神奏のフラグメンツ

「それは――」

困惑する奏多の反応も想定どおりだったというように、アルリットの表情は変わらない。

「……辛い気持ちを我慢しないで。あたし達、『破滅の創世』様のためにできることなら何でもするから」

たった一つの想い。
何もかもを取り戻せるなら、アルリットはあの頃の『破滅の創世』を取り戻したいと願っていた。

奏多に――『破滅の創世』に揺さぶりをかけている。

その歴然たる事実を前にして、慧の取った行動は早かった。

「アルリット。今度は確実に俺を消滅させるんだろう?」
「ケイ……」

それは最初の一手から賭けとなった。
水を向けたアルリットから即座に距離を取って、慧は自らの得物を直ちに発砲する。
このただ一度の打ち合いにおいても、敵方であるアルリットが本気で攻撃した場合、慧達が為す術もなく倒れてしまうことは想像に難くないと予測された。

「消滅。それはあたし達に今すぐ殺されたいって言うの?」

問題は――。
その本気に至る以前の攻撃ですら、慧と観月、そして奏多とともに戦っている結愛達にとっては致命打になりかねないものであったということだった。
その時、慧は近くにあった電柱から突き刺さるような視線を感じ取る。

「……っ」

観察とも取れる不気味な監視カメラの動き。
それは――慧達が何らかの行動を示せば、全てが丸裸にされるような謀(はかりごと)を感じた。

こいつは……。

おぞましいほどの作為。
この感覚は今まで散々味わっている。一族の上層部による監視だ。
まるでこれからの対策を立てることを強調するように、アルリット達の戦いを白日の下に晒そうとする。
そんな監視下の中――

「下らないことをするね。一族の者は」

その声色が降り注いできたのは、真に戯れであったが故か。
それとも――何か別の思惑があってのことか。
その意図を慧達が掴むより早く、アルリットは纏う空気を変える。

「全て丸見えだよ!」

勢いよく振りかざしたアルリットの右手から、今までと比較にならない規模の力が放射されて、空に巨大な裂け目を描き出した。
その裂け目から途方もない焔の塊の数々が轟音とともに地上に落下する。
その瞬間――

「ちっ、容赦ないな……!」
「……なっ」

爆風に巻き込まれた慧と観月が目にしたのは、電柱が突き並んでいた一帯を焦土と化して灰燼と帰してしまうほどの圧倒的な強さを持つ敵の存在。
焔の塊は設置されていた監視カメラを中心にして落下し、ことごとく破壊の限りを尽くしていた。
アルリットは、まるで最初から全ての監視カメラの位置を把握していたように猛威を振るっている。
その過程の最中で残されるはずだった監視カメラの記録は、圧倒的な威力と速度の前ではただ無為の証左にしかなりえない。

……脆い。あまりにも。

アルリットの放った軽い打突はいとも容易く、一族の上層部の作為を粉々に砕いた。


「なんと恐ろしい……」
「監視カメラが破壊されてしまった。由々しき事態だ」

近場の電柱に設置していた監視カメラの映像から、その光景を見ていた一族の上層部の者達は眉をひそめる。
アルリットの動きは、一族の上層部の者達の想像とは一線を画していた。

「だが、既に我々は『破滅の創世』様の記憶を再封印している」
「たとえ、『破滅の創世』の配下達がカードを用いてきても、奏多様が『破滅の創世』様の記憶を完全に取り戻すことはない」

数多の世界の可能性を取り込んだこの世界で繰り返される『破滅の創世』という神の加護を用いた実験と解析。
その過程で顕現する『破滅の創世』の配下達という存在は、一族の上層部にとって看過できないものになっていた。





