「!」
 例の二体の狐の像が作るブラックホールから飛び出した慶は、驚きで目を見開く。

 五歩ほど離れた場所で、ちょこんと両膝を折って待ち伏せしていた男性がいたからだ。


「やぁ、慶」
 男性は嬉しそうな笑みを浮かべ、右掌をひょいっと見せて挨拶をする。


「黒柳仁さん⁉︎」

「まさかのフルネーム呼びッ! ……お父さんって呼んでもらえるにはまだまだだね」
 そう苦笑い浮かべる男性、黒柳仁はスッと立ち上がる。


「ぇっと……すみません。血縁のあるお父さんが生きていたことや、仁さんがお父さんだということに実感が湧かなく……」

「標準語の敬語だしね〜。失われた月日の壁は大きいね」
 黒柳は微苦笑を浮かべ、返答に困った慶は眉をハの字にさせた。


「ごめん。ちょっと困らせ過ぎたね。気にしないで」
「……はい。ぁ! これから私は、黒柳さんのことをなんとお呼びしたらいいですか? 黒桂さん? 仁さん?」


「好きに呼んでくれて構わないよ。人間界では、黒柳仁と名乗って生活しているし、周りも仁と呼んでくる。呼びやすいように呼んでくれて構わないけど、せめてフルネームは止めて欲しいかな」


「分かりました。では、仁さんと呼ばせていただきますね」
 黒柳さん。と呼んだほうがしっくりきたのだが、慶はあえて一歩前に踏み出すことを選んだ。苗字で呼んだら、余計に距離を縮めてゆくことが困難に思えたからだ。


「うん。じゃぁ、行こうか」
「どこへですか?」

「もっと実感が湧かない世界で、もっと実感が湧かないであろう人へ会いに」

「?」
 慶は訳も分からず、黒桂こと、仁の後ろをついて行くのだった。


 *



「ここは……」
 仁の後ろについて歩いていた慶であったが、ピタリと足を止める。それもそうだろう。仁が連れてきたのは廃墟の病院だったのだから。


「あぁー。見た目はアレだけど、中は綺麗だから大丈夫だよ。怖いものは何も出てこないから安心して」

「安心してと言われましても……」
 慶はいつもの癖で左手首を右手で包むように持つ。だがそこにはもう、例の白狐ストラップはない。白と連絡が取れる貼るピアスも、自身の盾にも武器にもなるネックレスもない。その丸腰状態が余計に慶の不安にさせる。


「僕は君に危害を加えないよ。大丈夫。まだ信頼関係を築けるほどの時間を過ごしていないけれど、どうか信じて欲しい……」
 仁は慶と視線を合わせるために腰をかがめ、真摯に訴える。


「……」
 慶は何も言わず、コクリと小さく頷く。黒妖弧の里で自身を助けてくれたのは事実だ。それに、仁が嘘を付いているようには思えなかった。


「ありがとう」
 仁は優しく微笑み、正面を向く。


「汝、癒しの地への扉を開かれたし」
 仁が左掌を前に突き出しながら、そう呪文を唱えると、時空が歪んだように景色が歪み、門が開かれる。アーチ状の門の先には、綺麗な庭園のある病院が見えていた。


「行こう。あの人が首を長くして待っている」
「……はい」
 あの人。というのが誰だかは分からなかったが、慶は素直に仁の後をついていった──。



 仁の言葉通り、結界の中は大きな庭園や噴水が美しい七階建ての中小病院があった。患者や医療従事者の姿は何処にもなく、誰もいないような静けさがあった。


♪コンコンコン。
 三階にある病棟の八〇五号室に慶を連れて来た仁は、優しく扉をノックする。


「はい」
 凛とした美しい女性の声が響く。


「茉弓《まゆみ》、僕だよ。入っても大丈夫?」
「えぇ。どうぞ」

「茉弓、きたよ」
 相手の承諾を得た仁は、その言葉と共に個室の引き戸を開ける。


 天井が高い広い空間に大きな窓から見える綺麗な庭園と明るい日差しが差し込み、息がしやすい空間だった。
 部屋の中は介護用ベッドと机。アンティークの円形机の周りに三つの椅子が置かれ、傍には冷蔵庫が設置されている。
 十畳ほどの洋室には、お風呂やトイレはもちろん、簡易的なキッチンも完備されていた。


