神奏のフラグメンツ

過去だけがどこまでも優しくて、どうやったってそこに戻れない現実が悲しい。
忘れることなど出来ない。
大切な思い出の数々。
だから、どうしても面影を重ねてしまう。
心が渇望するように昔日を求めてしまっていた。
過去なんて捨てられるものではない。
決して忘れられない過去の先に、今も未来も繋がっているから。
大事な思い出を抱きしめたまま、この先も歩いていくしかないのだ。

「生まれない方が良かった……そんなわけねぇだろう……!」

奏多達を救うために。もう、逃げ出してはならないと慧は知っているから。

「観月、ここで何としても食い止めるぜ!」
「分かったわ」

様々な思いが過りつつも、慧と観月は動き出す。
穏やかならざる空気を纏う機内。奏多達がいる場所。そちらへと視線を滑らせて――。
奏多と蒼真は繋がっている。
『破滅の創世』の神魂の具現として。
もう慧は理解している。
疑いようもなく確信している。
それでもその言葉が欲しくて、慧は奏多に声をかけた。

「奏多、敵の視線をこちらに向けさせる。結愛と一緒に援護してくれ」
「分かった。慧にーさん」

奏多は即座に打開に動くべく、慧達のもとへと進んでいった。
今の自分がすべきことは、『破滅の創世』の配下達と一族の上層部の動きを止めることなのだから。
圧倒的な不利、後手に回る後手、それでも『境界線機関』の者達は希望を捨てていない。
それぞれが抱く感情は違えど、今ここに三つ巴の狼煙が上がった。





「『破滅の創世』様の神の権能の力に目を付けて、私欲のために利用している愚か者」

銀髪の少女――リディアが発した戦意の言葉は、刹那の迷いすらなかった。
最強の力を持つとされる神『破滅の創世』を人という器に封じ込め、神の力を自らの目的に利用する。その一族の行為は『破滅の創世』のみではなく、他の神全てに対しての裏切りだ。
『破滅の創世』の配下であるリディア達にとって決して看過できない行為だった。

「不死だと言ったな。その言葉、確かめさせてもらうよ」

リディアはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。

「――っ! ……凄まじいねぇ」

たったそれだけの動作で、リディアはヒューゴとその周囲の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさはヒューゴがうめき、身動きが取れなくなるほどだ。

「リディア、分かってるとは思うけど、今回の目的は――」
「分かっているよ、アルリット」

リディアは振り返って、アルリットに微笑んだ。

「今回、わたし達が遂行することは、『破滅の創世』様を拠点にお連れすることだ。この場にいる一族の者の抹殺は二の次なのだろう」
「うん、頑張ろうね」

リディアとアルリットは会話を交わすことで、次なる連携を察し合う。
一族の者の戦力を出来るだけ削ぎながら、彼女達は本懐を求めることを第一にするのだろう。
「うわあああっーー!!」
「やばいぞ!! 逃げろーー!!」

飛行機の機内は大混乱に陥っていた。
奏多達以外の乗客は、身を焼くような焦燥に駆られる。
大急ぎで別の場所へと移動していく。

『破滅の創世』の配下達――。

それは人智の及ぶ存在ではない。
それは人の営みに害し得る、あるいは人の営みで抗し得る存在ではない。
それは生まれついた時から絶対的である。
其は神の愛し子。
――『破滅の創世』の配下達がそんな風に謳われたのは問答無用の真理としてただ、偉大であったからに違いない。
そんな相手に胸を掻きむしられる想いで対峙する者も居ただろう。
『破滅の創世』の配下達は胸の内に恐るべき憎悪を滾らせていたのだから――。

