「『破滅の創世』の配下達の防衛を突破できないなら……!」
『境界線機関』の者達が、ヒューゴの位置を確認し、即座に布陣する。
「おいおい、物騒だな。今度は俺を捕らえるつもりか」
ヒューゴは自分を取り囲む『境界線機関』の者達を見る。
「不死のヒューゴ、俺達がここにいる理由は分かっているのだろう?」
「ああ。だが、それはお互い様だろう? 俺達が尾行してくることを、『境界線機関』のリーダー様は無下にすることはできない。『破滅の創世』の配下達、一族の上層部、どちらも相手にするのは分が悪すぎる。『境界線機関』のリーダー様はそう言っていたからな」
空港の観月とのやり取りを聞かれていたのだろう。
ヒューゴの的確な疑問に、司は渋い表情を見せる。
「なあ、此ノ里結愛。おまえはどう思う?」
「はううっ、それは……」
ヒューゴの突然の矛先の変更に、結愛はわたわたと明確に言葉を詰まらせた。
「『破滅の創世』の配下、そして幹部の力は強大だ。おまえの大好きな幼なじみを守り抜くためには、俺達も協力し合った方がいいんじゃないか。そう思わねぇ?」
「そう思わないから断っているんだ」
司の率直な物言いに、ヒューゴはその唇に「感情的だな」と純粋な言葉を形取らせた。
「雄飛司。おまえの情に熱いところは、いつか命取りになるぜ。まあ、俺はここで死ぬつもりはないから、できる限りの揺さぶりをかけさせてもらう」
現状を把握したヒューゴは唇を噛む。
このまま、悪戯に時間を消費しても平行線だ。
何もしなくては『破滅の創世』の配下達の前に為す術もなく朽ち果てるだけだろう。
ならば、機先を制した方が確かだ。
「雄飛司。おまえにとっても、浅湖慧は大切な存在だろう? このまま、俺が非業の死を迎えたら、浅湖慧も死ぬけど、いいのかよ?」
「……っ」
ヒューゴが苦々しいという顔で語った問いかけに、司は絶句する。
「自分達の目的のために、俺達の心を利用する。随分と悪辣な手口だな。まぁ、一族の上層部らしいやり方だけどな」
「そうね」
この世の悪意を凝集したような一族の上層部のやり方に、司だけではなく、慧と観月も激しい嫌悪を覚えたのは間違いない。
「今のところ、『破滅の創世』の配下達と一族の上層部、どちらも派手に動いていないのは、こちらの出方を見計らっているからかもしれねえな」
「厄介ね」
慧と観月は瞳に意志を宿す。
『破滅の創世』の配下達と一族の上層部、どちらも好き勝手にはさせないと――強い意志を。
決して譲れない想いがあった。
「厄介? それはお互い様だろう? ここにいる全員が出方を見計らっているんだからな」
ヒューゴは愉快そうに声を弾ませる。
無限の力を持つ神の加護を得る方法、数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を手中に収める方法の確立は一族の上層部からすれば『悲願』と言えた。
彼らは数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を維持するためにあらゆる謀略を巡らせている。
だからこそ――ヒューゴは戦略で勝機を掴む。
「正直、俺だけでは『境界線機関』の者達や『破滅の創世』の配下達とやり合うことなんてできないしな」
「そもそも、おまえ達、一族の上層部は俺達とやり合うつもりなど、はなからないだろう」
司の意見はもっともだった。
『境界線機関』はこの世界の未来を担う、練度の高い精強な部隊である。
それに今回、司は一族の上層部が有している神の加護に備えて、突入部隊は一族の者達だけで構成している。
猛者ぞろいである『境界線機関』の者達相手に、ヒューゴのみで抗するのは無謀だ。
ましてや、この場には『破滅の創世』の配下達がいる。
それなのに――ヒューゴの表情には動揺の色は一切見られない。
まるで微笑ましい出来事があったように、楽しげな笑みを堪えていた。
「まあな」
