命題〜異世界に命を賭けた艦の噺〜

第一章 抜錨


平和…安寧…
今、この世界はまさにそう言って良かった。1945年に幕を閉じた第二次世界大戦以来、国家間での戦争はしばしば起こっていたものの、それも100年前になりを潜め、今現在2230年まで、大規模な世界大戦は一度も起こっていない。人々は明るい顔で道を行き、絶望した顔の持ち主は皆無であった。200年ほど前は、皆が戦争に怯え、暗い世界の中を生きていたと言うのだから、それほど平和というのは人々の生活を良くしてくれるのだろう…そう思い、俺はカップを机の上に置いた。鋼鉄製の机と陶器が触れ、カチャリという乾いた音が狭い室内に鳴り響く。
…地球は平和になった。だが、それはあくまで地球だけの話だ。宇宙では17世紀から19世紀にかけて起こった植民地獲得競争が再び起こっている。数十年前、地球人類は極めて偉大な発明をした。恒星間航行能力をもつ新型エンジン「クォーク機関」の発明である。詳しい事は軍人の俺にはさっぱりわからないが、曰く「強い核力」をもつクォークのエネルギーを推進力として用いる、無限機関なのだそうだ。…そのエンジンを手にした各国はこぞって「宇宙軍」を創設し、植民惑星の獲得に躍起になっている。ついこの間もある資源惑星を同時に見つけたアメリカ連邦宇宙軍とフランス宇宙軍が発見した資源惑星を我が物にしようとして激しい戦闘を行ったばかりである。歴史は繰り返すというが、まさにその通りだとその事を知って感じたのは言うまでもない。
だが、我が国日本は第二次世界大戦後より専守防衛を貫いており、今でもその姿勢は続いていた。その方針あって、日本は植民惑星不獲得の方針を打ち出した。だが、日本も混沌を極める星間情勢を鑑みて、宇宙軍の創設が急務となった。そこで、「あくまでも太陽系内のコスモレーン(航宙航路)における日本および他国籍艦船の安全の確保」を目的として15年前、「日本国航宙自衛隊」が発足し、同時に「太陽系内の惑星や恒星および衛星、その他小惑星や準惑星は誰のものでもない」という「太陽系条例」を定めた。この条例は宇宙軍を保持するほぼ全ての国で批准され、航宙自衛隊の果たすべき責務は日に日に大きくなっている…
と、考え事に浸っていた時、ノックの音が聞こえた。
「船務長、石原入ります。」
「入れ。」
「失礼します。」
ギィ、と重い音を響かせて入ってきたのは、この艦の船務長を務める石原だった。凛とした表情で敬礼をし、言葉を述べる。
「第23回航宙模擬艦隊戦闘演習に向け、本艦の準備が完了致しました。乗組員の欠員もありません。」
「そうか。…明朝0600に本艦所属の第8空間宙雷戦隊はそれぞれの泊地から一斉に抜錨するそうだ。それまでは各員艦内にて待機せよと伝えてくれ。」
「わかりました。失礼します。」
再び重い音が響き、石原は艦長室から出ていった。
「航宙模擬艦隊戦闘演習か…」
そう呟き、再び思考の奥底に沈む。エッジワース・カイパーベルト近傍宙域で行われるこの訓練は、模擬戦が行われ、壮絶な艦隊戦が繰り広げられる、いわば航宙自衛隊にとっては唯一の実戦形式の訓練である。前回、俺は第二艦隊所属の巡洋艦「てんりゅう」で砲雷長を務めたが、なかなか思い通りに指示を飛ばすことができなかった。そこから一年たち、今は駆逐艦の艦長として指示を出す立場にいる…前回の反省を踏まえ、今度こそ卓越した指揮で艦隊を勝利に導かねば…
小西はその決意を再び噛み締め、明日の抜錨に備えて深い眠りにつくのであった。 

翌日、第一艦橋では、出航準備が着々と行われていた。
「罐の調子を万全にしとけ!特にメインエンジンのエネルギー伝導管は入念にチェックしろ!」
「…そうだ。弾薬は三式弾と実体弾を1:1で搭載だ!」
ピリついた空気の中、小西は艦長帽を深々と被り、通路と艦橋を隔てる自動ドアの乾いた音を聞き、艦橋に入った。
「各員、現在の状況、知らせ!」
小西が大声で叫ぶと、艦橋内にいた乗組員はすぐに振り向いて敬礼をしようとする。だが、小西は
「敬礼は不要だ。各員出航準備をしつつ随時状況を報告せよ。」
と言い、準備を続行させた。
やがて、士官クラスを示す肩章を輝かせ、1人の男が艦長席に近づいて来て、敬礼をした後言った。
「航海科、総勢45名、出航準備完了しました!欠員ありません。航海日程および戦闘行動予定も戦隊各隊と共有済みです。」
そう言い、去っていった。その後、彼を皮切りに次々に報告が上がる。
「機関科、総勢68名、配置完了。エンジンの状態も万全です。」
「砲雷科、総勢84名、配置につきました。」
「船務科、総勢44名、準備完了。」
「…技術科、総勢28名、配置につきました。」
そうして、全ての出航準備完了の報告を受けると、小西はマイクをとって、艦内放送を流した。
「全艦に告ぐ。こちら艦長の小西だ。まもなく戦隊全艦の出航準備が完了する。今回の任務は皆わかっていると思うが、航宙模擬艦隊戦闘演習に参加することである。今次訓練を通して、各員の能力向上に努めてもらいたい。以上だ。」
そう言い、マイクを置くと、艦橋メンバー全員が振り返って敬礼をしていた。艦橋メンバーの凛とした顔を一瞥した小西も艦長席から立ち上がって答礼をした。そんな時だった。突如ザッと言う雑音と共に艦内に通信が流れる。
「こちら第8空間宙雷戦隊旗艦、『あまつかぜ』だ。これより演習集合宙域に向け発進する。合流地点は月面沖270キロの空間点。合流地点までの航行中は第二空間警戒航行序列を維持すること。以上だ。」
それを聞いて小西は、指示を出す。
「出航用意!錨を上げろ!」
号令と共に、けたたましく出航の警報音が鳴り響く。いくら宇宙艦の発進といっても、宇宙港からの発進は稀で、基本的には海上もしくは陸上から飛び立つ事の方が多い。我々の母港は海に面しており、我々は海上発進が常であった。波は穏やかで、天気も良く、我々の出航を祝福しているかのようであった。
「補助エンジン、動力接続、スイッチオン!」
「補助エンジン動力接続。…動力の接続を確認。補助エンジン始動…補助エンジン定速回転1600。両舷推力バランス正常、パーフェクト!」
小西の号令に合わせ、西村機関長の手慣れた復唱と報告が艦橋内部にこだまする。
「微速前進」
「微速前進」
小西の号令を航海長である桐原が復唱するとエンジンから炎が吹き出し、艦がゆっくりと前進する。
「メインエンジンにエネルギー注入」
西村機関長がそう言うと同時に、小西の手元のメーターのクォークエネルギー量の項目が上昇を始めた。
…いよいよ、始まる。そう思うと、手が小刻みに震える。手を握り締めて震えを抑えて手元のメーターに注目する。その間も艦は波を割って突き進む。
「補助エンジン、第二戦速から、第三戦速へ。離水可能速度まであと5分。」
桐原がそう言うと、さらにエンジンが唸り、速度が上がる。
「メインエンジン、シリンダーへの閉鎖隔壁、開け!メインエンジン、始動4分前」
西村機関長が続ける。
「メインエンジンクォークエネルギー圧力上昇中。現在エネルギー充填90%」
「補助エンジン、最大戦速!」
「補助エンジン、最大戦速!」
桐原と西村機関長の阿吽の呼吸でエンジン出力に合わせて艦の速度が増していく。お互いの報告、復唱も熱が入っているように聞こえる。…それはそうだ。ここは航海科と機関科にとっては1番の見せ所。熱が入るのも頷ける。そう思い、小西は手元のメーターで艦の状態が適切かしっかりと確認した。
