ラーフ公爵令息ジオライドによる、トークス子爵令嬢イザベラへの侮辱行為、暴力行為、性的暴行未遂への処罰は、至極あっさりしたものだった。
 詳細を聞いた関係者一同は皆、拍子抜けしてしまったほどだ。

 まず、ジオライド本人は三ヶ月の学園の停学処分。その間は領地の本邸での謹慎となる。この期間中、登校や学園の敷地内への立ち入りは禁じられる。
 復学後は現在の3年C組から、成績劣等者のためのフォロークラスであるE組に移動することとされた。
 停学明けも本人が学園に通うかはまだわからない。だが、これまでのイザベラへの低俗な絡みを考慮して、一からマナー講師が徹底的に紳士教育をし直すと張り切っているそうだ。

 元々、ラーフ公爵家は領内での投資が功を奏して、納税額が三年連続で国内一位を記録し、良好な領地運営を表彰される予定だった。

 同じ今年、女傑イザベラが先王ヴァシレウスの異母姉であったとの発表と併せて、その子孫である“王族の新たな親戚”となるトークス子爵家の令嬢イザベラと、令息ジオライドとの婚姻を王家側から打診していた。

 今回、ジオライドがそれをぶち壊したことで、王家の面子は丸潰れとなってしまった。
 王命による婚約を、一子息が許可なく勝手に破棄したことへの処罰をどうするか。

 そこへ王太女グレイシアの鶴の一声が。


『今どき、政略結婚も流行らぬということだ。相手が嫌いで婚約破棄したいというなら、望み通りにしてやろう。ただし……』


 今回のイザベラとジオライドの婚約を提案したのは、王太女だった。
 彼女は潰された己の面子について、このような手段で意趣返しした。

 ジオライドが、婚約者だったイザベラに何をしたか。
 その発言や行動に至るまですべてを、最初から最後まで克明に記録した調査結果として、国内の主要新聞社各社に掲載させたのだ。
 もちろん、学園の一学期末のお茶会で、本人が起こした騒ぎも含めてだ。
 この社会的制裁が妥当か否かは、人によって判断が分かれるだろう。

 更に、ラーフ公爵家に対しては、今回の件では息子ジオライドの廃嫡や家からの除籍を認めなかった。
 父親のラーフ公爵には、息子の再教育を念入りに行えと、厳重注意がなされるに止まった。



「……まあ、まだ学園生で未成年だからな。親の教育が悪かったという落とし所に持っていったのは、上手いやり方だ」

 直接的な被害としては、イザベラが顔や腕を叩かれたり、暴言を吐かれているが、やはり成人前で学園内の出来事というのが本人を守ることになったようだ。
 これに関しては学園長のエルフィンも積極的に処罰の軽減をと働きかけている。

「……ジオライドのステータス幸運値は7だったそうですね。上手く周りが動いてくれたということでしょう」

 幸運値1のヨシュアが、彼らしくなく、憎らしげに呟いた。



 ブルー商会のサロンに移動し、紅茶を入れてもらってイザベラ、カレンと情報交換をすることにした。

「で、ジオライドはまだラーフ公爵令息のままで、次期公爵になるのも変わらないままというわけだ」
「あんまりスカッとしない終わり方でしたねえ。イザベラ先輩、相当酷い目に遭ってたんでしょ?」

 カズンたちの視線がイザベラに向く。
 イザベラは苦笑して、紅茶のカップをソーサーに置いた。

「私への暴力については、慰謝料をたんまりせしめたので、それで終わりです。学園でのことでしたから、周囲の目撃も多かったですし、手を上げられるたび詳細を記録していたので」

 “たんまり”の部分に殊更、力を込めてのコメントだった。

「本人からは結局、一切謝罪されませんでしたけどね。ですがラーフ公爵様からは何度も謝罪の言葉と頭を下げていただきました。ですから慰謝料の支払い契約書の締結をもって、我が家はラーフ公爵家とジオライドとの示談に応じました」

 それだけではない。
 ジオライドへの処罰の軽減を、イザベラとその父トークス子爵は関係各所に嘆願していた。
 トークス子爵家からは、ジオライドとラーフ公爵家を裁判で司法に訴えることもしなかったのだ。

「なるほど、ジオライドを完全に破滅させることより、大きな貸しを作ることを選んだんですね」

 この展開は多少予測していたと、ヨシュアが頷く。
 勧善懲悪的な処罰は、関係者たちに爽快感をもたらすかもしれないが、効果は一時的だ。
 ましてやラーフ家はアケロニアに数少ない公爵家、大貴族のひとつだった。そう容易く潰せるものではない。



「災害で半ば壊滅状態だった我が領地をラーフ公爵様が支援して下さったことで、本当に助かったのです。その御恩を考えれば、ラーフ公爵令息の暴挙は耐えねばならないものでした」

