今の時代、誰かとやり取りをするツールとして一般的なのは、メッセージアプリやSNSだよね。私だってそうだ。だけど、ある男の子とのやり取りする時だけは、文通というアナログな方法を使っている。彼とはそれ以外では繋がれないから。

 手紙でやり取りするだけの、顔も知らない男の子。知っているのは、入相(いりあい)(ひかる)という名前であることと、私と同じ高校の生徒だということだけだ。文通しているのに、お互いの連絡先すらも私達はまだ知らない。

 だったらどうやって手紙をやり取りしているのか不思議だよね。私だって不思議だ。だって、入相くんに宛てた手紙を教室の私の机に入れておくと、次の日の朝には、机の中に手紙の返信が届いているのだから。

 高校一年生の三学期が終わり、春休みが明ければ二年生に進級する。教室が代わり、机をメールボックスにした入相くんとの文通も続けられなくなる。入相くんと文通を始めて約三ヵ月。これまでの十六年間の人生で最も充実していた日々だったかもしれない。

 涙がこみ上げてきたけど、手紙を汚したら大変だから、慌ててハンカチで拭った。

「……泣くな、私」

 私は、入相くんに宛てた最後の手紙を机に投函した。
 この手紙で私は初めて、直接会いたいと入相くんに伝えた。具体的な待ち合わせの場所や時間も指定した。入相くんならきっと、この思いに応えてくれると信じて。

 まだ顔も知らないのに。私は心底入相くんに惚れているらしい。だからこそ、胸が張り裂けそうな思いにも耐えて、この手紙を送る決心がついた。

「……こんな手紙を書いてごめんね。入相くん」


 入相くんとのやり取りが始まったのは、三学期が始まってすぐの一月。席替えで今の席に移動したのがきっかけだった。

 週末を挟んで月曜日に登校すると、空っぽのはずの机の中に見覚えのないノートが一冊入っていた。もちろん私の忘れ物ではない。

 週末に何かの活動でこの教室を使う機会があって、誰かがノートを忘れていったのだろうと思った。だけど、持ち主に届けようにもノートには名前の記入はないし、無題なので何のノートなのかも分からない。申し訳ないけど、中身を見れば何か分かるかもしれないと思って、確認させてもらうことにした。

「凄い」

 持ち主は芸術に造詣が深いようで、このノートは構想を書き留めておく創作ノートのようだ。私は芸術には疎いが、そんな私でも感覚的に圧倒されるような、独創的なアイデアに溢れていた。

 文体や言葉遣いから、持ち主は男子生徒な気がした。日常のあらゆる出来事を創作活動に活かそうとしているようで、教師に対する愚痴が、詞的に綴られていてどことなくシュールだ。しかし、結局持ち主の名前は不明なままで、教師の愚痴なども書かれた都合上、職員室に届けるのも申し訳ない。

「たぶん、取りに来るよね」

 持ち主だってどこにノートを忘れたか、心当たりはあるはずだ。ひょっこり取りにやってくるかもしれない。このまま机に残しておこう。だけど、持ち主を確認するためとはいえ、中身を見てしまったことは心苦しい。

『ごめんなさい。持ち主が分からなかったので、中身を少し見てしまいました。その上で書きますが、面白いアイデアの数々に圧倒されました。ひょっとして、美術部の方ですか?』

 私は付箋をノートに添えた。
 
「ルーズリーフ?」

 翌朝に登校すると、創作ノートは消えていて、代わりに折り畳まれたルーズリーフが一枚入っていた。ノートの持ち主からの返信のようだ。

『僕は入相輝。お察しの通り美術部員だよ。ノートを見られてしまったのは恥ずかしいけど、教室に忘れたのは僕の落ち度なので仕方ないです。本来は人に見せるようなものではないけど、アイデアを褒めてもらえたことは素直に嬉しかったよ』

「入相輝くんか」

 自分だけが名前を知っているのはフェアじゃない気がして、私は自然とまた付箋を取り出していた。

『私の名前は有明(ありあけ)月乃(つきの)です。こういう機会はあまりないから、何だか楽しかったです』

 名前と一緒に一言添える。メッセージアプリやSNSが主流の現代において、紙とペンを使った直筆でのやり取りは新鮮だった。

 今回の私の返信は蛇足だ。これでやり取りが終わっても仕方がない。だけど心のどこかで、もっと続けばいいのにと思っている自分がいた。

 
 翌日。机には入相くんからの返信が届いていた。

『有明月乃さんへ。

 ルーズリーフでは味気ないので、思い切って便箋(びんせん)に綴ることにしました。
 月乃さんの言う通り、こういう機会は滅多にないから新鮮です。個人的なことを言うと、創作活動においても良い刺激になりそうな気がしているよ。
 そこで提案なのだけど、迷惑でなければ、もう少しだけこのやり取りを続けてみませんか? 

