聞きたいことは、山程あった。それでも空が夜の帳に覆われる前にと、皆は部屋に戻ってしまう。
 明日改めて色々確認しようと決心し、エマさんと別れる。私も一先ず自分の部屋だという温室に戻ることにした。

「こっち……だっけ?」

 同じような建物が迷路のように連なっていて、元来た道も、どの温室なのかもわからなかった。夜休むための部屋だと聞いたからには、間違えて押し入る訳にもいかない。

「どうしよう……見分け方とか教えて貰えば良かった」

 迷っている内にもどんどん空は暗くなる。今夜は野宿かと覚悟しかけたところで、不意に後ろから肩を叩かれ、私は思わず飛び退いた。

「ひ!?」
「ははっ、いいリアクション」
「……、……ユタ?」
「ああ、レイアも来てたんだな」

 振り向いた先、そこに立っていたのは、よく見知った顔。幼馴染みのユタだった。見知らぬ世界での思わぬ再会に、堪えきれず涙が滲む。
 不安、恐怖、混乱、これまで感じないようにしていた部分が、涙と共に一気に決壊した。

「ゆ……ユタ!」
「わ!?」
「ユタ、ユタ……もう、私、訳わかんなくて、気付いたらこんな所で……!」
「うん……そうだな」

 勢いよく抱き付けば、彼は戸惑ったようにしつつ抱き留めてくれた。安心して泣きじゃくって、そしてふと気付く。
 ユタの着る見慣れぬ白いシャツ。左胸のポケットには、青い薔薇の花が綺麗に咲いていた。

「……もしかしてこの花、生えてるの?」
「ああ……レイアには?」

 ユタの言葉に、彼もまたこのおかしな世界に順応し取り込まれているのだと知り、怖くなる。

「私は……わからない。服の中、まだ怖くて確認してないから」
「そっか……部屋に戻ったら確認した方がいい」
「それが、その……」
「ん?」
「部屋、わかんなくて……」
「えっ」

 私は迷子の子供のように手を引かれながら、立ち並ぶ温室に灯された仄かな明かりを頼りに歩く。
 光の道を進みながら、部屋には本来、帰巣本能のように迷わず帰れるものだと教えてくれた。どうやらユタは、私よりもここの常識について詳しいようだった。

「そういえば、レイアは昔から方向音痴だもんなぁ」
「う……」

 小さい頃からいつも一緒で、ずっと大好きだったユタ。ここに居るのが私の夢や幻ではなく、本物の彼だと実感する。
 けれどそれと同時に、目覚める前の記憶もぼんやりと思い出して来た。やはりここは、私達の元居た世界とは違う。

「ここじゃないか? 明かりがついてない」
「あ、そうかも……?」
「中に誰か居れば明かりがつくからな」
「何それ便利……」

 部屋を無事見付けられたものの、せっかく再会出来たユタと離れるのは、名残惜しく心細かった。中々繋いだ手を離すことが出来ない。

「……寝付くまで、傍に居ようか?」
「え……いいの?」
「急にこんな所に来て、まだ不安だろ」
「ありがとう!」

 私はその言葉に甘え、彼を招き入れる。咲き乱れる甘い香りの花と、白いベッドを照らす仄かな明かり。現実離れした空間でも、ユタが居てくれるだけで安心した。

 二人でベッドに腰掛けながら、改めてこれまでの状況を整理する。
 皆気付けば花の庭に居たこと、この世界には身体に花を持つ人しか居ないこと。ユタは私より五日も早く目覚めたこと、温室とお茶会の会場の周りは深い森に囲まれていること。

「森……?」
「ああ、花が散ったら外に出られるとも、森の奥が外に繋がってるとも聞いた。森は昼間も暗いから、何かしら準備をしないと入れない」
「あっ、花なら散った子が居たよ!」
「本当か!?」
「うん、その瞬間は見られなかったんだけど……その子、居なくなっちゃって」