「メインエンジン、さらにエネルギー注入。現在エネルギー充填100%!」
エネルギー充填率が100%を超えると、艦橋にもエンジンの低く、渋い音が聞こえてくる。小西は、昔のことを思い出していた。
…船乗りは皆、この音を聞いて旅に立つ、と昔まだ俺が防衛学校の生徒で初めての航海の際、教官がそういっていたのを思い出した。あの頃から俺は変わったぞ、と思い、腹に力を込めた。
「メイエンジン点火、 2分前」
西村機関長からの報告でいよいよ発進が近づいてきたと言うことを改めて感じた。小西はマイクを手に取り、全艦放送をかける。
「総員に告ぐ。本艦は間も無く離水し、集合空間座標へ向かう。総員、ベルト着用。離水の際は衝撃に備えよ!」
緊迫した雰囲気。だが、不思議と乗組員の顔に緊張はなかった。
「クォークタービン、始動10秒前」
西村機関長の号令でエネルギー伝動管が開放され、クォークエネルギーがメインエンジンに伝わる。そして…
「メインエンジン、クォークエネルギー充填120%。クォークタービン、始動!」
西村機関長がついにこの号令を発すると、桐原が
「クォークタービン、始動!」
と確認し、クォークタービンが回り始めた。低い音がさらに増大する。だが、不思議と不快感はなく、心が落ち着くようであった。
「メインエンジン点火、10秒前。」
航海長がカウントダウンを始める。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0…」
カウントがゼロになり、桐原が、
「クォークタービン、コネクト!メインエンジン点火!」
と号令を発する。いよいよだ。そう小西は思い、大きく息を吸い込んで、声高らかに言った。
「しまなみ、発進!」
そう言うと同時に艦後部のエンジンノズルから勢いよく火が吹き出し、艦が上を向いたかと思うと太陽に吸い込まれるように艦が上昇を始めた。



離水から5分もすると、地球大気圏を抜け、本艦の背後には円というよりやや楕円形な地球がどっしりと構えていた。
「艦長、あと10分ほどで集合空間座標である月面沖270キロの空間点に達します。」
と、桐原から報告が上がる。
「了解した。味方艦艇の位置は?」
と尋ねると、すぐさま
「旗艦『あまつかぜ」は既に予定ポイントにて待機中です。その他僚艦の所在はそれぞれ『しぐれ』が予定ポイントから3キロ、『あきづき』が2キロ、『ゆきかぜ』が5キロ、『しまかぜ』が同じく5キロの地点です。」
と電探士から返答が返ってきた。その返答に頷き、少しし考えたのち、
「少し遅れ気味だな。増速、黒20」
と指示する。
「ヨーソロー、黒20」
と桐原が復唱したことを確認すると手元のパネルで今回の演習の戦闘計画書を出して、読みなおした。
「…演習開始の号令で我が第8空間宙雷戦隊と第9空間宙雷戦隊が艦隊より離脱して奇襲のためにアステロイド群に潜伏、その後艦隊は鶴翼陣形を敷いて敵を包囲すると見せかけて敵が両翼の艦隊に攻撃を仕掛けると同時に我が戦隊と第9空間宙雷戦隊がアステロイド群から飛び出して小ワープを敢行、敵中枢にワープアウトして敵の主力艦艇と敵旗艦を撃滅する、か…」
しばらく考えたのち、ポツリと
「これが本当にうまくいくのか…?…敵の陣形予想が何も書かれていないじゃないか…敵が単縦陣や輪形陣ならまだしもそもそも隊列を組まずに機動戦闘を仕掛けてくる可能性だってあるのに護衛の宙雷戦隊を引き離して…しかもこの戦闘計画の一つしか明記されていないし…これはどうなんだろうな…」
と呟いた。そうこう思慮を巡らしている間に、
「予定ポイントに到達!」
と桐原から報告が上がり、一旦戦闘計画書を閉じて窓の外を確認した。丁度『ゆきかぜ』と『しまかぜ』が同時についたところで、増速が功を奏したな、と内心思っていると、
「艦長!『あまつかぜ』より戦隊間通信が入っています!」
と通信士からの報告が聞こえた。
「繋げ。メインパネルに。」
そう返答し、天井に吊り下がっているメインパネル…というには少し小型なテレビジョンモニターに戦隊司令官の姿が映った。すぐさま敬礼をする。
「あー、諸君。私がこの戦隊の宙雷戦隊の司令官を任された大岸だ。よろしく頼む。」
と、タブレットを見ながら小柄で肉のある初老の男性が訓示を行う。
「えー、早速だが、これより本戦隊は第二空間警戒航行序列を敷いてだな、えー、エッジワース・カイパーベルトに程近い冥王星沖3万7000キロの空間点に向かう。えー、そこが我々α部隊の合流地点だからな、えーしっかりと行動するように。以上、何かあれば挙手。」
本来この挙手のくだりは儀礼的なものであり、本来は何もしないことが定石となっている。だが、作戦について具申するには今しかない、そう小西は思い、手を挙げた。
「ふむ、小西艦長。どうした」
「はっ、この戦闘計画書ですが、戦闘パターンが一つしか示されていないため、敵がもし隊列を組まず機動戦闘を仕掛けてきた場合等、戦闘計画書にない場合についてこ詳細な指示が示されておりません。ですから、司令官が合流地点で会議を行う際にどうか本戦闘計画書の改善を具申していただけないでしょうか。」
というと、大岸司令官はイラッとしたような顔を浮かべてこう言った。
「何を馬鹿なことをいっとるのだね。隊列を組まない?そんなケースがあるわけないじゃないか。もう少し戦闘パターンというものを勉強したらどうかね。」
「ですが…!」
「君、艦長としては異例の早さで着任したらしいが、天狗になっていないかね。具申するにしてももう少しまともなことを具申しなさい。…他にないかね」
「司令!」
「では、解散。これより目的地に向け前進する。確認するが全艦、第二戦速、だ。以上。」
そう言い、画面は黒く染まり、通信が終了したことを伝えていた。
「天狗…天狗か…どうなんだろうな…」
司令官が小西自身に向かって言った言葉を反芻しながら1人でポツリと呟いたが、そんなことをしている暇は無いと思い直し、指示を飛ばす。
「訓示通りだ。前方の『ゆきかぜ』とは現在の間隔を維持せよ。機関始動、第二戦速へ。」
「機関始動、第二戦速、ヨーソロー」
「取り舵15°」
「取り舵15°ヨーソロー」
「舵戻せ。進路060」
「進路060ヨーソロー」
と、小西の指示に桐原が復唱で答える。
「杉内、ポイント到着までは第二種警戒体制を維持。対潜、対空、対艦警戒を厳とせよ。」
「了。全艦に告ぐ。総員、第二種警戒体制を維持。対潜、対空、対艦警戒を厳とせよ。」
小西の指示を受け、砲雷長である杉内が乗組員に対して第二種警戒体制を呼びかけた。
「俺は艦長室に戻る。何かあったらすぐ報告してくれ。諸君らも交代要員としっかりと交代して演習に支障をきたさないように。」
「はっ!」
艦橋メンバーにそう言い、小西は艦橋を後にした。全長およそ117mと通常の宇宙駆逐艦にしてはやや小型な本艦には、乗組員の為の居住スペースが限られており、通常の部屋に2段ベッドが2個設置されていたりと居住性に難がある艦出会ったが、艦長室も例外ではなく、椅子とベッドが兼用であり、椅子を押し倒すことでベッドになったりとあまり居住性が良いとは言えなかった。だが、艦長である小西は俺だけ大きい部屋にしろ、などということは一切思わなかった。
