【屋上である方がお待ちです】
白が応接室を出てすぐ、プラカード替わりのスケッチブックを持った赤胡が立っていた。
【すぐに屋上へ向って頂けますか?】
赤胡はスケッチブックの二ページ目を捲り、白に用件を伝える。慶に話し声を聞かれたくないようだ。
白は微かに頷き、屋上へと足を向けた。
†
カチャ。
予め鍵が開けられていた屋上の扉を開けると、春風が白の頬を撫でる。
白はコツコツと靴の音を鳴らし、歩みを進める。
背の高い黒色のフェンスに背を預けた女性が白を見つけ、目を丸くさせた。
「!」
珍しく白が目を見開く。だがそれは刹那のことで、すぐにいつもの白へと戻る。
「やはり、生きていたか」
「ふふッ。見た目だけじゃなくて、声も話し方も可愛くないのね。磨白」
脇下まで伸ばされたブラックコーヒーより薄く、艶やかな色合いに染め上げられた髪。顔周りから左へ流れるレイヤーに、大きくあてたデジタルパーマが品のある女性は穏やかな口調でそう言って微笑む。キツイ印象を与えていた猫目は癒し猫となっている女性、藍凪茉弓は数歩、白に歩み寄る。
「もう磨白ではない」
「恭稲白君でしょ? 仁から聞いているわ」
という女性の腕には、少し褐色した健康的な肌と、慶より少し色素の薄さを感じさせるスぺサルタイトガーネット色の瞳を持つ赤子が抱かれていた。
「その赤子」
「……せめて赤ん坊って言ってちょうだいよ。赤子っていつの時代よ。まぁ、いいわ」
茉弓は白に遠慮することも臆することもなく、自分らしくあるがままに話す。
「どうせ仁さんがペラペラ話したんでしょうけど、お察しの通り、この子は慶の弟よ。可愛いでしょう?」
「そうだな。名は、黒優《こくゆう》と言ったか」
「あら、名前まで知っているのね。ほんっと、仁さんってお喋りね。親馬鹿だし」
茉弓は少しつまらなそうに首を竦めて見せる。
「……似たもの同士だと思うがな」
「何か言った?」
「いや、何も」
白は何事の無かったかのように、控えめに首を左右に振った。
「そう? ならいいけど」
「で、何故私を呼びつけた?」
「呼びつけたって言い方はなんだか物騒ね。慶のついでに、私の所にも顔を出してもらおうと思っただけじゃない」
「あんなやり方でか?」
どの口が言っているんだとばかりに、口端を上げる白は控えめに首をかしげて見せた。
「まぁね。慶に焼きもちを焼かれたり、変な誤解をされたら面倒だもの」
茉弓は小さな息を溢して首を竦めると、ここからが本題とばかりに、急に真摯な顔つきになる。
「磨白──じゃなかったわね。慶を守り続けてくれて、本当にありがとう。私達の元へ、慶を連れてきてくれて、本当にありがとう。命だけじゃない。
あの子の心も成長へと導き、どういった世界でも生きていけるようにしてくれて、本当にありがとう。感謝しきれないほど、感謝しているわ」
「……藍凪慶を守ってきたのは、其方達も同じのはず。それに、私だけが守ってきたわけではない。私がいくら言葉で導いたとて、本人が答えを弾き出して前に進まねば成長はせぬ。
今の藍凪慶があるのは、今まであの者と縁《えにし》を紡ぎ、あの者を守ってきたもの達の力もあるだろうが、あの者が最後まで自分の命を投げ出さなかったからだ。
今いる世界を選んだのは、あの者自身だ。どんなに他者が守り導こうとも、命を生かすも殺すも、どの世界でどう生きていくのかも、最後に決めるのはその者にしか出来ぬ。私達は、誰かに変わることも、誰かの人生を歩むことも出来ぬ。
だが、世界中にある縁《えにし》は全て繋がっていて、共鳴し合っている。あの者の心に、我々が動かされてきただけなのかも知れぬな」
