カズンの幼馴染み、ヨシュアは幼い頃からの親友だ。
リースト伯爵家という、国内でも屈指の魔法の大家の嫡男である。
学園のクラスメイトでもあるので、ほとんど毎日顔を合わせている大の仲良しなのだが、最近休みがちで心配だった。
ヨシュアは青みがかった絹糸のように滑らかな銀髪と、湖面の水色の瞳に銀の花が咲いたようなアースアイを持つ、優美な美少年だ。
背はカズンと似たり寄ったりで、もう少し細身か。
一見すると儚げな美人で、麗しの美貌を愛され、学年や男女を問わず人気がある。
学内には非公式のファンクラブがあり、絵姿が出回っているともっぱらの噂である。
そんなヨシュアだったが、父親の伯爵が事故で急死し、後妻とその連れ子に虐げられているとの噂が広がりだした。
元々身体が弱く休みがちな生徒ではあったが、最近では不登校の日数が以前より増えていた。
その上、リースト伯爵家では伯爵の実子であるヨシュアではなく、義弟になる後妻の連れ子が後継者になるのだと、社交界で後妻本人が言い出すようになった。
その連れ子にはリースト伯爵家の血は一滴も入っていない。後妻の前の嫁ぎ先での子供である。
伯爵家の血の入っていない連れ子がその家を継ぐことは、この国の法律上、まず不可能なのだが。
「……今日で無断欠席七日目かあ」
朝のホームルームでクラスの出席簿を眺めて、担任教師ロダンは溜め息をついた。
「先生、ヨシュアは今日も欠席ですか?」
「残念ながらそのようだ。おうちから連絡はないんだけどねえ」
リースト伯爵令息ヨシュアは、今年に入って父親が事故で急死し、混乱していることが知られている。
まだ学生で成人前だから急遽、父方の叔父が後見人となったが、亡父の後妻とその連れ子との関係がとにかく悪い。
最近では学園でも憔悴した様子を見せることが多かった。
担任のロダンは伯爵家を幾度か訪問していたのだが、不在だったり不調で寝込んでいるなどと応対した後妻に言われて、なかなかヨシュア本人に会えないでいた。
安否を確認したいのだが、強引に貴族家に押し入るわけにもいかない。
そこで担任は、同じクラスで元から仲の良い学級委員長のカズンを頼ってきた。
とはいえ、王弟ではあっても、まだ学生のカズンには大した権力がない。
父親の先王陛下に頼っても良かったが、ここは現役世代に相談するのがベストだろう。
「お兄ちゃま、学園のことで相談乗ってください」
王宮へ登城し、顔パス・フリーパスで国王陛下の執務室へ向かったカズンは、部屋の主にそう切り出した。
「カズン! 何でもお兄ちゃまに任せなさい!」
久し振りに顔を見る弟を、ぎゅううっとハグするのはアケロニア王国の現国王、テオドロスだ。
齢は六十を過ぎていて傍から見ると祖父と孫だが、異母兄弟ながら、れっきとした兄弟である。
年は大きく離れているが、ふたりとも同じ黒髪と黒い瞳、顔立ちはどちらも父親のヴァシレウスとよく似ている。
「ありがとうです。でもお兄ちゃま、話を聞く前にそんなこと言っちゃ駄目ですよ?」
「カズンだからいいのだ!」
書類仕事をほっぽり出して、溺愛する孫ほど年の離れた弟を連れて、応接室へと向かうのだった。
「なるほど、友人の伯爵令息の安否を確認したいのだね」
侍女に入れさせた紅茶を飲みながら、詳しく話を聞いた。
「はい。リースト伯爵家のことはお兄ちゃまたちも把握されてますよね?」
テオドロスは一緒に応接室へ来ていた、傍らに控えている宰相に確認を取った。
「ええ、伯爵が急死されてから家中が混乱して、貴族達の間でもきな臭い噂が流れていますね。後に残されたのが成人前の嫡子ひとりと、伯爵の後妻とその連れ子ですから、円滑な爵位継承が行われるかどうかの監視対象になっています」
しかもその後妻は男爵家出身の出戻り未亡人で、伯爵家に嫁ぐには元々の身分が低い。
だからこそ、“危ない”のだ。余計な野望を持たせないよう、公的な監視が必要だった。
「僕がリースト伯爵家に入れるように、手配してもらえないでしょうか?」
「それなら、父を亡くして心細かろうと心配する陛下からの労りの手紙を託された、というストーリーは如何でしょうか。本人に直接渡すよう王命を受けたと言えば、王印の入った手紙ですから来訪を拒否できないはずです」
それから執務室に戻った国王にすぐ王印入りの手紙を書いて貰い、そのままカズンはリースト伯爵家へ向かうことにした。
あえて先触れは出さないことにして、直接だ。
リースト伯爵家へ向かえば、タイミングの良いことに後妻とその連れ子の息子はお茶会に出かけていて留守だった。
カズンの訪問を受けて、王印の入った手紙を受け取った老執事は青ざめて、
「よ、ヨシュア坊ちゃまをどうかお助けください、王弟殿下……!」
と深く頭を下げて、カズンをヨシュアのいる部屋へと足早に案内した。
「執事さん、随分前に引退したんじゃなかったか?」