それは、昔の防衛学校時代の経験があるからである。
ある航海訓練の最中、教官が我々と同じ狭い船室で寝泊まりしていると聞いた。それについて教官に直接尋ねたところ、「生徒が不便を感じる中、教官である俺が快適さを味わってはならない」、という信念によるものなのだと言われた。
それ以降、人の上に立つようになっても立場が下の人間と同じ苦労を味わうこと…それが一流の指揮官に求められる…そう思うようになった。
「とりあえず今日の航海記録を書いておくか。」
そう言い、机に設置されている大型タブレットに記録を書き残していく。
「さて…こんなものか…」
そう呟き小西は背もたれに体を預けながら考える。大型タブレットをチラリと見て小西は気怠そうにキーボードを叩く。小西が検索キーを押した瞬間、タブレットには1人の男と顔写真と名前、経歴がざっと流れ出た。小西はそれを横目にサラサラと読んでいく。
「阿部なぁ…」
そう呟きながら考える。戦艦あまぎ技術科長をしていた阿部だが、彼は昔あまぎが沈没する際、退艦禁止命令を無視し、そそくさと数名を引き連れて退艦したという噂が流れており、そのことが原因で軍から忌み嫌われているようであった。事実、彼がこの「しまなみ」に来る以前、やはり彼はあまぎにいたようで、経歴には2215年あまぎ技術科長就任と明記されている。彼が生きている以上あまぎから退艦したということは事実なようだが、果たして、本当に命令を無視して退艦したのだろうか。小西は、そのことについて阿部が赴任してきて以来、ずっと疑問に思っていた。やはり周りからは嫌われている為、周りの乗組員との溝は深いがしかし彼の働きぶりを見てきた小西としては、彼が命令を無視してまで退艦するとは思えないのだ。彼はどれだけ周りから嫌味を言われようと黙々と作業をこなし、その作業の完成度は非常に高い。普通、命令無視をするような人間であればもっと杜撰であるのだろうが…そう思ったがそこで小西は思考を中断した。止めだ、止め。他人のことを詮索するのはよろしくない。ここまでにしておこう。そう小西は自己完結した。…だが、詮索はやめると言っても演習に火種は持っていきたくない。…少し、乗組員に説教しなければならんな、そう小西は思い、そろそろ寝ようかと時計に目をやる。手元の時計を見ると午前1時を指していた。流石に寝ないとそれこそ演習に支障をきたしかねない。艦橋メンバーにしっかりと休んで演習に支障がないようにせよと命令したのに命令した本人の体調が万全でなかったら話にならない。そう思いながら椅子のレバーを下げ、椅子を押し倒し、簡易的なベッドを作るとすぐにベッドに潜り込んで瞼を閉じた。
案外疲れが溜まっていたようで、寝ながら戦闘計画を反芻しようと思ったが、そう思い通りにはいかず、意識が落ちていった。


合流宙域に着くと、既にほとんどの艦艇が集結していた。我々の所属するα部隊は、超弩級宇宙戦艦5、宇宙巡洋戦艦8、宇宙巡洋艦15その他宇宙駆逐艦及び補助艦艇多数を有する大艦隊である。
「戦隊、予定ポイントにつきました。」
桐原からの報告を受け、機関停止を命ずると、小西は艦橋メンバーにこう告げた。
「本演習はCICにて行う。艦橋乗組員は全員CICへ向かえ。西村機関長もCICに来てエンジンの面倒を見てくれ。」
西村機関長は驚いた顔をしたが、すぐに
「わかりました。」
と返事をした。それに頷くと、少し迷ったがさらに言葉を続けた。
「戦場は常に流動的だ。万が一戦闘計画にない局面が訪れた際、戦隊がもし戸惑って行動が滞った場合、本艦が具申の上単独で動く可能性がある。申し訳ないが、どうにか了承してほしい。以上だ。」
そう言い、全員に敬礼をした。申し訳ない、その思いで背筋がいつもより伸びる。すると、その思いを読み取ったのか、杉内が敬礼をしながら言う。
「艦長、お言葉ですが、そう思い詰めなくても結構です。我々もあの戦闘計画書に欠陥があることはわかっていました。ですから、艦長がそのような決断をされて嬉しく思いますし、それでこそ我々の本領が発揮できると言うものです。」
その言葉を聞いて、少なくとも自分は天狗になったのではないと改めて自信を持つことができた。
「ありがとう、杉内砲雷長。おかげで気が楽になった。」
「そう言っていただいて、光栄です。」
小西と、杉内の視線が交錯する。以前から小西のことを慕い、ついてきてくれた杉内からの言葉は、今の小西を落ち着かせるには十分であった。
「5分後に戦闘計画確認のブリーフィングを行う。艦橋乗組員はブリーフィングルームに移動。その後CICにて集合、演習開始まで待機せよ。以上だ。」
そう言い、改めて全員に敬礼した後、小西は艦橋を後にした。

ブリーフィングルームでは、小西が作戦要綱を補足を加えつつ読み上げていた。
「…鶴翼陣の本隊に対し、敵艦隊が両翼を攻撃し始めたところで我々がアステロイド群から小ワープを敢行し、敵旗艦及び主力戦隊の撃滅を狙う。その後、我々は敵艦隊に圧力をかけつつ、本隊をもって敵艦隊を撃滅する…これが正規の戦闘計画だが…」
そう言った後、一呼吸おいて、言った。
「…だが、予定通りにならないことも戦場ではあり得る。まず、敵が隊列という隊列を組まず、我々に対しゲリラ的な機動戦闘を仕掛けてきた場合だ。この場合はまず司令官に意見具申する。受け入れられた場合は当然戦隊と行動を共にするが…再び具申案が跳ね除けられた場合には本艦は戦隊から離脱、単独で本隊の救援に向かう。」
「艦長、一つよろしいですか。」
そう言ったのは砲雷長である杉内だ。小西は頷いて発言を許可する。
「ああ、言ってみたまえ。」
「お言葉ですが、駆逐艦単艦で増援に行っても効果的なことは何一つできないのではないですか?まして戦隊規模で動いても何かできるとは思えません。でしたら計画通りに行動した方がよろしいのではないでしょうか。」
「…確かにその通りかもしれないが、別に可能性がないわけではない。特に相手が間隔を広く取って機動戦闘を仕掛けてくるのであれば、敵艦直上から駆逐艦の機動力をもって殴り込みつつ、各個撃破すれば問題ないと考えるが。」
杉内は納得したような顔をして
「艦長の考えを支持します。」
と言った。その言葉に小西は笑顔を返し
「ありがとう。他に質問はないか?」
と尋ねる。周りを見渡すが、特に物事を尋ねたがっているような顔は誰もしていなかった。小西は腕時計をチラ見する。…まだあと数分あるな、そう小西は思い、近くにいた兵士にマイクを貸すように言い、マイクの放送先を艦内放送にするよう指示した。杉内たち艦橋乗組員は何をするのかと小西を不思議そうな目で見る。小西はそれを横目に兵士に作業を進めさせ、やがて合図があることを確認すると小西は話し始めた。 
「乗組員諸君。艦長の小西だ。演習を前に君たちに聞いて欲しいことがある。各員、作業の手を止めて一度、聞いて欲しい。」
その言葉を聞いて全ての将兵が荷物を床に置き、作業の手を止め、スピーカーに耳を傾ける。
「さて、話をしたいのは今艦内に蔓延っているこの薄汚い空気についてだ。…ご存知の通り、先月新しい技術科長として阿部宙尉が赴任してきて以降、この艦の空気は一層悪くなっている。それはそうだ、これには命令無視して艦から去ったというとんでもない噂が立っているのだ、乗組員諸君が彼を忌み嫌い、忌避するのもわかる。」
