神奏のフラグメンツ

「誰の想いも、無駄にはさせねぇぜ」
「奏多様は絶対に護るわ」

慧の確固たる決意に、観月は応えた。
奏多と結愛が十分な距離さえ取れば、慧と観月が懸念する要項が減る。
あとは全力で攻撃を叩き込むのみ――けれども致命状態には気をつけながら、慧達は猛威を振るった。

「さて、ここからが踏ん張りどころだ」

司を始め、『境界線機関』の者達も相応の覚悟を持って、この足止めを行っている。
その守りは固く、そう簡単には隙は見せない。
総力戦を仕掛ければ、十分に勝機はある。

「うわっ! ちょっと!」

アルリットは攻撃を放つために上空に浮上するものの、戦闘機の対空レーザーミサイルによって動きを阻害される。

「しっこいね」

戦車部隊には優勢だったアルリットも、上空からの高いステルス性能を誇る戦闘機の集中放火の前には身動きが取れなくなっていく。
そこから『境界線機関』の者達は怒濤の攻撃によって、『破滅の創世』の配下達の防御を崩しにかかった。

「もう引き時だね」

上空から戦場を俯瞰していたアルリットは引き際を見定める。
とはいうものの、やはり狙いは慧なのだろう。
慧を狙いに定めたアルリットは残像を残すほどの超加速で戦場を飛び回る。

「ケイ、その前に今度こそ確実に消滅させるよ!」
「ああ。来いよ、アルリット!」

慧は二丁拳銃を乱射し、銃弾をこれでもかと撃ち込んでいく。
荒れ狂う嵐の如き乱射は確実にアルリットの動きを妨げる。
それでも慧とアルリットの実力差は歴然だった。

「ちっ……」

慧が瞬く間に、アルリットとの距離が一瞬で縮まった。

「ケイ、これで終わりだよ!」

アルリットは慧を完全に消滅させるために膨大な力を解き放つ。
しかし――

「慧にーさん!」

そこに奏多の――『破滅の創世』の神の力を加味すれば、劣勢は優勢に変わる。
奏多は直撃する寸前、慧の前に立つとその強撃を片手でいとも容易く弾いたのだ。

「奏多、助かったぜ」

安堵の表情を浮かべた慧は感謝の念を奏多に伝える。

「『破滅の創世』様……」

そう告げるアルリットは明確なる殺意を慧達に向けていた。

「『破滅の創世』様を惑わすこの世界。この世界にもたらされるべきは粛清だよ」

アルリットの胸から湧き上がってくるのは鋭く尖った憤り。
そして――

「あたしはね……叶えたいことがあるの。でも、それは『破滅の創世』様の記憶が戻らないと絶対に叶わない願いだから」

たった一つの想い。
何もかもを取り戻せるなら、アルリットはあの頃の『破滅の創世』を取り戻したいと願っていた。

「我が主、次こそは必ず……!」

かっての『破滅の創世』の姿が、リディアの脳裏をよぎる。
リディアにとっての正義とは即ち『破滅の創世』の言葉の完遂である。
その想いを、何時の日か結実させることだけを己に誓って。

「神よ、しばしお待ちを……」

ヒュムノスは奏多の姿を――今の『破滅の創世』の姿をその眸に焼きつけた。
神命の定めを受けて生を受けた『破滅の創世』の配下達にとって、『破滅の創世』は絶対者だ。
それと同時に何を引き換えにしても守り抜きたい存在だった。
「『破滅の創世』様、待っていてね。あたし達、『破滅の創世』様のために必ずカードを手に入れるよ」

アルリットは『破滅の創世』の言葉の完遂のためにただ、狂おしく誓う。
同時にそれは彼女達、『破滅の創世』の配下達が不退転の反撃を示す最大の難所であることを意味している。

