うううっ……怖い、怖いよぉ……。
でも……。
結愛は怯えつつも、奏多の顔をその眸に焼きつける。
奏多の優しい言葉が、結愛と呼んだその声が、目が合えば笑ったその笑顔が、今日は見ることはできない。
神と人間は根源的に繋がらない。
不可視の関係性。
それでも――
「奏多くん……。私……奏多くんのあの演奏から私達と同じ人の心を感じたんです」
今までの出来事を通じて、結愛の中に生じた躊躇い。
時を忘れ、我を忘れ、全てを省みずに一心に突き進む。
それは人も神も同じなのかもしれないと――。
「人の心なんて知らなければよかった。知りたくなんてなかった」
「そ、そんな言い方ぁ、卑怯ですよぉ、奏多くん」
裏を知れば、同じ事象でも見方が変わる。
見方が変われば、怖かった世界も変わる。
「私はどんな奏多くんでも大好きですよ」
聖なる演奏の後ならば、ほんの少しだけ太陽に近づいてもいいだろうか。
その手を追いかけても構わないのだろうか。
また置いて行かれてしまったら、そんな囁きが結愛の胸を締めつける。
「だから、私にも奏多くんと同じ光景を――明日を見させてください」
伸ばし掛けた指先に冷たい孤独の破片が舞い降りて、結愛は独り残される恐怖を思い出した。
温かさの後の寒さは、怖くて辛くて、きっと耐えられないから。
ずっと、奏多の傍に居させてほしい。どうかこの命に奇跡の光を。
「ダメだったって言われても、私はずっと奏多くんの傍にいたいです」
奏多と歩む未来が見たいから。その平穏が欲しい。
それがいつになるか分からなくても、遠い遠い先の話であっても。
それをよすがに生きていくことが出来るから。
だから信じたい。奏多と結愛が出会ったのは悲劇ではなく、奇跡の始まりなのだと。
『破滅の創世』の配下であるリディアが『破滅の創世』である奏多を狙う、当然の帰結だ。
しかし想定外を前提に動く一族の者達と、狙い通りに立ち回るリディア達では行動の精度が違う。
動線の差は明らかだった
「今回、わたし達が遂行することは一族の者達が匿っている『破滅の創世』様の『記憶のカード』の確保だ。戯れ言を聞くことではない!」
一族の者のうち、記憶を封印する力を持つ此ノ里家の者達が主体となって奏多の神としての記憶を封じ込めた。
結愛は此ノ里家の者の一人であり、『破滅の創世』である奏多に想いを寄せている。それだけでリディアが敵と断ずるには十分すぎた。
「戯れ言じゃないですよ! 本当の本気の本物です!」
そう意気込んだ結愛とリディアの視線が再び交差する。
「好きな人ができるっていいですね。世界が変わるんです。戦うことが怖くても、奏多くんが傍にいるだけで勇気が湧いてきます!」
奏多の傍にいるだけで甘く優しい幸福に満たされる。
ふわりと色とりどりの色彩が結愛の胸中を包み込む。
「一族の者が『破滅の創世』様にそのような感情を抱くなど、愚かだ。無為だと知れ!!」
連綿の攻防の最中、リディアが宙に顕現させた数多の光の槍を投擲する。
『破滅の創世』が定めし世界を歪めた一族の者達に天罰を与えて、『破滅の創世』の意志を遂行する。
この世界の淀んだ流れを正すべく天に還すために――。
この強靭な猛撃をまともに浴びれば、結愛は瞬時に消滅してしまうだろう。
だが――無数の光の槍が結愛に突き刺さる前に、その間にまばゆい閃光がほとぼしる。
「そうはさせるかよ!」
奏多が事前に、不可視のピアノの鍵盤のようなものを宙に顕現させて鍵盤を弾いていたのだ。
青い光からなるのは音色の堅牢堅固な盾。その彼なりの極致は光の槍を弾いていく。
「続けて行きますよ! 降り注ぐは氷の裁き……!!」
氷塊の連射が織り成したところで、結愛は渾身の反攻を叩き込む。瞬時に氷気が爆発的な力とともに炸裂した。
「大丈夫か、結愛」
「はい、奏多くん」
奏多と結愛は会話を交わすことで、感謝の念と次なる連携を察し合う。
「『破滅の創世』様……」
リディアは攻撃を防がれたことよりも、奏多が結愛を救うために割って入ったことに動揺していた。
「どうして……どうして……その人間を庇うんだ……? その人間は『破滅の創世』様の記憶を封印した一族の者だ」
「……っ」
そう吐露したリディアの瞳と奏多の瞳が重なる。その瞬間、奏多の胸が苦しくて息苦しくなる。
リディアの瞳はあまりにも深く、吸い込まれそうだったからだ。
「本当は言いたいことがあるはずだ。卑劣な手段によって人の器に封じ込められ、神の魂の具現としてありえざる形の生を受けてしまったことへの怒りや恨みをその神魂に溜め込んでいるのだろう」
リディアが発した発露は奏多の神意を確かめるような物言いだった。
「俺が言いたいこと……」
その申し出に即座に対応するのは、今の奏多には酷な要求であった。
しかし、不意に頬が冷たいような気がして、奏多は手を当てて見る。すると何故か、しっとり濡れていた。
俺、何で泣いているんだ……?