「邪魔者がいなくなったところで、改めてお伝えいたします」

レンは改めて、誓いを宣言する。

「此ノ里結愛さん。その人間は『破滅の創世』様に害を為す存在です。その人間の言葉に惑わされてはいけません」
「そんなことない! 結愛は俺にとって大切な存在だ!」

『破滅の創世』であるはずなのに、『破滅の創世』の配下達と分かり合えない。
奏多とレン達を隔てる、たった一つの最も重要で決定的な要素。

その要素は……『失った神としての記憶』だ。

その記憶には、一族の上層部が犯した罪過への『破滅の創世』の憤懣がある。
ましてやそれが延々と折り重ねった憎しみに起因するものであるならば、もはや激昂に近いかもしれない。
『破滅の創世』である奏多であればこそ、その怒りを身に染みるほどに理解している。
何度も神としての憤りに――絶望視した過去に囚われてしまうかもしれない。

それでも……諦めたくない。
結愛と……みんなと共に生きたい。

奏多は現実で踏ん張ると決めている。
奏多が人として生きた人生という道を、『破滅の創世』は否定なんて出来ないはずだ。

「それに人間として生まれたことを過ちになんてしたくはないから」

言葉は、言葉にすぎない。
約束なんて言葉は特に曖昧で、時としてたやすく霧散してしまう。
それでも二人で歩む未来はこれからも続いていくと、あの時、結愛と交わした甘く確かな約束を求めて。
その時、心中で無機質な声が木霊した。
『人の心など不要なものだ。愚者を守る必要などない』

分かっている。
人は、永遠ではない。
そんなことは分かり切っていることなのだけど。

それでも。

それでも――

「どんなことがあっても、俺は結愛と交わした約束を『信じている』」

言葉は所詮、言葉だ。音の波は空気に触れれば溶けていく。
それでも奏多はここで終わらせたくない。
そう強く願った瞬間の想いはいまだ胸の内でくすぶっている。
熾火のように燃え尽きず、赤々と熱するままに己を昂らせていた。

「ずっと傍にいるって約束したからな」
「ふふ、言いましたね、約束の力は無限大ですよ!」

ありふれた何気ない日常こそが救いなのだと他の誰でもない奏多と結愛だけが知っている。
二人でいれば、世界はどこまでも光で満ちていた。

「それに俺は、結愛と――みんなと離れたくない。自分自身の手でこの幸せを手離したくない」

奏多は信じている。自分自身の力と未来を。
人は自らの足で歩いている。独りではなく、手を取り合って。

「結愛達とこれからも一緒にいたい。痛くても苦しくても怖くても、この感情から逃げたくないから」

奏多は聞いていた。数多の旋律を束ね、神奏を天へと放つ。数多の人々の想い。その旋律は永久に紡がれるはずだと。

「結愛は俺にとって大切な存在だ。絶対に守ってみせる!」

奏多は不撓不屈の意思を示す。
結愛を守るために身体を張って前に出た。

「奏多くんが守ってくれる……」

奏多の名を口にするだけで愛おしさがこみ上げる。
同時に切望する思いが広がった。
奏多に伝えたい想いはたくさんある。これから長い時を一緒に過ごすたびに、それは増えていくのだろう。

「あの、あの、あのですね」
「結愛……?」

その時、結愛が真剣な眼差しで奏多のもとににじり寄ってくる。
そして、顔を上げて願うように言葉を重ねた。

「……奏多くん、これからも好きでいてくれますか? もし、神様の記憶を完全に取り戻したとしても……あの、あの、私のこと、好きでいてくれますか?」
「当たり前だろ」

奏多が発した言葉の意味を理解した瞬間、結愛の顔は火が点いたように熱くなった。

「はううっ。……もう一回、もう一回!」

妙な声を上げながら、身をよじった結愛が催促する。

「今のって、当たり前だろ、ってやつか……」
「うわああ、すごい……幸せです……。も、もう一回!」
「当たり前だろ」
「きゃーっ」

張り詰めていた場の空気が温まる。
この瞳に映る花咲く結愛の笑顔が春の温もりのように感じられて。
奏多は強張っていた表情を緩ませた。
「つーか、このやり取り、いつまでも続きそうだな」
「結愛のことだから、いつまでも続くと思うわ」

