夏休みだからもっと人が少ないと思っていたけど、意外にも学校内にはそこそこの数の生徒がいた。うちの高校は部活動が盛んだからだろう。
 まあ部活も入っていないのに、家に居づらいからという理由でふらふら学校内をうろついているのは私くらいだろうな。
 まだ家には戻りたくないし、せっかくだから探検とかしちゃおうかな。一年以上通った学校だから大抵の場所は知ってるけど……
 あ、そういえば、屋上って入ったことないな。立ち入りは自由だって聞いたけど、高いところってなんとなく怖いし、そもそも階段上がるのが面倒だからって行ったことなかった。でも今はもう関係ないし、ちょっと行ってみようかな。
 うきうきと屋上に来て、おお、空が近い気がする……なんて思っていると、視界の端に子どもが見えた。
 え? と思ってそっちを見ると、フェンスをよじ登ろうとしている小学生くらいの子がいた。
 な、なんでうちの高校に小学生が? いやていうか、なに、しようと、してる、の? ま、まままさか、自殺?


「死ぬな! 若者!」


 聞こえないかも、なんて考える余裕もなく叫んでしまった。我ながらあまりにも劇っぽいというか台詞がかってるな……と言ってから気づいた。いや言葉を選ぶ余裕とかなかったので許してもらいたい。
 そして驚くことに、小学生らしきその子もちょっと驚いた顔をして素直にこちらを見ていた。おお、とちょっと感動しつつ私が近づくと、照れたように顔を背けられた。


「いや、別に死のうとしたわけじゃなくて」


 なんと、私の多大な勘違いだったらしい。申し訳なかった。めちゃくちゃ叫んでしまって恥ずかしい。


「あ、そ、そうだったんだ。ごめんね、早とちりしちゃって」

「ただ僕は、死ぬ一歩手前のところに行きたかったっていうか」

「いやそれもやばくない⁉︎ 死ぬ一歩手前はやばいって! もし間違って死んじゃったらどうするの!」


 それ結局飛び降りて死ぬ一歩手前のところに行くつもりだったことじゃん! いくら下に樹とか花壇があるって言っても、死ぬ可能性はある! すごくあるって!
 私が熱弁すると、その子はぽかんとした様子で私を見上げてきた。どこか大人びた雰囲気がある子だなと思っていたが、こんな顔をしているとやっぱり年相応に幼く見える。いや正確な年齢は知らないけど。


「それは考えてなかった……」

「おおお、止めてよかったあぁー!」


 考えてなかったのか、そうか、止めてよかった……目の前でフェンスよじ登って飛び降りられてたら、めちゃくちゃトラウマになるとこだよ。


「えーと、なんでそんなことしようとしたのか聞いていい? 待って、これデリケートなこと? 私だってなんでって詳しく聞かれたら答えにくいかもしれん。いやでも聞かなきゃアドバイスの一つもできないっていうか、いや私みたいな高校生からのアドバイスなんかなんの助けにもならない? カウンセラーを連れてくるべき? 待って、どうやって連れてくるの?」

「お姉さん、口から全部出る人なんですね」

「え、うそ。ほんと? うわ、恥ずかし。わ、忘れて?」


 忘れませんけど、としれりと言われて呻いてしまう。どうして私はもっとかっこよく対応ができないんだ。せっかくこうやって話してくれてるのに……


「……心配しないでください。ただ僕は、友だちがいなくて、それで」

「とっ、友だちがいなくても死ぬわけじゃないし! だ、大丈夫だよ!」

「え、いや、はい。わかってます」


 あ、わかってるのね、そっか、そうだよね。そもそも死ぬわけじゃないから死なないで! ってなんか文脈おかしいしね、うん、黙ります。


「友だちがいないことを母さんがすごく気にしてて……兄さんはたくさん友だちがいて、スポーツもできて、勉強はちょっと微妙だけど、すごく明るくて元気なのに、弟の僕は友だちの一人もいないでいつも暗くて独り言ばっかり言う可哀想な子だって……電話で誰かに相談してるのとか聞いちゃって。僕にも友だちできた? ってすごい聞いてくるし」

