――キャッツレイ侯爵は油断していた。


「……そうか。名も知らぬ少女よ。キミの育ての親は実の娘可愛さに、貴女(あなた)を売るらしい」
「なっ……殿下!?」
「シルヴィニアス様……」

 それまでとは纏う空気が変わり、ミーアを知らぬ女性だと言い始める王子。
 静まり返る侯爵家の面々。
 先ほどまでの温かな空気が一瞬で凍り付いた。


「残念だったな、キャッツレイ侯爵。僕の神獣人としての能力は、ずば抜けた嗅覚と聴覚。一度嗅いだ人間の匂いは決して忘れないんだよ」
「まさか……」
「ああ。最初から気付いていたさ。五年前のパーティで会ったミーアと、五年間会っていたこの少女は全くの別人だ。見た目は誤魔化せても、匂いで僕を騙すのは不可能なんだよ」


 その言葉を聞いたキャッツレイ侯爵はみるみるうちに青褪(あおざ)め、その場で床にひれ伏した。


「も、申し訳ありません!! しかし殿下や王家に叛意(はんい)があってのことでは無いのですっ!! 私はどうなっても構いません……ですがっ、どうか娘だけは!!」
「その娘、とはどの娘のことを言っているのやら。ミーアか? それとも、この少女のことかな?」
「そっ、それは……!!」


 脂汗をダラダラと流し、侯爵は床で土下座をしたままブルブルと震えている。
 王子は一歩、また一歩と罪人へと近寄っていく。

 そして断罪の剣を抜こうとした瞬間。


「……それはどういうつもりだい?」


 ミーアの身代わりだった少女が、侯爵を(かば)うようにシルヴィニアスの前に飛び出してきた。

「もう、お止めください。全ての責任は私……ターニャが取りますので」

 彼女はもちろん武器など持っていない。
 しかし彼女に抵抗する気など皆無だった。

「そうか、キミの本当の名はターニャというのか。だが、キミの言う責任とは……?」

 それでも侯爵を殺させまいと、身体を小刻みに震わせながら立ち向かっている。
 王子は殺気を少しだけ抑え、ターニャと名乗った少女の真意を尋ねた。

「シルヴィニアス様を今まで騙していたのは、この私です。婚約を破棄し、私の首をその剣で()ねてくださっても構いません。……ですが、キャッツレイ侯爵家の皆さんをこれ以上(とが)めるのはどうかお許しくださいませ」
「た、ターニャ!!」
「……侯爵は少し黙っていろ」

 普段は口数の少ない大人しい彼女が堂々と宣言する。
 周囲の者も驚いて目を丸くしているが、シルヴィニアスにとって今はそれどころではない。


「……ターニャ。キミはどちらかと言えば被害者だろう。いくら拾われた恩があるからといって、命を懸ける義理はあるのかい?」

 彼女に関しては終始優しい態度をとるシルヴィニアス。
 だが手は剣に置いたまま。
 誰か不穏な言動をすれば、すぐさま切り捨てるつもりなのは変わらない。


「……家族だから」
「家族……? それだけの理由なのかい? もしも事前にそう言うように言われていたのなら……」
「あの嵐の日、私は死を覚悟しました。でもそれでも良かった。生きる意味も無く、ただ道具のように使われる毎日でしたので。……だけど!!」

 ターニャは生みの親に名も与えられず、最低限以下の食事だけで働かされていた。
 やがて衰弱して動けなくなった彼女は、壊れた玩具(おもちゃ)のように捨てられた。
 彼女は本当ならあの日、馬車に轢かれて死んでいたはずだったのだ。

「それでも、キャッツレイ侯爵家のお陰で生まれ変わることができました! 私にも、大好きな家族ができたんです!!」

 侯爵はミーアの身代わりの為とはいえ、ターニャを二人目の娘として愛情を持って育ててくれた。
 ミーアも妹のように可愛がり、母親の形見であるはずの指輪を渡してくれた。

 ターニャはこの侯爵家に来たことで、家族が居ることの幸せを初めて知ったのだ。


 ……それでも、シルヴィニアスはなおさら理解ができなかった。
 家族なら、彼女を身代わりになんてしないだろうに……。

 だが、ターニャも侯爵も嘘を言っていないのが分かっている。
 分かってしまうが故に、心の中でモヤモヤが(つの)っていく。



 誰も言葉を発さず、沈黙の時間がしばし流れる。
 ジリジリと高まる緊張感。
 このままでは恩人が、家族が処刑されてしまう。

 駄目押しとばかりに、意を決したターニャが口を開いた。

「さぁ、シルヴィニアス様。私を殺し「待て」――え?」

 突然ターニャの言葉を(さえぎ)ったかと思えば、シルヴィニアスが剣を抜いた。