「……他の神様も『破滅の創世』様の帰りを待っているよ」

神の御威光の下。
奏多には決して届かなかった声だけが、アルリットの胸の中で反響していた。





「万死の中に生を拾ったのか」

激しい戦いだった。
どの瞬間に命を落としてもおかしくはなかった。
生き残らなくてはならないという使命感で突き動かされた足は、しかし、根源的な死の恐怖を思い返し、生き延びた者達から力を奪い去る。
立てない、今はきっと暫くは……。

「『破滅の創世』様の記憶のカードはこの近くにあるはずだ。まぁ、今はここから離れようぜ」
「そうだな」

慧と司はアルリット達が去った夜空を仰ぐ。
生き延びさえすれば、再び打ち合う機会は巡ってくる。
今は無理をせずに安全を優先しようと告げるものであった。

「……何だろ」

奏多は油断すれば湧き上がる想いを前にして俯く。
何故か、その想いを自覚したくはなかった。
その感情を認めたくはなかった。
言葉にしてしまえば、きっともうどうしようもなくなる。
喉の奥に膨れ上がる想いを決して言葉にするまいと無理矢理に呑み込もうとしたが――

「……辛い」

できなかった。
吐き出してしまった言葉に、奏多は途方に暮れる。

どうしてだろ……。

響く。奏多の頭の中でずっと響いている。辛いと。
アルリット達が去ってからも。
『破滅の創世』であるはずなのに、『破滅の創世』の配下達と分かり合えない。
奏多とアルリット達を隔てる、たった一つの最も重要で決定的な要素。
それは――その要素はきっと……。

「奏多くん……?」
「あ……」

戸惑いを滲ませた結愛の声が、忘我の域に達しかけた奏多を現実に引き戻す。

「……いや、何でもない」

奏多はその思考を振り払うように頭を振る。

「結愛、俺達もみんなのお手伝いをしよう!」
「はい、奏多くん」

戦いが帰結した今、奏多と結愛はこれから行うことを確かめ合う。

『破滅の創世』の配下達との戦いは決着を見せる。

それでもまだ、大地は荒れていて、激しい戦いの残り香を漂わせていた。
しかし、観月の表情はいまだ晴れない。

「『破滅の創世』の配下達は去ったけど……油断はできないわね」

観月の胸中に言い知れない不安が蘇ったからだ。

「一族の上層部が私達に何も仕掛けてこないとは限らないわ」

観月は周囲への警戒を強める。
監視カメラがない今は一族の上層部の裏をかくことができる状況。
とはいえ、流石にその時間も有限であり、いずれは彼らの監視によって目的の遂行は阻まれてしまうだろう。
それに観月は一族の上層部に逆らうことができない理由がある。

「まぁ、俺と観月をこの任務に当たらせたのも、俺達が一族の上層部に逆らえねぇことを踏まえてのことだろうしな」
「『破滅の創世』様の記憶のカードを確保するための一番の障害は私達かもしれないわね」

それはただ事実を述べただけ。だからこそ、余計に慧と観月は自身の置かれた状況に打ちのめされる。

神の力を行使できる今の奏多が完全に『破滅の創世』の記憶を取り戻そうとする可能性よりも、実際は一族の上層部が彼らを脅すためにそれを盾にしてくる可能性の方が高かった。
慧を蘇えらせて不死者にして利用したのは誰なのかは判明していない。
観月は一族の上層部に逆らうことができない理由がある。
そして、一族の上層部の企みもいまだ不明のまま――。
それらの問題を解消する手立てはあるものの、まだ必要な戦力を見込めていない。

「『破滅の創世』様の記憶のカードの捜索は司達に任せようぜ。利用されかねない俺達はこのまま奏多達の警護だ」
「……そうね」

慧の言葉は、観月の瞳を揺らがせるのに十分すぎた。
そこに結愛と奏多が躊躇うようにいそいそと近づいてくる。

「お姉ちゃん、あの……その……」

上目遣いに窺うような結愛の声音。観月は不思議そうに目を瞬く。

「ごめんなさい! いっぱい、ごめんなさい!」
「結愛……」

結愛の突然の深罪に、観月は呆気に取られる。

「私、お姉ちゃんが一族の上層部さんに逆らうことができないの、ずっと前から知っていました。辛い気持ちを抱えていたことも……。でも、私は怖くて……目を背けちゃって……」