「──貴方、精神年齢高すぎて仙人みたいね。一体、どれだけ人生を歩んできたの? 仁さんの方が年下に見えてくるわ」
どこか感心したように白の話を聞いていた茉弓は、微苦笑を浮かべる。
「黒桂は笑顔の裏に多くのものを隠している。見た目や表面上の会話だけではわからぬ。其方が生きていることが、何よりの証拠ではないのか?」
「……まぁ、そうかもしれないけど」
「あの時、其方を救えなくてすまなかった」
「──」
茉弓はぽかーんとおとぼけ顔を晒す。
「……遺伝か」
茉弓のおとぼけ顔を見た白は、一人納得したように呟く。
「ぇ? 遺伝? なんのこと?」
「いや、こちらの話だ」
白は、気にするなとばかりに、しとやかに首を左右に振った。
「じゃぁ、私はもう行く」
「ぁ、あの子のこと、幸せにしてあげてね」
茉弓は背を向ける白に、慌てて叫ぶように伝える。
「あの者が幸せになるかどうかは、あの者次第だ。幸せとは自分で気づき、築き上げてゆくものだからな」
「そこは素直に『分かりました』とか『任せて下さい』とか言いなさいよね」
茉弓は白の返答に不服さを出す。
「月並みな言葉を言えと?」
白は肩越しに振り向いて問う。
「そうは言っていないでしょ? 気持ちの問題よ」
「そうか」
「まぁいいわ。早く孫の顔を見せてちょうだいね。貴方達は長生きするのでしょうけど、人間の私は命が短いのよ。おいそれと待っていられないんですからね」
「ふっ」
白は茉弓の言葉に短く吹き出し、「馬鹿なことを……」と独り言のように呟いて、その場を後にした。
春風が吹き、病院の庭園に生えている桜の木から、桜の花びらをいくつか屋上に連れてくる。
残された茉弓は、マリア様のような微笑みを浮かべ、穏やかな春の息吹を感じるのだった──。
〈完〉
白が応接室を出てすぐ、プラカード替わりのスケッチブックを持った赤胡が立っていた。
【すぐに屋上へ向って頂けますか?】
赤胡はスケッチブックの二ページ目を捲り、白に用件を伝える。慶に話し声を聞かれたくないようだ。
白は微かに頷き、屋上へと足を向けた。
†
カチャ。
予め鍵が開けられていた屋上の扉を開けると、春風が白の頬を撫でる。
白はコツコツと靴の音を鳴らし、歩みを進める。
背の高い黒色のフェンスに背を預けた女性が白を見つけ、目を丸くさせた。
「!」
珍しく白が目を見開く。だがそれは刹那のことで、すぐにいつもの白へと戻る。
「やはり、生きていたか」
「ふふッ。見た目だけじゃなくて、声も話し方も可愛くないのね。磨白」
脇下まで伸ばされたブラックコーヒーより薄く、艶やかな色合いに染め上げられた髪。顔周りから左へ流れるレイヤーに、大きくあてたデジタルパーマが品のある女性は穏やかな口調でそう言って微笑む。キツイ印象を与えていた猫目は癒し猫となっている女性、藍凪茉弓は数歩、白に歩み寄る。
「もう磨白ではない」
「恭稲白君でしょ? 仁から聞いているわ」
という女性の腕には、少し褐色した健康的な肌と、慶より少し色素の薄さを感じさせるスぺサルタイトガーネット色の瞳を持つ赤子が抱かれていた。
「その赤子」
「……せめて赤ん坊って言ってちょうだいよ。赤子っていつの時代よ。まぁ、いいわ」
茉弓は白に遠慮することも臆することもなく、自分らしくあるがままに話す。
「どうせ仁さんがペラペラ話したんでしょうけど、お察しの通り、この子は慶の弟よ。可愛いでしょう?」
「そうだな。名は、黒優《こくゆう》と言ったか」
「あら、名前まで知っているのね。ほんっと、仁さんってお喋りね。親馬鹿だし」