 というより、むしろイザベラが懸念していたのは、自分の身の貞操よりもジオライドが彼女の実家のトークス子爵領へ来ることだったという。

「彼が間違っても、我がトークス子爵家や領地へ訪問しないようにするのが、私の役目でした。だから、私は彼とだけは仲良くなるわけにはいかなかった」

 アケロニア王族の血を引くイザベラは、固有スキルの人物鑑定スキルを持っていた。
 ランクは中級。特級ほどではないが、中級になるとステータスとして、本人の情報だけでなく、父母の名前や出自まで読み取れる。

「先日のお茶会で、学園長が彼のステータスを鑑定したとき。系譜を読み取るのに彼本人を抜かして、父君のラーフ公爵から読み上げていったこと、気づいてました?」

 と言われてカズンたちは当時のことを思い返してみる。
 エルフィン学園長の低い美声を思い出す。


『父方の男系からいきましょうか。……父親は先代ラーフ公爵と娼婦との庶子を養子縁組した者』


「確かに、ジオライド自身の出自は言ってませんでしたね」
「彼、実はラーフ公爵の実子ではないんです。母親の不義の子なんですよ。学園長、咄嗟の判断であの場で事実を言わないよう避けたみたい。さすがだわ」
「は?」

 また新たな情報が出てきた。



「ジオライドの母親はフォーセット侯爵令嬢ですね。彼女が不倫してできた子供です。幸い、本人は母親似なので。だけど、問題はそこじゃないんです」

 ここからが問題なのだが、と前置きしてイザベラが言う。

「ラーフ公爵令息の母親の実家、フォーセット侯爵家というのが実は、隠れて過去に国内で違法な奴隷売買を行なっていた家でして。調べたら、不倫相手も同じなんです」
「………………」
「その息子が私と婚約していることを、うちの領民たちに知られるわけにはいかなかった」

 最も多くの人間が攫われ、奴隷として国外に売られていったのが、トークス子爵領なのだという。
 過去、トークス子爵領で生まれ育った女傑イザベラが蜂起したのも必然だった。

「その事実が判明したのが、婚約後だったもので。でもトークス子爵家としては、かつて自領の民を苦しめた家の血を引く者と婚姻関係を結ぶわけにはいかない」
「けれど災害被害からなかなか抜け出せなかったトークス子爵領にとって、ジオライドとの婚約で得られた支援金は逃せなかった。そういうわけか」
「その通り。……とてつもないジレンマでした」



 そしてイザベラはジオライドとの婚約時、その母親ゾエからこれみよがしに面と向かってこう言われたのだ。


『まあ。奴隷解放で有名な女傑イザベラの末裔の娘が、我が息子のお嫁さん(どれい)となって下さるなんて。誠に面白いこと』


 ジオライドの母親は、息子の婚約者を面と向かって奴隷呼ばわりした。
 イザベラの曾祖母女傑イザベラが、奴隷解放で有名な人物であることと、貧民層出身者として知られていることを重ねて、悪意たっぷりのユーモアで『婚約者=奴隷』と言い換えてきたのだ。

「あの発言を聞いたときから、この婚約は必ず破棄させるつもりでした。トークス子爵家の総意です」

 王家の打診で結ばれた婚約だったから、王族の血を引くとはいえ子爵家側から婚約破棄を申し出ることは容易ではなかった。

「ジオライドが愚か者で助かったんです。平気で人前で私を侮辱して暴力を振るい続けた。証拠も山のように積み上がり続けていて、これを提出すれば王家も婚約破棄を認めざるを得なくなる。……まさか、私に肉体関係を強要するところまで来るとは思いませんでしたけど」

 カズンたちがイザベラの苦境を知った頃には、既に彼女の心も限界に近かった。

「カズン様に助けていただいて、本当に助かりました。王族の方の助力があったからこそ、今の私があります。本当にありがとうございました」

 そう言って、イザベラは深く頭を下げた。



「ジオライドがラーフ公爵の実子ではないこと、公爵は知っていたのでしょうか?」

 貴族家の当主として当然の疑問を、ヨシュアが質問した。

「知らなかったみたいですね。そこは上手く母親の公爵夫人が隠蔽していたようで」
「人物鑑定スキルは、珍しいスキルの一つだからな。特に、出自まで見ることが可能な中級以上となると数も少ない」

 ちなみにカズンとユーグレン王子の人物鑑定スキルのランクは、現在初級である。
 ただしどちらも父母が中級以上のランク保持者なので、二人ともいずれは更にランクが上がるものと思われる。

 さて、では現在のラーフ公爵はジオライドが実子でないことを知ったのか、どうか。

「あのお茶会の後で、私と父、ジオライドと公爵とで、王宮で先王陛下、国王陛下、王太女殿下を交えて話し合いをしました。その場で、お茶会のときジオライドが学園長から受けた人物鑑定の話になって……」