結愛は幼い頃、臆病者だった。観月に手を引いて貰わねば、歩き出せないほどの怖がりで。
自分のことだけで精一杯で、此ノ里家の呪いに囚われている観月に救いの手を差し伸べる勇気もなかった。

「でもでも、奏多くんと出逢って、私の世界は変わりました。奏多くんが傍にいるだけで、いっぱいいっぱい勇気が湧いてきます」

奏多と出逢い、そこで生まれた数えきれない感情。
だからこそ、結愛は今まで目を背けていた現状に向き合うことができる。

「奏多くんに出逢ってから今日まで……たくさんの勇気を奏多くんからもらいました。だから、大丈夫です」

観月に向ける結愛のまっすぐな瞳は変わらない。紛(まご)うなき本音を晒しているのが窺えた。

「お姉ちゃんが困っていること、私と奏多くんにも教えてください」
「お願いします」

結愛と奏多のささやかな願いは、観月の心の安寧を望んでいる。
しかし、観月の表情は暗い。

「結愛、奏多様、ありがとう……。でも……」

その時、今まで黙っていた司が我慢ならないと声を上げた。

「本当は助けてほしいんだろう。助けてほしいならちゃんと伝えろ!」

この期に及んで本音を隠そうとする観月を叱り飛ばす。

「たとえ、おまえと慧が一族の上層部に利用されてもな。俺は仲間を見捨てる気はないぜ」

それは司が示した確かな信念だった。
悪意に晒されながらも、それでも乗り越えて進むしかない……と言うように。

「…………馬鹿ね」

戦場に訪れた穏やかな時間は、痛ましい傷を隠しているかのようだった。
吹く夜風に煽られて、観月は目を伏せる。

「本当に、私は馬鹿なんだから。信じるって言ったばかりなのに、すぐに迷って……」

連綿と積み重ねられた一族の罪。
真実を露見することで、観月だけではなく、結愛にも重い荷物を背負わせてしまうことになる。
そして、少なくともこの場にいる奏多達をかなりの危険に晒すことになりかねない。
しかし、世界に生じる禍根を断つためには何らかの変化が必要だった。
「結愛、奏多様、聞いてほしいことがあるの」

観月は奏多達に全てを話す覚悟を決める。

「一族の者のうち、記憶を封印する力を持つ私達、此ノ里家の者達が主体となって奏多様の神としての記憶を封じ込めたのは知っているわよね」
「はい……」
「はい、お姉ちゃん」

観月の説明に、奏多と結愛は唇を引き結ぶ。
いつも観月に手を引いて貰わねば、歩き出せないほどの怖がりだった妹は奏多とともにしっかりと前を向いている。
今なら結愛に届くだろうか。
この想いがどうか届いてほしいと祈りながら、観月は話を続けた。

「でも、数多の世界を管理する『破滅の創世』様の記憶を完全には封じ切ることはできなかったの。だから、一族の上層部は奏多様の神としての記憶が蘇る度に、私達、此ノ里家の者に封印を施すように迫ったわ」

あの瞬間に覚えた恐怖を、観月はきっとずっと忘れないことだろう。

「私達の大切な人を人質にして……」

死の恐怖が観月を掴んで離さない。
あの日から観月は怯えていた。
大切な人を失う恐怖を。
大切な人から向けられる憎しみの瞳と向き合う恐怖を。

「結愛、奏多様。お願い……助けてほしいの……」

助けを求める。
それを口にすることは、どこまでも簡単なようで、かなりの重責を担うことであるように観月には思えた。

「一族の上層部は『破滅の創世』様の神としての権能の一つである『神の加護』を有しているわ」

観月は一つ一つを噛みしめるように口にしてから視線を上げる。
どこまでも続くような漆黒の空は思わず引き込まれそうになるほど、星の光に満ちていた。

「神のごとき強制的な支配力。それは天災さえも支配し、それを利用することができるわ。そして、一族の上層部をよく思っていなかった者達さえも、彼らに協力してしまうほどの力なの」
「ある意味、洗脳に近い力だな」