「観月、被害を出さないためにも、ここで何としても食い止めるぜ!」
「分かったわ」

様々な思いが過りつつも、慧と観月は動き出す。

「三つ巴の戦い。『破滅の創世』の配下達、一族の上層部、どちらも味方ではないわ。この混乱した状況を利用して、奏多様を狙ってくるかもしれない」

そこに疑いを挟む余地はない。
観月が口にしたその言葉が全てを物語っていた。

「そうだね。あたし達が今回、遂行することは『破滅の創世』様を拠点にお連れすること」

その一言一句に恐怖に駆られ、顔を強張らせる観月。

「なら、楽しませてもらうとするかねぇ」

逆にヒューゴは喜ばしいとばかりに笑んでいる。

「『破滅の創世』様が示した悲憤の神命。それは絶対に成し遂げなきゃならないことだから」

その為に動いている。
そう――目的はたった一つだけ。
遥か彼方より、『破滅の創世』の配下達の望みはそれだけだった。
だからこそ、大願とも呼べるその本懐を遂げるために一族の上層部をも利用しただけに過ぎないのだ。

静寂が満ちた。

一族の上層部にとって、最大の誤算は『破滅の創世』の配下達の存在だった。
彼女達さえいなければと思うことは幾度も起こり、そして今もまた起ころうとしている。
それでも戦うことを、挑むことをやめないのは、それが一族の上層部の矜恃に連なるものゆえか。

「不死能力。その能力、素晴らしいね。ねー、そこにいる、一族の上層部さん」
「……へえー。冬城聖花の時と同じように、俺の能力に目をつけたってわけか」

アルリットの目に宿った殺意を前にしても、ヒューゴは余裕綽々という感情を眸に乗せる。
一触即発な空気が流れる中。

「おっと、その前に浅湖慧、おまえに伝言があったんだ」
「ちっ、亡霊にしたこと以外に何かあるのか?」
「伝言?」

慧と観月の反応も想定どおりだったというように、ヒューゴの楽しそうな表情は変わらない。
「いや、亡霊にしたこと関連さ。まあ、分かっていると思うけど、俺の能力が蒼天の王アルリットに奪われたり、最悪、俺が死んでしまうと――」

