うちのクラスの学級委員長、王弟殿下なんですよ~王弟カズンの冒険前夜

 儀式専用室を出て、外で控えていた執事に事情を伝えると、ヨシュアとユーグレンが落ち着いて出てくるまで応接間でお茶を出してくれるとのこと。

 腰を落ち着けて紅茶で喉を潤しながら、世間話に興じていた。

「おいしいところを持っていったなあ。ユーグレン殿下」

 ああいう、いい感じのことをするっと即興で口から出すのはカズンには難しい。
 特にカズンはヨシュアとは親しいから、気恥ずかしくなってしまって。

「ほっほ、次期王太子として先が楽しみですなあ。お母上のグレイシア王太女殿下ほどの覇気がないのを心配しておりましたが、要らぬ世話だったようです」

 先ほどの光景を思い出しながら、魔法魔術騎士団の団長が長い白髭をいじりながら、しきりに頷いている。

「ユーグレンはテオドロスに似たのだ。二代続けて好戦的な国王にならずに済みそうだな」

 カズンの父ヴァシレウスも満足げに頷いている。
 そんな彼も若い頃や在位時代はそれなりに血の気の多い国王として知られていたが、今では落ち着いた貫禄のイケジジだ。

「あれはヨシュアのファンなのだが、ヨシュアの美貌に気後れしてなかなか親しくなれず、随分長いこと悩んでいたようだ」
「そうでしたか……それは、それは」

 団長は昔を思い出すように一度目を閉じた。



「ヨシュアの父カイルも、若い頃から息子とよく似た美貌で、それはそれは多くの者たちから慕われていたものです。ですが、その……美しいのは外側の皮一枚というやつでしてな」
「ああ……ですよね……わかります……」

 しみじみカズンは同意した。
 儚げで優美な美貌に、皆コロッと騙されて、騙されたままなのだ。

 幼い頃から交流のあるカズンは知っている。
 彼がなかなかの野心家で、物事の白黒グレーを絶妙に操る参謀タイプだということを。

 カズンが知るヨシュアの父カイルは、少々偏屈で面倒臭い性格の持ち主だったが、親子だけあってベースの気質はよく似ていたように思う。

「息子のヨシュアも、案外食えない策略家の側面がありますよね」
「そう。リースト伯爵家の男はそのような性格を持つことが多いのです。優れた魔法剣士であると同時にですな。……さて、学園を卒業後は騎士団に入って活躍してほしいものですがのう」

 ヨシュアのように、親から爵位を受け継いだ者にはいくつかの進路がある。
 彼の場合は主に4つ。

 ひとつは、襲名したリースト伯爵として領地運営のみに従事すること。
 リースト伯爵家は魔法の大家として知られていて、魔法剣士の一族である。
 ポーションなどの魔法薬の開発と販売を主要産業として持っている。
 他には領地に大きな河川があって、味の良い鮭が獲れることで有名だった。リースト伯爵領産のスモークサーモンは特に美味で、カズンも父ヴァシレウスも大好物のひとつだ。

 ふたつめは、王都で魔法魔術騎士団へ入団し、魔法剣士の才能を国のために使うこと。
 魔法魔術騎士団は、騎士たちのうち魔力使いを統括している騎士団だ。
 ヨシュアの父カイルは、SSランクの騎士で最高峰のランク保持者として活躍していた。
 騎士団長は同じような活躍を、息子のヨシュアにも望んでいる。

 みっつめは、策略家向きの性格を生かして、政治の道を目指すこと。
 ただこれは、既にヨシュアの叔父が王太女グレイシアの腹心となっている関係上、選択の可能性は低い。

 よっつめは、王族の参謀となること。
 この場合は同年代のユーグレン王子か、王弟カズンいずれかの参謀だ。



「多分、ユーグレン殿下的にはヨシュアを側近にしたいんじゃないかと思うんです。叔父のルシウス様をお母上のグレイシア様が便利に使っているのを見てますからね」

 ヨシュアには、ルシウスという父方の叔父がいる。
 大変有能で多才な男で、そういった長所は甥のヨシュアにもある程度、受け継がれているのだ。

「おや、カズン様の側近ではなくてですかな?」
「そりゃ、側にいてくれたら嬉しいですけど。でも損得を考えたら、やっぱり王子のほうがいいんじゃないかなあって」

 将来的にカズンは母親の跡を継いで大公として、王族の一人として国王と王家を支えていくことになる。
 そのとき、誰を側近として使うべきか。

「……ヨシュアは僕にはもったいない気がします。まだ、二人でそういうことを話し合ったこともないんですけど」

(国内屈指の裕福な伯爵家の新当主。魔法剣士。頭も良ければ顔もいい。有力な身内もいる。僕にはもったいない男だ)

 沈みがちに考え込んでしまったカズンを、父ヴァシレウスがどことなく面白そうな顔で見守っていた。

 今年、学園を卒業することになるカズンたちには結婚問題もある。

 ここ、アケロニア王国はカズンの姉にあたる王女が何十年も前に政略結婚で他国の王家に嫁いだ結果、粗末な扱いを受けて早逝した事件が起きている。
 以降、少なくとも王家は政略結婚を非推奨する方針に転換して、結果、カズンもユーグレンも王族でありながら婚約者のひとりもいない。



 現在、アケロニア王国では、始祖から続く直系王族の数がとても少なかった。

 存命中の人物は、まず先王ヴァシレウス。

 彼の長男で現王のテオドロス。
 正妃は数年前に亡くなっている。

 テオドロスと正妃との間に、王女がひとり。グレイシア王太女という。次期女王だ。

 そのグレイシア王太女が国内の貴族だった夫との間にもうけたのが、ユーグレン第一王子。

 この四名に加えて、ヴァシレウスと彼の曾孫セシリアの間に産まれたのが王弟カズン。それでもたった五人しかいない。
 セシリアを加えても六人。



 アケロニア王国は、円環大陸という、その名の通りドーナツ状をした巨大大陸の北西部にある王制国家だ。
 この円環大陸には大小様々な規模の国家があり、多様な人種がそれぞれ暮らしている。

 実は現時点において、王政や貴族制を採用している国家は、少数派にあたる。
 他の多くは、この百年ほどの間にほとんどが民主制や共和制に移行していた。それが“時代の流れ”だった。
 カズンの父、先王ヴァシレウスも現役時代から、国民から選ばれた元首を頭に据えた民主制への移行を考えていたそうなのだが、いまだ実現には至っていない。

 理由のひとつに、アケロニア王国の王族や貴族たちが、魔力量の多い人種であることが挙げられる。

 魔力は、誰でも魔術式さえマスターすれば同じ再現性ある術の行使が可能な魔術と、一から想像力を使って望む現象を創造する魔法、二種類の使い方がある。
 魔術にしろ魔法にしろ、これまで国家の発展に寄与してきたのは、魔力の主な使い手たちである王侯貴族なのだ。