「仁さん」
 脇下まで伸ばされたブラックコーヒーより薄く、艶やかな色合いに染め上げられた髪。顔周りから左へ流れるレイヤーに、大きくあてたデジタルパーマが品のある女性を演出している。


 茉弓と言われた女性は仁を見て、嬉しそうに微笑む。しまったシャープな顔つきと猫目がキツイ印象を与えているが、その微笑みが柔らかな印象へと変化させる。


「……その子が?」
 茉弓は仁の後ろに隠れていた慶を見つけると、慈悲深き笑みを溢して瞳を潤ませる。


「うん、そう。この子だよ」
 仁は自身の後ろで固まっている慶の肩をそっと抱き寄せ、自身の一歩前へと出す。

 上半身を起こしたベッドで横になっていた茉弓は、慶に優しく微笑む。その瞳から一筋の涙が零れ落ちる。


「こ、こんにちは……」
 見知らぬ女性に珍しく人見知りを発動させる慶は、控えめに挨拶をする。


「こんにちは。……慶」
「‼」
 今日初めて出会った女性が何故、白が名乗れと言われた名を知っているのかと、慶は瞠目する。黒樹が言ったのかと、仁の顔を見上げる。


「ん?」
「な、名前……」
 慶は、どうして? というような表情で仁を見つめ続ける。


「あぁ、僕は茉弓に君の名前は言っていないよ。もちろん、どちらの名もね」
「じゃぁ、どうして……」
 ますます不安気に視線を彷徨わせる。


「元々知っていたんだよ。というには少し語弊があるかな。慶という名は、茉弓がつけたんだよ。君が喜びの多い人生になることを願ってね」

「……ぇ? だって、この名前は……」
 仁の言葉に慶は動揺する。それもそのはずだ。


──その名前を捨ててもらう。

──碧海聖花は三年前、この世から消えた。にも拘わらず、同姓同名を突き通すのか?

──なければ作ればいいだけのこと。

──碧海聖花。今後は、藍凪慶と名乗り、生きていてもらう。


 そう言われて契約を交わした記憶は、まだ新しい。


 慶にとって今の名の名付け親は、恭稲白なのだ。それを、見知らぬ女性が名付けたといきなり言われれば、驚愕して戸惑うのも無理はない。


「茉弓は、君の実のお母さんだよ」
「ぇ?」
 慶は慄然と困惑で言葉失う。


「大丈夫。茉弓も僕達も生きているよ。この場所は天国でもない」
 仁は慶の心中を悟ったように、補足で言葉を付け足す。その声音はとても優しかった。


「側に行ってあげてくれないか?」
 仁にそっと背中を押された慶は、どこかおぼつかない足取りで茉弓に歩み寄った。


「慶……」
 茉弓はぽろぽろと涙をこぼしながら微笑む。


「……ほ、ほんまに? ほんまに、私の実の、おかあさん?」
 一歩、また一歩と、覚束ない足取りで茉弓に歩み寄りながら、慶は震える声で問う。


 茉弓はコクリと頷く。

「慶……ッ。ごめんなさい」

「ぇ?」
 いきなり謝罪されたことに、慶は更に困惑する。


「貴方を守り切ることが出来なくて、ごめんなさい。これまでいっぱい辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい。
 貴方は、両親に捨てられた自分には価値がない、愛されない存在だと思った時があるかも知れない、私達を恨んだ夜も、せめた夜もあったかも知れない……。
 だけど、私達はずっと、貴方を愛していた。私達はずっと、貴方と平和な日々を穏やかに暮らしていたかった。今でもその気持ちは変わらないわ。それは紛れもない真実なのよ。それだけは信じていて欲しい。
 貴方が許してくれるのなら、また私達と一緒に同じ時間を過ごしてほしい──駄目かしら?」
 滂沱する涙を拭うこともせず、茉弓は自身の思いを言葉にした。


