「でも、あなた、生きてーー」
「今の俺はアンデット、つまり不死者だ。まぁ、誰かは分からんが、俺を蘇えらせた奴がいるらしいぜ」
そう呟いて空を見上げた慧は風の行く先から目を逸らした。
「何でそんなこと……」
「もちろん、不死者の俺を利用するためだ。『破滅の創世』の配下の奴らは不老不死。それに対抗するためにさ」
慧が苦々しいという顔で語った話に観月は絶句する。
混乱は治まることはなく、むしろ深まっていた。
「利用……?」
「理解できないな。利用されていると分かっていながら、わたし達に歯向かうとは」
観月がさらに疑問を発しようとしたが、リディアが遮る。
「理解に苦しむ行動をするのは一族の者の性か」
「そうかもな」
慧は観月の態勢を整える猶予を作るように発砲した。
絶え間ない攻撃の応酬。だが、弾は全て塵のように消えていく。
決定打に欠ける連撃。
それでも慧は怯む事なく、観月と連携して次の攻撃に移った。
「やっぱり……」
その攻防の最中、浮遊し、中空から戦線の把握に務めていたアルリットは気づく。
「リディア。ケイ達はあたし達に勝つのが目的じゃない。この場に足止めすることだよ」
そう口にしたアルリットはこの数手の攻防だけで、慧と観月の思惑を肌で感じ取っていた。
慧達は今、完全に待ちに徹している。
それは学園にいる奏多達からアルリット達の目を逸らさせることを狙ってのもの。
『破滅の創世』の配下の力は強大だ。その上、不老不死である。何かあれば、勝敗の天秤はアルリット達に傾く。
だからこそ、慧達は焦らない。
二人は敢えて、アルリット達をこの場に留めることを狙っていた。
しかし、その均衡はリディアによって崩される。
「ちっ!」
アルリットが空から慧に肉薄する――その瞬間、リディアは観月の背後に回っていた。
「観月、後ろだ!」
「――っ。降り注ぐは――」
だが、観月がカードを構えようとすると、リディアは驚異的な速さで迫った腕を掴んだ。
慧の掩護射撃すら間に合わない。即座に持っていたカードを奪われ、観月は吹き飛ばされてしまう。
「このカードは違う。これも違う。アルリット、『破滅の創世』様の記憶のカードはここにはない」
リディアはこの場に目的のカードはないことを把握する。
「リディア、あの建物に同じような力の使い手がいるよ」
アルリットの見下ろす先にあるのは人々の抗い。
『破滅の創世』の配下の者によって呼び出された終焉より零れ出た神獣の群れを相手に、学園の教師や生徒達――一族の者達は健闘している。
その中にはカードをかざして奏多を護る結愛の姿があった。
「――うん、あの人間、神獣を相手に『健闘』しているね」
そう、健闘している――あるいは善戦しているとでも言い換えてもいい。
その言葉の裏には『敗北』が決しているという事実がある。
「誰だ? 何故、一族の者はあの人間を逃がそうとする?」
リディアが奏多を見て最初に思ったのがそんな疑問だった。
「あなたは初めて会うんだったよね。あの方が今の『破滅の創世』様なんだよ」
「なっ……!」
突飛な話で何を言っているのか分からない。リディアの思考が掻き乱されていく。
「ど、どうして……? 嘘、だろう……?」
リディアは混乱する頭でどうにか言葉を絞り出す。
「あの者が我が主なんて、そんなはずは……。どう見ても覇気がない。周囲の人間に対して敵意がない」
「『破滅の創世』様は記憶を奪われて、連中に利用されているんだよ。神魂の具現として、ありえざる形の生を受けてしまった存在。それがーー今の『破滅の創世』様の真実」
それは今まで信じてきたものが根本から崩れ去っていくような感覚だった。
だが、激情と悲哀、その他様々な感情が渦巻く無窮の双眸。
アルリットのその瞳が告げていた。
これらは全て、紛うことなき事実であると。
「……嘘だ。では、わたし達が探し求めていた主は……」
「今も連中に利用され続けているだけなんだよ」