戦乱の中で、慧と観月は弟と妹が紡ぐ温かな光景を見守っていた。
奏多と結愛が抱く永久の想い。
その安らぎが、少しでも永くあることを願って。
しかし――

「……分かりました」

奏多達の光景を目の当たりにしたレンが深刻な面持ちで告げる。
苦渋に満ちたその顔からは、その奥にある感情の機敏までは読みきれない。

「本来なら、『破滅の創世』様のご意志でお使いになられることが理想でしたが……仕方ありません」

それはただ事実を述べただけ。だからこそ、余計にレンは今の奏多の――『破滅の創世』の置かれた状況に打ちのめされていた。

奏多と結愛の温かな交流。
だからこそ、レンの胸を打つのはあの日の悲劇。
ここはそこへと通じる道だと痛いほどに思い出す。

「『破滅の創世』様。『破滅の創世』様の許可を頂く前に、記憶のカードをこの場で使用することをお許しください」
「記憶のカード……!」

警戒の表情を浮かべた奏多に対し、レンは恭しく礼をした後、小さく言った。
 
「リディアとアルリットが危惧していたのはこのことだったんですね。神である『破滅の創世』様が、人の心を持つこと。確かに危険な状態です」

レンは人の心という脅威を甘く見積もっていた。
これが『破滅の創世』が現在の状況に追い込まれた要因の一つだろう。

「『破滅の創世』様、必ずや一族の呪いからお救いいたします」

レンが発した決意の言葉は、刹那の迷いすらなかった。

そう――もうすぐで手が届くのだ。
『破滅の創世』の配下達にとって、唯一無二の願い。
神として生きたい。
それを奏多が選ぶだけで――。

『破滅の創世』が示した神命。それは絶対に成し遂げなくてはならない。
遥か彼方より、望みはたった一つだけだった――。
『破滅の創世』の配下達は主が御座す世界を正そうとする。その御心に応えるべく献身していた。
それはこのまま『破滅の創世』を人という器に封じ込め続け、神の力を自らの目的に利用するという一族の上層部の悲願とは相反するものだった。
しかし、今、この場には奏多にとって大切な存在である結愛がいる。
この状況を変革させる手段を用いようとして、着々と準備を整えていたレンにとっては望ましくない状況だった。

「……何でだろ」

レンの意識が奏多に向けられている。
即刻、この場から立ち去らないといけないのに。

「動けない……」

奏多は油断すれば湧き上がる想いを前にして俯く。
渦巻く不安はどうしようもなく膨らんでいくばかりだ。
「いや、動けないんじゃない。これは……」

奏多は刹那、気付いた。
身動きが取れない理由。それは内側から湧き上がる『破滅の創世』としての意思が、奏多の動きを制限しているからだと。
自身の記憶を取り戻すために――。

「早急に対応する必要がありそうです。『破滅の創世』様、ご無礼をお許しください」

レンはカードをかざすと、決意を込めた声でそう告げた。

「――っ」

その瞬間、奏多はまばゆい光に包まれて、意識が途切れそうになった。

レンがこの場で『破滅の創世』の記憶のカードを用いても、記憶を再封印されたことで、奏多が『破滅の創世』様の記憶を完全に取り戻すことはない。
しかし、それは言い換えれば、その事実が発覚した瞬間、今度は結愛達――此ノ里家の者達が狙われることを意味していた。

何とかしないと……。

朦朧とした意識の中、奏多はふらっと吸い寄せられるように、音もなく、一筋の光に吸い込まれていった。
靄(もや)がかかったように、視界が白く塗りつぶされていく。
身体の感覚も薄れて、まるで微睡みに落ちるようだった。
遠くなる意識の中、奏多は強く願う。

ずっと傍にいるって、結愛と約束したんだ。
だから、絶対に『破滅の創世』としての記憶に飲み込まれないーー。

その願った瞬間、望の意識は再び、闇に落ちる。
寂寞(せきばく)も冷えも焦りも、今は胸の底に沈んでいった。





ふと、奏多は目覚める。
寒い。
まるで吹雪く大地に立っているようだった。
しかし、胸元には温かい何かがあった。
とてもとても優しい、この冷たい中で、それは一際、熱を放っていた。
まるで守ってくれているように。

この温かい何かは何なんだろう?