「ぇ、えっと、その……肉親の両親が生きていたこと、また再会できたこと、また私に笑いかけてくれたこと、また手を差し伸べてくれたことをとても嬉しく思います。
 で、ですが、正直話すのなら、どうすべきか分かりません。すぐに一緒に暮らすとか考えられなくて、かと言って、今まで育ててくれていた両親の元へ戻ることにも気が引けてしまい──しばらくは、親友の家で過ごさせてもらおうと思っています」
 喜びよりも戸惑いが勝る慶は、胸の前で両手を祈るように組んで視線をさ迷わせながら、言葉を選び、伝えていった。


「えぇ。貴方の中で貴方の答えが出るまで待つわ。私達は貴方が生きていてくれていたことが嬉しいのよ。多くは望まない。ただ、貴方が穏やかに貴方らしく生きていてくれたらいいの。今まで生きていてくれて、本当に、本当にありがとう」
 その優しい言葉と優しい微笑みに慶の心がじんわりと温かくなり、慶の瞳からも涙が溢れ落ちる。


「……慶」
 側にいた仁は優しく寄り添うように肩を抱き寄せ、あやすように慶の腕をさすった。
 それを皮切りに。今まで起きた怒涛の日々が、慶の脳裏で走馬灯の如く駆け巡る。


「ッ……」
 慶は嗚咽を押し殺すように下唇を噛み締め、感情が爆発したように涙をぽろぽろと涙を流し続けた。


「慶ッ」
 感極まった茉弓は慶を抱きしめる。


 仁は慶と茉弓を両腕の中に包み込むように抱きしめ、今ある幸せと平穏を噛み締めるのだった──。




 六階にあるカフェレストランの二人掛けテーブル席で、仁と慶は二人で話し込んでいた。


「ここは、一体?」
 慶は物珍しげに、無人レストランに視線を彷徨わせる。


「元々廃墟だった病院を僕が妖術で作り変えたんだ。人間界にある病院を参考にしてね」

「妖術でそんなことも出来るんですか⁉」
 慶はオウム返しのように問うて驚く。


「うん。一階は、受付や会計などの場所で二階は診察や検査する場所。三階は入院患者が過ごせる階で、四階は治療室。
 五階には、ココに住み込みで働いている妖弧達が暮らせる部屋があって、今は僕もそこで暮らしているんだ。
 六階は二十四時間使える無人コンビニと、今僕らがいるカフェレストラン。妖弧達が学びたい学科を学べる学室がある。
 まぁ、見目は良いけど従業員がいないから、ほぼ運営は成り立っていないようなものだけど」
 と苦笑いを浮かべる仁に、慶は感心したように瞳を輝かせる。


「凄いです……色々と」
「君に感心されると嬉しいよ」
「ぁ、あの、聞いてもいいですか?」
「なんなりと」
 仁は全てを受けとめるように、優しく微笑みながら頷く。


「茉弓さんが私の名付け親だと仰いましたよね?」
「うん」
 仁はブラック缶コーヒーを飲み、相槌を打つ。


 慶は血縁のある両親のことを、すぐに受け入れ、お母さんやお父さんと呼ぶことは出来なかった。

 話し合った末に、母親のことは茉弓さん、父親のことは仁さんと呼ぶことになった。

 仁達も焦ることや、呼び名を強要することはなく、時間をかけて関係性を育めていけたらいいと言う考えを持っていたため、慶の想いを優しく受容した。


「茉弓さんは今でも恭稲さんと関わりがあるんですか?」
「どうして?」
 仁は小首を傾げる。何故ここで、白が出てくるのか不思議なのかも知れない。


「ご存知かと思いますが、私は元々、碧海聖花として生きてきました。ですが三年前に偽装の死をとげ、恭稲さんから藍凪慶と言う名で生活するようにと言われたんです。なので私は藍凪慶と言う名は、恭稲さんがつけたのだと思っていました。ですが、違ったんですね?」