そう言いながら阿部の方を見るとやや俯いているようにも感じる。小西は阿部に笑いかけ、話を続ける。
「だが、それはあくまで噂の話だ。彼が噂通り、命令無視をするような人間ならば、そもそもなぜ命令無視として上層部から裁かれないのだろうか。それは、当然、彼がそのようなことをしていないからである。また、通常、命令無視をするような人間は生活態度が芳しくなく、仕事も適当なことが多い。が、阿部宙尉はこれまで見てきたどんな乗組員よりも完璧に仕事をこなしていることは諸君らも薄々感じているだろう。彼は、間違いなく噂のような人間ではなく、完璧すぎる人間であり、訳あってあまぎから転属になっただけなのだ。彼は諸君らが憎む相手ではなく共に戦う仲間であり、上官である。そのこと、しかと心得よ。」
そう言い、彼はマイクの電源を切る。艦内では言葉では表しにくい気まずい空気が流れており、それはCICでも同様であった。小西はそんな艦橋乗組員に告げる。
「いいか、君たちが所謂模範となって阿部宙尉と親密な関係を築いていかないと下士官もその気になってくれないではないか。阿部宙尉は仲間、その事実は誰がなんと言おうと変わらない。全員、今更ながら彼と和解し、良き友であってやってくれ。」
そう言うと艦橋乗組員はお互いに顔を見合わせ、バツの悪そうな顔をしていたが
「阿部宙尉、その…。本当にすまなかった。勝手な噂で判断したりして。」
と杉内が阿部に歩み寄ったことで他の乗組員も気まずそうにゆっくりと步を進め、やがて阿部の前に立つと、ゆっくりと頭を下げて謝罪し阿部と和解していく。…この艦の乗組員の良いところはとても素直な所だよな、と小西は思いつつ全員が阿部と和解したことを遠くから見届けていた。やがて、和解が済み阿部の周りが賑やかな声で満たされていることを確認した小西は
「よし、そろそろ行こうか。」
と言う。その言葉に先程までの賑やかな雰囲気は無くなり、再び演習前の張り詰めた空気に戻る。その様子に小西は小さく頷くと
「各員CICへ。解散。」
と号令をかけた。


CICの内部は艦橋とは違い、大型のディスプレイが正面と左右に合わせて3つついていた。暗いCIC内部ではディスプレイの灯りが煌々と輝いていた。ディスプレイに表示されているものを一つ一つ流し見ていると、通信が入る。
「全艦に達する。こちらα部隊旗艦『ひゅうが』だ。これより演習を開始する。全艦戦闘計画に基づき行動を開始せよ。各員の奮励努力に期待する。以上」
この通信によって、演習の火蓋が切られた。小西は、戦闘計画に基づき号令をかける。
「進路008、第一戦速!」
「進路008、第一戦速ヨーソロー」
桐原が復唱すると、杉内と桐原はともにアイコンタクトをとり、杉内が砲雷科乗組員に号令をかける。
「総員、第一種戦闘配備につけ!砲雷撃戦用意!」
けたたましいサイレンが艦内に鳴り響き、艦内では乗組員がせわしなく走り回る。
「第一砲塔、準備よろし」
「第二砲塔、準備よろし」
「第三砲塔、準備よろし」
「艦首魚雷発射管、準備よろし」
「艦尾魚雷発射管、準備よろし」
「左舷魚雷発射管、準備よろし」
「右舷魚雷発射管、準備よろし」
「全対空砲塔、準備よろし」
杉内に、それぞれの部署から配置完了の報告が届く。全ての戦闘配置が終了したことを確認すると、
「総員、戦闘配備完了。」
と戦闘配置完了を報告した。…不安要素はないわけではないが、この艦ならいける。そう信じ、CIC内の正面の大型ディスプレイ群を睨みつけた。
しばらくすると、桐原から報告が入る。
「正面にアステロイド群多数!」
その報告を受け、戦闘計画を思い返しながら慎重に指示を飛ばす。
「アステロイド群に突入する。強速、赤5」
「強速赤5ヨーソロー」
桐原が復唱し、艦の速度が落ちる。しばらくすると、戦隊が停戦し始めた。
「レーダー、先行する『ゆきかぜ』の停船を確認しました!」
電探士から報告が上がると、間髪を入れず
「機関停止。前部スラスター最大出力。現宙域にて待機せよ。」
「機関停止!」
「前部スラスター最大出力!」
指示を受けて西村機関長と桐原が同時に復唱する。しばらくして、艦はその場で停止した。眼下では、我々の先遣隊と敵の本隊が交戦を開始した。…幸いにも、敵艦隊は輪形陣を組み、我々の先遣隊と砲火を交えていた。やがて、我々の本隊が鶴翼陣をしいて前進し、作戦通り包囲するために両翼の艦隊がさらに前進を始めると、輪形陣のそれぞれ左側と右側の艦隊がそれを押し留めようと本隊から離れた。
「『あまつかぜ』より発光信号!全艦小ワープ敢行。健闘を祈る」
通信士が「あまつかぜ」からの発光信号を読み取る。いよいよ俺たちの出番だ。小西は腹に力を入れて、声を高らに告げた。
「総員、ワープ準備!」
その刹那、艦内に再び警報が鳴り響き、桐原が指示を出し、阿部がそれに応える。つい先程までは艦橋内でも少しギクシャクした雰囲気が流れていたが、今は少しその雰囲気は和らいでいた。
「ワープ座標確認」
と桐原が支持すると、
「ワープ明け座標冥王星沖4800キロの空間点!座標軸固定する!」
と阿部が報告し、着実に準備を進める。

「クォークボイラー出力47%から83%まで上げ!」
「クォークボイラー出力83%!エンジン内圧上昇中!」
今度は桐原が西村機関長へ指示を出し、機関長は復唱しながら着実にこなしていく。エンジンの出力が上がるにつれ、やはり艦内にエンジンの心地よい振動が響く。そんな艦橋内を横目に見ながら、
「杉内!ワープアウト後は実体弾及び宇宙魚雷、VLSにて攻撃を行う。主砲に実体弾を装填しておけ!」
と指示を飛ばす。
「了解!全砲塔、実体弾装填!」
小西の指示を受け、それぞれの砲塔に指示を伝達する杉内。今の所は計画通りに進んでいる。何も問題はない。
「ワープ1分前!正面にワームホールを確認!」
桐原が報告する。目の前には禍々しいワームホールが大きな口を開けて我々が飛び込んでくるのを今か今かと待っていた。
「ワープ40秒前!メインエンジン出力最大!」
「メインエンジン出力最大!」
桐原が機関長にそう指示し、機関長がエンジンの出力を上げると、身体にかなりのGがかかっているのがわかった。押しつぶされまいと腹に力を入れた。
「ワープ20秒前!各自ベルト着用!」
艦内放送でそう呼びかけ、小西も艦長席のベルトをしっかりと締めた。
「カウントダウンに入ります。」
桐原が大声で報告し、すぐにカウントダウンが始まった。
「10、9、8、7、6、5、…!」
あと5秒でカウントダウンが終わり、ワープしようかと言う瞬間、阿部が悲鳴のように叫びながら報告を上げた。
「わ、ワームホールに異常な次元振動波を確認!今ワープしては…」
阿部からのその報告を全て聞き終わる前に、異常事態だということはすぐにわかった。いや、頭で理解する前に身体がすぐに反応していたのかもしれない。
「まずい!ワープ中…」
だが、5秒前の報告で簡単にワープが停止できるわけもなかった。艦は、異常な次元振動を発する漆黒のワームホールの中に突入していった。
第二章 遭遇
大きな音が艦内に響き渡る。その音でワープアウトしたことがわかった。だが、悠長にしている暇はない。
「各自、状況知らせ!」
そう叫び、それぞれに情報収集を命じる。その直後、今度は桐原から悲鳴のような叫びが聞こえた。