ヒューゴは自分を取り囲む『境界線機関』の者達を改めて見渡した。
それをきっかけに、得物を手にした『境界線機関』の者達が次々に突撃を敢行する。
「おっと! だから、俺はここで死ぬつもりはないって言っているだろう!」
ヒューゴは忌まわしくも見慣れた悪意を視界に収めた。
「くっ……!」
想定外の出来事を前にして、『境界線機関』の者達は驚愕する。
ヒューゴの能力。死んだ者をアンデット、つまり不死者にすることのできるそれは、この状況下でも絶対的な強さを発揮した。
「なっ!」
慧は自分が取った行動に対して絶句する。
慧の銃口から煌めく陽光を斬り裂くように、乾いた音を立てて迫撃砲が放たれる。
七発ほどの弾頭が放物線を描き、すぐに爆音が轟いた。
「ちっ、身体が勝手に……!」
慧はヒューゴを守るように、『境界線機関』の者達に対して攻撃を畳みかけていた。
「慧にーさん!」
「奏多、結愛、近づくな! 今の俺は、こいつに操られているみたいだ!」
その事実は、奏多と結愛の心胆を寒からしめた。
「そ、そんな……」
「ほええ、どうしたら……」
奏多と結愛は混乱する頭でどうにか言葉を絞り出す。
「浅湖慧。今すぐ、浅湖蒼真を――『破滅の創世』様を確保しろ!」
反応は劇的だった。
ヒューゴのその言葉が引き金になったように、慧はいつの間にか奏多の目の前にいた。
「――っ。慧にーさん!」
「奏多! くそっ! 身体が勝手に!」
必死の抵抗もむなしく、慧は奏多を捕らえて離さない。
「奏多くん!」
「奏多様!」
予想外の展開に、結愛と観月が悲鳴を上げる。
「だからさ」
そう告げると、ヒューゴは一度、深呼吸をして司の前に立った。
事を始める前に確認はしておきたかったからだ。もし、その可能性があるならば、この戦いは回避できる。
「いい加減、全ての戦力を放棄して、一族の上層部に従えよ」
一瞬、司は戸惑うような気配をみせたが、緩やかに首を振った。
「断ると言ったら?」
司の言葉を予測していたように、ヒューゴはにやりと笑う。
「なら、このまま、俺達が代表して、『破滅の創世』様を本部までお連れする。おまえら、『境界線機関』の者達は『破滅の創世』の配下達の足止めでもしてろよ」
司の疑問に発したのは、提案でも懐柔でもなく、断固とした命令だった。
「……っ」
奏多と慧を人質に取られた状況。
思わぬ事態に、司は表情を曇らせる。
司を始め、『境界線機関』の者達は一族の上層部を毛嫌いしているようだが、しかし、その働きに感謝をせぬような無礼者でもなかった。
一族の上層部もそれを理解している。
奇妙な協力関係は、しかし利害の一致という危うい綱引きの上で成立していた。
「それにさ、俺達が有している神の加護の前では、おまえ達の抵抗など無力だ」
ヒューゴから紡がれる声色に宿るのは面白がるような含み笑い。或いは嘲笑とも感じられようか。
今回、司は一族の上層部が有している神の加護に備えて、突入部隊は一族の者達だけで構成している。
しかし、それ以外の者達は神の加護を防ぐ手立てはない。
ヒューゴがその気になれば、乗客や乗務員達を洗脳して追い詰めることも可能だろう。
このままではまずいな……。
『境界線機関』のリーダーとして、超一線級の戦いを繰り広げてきた司だからこそ感じる座りの悪さ。
何よりヒューゴの余裕のある佇まいが警鐘を鳴らす。
司とヒューゴ。互いに緊迫した空気が流れたその刹那――
「下らないことをするね。一族の上層部の人間は」
そう告げるアルリットは明確なる殺意を慧に向けていた。
「愚かなものだ。このような場所で仲間割れを始めるとは」
口にすれば、それ相応の苛立ちと嫌悪がにじみ出てくる。
リディアは忌まわしくも見慣れた悪意を視界に収めた。
「『破滅の創世』様……!」
そう吐露したリディアの前に、慧は奏多を捕らえたまま、立ち塞がる。
「ちっ、また、身体が勝手に!」
慧はヒューゴが逃れる猶予を作るようにリディアに向けて発砲した。