カズンはヨシュアやリースト伯爵家とは幼い頃からの付き合いだ。
今のリースト伯爵家は、親戚筋の者が家令を兼ねた執事長として家政を取り仕切っているはずだった。その執事長の姿が見えない。
カズンを案内してくれている彼は、先代の執事長の補佐だった人物だ。
「……新しく来られた奥様が、執事長を口うるさいからと厭うて領地へ追いやってしまったのです。ですが彼がいない分、屋敷の中が回らぬからと、引退していた私が引っ張り出されることになりました」
「……それは、それは」
由々しき事態ではないか。
案内されたのは伯爵家別宅の屋根裏部屋だった。
「鍵がかかっているな。外から開けられないのか?」
「そ、それが、屋根裏部屋の鍵は奥様がお持ちでして」
「スペアキーは?」
「それも奥様が……しかも何やら術がかけられているようで、外部から開けることもできぬのです」
ここに来るまでに、老執事から詳細を聞き出している。
やはり噂通り、ヨシュアは後妻となった義母やその連れ子から虐げられ、本宅から別宅へと追いやられてしまったという。
終いには屋根裏部屋へ押し込められて、執事や他の家人たちが抗議すると、伯爵家から首にするぞと脅されたり、鞭で暴力を振るわれたりと手が付けられなかったと悔しげに言う。
今はヨシュアの後見人となった彼の叔父が当主の急死でひとまず当主代理となったが、領地での実務処理にかかりきりになっていて、なかなか王都のこの屋敷に戻ってこれないのだという。
彼さえ戻ってくれば、ほとんど解決したも同然なのだが。
「……ヨシュアがここに入れられてから、どのくらい日数が経っている?」
少なくとも学園を無断欠席するようになった七日間より前のはずだ。
執事に確認すると、ほぼその頃で間違いないという。
「まずいな、七日間も監禁されて外から鍵までかけられているとなると……おい、鍵を壊すぞ。修理費用は後で僕の家まで請求してくれ!」
「は、はい、お願いします!」
見たところ、カズンの持つ魔力でならドアノブ部分から破壊できそうだ。
最も強く魔力を載せられるのは足技だ。黒革の学生靴の踵で一気に、ドアノブとその下の鍵穴を蹴り飛ばし、開いた扉の中へと駆け込んだ。
屋根裏部屋の室内はホコリっぽく空気が淀んでいる。
ここは子供の頃はヨシュアと一緒にかくれんぼなどで遊んでいた秘密基地だったが、もう何年も足を踏み入れていない。
近年は確か物置きになっていたはずだった。
室内奥、壁際に薄汚れたマットレスと毛布。その上に、目的の人物であるリースト伯爵令息ヨシュアが目を閉じて横たわっていた。
鍵を壊すときに大きく音を立てたが、ヨシュアはピクリとも動かない。
「ヨシュア! ……執事殿、力のある家人を連れてきてくれ、あと早急に医師の手配を!」
「は、はいぃいいっ!」
駆け寄って、まず手首と首筋で脈を確認する。どちらも温かく、脈もあった。
良かった、生きている。
しかし目を覚ます気配はない。
唇がガサガサに乾いてヒビ割れている。
その口元から白いシャツの胸元にかけて、広い範囲で汚れていた。
「吐いたのか……」
吐瀉物は乾ききっている。吐いてからかなりの時間が経っているようだ。
室内を見回すと、封が開いたワイン瓶が二本、転がっている。
他に飲食物の形跡はない。
一本は空、二本目は辺りに中身がほとんど零れている。
「ぶどう酒でギリギリ水分を取っていたか……。……いや待て、吐いたものに赤紫色の色素が混ざっている。だとすると」
ワインの中には何か、嘔吐させるような毒が入っていた可能性が高い。
「くそ、もっと早く来ていれば……!」
想定していた最悪の事態に近かった。
カズンはすぐに王弟の名前と印入りの手紙を王都騎士団に出して、騎士たちを派遣して貰った。
ヨシュアが閉じ込められていた屋根裏部屋の現場の確認と、保存をしてもらうためだ。
何よりヨシュア本人の状況を第三者の目で確認させ、監禁し毒を飲ませた犯人の確保に早急に動いてもらう必要があった。
犯人、即ちリースト伯爵の後妻ブリジットとその連れ子のアベルをだ。
結果はすぐにカズンへ報告された。
本人たちはヨシュア監禁や毒殺の罪状を認めなかったが、倒れていたヨシュアと物品が何よりの証拠だ。
屋根裏部屋の鍵も後妻の荷物から押収されている。
その上、参加していた茶会でも平気で、自分の連れ子が間もなくリースト伯爵を襲名するのだと公言していた。
心ある貴族夫人たちは、リースト伯爵家の血筋ではない連れ子が爵位継承することは不可能だと知っており扇の裏で顔を顰めていたと聞く。
そんな茶会の空気を、後妻はまったく読めていなかったようだ。
そう、早かれ遅かれ彼らの自滅は確実だった。
「……まったく。干からびていても、お前は相変わらず美しかったぞ」
監禁されていた七日間、ほとんど絶食状態だったヨシュアは脱水症状を起こして、非常に危険な状態だった。