怪訝に思う心とは裏腹に、奏多は言葉を吐き出す。それは神託とも取れるものだった。
「罪代を払え。愚者の理解はいらぬ。ただ現実を示すのみ」
口にしたそれは自分が発したとは思えない無機質な、しかし懐かしさを感じさせる声だった。
三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』は創造物の反抗を絶対に許しはしない。
弁解も反論も必要ない。故に人々は諾々としてそれを受け入れるしかない。
だからこそ、奏多はこの世界全てにあまねく終焉を告げようとして――。
「奏多くん……?」
「あ……」
戸惑いを滲ませた結愛の声が、忘我の域に達しかけた奏多を現実に引き戻す。
「ゆ……結愛……」
その瞬間、様々な負の感情が押し寄せてくるようで――奏多は頭を押さえて膝をつく。
「はううっ。……か、奏多くん、大丈夫ですか?」
そんな奏多の様子を見て、駆け寄った結愛は顔を青ざめる。
奏多の突然の異変、そして先程の奏多の物言いが、まるで大きな意思――神の裁きによって下される罰のように聞こえたからだ。
しかし、結愛が生じた不安とは裏腹に、リディアは息を呑み、短い沈黙を挟んでから宣言する。
「御意のままに。一族の者には相応の報いを受けてもらうだけだ」
リディアは我が意を得たとばかりに微笑んだ。
奏多が『破滅の創世』だと確証を得られたことも大きかったかもしれない。
リディアにとっての正義とは即ち『破滅の創世』の言葉の完遂である。
その想いを、何時の日か結実させることだけを己に誓って。
立ち上がったリディアはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。
「――きゃっ!」
たったそれだけの動作で、リディアは結愛とその周囲にいた一族の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさは結愛達がうめき、身動きが取れなくなるほどだ。
衝撃の反動で、結愛の所持していたカードが周囲に散在する。
「このカードも違うか。アルリット、『破滅の創世』様の記憶のカードはこの人間も持っていない」
カードを拾い上げたリディアはそれが目的のカードではないことに表情を歪ませた。そして、別の場所で戦闘を繰り広げているアルリットへと目を向ける。
「そっか。リディア、ちょっと待って、もう一つ遂行しなきゃならないことがあるから」
そう言うアルリットは目的のカードがなかったことに落胆していない。
むしろ、『破滅の創世』である奏多の神命をリディアとともに直々に聞けたことが喜ばしいとばかりに笑んでいる。
奏多が示した悲憤の神命。それは絶対に成し遂げなくてはならない。
「『破滅の創世』様は相変わらずご立腹だな。まぁ、神のご意思はそう簡単には変わらんか」
「……そうね」
身に覚えのあるその――奏多の神意は、もうずっと前から下されていた過去からの警鐘。
それでもアルリットと相対していた慧と観月はやりきれない思いを強く匂わせていた。
「奏多様がいるとはいえ、持ちこたえるだけで精一杯だな」
学園の教師達が抱いていた危惧は現実のものとなった。
倒しても倒しても神獣達は再生を遂げ、何度でも襲いかかってくる。
その圧倒な物量に押されて、それぞれが分断されたまま、合流して戦えないのだ。
まさに抵抗する術がない以上、どうにも手の打ちようがなかった。
他の場所でも戦闘が行われているのか、助勢は見込めそうもない。
リディアとアルリットがこの場を去らない限り、この悪夢のような大攻勢は途切れることはなかった。
「結愛……」
観月は倒れている妹の身を案ずる。
結愛はぐったりとして動かない。彼女の傍には奏多がいた。
神と人間は根源的に繋がらない。
不可視の関係性。
それでも――結愛は奏多と歩む未来を夢想している。
人間と神を阻む壁はあまりにも高く硬い。
でも、共に進むことくらいは出来るのかもしれないと結愛は信じて。
求めて。求めて。求めた先。
どんなに足掻いても報われずに終わる可能性もある。