「ほ、本艦は現在落下中の模様!現在の高度58000!あと108秒で地面に激突します!」
その知らせは、艦橋を凍りつかせた。我々は先程まで宇宙空間にいたはずだ。それなのに今、本艦は落下していて、あと100秒も経たず、墜落する…だが、助かる為には落ち着いて指示を出すほかなかった。
「桐原!メインエンジン出力最大!クォークタービン、コネクト、点火!上昇角10°で緩降下のち上昇せよ!」
「よ、ヨーソロー…」
動揺しながら計器類を操作していた桐原の手が震えながら止まった。
「メインエンジン、始動しません…!」
最悪な知らせに最悪な知らせがこうも重なるものなのか…小西は絶望の底に叩き落とされた。
「どうにか経ち直せないのか!桐原!」
隣に座っていた杉内が桐原に訴えかける。
「ダメだ!エンジンに火が入らない!機関長!」
「機関、ショート!現状では始動不能です!」
けたたましい警報が、無情に艦内に響き渡る。
「あと80秒!」
桐原に変わり阿部が冷静に報告を続ける。…落ち着け。…そうだ、落ち着くんだ。…今冷静さを失ってはいけない。どのみち、ここで行動をしなければ死ぬしか道がなくなる。…ここは、賭けてみよう…
「機関、再起動!急げ!」
桐原や他の艦橋メンバーが驚いたように小西を見る。
「しかし艦長!再起動してはメインエンジンの始動が間に合いません!」
桐原が悲鳴のような声を上げて抗議する。だが、今ここで説明している時間はない。
「命令が聞こえんのか!早くしろ!」
そう叫んだ。桐原達艦橋メンバーには悪いが、今はとにかく行動を進めるしかない。
「よ、ヨーソロー、機関再起動。機関長!」
「機関再起動!クォークタービン再接続!」
機関長が叫び、エンジンが一度止まった。頼む、早く動き出してくれ。そう思いながら永遠とも思える時間を耐え続けた。数分か、いやもしかしたら数秒かもしれない。いずれにせよ、しばらくして再び低い唸りと共にエンジンが動き出した。…間に合うか…。小西は彼の手元にある時計とエネルギー充填メーターを交互に睨みつけた。
「機関始動!」
「機関始動!クォークタービンコネクト、点火!クォークボイラー出力最大!」
エンジンノズルから火が吹き出し、艦の落下速度がやや遅くなる。
「桐原!補助エンジンも推量最大へ!上昇角15°緩降下のち上昇!」
「ヨーソロー、補助エンジン推量最大!上昇角15°!」
「衝突まであと40秒!高度7880!」
「総員、衝撃に備えよ!」
乗組員は衝撃に耐えられる姿勢をとり、それぞれが祈りを捧げた。
「衝突まであと20秒!高度1960!」
阿部が計器をみて叫び続ける。手は硬く握りしめられ、祈り続けていたのが見てとれた。

…そして、そこから数十秒後、エンジンノズルが水面に触れるかどうかの寸前のところで艦を立て直し、上昇に転じることに成功した。
「た…助かった…」
乗組員は口々にそう言い、安堵の声を漏らした。
「改めて状況を報告せよ。」
小西も一息息を吐くと、そう命じた。しかし、悪夢はこれで終わりではなかった。少しして、阿部が青い顔をして告げる。
「こ…恒星観測システムに該当する恒星が見つかりません…」
ギョッとして全員が阿部の方を見た。
「おい、それは本当なのか!」
杉内が大声で問い返した。
「ほ、本当です!太陽やグリーゼ581、それどころかその他既存の恒星が確認できません!」
恒星観測システムが我々の知っている恒星の位置を捉えられないということは、我々は現在位置を把握できない。つまり、地球に帰還することができないのだ。まずいね、どうにも。と思いながら悲鳴を上げる阿部を落ち着かせるように
「阿部、システムの故障ではないのか?」
と尋ねた。しかし、
「システムの故障ではありません!恒星自体は捕捉できています!しかし、そのいずれもアンノウンです!」
と、やはり悲鳴のような報告が響く。それを聞いて
「ひとまず阿部、落ち着け。焦っていたら冷静な判断は下せんぞ。」
と忠告を入れてから、
「アンノウン…アンノウンか…」
と呟いた。
しばらく考えていると、大きく深呼吸をした阿部が落ち着きを取り戻して自身の見解を述べた。
「信じ難いことですが、ワープの異常振動に巻き込まれた結果、我々は未知の空間に辿り着いてしまったのかもしれません…」
その報告は、再び艦内を凍り付かせた。だが、悠長としている時間はなかった。突如、電探士から報告が入る。
「後方より未確認飛行物体接近!数1!左ディスプレイに未確認飛行物体の画像展開します!」
そう言うと電探士は手元のコンソールを素早くタップして左側のディスプレイに未確認飛行物体のリアルタイム映像を映し出した。それを見た杉内が叫ぶ。
「こいつ、『艦』だ…武装が積んであるぞ!」
その「艦」は明らかに武装船であった。ソイツは、尚本艦に向かってまっすぐ進んできていた。…間違いなく捕捉されている…そう思うと、冷や汗が流れた。どうする。おそらく敵は間違いなく発砲してくると見ていい。今の距離だとあと数分でこちらの有効射程距離に入る。先に発砲するか…いや、それでは専守防衛の原則に反することになる。…乗組員の命を捨てて専守防衛を貫くか、乗組員を守る為に国から課された至上命題を放棄して先制攻撃をするか…小西は死ぬ気で試行錯誤をしていた。だが、いくら考えても答えは出てこず、未確認艦船は小西の手元の時計の秒針が進めば進むほどさらに接近してきていた。…どうすれば…そう思っていた時、声が聞こえた。
「…長!艦長!どうしますか!」
ハッとして前を見ると、桐原がこちらを向いて指示を仰いでいた。いや、桐原だけではない。CICにいたすべての乗組員が全員こちらを見ていた。だが、その顔はどうすればいいかわからない辿々しい顔ではなく、艦長である小西を絶対的に信頼していると言わんばかりの顔をしていた。その様子を見て、小西は落ち着きを取り戻し、指示を出す。…落ち着け、お前は前回の航宙模擬艦隊戦闘演習で的確に指示を出せなかったことを悔やんだじゃないか。その失敗を、反省を今活かさずしていつ活かす。
「これより未確認艦船をターゲット01と仮称する!杉内、砲雷撃戦用意!主砲弾種弾種、通常ビーム砲弾!」
「了!総員、砲雷撃戦用意!目標ターゲット01、弾種通常弾!」
「桐原!最大戦速で現空域より離脱!」
「ヨーソロー、最大戦速!」
一気に指示を飛ばすが、桐原も杉内もそれぞれ何一つ手順を間違えることなく作業を進める。
「通信士!未確認艦船に向けて全周波数帯にパターン2警告通信を実施!」
そう指示した。通常パターン2警告というのは、自艦に対して異常接近してくる艦船に対して使うものである。今回の事例は異常接近というわけではなく、接近してくる艦船に警告を行うので、この警告をするのは異例といえば異例だが、今の敵の接近を食い止めるにはこれしかない。