 アケロニア王族はほとんど全員が人物鑑定スキルを持つ。
 カズンやユーグレンはまだ初級だが、ヴァシレウスは上級だし、国王テオドロスと王太女グレイシアは中級持ちである。

「当然、王族の皆様は人物鑑定スキルでジオライドを見たことでしょう」
「はい。その場でジオライドが不義の子であることが露呈して、ラーフ公爵様も夫人の不貞を知りました。国王陛下と王太女殿下も保証済みです。でもまあ、彼は公爵の実子で嫡子であると届け出がなされているので、そこは特に問題ではなかったです」

 問題があったとすれば。

「ジオライドのあの謎の自尊心は折れたでしょうね……」
「ええ、もうバッキバキに叩き折られました。根本からポッキリ。本人はまだ公爵令息のつもりでしょうが、実態は父親の血を一滴も継がない不義の子ですから。その事実からは逃れられません」

 念願だった王族との縁戚の可能性も絶たれ、可愛がっていた息子も自分の種でなかったと知り、ラーフ公爵は失意に沈んだという。
 愚かな息子ではあったが、公爵にとっては可愛い一人息子だったそうだから、尚更だろう。



「えーと、不義の子のまま、ジオライドって人は公爵令息のままでいられるものなんですか?」

 素朴な疑問をカレンが言い出した。

「現段階ではラーフ公爵の嫡男だって、きちんと国の戸籍に登録されてるからね。それに今回の問題で、ラーフ公爵は王家から、嫡男ジオライドの再教育を命じられている」
「そう簡単には、自分の子でないからと言って廃嫡や、除籍もできないと言うことだ」

 ヨシュアの説明に、カズンが補足する。

「何それ! じゃあ浮気されて自分の子でもないジオライドって奴を嫡男にさせられたラーフ公爵様、踏んだり蹴ったりじゃない!」
「いや、まあ……ど正論だな」
「ど正論ですね」
「ど正論……よね」

 やはり外野からはそう見えるわけだ。
 妻が正式な夫以外の男性の種を孕んで出産し、結婚先の家の後継にする行為を托卵という。
 自然界で同じような行動を行う鳥や動物の専門用語をそのまま拝借したものだが、貴族社会でも一般の庶民の間でもまま見られる行為だった。

「ただ、あくまでも“今は”だ。ラーフ公爵はいずれ機を見て夫人を離縁するか、第二夫人を娶るなり、外部に妾を作るなりして新たに子供を作るだろうな」
「それは、ジオライドを跡継ぎから外すため、ですよね?」
「そう。別に自分の子以外を跡継ぎにするのは、貴族社会では珍しいことではない。だが、公爵家に、その血が一滴も入っていない嫡男となれば話は別だ」

 恐らくラーフ公爵は、いずれ夫人の不貞を問題に挙げて、離縁と同時にジオライドが不義の子であることの証拠を揃えた上で、彼を廃嫡することになると思われる。
 王族の人物鑑定スキルでも確認された以上、ラーフ公爵がジオライドを息子として愛していたとしても、どこかの時点で決断せざるを得ないだろう。

「仮に廃嫡されて、離縁された母親の実家に引き取られたとしても、母親は侯爵令嬢だから以降は侯爵家の令息となる。家のランクは落ちるが高位貴族に変わりはない」
「やっぱりスッキリしないなあ。スカッと断罪できないものなんですか?」

 カレンの憤慨は、今回関わった者たちに共通する思いだったが。

「ジオライドを完全に潰して断罪できていたら、イザベラ嬢は無事ではいられなかったことになる。今回の件はこれが限界だ」
「あ。そ、そっか……ですよね……」

 その意味を悟り、カレンもそれ以上は言わなかった。
 イザベラはジオライドから、執拗な性的関係の強要を受けていたのだ。
 もしもジオライドが重い処罰を受けることになっていたら、それはイザベラの純潔が穢されたことと同義だ。



「そういえば、イザベラ嬢はロットハーナの話を聞いたか?」

 今回、ジオライドがイザベラを自分のものにしようと使いかけた隷属の魔導具もロットハーナ由来のものでないか調査中だ。
 かつて奴隷売買に関わっていたジオライドの母親の実家にあったものらしく、彼女が調達して、息子に渡していたものだったらしい。
 曰く、『あの賎民の娘が反抗するようなら使いなさい』と。

 ジオライドの母親の実家であるフォーセット侯爵家には、この隷属魔導具の件で別の調査が入るようだ。

「聞きました。私も王族の血を引く者と言うことで、しばらくはこのまま護衛が付くそうです」

 国内に入っているはずのロットハーナ一族の末裔の行方は、いまだ掴めていない。
 まだしばらく、警戒体制が必要な状況は続きそうだった。