弾は寸分違わず、リディアに命中するが、すぐに塵のように消えていく。
「理解できないな。無駄だと分かっていながら、わたし達に歯向かうとは」
リディアはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。
「――くっ!」
たったそれだけの動作で、リディアは慧とその周囲にいた部隊の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさは慧達がうめき、身動きが取れなくなるほどだ。
「慧にーさん……!」
奏多は慧のもとに駆け寄ろうとしたが。
「おっと、『破滅の創世』様はこちらだ! 逃がすつもりはないぜ!」
その前にヒューゴが立ち塞がる。
「『破滅の創世』様には、これからも川瀬奏多様として生きてもらわないといけないからな」
そう――もうすぐで手が届くのだ。
一族の上層部にとって、唯一無二の願い。
人間として生きたい。
それを奏多が選ぶだけで――。
このまま『破滅の創世』を人という器に封じ込め続け、神の力を自らの目的に利用するという一族の悲願こそがこの世界を救う唯一の方法だと一族の上層部は知っているのだから。
「このまま受け入れろよ。人間としての人生を」
「卑劣な手段によって人の器に封じた上に、我が主を人と誹るか」
一瞬の隙を見定めたリディアはここを正念場と捉えて――強靭の一撃を込める。
「ちっ、容赦ないな……!」
「……なっ」
慧と観月が目にしたそれは、まさに超越の一撃だった。
元々、彼女達が繰り出す攻撃は群を抜いて強力であったが――リディアがこの瞬間と定めて切り札を投じたそれは神威の如く。
光は瞬きて戦場を貫き、ヒューゴはおろか、周囲の慧と観月、司達『境界線機関』の者すら穿った。
唐突に終わったヒューゴとの対立は、すぐに新たな『破滅の創世』の配下達との戦いを生み出しただけだった。
赤く染めた飛行機は墜落する。
燃え盛る炎の灯は遥か越えて、神の調べを奏でる。
『破滅の創世』の配下達の動きは、奏多達の――そして一族の上層部の者達の想像とは一線を画していた。
「手応えがないな」
「そうだね」
アルリットは同意しつつも、リディアに改めて直言した。
「でも、リディア、やり過ぎだよ。今回、あたし達が遂行するのは『破滅の創世』様を拠点にお連れすることなんだし。それに機内に混じれ込んだ意味がないよ」
「分かっているよ、アルリット。不死の能力を持っているあの人間は生かしている」
アルリットの言葉に呼応するように、リディアは目を細めて深く笑う。
奏多の――『破滅の創世』の記憶が戻るのを待ちわびるように。
「みんな、大丈夫か?」
「はい、奏多くん」
結愛達の身に唐突に訪れた窮地。
しかし、それは奏多が手をかざしたことで危機を脱していた。
機内に大きなバリアが張られ、奏多の周囲にいる者達は全員無事だ。
「奏多、助かったぜ。それにしても、ようやく自由に動けるようになったな」
慧は安堵するものの、改めて自分が犯した行動を思い出す。
「みんな、すまない。迷惑をかけてしまってさ」
「慧にーさん……!」
「良かったです!」
「慧……無事で良かったわ」
苦悶の表情を浮かべる、いつもどおりの慧の姿。
それを見て、奏多と結愛、そして観月は眸に喜色の色を堪える。
「何とか、奏多様の力で難を逃れることはできたが……状況は最悪だな」
視線を張り巡らせた司は置かれた状況を重くみた。
『破滅の創世』の配下達との戦いはこの世界に未曾有の惨事を引き起こしている。
いずれも絶大な力を有する『破滅の創世』の配下達は、世界に滅びをもたらす存在で在り続けていた。
此度の戦場も、飛行機が一瞬で墜落するという蹂躙とでも呼ぶべき光景があった。
「……っ」
曖昧だった意識が浮上していくにつれて、指先や背中の触感も戻ってくる。
ヒューゴの身に一番最初に訪れたのは痛みだった。
全身をくまなく覆う痛みと倦怠感。