「パターン2警告了解!警告を実施します!…『Attention,Attention. This is Japan Cosmo Self-Defense Force,Ship’s number SDDH-107, Space Destroyer “Shimanami”. You are too close to me. Reverse immediately.Repeat. This is Japan Cosmo Self-Defense Force,Ship’s number SDDH-107, Space Destroyer “Shimanami”. You are too close to me. Reverse immediately.(警告、警告。こちらは日本国航宙自衛隊、艦番号SDDH-107宇宙駆逐艦『しまなみ』である。貴艦は本艦に対して異常に接近しすぎている。直ちに反転せよ。繰り返す。こちらは日本国航宙自衛隊、艦番号SDDH-107、宇宙駆逐艦『しまなみ』である。貴艦は本艦に対して異常に接近し過ぎている。直ちに反転せよ。)」
通信士が警告を発し終わり、相手からの返信を待っているが、一向に返信はなく、未知の艦艇は接近を試み続けている。…このままこの「追いかけっこ」を続けてはいずれ空の上とは言え単艦であり土地勘のない我々が先にバテるに違いない。…であれば…。小西の頭に一つ、案が浮かんだ。しかし、それはかなり卑劣で、実質的に言えば我々が先制攻撃をしたと言われても仕方のない話であった。だが…。今はこれを実行する他に手段はない。そう思い、腹を括った。
「桐原!上昇角45°、機関逆進、最大出力!艦首及び艦底部スラスターも最大出力だ!ターゲットの後ろに出るぞ!杉内!1番主砲発射準備!」
「ヨーソロー、上昇角45°、機関逆進!艦首及び艦底部スラスター最大出力!機関長!」
「メインエンジン及び補助エンジン、クォークボイラー回転方向逆転。出力最大!」
「第一主砲、いつでも撃てます!」
まさに、信頼し合っているからこそできる芸当だろう。小西はそう思った。お互いに信頼し合い、艦長である小西を信頼している艦橋メンバーだからこそできたことだ。この一瞬の出来事で、本艦はヤツの背後をとった。桐原が自分の判断で各部のスラスターを噴射し、艦のバランスを戻す。
「杉内!敵が撃つまで発砲は禁ずる!絶対に我慢しろ!」
「了!」
「桐原!敵が撃ってきたら全力で回避しろ!…危険な距離だが、お前なら出来る!」
「よ、ヨーソロー…」
「おい、航海長!任せたぜ!」
「プ、プレッシャーかけるんじゃねぇよ…」
軽口が叩けるほど落ち着いてきたのか、さすがだな。と思いつつ前を行く艦の行動を見極めようとする。
「通信士!再び正面の艦艇と回線を…」そう指示を出そうとしていたその刹那、敵の後部砲塔から眩い閃光が迸ったのが見えたと思うと、艦が勢いよく左に傾く。
「右舷スラスター最大出力!艦体傾斜!」
桐原が操艦しつつ報告し、敵のビーム砲を寸前で回避した。…撃ってきた。敵にプレッシャーをかけて先に撃たせて大義名分を得る…なんとも卑劣なことだが、これでこちらが反撃する大義名分は得た。しかし…本来ならすぐにでも命令を出すべきなのであろうが、小西はこの時躊躇した。…撃てば、必ず目の前の艦の誰かは確実に死ぬことになる。だが、やらねば、やられる。だが、せめて犠牲は最小限にしなければ…航行不能、そうだ。航行不能程度でいい…コンマ数秒だが、小西は艦のどこを狙えば最小限の被害で航行不能に出来るか考え、小西は恐る恐る口を開いて、静かに言った。
「主砲1番発射。目標ターゲット01機関部。主砲単発射、撃て。」
その指示を聞き逃すことなく、杉内は冷静に復唱し、主砲の引き金を、引いた。
「目標ターゲット01機関部、単発射。撃て。」
艦首に装備された連装砲から白く光る螺旋状の帯が目標に向かって飛んでいった。そしてそれは吸い込まれるようにターゲットの機関部に直撃し…
目の前の艦は「爆沈」した。
「え…?」
その光景を見て、小西は唖然と言葉を溢し、艦橋メンバーも皆固まっていた。杉内の狙いは、完璧だった。完璧に敵の弾薬庫があるであろう場所を外し、エンジンルームのみを貫徹したはずであった。だが、結果として艦は爆沈、その艦に乗っていた人が全員死んでしまったのは火を見るより明らかであった。…俺は、人を殺した。小西はそう思い詰めた。そう思えば思うほど、彼の心が激しく締め付けられる。だが、何よりも1番小西の心を締め付けたのは、殺したことに対する罪悪感が湧かなかった事だった。命令を出した人間が小西自身であるにも関わらず、蚊1匹潰した程度の罪悪感すらも湧かない。しかも命令を出した本人はのうのうと生きている…そのどうしようもない事実に、小西は耐え切れなかった。
「か、艦長…」
震える声で杉内が振り向いてきた。彼も主砲の引き金を引いたことで目の前の命を奪ってしまったことに対する罪悪感で顔が真っ青になっていた。だが、彼は弱音を吐くのではなく、こう具申してきた。
「…もしかしたら…まだ生存者がいるかもしれません…水面に降りて…内火艇による救難活動を…具申します…」
激しく、浅い呼吸を繰り返しながら、杉内はそう言った。…なんてコイツは強いんだ。俺は自分のことで手一杯だったのにも関わらず、コイツは今沈めてしまった乗員への配慮まで気を配れている…。小西は素直に尊敬した。
「そ、そうだな…桐原、下げ舵25°、水面へ着水させろ。」
「…ようそろ…。下げ舵25°両舷前進最微速。」
「石原、内火艇発進準備。着水次第直ちに発進、生存者の救助にあたれ。俺も出る。」
「わかりました…」
指示を出した後は着水まで無言の時間が続いていた。…ああ、俺は何てことをしてしまったのだ。その思いが彼の心を再び締め付ける。他に方法はなかったのだろうか。もしかしたら俺はこの艦のことだけを考えていて相手の艦のことなど何一つとして考えられていないのではないか…。ずっとその考えが小西の頭をよぎっていた。…自衛隊に入り、少なくともこのように人をいつか殺さなければいけない日が来るかもしれない…それはわかっていた。だが…その重さは非常に重く小西の双肩にのしかかった。本当にあの時いったいどうすれば…そのことばかりを考えているうちに艦は水面に着水した。阿部が、着水した水の成分及び大気成分を報告する。
「この水の主成分は水 96.6 %、塩分 3.4 %。この内、塩分は質量パーセントで、塩化ナトリウム 77.9 %、塩化マグネシウム 9.6 %、硫酸マグネシウム 6.1 %硫酸カルシウム 4.0 %、塩化カリウム 2.1 %、その他が 0.3%であり、これらの成分は地球の海水の成分と完全に一致しています。続いて大気成分ですが、窒素が78.1%、酸素が20.9%、アルゴンが0.93%、二酸化炭素が0.03%、その他約1%とこちらも地球の大気成分と同じです。船外服を着ての活動は基本的に必要ないと思われます。」
その報告を聞くやいなや、
「船務科10名、内火艇に搭乗!も出る!」
そう言い、艦橋から駆け出していった。

水面は、地獄の様相を呈していた。水面には艦の残骸が浮かび、その艦の乗組員の腕や千切れた胴体などが無情に漂っていた。たった一発で…ここまでの惨状が広がるものなのか…小西は再び罪の意識に駆られた。だが、悔やむ前にやるべきことがある。
「誰か!生存者はいないか!」
小西は人目も憚らず声が枯れるまで叫び続けた。だが、地獄の水面からは何一つとして返事は返ってこず、しばらくすると浮遊していた残骸は全て水面の下へ沈んでいった。後には乗組員の体液と思われる緑色の液体がところどころに浮いているだけであった。
「…内火艇、母艦に帰還。」