「え、ああ、つらいね、そりゃ。気まずいよ」

「そうなんです。別に毎日それなりに楽しく過ごしてるのに。でもなんていうか、僕だって友だちが欲しくないってわけじゃないんですよ? だけど……同級生には既にもう気味悪がられてるっていうか、ないものとして扱われてるっていうか、そんな感じで手遅れで」


 若干うつむきながら言われて、どう励ましたものかと考えるのに良い言葉ひとつ浮かんでこない。


「えと、気味悪がられるって、なんで」

「僕、霊感あるんで。できるだけバレないようにしてるんですけど、難しいっていうか。幽霊と人間の見分けあんまつかないんですよね。だからうっかり反応とかしちゃって不審がられて。で、気味の悪いやばいやつだと」

「うおう、思ったより深刻だったな。なるほど、見分けがつかない、なるほどね。確かにそうだわ。にしてもそれは困るね、うん。はじめましてー! 転校生? 仲良くしようねー! って話しかけたら幽霊で、え、なんかくそでか独り言喋ってね? って思われるってことだもんね?」


 くす、と笑われてしまう。私の馬鹿さがすごかったのかもしれないが、笑える余裕があるならよかった。


「えーと、で、聞いてもいいのかな。あのー、それでなんで死ぬ一歩手前まで行きたい、なんてことに?」

「……僕と見える世界が違うから、上手く友達になれないのかなと思って。だったら僕が合わせればいいのかなって。やっぱり同じ価値観だったり、同じものが見えてたり、そういう方が友達になりやすいかなって思いますし」

「な、なるほど?」


 わかったような、わからないような……と首を傾げていると伝わってないと察してくれたのか付け足してくれる。


「あ、死にかけた人が幽霊が視えるようになった、みたいな話を聞いたので逆もまた然りなのではないかと。なので物は試しだとこの学校に入らせてもらいました。うちの小学校は屋上が完全に閉鎖されてるので」

「あー、なるほど。それならわかる。屋上から飛び降りて死にかけて霊感のない自分になり友達を作るという作戦ね? 頭良いね〜! いや危ないから全然推奨しないけどもね?」


 よし、やってみなよ! なんて言えるはずもない。まあその辺はわかってくれたらしく「この方法はやめておきます」と言ってくれた。
 うん、一安心。私が帰ってから飛び降りられたらと思うとおちおち家にも帰れないからな。いやまだ気まずいから帰らないのだが。
 帰らない、というよりも、もう本当の意味では帰れない、という言う方が正しかったりするのかな。でもこの子はそうじゃないよね。歳上の人間として、少しでも帰りやすくしてあげたいな。


「君自身はさ、友達はできることなら欲しいけど、本当は死ぬような思いをしたくないんだよね?」

「そりゃ痛いのはできるだけ避けたいですよ。やむを得ないので我慢しようとしただけで」

「そうだよね、痛いのやだよね、私も嫌。経験から言わせてもらうと死ぬほど痛いのってまじで嫌だよ、やめておいた方がいい」


 それにね、と屈んで視線を合わせながら言う。


「違ったらごめん。君のお母さんのことよく知らないから、君から聞いたことでしか知らないから、違ったらごめんね。君のお母さんは心配性なんだよね。君に友達がいないことを心配して、色々声かけちゃうんだよね。君のことが好きなんだね」

「……たぶん、そう」

「そんなお母さんは、君が死にそうな思いをしたらきっともっと悲しむと思う」


 びっくりしたように目が丸くなる姿に微笑みかける。そうだよね、自分の母親が自分を亡くした時にどんな反応をするかなんて、考えたりしないよね。私もそうだった。


「君はさ、友達を作ってお母さんを安心させたかったんだよね。でもね、君が死にかけたら、お母さんは友達のことしつこく言うんじゃなかったって後悔すると思う。大怪我した君に縋り付いて泣くと思う。それに失敗してもし死んじゃったら、お母さんはきっともっともっと悲しむ。大事な子どもを亡くした親ってね、見てられないくらいなんだよ。家を飛び出しちゃうくらいに、悲しそうで見てらんない」