けれど、それと同じだけ希望もあるはずだ。
奏多と結愛が結ばれる。
そんな未来だって無限の可能性の中には存在する。
『お姉ちゃん、好きな人ができました。奏多くんです』
花が咲き零れるような結愛の笑顔。
そう――観月は知っている。
この世界の未来は人と、人の想いの行く末の先にあることを――。
「結愛、あなたならきっと大丈夫」
観月の横顔は強い哀感に満ちてはいたけれど、その眼差しはまっすぐに逃げる事なく現実を見つめているようだった。
「だからお願い。奏多様とともに生きることを諦めないで」
神の魂の具現としてあり得ない生を受けた奏多。一族の誰かが悔いたところで、過ぎた過去は決してやり直せない。
この世界はやがて、無慈悲な神々の怒りを受けて砂上の楼閣のごとく崩れ去るかもしれない。
『罪代を払え。愚者の理解はいらぬ。ただ現実を示すのみ』
恐らく、先程語った奏多の――『破滅の創世』の言葉は本心だろう。
ましてやそれが延々と折り重ねった憎しみに起因するものであるならば、尚更だ。
「だが、それでもさ……」
慧は守りきれるはずだと信じている。最後まで自分の意思を貫きたいと願っている。
それが『冠位魔撃者』――その名が献ぜられた慧にとって、前に進むための力となるはずだから。
「奏多、人として生きてきたおまえの意思は神のご意思とは違うだろう」
慧は過ぎ去った忌々しい日々を思い返す。
一族の過ちによって、数多の世界に多くの傷痕を残した。
人間と神の間に存在する、簡単には埋めることのできない根深い憎悪。
『破滅の創世』の配下の者達は不老不死だ。
それに対抗するために一度、滅した自分を利用する。
不死者。
それが今となっては、自分が生かされているという唯一無二の証。
だが、慧は呪いともいえる宿命に利用されるのではなく、真っ向から立ち向かうことを選んだ。
「本当におまえはこのままでいいのか」
そう語りかける慧は揺るがない意思を表情に湛えていた。
――世界を正すために犠牲が付きものだ。
そんな言葉に頷いてはいられない。未来のために世界一つ分の犠牲を孕む可能性を今、見過ごせるだろうか。
「俺は……」
奏多には躊躇いがある。不安もある。
真実は何よりも残酷な凶刃と化しているのだから。
自分が『破滅の創世』と呼ばれる最強の神の具現である。
その事実は鋭利で、それを知った奏多の心を今も激しく揺さぶっている。
これからどうすればいいのか、その答えを見出だせずにいた。
だからこそ――
「奏多、ここから先はおまえ自身でじっくりと考えな。まぁ、もう考えていて自分なりの答えを見つけようとしているような顔をしてはいるみたいだけどな」
慧の物言いは奏多を導くようにどこまでも静かだった。
まだ、奏多の心は進む『前』なのだということを知っている。
自分もまた、呪いともいえる宿命に翻弄されていた時期があったのだから。
「観月、後方は頼むぜ!」
「分かったわ」
慧は観月と力を合わせて敵の迎撃に専念する。
今度こそ、守り抜くと決意を固めて――。
『破滅の創世』の配下達。
これまでも世界各地で暗躍していたが、ここにきて本格的に『破滅の創世』である奏多を取り戻そうという動きが見られる。
今、この場にいるのはリディアとアルリットだ。
もっとも暴れ出したら見境いなしの『破滅の創世』の配下の者もいる。
少なくともここに出向いたのが彼女達だったおかげで、幸か不幸か都市そのものが壊滅するという状況にはなっていない。
「愚かなものだ……」
そう告げるリディアは明確なる殺意を慧に向けていた。
「このような戯れ言で『破滅の創世』様をたぶらかせると思っているとは」
「『破滅の創世』様を惑わそうとしても無駄! あたし達、『破滅の創世』様のためなら何でもするよ!」
リディアとアルリットの胸から湧き上がってくるのは鋭く尖った憤りのみ。
『破滅の創世』の言葉の完遂のためにただ、狂おしく誓うだけ。
同時にそれは彼女達が不退転の反撃を示す最大の難所であることを意味していた。
「アルリット。そういえば、もう一つ遂行しなければならないこととは何だ?」