罪の意識で押し潰されそうになりながら小西は掠れた声で指示を出した。内火艇は小型エンジンの音を響かせ、母艦に帰還した。


我々は再びブリーフィングルームに集まっていた。今後、我々はどうしていくべきなのか。ここが未知の空間だとして、元いた我々の空間に帰ることはできるのか…もし出来ないなら、我々はどうしていくべきなのか。それについての会議が開かれていた。
「…つまり、技術科としては依然として元いた空間に帰ることは目指していますが、なかなかその方法は見つかっていないのが現状です。」
そう、阿部が告げると、ブリーフィングルーム内が少しざわついた。やはり予想していたことだが帰還するのは現状では困難か…そう考えていると、杉内が手を挙げ、言った。
「艦長、少し宜しいでしょうか。」
「杉内、どうした。」
「現状、我々はこの空間がどのようなものか知りません…ですから、これから長期間ここで留まることを踏まえ、五式空間小型無人偵察機『こくちょう』によるこの空間の偵察を具申します。」
「ふむ、なるほどな…」
そう言い、少し考えて言った。
「よし、その案を採用しよう。阿部、技術科に『こくちょう』の発進準備を進めるよう指示してくれ。」
「わかりました。」
偵察機を発艦させてその後どうするか…暫し考えて口を開いた。
「偵察機発艦の後、本艦は再び未知の艦艇による攻撃を防ぐため、水中に潜伏する。水中潜伏中は第二種警戒体制を維持。潜伏については、外郭と内郭の間の通路に水を注入し、海底に着底する。該当通路にいる乗組員は30分後までに艦内内郭部に移動すること。30分後、1800をもって浸水防止のため、外郭隔壁及び内郭外郭分離隔壁の隔壁閉鎖を行い、注水を開始する。…通信士は以上の内容をブリーフィング終了次第艦内放送で流すこと。」
「了解。」
「他に何かある者は?」
そう言って辺りを見回す。特に問題がないことを見届けると、
「以上、解散。」
と言ってブリーフィングを終了した。

数分後、左舷格納庫の扉が開くと、全長1m,最大全幅0.5m、一基のコスモエンジンを搭載した無人機偵察機「こくちょう」がその漆黒の翼を陽の光で反射しながら勢いよく発進した。
「こちら左舷格納庫!『こくちょう』発艦しました!」
発艦作業をしていた技術科員から通信により報告が上がる。
「左舷格納庫、ハッチ閉鎖確認しました!」
阿部が、ハッチ閉鎖を報告する。それを首肯で返すと、
「外郭隔壁及び内郭外郭分離隔壁全閉鎖!船窓シャッター全閉鎖!急げ!」
と言い、隔壁と船窓シャッターの閉鎖を始めた。すぐに隔壁閉鎖のアラートが鳴り響く。
「隔壁閉鎖、完了!」
阿部からの報告を受け、
「両舷バラストタンク注水!『しまなみ』、潜水艦航行へ!総員、第二種警戒体制!」
と指示を飛ばすとバラストタンクが開かれ、外郭と内郭の間にある通路に水が積載されていく。元々有事の際に隔壁を閉鎖して潜水艦行動できるように設計されていたが、本当にこの機能が役に立つとは。にある通路を閉鎖してバラストタンクの役割をするような構造はつけられていたが、まさか本当にこと構造が役に立つ日が来るとは…小西は心底この艦を開発した技術陣に感嘆した。3分もすると通路に水が満載され、艦が沈み始めた。艦のやや後方に重心があるので、艦首が少し上を向きながら沈降する。
「桐原、艦首スラスターで艦の姿勢を安定させろ。」
「ヨーソロー、艦首スラスター展開!」
そのような細かい指示を出すこと数十分、ついに本艦は着底した。
「深度70!本艦、着底しました!」
「桐原、錨突き刺せ!」
「ヨーソロー、錨発射!」
瞬間、艦から錨が離れたかと思うと、錨に接続されているロケットエンジンに点火され、勢いよく地面に突き刺さった。これで、艦が水の流れに流されることはない。…さて、ここからは偵察機からの映像を見てここがどうなっているのか、判断しなければな…そう思い、
「阿部、『こくちょう』からの映像をメインパネルと艦内のビデオパネルに投影できるか。」
そう尋ねると、
「いけます。少しお待ちください。」
と自信満々な声でそう返され小西は頷きながら
「ああ、よろしく頼む。」
そう返した。
数分後、目の前のメインパネルに偵察機からの映像が映し出された。おそらく、今頃艦内各所のビデオパネルでも投影されたことだろう…そのことを乗組員に伝えるべく、小西はマイクを取った。
「全艦に達する。こちら艦長の小西だ。現在、艦内各所のビデオパネルに偵察機からの映像を映している。乗組員各位は出来る限りスクリーンに注視して気付いたことを艦橋に報告してほしい。我々もメインパネルで注視してはいるが、目は多い方がいい。どうか、よろしく頼む。以上だ。」
そう言い、小西もメインパネルに目を向けた。そこには、一面水面が広がっていた。…ここは未知の空間であるから、地球ではない…ということは、未だ未発見の水惑星ということか…そう考えていたところ、突如、石原から声が上がった。
「あれ、陸地じゃないのか!?」
その声は艦橋内をざわつかせた。
「おい石原、本当か!?」
「見間違いじゃないんだろうな!?」
杉内と桐原が石原に詰め寄る。石原は焦ったように
「お、落ち着けよ。間違いではないはずだ。」
と2人を落ち着かせていた。同時に、艦内に配備されている艦橋直通のインターホンに通信が入る。
「こちら砲雷科所属堀一等宙曹!我3時の方向に陸地らしき影認む!」
と、どうやら焦りを抑えているらしい声を出しながら艦橋に報告が上がった。…焦るのも無理はない。もし、先程の艦艇がこの国の艦だった場合、あの艦艇の性格から察するに、かなり攻撃的な国家であることが予想される。そして、あの艦の技術力を見ると、もし我々はこの国の艦艇から攻撃をすることなく逃げ切ることは難しい。そんなことを考えながら
「阿部、陸地と思われるものを拡大できるか。」
そう尋ねた。
「やってみます。…拡大できましたが映像が荒いですね。AI補正を行います」
「よろしく頼む。」
そうして、先ほどの陸地を拡大した映像が映し出された。それを見て、艦橋内そして艦内が驚きの声に包まれた。
映されたが映画には、砂浜が映り込んでおりそこには無数の連装砲が鎮座していた。だが、明らかに先程の艦艇と見るからに技術体系が違う。砲身には何らかの文様が刻まれ、儀礼的な物事を大切にしているように見える。そのようにして映像を眺めていると、杉内が声を上げた。
「おい、なんかきたぞ!」
その声を聞いて一同が杉内のもとに集う。
「おい、どこだ、どこだ!」
「よく見えんぞ!お前少し屈まんか!」
石原や、柄でもなく普段温厚な西村機関長ですら大声を上げながらパネル近くの席にいる杉内に詰め寄る。映像には、数百はいようかという人々がそれぞれ数十人ずつに分かれてそれぞれの砲塔に入っていくような様子が記録されていた。
「何か始まるのか…?」
桐原がつぶやいた刹那、砲身から七色の光の束が発射された。
「何!?」
そしてその砲撃を皮切りに全ての砲塔から射撃が開始される。
「阿部!射線上に何がいるのか、わかるか!?」
この状況に理解が追いつかず、とにかく情報を手に入れようと阿部に訊ねる。
「待ってください!今後部カメラに切り替えています!…切り替え完了、映像展開します!」
そうして左側に前部カメラ、左側に後部カメラの映像との映像が映し出された。そしてそこ映し出されたのは