如何に不明瞭な状況でも、答えはそれだけで事足りた。
そう言わんばかりに、ヒューゴは事実をさらりと告げる。

「当然、おまえも死ぬことになるからな」
「なっ!」
「えっ?」

あまりにも衝撃的な事実を突きつけられて、慧と観月は大きく目を見開いた。

「こいつが死ぬと、俺も死ぬっていうのか……?」

思わず、息が詰まる。
慧は当惑し、その言葉の意味を飲み込むのに時間がかかった。

「そうさ。浅湖慧、貴様を生き返らせたのは俺なんだからな」

空白。
あまりにも唐突な……ヒューゴの宣言に、奏多と結愛の思考が真っ白に染まってしまった。
数秒経って、ようやくひねり出せた言葉は微妙に震えていた。

「そ、それって……この人の身に何かあったら、慧にーさんが……」
「はううっ……」

奏多と結愛は混乱する頭で、どうにか言葉を絞り出す。
混乱は治まることはなく、むしろ深まっていた。

「そうさ。今の『破滅の創世』様にとって、お兄様の生死は重要だろう」 

奏多の姿を認めてから、ヒューゴは薄く笑みを浮かべて言った。

「えっ? ……お兄様?」

それはただ事実を述べただけ。
しかし、ヒューゴの言葉は、奏多には額面以上の重みがあった。

「浅湖蒼真にとって、浅湖慧は唯一無二のお兄様なんだからな」
「蒼真……?」

奏多が目を瞬かせると、慧は照れくさそうにほんのりと頬を赤くした。

それは知らない人の名前。

奏多はヒューゴが発した言葉の意味を理解できない。
これからどうすればいいのか、確固たる解答もまだ出ていない。
でも――何故か、懐かしい響きがした。

『どんどん大きくなるな、慧と蒼真は』
『ふふ、本当ね。このまま、蒼真がずっと生きていてくれて家族四人で過ごせたら何もいらないわ』

どこからか優しげな誰かの声が聞こえてくる。
知らない記憶。なのに、どうしようもなく現実味を帯びた感覚があった。

『慧にーさん、慧にーさん!』
『つーか、蒼真、あまり無理するなよ』

兄弟は公園を燥いで駆け巡り、そのたびにどうでもいいことで一喜一憂する。

誰かに生きた証を見てほしかった。傍にいてほしかった。
――それを望んだのは誰の心だったのだろうか。

だけど、願わくば見て見たかった。
この胸の奥底を灼く焦燥にも似た、けれどより甘やかな感情の正体は何なのかを。
「慧にーさん……」

奏多は懐かしむように、過去の記憶に身を任せる。

「俺は、慧にーさんを死なせたくない!」

きっといつまでも、この記憶を忘れない。
この温かさを忘れない。
きっと、これからもずっと覚えている。
そんな着地点へ落ち着くなり、奏多の身が軽くなった。

「結愛、この状況を打開しよう!」
「はい、奏多くん!」

奏多と結愛は改めて戦意を確かめ合う。

「奏多、敵の視線をこちらに向けさせる。結愛と一緒に援護してくれ」
「分かった。慧にーさん」

奏多は即座に打開に動くべく、慧達のもとへと進んでいった。
今の自分がすべきことは、みんなとともに飛行機の安全を確保することなのだから。

「今だ。このまま突き進んで、緊急着陸させるぞ!」

さらに司を先頭に、『境界線機関』の者達がリディアとアルリットの防衛を崩しにかかる。
だが……。

「無意味だ」

そう断じたリディアの瞳に殺気が宿る。
絶え間ない攻撃の応酬。だが、全ては無意味に、塵のように消えていく。

「――っ」

リディアの表情は変わらない。
深遠の夜を照らす満天の月のような――流麗にして楚々たる容貌は僅かも曇らなかった。
『破滅の創世』の配下達にとって、一族の者達は不倶戴天の天敵である。神敵であると。

「乗客が、パイロットにこのことを伝えてくれることを願うしかないな」

流石にそう簡単には通してくれないかと、司は思考を巡らせた。

「それでも止めるさ。たとえ、それが無意味なものだとしても……」
「これ以上、進ませないわ!」

決定打に欠ける連撃。
それでも慧は怯むことなく、観月と連携して次の攻撃に移った。

「あたし達がするべきことは『破滅の創世』様の望むこと。この世界にもたらされるべきは粛清だよ」

そう宣言したアルリットは神の鉄槌を下そうとする。
神命の定めを受けて生を受けた『破滅の創世』の配下達にとって、『破滅の創世』は絶対者だ。
『破滅の創世』の奪還のために、一族の者達を相手取る戦いは世界各地で続いている。
いずれも絶大な力を有する『破滅の創世』の配下達は、世界にとっての最大の敵で在り続けていた。

「厄介なこと、この上ないな」

帰趨(きすう)の見えない状況に、慧は考えあぐねる。
『破滅の創世』である奏多の防衛を最重要視せねばならない。
だが、『破滅の創世』の配下達、一族の上層部の思惑。
先手を打とうとも後手に回ろうとも、はっきりとしたことは分からなかった。
「『破滅の創世』の配下達の防衛を突破できないなら……!」

『境界線機関』の者達が、ヒューゴの位置を確認し、即座に布陣する。

「おいおい、物騒だな。今度は俺を捕らえるつもりか」

ヒューゴは自分を取り囲む『境界線機関』の者達を見る。

「不死のヒューゴ、俺達がここにいる理由は分かっているのだろう?」
「ああ。だが、それはお互い様だろう? 俺達が尾行してくることを、『境界線機関』のリーダー様は無下にすることはできない。『破滅の創世』の配下達、一族の上層部、どちらも相手にするのは分が悪すぎる。『境界線機関』のリーダー様はそう言っていたからな」

空港の観月とのやり取りを聞かれていたのだろう。
ヒューゴの的確な疑問に、司は渋い表情を見せる。

「なあ、此ノ里結愛。おまえはどう思う?」
「はううっ、それは……」

ヒューゴの突然の矛先の変更に、結愛はわたわたと明確に言葉を詰まらせた。

「『破滅の創世』の配下、そして幹部の力は強大だ。おまえの大好きな幼なじみを守り抜くためには、俺達も協力し合った方がいいんじゃないか。そう思わねぇ?」
「そう思わないから断っているんだ」