怪訝に思う心とは裏腹に、奏多は言葉を吐き出す。それは奏多が抱いた想いを否定するものだった。

「人の心など、不要なものだ」

口にしたそれは自分が発したとは思えない無機質な、しかし懐かしさを感じさせる声だった。

人の心?

奏多は混乱する頭でどうにか想いを絞り出す。

この温かい何かは……人の心なのか。

そこに疑いを挟む余地はない。
この胸の温もりが全てを物語っていた。
再び、奏多は言葉を吐き出す。

「愚者の記憶などいらぬ。想い出など、必要ない」 

それだけで奏多がーー『破滅の創世』が不要と断ずるには十分すぎた。
三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』は創造物の反抗を絶対に許しはしない。
弁解も反論も必要ない。故に人々は諾々としてそれを受け入れるしかない。
だからこそ、奏多はこの世界全てにあまねく終焉を告げようとした時――。
『私は奏多くんが……『破滅の創世』様が大好きです』

沁みいるような声が聞こえた。
熱を放っている心が、どこか安心させてくれる。
こうして存在を感じているだけでも、安らかな気持ちにさせてくれた。

『『破滅の創世』様にとって、人の心は不要なものかもしれないです。……でも、奏多くんが心を知らなければ、私はこんなにも奏多くんを好きになることも、愛おしく思うこともなかったんです』

また、聞こえた。
なんて温かい。
なんて心強い。
とてもとても優しい声。
それは……大切な幼なじみの声だった。

何を信じるなんて……そんなの……。

大切な人が覚悟を決めて、自分を切望する。その独占じみた想いに、奏多の胸が強く脈打った。

そんなの決まっているだろ……!

奏多は知っている。
そんな素敵な温もりが、最期までこの胸に寄り添う理由を。

「……でも」

『破滅の創世』だからだろうか――。
この状況に囚われてはいけない、という何か不安めいたものが心に浮かんでいた。
この世界を正さなければならない、という確信めいたものが心に浮かんでいた。

奏多が抱える矛盾した思いは、彼の胸を苛み続けていた。

「俺は……」

奏多が事実を知ろうとすればするほど、どれが『正しい』かは分からなくなってくる。
誰かにとって悪だったものが、別の誰かには善となる。
人と神。相容れない思いがぶつかり合う。簡単に答えなど出ようはずもなかった。
だけど、奏多を導くように……滲み出るように心に湧いてくる、一つの記憶があったから。

――――そう。

いつかの……あの台詞が……

『もう失うのは嫌なんだ……。蒼真(そうま)に傍にいてほしい』

……蒼真。
あれは、誰のことだったんだろうか。

記憶が鮮やかに、蘇る。 

『慧にーさん、慧にーさん!』
『つーか、蒼真、あまり無理するなよ』

兄弟は公園を燥いで駆け巡り、そのたびにどうでもいいことで一喜一憂する。

誰かに生きた証を見てほしかった。傍にいてほしかった。
――それを望んだのは誰の心だったのだろうか。

だけど、願わくば見て見たかった。
この胸の奥底を灼く焦燥にも似た、けれどより甘やかな感情の正体は何なのかを。

「お願いします。奏多くん、負けないでください……」

その時、水の中で聞くようなぼやけた声が、どこか遠くから聞こえてきた。
それは結愛の声だった。
人間と神を阻む壁はあまりにも高く硬い。
それでも奏多と歩む未来が見たいから。その幸せが欲しい。
それがいつになるか分からなくても、遠い遠い先の話であっても。
いつかは共に進むことくらいはできるのかもしれないと結愛は信じて。
「この絶望の状況を乗り越えて、ずっと奏多くんの傍にいたいですから」