 入相輝より』

 このやり取りがもっと続けばいいのに。
 入相くんもそう思っていてくれたことが嬉しかった。

 早速、手紙に返信することにした。入相くんのように便箋を用意していなかったから、今日は破いたノートを使うことにした。次回からは私も便箋を使おう。確か家には、グラウがデザインされた便箋があったはずだ。チンチラが主人公のアニメ、グラウの日常。子供の頃から大好きなアニメで、便箋も衝動買いし、結果持て余していたけど、使ってみる良い機会だ。

『入相輝くんへ。

 返信が破いたノートでごめんなさい。
 私ももっとこのやり取りを続けたいです。

 今回は取り急ぎ返答だけ。次回までに聞きたいことを考えておきますね。

 有明月乃より』

 私は机に手紙の返事を投函した。


 翌日から、私と入相くんの本格的な文通が始まった。
 最初のやり取りでは、お互いに簡単な自己紹介をすることになった。

『あらためまして入相輝です。

 僕は油絵を描くのが好きで、部活はもちろん、家でも絵の勉強ばかりしてるよ。今は新作の構想を練りながら、色々とインプットしているんだ。こうして月乃さんと手紙でやり取りするのは、息抜きと同時に、創作意欲が刺激されて楽しいよ。

 我ながら美術のことばかりで、流行り物には疎くて。ドラマや音楽の話についていけなくて困ってる。色々と教えてくれたら嬉しいな』

『有明月乃です。

 休日は動画やSNSをチェックしたり、家でのんびりと過ごしがちかな。車好きな叔母がドライブに連れ出してくれることもあります。

 ドラマは友達の間では海外ドラマが激熱。音楽は、私の好みにはなるけど、普段聞いてるプレイリストを書いておくね。サブスクで色々と見たり聞いたり出来るようになって、凄く便利になったよね。参考になれば幸いです』

 何気ないやり取りのつもりが、この手紙を機に、私は入相くんとの間に奇妙なズレを感じるようになっていく。

『初めて聞くことばかりでとても興味深いよ。ドラマや音楽は全部知らないタイトルだけど、今度レンタルビデオ店やCDショップを覗いてみるね。SNSというのはよく分からないけど、略語か何かかな?』

 誰もがサブスクを利用しているわけではないし、ドラマや音楽に疎い人だっている。だけど、前回私が挙げたドラマは地上波でもよく話題になっているし、音楽も誰もが知る有名なものばかりだ。それらを全部知らないというのは正直驚いた。SNSについても、興味が無いのではなく、意味自体を知らないというのには違和感がある。

「偶然だよね」

 価値観は人それぞれだし、創作活動に邁進し、流行り物には疎いと自覚する入相くんならそういうこともあるのかもしれない。今はそれで納得出来た。


『世間はすっかりバレンタインシーズンだね。買い物に行くと毎回、居待(いまち)万里江(まりえ)の「二人だけのバレンタインデー」が流れてて、あまり知らない曲だったけど、いつの間にか歌詞を口ずさめるようになっていたよ』

 二月になると、入相くんからは季節感のあるバレンタインデーの話題が届いた。確かにバレンタインデーシーズンになって、町にはバレンタインソングが流れているけど、私と入相くんの認識にはズレがあった。居待万里江の「二人だけのバレンタインデー」は確かに名曲だけど、最新曲ではなく懐メロだったはずだ。冬の名曲としてサブスクのプレイリストや、歌番組の特集で聞いたりする機会はあるけれど、町で流れているのは最新のラブソングが中心で、少なくとも私の生活圏では「二人だけのバレンタインデー」が流れているのは聞いたことがない。私と入相くんの生活圏は同じはずなのに、こうも状況が異なるものだろうか?

『当日は雪予報みたいだし、とても雰囲気のあるバレンタインデーになりそうだね。そういえば今、入相くんの周りでは他にどんな曲やドラマが流行っているの?』

 文通を始めた頃に入相くんに、流行りには疎いから色々と教えてほしいとお願いされたことがあった。私は色々な音楽やドラマを教えてあげたけど、入相くんの環境ではどうやらそれらを見聞きすることは出来なかったみたいで、それ以降は流行に関する話題を手紙に書くことはなくなっていた。だけど今になってやっぱり、入相くんとの間に生じている認識のズレが気になってきた。もっと入相くんことを知らないといけない。

『前にも書いたみたいに、僕は流行り物には疎いからな。流行っているのかは知らないけど、最近放送部が、アシンメトリーズとかいうバンドの曲をかけたりしてたかな。

 他には、たぶんドラマの話題だと思うけど、クラスの女子がよく、「僕らを彩る群青」に出演してる日中(ひなか)大典(だいすけ)がかっこいい、なんて言って盛り上がってるね。月乃さんも見ているの?』