治癒魔法の使える医師から治療を受け、体内に水分を補給して貰って、何とか一命を取り留めることができたのは幸いとしか言いようがない。
当日の夜には目を覚まし、カズンはそれを確認してから自宅へ帰った。
翌日、学校帰りに見舞いの果物を携えて、再びリースト伯爵家を訪ねた。
朝のうちにカズンの家へ、リースト伯爵家からヨシュアの健康状態が回復し意識もはっきりしていると報告が来ていたからだ。
弱ってやつれてはいたが、ヨシュアの万人を魅了する麗しの美貌は健在だった。
むしろ、より物憂げな儚さが増してグレードアップしている。
「助けてくれてありがとうございました、カズン様。さすがのオレも、まさか自分の家で魔力封じが施された部屋に閉じ込められるとは思ってもみなくて……」
申し訳なさそうに苦笑いしている。
「あの屋根裏部屋か。床板の裏側にびっしり魔力封じの呪符が仕込まれていたそうだな」
「ええ。窓と壁、ドアにも透明なインクで描かれていました。あそこまでやられてしまうと、オレでも太刀打ちできません」
ヨシュアは膨大な魔力を持って生まれ、幼少期から魔法剣士として研鑽を積んできた人物だ。
ただ惜しむらくは、体内に蔵する魔力量を支えるだけの肉体の強さが足りなかった。
いつも気怠げで学園を休むことも多いのは、魔力と未成熟な肉体とがアンバランスなせいだ。
それも成長して鍛錬を続けていけば改善すると彼の叔父は言っているそうだが、まだまだ先は遠い。
「お前が魔法剣の一本も出せないほど完璧に魔力封じをやられるとはな。後妻たちはどこで、そこまで術が使える術師を見つけてきたんだ?」
後妻ブリジットは男爵家出身で、この伯爵家に嫁ぐ前は子爵家へ嫁いでいた人物だ。連れ子はそのときの子爵との間の息子と聞いていた。
どちらも、大した魔力量はなかったと聞いている。
「……本当かどうかはわかりませんが、魔道書を読んで自分たちで材料を調達して描いたんだそうです。あのまま魔力封じの施された屋根裏部屋に監禁し続けて、死ぬ寸前に特殊な毒を飲ませると、傀儡のように命令を聞くようになるのだそうで」
「なるほど、その薬剤の入っていたのがワインか」
「ええ、元からあの部屋の中に、これみよがしに置かれていましてね。水も食料もなかったものだから、危ないとわかっていてもあれを飲むしかなかった」
後妻たちは違法な隷属の魔導具を所持していたとも報告を受けている。
話を聞いて、カズンは深い溜め息をついて、ヨシュアが身体を起こしているベッド脇の椅子に腰を下ろした。
長い話になりそうだ。
「……で。後妻とその連れ子は牢へぶち込まれ、伯爵家嫡男の監禁と殺害未遂で相当、重い罰が下されるだろう。お前の描いたシナリオ通りか?」
「ふふ。……鬱陶しい輩が視界から消えてくれて、嬉しいですよ」
微笑むヨシュアは文句なしに麗しく、美しい。
この顔に皆、勝手に勘違いしたり、騙されたりするんだよなあ、とカズンはしみじみ思った。
基本的に貴族令息らしいおっとりマイペースな男だが、虫も殺さぬような可愛いタマでは決してない。
確かに成長するにつれ魔力と肉体のアンバランスで体調を崩しがちになり、物憂げな顔を見せることが多くなった。
しかし幼馴染みでもあるカズンからしたら、やんちゃが程よく抜けて大人しくなったなぐらいの感想である。
子供の頃はよく一緒に悪戯して、彼の叔父に怒られていたものである。
「……僕はてっきり、お前は爵位は継ぐが実務の面倒臭いことは義理の弟に任せて楽できるよう環境を整えるのだとばかり思っていた」
世間話ついでにヨシュアからその話を聞いたのは、そう遠い昔のことではない。
二人は同じ教室のクラスメイトで、幼い頃から互いを知る幼馴染みでもある。
今年、学園の最終学年に進級してからは同じクラスとなったので、とても親しい友人関係だった。
「最初はそのつもりでした」
実際、数年前に男爵家出身の出戻り未亡人ブリジットを後妻として迎えたヨシュアの父、リースト伯爵カイルの思惑もそうだったらしい。
魔力と肉体のアンバランスで不調を抱えていた息子ヨシュアの世話と補佐が可能な、貴族家出身で学園の卒業生でもある女性。
後妻ブリジットは学園時代は成績優秀クラスにいたそうで、連れ子アベルも伯爵家の役に立つ程度には有能だと判断されていたはずだった。
「だから義母と義弟の贅沢も、必要経費と思って目を瞑ろうとね。……だけど、彼女たちは決してしてはならないことをした」
「というと?」
「我がリースト伯爵家の先祖伝来の宝物を売り飛ばして、豪遊に使っていたんですよ。母の遺品の装飾品もね。もちろん、すぐに買い戻しを配下に命じましたが……」
リースト伯爵家は後妻に、伯爵夫人として必要と思われる品格維持費を渡していたが、本人には足りなかったようだ。
「それに……」
ぎゅ、とヨシュアが拳を強く握りしめ、唇を噛み締める。
