幸が部屋の扉をきちんと閉めたことを確認した後、私は我慢していた質問を吐き出す。
「何でマミがいるの? いやいるのは良いとしても、友達みたいにしてるのどうして?」
マミがここにいる理由は、樹里亜が連れてきたからかもしれないが、幸が嫌がったり怯えてる素振りを一切見せていなかったのは、不可解だ。
月曜日の放課後に、消えないトラウマ――今でも癒えていない心の傷として、マミとのことを話していたのに。
「実は中学の時のことは誤解だったの」
「……え?」
幸の言葉で、謎は解消されるどころか、より深まっていく。
「誤解?」
「うん。実は――」
困惑する私を前に、幸は語り出す――。
マミが幸を犯人に仕立て上げたのには、深い理由があった。
それは幸を守るため。
中学時代、クラス内で幸に恋心を抱く男子生徒がいた。
しかしその恋心は狂信的な域に到達していて、彼は幸に対する異常な偏愛をノートにビッシリと書き連ねていた。
ノートには、彼女は女神様だとか僕の運命の人だとか、背筋を毛虫が這っていくかのような、気持ち悪い妄言が書かれていたそうだ。
けれども男子生徒は、幸とさほど関わりがなかった。どうやら自分が理想とする女子像を、幸に押し付けている感じであった。
そのノートを、マミは偶然見てしまったらしい。
このままじゃ幸が傷つけられるかもしれない――。
ノートを見て危険な予感を覚えたマミは、どうすればこの男子生徒が幸に執着しなくなるか考えた。
そして思い付く。
幸がこいつの理想から外れた女の子だったら、安全ではないか、と。
だからクラスのみんなに、幸に対する最低なイメージを植え付けたのだ。
全部幸のため。幸を危険人物から守るために起こしたことだった。
「……っていうことなんだ」
全て話し終えた幸は、短くため息をつく。
「マミが――そう言ってたの?」
「うん。その後始まった私へのいじめも、実はマミちゃんが、裏で可能な限り防いでたんだって。『全部防ぎ切れなくて、ごめん……』ってさっき泣きながら謝ってくれたんだ」
幸が嬉しそうに言う。
いやいや。その男子生徒一人から嫌われるためだけに、ここまで派手に事を起こすことないじゃないか。
本当に幸を思っているなら、そんなに辛い方法を選択するわけない。
口からでまかせにしても、マミの言い分はめちゃくちゃで無理があるものだった。
しかし幸は、信じているようだった。信じていたい、のかもしれない。喜色満面といった様子で、私に説明していた。
それを見て、胸がズキリと痛む。
喜んでいる幸に、事実を突きつけるのは辛いけど、八代が偶然にも喫茶店で聞いたあの話をするしかない。
「幸、落ち着いて聞いてほしい。マミはちょっと前に――」
「ねぇ遅くない?」
私の言葉は、伝えなければならない大事なところでちょうど遮られた。
「あ、お姉……」
「マミが待ちくたびれてるよ。そんなに長い話なの?」
部屋に乱入してきたのは、樹里亜だった。ほんの少し咎めるような眼差しで、幸を見ている。
「今終わったとこなんだ。お待たせ」
「あっ、ちょっと――」
幸が部屋を出ていってしまう。私的にはこれからだったのに。
しょうがない。二人だけでゆっくり話せる時にするか。
諦めて私も続いて部屋を出ようとした――が、樹里亜が入り口を塞いでいる。
「あの退いてくださ――」
「言わない方がいい」
樹里亜が意味深に溢す。扉の前で両腕を組んで、真顔で私をジッと見ている。
一瞬発言の意図がわからずに固まる。ワンテンポ遅れて、会話を聞かれてたことに気付いた。
「樹里亜――さんは知ってるんですか。マミがあんなことした本当の理由を」
「逆に何であなたが知ってるのか気になるよ。どうして?」
「言いたくないです」
樹里亜が生み出す冷たく鋭い空気によって、剥き出しにした両腕に鳥肌が立つのをはっきりと感じた。
「本当のことを言っても、幸のためにはならないよ」
樹里亜の言葉に、思わず目を剥く。
「このまま騙してた方が良いって言うの?」
「そうだよ。見たでしょ? あの笑顔を。こんなに嬉しいことはない、と言いたげな輝きに満ちた顔を」
