(はるか)ちゃんに出会ったのは、今から五年前。
 あたしが小学五年生のころ。
 この運動公園で、ひとりでドリブルの練習をしていたときのこと。
「まったく、もう。みんなして……」
 そのころのあたしは、小学校のサッカー部に所属してたんだけど――。
 バッ!
 つい足に力がこもっちゃって、ボールが遠くまで飛んでっちゃった。
 ボールの先には人の姿が。
 ボールに気づいたその子は、サッとボールをよけると、あたしのボールを拾ってくれた。
「ごめーん! コントロール、ミスっちゃって」
 あわててあやまりにいくと、
「ううん、いいよ。大丈夫!」
 その子は、ニコッとほほえんだ。
 わぁっ、すごいキレイな子。
 サラサラした栗色の髪が背中のあたりまで伸びてて、きめの細かい白い肌によく似合ってる。
 少し茶色がかった目はお人形さんみたいにパッチリしてて、スッととおった鼻すじに、ピンク色のくちびる。
 ショートカットで、いつも日に焼けてるあたしとは大ちがい。
 この町に、こんな美少女がいたんだぁ……。
「サッカーの練習?」
 ボールを渡されて、あたしはようやくわれに返る。
「う、うん! あたし、土日の午前中はいつもここで練習してて」
 すると、その子は大きく目を見開いた。
「キミ、女の子なの!?」

 そーだよね、驚くよね。
 髪も短くて、こんがり日焼けしてて、着古したジャージ姿のあたし。
 女の子らしさのカケラもないよね。
 あたしはへへへっ、と笑って。
「そーなの。聖良(せいら)っていうんだ。似合わないでしょ?」
 だけど、その子は、ふるふると首を横に振って、
「ううん。とってもステキな名前。よく似合ってると思う」
 って、マジメな顔でそう言ってくれたんだ。
「……ありがと。サッカー部のチームメイトには、よくからかわれるんだけどね。名前と性格が合ってないとか、女子力ゼロだとかさ。ま、ホントのことだから、それについてはあたしも否定しないんだけど――」
「どうしたの?」
 心配そうに首をかしげる女の子。
「うちの部って男女混合で、今はあたしもスタメンで試合に出ることが多いんだけど、たびたび言われるの。そうやってプレイできるのも今のうちだけだ、って。中学生になったら、戦力としては男にかなわなくなるって。ひどいよね、いつもは女子力ゼロだとか言ってくるのに、そういうときだけ女扱いするなんて」
 ダメだダメだ。
 ヘコむから考えないようにしてたのに、つい知らない子にまでグチっちゃった。
 あたしは、ガバッと顔をあげて。
「だからっ! こうして休みの日にこっそり練習してんの。あんなバカ男どもなんかに負けないように」
 と、勢いよくヘディングしてみせた。
「男の子、キライ?」
「んー、選手としての実力は認めるけど、友だちとしてつき合いたくはないかなー。あいつらみんなライバルだし!」
 ふんっ、と鼻息が荒くなる。
「そうなんだ――」

「そうだ、キミもなにかスポーツしてるの?」
 あたしは女の子に目をやった。
 スラッとした長い手足に、淡いパープルのジャージがよく似合ってる。
 女の子はコクンとうなずいて。
「わたし、(はるか)。ストリートダンスやってるの」
「ストリートダンス?」
 どういうのだっけ? 名前は聞いたことあるけど……。

 遥ちゃんがスマホを手にした。
 このごろ大ヒットしているアイドルグループの曲に合わせて、遥ちゃんが踊り出す。
 その瞬間、場の空気が一気に変わった。
 しなやかに動く手足。
 さっきまでの穏やかな印象がウソみたいにキリッとした遥ちゃんの横顔。
 音楽をまとい、いきいきと踊り続ける遥ちゃんの姿に、あたしはただただ圧倒されるばっかりで。
 ダンスが終わった瞬間、胸のなかに一気に熱いものがこみあげてきた。
「すごいっ、すごいっ!」
 あたしは遥ちゃんに向かってパチパチと力いっぱい拍手をおくった。
「えへへ、どうもありがとう」
 うれしそうにはにかむ遥ちゃん。
「スゴイよ、遥ちゃん! まるでプロみたい。どこかで習ってるの?」
 ほめたつもりだったけど、なぜか遥ちゃんの表情はちょっぴり曇った。
「うん……半年前までは、市内のダンススクールに通ってたんだけど」
「通ってた?」
 辞めちゃったのかな? でも、どうして?