「相変わらず、『破滅の創世』の配下の力は強大だな。蒼天の王アルリットが、俺の能力に目をつけたことが生死を分けたってわけか」
ヒューゴは状況を踏まえながらも、完全に置いていかれた状況。
人間を超えた存在が超越の力を振るえば、人間には認識しようがない。
本来なら直撃を喰らったヒューゴが生きていることなど、万に一つもあり得ない。
だが、ヒューゴはアルリットが欲している不死の能力を持っている。
だからこそ、リディアは意図的にヒューゴを生かす一撃を放ったのだろう。
「司、死ぬなよ」
慧の心からの願い。
その眼差しはまっすぐで、強い意志の光に満ちていた。
「当たり前だ。ここで死ぬつもりはない。洗脳が解けたばかりだ。おまえこそ、無理はするな」
それは司とて同じ。慧達に対して同じ想いを抱いている。
「……まぁ、今の俺達のやるべきことは一つ。この状況を凌いで、本部に赴くことだけさ」
「そうだな……」
慧と司は瞳に意志を宿す。『破滅の創世』の配下達の、そして一族の上層部の好き勝手にはさせないと――強い意志を。決して譲れない想いがあった。
「まだ、これからだ」
身を割くような痛みが迸っている。だけど、慧の顔にあるのは笑顔だけだ。
「奏多。もう二度とおまえを犠牲にするつもりはないからな。たとえ、再び操られても、絶対に守ってみせるさ」
奏多を見つめる慧の眼差しはどこまでも優しかった。
「だが、俺達の置かれた状況は最悪のままだ……」
驚愕と焦燥。
司が走らせた瞬間的の感情に状況は明白となった。
『破滅の創世』の配下達の圧倒的な力量差の前に為す術がない。
それでもこの戦いを投げ捨てることなどできないとばかりに、結愛は思いの丈をぶつける。
「絶対に負けませんよ! 私は奏多くんが……『破滅の創世』様が大好きですから!」
「結愛、敵に近づきすぎないようにね」
観月は警告しつつも、ありったけの力をカードへと籠めた。
「結愛、カードの力を同時に放つわよ!」
「はい、お姉ちゃん、ナイスです! グッジョブです!」
観月の提案に、結愛は表情を喜色に染める。
導くのは起死回生の一手。
観月と結愛は並び立つと、カードを操り、約定を導き出す。
「降り注ぐは星の裁き……!」
その刹那、立ちはだかるヒュムノス達へ無数の強大な岩が流星のごとく降り注ぐ。
観月が振るうカードに宿る力の真骨頂だ。
「行きますよ! 降り注ぐは氷の裁き……!」
さらに氷塊の連射が織り成したところで、結愛は渾身の猛攻を叩き込む。瞬時に氷気が爆発的な力とともに炸裂した。
カードから放たれた無数の強大な岩と氷柱は混ざり合ってリディア達を突き立てようとするが、――全てが無干渉に通り抜けていく。
「無駄だ」
「無駄じゃないですよ! 『破滅の創世』様の配下さん達の意識をこちらに向けさせることに成功しましたから!」
リディアが事実を述べても、結愛は真っ向から向き合う。
「私は最後まで諦めませんよ。だから、奏多くん、私に希望をください。どんなことがあっても、しがみつきたくなる希望を……!」
『破滅の創世』の配下達にできた僅かな隙。今はそれでいいと結愛は噛みしめる。
奏多と一緒なら、どんなに小さな勝機だって掴んでみせるから。
この世界で共に生きる道を選んでほしい。
そう願って、結愛はおずおずと奏多へと手を伸ばしてきた。
「ああ、俺も最後まで諦めない」
その手を――奏多はしっかりと掴む。繋がれた手の温もりが優しく溶け合っていく。
ありふれたこの瞬間こそが救いなのだと、他の誰でもない奏多と結愛だけが知っている。
二人でいれば、世界はどこまでも光で満ちていた。
ヒューゴが倒れ、乗っていた飛行機も墜落した。
だが、このまま、ヒューゴが死ぬと、慧も死んでしまう。
その歴然たる事実を前にして、司の取った行動は早かった。
「奏多様」
片膝をついた司は改めて奏多の意向を確かめる。
「俺達は『破滅の創世』様を守護する任務を帯びている。それでも、俺は慧を死なせたくない」
「慧にーさん……」