「見た……けど」
確かに幸は、あんなに幸せそうにしていた。私だって、本当のことを伝えなければいけない、と考えると、気が重くなった。
「けどこのままマミと関わらせるのはもっと駄目」
「せっかくトラウマが治りそうなのに、またほじくりかえして突きつけるの?」
「脅してるつもり?」
「ただ私は、正しい行いが人を幸せにするわけじゃないって言いたいだけ」
見れば樹里亜は、玄関先での穏やかな雰囲気とは打って変わった、ほとんど敵意に近い眼差しでこちらを睨んでいた。
「余計なことは言うべきじゃないの」
「でもマミは――嫌な奴で……」
「確かにマミは、純粋すぎるから暴走し出したら止まらないところあるけど――恋愛が絡まなければ気のいい子だよ。ていうかマミに限らず、大体の人がそうじゃない? マミのような状況になって、一体どれだけの人が、友達に今まで通りに接することができると思う?」
「それは……」
何も言えなくなる。確かに彼氏の心を持っていかれそうになって、それでもニコニコしていられる人なんて、いないのかもしれない。
「幸だってマミが良い奴、って思ってたから、あの事件が起きるまで友達でいたんじゃない。今こうしているのは、幸の意思なんだよ」
口を挟む暇もないまま、続けられる。
「あとマミのこと、そんなに悪く言うのはやめてくれない? 私の大切な後輩だからさ。そりゃあの子が過去にしたことは、私も嫌いだけど」
その言葉を聞いた私は、意外に思った。
樹里亜も、中学の時のマミの行いは、嫌悪しているようだ。
その上で今、大切な後輩として受け入れている――。
「わかったよ。今日のところは黙ってる」
畳み掛けられた私は、根負けして身を引く。
けどこれだけは訊いておかなければ。
「あなたは幸をどう思ってるの?」
怯みそうになるのを抑えて、樹里亜を凄むようにしかと見つめる。
樹里亜は負けない、と言うように、キッと目付きを鋭くした。
「たったひとりの大事な妹だよ。だからあの子の幸せを壊す真似はやめて」
その瞳に映る色は、真剣そのものだった。
「何でマミがいるの? いやいるのは良いとしても、友達みたいにしてるのどうして?」
マミがここにいる理由は、樹里亜が連れてきたからかもしれないが、幸が嫌がったり怯えてる素振りを一切見せていなかったのは、不可解だ。
月曜日の放課後に、消えないトラウマ――今でも癒えていない心の傷として、マミとのことを話していたのに。
「実は中学の時のことは誤解だったの」
「……え?」
幸の言葉で、謎は解消されるどころか、より深まっていく。
「誤解?」
「うん。実は――」
困惑する私を前に、幸は語り出す――。
マミが幸を犯人に仕立て上げたのには、深い理由があった。
それは幸を守るため。
中学時代、クラス内で幸に恋心を抱く男子生徒がいた。
しかしその恋心は狂信的な域に到達していて、彼は幸に対する異常な偏愛をノートにビッシリと書き連ねていた。
ノートには、彼女は女神様だとか僕の運命の人だとか、背筋を毛虫が這っていくかのような、気持ち悪い妄言が書かれていたそうだ。
けれども男子生徒は、幸とさほど関わりがなかった。どうやら自分が理想とする女子像を、幸に押し付けている感じであった。
そのノートを、マミは偶然見てしまったらしい。
このままじゃ幸が傷つけられるかもしれない――。
ノートを見て危険な予感を覚えたマミは、どうすればこの男子生徒が幸に執着しなくなるか考えた。
そして思い付く。
幸がこいつの理想から外れた女の子だったら、安全ではないか、と。
だからクラスのみんなに、幸に対する最低なイメージを植え付けたのだ。
全部幸のため。幸を危険人物から守るために起こしたことだった。
「……っていうことなんだ」
全て話し終えた幸は、短くため息をつく。
「マミが――そう言ってたの?」
「うん。その後始まった私へのいじめも、実はマミちゃんが、裏で可能な限り防いでたんだって。『全部防ぎ切れなくて、ごめん……』ってさっき泣きながら謝ってくれたんだ」
幸が嬉しそうに言う。
