言祝ぎの子 肆 ー国立神役修詞高等学校ー


はぁ、と深く息を吐く。

明日の昼休憩の時に教えて貰って夕方に仕上げて、次の日の朝一に神修行きの車に預ける?

もう既に一週間も遅れているし、明日出そうと明後日出そうと大差ないような気もするけれど気持ちは明日中に出したい。

どうしよう、と肩を落としてスマホの画面がちらりと目に入った。スマホに手を伸ばしかけて「いやいやいや」と我に返る。


「俺に面倒をかけるなとか言われそう……自業自得だろ自分で何とかしろとか……」


どちらも安易に想像がついて、まだ何も言われてもいないのにへこんでしまう。

でも、あと頼れるのは彼しかいない訳だし……。


えい、と勢いのままにトーク画面を開けた。

『まだ起きてる…? 夜遅くにごめんね。中間レポートの書き方で聞きたいことがあるんだけど、部屋まで聞きに行ってもいい?』

意外なことに私が画面を閉じる間もなく既読がついた。すぐに返事は来た。

『居間』

私の質問には答えないたった二文字の返信に首を傾げる。

けれど直ぐにメッセージの意味に気が付き、筆箱とレポートを持って部屋を飛び出した。





居間に顔を出すと案の定恵衣くんがこたつの上に教科書を広げて勉強しているところだった。

ちらりと目だけで私を見た恵衣くんは顎で自分の前を示す。お邪魔します……と身を縮めて向かいに腰を下ろす。


「提出は一週間前だったはずだろ」


ノートに文字を書きながら淡々とそう言う。


「すっかり忘れてて……」

「面倒をかけるな」


予想通りの返答にちょっとだけ笑いそうになって堪える。なんだよその変な顔は、と睨まれて慌てて首を振ってプリントを広げた。

予想外にも恵衣くんは丁寧にレポートの書き方を教えてくれた。

「まとまりの無い言葉で書くな」「何だその幼稚な語彙は」「教えて貰ってるならもうちょっと出来のいいレポートを書く努力をしろ」

前言撤回、やっぱり口が悪い。でもそのおかげで丑三つ時には何とかレポートの形になった。


「まぁ、いいだろ」


恵衣くんのお許しも出て、深く息を吐いた。


「ありがとう恵衣くん、本当に助かりました……」

「別に」


ふんと鼻を鳴らした恵衣くんはまた教科書に目を落とした。


「恵衣くん、いつもこんな時間まで勉強してるの?」


シャーペンを筆箱に片付けながら尋ねた。


「大切な試験の前に呑気に遊び回ってグースカ寝れるお前らの神経を疑う」

「またそんな言い方して……」


相変わらずの減らず口に肩をすくめる。

でもいつもこんな時間まで勉強してるなんて、私も少しは見習わないといけない。


「いつもここで勉強してるの? 部屋じゃなくて」

「あの騒音環境で集中出来るなら是非とも見せてくれ」

「あー……なるほど」


部屋数が少ないので男子は相部屋になっている。確か恵衣くんと同部屋なのは慶賀くんと泰紀くんだ。最近までは嘉正くんも三人部屋で寝起きしていたし、それはそれは賑やかな部屋だったんだろう。

確かに落ち着いて勉強できる環境ではなさそう。


「だから"居間"ってメッセージくれたんだね」


そう言うとピタリと手を止めて険しい顔をした恵衣くんが私を見る。

え、私なにか間違った事言った……?


「お前、夜中に男の────」


何かを言いかけた恵衣くんは不自然に言葉を止める。頬を少し赤くすると、不機嫌そうな顔で勢いよく教科書を閉じた。


「寝る」

「あ、うん。レポート、本当にありがとう。おやすみ」

「……ああ」


ひとつ頷いた恵衣くんは振り返ることなくスタスタと部屋へ戻って行った。




書宿(しょしゅく)の明」

授力。






「舞はもう完璧なんやけどなぁ……」


ふむ、と顎に手を当てて首を傾げた志らくさん。私はがっくりと肩を落とした。

今日で何度目かの「鼓舞の明マスター講座」。

これまでは私の中に宿る鼓舞の明を感じる為に瞑想を繰り返す日々だったけれど、実習も残りひと月を切って「座ってても仕方ないし舞うか」という志らくさんの提案によりとにかく動いてみることになったのだ。

リズムはまだ分からないのでとにかく決められたステップを四拍子で舞い切る。

それで志らくさんのあの発言だ。

足りていないものは分かっている。私に足りていないのは「リズム」だ。

志らくさんの鼓舞の明を初めて見た時の事を思い出す。三拍子とも四拍子とも言えない独特な拍子で舞う姿は、崩したリズムのはずなのにとても見ていて心地よかった。


私にはまだその"心地いいリズム"を見つけられないでいる。

実習が終わるまであと一月。習得するには時間がかかると聞いていたし志らくさんからは「気長にやろう」と言ってくれたけれど、ここ数週間何も変化がないとどうしても気持ちが焦ってしまう。