かって三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』が記憶を封じられ、ただの人間に成り果てている。
かっての『破滅の創世』の姿が、唐突にリディアの脳裏を掠めた。
「わたしは我が主の無念を晴らしたい」
「あたしもそれは同じ」
リディアの宣誓に呼応するように、アルリットは一族打倒を掲げる。
そんな彼女達の前に、慧と観月は立ち塞がった。
「アルリット。今度は確実に俺を消滅させるんだろう?」
「ケイ……」
それは最初の一手から賭けとなった。
水を向けたアルリットから即座に距離を取って、慧は自らの得物を直ちに発砲する。
このただ一度の打ち合いにおいても、敵方であるアルリットが本気で攻撃した場合、慧が為す術もなく倒れてしまうことは想像に難くないと予測された。
「消滅。それはあたし達に今すぐ殺されたいって言うの?」
問題は――。
その本気に至る以前の攻撃ですら、慧と観月、そして学園内で戦っている結愛達にとっては致命打になりかねないものであったということだった。
「あたし達、『破滅の創世』様のためなら何でもするよ」
「それが何を指していようともな」
絶望的な力の差だった。
圧倒的な力量差だった。
それでも慧は握る銃の柄に力を込める。視線を決してアルリットから外さずに。
「……あいつらを見捨てる。それは、きっと。俺にとって、死よりも恐ろしいことだからさ」
強大な敵の前に死した慧にとって、それは最早揺るがない決意だった。
大切な人達を。大切な人達との未来を。最早この手から欠片も零すまいと決意した彼は、全霊を以てアルリットに弾丸を撃ち込む。
たとえ敵わずとも、その果てにある未来を手にするために――。
――その瞬間、大地が震えた。
鳥が飛び立つ。小動物が逃げ出す。逃げれぬ花は死を悟りて枯れ始めた。
大地が嘆いている。空が啼いている。世界は軋むように雷雨という涙を零す。
彼方を見据えれば、天の色が端より紅とも紫ともに染まり始める。
これは――まるで彼の存在が世界を滅ぼせと謳っているかの如くだ。
襲い来る神獣の群れを相手に、結愛はカードを操り、約定を導き出す。
「行きますよ! 降り注ぐは氷の裁き……!」
その刹那、立ちはだかる神獣の群れへ幾多の氷の柱を敵の群れの直下から突き立てた。
しかし、神獣は自在にその身を硬化する。カードから放たれた氷の刃は神獣を捉えることはなく、左右に受け流された。
「また、カードの力を無効化したのか……?」
「ほええ、最悪です。全く効いていないですよ!」
奏多と結愛がじわじわと押し込まれていく中、神獣の群れの連携攻撃は徐々に苛烈さを増していく。
「もう一度、降り注ぐは氷の裁き……!」
結愛は氷塊を連射し、生ずる氷柱で神獣の直撃を阻む。さらに放たれた強固な一撃を辛くも躱すが、巨体に反して神獣の動きは決して鈍くない。
「……くっ」
「はうっ……」
次撃は避けられず、奏多と結愛は壁に叩きつけられた。
神獣の群れは圧倒的な攻撃力と速度で、四方八方から攻勢をかけ続ける。
対する奏多と結愛は防戦一方だ。
「多勢に無勢なら、それに対応するまでだ」
奏多は不可視のピアノの鍵盤のようなものを宙に顕現させると軽やかに弾き始めた。
川瀬家の者は魔楽器使いと呼ばれている。
魔楽器――それは演奏することで魔術的な力を発揮する不思議な楽器だ。
奏多はピアノの魔楽器奏者である。
研ぎ澄まされた表情で迅速に、かつ的確に鍵盤を弾いていく。
赤い光からなる音色の猛撃を次々と叩き込む。それは治癒の反転、その彼なりの極致は神獣の群れをたじろがせた。
「結愛、上空から新手だ!」
と、その時だ。眼前の神獣の群れとは別の方角から……奏多は殺意を感じ取る。
――直後に飛来するのは『雷』だ。この地を荒れ狂うように降り注いでいる。
奏多がふと気が付くと、目の前に人影が立っていた。
くすんだ銀髪のまだ、幼さの残る少女。
誰だ?