 考え込むようにうつむくのを見守りながらゆっくりと話しかける。


「君はさ、友達がいないで生活してるわけだけど、楽しいんだよね? それなりに楽しいってさっき言ってたもんね」

「……うん。図書室で本を読んだり、絵を描いたりとか、縄跳びも一人でしても楽しいし、最近家の近くにいる野良猫を見てるのも楽しいし、あと兄さんからサッカーボール借りて庭の壁に蹴るのも」


 そこまで話して気づいたように、そっか、と小さな声で言って顔を上げる。


「母さんにそう、言ってみればいいのかな」

「うん、言ってみようか」

「でも、それでも、わかってもらえなかったら」


 ぎゅ、と握られる手は不安だからだろう。その手を握って励ましてあげたくなる。触れないけど。


「こわいよね、でも大丈夫。私が背後から見ててあげる」

「ええ?」

「なんて言っても憑いていくよ、私は」


 はは、とちょっと愛想笑いっぽく笑ってくれた。ジョークが下手で申し訳ない。
 よし善は急げだ、と一緒に家へと向かった。割と私の家から近かった。まあ高校も近いしね。
 ただいま、と言うとすぐにぱたぱたと足音がして母親らしき人が出てきた。


「大樹、おかえり。遅かったね。どこかで遊んでたの?」

「あー、うん」

「お友達と?」


 ううん、と答えると心配そうな顔をしてから、気遣うように子どもの背中を優しく撫でている。


「おやつ食べる? 大輝の好きなビスケット買ってあるよ。ああでも、夕飯もうすぐだから」


 食べるならちょっとにしておいてね、と母親が言うのを見上げて「母さん」と呼びかけた。
 がんばれ、と私はぎゅっと拳を握って応援した。


「母さん、僕、全然可哀想じゃないからね」

「え?」

「友達がいなくて、可哀想な生活送ってるわけじゃないからね」


 びっくりしたように目を丸くしている。私は、よく言ったぞ! と飛び跳ねたい気持ちだった。


「楽しいよ、ちゃんと楽しい。母さんからはそう見えないかもだけど、ほんとにちゃんと楽しいから、そんなに心配しないで」

「大輝……」

「友達ができたらちゃんと僕から言うし、できなくても楽しいから」


 だから、その、ともごもごと下を向く子どもをじっと見つめて、そっと口を開いた。


「……そうよね。大輝、昔から一人で遊ぶのが得意だったもんね。お母さんが家事してる間、一人にしてもお絵描きしたり、パズルしたり、見えないお友達とお話したりしてたね。お兄ちゃんが小さい頃は泣いてお母さんのこと探してたから、最初びっくりしたなぁ」


 そうか、そうよね、と涙声で言って「大輝」と呼びながらぎゅっと抱きしめる。


「勝手に可哀想って決めつけてごめんね」


 泣きながら抱きしめている母親の姿を見て、おお、これは、わかってもらえたのでは⁉︎ と小躍りしていると、「ただいまー!」と言いながら中学生くらいの子が入ってきた。えーと、お兄ちゃんかな?


「え、どしたの⁉︎ なに泣いてんの⁉︎ なんかあった? 大輝が怪我でもした?」

「兄さん、おかえり。色々あったけど、僕は無傷」

「色々ってなんだよ! 怪我してないならいいけど! じゃあ、母さんがまた心配性しちゃった感じ? まあそれはいいけど、でも玄関はやめない? 中入ろうぜ」


 ほらほら、と言われて笑いながら涙を拭い「ほんとね」と立ち上がっている。


「あ、兄さん、またサッカーボール貸して。母さん、僕、ご飯まで庭で遊んでるから」

「おー、いいぞ。でも壁ばっかり相手してもつまんなくないか? 俺が一緒にやってやろうか?」

「いやそれは別にいい」

「そこはうんって言えよ!」


 笑いながら弟の頭をくしゃくしゃと撫でている。やめてよ、と言いながら笑ってる姿も、そんな子どもたちを見て笑っている母親も、今の私には眩しかった。
 あぁ、よかった。と泣きそうになった。泣けないけど。そういえば昔はすぐ涙が出る自分が嫌いだったけど、こうなるともっと泣いておけばよかったなって気分になる。
 人間なんて後悔ばかりだ。自分が母親とちゃんと向き合えなかったからって、こんなふうに無闇に背中を押したりしちゃって。