観月の説明を慧が補足する。

「一族の上層部が有している神の加護は同じ一族の者には効果は及ばないけど、それ以外の者は影響を受けてしまうわ」

穏やかな静寂に一石を投じるように夜風が吹く。
握った両手に、観月は恐れるような想いとともに、求めるような気持ちを込め、そっと力を込めた。

「お願い……まどかを助けて……」

観月は頭を下げて乞う。

「私の大切な親友が、一族の上層部の有する神の加護の力によって……洗脳されているの」

観月は静かに語る。
いつかの日、妹に話すことができなかった過去を。
そして――

『観月ちゃん』

大切な親友が一族の上層部の支配下に置かれて、常に服従を強いられていることを。
観月の胸を打つのは在りし日の光景。
あの日まで……観月は毎日が楽しくて仕方なかった。
霞む記憶の中、よぎるのはまどかの明るい笑顔。
彼女の亜麻色の髪が風で揺らぐ様さえも愛おしい。
大切な親友と過ごした記憶はいまだ、残酷なほど鮮明だった。

「まどか!」
「観月ちゃん、こっちこっち!」

観月とまどかは家が近くて仲良しだった。何処に行くにしても、何をするにしても一緒。
お互いに将来を、夢を、理想を語り合った親友だった。

「早く行こ行こ!」

まどかは満面の笑みではしゃぎ回りながら、そこら中をきょろきょろと見回す。

「もう、すぐに先走るんだから……」

人ごみをかき分けるようにして、観月はまどかの背中を追いかける。
出会いはほんの些細なことで、そんな出会いが歪みを生んで、観月とまどかの人生の歯車は動き出す。
それはきっとどこにでもある、ありふれた話……のはずだった。

あの運命の日までは――。

観月が目を閉じると、守る殻が曖昧になった意識にあの日の悪夢がにじり寄ってくる気配を感じる。

それは悪夢だと思いたい、現実だった。

かって一族の上層部は一つの計画を立てた。
三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』の力を手中に収めるという遠大な計画を。
矜持が狂気を呼び、その執念はやがて実を結んだ。
彼らは数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を手に入れることに成功する。

神の魂の具現として生を受けた奏多。

これにより、一族の上層部はおおよそ昔からは想像つかないような絶大な力を獲得していた。

無限の力を持つ神の加護。
そう――神のごとき強制的な支配力を。

狂気じみたそれはもはや集団洗脳に等しい。
無限の力を持つ神の加護を得る方法、数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を手中に収める方法の確立は一族の上層部からすれば『悲願』と言えた。
だからこそ――

「記憶を封印する力を持つ私達、此ノ里家の者達が一族の上層部に逆らうことができないように、私達の大切な人達の魂を支配して脅迫してきたの」

その時、一族の上層部から受けた仕打ち。
それはあまりにも痛々しく、今も観月を苦しめ続けている。

『観月ちゃん、一族の上層部の人達に逆らうんだね!』

目を閉じる度に思い出すまどかの憎しみの瞳が、観月の心を抉る。

『なら、一族の上層部の人達に逆らえないことを完膚なきまでに教えてあげるんだから!』
『まどか、なんで……』

向けられる感情も、まどかが喉を枯らして叫んだ言葉も一族の上層部の神の加護による洗脳だと分かっているのに。
その事実は鋭利で、観月の心をいとも簡単に切り裂く。

『もう戻れないんだよ、観月ちゃん。私達はもう……!』

涙で声を枯らし、絶望に打ちひしがれたまどかの、その時の泣き顔が忘れられない。
親友が何処か遠くに手の届かない場所に行った――そんな悪夢だと思いたい現実が観月をずっと苦しめていた。
「……まどかお姉ちゃんが」
「……神の加護による洗脳を受けている」