 民主制や共和制に移行して国民の間の身分制度が撤廃されれば、魔力の多い一族の血筋の管理が困難になるだろうと予測されている。
 実際、王侯貴族制を廃した他国の中には、稀有で特殊な魔力を持つ一族がたった数代で滅んでしまった例がいくつもある。

 それに王族はともかく、零落と滅亡の先例を恐れる貴族たちの強い反発と抵抗で、民主制への移行がなかなか進まない。



(王族に子供が産まれにくいのは、既にアケロニアが国として衰退期に入っているからだと……あの魔術師は言っていたな)

 円環大陸の中央には周囲を水に囲まれた小国がある。
 人口は一万人に足らず、水に囲まれた孤島に等しい立地から、実態がなかなか掴めないことでも知られている。

 ところがこの小国、この大陸にある国家の中で、最も古くから存在すると言われている国家なのだ。国名を“永遠の国”という。
 恐らく、人類の古代種と呼ばれるハイヒューマンや“神人”を祖に持つ王族が治める王政の国と考えられている。

 実態が判然としないにも関わらず、アケロニア王国も他の国家も、永遠の国を無視できない事情があった。

 永遠の国は、円環大陸上における国家の格付けを行う国なのだ。
 また、各国の王や元首、指導者たちに対する名誉称号を授与することでも知られている。
 例えば、アケロニア王国の先王ヴァシレウスは業績の多さを評価されて、“大王”の称号を永遠の国から授けられている。
 業績の偉大さを讃える文面とともに届いた書状と勲章に、授与された中年期のヴァシレウスは使者の前で号泣したという。それほどの名誉だ。
 そして今、世界中に大王の称号持ちはカズンの父ヴァシレウスしかいない。



 その永遠の国には、この数百年の間で最も劇的な“統合魔法魔術式”を編み出した魔術師が所属している。

 フリーダヤという一見まだ二十代半ばくらいの外見をした、長く白いローブをまとう、薄緑色の長い髪を持つ優男風の男性魔術師だ。
 “時を壊す”という寿命破壊の魔法で不老不死を実現したとされる、不老不死を得た数少ない魔術師と言われている。

 彼が数年前、アケロニア王国を訪れたとき、カズンも王族の一員として王宮で彼と対面し、会話する栄誉に恵まれた。

 そのとき彼フリーダヤが言ったのが、


『アケロニア王国は成熟し、既に衰退期に入っているよ』


 偉大なヴァシレウス大王の御代で円熟し、以降は緩やかな衰退を辿っていると彼は言った。
 既にその兆候は、王家に産まれる子供の少なさに表れているという。

 確かに、ヴァシレウスは在位時、正妃や複数の側室を持っていたが、産まれたのは正妃との間の王女と王子がひとりずつだけだった。
 王となった王子テオドロスも、正妃との間にもうけたのは現代王太女となった王女ひとりのみ。
 その王女も、夫との間にユーグレンただ一人のみ得て、以降は妊娠の兆しもなかったという。



 この話を魔術師フリーダヤから聞いた先王ヴァシレウスと現王テオドロスは、今後の国の在り方と自分たち王族の血筋の保存をどうするかに頭を悩ませている。

 結論として、なるようになれで、次世代の判断に委ねられることになった。
 即ち、ユーグレン王子と王弟カズンの二人にだ。

 伴侶を探すなら自分でやれと言われたし、子供を作るも作らぬも自分の責任でと。

 それから小一時間後、カズンたちの応接間までヨシュアとユーグレン王子が連れ立って戻ってきた。

 ヨシュアは目元を腫らしていたが、祭壇の前で震えていた先ほどとは打って変わって、吹っ切れたような顔つきになっていた。

 後ろにヨシュアを守るように立つユーグレン王子は、王族として人目に晒してはならない、蕩けて崩れた顔になっている。
 カズンは軽くユーグレンを睨んだが、まずはヨシュアだ。

「もう大丈夫なのか、ヨシュア」
「はい。父の亡骸も無事棺に収め終わりました。皆様には恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
「気にしないでいいさ。ねえ、お父様、団長閣下?」

 呼ばれた年長者は二人とも、優しい表情で頷いた。

「ユーグレン殿下には力強く励ましていただき、父の棺を閉めるお手伝いまで……。感謝申し上げます」
「い、いや、礼を言われるほどのことはしていない」

 ヨシュアに振り向かれ、瞬時に蕩け崩れていた顔を引き締めたのはさすがだった。



 その後はリースト伯爵家でご自慢のサーモンパイの昼食をいただいた後で解散となった。

 団長とは伯爵家で別れ、カズン、ヴァシレウス、ユーグレンの王族三人はアルトレイ女大公家の屋敷まで同じ馬車で帰ってきた。

「少しはヨシュアと仲良くなれましたか、ユーグレン殿下」
「………………」
「殿下?」

 侍女に茶を入れて貰って、応接間でさっそくどんな首尾だったかを確認したカズンだったが。

「えっと、……駄目、だったんですか? あんなに格好良くヨシュアを諭してたのに?」
「……私はもうこの彼に触れた両手を二度と洗わない……彼の涙の染み込んだ今日の礼装は永久に保存する……」

 何やら余計に拗らせたようだ。
 リースト伯爵邸にいたときのような、多幸感を噛み締めて蕩け崩れた顔になっている。

 自分たちとよく似た黒髪と黒目、キリッと引き締まった端正な男前が崩れている様は、カズンもヴァシレウスもあまり見たくないと思った。



 まあ気を取り直して、

「あの後、儀式部屋でヨシュアを宥めたとき、そのまま仲良くなれなかったのか?」

 せっかく二人きりになれた好機を、なぜ生かさなかったのかとヴァシレウスが首を傾げている。

「彼のお父上が見ている場所で、打算的な行動はできません!」
「ああ……まあ、そうかもな……」

 確かに、ヨシュアの父の亡骸があるところで仲良くなりたいだの何だの言うのは、不謹慎だったろう。

「だ、だが聞いてほしい、カズン、ヴァシレウス様! 後日、今日の礼をしに王宮まで来てくれるそうなんだ。そのとき中庭のあずまやでお茶をして、その後は薔薇園を案内して、父親を亡くした彼の心を慰めたいと思う。どうだろうか!?」

 いや、どうだろうかも何も。

「……殿下。あなた、ヨシュアと二人きりで間が持つんですか?」
「あ」

 やれやれと、ヴァシレウスが溜め息を吐いた。

「カズン、少しだけでいいから、ユーグレンを応援してやってくれるかい? さすがに私も居たたまれなくなってきたよ」
「……はい、僕も同じ気持ちです、お父様」

 同じ学園に通う生徒で、クラスは違えど同学年でもある。
 意識してヨシュアとユーグレンを引き合わせてやろうと、カズンは脳裏で算段を始めるのだった。

 再び学園に登校するようになったヨシュアとは、友人として今まで以上に親しくなったカズンだ。

 ヨシュア本人は新たなリースト伯爵となった。
 大きな苦悩のもとだった、後妻とその連れ子の処遇も王家に委ねて処刑確定で、既に自分の手を離れたことから心機一転である。