その姿が目に入った瞬間――奏多は呼吸すら忘れたように少女を見入った。
彼女を見ていると、まるで意識が吸い込まれそうになる。
なのに何故か、この少女から目を離すことができない。
でも、どこかで会ったことがあるような気がする……。
疑問に思う中、奏多は周囲の変化に気づいた。神獣の群れの動きが突如、統率のとれたものに変わったのだ。
「敵の動きが変わった……?」
遊撃として神獣の群れを倒すべく駆ける一族の者達も周囲の状況が見る間に悪くなっていることを理解していた。
もとより戦線撹乱が目的の神獣の群れは、攻撃されても動きが止まることはない。そして目の前に現れた少女は彼らの心の支え足りうる。
最悪の循環が生まれていた。
それでも死線の狭間で一族の者達は奮闘する。だが、神獣は無限湧きみたいなものだろう――故に、焦らず冷静に。
奏多を護る盾としてあり続けるのだと、彼らは強き信念と共にここにいる。
彼ら誰一人の踏ん張りも足りなければ、或いは戦場は瓦解し、即敗北も肌一枚の先にあった。
「なっ……?」
少女は奏多の前で膝をつく。それはさながら騎士の示す臣従の礼のようだった。
「『破滅の創世』様、いつかは……全てを分かってほしい……」
銀髪の少女――リディアが発した決意の言葉は、刹那の迷いすらなかった。
「一族の者は全て、『破滅の創世』様に目を付けて、私欲のために利用しようとしている愚か者だ」
最強の力を持つとされる神『破滅の創世』を人という器に封じ込め、神の力を自らの目的に利用する。その一族の行為は『破滅の創世』のみではなく、他の神全てに対しての裏切りだ。
『破滅の創世』の配下であるリディア達にとって決して看過できない行為だった。
「そんなこと――」
「信じる信じないは我が主の自由だ。だけど、わたし達は一族の者の愚行によって……絶望を見ているんだよ」
その言葉の端々に戦慄を覚えることすら忘れて。
奏多は目の前に佇むリディアにただただ意識を奪われ続けている。それでも――
「そんなことないです! 私達にとって奏多くんは大切な存在です!」
「……結愛!」
結愛は勇気を振り絞り、奏多の前に立った。
全ての発端は強大な力を求めた一族の愚かな渇望だった。
相手の言い分が正しいことも理性ではきちんとわきまえている。しかし、感情で納得できるかはまた別の話だった。
「私にとって、奏多くんは奏多くんです。奏多くんは約束してくれました。絶対に傍にいるって……」
カードを掲げた結愛は一度だけ目を伏せ、そしてリディアをまっすぐに見つめる。
「だから、『破滅の創世』の配下さん達には奏多くんを渡しませんよ」
出る杭は打たれるもの。
いずれ来る未来を待ちきれずに走り出した結愛へ、恐らく世界は容赦なく牙を剥くだろう。
どこまで行けるのか分からない。神と人間、この関係が正しいかも定かではない。
それでも奏多と結愛の心は今、確かに響き合っている。
人間と神が何の隔たりもなく、共に過ごしていく。
きっと、いつか夢想しただろう、そんな光景。
その儚い夢の輪郭をこの場で垣間見て、結愛は激闘の囀りとともに震え落ちた。
「降り注ぐ、は……」
結愛はカードを振るう。ふわりと浮かび上がる氷の柱が彼女に膝を突くことを許さなかった。
「氷の裁き……!!」
氷塊の連射が織り成したところで、結愛は渾身の反攻を叩き込む。瞬時に氷気が爆発的な力とともに炸裂した。
カードから放たれた無数の強大な氷柱はリディアを突き立てようとするが、しかし――全てが無干渉に通り抜けていく。
圧倒的な力量差の前に為す術がない。それでも結愛は思いの丈をぶつけた。
「絶対に負けませんよ! 私は奏多くんが……『破滅の創世』様が大好きですから!」