 遥ちゃんは自分の栗色の髪の毛に手をやりながら、
「同じスクールに通う子たちに、ちょくちょく言われるようになったんだ。あの子、日本人じゃないよね、って」
 と、小さくため息をついた。
「わたしのおばあちゃん、アメリカ人なの。お父さんは日本とアメリカのダブルで、お母さんは日本人で。わたしは生まれてからずっと日本で暮らしてるんだけど、いろんなひとから、外国の子なの? とか、日本人離れしたスタイルだよね、とか言われるようになって。みんな悪気はないんだろうけど、外国人、外国人って指さされるのがなんか苦しくて。英語なんか全然話せないのに」
 やさしい遥ちゃんの顔に、深い悲しみの色がよぎる。
「だから、ひとりで練習してるの?」
 あたしの言葉に、遥ちゃんは静かにうなずく。
「じゃあさ、これからはあたしといっしょに練習しようよ!」
 あたしの提案に、遥ちゃんは目を丸くする。
「聖良ちゃんと?」
「うんっ! サッカーとダンス、ジャンルは全然ちがうけど、あたしたち、ひとりで練習してる者同士じゃん? いっしょに練習すれば、より楽しくできるようになるかなって。一生けん命がんばってるのに、イヤなこと言われるツラさもよく分かるし……って、あたしなんかといっしょにされても困るかな???」
 遥ちゃんは一瞬驚いていたけど、
「どうもありがとう! さそってもらえてとってもうれしい。聖良ちゃん、いっしょにがんばろう!」
 と、すぐに花が咲いたような笑顔になったんだ。

 それから、あたしと遥ちゃんは毎週この運動公園に集まって、おたがいの練習に一生けん命打ちこんだ。
 話をしているうちにおんなじ小学五年生ってことも分かって、ますます仲良くなった。
「ね、ね。遥ちゃんみたいにすばやく足を動かすにはどうしたらいいの?」
「それなら、おすすめのトレーニング動画があるよ。一日十分でできるやつ」
「わたし、長時間動くのが苦手なんだ。聖良ちゃんはどうやって体力アップしてる?」
「あたしはねー、よくツナ缶食べてるよ。サラダとかに入れてマメに摂ると疲れにくくなるよ」
 やってることはちがうけど、共通の悩みについて情報交換なんかもしたりして。
 いろんな音楽に合わせて自由に踊る遥ちゃんを見てると、不思議とこっちも元気になってきて、ますます練習に身が入った。
 遥ちゃんもあたしのドリフト練習を見て、
「わぁー、あざやか! カッコいい」
 なんてほめてくれて。
 ひとりで練習していたときよりも、楽しさは何倍にも大きくなった。
「うーん、今日もたくさん練習したなぁ。ちょっと休もっか」
 練習が終わると、あたしたちはよく公園の自販機まで行った。
 そこで買うのは、いつもきまってトロピカルフルーツパンチ。
 果汁入りのサイダーで、あんまり有名なメーカーの商品じゃないせいか、ここの自販機にしか売ってないの。
 あたしはこれが好きで前から買ってたんだけど、そのうち遥ちゃんもあたしにつられて買うようになった。
「これおいしいよね~。シュワシュワッとして、マンゴーとかパイナップルとかいろんな味がして」
 つかれた身体に、この冷たくてさわやかな甘さが最高!
