ローズは顔を上げ、少年はローズのフードを下ろし眼鏡とマスクを外した。
 すると。

「……ローズ、お嬢様……?」
 先程まで、高貴な人間のように振る舞っていた筈の男の声から、一切の気品が消えうせた。
 ローズは伏せていた目を開き、特徴的な赤い瞳で彼を見あげると、にこりと微笑んで彼の名を呼んだ。

「ユーリ。お久しぶりです」

 幼い少年は、事態を理解出来ずに二人の顔を交互に見た。
 変質者がこの美人さん? 侵入者が美人さんで、団長のお知り合い!? 顔に出やすい性質らしい彼の目は忙しなく動く。
 少年が目を白黒させていると、ユーリと呼ばれた青年が声を荒げて叫んだ。

「離しなさい! 相手は公爵令嬢ですよ!?」
「こ、公爵!?」
 少年は、声を裏返させた。
 それもそのはず。騎士団の侵入者を捕らえたら、相手が公爵令嬢だなんて――そんな奇妙な体験を自分がするとは、一体誰が思うだろうか。

「縄をとけ。――早く!!」
「は……はいっ!」
 返事した少年は手が震えて縄を解くことが出来ず、結局ローズの縄を解いたのは、団長であるユーリ自身だった。

「……申し訳ございません、ローズ様。部下が手荒な真似をいたしました」
 手に出来た縄の跡をローズがさすっていると、使い物にならない部下の代わりにお茶をいれたユーリが頭を下げた。

「ユーリ・セルジェスカ。お久しぶりです。貴方がおじい様の元で訓練していた時以来ですね」

 そんな彼に、ローズはふわりと笑う。
 クリスタロス王国騎士団。
 騎士団長ユーリ・セルジェスカは、その才を以て若干二十歳の若さで騎士団を任された、『天剣』と呼ばれる剣術使いだ。

 元々彼は地方出身で貴族などではなく、幼い頃『剣聖』と呼ばれたローズの祖父、グラン・クロサイトに才能を見出され、幼少期を過ごした。
 当時彼は、公爵家の部屋の一つを与えられており、ローズは彼らが祖父の指導を受ける様を見ながら育った。
 その頃のローズは、年が少し離れているということもあり訓練には参加させてもらえなかったものの、訓練終わりに籠にいっぱいに作ったサンドイッチを持っていくと、とても喜ばれたのを記憶している。
 因みに昨日婚約破棄をローズに言い渡したリヒトは、当時からローズの屋敷をよく訪れていた。

「グラン様だけでなく、公爵家の方々には、本当にお世話になりました。あの頃の時間は、私にとって何よりも大切な宝物です」

 ユーリは、昔を思うように目を閉じた。
 その様子を見て、ローズは胸が熱くなるのを感じた。

「ここでは祖父の功績を、未だに語り継いでくれているのですね」
 ローズは、ユーリの部屋を見渡した。
 部屋の壁には、ローズの祖父であるグランの功績を賛美する置物や書物などで溢れている。
 また部屋の特等席には祖父の肖像画が掲げられており、ローズは嬉しくなるとともに、彼には似合わない室内にくすりと笑った。

 彼を讃えているのはこの部屋だけではない。
 ローズが門を潜ってから、掃除をする間もずっと、彼女はこの場所に祖父の面影を見つけていた。
 『剣聖』――そう呼ばれていた祖父。
 八十年前魔王を倒し、騎士でありながら功績により、恋仲で身分違いだった公爵令嬢を妻にした伝説の騎士の姿を。

「グラン様は伝説のお方ですから。剣聖の名に相応しい方は、これからもあの方以外は現れないでしょう」
 しかしもう、その騎士はこの世に居ない。
 『剣聖』もまた人だった。
 年老いた彼が亡くなった年、魔王は再びこの世界に現れた。
 遠くを見やるようなユーリの瞳を、ローズは静かに見つめていた。

「ユーリ? ユーリ!」
 黄昏れていたユーリはローズに名前を呼ばれびくっと体を震わせると、ほんのりと顔を赤らめ笑みを作った。

「申し訳ございません、ローズ様。久しぶりにお会いして、つい昔を思い出してしまって。……あの頃は、みんなでくだらないことで騒いで、楽しかったな、なんて」

 過去を回顧して目を細める。
 感傷的なユーリに、ローズは顔を曇らせた。そんなローズの表情を見て、ユーリは話題を変えた。

「そっ、そういえば!ローズ様は何故ここに?」
「――私を、騎士団に入れていただきたいのです」
 軽い日常会話。
 そんなノリで会話をしたつもりだったのに、返ってきた言葉の重さにユーリの顔から笑顔が消える。

「……それは、王子に婚約破棄されたからですか」
「貴方は、もう知っていましたか」
「……警備のため、私もあの場に居りましたので」

 ユーリは唇を噛んだ。
 公爵令嬢と王子の婚約について、騎士団長である彼が王子を批判することなど出来ない。

「ええそうです。私は公爵家として、祖父の孫として、この国のために生きてきました。王妃となれぬ今、剣をとり騎士となり、祖父のように魔王を倒すことこそ、私に課せられた使命なのです」

 ローズは淡々と、けれども最後は真っ直ぐにユーリの瞳を見据えて言った。

「それは――貴方が、女性として生きることよりも、もっと大切なことなのですか?」
 彼の声は僅かに震えていた。

「私はこの国の為に生き、この国の為に死ぬ。願うのはただ、それだけです」

 ローズは、強くそう宣言した。
 ユーリは、師の孫娘であり、幼馴染である少女の瞳を見て、深く溜息を吐いた。
 この目をしている彼女が、自分の言葉で簡単に意見を変えるはずがない。

「……かしこまりました」
 ユーリの言葉に、ローズの瞳がきらりと輝く。
 瞳に込められたものは『期待』だ。
 だからユーリは、彼女の望みをこれから打ち砕かねばならないことを、心苦しく思った。

「しかし、他ならぬ貴方の頼みとはいえ、簡単に騎士団入りを認めることは出来ません」

 ユーリの言葉に、ローズは大きく頷いた。
 知っている。元々ローズはその為にここに来たのだから。
 けれど次の台詞は、流石のローズも予想外だった。

「騎士団に入団する条件は、騎士を倒す事。私は立場上、公爵家のご令嬢であり、王子の元婚約者である貴方の入団は認められない」
 ユーリはゆっくりと、低い声でこう述べた。

「貴方の入団試験は、私が執り行わせていただきます。……よろしいですね?」

 つまり騎士団長に勝たなければ、入団は認められない、ということだ。

「そ……そんなの、無理に決まって」
 栗色の瞳と髪の小柄の新人騎士は思わず声を漏らし、ユーリは静かに部下を睨み付けた。

 ――そう。これは、ローズの入団を断るための戦いでしかない。遠回しの断りの言葉だと、誰もがわかる……筈だったのに。

「わかりました。受けて立ちます」
 けれどローズは、いつもと変わらぬ声でそう返した。

「勝負は一度きり。よろしいですか?」
 ユーリは沈黙ののち、諦めて彼女の承諾を受け入れた。

「ええ、勿論」
 少女の目には、敗北の未来は映っていない。
 ただ真っ直ぐ自分の道を、未来を見据える。強い意思を宿した瞳は、ロードクロサイトのように美しく輝いている。
 ローズはゆっくり首肯した。
 二言は無い、とでもいうように。

「要は私が勝てばいい――それだけでしょう?」

 男装の麗人は『天剣』の名を持つ男に対し、不敵な笑みを浮かべていた。