それは今朝、校門前で奏多に伝えた大事で大切な告白。それでも想いがそのまま形になるように、結愛の心にとめどなく言葉は溢れてくる。
「って、奏多くんはもう知ってますよね。でも、言わせてください。何度言っても、この気持ちは伝えきれません。だから、何度でも繰り返します」
「結愛……」
奏多に向ける結愛のまっすぐな瞳は変わらない。紛うなき本音を晒しているのが窺えた。
「奏多くんを好きになるまで、お姉ちゃんや周りの人を悲しませるだけの私でした。誰かと深く関わろうなんて、思いもしませんでした」
淡い儚い過去の足音。
結愛は幼い頃、臆病者だった。観月に手を引いて貰わねば、歩き出せないほどの怖がりで。
――『不変』を望んだのは結愛の心だった。
「だけど、そんなことを忘れるくらい、奏多くんは素敵な人で、奇跡のような時間をくれて……」
涙色に染まる指先に。
この時間が永遠に続けば良いと――結愛は願いながら。
だからこそ、今のままで過ごすわけにはいかない想いがある。
「もしワガママが許されるなら、私は奏多くんと一緒にいたいです。奏多くんのことがずっとずっと大好きですから!」
永遠に枯れることのない想いを込めて。
きっと、この一瞬は神に望まれない恋をした結愛にとって救いだった。
しかし――
「馬鹿な、あり得ない!」
驚きと戸惑いを滲ませた声で、リディアは結愛の決意を切り捨てた。
「一族の者は『破滅の創世』様に目を付けて、今も私欲のために利用しようとしている愚か者だ」
これから何をしようと一族の者の罪が消えるわけではない。
『破滅の創世』の配下であるリディア達が決して許さないことが彼らの罪の証明となる。
「ふざけるな! 人間が……ましてや一族の者が『破滅の創世』様にそのような感情を抱くなど――」
「ふざけていませんよ! 明日、今日の奏多くんに逢えなくても、私は明日も奏多くんに恋をします! 怖いですけど……すごく不安ですけど……もう逃げません!」
リディアが嫌悪を催しても、結愛は真っ向から向き合う。
最後まで自分らしく在るために――結愛は今を精一杯駆け抜ける。
それは結愛なりの矜持だった。
「うわあああん! 怖いよぉ……怖いよぉ……奏多くんが怖いよぉ……」
幼い頃、結愛は泣いていた。
『破滅の創世』の記憶がある時の奏多はまるで別人のようだった。
記憶が戻った途端、まるで二重人格のように人格が変わったような振る舞いで他人を寄せ付けまいとする。
そもそも『彼』は本当に奏多なのだろうか?
そう思うほど、『破滅の創世』の記憶がある時の奏多の様子は結愛の知る奏多とはかけ離れていた。
常に記憶が封印されている影響で神の力を行使することはできないとはいえ、出会った頃は何度も殺されかけたこともある。
怯えの果てに、結愛達の心を支配するのは奏多への強い畏怖。
学園の教師や生徒達も『破滅の創世』である奏多とは一定の距離を保っていた。
「うわぁん! 怖いよぉ……怖いよぉ……」
一向に泣き止まない妹を見かねたのか、観月は視線を合わせて優しく頭を撫でた。
「ねえ、結愛。今日の奏多様が怖かったのなら、昨日の奏多様と遊んだ時のことを思い出したらどうかしら?」
「……うううっ……は、はい、お姉ちゃん。私……奏多くんとの思い出に逃避するなら超得意です」
昨日の奏多と過ごした時間だけがどこまでも優しくて、どうやったってそこに戻れない今日が悲しい。
それでもこうして結愛が奏多への確かな想いを貫けるのは、『破滅の創世』の記憶がある時の奏多も『奏多』だと気づけたからだ。
「人の心なんて知らなければよかった。知りたくなんてなかった」
それは現在の奏多が発したものではなく、過去の奏多が零した確かな想いの吐露である。
あの日、昇降口に向かう途中で音楽室の前を通りかかったのはほんの偶然だった。
奏多くん……?