司の率直な物言いに、ヒューゴはその唇に「感情的だな」と純粋な言葉を形取らせた。

「雄飛司。おまえの情に熱いところは、いつか命取りになるぜ。まあ、俺はここで死ぬつもりはないから、できる限りの揺さぶりをかけさせてもらう」

現状を把握したヒューゴは唇を噛む。
このまま、悪戯に時間を消費しても平行線だ。
何もしなくては『破滅の創世』の配下達の前に為す術もなく朽ち果てるだけだろう。
ならば、機先を制した方が確かだ。

「雄飛司。おまえにとっても、浅湖慧は大切な存在だろう? このまま、俺が非業の死を迎えたら、浅湖慧も死ぬけど、いいのかよ?」
「……っ」

ヒューゴが苦々しいという顔で語った問いかけに、司は絶句する。

「自分達の目的のために、俺達の心を利用する。随分と悪辣な手口だな。まぁ、一族の上層部らしいやり方だけどな」
「そうね」

この世の悪意を凝集したような一族の上層部のやり方に、司だけではなく、慧と観月も激しい嫌悪を覚えたのは間違いない。

「今のところ、『破滅の創世』の配下達と一族の上層部、どちらも派手に動いていないのは、こちらの出方を見計らっているからかもしれねえな」
「厄介ね」

慧と観月は瞳に意志を宿す。
『破滅の創世』の配下達と一族の上層部、どちらも好き勝手にはさせないと――強い意志を。
決して譲れない想いがあった。
「厄介? それはお互い様だろう? ここにいる全員が出方を見計らっているんだからな」

ヒューゴは愉快そうに声を弾ませる。
無限の力を持つ神の加護を得る方法、数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を手中に収める方法の確立は一族の上層部からすれば『悲願』と言えた。
彼らは数多の世界そのものを改変させることが可能な全知全能の神――『破滅の創世』を維持するためにあらゆる謀略を巡らせている。
だからこそ――ヒューゴは戦略で勝機を掴む。

「正直、俺だけでは『境界線機関』の者達や『破滅の創世』の配下達とやり合うことなんてできないしな」
「そもそも、おまえ達、一族の上層部は俺達とやり合うつもりなど、はなからないだろう」

司の意見はもっともだった。
『境界線機関』はこの世界の未来を担う、練度の高い精強な部隊である。
それに今回、司は一族の上層部が有している神の加護に備えて、突入部隊は一族の者達だけで構成している。
猛者ぞろいである『境界線機関』の者達相手に、ヒューゴのみで抗するのは無謀だ。
ましてや、この場には『破滅の創世』の配下達がいる。
それなのに――ヒューゴの表情には動揺の色は一切見られない。
まるで微笑ましい出来事があったように、楽しげな笑みを堪えていた。

「まあな」

ヒューゴは自分を取り囲む『境界線機関』の者達を改めて見渡した。
それをきっかけに、得物を手にした『境界線機関』の者達が次々に突撃を敢行する。

「おっと! だから、俺はここで死ぬつもりはないって言っているだろう!」

ヒューゴは忌まわしくも見慣れた悪意を視界に収めた。

「くっ……!」

想定外の出来事を前にして、『境界線機関』の者達は驚愕する。
ヒューゴの能力。死んだ者をアンデット、つまり不死者にすることのできるそれは、この状況下でも絶対的な強さを発揮した。

「なっ!」

慧は自分が取った行動に対して絶句する。
慧の銃口から煌めく陽光を斬り裂くように、乾いた音を立てて迫撃砲が放たれる。
七発ほどの弾頭が放物線を描き、すぐに爆音が轟いた。

「ちっ、身体が勝手に……!」

慧はヒューゴを守るように、『境界線機関』の者達に対して攻撃を畳みかけていた。

「慧にーさん!」
「奏多、結愛、近づくな! 今の俺は、こいつに操られているみたいだ!」

その事実は、奏多と結愛の心胆を寒からしめた。

「そ、そんな……」
「ほええ、どうしたら……」

奏多と結愛は混乱する頭でどうにか言葉を絞り出す。

「浅湖慧。今すぐ、浅湖蒼真を――『破滅の創世』様を確保しろ!」

反応は劇的だった。
ヒューゴのその言葉が引き金になったように、慧はいつの間にか奏多の目の前にいた。
「――っ。慧にーさん!」
「奏多! くそっ! 身体が勝手に!」