「お姉さん、ありがとう」


 サッカーボールを借りて庭に出てすぐそう言ってくれた。なるほど、私と話すために出てきてくれたのか。
 晴れ晴れしい笑顔を見て、こんなふうに笑ってくれるなら、私のお節介もそんなに悪いものじゃなかったかなと私まで笑顔になる。


「友達はできそうな時にゆっくり作ることにします。生き急がずに」

「そうそう、それがいいよ。そもそも友達って価値観とか違ってても全然できるからさ。まあそれでも、同じ目線で物事を見てくれる友達がいたら嬉しいよね。だからさ」


 背後から見守りながらずっと考えてたことを口にする。


「生まれ変わったら、私が霊感持ちとして生まれて、友達になってあげるよ」

「それは……割と気の長い話なのでは」

「大丈夫。大人になると年齢差とか割と誤差だから」


 って、前にテレビで二十歳離れた友達がいる人が言ってた。根拠は知らん。でも私たちなら二十も離れなくて済むからイージーだ、多分。


「僕の方が忘れてるかも」

「はは、なら私から友達になってって言うよ。大丈夫! 私、約束は破らないんだ」


 任せとけ、と言うと今度は愛想笑いじゃなくて笑ってくれた。


「じゃあ、僕とも約束して」

「うん、なに?」

「ちゃんと四十九日にはあっちに行かなきゃだめだよ」


 真剣な眼差しに「うん」と笑って頷いた。


「私も家に帰って、家族の顔を見てくるよ」


 じゃあね、と手を振って軽い足取りで家へと帰る。全く寂しいくらいさくさく歩けて困る。すぐ着いてしまう。見てられなくって家を飛び出したけど、でもやっぱりこのまま帰らずにあっちに行くのは嫌過ぎる。
 家に帰ると、相変わらず湿っぽくて暗かったけど、お母さんが目を赤くしながら揚げ物をしていた。
 うおぉ、やったー! 私の分ある? 無いかなぁ、残念! と思っていると、お母さんが私の写真の前に揚げたてのエビフライが乗ったお皿を置いてくれた。おぉ、あった!


「有紗はこれが好きだったもんね」

「……そうだよ、お母さんの作るエビフライ好きだった。ありがとね」


 涙を拭うお母さんに「泣かないで」と声をかける。届かないってわかってるけど。
 私、ちゃんと楽しいよ、楽しかったよ。ありがとう、お母さん。あっちに行くまでずっと言うからね、届かなくてもずっと。
 そう思っていると、お母さんがちょっとだけ笑った。ほんの少しは届いてるのかなって、また泣きそうになった。


***


 高校生になっても、時々生きてる人間と幽霊を間違える。今日もぶつかりそうになって「すみません」と謝ったら三日前に死んだ人だった。うっかりだ。
 そんな俺のことも「まだ眠いんだなー」と軽く流してくれる友達ができた。高校生になって席が隣だったことから仲良くなったやつだ。
 好きなものも価値観も見えてるものも違うけど、一緒にいると楽しいと思う。一人で本を読んだり、壁とサッカーしてるのと同じくらい。
 あの日、飛び降りなくてよかった。あのお姉さんに感謝しないと。生きてないのに、本当に生き生きした人だったな、嫌味ではなく。
 今頃、もう生まれ変わってるのかな……なんて、考えているとランドセル背負った一年生くらいの小さな子どもがおそらく幽霊だろうなと思わしき子どもに「あなた何小?」と話しかけているのを見つけた。視えてるのか、と少し驚く。


「その子は幽霊だよ」


 僕がそう声をかけると、くるりとこちらを振り返り大きな目をまんまるにして「しってる!」と答えた。知ってたのか、チャレンジャーだな。


「お兄ちゃんも、視えるの?」

「え、うん」

「すごぉい! 同じひと、初めて会った!」


 それは僕も、と答える前ににこにこと見上げられる。その笑顔はどこか見覚えがある気がした。


「わたしと友達になって!」


 その言葉にあのお姉さんを思い出す。ああ、お姉さんと会ってから、そういえばもう七年も経つ。すごいな、と笑ってしまうのを止められなかった。


「ほんとに約束破らないんだな」