「義母が手元に置いていた魔道書には、魔力封じの術以外に、様々な毒の調合方法も書かれていました。付箋の貼られたページには、遅効性で時間調整のきく毒薬の調合方法が書かれていて……」
「ま、まさか、お父上のリースト伯爵の死因は毒なのか!?」
椅子から飛び上がらんばかりに驚いたカズンに、こくりとヨシュアは頷いた。
「父は領地の視察中、心臓発作を起こして馬から転落したとされています。……でも、領地の屋敷を出てから落馬するまでの時間が、魔道書の毒薬ページに書かれていた効能を発揮するまでの時間と一致した」
「それは騎士団には伝えたのか?」
「ええ、とっくに。だけど被害者の体内に残らない毒薬だったから、証拠を掴めなかった」
後妻たちがヨシュアを排除したがっていることはわかっていたのだ。
それをあえて逆手にとって、彼らを地獄に落とす計画を立てた。
「お前が毒とわかっているぶどう酒を飲んだのは、毒で死にかけている姿を第三者に確認させる必要があったからか」
「ええ。カズン様、うちの執事、そして呼んでくれた医師と王都騎士団員たち。……完璧でした」
「一歩間違えば、あのまま干からびて死んでいただろうに。危ない橋を渡ったな」
「でも、義母と義弟の罪は誰の目にも明らかになった。オレにとって最高の結果ですよ」
まず、義母たちはリースト伯爵家嫡男で後継者のヨシュアを虐待し、別宅に押し込めただけでなく、屋根裏部屋に監禁した。
屋根裏部屋に食料はなく、毒の入ったワインだけを置いた。飢え乾いたヨシュアがそれを飲まざるを得ない状況に追い込むためだ。
社交の場では、資格もなく伯爵家の血を持たない連れ子が次期伯爵になると妄言を吐き続けていた。
他にも、伯爵家の家人たちへの恫喝や過度の体罰など、細かいことまで挙げれば山ほどの余罪がある。
「特に義母は、伯爵家の後添いとしてオレの伯爵位継承をサポートする義務がありながら、放棄して自分の子に継がせようとしましたからね。今回、彼女が犯した一番大きな罪だ」
このアケロニア王国の法律において、貴族家やその貴族家が持つ爵位の簒奪は大罪である。
いわゆる“お家乗っ取り”への処罰は、首謀者は処刑と決まっている。場合によっては親兄弟、親戚にまで飛び火する。
今回、義母たちの行為はあまりにも悪質で、被害も大きく深刻だった。被害者のヨシュア自身が死にかけたぐらいだ。
まず間違いなく、義母ブリジットの実家男爵家が取り潰される。
男爵家には義母の実兄の当主夫妻と子供が二人。当主夫妻も連座で重罪になる可能性が高い。良くて平民落ち、最悪は処刑だ。
連れ子アベルは義母の前の嫁ぎ先の子爵家当主との間の子供だ。
義母は第三夫人で、子爵家の中での立場が低かった。
子爵が亡くなった後は、嫡子で子爵位を継いだ第一夫人の長男から手切れ金を渡され、子爵家からの籍を抜かれて実家に返されている。
連れ子アベルは母子ともに既に籍を抜かれていることから、今のところ子爵家へのお咎めはないという。
「あと数日もすれば、オレも学園に復帰できます。担任の先生に伝えてくれますか? それと……」
言葉を途切れさせて、ヨシュアは小さく唇を噛んだ。銀の花の咲いた、湖面の水色の目が、泣きそうに歪められている。
「……父の死を確定させねばなりません」
「死を確定、とは? リースト伯爵が事故で急死したことは、既に周知されていたはずだが」
不思議な物言いである。
リースト伯爵の葬儀も既に領地、王都の両方で終わっている。
するとヨシュアは、王族のカズンだから教えるが他言無用と言い置いて、
「父は魔術師でしたから……身体に貴重な術式がいくつか組み込まれています。その術式保存のため、領地で落馬直後のまだかすかに息のあるうちに仮死状態にしてあるんです」
魔法使いや魔術師を多く輩出するリースト伯爵家が受け継いできた特殊な術式を、次期伯爵となるヨシュアは継承せねばならないという。
代々、当主の肉体が死亡する寸前に発動し、当主本人を仮死状態のまま、魔力で作られた樹脂の中に封印する魔術がある。
アケロニア王国には、このような特殊事情で死亡寸前に本人を封印する魔術式を使う家が、貴族・平民問わず十数家ある。リースト伯爵家はそのひとつだ。
リースト伯爵は魔術樹脂の中でまだ仮死状態で生きており、現在は王都の屋敷内に厳重に保管されているという。
葬儀で棺の中に収められ埋葬されたのは、本人に似せた人形だったとヨシュアは語る。
「領地で落馬したとき首の骨を折っていて、 その時点で魂が抜けているんです。身体だけが辛うじて生きていても……治癒魔法でも完全回復薬のエリクサーでも駄目でした」
「魔術樹脂の封印を解除するのだな」
「……はい。そうして父の肉体の死を見届け、きちんと埋葬してあげたいのです」
このように魔術樹脂で封印された者を解術する際は、侯爵家以上の高位の身分を持つ者、三名以上の見届け人が必要となる。