 ヨシュアにとって幸いだったのは、実の父から受け継いだ術式が肉体に馴染んだことで、ここ数年ずっと苦しんでいた魔力と肉体のアンバランスが大きく改善したことだろう。

 朝起きたとき、身体が怠くもなければ強張って固まってもおらず、学園に登校してきても放課後まで気力体力が持つ。

 すっかり本来の元気さを取り戻したヨシュアは、青みがかった銀髪も艶めき、銀の花咲く湖面の水色のアースアイも輝いて、また学園の生徒たちの視線を集めるようになった。



「へえ、これがラーメンですか」

 ヨシュアが学園を休んでいた間に完成させた、醤油スープのラーメンをさっそく食堂で披露してみた。

 とそこへ、日替わりの昼定食とスープ代わりのラーメンをトレーに載せた赤茶の髪のホーライル侯爵令息ライルがカズンの目立つ黒髪を目印にやってくる。
 そう、あのカズンの教室で派手な婚約破棄事件を起こした男子生徒だ。

 ライルは同じテーブルにいたヨシュアの姿に驚いたように茶色の瞳を瞬かせ、声を上げた。

「お前、“竜殺し”じゃん! 最近休んでるって聞いてたけど元気になったのかよ? え、カズンと知り合い……?」

 席の空いていたカズン、ヨシュアのテーブルにトレーを置いて、隣のカズンに訊ねた。

「僕と同じクラスで、友人で幼馴染みだ。最近、家の爵位を継いでリースト伯爵になったのだ」
「あ、そうか。親父さんは残念だったな。伯爵位継承おめでとう。俺はホーライル侯爵家のライルだ。ライルでいいぜ、よろしくな」

 と挨拶されるも、当のヨシュアはラーメンの麺と箸の扱いに四苦八苦でそれどころではない。

「あ、はい、オレはリースト伯爵ヨシュアと申します。オレもヨシュアとお呼びください………………ああっ、掴めない、指がつる、麺が逃げる……っ!」

 なお、まだリースト伯爵家内部の事件は公にされておらず、世間的にはヨシュアの父、前リースト伯爵の事故死だけが知られている。ライルの持っている情報もその程度のものだろう。

「“竜殺し”とは、懐かしい話だな」

 ヨシュアは元から魔法騎士として国から認定されているが、学生としては異例の称号持ちでもある。
 その称号が“竜殺し”という。


◇◇◇


 カズンたちが王立高等学園に入学したばかりの頃は、アケロニア王国近隣で魔物や魔獣の発生率が跳ね上がった時期だった。

 学園は身分の高い貴族子息も多く通うため、敷地に外敵を弾く結界陣が敷かれているのだが、稀に強い魔物や魔獣が来ると許容量を超えることがあった。

 学園に来襲した魔物は翼竜ワイバーン、そして竜種最強と言われるドラゴン。
 ワイバーンは学園に駐在する騎士や腕に覚えのある在校生たちで倒せたのだが、一番の大物だった巨大なドラゴンにだけは歯が立たなかった。

 それを退治したのが、当時既に早熟な魔法剣士として周知されていたリースト伯爵家のヨシュアだ。



 ドラゴンの飛来が確認された時点で、教員や上級生らの誘導で、校舎内から校庭を通り学園外へ緊急避難することになった。

 その途中で、学園周囲に張られている結界を突き破ってドラゴンの巨体が侵入してくるのを、当時のカズンも絶望しながら見ていた。

 ワイバーンとは比べ物にならないほど、大きな竜だ。
 学園の三階建て校舎の半分近い背丈がある、トカゲ型の魔物。人間のいる都市まで飛んでくるだけあって、あまり知性が高くないタイプなのも厄介だった。

 分厚く硬い緑色の鱗に阻まれ、衛兵どころか教員、在校生たちの攻撃もほとんど通らず、誰もが恐怖と緊張で身を固くしていた、そのときだった。

「カズン様、オレの荷物をお願いします」
「あっ、ヨシュア!?」

 通学鞄をクラスメイトのカズンに預け、避難する生徒たちの群れから飛び出し、身体強化の術で校舎の壁を窓枠などの出っ張りを足場にして、ヨシュアはあっという間に屋上まで駆け上がっていった。

 まさかあれと戦うつもりなのか! と肝を潰しそうになったことを、カズンは今でもありありと思い出せる。



 屋上の柵の上に立ち、暴れ回るドラゴンを冷めた目で見下ろすヨシュアに、校庭から教員も生徒たちも必死に降りてくるよう呼びかけていた。
 もちろん、カズンも声が枯れんばかりに叫び続けた。

「ヨシュア! 駄目だ、降りてこい! お前ひとりじゃ危ない!!!」

(父君や叔父君ならともかく、まだ今のヨシュアじゃ……)

 確かにリースト伯爵家は魔法剣士の家で、ヨシュアの父も叔父も比類なき実力者として知られている。その薫陶を受けたヨシュアも強いことを幼馴染みのカズンは知っている。
 けれど、いくら何でもドラゴンが巨大すぎる!

「ヨシュア! 騎士や魔力使いたちが到着するまで待つんだ! ヨシュアー!」

 屋上までカズンの声は聞こえているはずだった。だがヨシュアはちらりとカズンのほうを見ただけで、降りてくることはなかった。
 ヨシュアがドラゴンを引きつけてくれたことで、生徒たちは比較的安全な場所まで避難することができた。
 魔力使いでもある学園長が生徒や教員たちを結界に保護し終わった時点で、ようやくヨシュアが動いた。

 ヨシュアはやがて自分の頭上に魔法で金剛石の輝きを持つ剣を無数に創り出した。

 金剛石、即ちダイヤモンドの魔法剣こそが、魔法剣士としてヨシュアが血筋に受け継いでいる武器なのだ。

 そのうちの特に長大な一本を両手で握り締めて、屋上からドラゴンに向かって勢いよく飛び降り、振りかざした。

「!???」

 生徒たちから悲鳴が上がる。

 同時に、ヨシュアが宙に浮かせていた無数の輝く剣はドラゴンの全身にトゲのように突き刺さっていく。

 耳障りな悲鳴を上げるドラゴンの脳天に、ヨシュアの手の中の長剣が、バターに挿入されるナイフのようにするりと入り込んでいく。
 魔法で編み出した剣に特有の切れ味だ。

 あっ、とギャラリーが声を上げる間もなく、巨大なドラゴンはその場で脳天から真っ二つになって左右に分かれ、崩れ落ちた。

 校庭を赤く染める大量の血と臓物。
 しかもヨシュア本人や身にまとうビリジアングリーンの制服には一滴も汚れが撥ねていなかった。

 あまりの出来事に、誰もが呆気に取られていた。
 そしてドラゴンを倒したのが、入学したばかりの小柄で美しいリースト伯爵家の少年だと知り、全校生徒が沸いたのだ。

「ヨシュア……」

 もちろんカズンも驚いた。
 物心ついた頃からの付き合いで、魔法剣士なのも、強いのも知っていたが、まさかここまでの実力を持つとは思わなかった。

 怪我などをした様子がなくて、ホッと安堵の溜め息を吐いて胸を撫で下ろした。
 そして思う。

(ここはあいつのための世界なのかもなあ。有力な貴族の令息、魔力使い、魔法剣士、単独でドラゴンを倒せる強さ。超美形のおまけ付き)