「ケイを今度こそ確実に消滅させることだよ」
リディアの素朴な疑問に、アルリットは胸の内に決意を滾らせる。
「ねー、ケイ」
「居残る理由が随分、個人的な理由だな。そういうところもあの頃と変わっていないみたいで嬉しいぜ、アルリット」
慧は奏多と結愛の身を第一に考え、自らが敵を引きつける形で戦場を制する。
一族の者達が力を振るうために必要な時間を稼いで場を整えた。
「この戦いの趨勢と同じように、この世界の未来はまだ決まっていないさ。全て自分の手で掴み取っていくものだ!」
きっと慧は何度でも言うのだろう。
その不屈の果てに、自らが貫く信念があるのだから。
「……どうやら別の場所でも戦闘が行われているみたいね」
観月は遠くから響いてくる爆撃の音に緊張を走らせる。
立て続けに聞こえたのは数発の破裂音と、何かが爆発したような黒い煙。
空には赤々と炎が舞い上がっていた。
『破滅の創世』の配下達――。
それは人智の及ぶ存在ではない。
それは人の営みに害し得る、あるいは人の営みで抗し得る存在ではない。
それは生まれついた時から絶対的である。
其は神の愛し子。
――『破滅の創世』の配下達がそんな風に謳われたのは問答無用の真理としてただ、偉大であったからに違いない。
そんな相手に胸を掻きむしられる想いで対峙する者も居ただろう。
『破滅の創世』の配下達は胸の内に恐るべき憎悪を滾らせていたのだから――。
数多に存在する多世界――そこに住む者達の中には一族の者達のことを恨んでいる者も多かった。特にこの世界の者達は半分以上がよく思っていない。
そもそも一族の者達が強い力を欲するあまり、三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』の力を手に入れようとしたことが全ての発端だったからだ。
目の前で血の通った家族を、友達を、仲間を、自分の世界を形作るかけがえのない人達を、理不尽に傷つけられ、犯され、弄ばれる現実がそこかしこに転がっている。
いや、恐らく、この場所だけではない。
この世界の各々で目も当てられてない悲劇に襲われている誰かが今もこの瞬間にいるのだ。
「俺達の帰る場所、なくなっちまった……」
生き延びた者達は黒煙の闇に横たわる住宅街をぼんやりと見つめていた。
この世界はもはや弱い者を、力の無い者を淘汰するように変わってきてしまっている。
そんな世界になるかもしれない、その懸念を知ろうともしなかった一族の者達の矜持が穏やかな平和を――平穏な生活を過ごしていた人々の日常を壊した。
その代償に彼らが受けることになった痛みは、悲しみは、今ではありふれた悲劇の一つでしかない。
それを導いた一族の者達こそが諸悪の根源である。
彼らはそう信じて疑わなかった。
しかし――
一族の上層部、この状況を創り出した大元とも言える要因。
彼らは数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を手に入れている。
神の魂の具現として生を受けた奏多。
無限の力を持つ神の加護。これにより、一族の上層部はおおよそ昔からは想像つかないような絶大な力を獲得していた。
不満は燻っているが、圧倒的で万能な力を手中に収めている一族の上層部に文句を言えるわけがない。
何しろ、一族の者が『破滅の創世』を手にしてから、彼らの思うまま、この世界の情勢は積み上がっていったからだ。
神のごとき強制的な支配力。
それは彼らをよく思っていなかった国家の者達さえもいつの間にか一族の上層部に味方するほどだ。
天災さえも支配し、それを利用することができる。
それでも一族の者に危害を加えようとした者は全て行方不明になった。
彼らが軍を掌握し、瞬く間に世界を席巻するまでさほど時間はかからなかった。
『破滅の創世』は記憶を奪われて、一族の上層部に利用され続けている。
その偽りなき事実が『破滅の創世』の配下の者達の怒りに拍車をかけたのは言うまでもない。
「神よ、ご照覧あれ」
数多の思惑吹き荒れる。この戦地に吹く風は、はたしていかなる未来が紡がれる事になるのだろうか。