「恭稲君が茉弓と現在も関りがあるとは思えないよ。恭稲君はこの場所を知らないはずだ。ただ、恭稲君から茉弓の匂いも気配も感じなかったしね。茉弓からも恭稲君の話を聞いていない」


「じゃぁ、恭稲さんはどうしてこの名を?」
 慶は前のめりで問う。

「きっと、調べたんだろうね」
「ぇ?」

「碧海聖花が偽装の死を遂げたということは、碧海夫妻は君の死亡届を出しているはずだ。そうなれば、きっと君は人間界で普通に生活することすらままならない。人間界は契約関係がごちゃごちゃしていて厳しいからね。
 ただ、君は孤児院の出。本人を筆頭者とする新しい戸籍が制作されている。だが僕達を藍凪慶の死亡届は出していない。
 恭稲君が茉弓のフルネームを知っていたとしたら、出生届など容易に調べられるはず。恭稲君をサポートするモノ達も凄いからね」


「私が人間界で生活できるように?」
「だと思うよ。あの恭稲君だし」


【一 私は今これより、碧海聖花としての命を終え、今後は[藍凪慶]として生きてゆきます。

 二 それに伴い、私は金輪際、碧海聖花の名を名乗りません。

 四 己はもちろんのこと、他者が碧海聖花の名を口にした場合、連隊責任として、藍凪慶とその者は腕立て五十回+スクワット五十回いたします】

 いつの日か、白と交わした契約書の内容が、ふと慶の脳裏に過る。


 あの時は、訳の分からない契約内容だと内心感じていたが、藍凪慶として生きていく為の基盤作りをするためのものだったのかもしれない。沁みついた碧海聖花という名から、碧海慶という名に移行するために。


「……」
 慶はチョーカーに指先を当てて、そっと微笑む。


「なんだか、ヤケちゃうなぁ」
「ぇ?」
 訳の分からない呟きに、慶はきょとんとして首を傾げる。


「いや、こっちの話しだよ。気にしないでくれ」
「そう、ですか?」
 慶は控えめに首を左右に振ってそういう仁に対し、それ以上踏み入ることはしなかった。


「うん。他には何か聞きたいことはない?」

「ぁ、恭稲さんは茉弓さんをこの世にいないと思っているのでしょうか? 死体を見たのでは……」

「ん~、どうだろう? 多分、恭稲君が見たのは僕が作り出した幻術の茉弓だから、気づいていたかもね」
 左手で頬杖をつく仁は、穏やかな口調で質問に答え続ける。


「どういうことですか?」

「恭稲君としばらく共に過ごしていた茉弓は本物だよ。正真正銘のね。ただあの日、事務所を出て行った以降の茉弓は違う。茉弓が依頼者と接触する前に、僕が傀儡の茉弓と本物の茉弓をすり替えたから。だから、恭稲君が見た最後の茉弓の姿は傀儡だよ。血液は茉弓の匂いがしていただろうけど」


「血液の匂いも幻術で?」


「ううん。藍凪茉弓として採血していた血液をココで保存していたんだ。消費期限状、人体に使うことは出来ないけど、僕の用途には十分だった。妖弧が茉弓の血の匂いを感じ取れればよかったからね」


「……なるほど」
 慶は仁の説明で白姫が魅黒に使用した傀儡と同じようなものだと理解する。


「茉弓さんを撃った妖弧は今何を?」
「ん~……スパイ?」
「スパイ?」
 慶は思いもしない返答に、オウム返しをしてしまう。


「うん」
 仁は一つ頷き、親指と人差し指を擦り合わせてパチン! と指を鳴らす。コンマ数秒で赤妖弧をした九尾が飛んできた。白達のように大きくはなく、人間界にいる狐達と同じくらいの大きさだった。