思わぬ事実を前にして、結愛と奏多は言葉が出なかった。

「それって、俺の神の力が悪用されているんだな」

特に奏多は動揺して身動きが取れずにいた。

神の魂の具現として生を受けたこと。

尋常ならざる力を持つことは同時に尋常ならぬ運命を背負うことになるのだと、奏多は身を持って知ってしまったから。
今はこの状況をどうするべきか考えている最中なのだろう。

「結愛、奏多様……」

観月は心配そうに奏多と結愛の悲しげな瞳を見つめる。
この戦場で(もたら)された事実は、それほどまでに奏多達の心を抉るものだったのだろう。
迷い、悩み、悔やみ。前を向いて歩いて行く姿を見たばかりだったのに。
このまま立ち止まってしまうのではないかと不安にさせられる。
だが――次に結愛が放った言葉は、観月の予想だにしないものだった。

「お姉ちゃん、大丈夫ですよ」
「な、なにがだよ……」

導くような結愛の優しい声音。隣に立っていた奏多は事態を飲み込めないように頭を振る。

「私達が『破滅の創世』様の記憶のカードを手に入れたら、一族の上層部さんはきっと神の加護を容易に行使できなくなりますから」
「結愛……」

観月に向ける結愛のまっすぐな瞳は変わらない。いつだって紛うなき本音を晒しているのが窺えた。

「そうであってほしいなぁっていう、私の願望も含まれているんですけども……」

諦めているくせに、どこかで信じて、それに縋っている。
そんな心を結愛は身を持ってよく知っていた。

「でも、お姉ちゃん、安心してください。大丈夫です」

結愛は一度だけ目を伏せ、そしてまた観月をまっすぐに見つめた。

「私達が『破滅の創世』様の記憶のカードを手に入れたら、一族の上層部さんはきっと神の加護を容易に行使できなくなります。それに『破滅の創世』様の記憶を取り戻した奏多くんとも分かち合えます」

この言葉が、観月が自由へと羽ばたくその一助となることを結愛は切に願う。
それがいつになるか分からなくても、遠い遠い先の話であっても。
いつか近い未来、観月とまどかが元気に笑い合う姿を想い浮かべながら。

「何故なら予感があるのです。神様の記憶が戻っている時の……超絶レアな奏多くんのピアノの演奏を聞いた時のような予感です。だから、お姉ちゃん、心配しないでくださいね」
「結愛、ありがとう……」

結愛の宣言に、観月の心の奥底から熱が溢れる。
感情が震えて熱い涙が止まらない。

「たとえが結愛らしいな」
「えへへ……奏多くんが奏でる演奏、最高です」

奏多の穏やかな声音に、結愛の心は勇気づけられた。
それだけ結愛にとっても思い入れが強いということなのだろう。
あの日、音楽室で、奏多が数多の世界を想いながら弾いたピアノの演奏は。
「まぁ、そういうことだ。観月、俺達の目的を果たすためにも……力を貸してくれ!」

慧は強い瞳で観月を見据える。
それは深い絶望に塗れながらも前に進む決意を湛えた眸だった。
一族の上層部の策謀。何一つ連中の思いどおりなど、させてやるものかと。

「ええ……もちろんよ……」

他に言葉は不要とばかりに、観月は優しい表情を浮かべていた。
二人の誓いはたった一つ。
奏多と結愛を護るためにこの状況を打開すること――一族の上層部の野望を(くじ)くために絶望の未来になる連鎖を断ち切ることだ。

「決められた運命なんかに絶対に負けたくないもの!」

観月の覚悟が決まる。

ここにいるみんなで神の加護に本気で抗う。
そして、『破滅の創世』の神意に立ち向かう。

観月は信じている。奇跡が起こることを。
奏多達が定められた運命を壊してくれることを。

「たとえ、まどかが立ち塞がってきても、私達は『破滅の創世』様の記憶のカードを手に入れてみせる……」

問題があるとすれば、どうしてもできるだけまどかを傷つけたくないという観月の心が働いてしまうことだろうか。
それでも操られている状態から一手でも早く、彼女を取り戻さねばならない。