 後日、入相くんから届いた手紙に書いてあったバンド名やドラマのタイトルは、私にはピンとこないものだった。


「この曲って、居待万里江の『二人だけのバレンタインデー』?」

 週末。私は母方の叔母である小夜(さよ)ちゃんの運転する車でドライブに出かけていた。ラジオをかけていると、そこから流れてきたのは居待万里江の「二人だけのバレンタインデー」のメロディだった。

「よく知ってるね。私が月乃くらいの歳の頃の曲だよそれ」
「最近サブスクの影響で、昔の曲に触れる機会も多いから」

 小夜ちゃんは現在三十七歳。今の私ぐらいの年齢ということは、この曲はだいたい二十一年ぐらい前に流行ったことになる。

「それじゃあ、小夜ちゃん。アシンメトリーズって知ってる?」
「懐かしい。たった三年で解散しちゃったから知る人ぞ知るバンドだけど、私の学生時代にはけっこう人気あったんだよ」
「それじゃあジャンルは変わるけど、『僕らを彩る群青』というドラマは?」
「まさに私達の青春よ。今やすっかりおじさんになっちゃったけど、主演の日中大典がかっこよくてね。みんな彼に恋してた」

 懐かしい話題に声色が弾む小夜ちゃんとは対照的に、私の中には混乱が広がっていった。入相くんと私の間に存在する感覚のズレの正体。それはもしかしたら。

「もう、懐かしい話題ばかり出して。私をおばさん扱いしようって魂胆?」
「違うよ。たまたまテレビで当時の流行の特集をやってたから話題にしただけ」

 冗談交じりにからかってくる小夜ちゃんに対し、適当な理由で取り繕う。
 今、私の頭の中は、入相くんのことでいっぱいだった。


 三月に入った。
 入相くんとやり取りした手紙は、この二カ月間で二十通近くに及ぶ。

 色々な話しをした。時々、話題が噛み合わない時はあったけど、そんなことは些細な問題だった。お互いにふとした感情を漏らしたり、相手を思いやったりと、確かな絆を私は感じている。入相輝くんという存在に、私はどんどん惹かれていった。

『油絵は、お爺ちゃんの影響で始めたんだ。最初は無邪気にお爺ちゃんの真似をしていただけだったけど、だんだんと表現することの魅力を知っていった。これほど熱中できるものとは、もう出会えないと思っている。絵を仕事にしていくのは難しいかもしれないけど、何らかの形で関わっていきたいと思うし、まったく異なる仕事をするとしても、趣味としての油絵は一生続けていくと確信しているよ。

 ここまで思いの丈を綴ったのは生まれて初めてだ。家族にも友達にも話したことはないと思う。手紙という形だからかな。それとも、相手が月乃さんだからかな』

 この日の入相くんの手紙は、これまで以上に感情が乗っていた。私だからと言ってもらえたことが嬉しかった。だけど……。

『追伸。前から思っていたけど、便箋にデザインされているキャラクター、とても可愛いね。何というキャラクターなの?』

 今年で放送二十年目を迎えた、老若男女に愛される国民的アニメ、グラウの日常の主人公であるチンチラのグラウ。知らない人の方が少数派だろう。

 これまでのやり取りで薄々気づいていた。入相くんが綴る近況は、三十七歳の叔母の小夜ちゃんから聞く、学生時代の話の印象にとても近いのだ。グラウを入相くんが知らないのは、彼の世界ではまだ放送されていないからではないか? もしも彼が二十年以上も昔の世界を生きているのなら、最新のドラマや音楽、SNSの話題にピンとこないことも頷ける。

 この学校に、入相輝という生徒が在籍していないことも知っている。私と同じ一年生はもちろん、仲の良い先輩たちにも、二年生、三年生に入相輝という名前の生徒が存在するかどうかを確認したから間違いない。理由があってペンネームを使っているのかもと思って、これまでは触れてこなかったけど、そろそろ現実と向き合う時なのかもしれない。

 私はもうすぐで進級して別の教室へと移る。もしこの机が現在と過去を繋いでいるのなら、残された時間は多くはない。

弓張(ゆみばり)先生。少しよろしいですか?」

 私は美術の弓張先生の元を訪ねた。先生はこの高校に二十五年以上も勤務しているベテランだ。先生なら入相輝くんについて何か知っているかもしれない。

「あら、有明さん。どうしましたか?」
「突然ですが、入相輝さんという生徒をご存じないでしょうか?」
「……懐かしい名前ね。入相輝さんは二十一年前の生徒さんですよ。美術部だったのでよく覚えています」