 そして自分は今世でもモブなわけだ。
 親ガチャ、親友ガチャ、環境ガチャが成功した分だけ、能力ガチャや境遇ガチャまで運が回らなかった感がある。

(ということは、僕は英雄様のモブ友枠だろうか?)

 とヨシュア本人が聞いたら泣きそうなことを考えていた。



「カズン、無事か!?」
「ユーグレン殿下」

 そのとき人混みの中を掻き分けて、王子のユーグレンがカズンの元に駆け寄ってきた。

「僕は問題ないです。彼、ヨシュアがやってくれたので」
「……ああ。すごいな、彼は。リースト伯爵家の令息だそうだな。何とも鮮やかなものだった」

 あれだけの巨体のドラゴンが、見事に真っ二つ。

 だが、地上に降りたヨシュアは、念の為にとドラゴンの首を落とした後で、ふらっとよろめいて地面に膝をついてしまっていた。

「あっ。ヨシュア! ……殿下、荷物頼みますね!」
「カズン!?」

 持っていた自分とヨシュアの分の通学鞄をユーグレンに押し付けて、カズンは慌てて幼馴染みのもとへ駆けていった。



 自分も追いかけたかったユーグレンだが、さすがに傍らの護衛の生徒に止められてしまった。仕方なく溜め息を吐いて、その場に留まる。

 青銀の髪の生徒に駆け寄るカズンの後ろ姿を見送りながら、しみじみユーグレンは呟いた。

「鮮やかで……美しかった」

 ユーグレン王子がヨシュアの勇姿に一目惚れしたのが、このときのことだ。

 その後、居ても立っても居られなくなって、同じように彼に心を奪われた生徒たちとリースト伯爵令息ヨシュア・ファンクラブを設立し、会長に収まって現在に至る。

 学園へのドラゴン来襲事件が解決した後。

 アケロニア王国はリースト伯爵令息ヨシュア、この小柄な少年英雄に『竜殺し』、ドラゴンスレイヤーの称号を授与した。

 猛者の集まる王立騎士団員や魔法魔術騎士団にも、竜殺しの称号持ちは数えるほどしかいない。
 そもそも竜は騎士や冒険者たちが複数で追い詰めて討伐するものであって、個人で倒せるものは数少ない。
 ヨシュアはそのうちの一人として、若年ながら名誉を得たのだ。

 その後しばらくの間、国内の主要な新聞各紙では連日、英雄となったリースト伯爵家の嫡男ヨシュアの話題が紙面を賑わせていたものである。



 と、ここまでなら、天与の才を持つ少年が英雄となった美談で終わるのだが、あいにくそう気持ちよくまとまる話でもなかった。

 ドラゴンと対峙したとき、ヨシュアは百本近い魔法剣を出していた。
 いくら何でもやりすぎだった。本来なら、身体と心の成長に合わせて少しずつ使いこなしていくべきものを、一気に放出した負担は大きかった。

 肉体のキャパシティを超えて魔力を使ったことで、ヨシュアは自分の生まれ持つ莫大な魔力と、未成熟な肉体とのアンバランスによる心身の不調を抱え込むことになってしまったのだ。
 竜を倒した直後も魔力の使いすぎで昏倒し、数日目を覚まさなかったぐらいで。

 以降、魔法剣士としての実力はそのまま年々磨かれていったが、肉体の練度がそれに付いていけなくなった。
 大人になるまでに徐々にバランスは取れていくとの医師や魔法使い、魔術師らの見解はあったものの。

 本人は自分の不安定な状態にすっかり厭気がさしてしまい、周囲が気づいた頃には、物事に怠惰で面倒くさがりの横着者と化していた。
 身体が怠いからとすぐ学園を休むし、体育の授業はサボって校舎の屋上や保健室で眠りこける。
 定期試験は途中で倒れるからと、事前に半年分をあらかじめ受けさせろと学園長に掛け合って許可をもぎ取り、以降は試験どころか平時の授業も気づいたらいなくなっている。

 一応、すべての行動に“不調”の理由があるから、クラスメイトや教員たち、学園側もあまり口出しせず、見守るに留めている。

 だが、あの美貌であの才能の持ち主だ。
 誰もが皆、心配して様子を窺っているというのが実情だった。
 もちろん、幼馴染みのカズンはその筆頭である。

 そこへ来て、彼の実家、リースト伯爵家への父の後妻による簒奪事件の発生。
 まだしばらくは、ヨシュア絡みの話題は学園内を賑わせることになりそうだった。


◇◇◇



 当時をしみじみ思い出しているうちに、カズンやライルは昼食をほとんど食べ終わっていた。
 ヨシュアはといえば、まだ箸の使い方が覚束ず、麺と格闘している。
 もういい加減、麺が伸びてしまう頃だ。

「ヨシュア、箸が難しければフォークでスープパスタのように食せばいい」

 カウンターでフォークを貰ってきてやろうとするカズンたちの前で、ついに箸を諦めたヨシュアは魔力でハサミを創り出した。
 剣と同じで、金剛石の輝きを持つ透明なハサミだ。
 それでチョキチョキチョキ……とスープの中の麺を細かく切り刻んでいく。
 そのままハサミを魔力に戻して消してから、レンゲ代わりの大匙スプーンで麺ごとスプーンですくって口に運んだ。

「あ、美味しいです。ちゃんとうちの領の鶏の味がしますね」

 醤油スープのベースとなる鶏ガラスープの鶏ガラは、リースト伯爵領特産の鶏を貰い受けたものだった。
 鶏ガラ、即ち鶏の肉や臓物を取った後の骨は、これまで捨てていたものだからと、逆に処分費用を報酬として頂戴してしまった。

「あの骨クズから、こんなにいい味が出るんですねえ。領地でも研究させてみましょう」
「ああ。ちょっと下処理に手間がかかるが、それだけの甲斐はある。手順をレシピにまとめてあるから、後日渡そう」
「それは助かります」