この世界には時折、異世界からの来訪者がやってくる。
その多くは全知全能の神である『破滅の創世』を取り戻そうとする『破滅の創世』の配下達だ。
「先を選べ、人の子らよ、この世界は滅びに面している」
『破滅の創世』の配下である痩身の男とこの場の戦線に加わった大軍勢。
互いの距離の間に流れるのは一触即発の気配。
あとはどちらが口火を切るか――最早、その程度の薄皮一枚だ。
「闇に沈みし暗き大地は、神の訪れを焦がれ待つ」
彼らに向けられる『破滅の創世』の配下である男の視線は常に冷淡なものであり、排斥の意図が込められていた。
「黎明の光が欲しければ、神に許しを乞え。安寧が欲しければ、神のご意志のもとに眠れ」
『破滅の創世』の配下である彼は主が御座す世界を正そうとする。
『破滅の創世』の神意に従い、その御心に応えるべく献身する。
神聖さえ感じる純白の修道服に身を包み、陽射しを避けるように深く被ったフードの下、冷たさの帯びた淡く紅い瞳は彼らを見据えて、どんな感想を抱いているのか。
「……っ」
その口上に、この場に召集された者達の顔には一様に不安と戸惑いの色が浮かんでいた。
相手は『破滅の創世』の配下の一人だ。彼らがこれまで戦ってきた相手とは双肩にかかる重みが違う。
周囲に痛ましい沈黙が満ちた。
「それでも歯向かうというのなら……死せよ塵芥、この場で消し飛ばす」
「ここから先に行かせるわけには……!」
指揮官の男が抵抗の構えを取ったその時だった。
「……っ」
『破滅の創世』の配下である男から嘲弄が零れた。
その意図を指揮官の男が――大部隊の者達が掴むよりも早く異変が起きる。
電光火花が迸り、烈風怒涛が大気を揺らす。
滅びの歌が無慈悲に響き渡り、火焰地獄が大地を舐めつくした。
神に背いた者への断罪。
それは大地にひしめく大軍勢だとしても、ひとたまりもない。
「……何という力だ」
ここにきて、ようやく誰もが理解した。
これは彼が行使している力なのだと。
これが神命の定めを受けて生を受けた『破滅の創世』の配下の力なのだと。
たった一人でこれだけの力を使っているのだとしたら……
それはもはや化け物だ。
しかし、そんな強大な力を持つ敵が他にも多く存在しているという現実は変わりない。
恐るべきは『破滅の創世』の配下の者。この場にいる彼らが相手をするには、あまりにも圧倒的すぎた。
「……これが神の愛し子の一人、忘却の王……ヒュムノスの力」
大部隊の後方にいた男が奇跡の名を口にする。
生き延びた者誰もが魂で理解した。
この世界に顕現した『破滅の創世』の配下の者達。それが畏怖すべき、自分達とは次元の違う存在であることを。
血と肉。爆発と閃光。怒号と悲鳴。
互いの存亡を賭けた戦いの場で相容れぬ正義をふりかざして兵達は戦う。
「つーか、どこまでも恐るべき力だな」
「本当ね」
そんな荒れ果てた野を慧と観月が駆けていた。
「まぁ、忘却の王ヒュムノスはアルリットと同じく、『破滅の創世』の幹部の一人だからな」
ひりつく緊張が慧の首元を駆け抜けて行く。
『破滅の創世』の配下の者達の中でもひときわ常軌を逸している存在が『幹部』と呼ばれる者だ。
ヒュムノスを主軸に壮絶な攻めが展開されている。ヒュムノスの圧倒的な攻撃に比べれば、リディアとアルリットの連携攻撃は恐ろしく早く緻密だ。
「ねー。ヒュムノスは身体が頑丈なの。あたしと同じだね」
「アルリットの場合は無駄に元気なだけだろう……」
アルリットの明るい声音に、リディアはため息を吐きながら応対する。
アルリットもまた、『蒼天の王』として、蒼穹の銘を戴く幹部の一人として、かけがえない相棒リディアとともにこの地を踏んでいる。
「蒼天の王アルリット、忘却の王ヒュムノス。幹部が二人もいるなんて厄介ね」
観月は遠くから響いてくる破壊の音に緊張を走らせる。
ここのところ、世界のあらゆる場所で立て続けに、『破滅の創世』の配下の者達に関する事件が多発していた。
世界の各地で『破滅の創世』の配下とともに、神獣などが姿を表し人々を苦しめている。