いやいや。その男子生徒一人から嫌われるためだけに、ここまで派手に事を起こすことないじゃないか。
本当に幸を思っているなら、そんなに辛い方法を選択するわけない。
口からでまかせにしても、マミの言い分はめちゃくちゃで無理があるものだった。
しかし幸は、信じているようだった。信じていたい、のかもしれない。喜色満面といった様子で、私に説明していた。
それを見て、胸がズキリと痛む。
喜んでいる幸に、事実を突きつけるのは辛いけど、八代が偶然にも喫茶店で聞いたあの話をするしかない。
「幸、落ち着いて聞いてほしい。マミはちょっと前に――」
「ねぇ遅くない?」
私の言葉は、伝えなければならない大事なところでちょうど遮られた。
「あ、お姉……」
「マミが待ちくたびれてるよ。そんなに長い話なの?」
部屋に乱入してきたのは、樹里亜だった。ほんの少し咎めるような眼差しで、幸を見ている。
「今終わったとこなんだ。お待たせ」
「あっ、ちょっと――」
幸が部屋を出ていってしまう。私的にはこれからだったのに。
しょうがない。二人だけでゆっくり話せる時にするか。
諦めて私も続いて部屋を出ようとした――が、樹里亜が入り口を塞いでいる。
「あの退いてくださ――」
「言わない方がいい」
樹里亜が意味深に溢す。扉の前で両腕を組んで、真顔で私をジッと見ている。
一瞬発言の意図がわからずに固まる。ワンテンポ遅れて、会話を聞かれてたことに気付いた。
「樹里亜――さんは知ってるんですか。マミがあんなことした本当の理由を」
「逆に何であなたが知ってるのか気になるよ。どうして?」
「言いたくないです」
樹里亜が生み出す冷たく鋭い空気によって、剥き出しにした両腕に鳥肌が立つのをはっきりと感じた。
「本当のことを言っても、幸のためにはならないよ」
樹里亜の言葉に、思わず目を剥く。
「このまま騙してた方が良いって言うの?」
「そうだよ。見たでしょ? あの笑顔を。こんなに嬉しいことはない、と言いたげな輝きに満ちた顔を」
「見た……けど」
確かに幸は、あんなに幸せそうにしていた。私だって、本当のことを伝えなければいけない、と考えると、気が重くなった。
「けどこのままマミと関わらせるのはもっと駄目」
「せっかくトラウマが治りそうなのに、またほじくりかえして突きつけるの?」
「脅してるつもり?」
「ただ私は、正しい行いが人を幸せにするわけじゃないって言いたいだけ」
見れば樹里亜は、玄関先での穏やかな雰囲気とは打って変わった、ほとんど敵意に近い眼差しでこちらを睨んでいた。
「余計なことは言うべきじゃないの」
「でもマミは――嫌な奴で……」
「確かにマミは、純粋すぎるから暴走し出したら止まらないところあるけど――恋愛が絡まなければ気のいい子だよ。ていうかマミに限らず、大体の人がそうじゃない? マミのような状況になって、一体どれだけの人が、友達に今まで通りに接することができると思う?」
「それは……」
何も言えなくなる。確かに彼氏の心を持っていかれそうになって、それでもニコニコしていられる人なんて、いないのかもしれない。
「幸だってマミが良い奴、って思ってたから、あの事件が起きるまで友達でいたんじゃない。今こうしているのは、幸の意思なんだよ」
口を挟む暇もないまま、続けられる。
「あとマミのこと、そんなに悪く言うのはやめてくれない? 私の大切な後輩だからさ。そりゃあの子が過去にしたことは、私も嫌いだけど」
その言葉を聞いた私は、意外に思った。
樹里亜も、中学の時のマミの行いは、嫌悪しているようだ。
その上で今、大切な後輩として受け入れている――。
「わかったよ。今日のところは黙ってる」
畳み掛けられた私は、根負けして身を引く。
けどこれだけは訊いておかなければ。
「あなたは幸をどう思ってるの?」
怯みそうになるのを抑えて、樹里亜を凄むようにしかと見つめる。
樹里亜は負けない、と言うように、キッと目付きを鋭くした。
「たったひとりの大事な妹だよ。だからあの子の幸せを壊す真似はやめて」
その瞳に映る色は、真剣そのものだった。