必死の抵抗もむなしく、慧は奏多を捕らえて離さない。

「奏多くん!」
「奏多様!」

予想外の展開に、結愛と観月が悲鳴を上げる。

「だからさ」

そう告げると、ヒューゴは一度、深呼吸をして司の前に立った。
事を始める前に確認はしておきたかったからだ。もし、その可能性があるならば、この戦いは回避できる。

「いい加減、全ての戦力を放棄して、一族の上層部に従えよ」

一瞬、司は戸惑うような気配をみせたが、緩やかに首を振った。

「断ると言ったら?」

司の言葉を予測していたように、ヒューゴはにやりと笑う。

「なら、このまま、俺達が代表して、『破滅の創世』様を本部までお連れする。おまえら、『境界線機関』の者達は『破滅の創世』の配下達の足止めでもしてろよ」

司の疑問に発したのは、提案でも懐柔でもなく、断固とした命令だった。

「……っ」

奏多と慧を人質に取られた状況。
思わぬ事態に、司は表情を曇らせる。
司を始め、『境界線機関』の者達は一族の上層部を毛嫌いしているようだが、しかし、その働きに感謝をせぬような無礼者でもなかった。
一族の上層部もそれを理解している。
奇妙な協力関係は、しかし利害の一致という危うい綱引きの上で成立していた。

「それにさ、俺達が有している神の加護の前では、おまえ達の抵抗など無力だ」

ヒューゴから紡がれる声色に宿るのは面白がるような含み笑い。或いは嘲笑とも感じられようか。
今回、司は一族の上層部が有している神の加護に備えて、突入部隊は一族の者達だけで構成している。
しかし、それ以外の者達は神の加護を防ぐ手立てはない。
ヒューゴがその気になれば、乗客や乗務員達を洗脳して追い詰めることも可能だろう。

このままではまずいな……。

『境界線機関』のリーダーとして、超一線級の戦いを繰り広げてきた司だからこそ感じる座りの悪さ。
何よりヒューゴの余裕のある佇まいが警鐘を鳴らす。
司とヒューゴ。互いに緊迫した空気が流れたその刹那――

「下らないことをするね。一族の上層部の人間は」

そう告げるアルリットは明確なる殺意を慧に向けていた。

「愚かなものだ。このような場所で仲間割れを始めるとは」

口にすれば、それ相応の苛立ちと嫌悪がにじみ出てくる。
リディアは忌まわしくも見慣れた悪意を視界に収めた。

「『破滅の創世』様……!」

そう吐露したリディアの前に、慧は奏多を捕らえたまま、立ち塞がる。

「ちっ、また、身体が勝手に!」

慧はヒューゴが逃れる猶予を作るようにリディアに向けて発砲した。
弾は寸分違わず、リディアに命中するが、すぐに塵のように消えていく。
「理解できないな。無駄だと分かっていながら、わたし達に歯向かうとは」

リディアはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。

「――くっ!」

たったそれだけの動作で、リディアは慧とその周囲にいた部隊の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさは慧達がうめき、身動きが取れなくなるほどだ。

「慧にーさん……!」

奏多は慧のもとに駆け寄ろうとしたが。

「おっと、『破滅の創世』様はこちらだ! 逃がすつもりはないぜ!」

その前にヒューゴが立ち塞がる。

「『破滅の創世』様には、これからも川瀬奏多様として生きてもらわないといけないからな」

そう――もうすぐで手が届くのだ。
一族の上層部にとって、唯一無二の願い。

人間として生きたい。
それを奏多が選ぶだけで――。

このまま『破滅の創世』を人という器に封じ込め続け、神の力を自らの目的に利用するという一族の悲願こそがこの世界を救う唯一の方法だと一族の上層部は知っているのだから。