 遥ちゃんも、満足そうにトロピカルフルーツパンチを飲みながら。
「わたしもこれ好き! だけど、いっつも全部は飲みきれないんだよね~」
「遥ちゃん残すの? じゃあ、あたしにちょーだい♪」
 すると、遥ちゃんは少しほおを赤く染めて。
「えぇっ? うん……聖良ちゃんがいいならいいけど」
 と、飲み残しの缶を手渡してきた。
 あれれ? もしかして、あたしいやしいヤツだってあきれられちゃったかな。
 でも、どうしても好きなんだよね。このジュース。
「ねぇ、聖良ちゃんの夢ってなに?」
 ある日の練習中に、遥ちゃんから訊かれた。
 あたしの夢……かぁ。
 しばらく考えこんだあと。
「これからもサッカーを続けることかな?」
 と、あたしは答えた。
「今は男女混合のクラブに所属してるけど、中学になったらサッカー部で活動するのはムリそうなんだ。市内には女子サッカー部のある中学なんてないし。だけど、となりの県には女子サッカー部のある高校があるから、がんばって続けてそこに入学するのが目標なの。五年も先のことだから、かなえられるかどうかなんてまだ分からないけど」
 遥ちゃんは熱心に相づちを打ちながら、真剣にあたしの話に耳を傾けてくれた。
「できるよ。大変かもしれないけど、聖良ちゃんならきっとかなえられる!」
 そうやってはげましてくれる遥ちゃんの声はほんとうにあたたかくて。
 あたしは強く背中を押されたような気がしたんだ。
「うれしいよ、遥ちゃん! ねっ、遥ちゃんの夢も聞かせてくれない?」
「わたし? わたしの夢は――」
 遥ちゃんは、運動公園にあるステージを指さして。
「あのね、高校生を対象にしたストリートダンス選手権が開かれるんだけど、その県大会が毎年秋にあのステージで開かれるの。その県大会で優勝して、全国大会に進むのが夢なんだ」
 と、話した。
「そんなの遥ちゃんなら楽勝だよ! 県大会どころか、全国大会でもヨユーで優勝できるって!」
 コーフン気味のあたしに、遥ちゃんは照れくさそうに、
「そ、そうかな? でも、聖良ちゃんがそう言ってくれるならがんばれるよ」
 と、ほほえんだ。
「そうだよ! 五年後に向けて今からいっしょにがんばれば、きっとなんだってかなえられるって!」
 あたしは心の底からそう信じていた。
 いつまでもこうして遥ちゃんといっしょに夢を追いかけられるって、本気で思ってたんだけど――。
「えっ、転校?」
 遥ちゃんといっしょに練習することが、すっかり日常の一部となりつつあった矢先のこと。
「そうなの。お父さんの仕事の関係で」
 遥ちゃんが声を落とす。
「どこに? ここから遠いの?」
 飛行機じゃないと行けないくらい離れちゃうのかな……。
「それが、ロサンゼルスなの」
「ロサンゼルス!?」
 って、アメリカの???
「わたし、おばあちゃんちで暮らすことになったんだ」
 そういえば、前に遥ちゃん、おばあちゃんがアメリカ人って言ってたもんね。
 アメリカなんて……大人ならともかく、子どもの力じゃとても会いに行けないよ。
 どうしよう。もう二度と、遥ちゃんには会えないのかな?
「あのねっ、聖良ちゃん!」
 遥ちゃんは、まっすぐあたしの顔を見て、
「しばらく会えなくなるけど、わたし、必ずこの町に戻って来るから。もし、五年後、おたがいに夢をあきらめないでいたら、この公園で開催されるストリートダンス選手権、観に来てくれないかな? わたし……絶対に出場するから。そのとき、また会おう!」
 と、あたしに手を伸ばした。
 あたしは、その手をギュッとにぎりしめて答えた。
「うん! もちろん。必ず会いに行くよ!」
 遥ちゃんは、ホッとしたような笑みを浮かべて。
「よかった! きっと、約束だからね」
 そして、あたしたちはおたがいに笑顔のままで、そのときはサヨナラしたんだ。