 机で過去と現在が繋がっていると私は確信した。入相輝くんは実在し、きっと二十一年前に私と同じ机を使っていたんだ。

「……あんなことになって、本当に可哀想だったわ」
「あんなこと?」
「彼、二十一年前に事故で亡くなったのよ。春休みに、看板の落下事故に巻き込まれて――」

 弓張先生の言葉は、後半から頭に入って来なかった。春休みに入相くんが死ぬ? これまでのやり取りから察するに、時代は違っても季節はリンクしている。だとすれば、私と文通をしている入相くんは過去でもうすぐ……。


 図書館で過去の新聞記事を探して、二十一年前に入相輝という名前の高校生が亡くなっていたことを確認した。この世界は彼に残酷な運命を強いたのだ。
 
 入相くんに何と言えばいいのか分からなくて、私は手紙に返信することが出来なくなった。入相くんからは定期的に手紙が届いて、突然連絡がとれなくなった私を案じる言葉が綴られていた。申し訳ない気持ちで一杯だったけど、今はペンが動きそうにない。

 本来なら死んでしまう運命にある人を救う。私にそんな大それたことが出来るのか。いや、絶対に救ってみせる。

 入相くんとの間には絆を感じているけど、あなたはもうすぐ死にますと伝えて、素直に受け止めてもらえるかはまた別問題だ。入相くんはきっと、私とのやり取りを不思議に思いながらも、手紙が未来から届いているとは気づいていない。私は自分の言葉の説得力に自信が持てない。

 もっと確実に、入相くんを救える方法を考えるんだ。


 今日で一年生の三学期が終わる。

『ずっとお手紙を書けずにごめんなさい。いざ書こうとすると勇気が出なくて、何度も二の足を踏んでしまいました。だけど、ようやく覚悟が決まったよ。

 文通だけではなく、入相くんと直接会ってお話しがしたいです。そこで入相くんに伝えたいことがあります。私と会ってくれませんか?』
 
 約束の日時と場所を指定した、入相くん宛ての最後の手紙。
 私は入相くんとの間に芽生えた絆を信じている。入相くんもきっと、私と会いたいと感じてくれているはずだ。入相くんが事故に遭うはずの日時に、まったく異なる場所を待ち合わせに指定した。入相くんが私に会いに来てくれたなら、入相くんの未来はきっと変わるはずだ。

 だけど、異なる時代を生きる私は待ち合わせ場所にはいけない。呼び出しておいて姿を現さず、そのまま音信不通になる。酷い奴だと幻滅するだろう。だけどそれでも構わない。入相くんが生きてさえくれれば、私はそれだけで幸せだ。だからどうか、私との待ち合わせ場所に来てください。

「……こんな手紙を書いてごめんね。入相くん」

 だけど、これが入相くんのためなんだ。
 どうかこの手紙が入相くんに届きますように。
 私は最後の手紙を机に投函した。


 二年生の一学期が始まった。
 新たな教室に移動となり、入相くんと文通した机も私の元を離れた。今でもあの現象が続いているのかどうか、確かめてはいないけど、あの机はもうメールボックスとしての役目を終えたのだと思う。

 始業式が終わり、次に教師の新任式が執り行われた。長年勤務していた弓張先生も定年退職を迎えられたので、美術教師も新しい先生が着任する。

「美術を担当される、入相輝先生です」

 教頭先生が紹介したその名前に、私は驚きを禁じ得なかった。

「美術教師の入相輝です。僕はこの学校の卒業生で、前任の弓張先生からもご指導を受けていました。母校へと戻ってきて、とても感慨深いです」

 顔も声も知らないけど、壇上に上がった三十七歳の美術教師は、私の知る入相輝くんだと確信した。どんな形であれ、絵に関わっていきたいと彼は夢を語っていた。彼は美術教師という形でそれを叶えたんだ。

 あの日、彼は私の手紙を受け取ってくれた。私の思いに答えてくれたんだ。
 
 入相くん。生きていてくれてありがとう。

 熱いものがこみ上げてきて、涙腺を伝って流れ落ちた。
 
「大丈夫かい? 具合が悪いなら保健室に」

 周りの騒めきで私の変化に気付いた入相くんは、壇上から真っ先に私を気遣ってくれた。彼は私が過去の文通相手だったなんて知らないだろうし、そもそも覚えてもいないかもしれない。私にとっては最近の出来事だけど、彼にとっては二十一年も前のことなんだから。

「何でもありません。続けてください、入相輝先生」

 笑顔で続きを促すと、入相先生はホッとした様子で自己紹介を再開した。

 彼が生きていてくれた。それだけで私は満足だ。

 あれは確かに私の初恋だったけど、それは文通相手の入相輝くんに対するもので、新任の入相先生に対するものじゃない。生徒が教師に特別な感情を抱くわけにはいかないから。

 文通でのやり取りは初恋の思い出として、心の奥に大切にしまっておくね。



 了