ふわりとピアノの鍵盤に指を置いた奏多は呼吸をするように自然に弾き始めた。
水晶みたいに透明な音が一音一音、宙で青くきらめいて旋律を奏でる。
喜びも悲哀も苦痛も、全てが詰まったこれまでの数多の人々の人生。
どこまでも遠くへ。世界の軸さえ越えた場所にいる誰かに呼びかけるように、ずっと遠くへ。音楽室に慈しみに満ちた旋律が広がっていく。
「えへへ……奏多くんが奏でる演奏、最高です」
音楽には聴いた人のイメージを喚起させる力があると結愛は思った。
「ふふふです。見つけましたよ、奏多くん」
結愛はありったけの勇気を振り絞って音楽室に入る。
「……」
「は、はうっ……ダメですよ。……そ、そんな虫ケラを見るような目で見ちゃダメダメです」
暗き眼光に貫かれても、今日の結愛はめげなかった。
怖くないと言ったら嘘になる。
恐怖心を抱いていないと言ったら嘘になる。
迷いがないとは言えない。
だけど、そんな気持ちより奏多の傍にいたいという想いの方が何十倍も強い。
だが、その勇気は長くは持たなかった……。
「……」
「――っ」
それは無知蒙昧なる滅びゆく人類に向ける目とでもいうのだろうか。奏多の瞳からは何も感じられない。そこには凄惨な絶望と冷徹を同居させたような闇がある。
今の奏多は何かが生じれば、何の躊躇いもなく、感慨もなく、結愛を殺すということが分かった。
うううっ……怖い、怖いよぉ……。
でも……。
結愛は怯えつつも、奏多の顔をその眸に焼きつける。
奏多の優しい言葉が、結愛と呼んだその声が、目が合えば笑ったその笑顔が、今日は見ることはできない。
神と人間は根源的に繋がらない。
不可視の関係性。
それでも――
「奏多くん……。私……奏多くんのあの演奏から私達と同じ人の心を感じたんです」
今までの出来事を通じて、結愛の中に生じた躊躇い。
時を忘れ、我を忘れ、全てを省みずに一心に突き進む。
それは人も神も同じなのかもしれないと――。
「人の心なんて知らなければよかった。知りたくなんてなかった」
「そ、そんな言い方ぁ、卑怯ですよぉ、奏多くん」
裏を知れば、同じ事象でも見方が変わる。
見方が変われば、怖かった世界も変わる。
「私はどんな奏多くんでも大好きですよ」
聖なる演奏の後ならば、ほんの少しだけ太陽に近づいてもいいだろうか。
その手を追いかけても構わないのだろうか。
また置いて行かれてしまったら、そんな囁きが結愛の胸を締めつける。
「だから、私にも奏多くんと同じ光景を――明日を見させてください」
伸ばし掛けた指先に冷たい孤独の破片が舞い降りて、結愛は独り残される恐怖を思い出した。
温かさの後の寒さは、怖くて辛くて、きっと耐えられないから。
ずっと、奏多の傍に居させてほしい。どうかこの命に奇跡の光を。
「ダメだったって言われても、私はずっと奏多くんの傍にいたいです」
奏多と歩む未来が見たいから。その平穏が欲しい。
それがいつになるか分からなくても、遠い遠い先の話であっても。
それをよすがに生きていくことが出来るから。
だから信じたい。奏多と結愛が出会ったのは悲劇ではなく、奇跡の始まりなのだと。
『破滅の創世』の配下であるリディアが『破滅の創世』である奏多を狙う、当然の帰結だ。
しかし想定外を前提に動く一族の者達と、狙い通りに立ち回るリディア達では行動の精度が違う。
動線の差は明らかだった
「今回、わたし達が遂行することは一族の者達が匿っている『破滅の創世』様の『記憶のカード』の確保だ。戯れ言を聞くことではない!」
一族の者のうち、記憶を封印する力を持つ此ノ里家の者達が主体となって奏多の神としての記憶を封じ込めた。
結愛は此ノ里家の者の一人であり、『破滅の創世』である奏多に想いを寄せている。それだけでリディアが敵と断ずるには十分すぎた。
「戯れ言じゃないですよ! 本当の本気の本物です!」
そう意気込んだ結愛とリディアの視線が再び交差する。
「好きな人ができるっていいですね。世界が変わるんです。戦うことが怖くても、奏多くんが傍にいるだけで勇気が湧いてきます!」
奏多の傍にいるだけで甘く優しい幸福に満たされる。
ふわりと色とりどりの色彩が結愛の胸中を包み込む。
「一族の者が『破滅の創世』様にそのような感情を抱くなど、愚かだ。無為だと知れ!!」
連綿の攻防の最中、リディアが宙に顕現させた数多の光の槍を投擲する。
『破滅の創世』が定めし世界を歪めた一族の者達に天罰を与えて、『破滅の創世』の意志を遂行する。
この世界の淀んだ流れを正すべく天に還すために――。
この強靭な猛撃をまともに浴びれば、結愛は瞬時に消滅してしまうだろう。
