夜、自室で寛いでいたリースト子爵ルシウスは、屋敷の中によく知った魔力が入ってきたことに気づいて溜め息をついた。

「フリーダヤ……空間移動で来たな」

 来るのは構わないのだが、せめて玄関か、あるいは裏口からでもいいから入口から入ってほしいものだ。

 空間移動術は、(リンク)を使う新世代の魔力使いの中でも、トップクラスの実力者だけに扱える術だ。

 現在、円環大陸上の各国の国内に設置されている転移魔術陣はフリーダヤのような空間移動術を使える、永遠の国に所属する新世代の実力者たちが開発したものだ。
 アケロニア王国では、王都と各侯爵領、つまり辺境伯相当の国境を含む領地を結ぶ数ヶ所に設置されている。
 他国もそう変わらない台数のはずだ。
 ただし、規模の小さな小国には予算の関係で設置されていないことが多いと聞く。

 絶妙だと思うのは、転移魔術陣はひとつの国の中を移動するためだけのもので、国家間の移動を可能とする設定にはされていないことだろう。
 当然、他国への不法な侵入や侵攻を防ぐためである。

 新世代の魔力使いたちは、そういうところへの配慮が行き届いている。
 逆にいえば権力におもねらないし、都合よく動いてくれるわけでもないから、扱いづらいと敬遠する権力者たちも多いと聞く。



 弟子の自分のところに来ないということは、フリーダヤの用があるのは甥っ子のほうだろう。
 甥のヨシュアはとても優秀で魔力の多い魔力使いだから、フリーダヤも気になっていたものと見える。

「……ふむ」

 少し本でも読んでから休もうと思っていたルシウスは、考えを変えて部屋の棚からウイスキーとグラスを取り出した。

 魔法で簡単にグラスの中に透明な氷を作り、そこへ気に入りのリースト伯爵領産ウイスキーを注いだ。

 ほんの一口だけ口に含んで、その味わいと感触を楽しみながら、ルシウスの思考はもう何年も前に別れて、二度と会うことがないと思っていた魔術師フリーダヤやそのパートナー聖女ロータス、そして己の最愛の亡兄へと向かう。



 ルシウスは7歳年上の兄カイルが大好きだった。もちろん兄弟愛として。

 ただもう、兄のことが好きで好きで堪らない気持ちだけが歳を重ねるごとに増していった。
 とにかく、いつでも同じ空間の近い場所にいたいし、彼のためになることをしたくて仕方がなかった。

 そんなルシウスだったから、やがて兄が妻を娶ると聞いたときには落ち込んだ。
 兄カイル21歳、弟ルシウス14歳のときだ。

 旅に出たのは、兄の結婚式を見届けた後、すぐの頃だった。
 兄の妻となった人はとても個性的な女性で、ルシウスは一目で『この人は兄との相性がとても良い』と見抜いた。

 リースト伯爵家の人間は見る者の心を蕩かすような麗しの美貌が特徴で、大抵の者はその美貌に騙されて騙されっぱなしだ。
 実態は、外見を裏切る図太さの持ち主だったり、狡猾だったり、およそ自分勝手が服を着て歩いているような者たちの集団だった。

 だが己の容貌が武器になることを知っているから、微笑みを効果的に使って周りを上手くコントロールしている。
 勝手に周囲は忖度して都合よく動いてくれる。そういうものだと思っている。

 ところが、ルシウスの兄カイルはそんなリースト伯爵家にあって、例外中の例外だった。
 外見同様の繊細な内面を持っていて、繊細すぎて捻くれた性格の持ち主だった。
 そんなセンシティブな感性の兄カイルに、呑気ながら口が達者で、相手をぐいぐい引っ張っていく新妻はとても相性が良かった。
 とても個性的な性格で、兄カイルの繊細さや捻くれた性格を『そういうもの』として何ひとつ正そうとせずそのまま受け入れていた。

(兄の人生で何が良かったかといえば、やはりあの義姉ブリジットを伴侶に迎えたことだろう)

 兄本人もそう思っていたようだ。
 見合いの場で最初に彼女と出会ったとき、あまりのエキセントリックさに面食らったものの、その場で膝をついてプロポーズしたと聞いている。


『この女性(ひと)を逃したら、オレは絶対に生涯独身のままだろうと思ったんだよ』


 その義姉ブリジットが早逝した葬儀の日、埋葬される棺を見つめながら兄カイルが呟いていたことが思い出される。

(あまり妻を愛している様子を他人に見せることはなかったが……まさか同じ名前というだけで後妻を娶る愚を犯すとはな)

 後に己を毒殺し、愛する息子ヨシュアをも手にかけようとした、リースト伯爵家簒奪事件の首謀者の後妻と、兄カイルの亡き妻は同じブリジットという名前を持っていた。

 もちろん、ふたりは外見も性格も声も何もかも違う。

 だが、兄本人が選んで連れてきた後妻をその名前とともに紹介されたとき。

 一族の者はルシウスも含めて、なぜ彼が男爵家出身で子爵家から離縁されてきた子持ちの面倒くさい女を後妻にしたのか。
 その意味を理解して、結局大きな声で反対はしなかったという経緯がある。