うーんと唸り声を上げて考え込む志らくさんの前に正座した。




「いやぁ、巫寿ちゃんホンマついてないな。私に教えを乞うのが間違いやわ。これ以上教えれることなんてなさそうやもん」


お手上げですとばかりに力なく首を振った志らくさん。「そんな……!」と藁にもすがる思いで志らくさんを見つめる。


「嫌やわ、そんな捨てられた子犬みたいな顔せんといてよ。別に見捨てるなんて言うとらんやん」

「でもそんなニュアンスでした」

「まぁまぁ。とにかく"私から"はもう教えれることは無いってだけ」


そう言った志らくさんは傍に置いていた自分のスマホを手に取った。軽く画面を叩いたあと「ほいこれ」とスマホをよこす。

画面をのぞき込むと見覚えのある女性が巫女装束で舞う姿が映っていた。


「これって……」

「そ! 巫寿ちゃんのお母さんの舞の映像。しかも、鼓舞の明を使ってる所を収めた超貴重映像や」


画面に移る女性、艶やかな黒髪に優しげな相貌のその人は家族写真で見るよりも少し若いお母さんの姿だった。


「あれ、でも鼓舞の明って動画に撮ってもいいんですか? 大勢で見るのもあまりよくないんですよね?」

「ええんちゃう? 諸法度には特に挙げられてないし。まぁの当時はお母さんにバレてしこたま怒られたけどな」


けけけ、と笑った志らくさんは再生ボタンを叩いた。

恐らく家庭用のハンディカメラで撮影された映像をスマホで録画し直したのだろう。画像が荒く手ぶれしている。

それでもお母さんの舞は息を飲むほどに美しかった。



しだれ桜が春の陽気に吹かれたように靡く黒髪。その指先はパッと桜が咲いたように可憐で、神楽鈴の音色は芽吹きの喜びを奏でているようだった。

足音はない。人ならざる者が地上に舞い降りたような清廉さに息をするのも忘れてしまう。

桜の精霊そのものだった。


「ほんま何度見ても惚れ惚れするわ。泉ちゃんの神楽舞は」

「はい。本当に……」


お母さんの舞はまだ数回しか見たことがないけれど、それでも別格なのが分かる。

いつもこれを見る度に「どうしてその血は引き継がれなかったんだろう」とちょっと落ち込む。

せめて何か一つでもいい所を引き継いでいればなぁ。


「この動画あげるし、今後は泉ちゃんの舞を参考にしてみ」

「ありがとうございます……!」


まるで出口が見えなかったこれまでに比べれば、目指すものが出来ただけでも随分違う。

頑張るぞ、と身を引きしめた。



神職は死ぬまで研鑽、というのは色んな先生の口癖だ。自分の祝詞を分析してより強い文言へ構築し、舞の精度を高め、日々変動する己の呪の力を抑え、言祝ぎを高める必要がある。

だから定年間近の神職であろうと、とにかく空き時間があればひたすら勉強する。

つい先程、来光くんと慶賀くんと私の3人で手伝っていた仕事が終わって、禰宜から「手が空いたので自由にしていいですよ」と言われた。

「自由にしていい」というのは本当の自由時間という訳ではなく「自由に自学自習していい」という意味だ。ここで奉仕し始めた初日にそれを知らずに本当にのびのび過ごしていた私達はしっかり禰宜に叱られた。

小上がりにあるテーブルを借りて私たちは各々に勉強道具を広げた。

私はノートを広げると、志らくさんにもらった動画をスマホで再生する。


「巫寿ちゃんは舞の勉強?」


隣に座った来光くんが興味深げに手元を覗き込んできた。


「うん。お手本の映像を貰ったから、自分の動きと見比べてみようと思って」


完成されたお母さんの舞と未完成の私の舞を見比べることで、自分の舞の足りない部分を見つけるという作戦だ。

果たして模倣だけで鼓舞の明をマスターできるのかどうかは微妙なラインだけれど、お母さんの技術は他の舞を舞う時にも活かせるはずだ。



来光くんにも見えやすいようにスマホを少し傾ける。「綺麗だねぇ」と息を吐いた来光くんに、思わず口角があがる。

俺にも見せて!と慶賀くんが身を乗り出した。

ゴホン、と禰宜が咳払いをして慌てて口を抑える姿にくすくす笑う。すすす、と静かに横に座った慶賀くんにも見えやすいようにスマホを傾けた。


ほぇ〜と感嘆の声をもらす慶賀くんにやっぱり嬉しくなる。

誰が見てもお母さんの舞は息を飲むほど美しいという事だ。


舞が終わってスマホの電源を切ると、二人は「え?」と不思議そうな顔をして私を見た。


「巫寿のは? 見ねぇの?」

「見比べて研究するんだよね?」


至極当然の質問に目を逸らす。

二学期の奉納祭で皆に神楽舞を見られた時は全然恥ずかしくなかった。いや、少し恥ずかしかったけれど、舞台の上で披露できるくらいはたくさん練習したし、練習した分自信にも繋がった。

でも鼓舞の明の舞は練習を初めて数週間だ。自分がまだそこまで上手くないのは自覚しているし、お母さんと比べると明らかに劣っているのは分かっている。

でもお母さんと比べられて自分の下手くそさを皆に認知されてしまうのがかなり恥ずかしい。


私のそんな気持ちに気付いたのか、来光くんがニヤニヤ笑いながら頬杖をつく。


「第三者に見てもらうことで、新たに気付くこともあると思うんだけどなぁ」

「それは、そうだけど……」


来光くんってたまに凄く意地悪だ。

慶賀くんと泰紀くんの親友なだけある。


「巫寿って"私は全然"とか"まだまだ"とかよく言うけど、もっと自信もった方がいいと思うぞ?」

「そうそう。もっと言祝ぎを高めないと。あの聖仁さんのお墨付きなんだから胸張りなよ」