 彼女は、元の世界に戻れたのだろうか。エマさんの反応から、何と無く違う気もする。あの時エマさんは見ていないと言っていたけれど、問いかけたあの時彼女は確かに動揺し、花の眼球を泳がせていたのだ。

「そうか……ちょっと試してみよう」
「え」

 言うと同時に彼は自らの胸に咲く青い花弁を一枚摘まみ、そのまま躊躇なく抜いてしまった。
 その光景を見た瞬間、とても嫌な予感がして、慌ててその手を掴む。

「ユタ!?」

 咄嗟に呼び掛けるけれど反応はなく、彼は俯いて呆然とする。やがて指先の美しい花弁が、ひらりと白いシーツに落ちた。
 痛かったのだろうか。それとも何かあったのか。彼の様子に戸惑っていると、ユタはしばらくして、ハッとしたように顔を上げた。

「……レイア。花が散る前に、ここから逃げよう!」
「えっ、何、どうしたの?」
「思い出したんだ、俺達は、ここに来る前……事故に遭った」
「事故……?」

 彼の言葉に誘発されるように、朧気だった記憶を思い返す。
 そういえば、二人で居る所に車に突っ込まれたような気がしなくもない。
 けれどそれは夢の名残のようで、あまり実感もわかなかった。何しろ無傷で、痛みも何も覚えていないのだ。

「俺達は轢かれて……多分、ここは死後の世界だ」
「死後って……」
「だってそうだろ!? 車に轢かれて、目が覚めたら知らない場所だ。元の世界に花の生えた人間が居たか? 紅茶と花だけで生きられる奴は?」
「それは……でも、死後の世界なんてそんな……。じゃあ、今は何なの?」
「花が散った奴は消えたんだろ? だったら花は、天国か地獄に行くまでのタイムリミット、とか……」

 ユタの言葉がやけに真実味を帯びている気がして、ぞわりと背筋が粟立つ。私達が、そして昼間見かけた全員が、既に死んでいるとでも言うのだろうか。

「花弁が欠けてはっきりわかった。上手く言えないけど……花は、残りの命……もしくは、生きていた頃の残滓だ」
「何それ……?」
「一枚に、記憶とか想いとか、色々詰まってた……走馬灯みたいに、一気に脳内に溢れて……過ぎ去っていったんだ。これが全部なくなったら、きっと今ここに存在する俺は、完全に消える」
「そんな……」
「花が散る前に、ここから逃げないと。でも、どうやって……森を抜けるには……」

 ぶつぶつと呟く彼は、いつになく真剣な面持ちだ。その切羽詰まった様子に、私は深呼吸して、努めて明るく見せる。

「とにかく、今日は休んで、明日エマさんにも聞いてみよう。ね?」
「エマさん……?」
「さっき話した、今日色々教えてくれた優しいお姉さんだよ。あの人、この世界に詳しそうだったし、きっと森についても何か知ってるよ」
「……そう、だな。取り乱してごめん、レイア。焦ってもしかたない……俺の花弁はまだあるし……猶予はあるよな」
「うん……きっと、大丈夫だよ」

 しばらくして、ユタは自分の温室に戻って考えを整理したいという。まだ完全に落ち着いた訳ではないようだ。
 ユタを見送って、私はひとりぼっちになった温室の扉を閉める。

 もし花が命なら、この温室の花達は誰かの成れの果てなのだろうか。
 それとも、これから先この温室で目覚める、死ぬ間際の命なのだろうか。
 飲み食いする花は、誰かの潰えた命の欠片を貪っていたのだろうか。
 美しかったはずの花に溢れた世界が、途端に生々しくおぞましく感じられた。

 白いシーツに落ちた青い花弁を摘まみ上げ、私はベッドに横たわる。そして、背に異物感がないことを確認して、恐る恐る身体を確かめ、戸惑った。

 柔らかな白いドレスの下、私の身体には、花はおろか芽や蕾のひとつも生えていなかったのだ。


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