結愛は決して、奏多を――『破滅の創世』を見つめることをやめない。
その存在は、彼女の世界のすべてなのだから……。
だからこそ、

「ゆ……結愛……」

涙が出るほどに穏やかな声が。

温かい温もりが。

確かに目の前に……現れた時。

「奏多くん!」
 
結愛は唇を軽く噛みしめ、そっと抱きついた。

「あ……」

喜びを滲ませた結愛の声が、忘我の域に達しかけた奏多を現実に引き戻す。

「――っ」

その瞬間、様々な負の感情が押し寄せてくるようで――奏多は頭を押さえて膝をつく。

「はううっ。……か、奏多くん、大丈夫ですか?」

そんな奏多の様子を見て、駆け寄った結愛は顔を青ざめる。
奏多の先程までの異変、そして先程の奏多の物言いが、まるで大きな意思――神の裁きによって下される罰のように聞こえたからだ。
しかし、結愛が生じた不安とは裏腹に、レンは息を呑み、短い沈黙を挟んでから宣言する。

「……なるほど。カードを用いても、『破滅の創世』様の記憶を取り戻すことができない理由。どうやら、記憶の再封印を施されたようですね」

レンは我が意を得たとばかりに微笑んだ。
奏多が――『破滅の創世』が記憶を取り戻せない理由が判明したことが大きかったかもしれない。

『破滅の創世』が示した神命。
それは絶対に成し遂げなくてはならない。

遥か彼方より、望みはたった一つだけだった――。

『破滅の創世』の配下達は主が御座す世界を正そうとする。
その御心に応えるべく献身していた。

「レン。あたしはね……叶えたいことがあるの。でも、それは『破滅の創世』様の記憶が戻らないと絶対に叶わない願いだから」
「分かっております。私も同じ気持ちです。一族の者の手から『破滅の創世』様をお救いしなくては……!」

アルリットの宣誓に呼応するように、レンは一族打倒を掲げる。
『破滅の創世』の配下達の気持ちは皆同じだ。
その想いを、何時の日か結実させることだけを己に誓って。
レンとアルリットはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。

「――きゃっ!」

たったそれだけの動作で、レンとアルリットは結愛とその周囲にいた『境界線機関』の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさは結愛達がうめき、身動きが取れなくなるほどだ。

その間に、奏多を取り囲む『境界線機関』の者達。
この場にいる『境界線機関』の者達の半数――『境界線機関』を監視する一族の上層部の内密者達は、レン達の手駒にされている。
彼らはみな、虚ろな眼差しで、とても正気の沙汰とは思えなかった。
聖花の能力。アルリットが強奪した相手の能力をコピーすることのできるそれは、この状況下でも絶対的な強さを発揮している。

どうしたらこの状況を改善できるんだ……。

包囲されて逃げ場がない状態。
しかも、奏多の思考の海に聞こえてくるのは、神獣の軍勢が迫る音だ。
余韻に浸るには程遠いと、急ぐように近づいて来る。

「それに……」

奏多に生じたのは、胸が軋むような悲しさだった。
カードを用いたことで、奏多が『破滅の創世』の記憶を取り戻すことができない理由が判明している。
その事実が発覚したことで、今度は恐らく、結愛達――此ノ里家の者達が狙われるはずだ。
迫り来る『境界線機関』の者達の魔の手が奏多に迫った時――。

「悪いが、奏多も結愛もおまえらに渡すつもりはないさ。ここで食い止めさせてもらうぜ!」

そこに慧の銃口から煌めく陽光を斬り裂くように、乾いた音を立てて迫撃砲が放たれる。
七発ほどの弾頭が放物線を描き、すぐに爆音が轟いた。
奏多に迫り寄っていた『境界線機関』の者達が怯む。
だが、肝心のレン達は弾が命中する前に全て塵のように消えていった。

「愚かですね。このような攻撃で私達を倒せると思っているとは」
「もちろん、倒すことが目的でないさ。ここで食い止めることだ!」

レンが事実を述べても、慧は真っ向から向き合う。

「奏多、ここは任せな!」
「慧にーさん……!」

慧は奏多が結愛達を救助する猶予を作るようにレン達に向けて発砲した。
弾は寸分違わず、レン達に命中するが、すぐに塵のように消えていく。
『境界線機関』の者達と操られている一族の上層部の内密者達。
二つの部隊に分かれた『境界線機関』の者達は、既に混乱の最中にある。