茉弓は少しつまらなそうに首を竦めて見せる。
「……似たもの同士だと思うがな」
「何か言った?」
「いや、何も」
白は何事の無かったかのように、控えめに首を左右に振った。
「そう? ならいいけど」
「で、何故私を呼びつけた?」
「呼びつけたって言い方はなんだか物騒ね。慶のついでに、私の所にも顔を出してもらおうと思っただけじゃない」
「あんなやり方でか?」
どの口が言っているんだとばかりに、口端を上げる白は控えめに首をかしげて見せた。
「まぁね。慶に焼きもちを焼かれたり、変な誤解をされたら面倒だもの」
茉弓は小さな息を溢して首を竦めると、ここからが本題とばかりに、急に真摯な顔つきになる。
「磨白──じゃなかったわね。慶を守り続けてくれて、本当にありがとう。私達の元へ、慶を連れてきてくれて、本当にありがとう。命だけじゃない。
あの子の心も成長へと導き、どういった世界でも生きていけるようにしてくれて、本当にありがとう。感謝しきれないほど、感謝しているわ」
「……藍凪慶を守ってきたのは、其方達も同じのはず。それに、私だけが守ってきたわけではない。私がいくら言葉で導いたとて、本人が答えを弾き出して前に進まねば成長はせぬ。
今の藍凪慶があるのは、今まであの者と縁《えにし》を紡ぎ、あの者を守ってきたもの達の力もあるだろうが、あの者が最後まで自分の命を投げ出さなかったからだ。
今いる世界を選んだのは、あの者自身だ。どんなに他者が守り導こうとも、命を生かすも殺すも、どの世界でどう生きていくのかも、最後に決めるのはその者にしか出来ぬ。私達は、誰かに変わることも、誰かの人生を歩むことも出来ぬ。
だが、世界中にある縁《えにし》は全て繋がっていて、共鳴し合っている。あの者の心に、我々が動かされてきただけなのかも知れぬな」
「──貴方、精神年齢高すぎて仙人みたいね。一体、どれだけ人生を歩んできたの? 仁さんの方が年下に見えてくるわ」
どこか感心したように白の話を聞いていた茉弓は、微苦笑を浮かべる。
「黒桂は笑顔の裏に多くのものを隠している。見た目や表面上の会話だけではわからぬ。其方が生きていることが、何よりの証拠ではないのか?」
「……まぁ、そうかもしれないけど」
「あの時、其方を救えなくてすまなかった」
「──」
茉弓はぽかーんとおとぼけ顔を晒す。
「……遺伝か」
茉弓のおとぼけ顔を見た白は、一人納得したように呟く。
「ぇ? 遺伝? なんのこと?」
「いや、こちらの話だ」
白は、気にするなとばかりに、しとやかに首を左右に振った。
「じゃぁ、私はもう行く」
「ぁ、あの子のこと、幸せにしてあげてね」
茉弓は背を向ける白に、慌てて叫ぶように伝える。
「あの者が幸せになるかどうかは、あの者次第だ。幸せとは自分で気づき、築き上げてゆくものだからな」
「そこは素直に『分かりました』とか『任せて下さい』とか言いなさいよね」
茉弓は白の返答に不服さを出す。
「月並みな言葉を言えと?」
白は肩越しに振り向いて問う。
「そうは言っていないでしょ? 気持ちの問題よ」
「そうか」
「まぁいいわ。早く孫の顔を見せてちょうだいね。貴方達は長生きするのでしょうけど、人間の私は命が短いのよ。おいそれと待っていられないんですからね」
「ふっ」
白は茉弓の言葉に短く吹き出し、「馬鹿なことを……」と独り言のように呟いて、その場を後にした。
春風が吹き、病院の庭園に生えている桜の木から、桜の花びらをいくつか屋上に連れてくる。
残された茉弓は、マリア様のような微笑みを浮かべ、穏やかな春の息吹を感じるのだった──。
〈完〉