「って、ちょっと待ったー! 何だその食い方は、ラーメンの食い方じゃねぇ! 邪道過ぎんだろ!」

 日本人が前世だったライルが、あまりの光景に我を取り戻すなり大声上げて非難してきた。

「いや、邪道とも言い切れん。シンガポールの名物ラクサヌードルなどは、米麺をヨシュアがやったように細かく切って茹でて、スプーンで食うのだ。それと同じと考えれば……」
「そんなハイカラなもん知るかぁっ!」

 ちなみにラクサとはシンガポールや東南アジア地域で人気の麺料理で、カズンの前世だった日本では『世界一美味しい麺料理』としてメディアで紹介されたこともある。

「このスープなら、茹でた大麦を具にしたり、米を入れてリゾット風にしても美味かもしれませんね」
「それは締めだ! まずは麺を食えよ、麺を!」
「そういうもの、なの?」
「……うっ」

 不思議そうに首を傾げるヨシュアは、何とも麗しく顔がいい。
 ラーメンの湯気で上気した薔薇色の頬、スープの油分で濡れて艶々した唇。逆らえない何かがある。

「ぐっ、そんな可愛い顔して見るなよ、お前は美人過ぎだ、何かヤバい道に入り込みそうで怖えわ!」
「待てライル、人前で下手なことを言うとヨシュアのファンクラブ会員たちにどつかれるぞ、発言には気をつけろ!」

 今も巧妙に、食堂の自分たちのいるテーブル席から見えそうで見えない絶妙な位置にファンクラブ会長(非公認)がいて、こちらに眼を光らせている。

(ユーグレン殿下……こちらのテーブルはまだ席が空いているのだから、さりげなさを装って来れば良いのに……)

 まったく、あのチキン野郎は。
 少しは煮込んでアク抜きでもしてやれば、まともに行動するようになるだろうか。



「ご馳走様でした。大変美味しゅうございました」

 麺も具も、スープも含めすべて飲み干して、ヨシュアが大匙を置き両手を合わせた。

「このスープはとても美味しいですね。物品鑑定したら病人や虚弱体質の者の滋養に良いと出ました」
「えっ。お前、鑑定使えるのかよ?」
「ええ。総合鑑定にはまだ遠いですが、魔力鑑定もできますよ」

 鑑定はこの世界では、魔力に依存しない特殊スキルのひとつだ。

 物品鑑定、魔力鑑定、人物鑑定の三種類が主に知られており、スキルごとに詳しく鑑定できる対象も異なり、ランクも初級から特急までさまざまだったりする。

 三種類すべてを使いこなせるスキルは総合鑑定と言われるが、総合鑑定スキル保持者はこのアケロニア王国にも数人しかいない。

 カズンは人物鑑定のうち、基礎の敵味方の判別に使う人柄鑑定スキルを持っている。
 これはアケロニア王族は血筋に特有のスキルとして、年頃までには自然と発現すると言われている。もちろん兄王の孫ユーグレン王子もだ。

 ちなみにカズンの母セシリアは人物鑑定にまつわる全スキルを使いこなす傑物だった。
 元々社交的な気質がベースにあった上で開花したスキルといえるだろう。

 カズンの母はそのスキルをもって長年アケロニア王国と不仲だった国との橋渡しを行い友好締結した業績が、女大公の爵位を獲得する大きな後押しとなっている。
 それまでは、同盟国に嫁いだ王女の孫ではあったが、国内ではとっくに退位した先王ヴァシレウスの後添えとして、不安定な身分に過ぎなかった。



「この味なら、ミルク味のスープも美味しそうです」
「出汁として肉や野菜を煮込んだ鍋料理もいけるぞ。まあ、まだしばらくはラーメン研究を優先したいがな」
「ラーメンスープなのに、何でラーメン以外の料理を追求してんだよ……」

「この料理は麺を入れる以外にも沢山の可能性がありますよ。具材ももっと多彩なものを試せると思います」

 たとえば……とヨシュアが指折りしながら、いくつか挙げていく。

「オレの領地の特産品なら、香味野菜の炒め物がお勧めです。タマネギ、リーキ(ネギ)、食用ニンジンやキャベツ入れても合うんじゃないかな」
「それは野菜タンメンでいけるな。鶏の油で炒めれば旨そうだ」
「え、何でお前らそんなに料理に詳しいの?」

 ライルの素朴な疑問に、ヨシュアはカズンと顔を見合わせて苦笑する。

「それはカズン様の影響ですね。この方、幼い頃から食いしん坊で。離宮にいらしたときはよく厨房まで足を運んで、料理人たちにあれこれ指図して好みの料理や菓子を作らせていました」

 それに付き合わされたうちの一人が、同い年のヨシュアなのである。

「そうそう。それにヨシュアのルシウス叔父様が料理上手でランクの高い調理スキルを持ってるんだ。美味しいものをたくさん食べさせてもらったよなあ」
「ええ。カズン様や叔父様と工夫した料理は、どれもすごく美味しくて。バターのたっぷり入ったワッフルという菓子なんて、まさに天上の美味でした……」

ワッフルとは前世の日本でも人気だった、ベルギーワッフルのことだ。イーストとバターやパールシュガーの入った甘い生地を専用のワッフルメーカーでこんがり焼いた焼き菓子である。

 風味を思い出しているのか、うっとりした表情を浮かべている。
 頬をうっすら上気させているヨシュアを、周囲のテーブル席の生徒たちが男女問わず見惚れていたが、本人は気づいていない。

「カズン様や叔父様に付き合っているうちに、オレも調理の初級スキルを獲得したんです。我がリースト伯爵家の傘下には王都の街に出店したレストランもありますし。今ではオレがたまにメニューを考案することもあるんですよ」

 店の名前を聞いてライルも驚いた。予約が取れないことで有名な、パイ料理で知られる高級レストランではないか。
 ちなみに余談だが、リースト伯爵家の名物料理は赤ワインソースで食すサーモンパイである。



「あと、このスープベースに合いそうなのは……魚介類でしょうか。ホタテや他の貝、イカ、あとは海老は上手く工夫すれば、なかなか合うのでは?」

 海老、と聞いてカズンは黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
 キラリ、と硝子が光る。

「海老出汁ラーメンは必ず実現しようと思っていた。ベースは鶏ガラより他の魚介が合うと思うぞ」

 そうは言っても、今いる王都は海から遠いせいで、魚介類の価格も高めだ。
 まずは材料を確保して、これまでと同じように試行錯誤できるだけの量を揃えたいところだが。

「週末、泊まりがけならうちの領地行けるだろ。あるぜ、海鮮。ホーライル侯爵領は海に面してるからな」
「ほう……そういえば、ホーライル侯爵領には漁港があったか」

 侯爵はいわゆる辺境伯で、他国との境界を持つ領地を任された高位貴族だ。
 ライルの実家のあるホーライル侯爵領は、海と、隣国との間の山地がある。

「わあ、お二人が行かれるならオレもお供します、海鮮料理はオレも好物なので!」

 ヨシュアも両手を上げて賛成した。
 と言うわけで、週末はホーライル侯爵領へ旅立つことが決定したわけだ。



 食堂の少し離れたテーブル席が、ガタッゴトッと騒がしい。

(至急、週末に合わせてホーライル侯爵領視察を入れろ!)