付け加えられた言葉に込められた感情に、奏多ははっと顔を上げた。
「奏多様の――『破滅の創世』様の力なら、慧を救うことができるはずです」
この状況下で、慧を守るためには奏多の力が必要だった。
「俺の力……。慧にーさんが再び、操られないようにするためにはどうしたらいいんだ」
奏多には躊躇いがある。不安もある。
真実は何よりも残酷な凶刃と化しているのだから。
自分が『破滅の創世』と呼ばれる最強の神の具現である。
その事実は鋭利で、それを知った奏多の心を今も激しく揺さぶっている。
これからどうすればいいのか、その答えを見出だせずにいた。
だからこそ――
「奏多、俺はおまえの力を信じているぜ」
慧の物言いは奏多を導くようにどこまでも静かだった。
まだ、奏多の心は、神の意思に囚われていることを知っている。
自分もまた、呪いともいえる宿命に翻弄されていた時期があったのだから。
「もう二度とおまえを犠牲にするつもりはないからな。たとえ、再び操られても、絶対に守ってみせるさ」
慧は守りきれるはずだと信じている。
神の意思ではなく、最後まで自分の意思を貫きたいと願っている奏多の想いを。
それが『冠位魔撃者』――その名が献ぜられた慧にとって、前に進むための力となるはずだから。
「大丈夫ですよ、奏多くん」
「な、なにがだよ……」
導くような結愛の優しい声音。奏多は事態を飲み込めないように頭を振る。
「私は奏多くんが……『破滅の創世』様が大好きですから!」
奏多に向ける結愛のまっすぐな瞳は変わらない。いつだって紛(まご)うなき本音を晒しているのが窺えた。
何故だろう。
こうして結愛を見ていると、まるで小さな箱の蓋を開いたように思い出が溢れ出してきた。
嬉しかったことも、悲しかったことも。
ひとりぼっちだと泣いた夜も、誰とも分かり合えないと落ち込んだ夜も、誰かに抱きしめてほしいと甘えた夜だってあった。
何時だって周りの人達に守られていたと知ったのは広い世界を見た時だっただろう。
その頃は明日を恐れることも、過去を嘆くこともなく、幸せな今だけがあった。
「ふふっ、前に約束しましたね」
結愛は一度だけ目を伏せ、そしてまた奏多をまっすぐに見つめた。
「私にとって、奏多くんは奏多くんです。だから、他の神様や『破滅の創世』様の配下さん達には奏多くんを渡しませんよ」
数多の思惑が絡み合っている今も、こうして間違いなく奏多は『結愛の幼なじみ』としてこの世界に存在している。その事実は途方もなく、結愛の心を温める。
「そして、ヒューゴさんや一族の上層部さん達にも奏多くんを渡しませんよ。奏多くんとずっとずっと一緒にいたいですから!」
結愛は瞳に意志を宿す。一族の上層部の好き勝手にはさせないと――強い意志を。決して譲れない想いがあった。
「あなたがこの世界にいなきゃ、嫌です。だから、信じてください。奏多くんの心で見てきたものを。感じたことを。きっと……それが奏多くんの力になってくれるはずです!」
「俺の心で……」
その言葉に奏多の目の奥が熱くなる。体中の皮膚が鳥肌を立てて、感情の全てが震え出す。
――そうだ、きっと。
この想いが、慧にーさんを救うための第一歩。
だから、言いたい言葉は決まっていた。
これが虚勢であっても構わない。
今はそれでいい。
内側から湧き上がる神の意思なんて、今は聞いていられない。
「俺は、結愛と――みんなと離れたくない。自分自身の手でこの幸せを手離したくない」
奏多は信じている。自分自身の力と未来を。
人は自らの足で歩いている。独りではなく、手を取り合って。
「痛くても苦しくても怖くても、この感情から逃げたくないから」
奏多は聞いていた。数多の旋律を束ね、神奏を天へと放つ。数多の人々の想い。その旋律は永久に紡がれるはずだと。
「俺も……これからも結愛と一緒にいたいからさ」
言葉の意味を理解した瞬間、結愛の顔は火が点いたように熱くなった。
「はううっ。……い、今の、もう一度、言ってください!」