「――全力でまどかを止めてみせるわ!」

拳を握り締めた観月は手加減はしないと意を決する。

「……奏多が今も神の力を行使できている。『破滅の創世』様の『記憶のカード』が、この近くにあるのは間違いないからな」

慧は奏多の様子からそう結論づけた。
それを知ることができたのはまだ捕えられたままのまどかと対峙した時の貴重なアドバンテージとなる。
神の加護を妨害することで彼女の戒めを解き放つ選択を最初から取れるのだから。

「司達が今、この付近を捜索している。ただ、手がかりは掴めていないみたいだな」
「大丈夫です! 大丈夫ですよ! きっと見つかります!」

結愛が先を促すように言葉を重ねたのは、カードの在処(ありか)を求めたからではない。
奏多と観月がどこか不安そうな表情を浮かべていたためである。

「ほらほら、私の予感は当たるんです。だから大丈夫です!」
「……っ」

それでも表情を雲らせている奏多に、結愛は思いの丈をぶつけた。

「私はどんな奏多くんでも大好きですよ」

結愛は想いが色褪せないように改めて告白する。
形に残るものが全てじゃないと知っているから。
そして、『破滅の創世』の記憶がある時の奏多も『奏多』だと気づけたから。

「奏多くんの幸せが私の幸せです。だから、私にも奏多くんと同じ光景を――明日を見させてください」

結愛はいつもいつも願う。
ずっと、奏多の傍に居させてほしいと。
どうかこの命に奇跡の灯を。

「あと、あの……できれば、ずっと一緒にいるだけではなくて」
「結愛?」

それを願うのは欲張りだと思いながらも、結愛には離れがたい気持ちだけが増していく。

「奏多くんのお嫁さんになりたいです!」
「……っ」

結愛が覚悟を決めて、奏多を切望する。
その独占じみた想いに、奏多の胸が強く脈打った。
「……お嫁さん!?」

結愛の爆弾発言に、奏多は虚を突かれた。

「本当の本気の本物の最大級の願い事です!」
「ゆ……結愛……」

そう意気込んだ結愛と戸惑う奏多の視線が再び、交差する。
全てを包み込むような温かな光景は、張り詰めていた観月の心を優しく解きほぐす。

――そう、きっと。
ここからが『私達』の第一歩。

だから、続く言葉は決まっていた。

「結愛、あなたならきっと大丈夫。どんな苦難も乗り越えていけるわ」

幼い頃、世界のあらゆることに怯えていた妹は、今ではいつだって勢いで奏多のもとに走って行く。
躊躇うことだって知らない彼女はまっすぐに生きているのだ。
だからこそ、観月が心配になることは多い。

「でもね、結婚はまだ早いわよ」
「ううぅ……厳しいです」

観月の説明に、結愛はしょんぼりと意気消沈する。
奏多と結愛はともに13歳。
結婚可能年齢にはまだ遠い。

「結愛、奏多様に想いが届くことを応援しているからね」

観月は今はそれでいいと噛みしめながら、穏やかに微笑んだ。
どんなに小さな可能性だって掴んでみせるから。
だから、奏多とともに共に生きる道を選んでほしい。
それが観月(あね)の心からの願い事だった。