 赤妖弧は人間に姿を変え、「お呼びでしょうか? 黒桂《つづら》様」と、騎士のように片膝をつく。パンツスーツスタイルの女性のようだが、綺麗な赤毛で顔が隠れ、その全貌や表情はわからない。


「大きな用はないんだけどね。良かったら、この子に挨拶して?」
「分かりました」
 スッと立ち上がった赤妖弧は慶と向き合う。


 ガーネット色の両眼が慶を映す。
 切れ長の一重の目元にスッと鼻筋の通った高い鼻がアジアンビューティーを感じさせている赤妖弧は、レッドオレンジ色のリップが濡れられた薄い唇が開く。

「黒桂、この子が例の?」
「うん。可愛いだろ?」
 黄琉は何故かドヤ顔で問うてくる仁に冷ややかな視線を向けながら、口を開く。


「否定はしないが、親馬鹿も互いにしたほうが良い。思春期の娘に嫌われる痛手はデカいぞ」
「嫌なことを言うなよ」
 仁は青年の言い草に、苦笑いを浮かべた。


「えっと……こんにちは。藍凪慶です」

「あぁ、挨拶が遅れてすまない。俺の名は、黄《き》琉《る》。数百年前に里から出た、純血黄妖弧だ」
 凛としていながらも色気が含まれ、どこかアナウンサーのような声質を持つ青年は、軽い自己紹介をする。


「黄琉は君が預けられた孤児院の責任者だよ」

「今はもう、責任者ではないがな」
 黄琉は言葉足らずな仁の説明に補足を付け足す。


「どういうことですか?」
 全くもって話が見えてこないとばかりに小首を傾げる慶に、黄琉が答えを与える。


「君が孤児院に預けられる一ヵ月前、俺はそこの責任者に扮し、君が預けられるのを待った。もし君が預けられたとしても、誰かに引き取ってもらえるか、君を引き取ってくれる人間がどんな人物なのかを調べる必要性があった。君には時が満ちるまで生き続けてもらわなければ、全ての計画が失敗に終わるからな」


「慶の里親を碧海夫妻に決めたのは、黄琉だよ」
 仁が穏やかな笑みと口調で、慶にまた一つ真実を伝える。


「碧海夫妻は、信頼のできる者達であると感じたからな。あの二人はとても真摯に君と向き合っていたし、君を家に招き入れるために最善を尽くしていた。まだ里親になれるかどうかの保証もない時から、諦めることなく何年も君と制度に向き合い、愛を注ぎ続けることは容易ではない。君はあの家に迎え入れられる前から、あの二人に随分と愛されていたんだ」


「……そう、でしたか」
 黄琉の言葉に慶の瞳が涙で滲む。


「あぁー黄琉! ちょっと~ッ! 僕の大切な娘を泣かせないでくれる?」
 勢いよく椅子から立ち上がった仁は、黄琉の右肩を掴む。


「は? 知るかよ! 俺は何もしていない! お前の娘が勝手に感極まっているだけじゃねーかよ、人聞き悪いことを言うな」
 黄琉は勘弁してくれ、とでも言うように言って小さな溜息をつく。


「慶が情緒不安定とでも? 感受性が豊かなんだ」
「はいはい。物は言いようですね」
 黄琉は、突っかかっててくる仁を軽くあしらうように言った。

 そんな二人のやり取りは、どこか男子学生同士のようであり、慶はクスクスと小さな笑みを見せる。


「……。お二人共、いい加減になさっては如何ですか? 慶様が呆れていらっしゃいますよ」
 赤胡にとってこの光景は慣れっこなのか、冷めた目で二人を見ながら、淡々とそう言った。