「このまま受け入れろよ。人間としての人生を」
「卑劣な手段によって人の器に封じた上に、我が主を人と誹るか」

一瞬の隙を見定めたリディアはここを正念場と捉えて――強靭の一撃を込める。

「ちっ、容赦ないな……!」
「……なっ」

慧と観月が目にしたそれは、まさに超越の一撃だった。
元々、彼女達が繰り出す攻撃は群を抜いて強力であったが――リディアがこの瞬間と定めて切り札を投じたそれは神威の如く。
光は瞬きて戦場を貫き、ヒューゴはおろか、周囲の慧と観月、司達『境界線機関』の者すら穿った。
唐突に終わったヒューゴとの対立は、すぐに新たな『破滅の創世』の配下達との戦いを生み出しただけだった。
赤く染めた飛行機は墜落する。
燃え盛る炎の灯は遥か越えて、神の調べを奏でる。
『破滅の創世』の配下達の動きは、奏多達の――そして一族の上層部の者達の想像とは一線を画していた。

「手応えがないな」
「そうだね」

アルリットは同意しつつも、リディアに改めて直言した。

「でも、リディア、やり過ぎだよ。今回、あたし達が遂行するのは『破滅の創世』様を拠点にお連れすることなんだし。それに機内に混じれ込んだ意味がないよ」
「分かっているよ、アルリット。不死の能力を持っているあの人間は生かしている」

アルリットの言葉に呼応するように、リディアは目を細めて深く笑う。
奏多の――『破滅の創世』の記憶が戻るのを待ちわびるように。

「みんな、大丈夫か?」
「はい、奏多くん」

結愛達の身に唐突に訪れた窮地。
しかし、それは奏多が手をかざしたことで危機を脱していた。
機内に大きなバリアが張られ、奏多の周囲にいる者達は全員無事だ。
「奏多、助かったぜ。それにしても、ようやく自由に動けるようになったな」

慧は安堵するものの、改めて自分が犯した行動を思い出す。

「みんな、すまない。迷惑をかけてしまってさ」
「慧にーさん……!」
「良かったです!」
「慧……無事で良かったわ」

苦悶の表情を浮かべる、いつもどおりの慧の姿。
それを見て、奏多と結愛、そして観月は眸に喜色の色を堪える。

「何とか、奏多様の力で難を逃れることはできたが……状況は最悪だな」

視線を張り巡らせた司は置かれた状況を重くみた。
『破滅の創世』の配下達との戦いはこの世界に未曾有の惨事を引き起こしている。
いずれも絶大な力を有する『破滅の創世』の配下達は、世界に滅びをもたらす存在で在り続けていた。
此度の戦場も、飛行機が一瞬で墜落するという蹂躙とでも呼ぶべき光景があった。





「……っ」

曖昧だった意識が浮上していくにつれて、指先や背中の触感も戻ってくる。
ヒューゴの身に一番最初に訪れたのは痛みだった。
全身をくまなく覆う痛みと倦怠感。

「相変わらず、『破滅の創世』の配下の力は強大だな。蒼天の王アルリットが、俺の能力に目をつけたことが生死を分けたってわけか」

ヒューゴは状況を踏まえながらも、完全に置いていかれた状況。
人間を超えた存在が超越の力を振るえば、人間には認識しようがない。
本来なら直撃を喰らったヒューゴが生きていることなど、万に一つもあり得ない。
だが、ヒューゴはアルリットが欲している不死の能力を持っている。
だからこそ、リディアは意図的にヒューゴを生かす一撃を放ったのだろう。

「司、死ぬなよ」

慧の心からの願い。
その眼差しはまっすぐで、強い意志の光に満ちていた。

「当たり前だ。ここで死ぬつもりはない。洗脳が解けたばかりだ。おまえこそ、無理はするな」

それは司とて同じ。慧達に対して同じ想いを抱いている。

「……まぁ、今の俺達のやるべきことは一つ。この状況を凌いで、本部に赴くことだけさ」
「そうだな……」

慧と司は瞳に意志を宿す。『破滅の創世』の配下達の、そして一族の上層部の好き勝手にはさせないと――強い意志を。決して譲れない想いがあった。

「まだ、これからだ」

身を割くような痛みが迸っている。だけど、慧の顔にあるのは笑顔だけだ。

「奏多。もう二度とおまえを犠牲にするつもりはないからな。たとえ、再び操られても、絶対に守ってみせるさ」

奏多を見つめる慧の眼差しはどこまでも優しかった。