「そのうちの一人に、カズン様をお願いできますか」
「もちろん引き受けさせてもらう。残り二人はもう決まっているのか?」
「一人は、父のいた魔法魔術騎士団の団長閣下にお願いするつもりです。最低もう一人必要なのですが、どなたか頼めそうな方の紹介をお願いしても?」
王弟のカズンは、まだ未成年で公的な権力こそないが、人脈には恵まれている。
父親の先王ヴァシレウス、母親のセシリア・アルトレイ女大公、あとは兄の国王でもいい。溺愛されているカズンが頼めば、誰も嫌とは言わないはずだ。
王族以外なら、学園のクラスメイトや教師たちの中にも高位貴族はいる。
「すぐに確保できると思う。実施日が決まったら、アルトレイの家まで連絡をくれ」
長話で疲労を見せたヨシュアをベッドに寝かしつけてから、カズンはリースト伯爵邸を後にした。
カズンが帰宅すると、屋敷の馬車留めに王家の紋章入りの馬車が留まっている。
あれは、ユーグレン王子の馬車だ。
屋敷に入ると、来客用の応接間で父ヴァシレウスとユーグレン王子がボードゲームで遊んでいた。
ユーグレンはカズンと同年、数ヶ月だけ年上の、“兄の孫”だ。
カズンの異母兄で、現国王テオドロスの孫にして、今のところ唯一の王子である。
カズンはれっきとした王族の一員なのだが、王子の身分は持っていない。
アルトレイ女大公令息であり、先王ヴァシレウス大王第三子というのが公的な身分だ。
ゆえに、本来なら“殿下”の敬称は定められていない。
ただ、先王ヴァシレウスの実子で、現国王テオドロスの実弟なので、便宜的に王弟殿下と呼ばれることはある。
ユーグレンの容姿はカズンとよく似ている。黒髪と黒い瞳の正統派の男前だ。
ということは曽祖父ヴァシレウスとも似ているということだ。
カズンの兄、国王テオドロスも含めて、アケロニア王族は黒髪黒目の端正な顔立ちが特徴である。
背はユーグレンのほうがカズンより高いし、体格にも厚みがある。
わりと鍛えていて、身体強化なしで大剣を振り回す程度には強い。
(僕、親ガチャ友人ガチャは大当たりだったけど、僕自身はさっぱりなんだよなあ)
カズン自身は、王族として護身術と多少の武術を覚えたぐらいで、剣などは使えない。たまに学園の授業で触るぐらいだ。
カズンは密かに同い年の彼の背を追い越すことを野望にしているのだが、なかなか追いつけないのが残念だった。
カズンが部屋に入るのを見るなり、ユーグレンがすっ飛んできた。
「か、カズン! ヨシュアは、ヨシュアは無事なのか、もう元気になったのか!?」
「落ち着いてください、殿下。ヨシュアは無事です。もう身体を起こして会話もできるまで回復してましたよ」
「そ、そうか……!」
このユーグレン王子が、ヨシュアの熱烈な信奉者なのである。
もっとも、ヨシュア本人はそのことを知らないし、ユーグレンも憧れの人になかなか近づけず話しかけることもできないでいた。
(遠くから見てるだけじゃなくて、友人になればいいのに)
カズンにとってヨシュアは“親友ガチャ”のチュートリアル一回目で引き当てた的な、ウルトラレア級フレンドだったりする。
確かにあの麗しの容貌は近づき難さがあるが、本人は別に傲慢や高飛車な性格もしていないし、付き合いやすいタイプだとカズンは思っている。
あの顔だって、数日も一緒にいれば慣れるものだ。
けれどこの王子は、学園で同じクラスのカズンから『今日のヨシュア』を聞いては悦に浸っているだけのチキン野郎である。
「そんなに心配なら見舞いに行けばいいだろうに」
ヴァシレウスもすっかり呆れている。
ユーグレンのこの言動は、彼がヨシュアを初めて見た高等学園一年次から、最終学年となった今年までずっと繰り返されている。
今は留守中の母セシリアなどは、面白がって喜んでユーグレンの話を聞いてやっているものの。
「だ、だってヴァシレウス様。見舞いに行けるほど親しくないんです、行っても『何でこいつが来たんだ?』みたいな顔をされてしまったらどうします? そんなことになったら私はもう生きていけません!!!」
本人は必死だが、いくら何でも王子のユーグレンをそこまで粗末に扱うヨシュアではないだろうに。
「う、うむ……青春の悩みであるな……?」
「ファンクラブまで作って会長就任してるくせに、何で個人的に親しくなれないのだか」
学園では人気の生徒や教員、講師のファンクラブ設立が認められている。
対象者本人の許可があれば公認ファンクラブとなるし、なければ非公認となる。
ヨシュアのファンクラブは後者、非公認だ。
なお、公認だとクラブ活動の一環として学園から予算が出て、非公認だとそれがない。
以前ヨシュア本人に公認しないのかと聞いたことがあるが、会長が承諾書を持ってきてくれればちゃんと許可するんだけど、とのことだった。