「あの、あの、あのですね」
「結愛……?」

その時、結愛が真剣な眼差しで奏多のもとににじり寄ってくる。
そして、顔を上げて願うように言葉を重ねた。

「……奏多くん、これからも好きでいてくれますか? もし、神様の記憶を完全に取り戻したとしても……あの、あの、私のこと、好きでいてくれますか?」
「当たり前だろ」

奏多が発した言葉の意味を理解した瞬間、結愛の顔は火が点いたように熱くなった。

「はううっ。……もう一回、もう一回!」

妙な声を上げながら、身をよじった結愛が催促する。

「今のって、当たり前だろ、ってやつか……」
「うわああ、すごい……幸せです……。も、もう一回!」
「当たり前だろ」
「きゃーっ」

張り詰めていた場の空気が温まる。
この瞳に映る花咲く結愛の笑顔が春の温もりのように感じられて。
奏多は強張っていた表情を緩ませた。

「つーか、このやり取り、いつまでも続きそうだな」
「結愛のことだから、いつまでも続くと思うわ」

やがて、空の向こうが月明かりに包まれていく。
満ちていく世界の中で、慧と観月は弟と妹が紡ぐ温かな光景を見守っていた。

奏多と結愛が抱く永久の想い。
その安らぎが、少しでも永くあることを願って。
この一帯を見舞った喧噪も鳴りを潜め、今は復旧への作業が行われている。
嵐が過ぎ去れば、風の気配はなく、戦いが過ぎ去れば、熱さを感じることもない。
ただ、言葉にもできぬ喪失感だけは胸に抱く者が多く居ただろう。

『ああ。こちらも『破滅の創世』の配下達は全員、撤退している』

慧は通信機を用いて、アルリット達によって別の場所に転移させられていた浅湖家の者達と連絡を取り合っていた。

「慧、観月、遅くなってしまってすまない」

そこにカードの捜索を終えた司達『境界線機関』の者達が戻ってきた。

「観月、元気が出たみたいだな」
「……ええ」

司の言葉に、観月は胸に手を当てて穏やかな声音でそう言った。

「……結愛と奏多様のおかげよ」

そう告げた観月の表情はまるで蕾が花開くように確固たる意志を表しているかのようだった。
改めて表情を引きしめた司は本題に入る。

「……『破滅の創世』様の記憶のカードの在処が判明した」
「俺の神としての記憶が封印されたカード……」

司の報告は、奏多の瞳を揺らがせるのに十分すぎた。

「ただ、所持している相手が問題だ。一族の上層部の一人、冬城(ふゆき)聖花(きよか)、そして萩野(はぎの)まどかだ」
「まどかがカードを所持しているの……!」

次に司が放った言葉は、観月の予想だにしないものだった。
思わず唇が震える。ずきり、と頭が痛んだ。

『もう戻れないんだよ、観月ちゃん。私達はもう……!』

その在りし日のまどかの声が脳をよぎった。
まどかは意思を奪われ、ただ此ノ里家の者である観月の人質としての役割を果たす基幹的存在。
身を苛むそれが『まどか』と出会うことを拒絶しているようだった。

「お姉ちゃん……」
「大丈夫よ、結愛」

観月は一度だけ目を伏せ、そしてまた結愛をまっすぐに見つめる。

「――たとえ、まどかが行く手を遮ってきても、私達は必ず『破滅の創世』様の記憶のカードを手に入れてみせる……」

拳を握り締めた観月は手加減はしないと意を決する。
この決意が仲間の支えとなる呼び水となるように。

「全力でまどかを止めてみせるわ!」

観月は瞳に強い意思を宿した。

――過ぎゆく過去の親友に伝えたい言葉がある。
ありがとう、それから『待っていて』。
必ず助けるから――。

まどかが立ち塞がっても、屈することなく戦場に立ち続けること。
それが観月の戦いであった。






薄暗い小部屋の中で、少女は静かに笑っていた。
銀髪と紫眼の少女。
彼女の座る椅子の脇に設けられた映像機器には奏多達の様子が映し出されている。

「ああ、観月ちゃん……久しぶりだね」

壁際に侍っていた少女――萩野まどかは観月の姿を見て満足げに微笑んだ。

「ごめんね。観月ちゃんに恨みはないの。でも……どうしても『破滅の創世』様の記憶のカードは渡せないの。だからね、一族の上層部の人達に逆らえないことを完膚なきまでに教えてあげるんだから」

口から出たのは、かってのまどかからは想像もできない悪意の籠った言葉だった。

「『破滅の創世』様の記憶のカードはここにあるわ……」

銀髪の少女は――一族の上層部の一人、冬城聖花はそっと手を伸ばして愛しそうに映像機器に触れる。

「でも、私が所持している限り、それをあなた達が手にすることはないの」

窓から月明かりが射し込む中、聖花は謳うように囁いた。