(急すぎますユーグレン殿下、週末ってもう明後日じゃないですか、調整できません!)

(それをゴリ押しで調整するのが貴様の役目だろう補佐官候補!)

(そんな、ご無体な殿下……ッ)



「………………」

 うむ、あの調子なら万難を排してでも来るだろう。

 カズンは黒縁眼鏡を外し、ラーメンの湯気で水滴が付いていたレンズを布で磨きながら嘆息した。

 王子のユーグレンが行くなら、道中は馬車でなく、王宮から国内の主だった領地に設置されている転移陣が使える。

 行きも帰りも一瞬で済むから、空いた時間の分だけ食材確保や現地での食べ歩き、実際の調理に時間を使えて都合が良い。



「ライル。ホーライル侯爵領には僕とヨシュア、あともう一人追加になると思うから、よろしく頼む」

 その週の週末、何とか予定を調整して、自身もホーライル侯爵領へ向かう時間を捻出したユーグレン王子。

 何てことはない、学園の食堂で、自分たちのホーライル侯爵領行きの話をユーグレンが聞いていたことに気づいていた王弟カズンが、国王テオドロスに話を通してくれたのだ。

 現在、王太女はユーグレンの母だが、彼女も既に四十代に入っている。
 テオドロスの後に女王に即位するより、実子でまだ若いユーグレンに後継者の座を譲りたいと表明していた。

 まだ立太子の儀式と発表は成されていないが、ほぼ内定していると言っていい。実際には学園の卒業後になるだろう。

 その分、王族としての公務も増えて、まだ未成年の学生でも、ユーグレンの日常は忙しかった。



 そんな中、週末の貴重な二日間を、地方への視察を建前に、友人たちとのお忍び旅行に行きたいとユーグレンが言い出した。

 祖父王テオドロスは渋い顔をしていたが、溺愛する年の離れた異母弟カズンに「ユーグレン王子ともぜひ一緒に行きたいのです。ねえ〜お兄ちゃま!」とねだられては、否とは言えなかったようだ。

「まったく、お祖父様はカズンには甘いのだから」

 軽い愚痴を呟きながら、側近の補佐官候補を一人連れて、王都の犯罪者を拘置している牢へと向かった。

 旅行の許可は得たのだが、週末の二日間丸々はさすがに貰えなかった。
 初日の午前中に、一件だけ片付けてくれと宰相から依頼されたものがある。



 ヨシュアを虐げていた、前リースト伯爵の後妻と連れ子の尋問の、最終確認を任されていた。

 報告では、悪事が露呈して拘束され牢屋へ放り込まれた後すぐからの尋問に、後妻ブリジットのほうは既に心が折れて大人しくなっているという。

 対して、連れ子アベルはいまだに抵抗を繰り返し、従順さも反省の欠片もないと報告が上がっていた。
 アベルもユーグレンと同じ王立高等学園の生徒だ。学年は下だが、アベルは既にこの国の成人男子の平均を超える体格の持ち主だった。

 彼への尋問の中で、アベルがヨシュアに様々な暴行を働いていたことが発覚している。
 ヨシュア本人の抵抗と、駆けつけたリースト伯爵家の家人たちにより未遂で終わった暴行も多いようだ。

 屋根裏部屋にヨシュアを監禁したのは、あまりにも抵抗が激しくて思うようにならないヨシュアを弱らせようとしたものらしい。

「……彼は優れた魔法剣士だ。どうやって彼を屋根裏部屋まで連れ込めたのだ?」

 この点が不明のままなので、最後に確認するため、わざわざ王子のユーグレンが牢屋まで足を運んでいる。

「口うるさいオッサンがいない隙を狙って侍女と遊ぼうと思ったところを、ヨシュアに見つかったんだ。やめろとか家を追い出すぞとか言いやがったから、側にいた侍女を殴った。それだけだ」

 王子のユーグレンを前にしながらアベルは不遜な表情で語った。

「つまり、ヨシュアの叔父君が不在の隙を狙って侍女を手ごめにしようとしたと。それをヨシュアに咎められたから侍女を虐待して人質に取ったわけか」

 口うるさいオッサンと言われたヨシュアの叔父はとても厳しい人で、ヨシュアの父親が後妻と再婚することを最後まで反対していた人物と聞く。
 その叔父が、ヨシュアの父が急死して急遽、領地に向かった留守の隙を狙って、犯行は行われている。



 後妻とその連れ子アベルによるリースト伯爵家乗っ取り計画は杜撰なものだった。
 だが、悪知恵の働く二人には勝算があった。

「ヨシュア本人から、俺に爵位を譲ると言わせればいいんだ。屋根裏部屋に閉じ込めて水も飯も食わせねえでいればすぐ音を上げると思った。だがあの野郎、まさか7日も耐えるなんて」

 そう、この国では爵位簒奪は大罪だ。
 だが、王宮の法務官による審査を通る必要はあるにせよ、爵位保持者やその後継者が第三者に爵位譲渡すると契約書を作成してサインすれば、可能性が出てくる。
 後妻と連れ子アベルが狙ったのは、その線だった。

「あんなに強情な野郎とは思わなかった。しょっちゅう執事や侍従が邪魔をして……あれさえなきゃ、今頃は俺がリースト伯爵だったのに!」

 牢の鉄格子を殴りつけて憤慨している。
 逮捕されてここに放り込まれてから、既に数週間が経過している。まだこれほど体力を残しているとは、ある意味感心するしぶとさだった。

 一緒に連れてきていた同年代の護衛を兼ねた補佐官候補は、悪辣なアベルの言葉に顔を顰めている。
 同席させていた中年の書記官や、経験ある老年の法務官は無表情だ。もちろん、ユーグレンも。

「早く隷属の魔導具を手配しておけばよかった! そうしたらこんなドジ踏まずに済んだのに、あと一歩のところで……畜生!」

 本人の意思を奪う洗脳や、奴隷契約のための隷属魔法や魔術は、現在アケロニア王国のみならず円環大陸では違法としている国が大半だ。

 アケロニア王国では違法な洗脳や隷属魔法や魔導具を使った場合、主犯とその協力者は魔力を封じられた上で多額の罰金刑が課される。悪質だった場合は死刑になることもある。

 後妻ブリジットと連れ子アベルは、周囲が思っていたよりはるかに悪辣な計画を立てていたようだ。



 本来なら、ヨシュアが監禁される前に、もっと国側としてはリースト伯爵家の問題に斬り込みたかった。

 けれど、実際は無断欠席を心配した学園の担任がカズンに様子見を依頼するまで、事態の発覚が遅れてしまった。

 父親を亡くしたばかりのヨシュアが、自分の困難や身内の恥を晒すことをよしとせず、徹底的に外部に問題を隠し通していたからだ。
 彼は自分が生まれる前からリースト伯爵家に仕えている執事にすら、外部に助けを求めることを許さなかった。
 その自尊心の高さは、非常に貴族らしいといえる。