ちなみにヨシュア自身は、自分のファンクラブの会長が誰かも知らないらしい。
このチキン野郎が事務的に必要な行動すら起こせていないと知って、カズンは開いた口が塞がらなかったものだ。
ユーグレン曰く、ヨシュアは尊すぎて無理、駄目、しんどい、だそうだ。
カズンの前世だった現代日本人の感覚だと、アイドル的な推しを信仰する信者の感覚に近いのかなと思う。
本人は現在の王家唯一の王子にして、次の立太子が内定している。
高貴な身分に加えて、全方向的に優秀有能な、同世代随一の傑物なのだが。
王立学園高等部では最高学年、政治家や文官を目指す個性的な面々の集う上位クラスの3年B組に所属し、今年の生徒会長でもある。
絵に描いたようなスパダリ様気質の王子なのだが、どうにもヨシュアに弱い。
(『薔薇の花弁を主食にしていそう』などと本気で言っていたからな、殿下は。まあそれを聞いて後日、薔薇ジャムを街で買ってヨシュアに渡したら、好きな味だったようで喜んでスコーンに乗せて食べてくれた)
で、それをまた後日カズンから聞いたユーグレンが、「ヨシュア尊い……薔薇の精霊か……!」と悶えていた。
何言ってんだこいつ、正気か? と思うが、本人は至って真面目なのである。
不調でさえなければ、普段のヨシュアは頭の回転も速く、気の置けない会話が楽しい人物のひとりだ。
早熟な魔法剣士として、魔法と魔術、剣術に天与の才を持ち、学園の授業では数多の魔法剣を自在に扱う姿は圧巻だった。
ユーグレンも、信奉者として遠くから眺めているだけでなく、親しく交わればいいのにと思い、何度もヨシュアに紹介しようとしていたカズンだったが、
「無理、絶対ムリだ、彼を前にして冷静に受け答えできる自信がない……!!!」
寸前になって、いつも逃げてしまうのである。
これはこれで面白いので、現在ではユーグレンの周囲の人々はヨシュア絡みに限り、すっかり放置状態だった。
詳しく『今日のヨシュア』を聞きたがったユーグレンを交えて夕食を取った。
食後はリビングに移動して、カズンとユーグレンはハーブティーと甘味、ヴァシレウスはウィスキーと燻製鮭を肴に談笑することとなった。
「亡くなられたリースト伯爵の魔術樹脂の解術儀式の立ち会いを依頼されました。あと最低1人必要なのですが、お父様のご都合いかがですか」
さすがに先王として在位期間の長かったヴァシレウスは、リースト伯爵家など特殊事情のある家の魔術樹脂の話を知っていた。
ユーグレンは初めて聞いたようで、王宮でよく顔を合わせていたヨシュアの父の顔を思い浮かべて痛ましげな表情になっている。
「……ヨシュアには辛いことばかり起こるな……。先日の爵位簒奪事件といい……」
呟いたユーグレンに、ウィスキーのグラスを卓上に置いて、ヴァシレウスは少し厳しい顔を作った。
「今更言っても仕方のないことだがな、ユーグレン。お前が恥ずかしがってないでヨシュアと親しくなっていたなら、リースト伯爵家の惨事は防げたかもしれないのだぞ」
「……そうかも、しれませんね」
せめて学園内でだけでも親しくしていれば、噂は貴族社会の社交界ですぐに広がる。ヨシュアの義母とその連れ子だって耳にしたはずだ。
その上で一度でもリースト伯爵家を訪れ遊びにでも行っていれば、義母たちだって“王子の友人”のヨシュアに魔の手を伸ばさなかったかもしれない。
「まあまあ、お父様。王弟の僕が友人でも事件は起きましたから、“たられば”の仮定の話をしても意味がありません」
カズンは父を軽くたしなめた。
とはいえ、カズンが王弟で、アルトレイ女大公令息であることを詳しく知るのは、今はまだ学園側と担任、クラスメイトたちぐらいだ。
この国で王侯貴族は学園卒業と同時に成人となるから、まだ未成年のカズンは社交界にも出ていないし、あまり貴族社会で顔が知られていない。
母セシリアが大公位を授与されたのもここ数年のことで、政治の中枢に近い者や高位貴族でもごく一部の者しか詳細を知らなかった。
先日、婚約破棄騒動を起こしたホーライル侯爵令息ライルがカズンを知らなかったのがいい例だ。
「立ち会いは引き受けよう。……ユーグレン、いい経験になる。お前も一緒に参加しなさい」
「え」
ヴァシレウスに命じられたユーグレンが硬直した。
「わ、私もリースト伯爵家へ行けと仰るのですか、ヴァシレウス様!?」
「いい加減にヨシュアへの、おかしな関わり方を正すがよい。今後は彼が新たな伯爵となるのだから、社交界や王宮での貴族界でも頻繁に顔を合わせることになるのだぞ」
まさか、そんな場で『ヨシュア尊い……すき……』などと恍惚として天を仰ぐわけにもいくまい。
「魔法魔術騎士団の団長に、僕、お父様、ユーグレン殿下と王族三人。まだ学生のヨシュアの後ろ盾としては文句なしですね!」
魔法魔術騎士団の団長は公爵家出身で、親戚の侯爵家に婿入りした人物だ。当然、高位貴族である。