「あ、呆れているなんて、そんなことありません」
 慶は顔の前で両掌を左右に振りながら、慌てて否定する。


「では、何故お笑いに?」
「お二人の姿が微笑ましくて──。……私も、大切な友人に会いたくなりました」

「あの二人が微笑ましい……。時期に見飽きますよ。毎日あんな感じなんですから」
 赤胡はありえないとばかりにそう言って、二人を冷めた目で見る。


「赤胡って僕を慕ってくれているようで冷たいよね? なんか時折ディスってくるし」

「主としての貫禄がないんじゃねーの? 舐められてんだよ」

「舐めていません。黒桂様を舐めても美味しくありません」

「言葉のあやだろ? ほんっとにかったい奴だなぁ」
 黄琉はげんなりしたように両肩を下げる。


「まぁまぁ、仲良くしようよ」
 言い争いになりそうになる二人を鎮めるように、仁が割って入る。なんだかんだで、いい関係性なのかも知れない。


「──よかった」
「「「?」」」
 唐突な慶の言葉に、仁達は不思議そうな顔をする。言葉の真意が読み解けないのだろう。
「私、仁さんの娘で良かったです。黒妖狐の話を聞いた時、そんな恐ろしいモノ達の血が私にも流れていると思ったら、少し恐ろしかったんです。
 いったい、どんな人が父親なんやろう? 非道な方やったらどうしよう? とか。でも、全ていらない心配や不安でした。仁さんは、私が想像していた黒妖狐の方と全く違う」


「そうですね。黒桂様は全くもって、黒妖狐らしくありません」

「だな。すっげぇー強いくせして、その力を誇示したりしねーしな」
 仁が何か口にする前に、赤胡と黄流が口を開く。


「力づくで誰かを従わせることもありません。私が犯してしまったミスも受け入れ、一緒に解決して下さる度量の深さをお持ちです」

「のわりに、すっげぇ子供ぽいけどな」
 赤胡の言葉にそう付け足す黄琉は。にししというような笑みを浮かべる。


「それには、私も同意いたします。黒桂様はすぐ拗ねますし、寂しがりやな性格をしているだけでなく、味覚までもがお子様です。辛い物は食べられませんし、スナック菓子と甘い物が大好きです」


「蝉の死骸を土に返そうとしたら、その蝉がまだ生きていて黒桂に飛んでいったこともあったな」

「その時の悲鳴と驚く顔はコメディーでしたね」


「……ねぇねぇ、君達〜。それは貶しているのかなぁ? それとも、褒めてくれているの?」
 仁は仲間達の散々な言いように苦笑を浮かべる。


「まぁ……大半、褒めてつもりだ」
「そうですね」
「……だといいんだけど」


「ふふふっ」
 慶は仁達の関係性が微笑ましくて、穏やかな笑い声を溢す。


 慶は、仁が父親で本当に良かった、茉弓のことについてはまだ深く知り得ないが、きっと素晴らしい人に違いない。

 これからゆっくりと二人との絆を深めていければいいなぁ、など色々なことを胸の内で思う。と同時に、碧海夫妻への愛と感謝を今までよりも、より深く感じていた。


 慶は自分の存在や生い立ちを苦しく思うことがあった。逃げたくなる時も、嘆くことも多々あった。だが折れそうになる心を、いつだって碧海夫妻や愛梨が支えてくれていたのだ。


 人間界を離れれば、白達が手を差し伸べ続けてくれていたし、仁達は水面下で自分を守ってくれていた。実感していた愛と、水面下の愛を知った慶は、自分の全てに感謝した。


 半黒妖狐として生まれたからこその出会いと別れ、大きな経験と学びと愛を感じ、知ることが出来たのだ。人間として生まれただけでは、黒妖狐として生まれただけでは、知りえ感じ取れないもの達ばかりだ。


 慶はそんな自分と自分の生い立ち、今まで繋がった縁の全てに、深く深く感謝した。と同時に、自身の道を見つけるのだった──。