『破滅の創世』の配下の力は強大だ。その上、不老不死である。何かあれば、勝敗の天秤は『破滅の創世』の配下達に傾く。
その上、今回、アルリット達が観月達に狙いを定めて接触してきたことから、『破滅の創世』の記憶のカードを所持している候補者をある程度、絞り込めたのだろう。
「もしかしたら、彼らはこの付近に『破滅の創世』様の記憶のカードがあることを割り出したのかもしれないわね」
観月は憂うような目で敵の群を見遣っていた。これまでの進軍、そして『破滅の創世』の配下達が見せた今までの一連の動きさえも。
そう――全てはこの時のための布石。
たとえそれが全て偶然の類いだとしても、そこまで来たら必然だって思いたくなるのが人間だ。
慧と観月が今戦っているリディアとアルリットも、そこに絡んでいると思える。そして、『破滅の創世』の配下側が求めるピースも揃いつつあるようだった。
「それが何を指していようともな」
それでも慧は握る銃の柄に力を込める。視線を決してアルリット達から外さずに弾丸を撃ち込む。
「……まぁ、俺達がすることは一つさ」
世界への影響を止めるためにも、アルリット達をこの場に留める……それが、今の慧達にさし迫りし事態であった。
とはいえ、あくまでこれは超常の領域にある『破滅の創世』の配下への足止め程度。
倒すを確約するものではなく、どれほど妨げられるのかも未知数。
「一族の上層部はこの状況をどうするのかしら……?」
そう口火を切った観月は懸念を眸に湛えたままに重ねて問いかける。
「このまま傍観に徹するつもりなのかしら?」
「いや、そんなわけねぇだろう。この状況になることを予め、推測していた、と考えるべきだ」
状況を踏まえた慧はそう判断する。一族の上層部の矜持。その悪辣なやり方を紐解けば、全てが合致したからだ。
「もし『破滅の創世』様の記憶のカードを奪われて、奏多が神としての記憶を完全に取り戻したとしてもさ。記憶を封印されていた時のことを含め、今までの出来事を全て覚えている」
「そうね。奏多様が神としての記憶を取り戻しても、妹を始め、懇意を寄せている者が近くにいれば、周囲に危害を加える可能性は低いわ」
慧の説明に、透明感のある赤に近い長い髪をなびかせた観月は納得する。
「たとえ記憶を完全に取り戻したことで神の力を行使できるようになっても、奏多が周囲に危害を加える可能性は低い」
如何に不明瞭な状況でも、答えはそれだけで事足りた。
「『思い出』という名の保険があるもんな。それに再び、記憶を封印する手立てを考えている……そんな節も上層部にはあるからな」
もし、その言葉が真実だというならば、これから起こるのは最悪だ。
一つ一つの呪いのような感情は神にとっては小さいものだが、長い年月とともに蓄積されたものは計り知れず、雁字搦めになっていく。
このままでは、奏多は一族の上層部の思惑に囚われたままになる。
「俺と観月をこの任務に当たらせたのも、俺達が一族の上層部に逆らえねぇことを踏まえてのことだろうな」
それはただ事実を述べただけ。だからこそ、余計に慧は自身の置かれた状況に打ちのめされる。
浅湖家や此ノ里家を始め一族の冠位の者の役割は、敵である神々と『破滅の創世』の配下の部隊に対して警戒を行うことであった。
慧達もまた、形だけでも整えた急造部隊として、隙を巧妙にうかがう『破滅の創世』の配下への牽制を行う任務を帯びている。
それは言い換えれば、一族の冠位の者は一族の上層部に逆らうことができないことを意味していた。
恐らく、俺を蘇えらせて不死者にして利用したのは一族の上層部の誰かだろうな。
厄介なものを押しつけてくれたなと、慧は今でも思っている。
何度も投げ出してしまおうかと思ったが、何だかんだでここに居続けているのは性分なのだろう。
それに観月は――一族の上層部に逆らうことができない理由がある。
今なら分かる。これが最適解だと思ったからこそ、一族の上層部は慧と観月をこの任務に就かせたのだ。
この世の悪意を凝集したような一族の上層部のやり方に、慧だけではなく、観月も激しい嫌悪を覚えたのは間違いない。