だが――無数の光の槍が結愛に突き刺さる前に、その間にまばゆい閃光がほとぼしる。
「そうはさせるかよ!」
奏多が事前に、不可視のピアノの鍵盤のようなものを宙に顕現させて鍵盤を弾いていたのだ。
青い光からなるのは音色の堅牢堅固な盾。その彼なりの極致は光の槍を弾いていく。
「続けて行きますよ! 降り注ぐは氷の裁き……!!」
氷塊の連射が織り成したところで、結愛は渾身の反攻を叩き込む。瞬時に氷気が爆発的な力とともに炸裂した。
「大丈夫か、結愛」
「はい、奏多くん」
奏多と結愛は会話を交わすことで、感謝の念と次なる連携を察し合う。
「『破滅の創世』様……」
リディアは攻撃を防がれたことよりも、奏多が結愛を救うために割って入ったことに動揺していた。
「どうして……どうして……その人間を庇うんだ……? その人間は『破滅の創世』様の記憶を封印した一族の者だ」
「……っ」
そう吐露したリディアの瞳と奏多の瞳が重なる。その瞬間、奏多の胸が苦しくて息苦しくなる。
リディアの瞳はあまりにも深く、吸い込まれそうだったからだ。
「本当は言いたいことがあるはずだ。卑劣な手段によって人の器に封じ込められ、神の魂の具現としてありえざる形の生を受けてしまったことへの怒りや恨みをその神魂に溜め込んでいるのだろう」
リディアが発した発露は奏多の神意を確かめるような物言いだった。
「俺が言いたいこと……」
その申し出に即座に対応するのは、今の奏多には酷な要求であった。
しかし、不意に頬が冷たいような気がして、奏多は手を当てて見る。すると何故か、しっとり濡れていた。
俺、何で泣いているんだ……?
怪訝に思う心とは裏腹に、奏多は言葉を吐き出す。それは神託とも取れるものだった。
「罪代を払え。愚者の理解はいらぬ。ただ現実を示すのみ」
口にしたそれは自分が発したとは思えない無機質な、しかし懐かしさを感じさせる声だった。
三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』は創造物の反抗を絶対に許しはしない。
弁解も反論も必要ない。故に人々は諾々としてそれを受け入れるしかない。
だからこそ、奏多はこの世界全てにあまねく終焉を告げようとして――。
「奏多くん……?」
「あ……」
戸惑いを滲ませた結愛の声が、忘我の域に達しかけた奏多を現実に引き戻す。
「ゆ……結愛……」
その瞬間、様々な負の感情が押し寄せてくるようで――奏多は頭を押さえて膝をつく。
「はううっ。……か、奏多くん、大丈夫ですか?」
そんな奏多の様子を見て、駆け寄った結愛は顔を青ざめる。
奏多の突然の異変、そして先程の奏多の物言いが、まるで大きな意思――神の裁きによって下される罰のように聞こえたからだ。
しかし、結愛が生じた不安とは裏腹に、リディアは息を呑み、短い沈黙を挟んでから宣言する。
「御意のままに。一族の者には相応の報いを受けてもらうだけだ」
リディアは我が意を得たとばかりに微笑んだ。
奏多が『破滅の創世』だと確証を得られたことも大きかったかもしれない。
リディアにとっての正義とは即ち『破滅の創世』の言葉の完遂である。
その想いを、何時の日か結実させることだけを己に誓って。
立ち上がったリディアはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。
「――きゃっ!」
たったそれだけの動作で、リディアは結愛とその周囲にいた一族の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさは結愛達がうめき、身動きが取れなくなるほどだ。
衝撃の反動で、結愛の所持していたカードが周囲に散在する。
「このカードも違うか。アルリット、『破滅の創世』様の記憶のカードはこの人間も持っていない」
カードを拾い上げたリディアはそれが目的のカードではないことに表情を歪ませた。そして、別の場所で戦闘を繰り広げているアルリットへと目を向ける。
「そっか。リディア、ちょっと待って、もう一つ遂行しなきゃならないことがあるから」
そう言うアルリットは目的のカードがなかったことに落胆していない。
むしろ、『破滅の創世』である奏多の神命をリディアとともに直々に聞けたことが喜ばしいとばかりに笑んでいる。
奏多が示した悲憤の神命。それは絶対に成し遂げなくてはならない。
「『破滅の創世』様は相変わらずご立腹だな。まぁ、神のご意思はそう簡単には変わらんか」
「……そうね」
身に覚えのあるその――奏多の神意は、もうずっと前から下されていた過去からの警鐘。
それでもアルリットと相対していた慧と観月はやりきれない思いを強く匂わせていた。