「怯むな、突撃!」

だが、それでも『境界線機関』の者達は、操られている一族の上層部の内密者達を止めるために次々に突撃を敢行する。

「無意味です」

そう断じたレンの瞳に殺気が宿る。
『破滅の創世』の配下達にとって、一族の者達は不倶戴天の天敵である。神敵であると。

「それでも止めるさ。たとえ、それが無意味なものだとしても……」
「これ以上、進ませないわ!」

決定打に欠ける連撃。
それでも慧は怯むことなく、観月と連携して次の攻撃に移った。
絶え間ない攻撃の応酬。だが、弾は全て塵のように消えていく。
しかし、慧達の猛撃を前にして、操られている一族の上層部の内密者達の陣形が乱れる。

「今なら、奏多様と引き離せる!」

僅かにできた隙。
それに即座に反応したのは観月だった。

『お姉ちゃん、好きな人ができました。奏多くんです』

花が咲き零れるような結愛の笑顔。
そう――観月は知っている。
この世界の未来は人と、人の想いの行く末の先にあることを――。
「――全力で奏多様と結愛を守ってみせるわ!」

拳を握り締めた観月は手加減はしないと意を決する。
観月は信じている。奇跡が起こることを。
奏多達が定められた運命を壊してくれることを。
だからこそ、観月はカードを操り、約定を導き出す。

「降り注ぐは星の裁き……!」

その刹那、立ちはだかる一族の上層部の内密者達へ無数の強大な岩が流星のごとく降り注ぐ。
カードから放たれた無数の強大な岩は一族の上層部の内密者達を突き立てていった。
観月の力を厄介だと判断した彼らは銃弾を打ち込もうとするものの――

「そうはさせるかよ!」

包囲網から解放された奏多が動く。
不可視のピアノの鍵盤のようなものを宙に顕現させて、それを阻害した。

「『破滅の創世』様……!」
「おっと、アルリット。それ以上は行かせねえぜ!」
「行かせないわ!」

そう吐露したアルリットの前に、慧と観月が並んで立ち塞がる。

「どんな困難が立ち塞がっても、私達は前に進んでみせるわ!」
「うん、そうだね。でも、それはあたし達も同じ。どんな困難が立ち塞がっても、あたし達は『破滅の創世』様を救ってみせるよ」

観月が抱いた決意に、アルリットは嬉々として応えた。

「どんな言葉を用いて、『破滅の創世』様を惑わそうとしても無駄! あたし達、『破滅の創世』様のためなら何でもするよ!」

アルリットの胸から湧き上がってくるのは鋭く尖った憤りのみ。
『破滅の創世』の言葉の完遂のためにただ、狂おしく誓うだけ。
同時にそれは彼女達が不退転の反撃を示す最大の難所であることを意味していた。
大切なものは何時だって、その手をすり抜けて溢れていく。

だから――

これ以上は失いたくはない。失わないように、全部、守らなくてはいけない。

「私はもう逃げない。全力であなた達を止めてみせるわ!」

観月はありったけの力をカードに注ぎ込みながら、まっすぐにアルリットの向こう側を見据えた。
視線が向かう先は、司達が戦闘を繰り広げている場所だ。
彼らの戦いを無駄にしないためにも、ここで立ち止まっている暇はないのだから。

「……っ」

その時、結愛の掠れた声が聞こえた。どうやら意識を取り戻したようだ。

「結愛、大丈夫か?」
「…………奏多くん?」

自身の置かれた状況を理解した結愛は頬を赤らめる。
意識が覚醒する微かな酩酊感は、思いもよらず近くからかけられた奏多の声によって一瞬で打ち消されたからだ。

「ふええ、大丈夫ですよ。奏多くんこそ、大丈夫ですか?」

結愛は奏多の顔を覗き込むようにして身を乗り出してくる。
吐息が感じられそうなくらい近い二人の距離。その近さに今度は奏多が思わず、瞬きした。