これで見届け用の立会人は合計四名。
若き魔法剣士でもある新伯爵ヨシュアの応援に、これ以上の布陣はあるまい。
それから二週間後の平日、午前中に一同はリースト伯爵家に集まった。
まだ学生のカズンとユーグレン王子は公務扱いで、学園は欠席である。
リースト伯爵家の邸宅内、二十人ほどが収容できる広さの儀式専用室、室内奥の祭壇上に、魔法樹脂に封印されたヨシュアの父であったリースト伯爵カイルが安置されていた。
「カイル……何てことだ……」
杖をついた、老年で白く長い口髭の魔法魔術騎士団の団長が、喉の奥からしわがれた声を絞り出した。
リースト伯爵カイルは彼の補佐官を務めていた人物なのだ。
魔法と魔術の実力者である団長を、リースト伯爵は実の父のように慕っていたことが知られている。
団長自身も、リースト伯爵を次あるいはその次の魔法魔術騎士団の団長候補として育てていたのだ。
「まだ四十にもならぬ若造の身で、息子を残して逝ってしまったか」
透明な魔法樹脂の中で、リースト伯爵カイルは乗馬服のまま、横向きに腰と両脚を曲げた不自然な姿勢で固まっている。
頭の位置が下向きに歪に傾いている。首の骨が折れていることが、それでわかる。
口は僅かに開き、両目は閉じられていた。
その顔立ちは息子のヨシュアとよく似ており、青みがかった銀髪も同じ色だ。
身体の側面が触れている魔法樹脂の底面には、地面の土と雑草などがまばらになってリースト伯爵の下側に一緒に封入されていた。
その土や草に鮮血が広がっている。
リースト伯爵が落馬した際の出血ごと、魔法樹脂の中に封じ込まれているのだろう。
「父が肉体に刻んだ魔術式は四つになります。腰にひとつ、右手と左手にひとつずつ、額にひとつで計四つ。団長閣下、術式の移植をお願いできますか?」
「おお、おお、もちろんじゃとも。魔法樹脂に両手を触れさせるがよい」
言われるままにヨシュアが透明な樹脂に両手の平を付ける。
団長が木の長い杖を振るとすぐに、リースト伯爵の入った魔法樹脂が発光し始めた。
「まずは左手の魔術式」
魔法樹脂がひときわ大きく輝き、やがてリースト伯爵の左手から白く発光した術式図形が剥がれて、空中に浮遊する。
術式図形はすぐに、ヨシュアの左手の甲に吸い込まれ、皮膚上に光ったまま浮き上がった。
同じことを、右手、腰、そして額と続けて行っていく。
最後に、より強く魔法樹脂が輝いて空中に溶けていき、樹脂を構成していた魔力がひとつの緻密な図形に再構築された。
それがリースト伯爵を封印していた魔法樹脂の術式であることは、門外漢のカズンたちにもわかった。
団長がヨシュアを見定めるように見つめた。
「新たなリースト伯爵となるお前は、父と同じ術式をその身に刻まねばならん。父のように……」
このように、と魔法樹脂が消えて、祭壇の上に崩れるように倒れ込んだリースト伯爵を見るよう促した。
「お前も、父と同じように、こうして惨めで無様な死に様を晒すことになるかもしれない。もちろん、ベッドの上で、大切な者たちに見守られながら人生を終えるかもしれぬが」
領地で後妻の毒により落馬したリースト伯爵は、自動発動の魔法樹脂にその身を固められ、辛うじて肉体だけが生きている状態で発見された。
後継者のヨシュアも、同じ末路を迎えぬという保障はなかった。
「とうに覚悟はできています。オレはリースト伯爵として父の後を継ぎ、責務を果たします」
強く断言したヨシュアに頷くと、団長が振った杖の軌跡を通じて術式がヨシュアの胸元へ吸い込まれていった。
「さて、では前リースト伯爵の亡骸を弔わねばならぬ」
ここはアケロニア王国の葬儀の慣習として、嫡男であるヨシュアが父親の亡骸を抱えて棺に収めなければならない。
魔術樹脂の中、ずっと仮死状態を保たれていた前リースト伯爵の骸は、封印を解除されると同時に完全に生命の火を失った。
そっと手に指先で触れると、その身体はまだほのかに温かかった。
「………………父様」
ヨシュアはすぐには父親の亡骸に触れることができなかった。
しばらく祭壇の前で逡巡していた彼を、一同は後ろに控えて静かに見守る。
ややあって、ヨシュアの肩が小刻みに震えだす。
声を殺して泣く彼を急かす者は、この場にはいなかった。
「も、申し訳ありません、皆様も忙しい中、来ていただいたのに。は、はやく、父を……っ」
嗚咽を抑えながら、再び父親の遺体に向き合おうとしたヨシュアに、誰も声をかけられない。
(父君のカイル様はとても厳しい方だったけど、ヨシュアは慕っていた)
カズンも幼い頃からの付き合いだった。まさか、後妻という身内からの毒殺で亡くなるとは思いもしなかった。
(あまり、上手い言葉で慰めることはできないけど)
泣く親友の肩を抱いてやることぐらいはできる、と手を伸ばしかけたカズンの横から、別の腕が伸びてきた。
(ん?)