 もっとも、最終的には幼馴染みでもある王弟カズンが安否を確認しに来ると確信していたそうだ。

 体内の魔力を操作して、ギリギリまで生命活動を落とし、罠とわかっていながら毒の入ったワインを飲んで吐いた様子を発見者たちに見せつけた。
 この事件で何が何でも後妻たちを片付けると決意して、文字通り身体を張ったというわけだ。

「書記官、今の発言は記録したか?」
「はい、殿下。漏らさず書き取りました」

 次に、これまでアベルへの尋問を担当・管理していた法務官を見る。

「ここまでの発言で、こやつの罪はどのようになる?」
「貴族令息や貴族家の家人への暴行、虐待、性的暴行、監禁、違法な魔導具使用の意図。情状酌量の余地はないかと」
「そうだな」

 頷いて、ユーグレンはまた牢の中のアベルに向き直った。

「後妻との再婚は認めても、連れ子のお前のことはリースト伯爵家の養子にしなかった。叔父君の判断は見事だ」
「クソ、それがムカつくんだよ! 母さんは伯爵夫人なのに息子の俺は平民扱い。納得がいかない!」
「………………」

 後妻は男爵家の出身で、一度子爵家に嫁いでこのアベルを儲けたが、後に夫の死去で子爵家から離縁されて実家に戻されている。

 実家の男爵家は出戻り娘のことは再び男爵令嬢として受け入れたが、離縁された婚家との息子は籍に入れなかった。

 この場合、アベルは男爵令嬢の母と子爵の父を持ちながら、受け継ぐ爵位もなく、貴族家に属せなかったことで戸籍上は平民扱いだ。

 そしてリースト伯爵家は、前伯爵の後妻との再婚は認めた。
 けれど一族の中で最も発言力の強い、前伯爵の弟でヨシュアの叔父のルシウスという人物が、その代わり連れ子を養子としてヨシュアの弟とすることだけは断固として認めなかった。
 アベルが学園を卒業して、騎士や文官となるなら後見するが、それ以上の優遇は一切行わないと明言している。



「お前がやったことは、貴族同士でも犯罪だ。ましてやお前は平民の身で、次期伯爵だったヨシュアや家の侍女に何をした?」
「そ、それは! だが、」

 侍女は平民のはずだ。そちらへの暴行や性的暴行未遂などは、それほど重い罪にはならないはず。
 とたかを括っていたが、甘かった。

「さて、重要な事実を教えておこう。お前が暮らしていたあのリースト伯爵家はな、家人、つまり使用人もほとんどすべて、同じリースト一族の者たちで構成されている」
「……は?」
「あの家は、魔法の大家だ。一族の結束が固く、外部の平民はまず入れない。お前や母親が入れたのは奇跡のようなものだ」
「ど、どういうことなんだ?」

 ユーグレンの説明に、アベルは何を言われているのかわからない。
 それがいったい何だというのか?

「お前が関係を強要した侍女はリースト一族の男爵家のご令嬢だそうだ。あの邸宅には行儀見習いで侍女として勤めていた」
「ま、まさか……」

 この国は比較的、特権階級の王侯貴族と庶民層の仲が良い。
 けれど、その分だけ身分の区別が明確で、平民が貴族を害する行為には厳罰が適用される法律が多かった。

「そう。平民のお前が、貴族の男爵令嬢に性行為を強要し、暴力を振るった。家の中でのこととはいえ、次期当主のヨシュアや他の目撃者も多い。完全にアウトだ」



 それに、とユーグレンは据わった黒目で牢の中のアベルを見た。

「お前、ヨシュアにも手を出そうとしたな?」

 ヨシュア本人は否定していたが、執事たち身近な家人からの証言で裏は取れていた。

「伯爵家の簒奪未遂、次期伯爵への監禁と毒殺未遂、暴行、性的暴行……はまあ未遂のようだが」

 さてこの場合、どの罪をピックアップすべきか?

「私は王族とはいえまだ未成年で、大した権力もない。……だがな、性的暴行と性的暴行未遂で判断に迷う罪人を、性的暴行の加害者として確定させる程度の力はあるのだ」
「な、何言って……」

「この国で、性的暴行の加害者男性に下される刑罰は、“男性機能の去勢”だ。去勢が何かは知っているか?」
「!」

 淡々と告げるユーグレンの声は冷たい。

「ふざけるな! どうせ俺は処刑なんだろ!? 去勢なんかされるぐらいなら、とっとと殺せぇッ!」
「いいや、駄目だ。お前の母親が前リースト伯爵と再婚したこの数年の間にヨシュアやリースト伯爵家が受けた苦しみを思えば、まだまだ甘いと私は考えるよ」
「……ハッ、何だよ王子サマ! あんたもあのお人形さんみたいなキレイな顔にやられたクチか?」
「さて、どうだろうな」

 確かに、学園に来襲したドラゴンを一刀両断したヨシュアの鮮烈な姿は、今もユーグレンの中で光り輝いているけれども。



 騒ぎ立てるアベルに背を向け、ユーグレンは踵を返した。

 罪人に最後の引導を渡すのが、今日のユーグレンの仕事だった。
 王子の想いを知る宰相が余計な気を回してくれたものだったが、崇拝する彼を苦しめた汚物を自ら断罪できたことは喜ばしい。

「おい、待てよ、待てって! 殺すなら殺せよ、なあッ!!!」

 背後から悲鳴混じりの怒声が聞こえてくるが、既にユーグレンの意識は別のところへ向かっている。

 昼前頃にはカズンたちが王宮へやってくる。
 王宮の転移陣を使って、皆でホーライル侯爵領へ向かうのだ。
 ユーグレンは一応視察という建前があるが、実際は二日間の小旅行。
 期間中はずっと共に行動するし、同じホーライル侯爵領の屋敷で寝泊まりして、もしかしたら無防備な素の姿だって見られるかもしれない。

 王宮に戻る頃には、ユーグレンの頭からは先ほどの愚かな罪人のことなど、すっかり抜け落ちて消えていた。



 一人、牢の前に残った老年に差し掛かった法務官が、静かな声で罪人アベルに語りかける。

「王子殿下を怒らせるとは、大変なことをなさいましたな」

 丁重な口調なのは、彼が仕事柄、貴族階級の罪人を担当することが多く、今回のアベルも元伯爵夫人の母親を持つことに最低限の敬意を払っているためである。

「思慮深く慈悲のある殿下をあれほど怒らせるとは、なかなかできることではありますまい」

 過去にはユーグレン王子の発言によって減刑された罪人もいる。
 なのにこの罪人ときたら、更に厳罰を加えさせたのだから大したものだ。

 そして淡々と、今日この後の刑の執行手順を説明していった。
 去勢刑を受けても、現在は医療術が発達しているので跡が膿むこともなく、傷さえ治れば通常の生活を送ることが可能であることなどをだ。