妙な声を上げながら、身をよじった結愛が催促する。
「今のって、結愛と一緒にいたい、ってやつか……」
「うわああ、すごい……幸せです……。も、もう一回!」
「結愛と一緒にいたい」
「きゃーっ」
温かな眼差し。この瞳に映る花咲く結愛の笑顔が春の温もりのように感じられて。
奏多は強張っていた表情を緩ませた。
「……結愛、ありがとう」
「奏多くん」
奏多は一度だけ目を伏せ、そしてまた結愛をまっすぐに見つめる。
「俺の――『破滅の創世』としての力で、慧にーさんを救ってみせる!」
「奏多くんなら、必ずできますよ」
結愛はぽつりと素直な声色を零す。
ありふれた何気ない日常こそが救いなのだと他の誰でもない奏多と結愛だけが知っている。
二人でいれば、世界はどこまでも光で満ちていた。
「奏多……」
「慧にーさん」
奏多は改めて、慧と向き合う。
これからどうすればいいのか、確固たる解答はまだ出ていない。
だが、慧の言葉の意味はもう理解できていた。
怖れを越えなければ、得られない何かがあることを知ったから。
この胸に輝く意思が、何よりもそれを証明しているのだから。
「俺は絶対に、慧にーさんの呪いを解いてみせる!」
奏多は裂帛の気合いを込める。
自身の力を解き放とうとして――。
「くっ……。動けない……」
奏多は油断すれば湧き上がる想いを前にして思わずうつむく。
渦巻く不安はどうしようもなく膨らんでいくばかりだ。
「いや、動けないんじゃない。これは……」
奏多は刹那、気付いた。
身動きが取れない理由。それは内側から湧き上がる『破滅の創世』としての意思が、奏多の動きを制限しているからだと。
『破滅の創世』であるはずなのに、『破滅の創世』の配下達と分かり合えない。
奏多とアルリット達を隔てる、たった一つの最も重要で決定的な要素。
その要素は……『失った神としての記憶』だ。
その記憶には、一族の上層部が犯した罪過への『破滅の創世』の憤懣がある。
ましてやそれが延々と折り重ねった憎しみに起因するものであるならば、もはや激昂に近いかもしれない。
『破滅の創世』である奏多であればこそ、その怒りを身に染みるほどに理解している。
何度も神としての憤りに――絶望視した過去に囚われてしまうかもしれない。
それでも……諦めたくない。
結愛と……みんなと共に生きたい。
そして、慧にーさんを救いたい。
奏多は現実で踏ん張ると決めている。
奏多が人として生きた人生という道を、『破滅の創世』は否定なんて出来ないはずだ。
それに人間として生まれたことを過ちになんてしたくはないから――。
それでも奏多が事実を知ろうとすればするほど、どれが『正しい』かは分からなくなってくる。
誰かにとって悪だったものが、別の誰かには善となる。
人と神。相容れない思いがぶつかり合う。簡単に答えなど出ようはずもなかった。
しかし――
「奏多くん、負けないでください!」
「……結愛」
奏多の揺れる眸を見つめ、結愛は縋るように彼の腕に掴まる。
「お願いします。奏多くん、負けないでください……」
涙色に染まる指先に。
この時間が永遠に続けば良いと――結愛は願いながら。
だからこそ、今のままで過ごすわけにはいかない想いがある。
「『破滅の創世』様にとって、人の心は不要なものかもしれないです。……でも、奏多くんが心を知らなければ、私はこんなにも奏多くんを好きになることも、愛おしく思うこともなかったんです」
『破滅の創世』としての奏多の意志を、結愛は否定しない。
ただ、今の想いを伝えたいだけ――。
「私は奏多くんが……『破滅の創世』様が大好きです」
結愛は知っている。
そんな素敵な想いが、最期までこの胸に寄り添う理由を。
「だから、この世界で奏多くんと一緒にずっとずっと生きていきたいです! 奏多くんと同じ光景を――明日に繋がる未来を見たいから!」
結愛が示したのは希望という名の確固たる意思。
決して変わることのない願いだった。