ユーグレン王子だ。あ、とカズンの目の前で、父親の亡骸の前で泣いているヨシュアの背中に手を当ててやっている。
さりげなく隣の父を見ると、こちらは年の功で顔には出していないが、僅かに口の端が笑みの形になっている。
「あ、あの、殿下……?」
同じ学園生で顔見知りとはいえ、これまでろくに会話したこともなかった王子に背中をぽんぽんと宥めるように叩かれて、泣きながらヨシュアが困惑の声を上げる。
「この部屋を出れば、リースト伯爵となる君は社交界では大人扱いされる。人前で泣けば批判されるだろう」
「はい……」
「だが、今はまだ成人前の子供だ。子供が敬愛する父を亡くしたのだ。泣いたって誰も咎めない」
「ユーグレン殿下……」
ヨシュアの湖面の水色の瞳を覗き込んで目線をしっかり合わせて、ユーグレンは一言一言をしっかりと言い聞かせた。
「う……っ」
溢れ続ける涙を隠そうと俯いたヨシュアの顔を、ユーグレンは自分の胸元に押しつけた。
「私の胸で良ければ、いくらでも貸してやる。我慢しなくても良いのだ。……ヨシュア」
あ、しれっとヨシュアの名前を呼んでいる。
賢明なカズンは口にこそ出さなかったが、内心で突っ込みまくりだった。
「……我々は外で待っていよう」
小声でヴァシレウスがカズンと魔法魔術騎士団の団長を促した。
そろ〜っと音を立てないよう気をつけて、儀式専用室を出ていく一同だった。
儀式専用室を出て、外で控えていた執事に事情を伝えると、ヨシュアとユーグレンが落ち着いて出てくるまで応接間でお茶を出してくれるとのこと。
腰を落ち着けて紅茶で喉を潤しながら、世間話に興じていた。
「おいしいところを持っていったなあ。ユーグレン殿下」
ああいう、いい感じのことをするっと即興で口から出すのはカズンには難しい。
特にカズンはヨシュアとは親しいから、気恥ずかしくなってしまって。
「ほっほ、次期王太子として先が楽しみですなあ。お母上のグレイシア王太女殿下ほどの覇気がないのを心配しておりましたが、要らぬ世話だったようです」
先ほどの光景を思い出しながら、魔法魔術騎士団の団長が長い白髭をいじりながら、しきりに頷いている。
「ユーグレンはテオドロスに似たのだ。二代続けて好戦的な国王にならずに済みそうだな」
カズンの父ヴァシレウスも満足げに頷いている。
そんな彼も若い頃や在位時代はそれなりに血の気の多い国王として知られていたが、今では落ち着いた貫禄のイケジジだ。
「あれはヨシュアのファンなのだが、ヨシュアの美貌に気後れしてなかなか親しくなれず、随分長いこと悩んでいたようだ」
「そうでしたか……それは、それは」
団長は昔を思い出すように一度目を閉じた。
「ヨシュアの父カイルも、若い頃から息子とよく似た美貌で、それはそれは多くの者たちから慕われていたものです。ですが、その……美しいのは外側の皮一枚というやつでしてな」
「ああ……ですよね……わかります……」
しみじみカズンは同意した。
儚げで優美な美貌に、皆コロッと騙されて、騙されたままなのだ。
幼い頃から交流のあるカズンは知っている。
彼がなかなかの野心家で、物事の白黒グレーを絶妙に操る参謀タイプだということを。
カズンが知るヨシュアの父カイルは、少々偏屈で面倒臭い性格の持ち主だったが、親子だけあってベースの気質はよく似ていたように思う。
「息子のヨシュアも、案外食えない策略家の側面がありますよね」
「そう。リースト伯爵家の男はそのような性格を持つことが多いのです。優れた魔法剣士であると同時にですな。……さて、学園を卒業後は騎士団に入って活躍してほしいものですがのう」
ヨシュアのように、親から爵位を受け継いだ者にはいくつかの進路がある。
彼の場合は主に4つ。
ひとつは、襲名したリースト伯爵として領地運営のみに従事すること。
リースト伯爵家は魔法の大家として知られていて、魔法剣士の一族である。
ポーションなどの魔法薬の開発と販売を主要産業として持っている。
他には領地に大きな河川があって、味の良い鮭が獲れることで有名だった。リースト伯爵領産のスモークサーモンは特に美味で、カズンも父ヴァシレウスも大好物のひとつだ。
ふたつめは、王都で魔法魔術騎士団へ入団し、魔法剣士の才能を国のために使うこと。
魔法魔術騎士団は、騎士たちのうち魔力使いを統括している騎士団だ。
ヨシュアの父カイルは、SSランクの騎士で最高峰のランク保持者として活躍していた。
騎士団長は同じような活躍を、息子のヨシュアにも望んでいる。
みっつめは、策略家向きの性格を生かして、政治の道を目指すこと。
ただこれは、既にヨシュアの叔父が王太女グレイシアの腹心となっている関係上、選択の可能性は低い。
よっつめは、王族の参謀となること。
この場合は同年代のユーグレン王子か、王弟カズンいずれかの参謀だ。
「多分、ユーグレン殿下的にはヨシュアを側近にしたいんじゃないかと思うんです。叔父のルシウス様をお母上のグレイシア様が便利に使っているのを見てますからね」
ヨシュアには、ルシウスという父方の叔父がいる。
大変有能で多才な男で、そういった長所は甥のヨシュアにもある程度、受け継がれているのだ。
「おや、カズン様の側近ではなくてですかな?」
「そりゃ、側にいてくれたら嬉しいですけど。でも損得を考えたら、やっぱり王子のほうがいいんじゃないかなあって」
将来的にカズンは母親の跡を継いで大公として、王族の一人として国王と王家を支えていくことになる。
そのとき、誰を側近として使うべきか。
「……ヨシュアは僕にはもったいない気がします。まだ、二人でそういうことを話し合ったこともないんですけど」
(国内屈指の裕福な伯爵家の新当主。魔法剣士。頭も良ければ顔もいい。有力な身内もいる。僕にはもったいない男だ)
沈みがちに考え込んでしまったカズンを、父ヴァシレウスがどことなく面白そうな顔で見守っていた。