「もっとも、あなたの場合はすぐ後に極刑となりますので、ご了承ください」

 今日の夕方には刑が実行され、アベルとその母ブリジットも王都郊外の罪人墓場の土の下の住人となる。


 その日、昼食の時間よりかなり早い時間に、カズンたちホーライル侯爵領行き一行は王宮に集合した。

 王宮奥、王城の入り口入ってすぐのサロンに集まって、王弟カズン、ホーライル侯爵令息ライル、リースト伯爵ヨシュアは最後の一人を待っていた。
 まだ学生の王弟に、高位貴族の令息、そして現伯爵と、若々しく見目も良く有名な三人とあって、用もないのに王宮の侍女たちがこっそり覗いては去っていく。

「もう一人追加って誰なんだ? カズン」

 ソファに座って、手持ち無沙汰に腕のストレッチをしながらライルが訊いてきた。

「うむ、皆知ってる奴だぞ」

 カズンはそう言うのみで、具体的に誰かまでは言わなかった。

「それにしても遅いですね。現地に到着してからお昼の調理でしょう? 間に合うのかな」
「一応、現地で海老中心に食材の手配は頼んである。まああんまり遅くなるようなら、先に飯食って調理実験は後回しにしようぜ」

 サロン付きの侍女に待ち人の様子を確認すると、もう間もなく到着するとのこと。



◇◇◇



 カズンたちがホーライル侯爵領への小旅行を決めたのが、一昨日の学園での昼休みでのこと。

 同じ食堂内で自分たちの話をユーグレン王子が聴いていたのを知っていたカズンは、その日の放課後、馬車留めへ向かう通路で彼を待ち伏せしていた。

 生徒会長の仕事を片付けてから下校するユーグレンは、案の定、夕方近くになってから護衛を兼ねた補佐官候補の生徒と現れた。
 いつ見ても自分と身長以外はそっくりな王子だ。黒髪黒目はこの国ではアケロニア王族だけだから、見つけるのは容易い。

「カズン? お前もこれから帰るのか。ちょうどいい、話が」
「……殿下? ホーライル侯爵領に来たいんですよね? けどその前にちゃんとホーライル侯爵令息に話を通すのが筋じゃないですか?」
「……うっ、そ、それはそうだが」

 既にライルに一人追加と伝えていることなどおくびにも出さない。
 ユーグレンの斜め後ろに控えている護衛兼の補佐官補佐の男子生徒は、カズンの言葉に同意するように深く頷いている。

「それに、急に週末二日間も王子が留守にするだなんて、国王陛下と王太女殿下にはどう伝えるおつもりで?」
「お、お前が一緒に説得してくれれば、絶対何とかなると思うのだがっ」

 はあ、とカズンは深い溜め息を吐いた。
 言われるまでもなくそのつもりだった。

 この世界は、前世で生きていた現代日本と違って、電話もメールも、スマホのメッセージアプリもないのだ。
 一応、通信機能を持つ魔導具はあるが高価で一般化まではされていない。
 連絡手段が限られているから、すれ違いを防止するにはこうして待っているしかなくて、少し面倒だ。

「仕方ないですが、引き受けましょう。どうせ、この後一緒に王宮へ向かうつもりでしたから。……その前に、うちの馬車の御者に伝言するので来てくれます?」

 そうしてアルトレイ女大公家の御者に、王宮に寄って行くので帰りは遅くなると伝言を託して、先に帰らせた。

 カズンはユーグレンの王家の馬車で、護衛を兼ねる補佐官候補の生徒と三人で王宮行きだ。



「母上は問題ないはずだが、やはりお祖父様が難関だ。カズン、どんなふうに口添えをしてくれるのだ?」

 カズンは黒縁眼鏡のブリッジを中指ですっと押し上げた。キラリとレンズが光る。

「……ガスター菓子店のショコラ詰め合わせ、大中小どれを賜るかで僕のやる気は大きく変わることでしょう」

 ガスター菓子店は王都の有名菓子店で、チョコレートを使ったスイーツで知られる名店だ。

 ショコラ詰め合わせは小箱が銅貨8枚(日本円で約800円)から。
 中箱が小銀貨5枚(約5000円)から。
 大箱はポピュラーなもので小金貨2枚(約20000円)から。

「ぐ……っ。こらカズン! お前だって私と大して小遣い変わらない癖に! ちょっと吹っかけすぎではないか!?」
「いえいえ、別に構わないのですよ、一口サイズのショコラ片2枚ぽっちの小箱だって。ただし結果はお約束できませんなあ」
「うぐぅ……そう来るか……!」

 前に座る補佐官候補の男子生徒が笑いを堪えている。
 普段はこの国の唯一の王子として、各所で采配を振るう悠々とした姿ばかり見ているだけに、カズンに振り回されている姿が面白いようだ。

「うう……中箱ショコラで手を打ってほしい……それ以上はさすがに無い袖は振れない」

 しばらく唸りながら熟考した後、断腸の思いでユーグレンは決断を下した。

 いくら王子とはいえ、まだ未成年のユーグレンの使える金銭は“小遣い”の範囲内に過ぎない。
 もちろん、王族としての品格を維持する費用は毎年大金が動くが、それは国から出ている予算であって、ユーグレン個人が私用で使えるものではない。
 王弟のカズンもその辺の懐事情は同じだ。毎月一定額の“お小遣い”をやりくりする、一学生に過ぎなかった。

「よろしい。そんなに悔しそうなお顔をなされますな。きっと、実に良い出費だったと後で僕に感謝するでしょうからね」
「馬鹿丁寧な言葉遣いはやめろというのに。お前は一応、私の大叔父様ぞ。……ヨシュア絡みでは、お前の手のひらの上で上手く転がされてばかりな気がする。まったく」

 好物を報酬にして交渉成立のカズンは、黒縁眼鏡の奥でにんまり笑う。
 対するユーグレンは思わぬ出費に項垂れている。



 その後は、王宮に着いてすぐ、国王テオドロスの執務室へ向かう一行だった。

 そして速攻でテオドロスの説得ばかりか、小遣いまでせしめるカズンの手腕に、ユーグレンは内心舌を巻いた。

「わあ、ありがとうございます、お兄ちゃま! お土産買ってきますからね!」
「うむうむ、気を遣わずともよいぞ、怪我にだけは気をつけるがよい。ユーグレンもな」

 しかも、しっかりユーグレンの分の小遣いまで確保してくれるときた。

(これはしばらく、カズンに頭が上がらん……)

 それぞれ一掴み分ずつの大銀貨を頂戴したのだった。(大銀貨1枚=約5000円×十数枚)