先程我々を襲ってきた艦艇と同じ艦だった。
それが5、6隻はいようか、隊列を組んで砂浜の砲台に攻撃を加えている。艦艇の砲撃は砲台を一撃で貫通し、爆発四散する。が、砲台からの攻撃は敵艦の装甲によって完全に弾かれ、傷一つついていないように見える。艦艇からの攻撃により爆発した砲台からは、燃えあがり悶え苦しみながら、空に助けを求めて手を伸ばしフラフラと歩き、息絶える人が何名もいた。それでも砲台は攻撃の手を止めることなく、艦艇に対して有効打でないと分かっていても尚、砲撃を続けていた。…いや、もしかしたら砲撃を続けるしかなかったのかもしれない。暫くして、前部カメラが少しずつ遠くを映し始める。すると、逃げ惑う住民を機銃掃射する戦闘機の姿が映し出されてきた。戦闘機が通り過ぎるごとに、大量の遺体が道にバタリバタリと無惨にも倒れていく。機銃掃射をしているのはおそらく砲台を攻撃している艦艇と同じ所属の戦闘機あろう…色や細部のエッジが艦艇と類似していた。
「なんて酷いことを…」
そう呟き、小西は唇を噛みながらずっと何もできない自身を恨んでいた。今こうして俺たちが隠れている間に何百、何千という尊き命が失われていく…その不甲斐なさに小西は拳を握りしめた。だが、小西達はこの戦いに参加することは出来ない。小西はあるべき事実を自身の中で落ち着かせるように反芻していた。そもそも俺達の所属は「日本国航宙自衛隊」。基本的に他国の戦争には不介入の方針を掲げている上に、我々の至上命題は「専守防衛」だ。攻撃を受けていないのにも関わらず、我々が勝手にあの攻撃を受けている人々を助ける為にこの戦いに参加することは許されない。俺は、俺たちは、ここで傍観していることしか…そう思い、さらに拳を握る力を強くする。だが、次の瞬間、小西は目を疑った。卑劣な戦闘機に対して激しい憎悪の念を抱き、同時にここでただ椅子に腰掛けて何もしない自分を恨んだ。何が起こったのか。それは、少女が逃げる途中、石に躓いたのか、少女は転んでしまっていた。そこへ、戦闘機が襲いかかり、機銃掃射を始めた。このままでは少女の身体に風穴が開き、幼き命は絶えてしまっていただろう。だが、すんでのところで若い女性が少女のもとへ滑り込むと、我々が今まで見たことのないバリアのようなものを展開した。機銃の弾丸は、バリアに弾かれ、戦闘機は反転、再攻撃を加えようとした。そこへどこからともなく砲台のものよりかはやや小さい七色の光線が煌めき、戦闘機に向かって飛んでいった。丁度油断しており、ループ軌道の頂点で運動エネルギーを失っていた戦闘機はバランスを崩し、スピンをしながら墜落していった。…この様子を見て小西は今まで感じたことのない怒りを覚えた。少女は間一髪で助かったから良かったものの、それでも逃げ惑う避難民、しかも明らかな市民であり、幼い子供をまるで楽しむかのように殺そうとするとは…。小西はとてつもない怒りに駆られていた。もしこの艦に俺しかおらず、所属も日本国航宙自衛隊でなかったら、俺は真っ先に戦闘の渦中に飛び込んでいただろう…。そう小西は思った。だが、同時に俺はこの艦の乗組員の命を預かる艦長だ。俺の勝手な感情で乗組員の命を危険に晒すわけには…そう思い、小西は自身の思いを自制していた。そんな時、艦橋内に声が響いた。
「…許せない…人をあんなに楽しそうに殺して…あれが文明人のやることか…」
わなわなと震えながら、静かに、しかしとてつもなく力強い声でそう言ったのは、意外にも、先程まで冷静にパネルを見ていた阿部であった。阿部は小刻みに肩を振るわせ、今にも手から血が流れ出るかと思うほど力強く拳を握りしめ、小西に具申…いや、直訴してきた。
「艦長…意見具申…してもよろしいでしょうか…」
その厳しい眼差しに、小西は暫く口を開けなかった。やがて、ゆっくりと口を開き、
「あ…あぁ…言ってみたまえ。」
そう言うと、彼は驚きの提案を口にした。
「…あの戦いに我らも参戦しましょう…」
小西自身も、そう思っていた。だが、それをすればやはり乗組員の命を危険に晒し、自衛隊の命題、専守防衛にも反してしまう。その事に気づいているのか、問いただす事にした。
「阿部、お前今自分の言ったことの意味を理解しているのか…?」
そう言うと、彼は少し黙って、やがてこう言葉を紡いだ。
「…我々は日本国航宙自衛隊所属です。ですから、我々は専守防衛を第一として考え、行動しなければならない…それはわかります。ですが、自衛隊の至上命題とは別にさらにもう一つ、人間として我々に課せられたある種『至上命題』があります。それは、何よりも人命を第一として考える事です。力がある者が、目の前で失われていくのを見過ごしてていいのでしょうか…。」
その訴えは、小西の心に深く、とても深く刺さった。自衛隊の至上命題ばかりを気にして、人間としての「至上命題」を忘れていた、そう思ったがやはりこの状況で動くのに戸惑いはあった。そんな様子を見ていた杉内が告げる。
「艦長、自分は阿部の意見に賛成です。人として、この惨状を見過ごしてはいけない、そう思います。」
と、阿部の意見を支持した。だが、一方でその次に口を開いた西村機関長は違う思いを持っていた。
「艦長、我々が今ここであの未知の艦艇に攻撃をすれば、我々が戦端を開いた事になり、地球を新たな戦争の舞台にしてしまいます…ここは我慢です、艦長。」
そう言われ、小西はまた迷ってしまった。一体、どの選択が正解なんだ…とずっと考えていたが、ついに答えが出ることはなかった。小西は、ゆっくりと口を開いて、
「…みんな、すまない。今すぐに判断を下せそうにない…すまないが、今日はもう休ませてもらう…本当に申し訳ない。何か要件があれば艦長室まで来てくれ…。俺は艦長室にいるから。」
そう言い残し、小西は艦橋を後にした。


夜、星が煌めき、昼間の喧騒が嘘のような静寂が広がっていた。ここはディ・イエデ。数百年前まで激しい惑星統一戦争をしていたが、それも今の王の先々代の時には終結し、新たに「ディ・イエデ連合王国」として惑星全土が統一され、数年前まではまさしく平和な世の中が続いていた。しかし、数年前のある日、突如雲を切り裂くように猛進してきた「空飛ぶ悪魔」が、この世界の平和を脅かし始めた。その塊は目では追えぬかと思うほどの速さで飛び回り、ビームを放ち、我々の全てを破壊し尽くしている。なんとかしないと。そう思っても、「空飛ぶ悪魔」には今あるモノでは何一つとして対抗できず、この星は滅亡の淵に立たされていた。
「ほんっと、どうしたものかしら…」
そう呟くと、私ははぁ、と大きなため息をついた。連日の攻撃で多くの臣民が死に、生き残った人々も明日は我が身だと憂い、明日を生きる気力を無くしている。先日、宮廷神官からはまもなくこの状況を打破できる「何か」が手に入るだろう、そう告げられたけど、正直そんなものは当てにならない。…神がいるのなら、どうしてこのような酷い仕打ちを加えるのだ。神がいないからこそ、このような悲劇が起こる。だから、私が、私たちがこの世界をどうにかしていくしかない。そう思って窓の近くの椅子で足を組みながら夜空を眺めていると、不意にコンコン、とノックの音が響き渡った。
「誰?」
そう問うと、
「はっ、モンナグ近衛連隊長です。」
と凜とした声が返ってきた。モンナグ近衛兵隊長。幼い頃から私の養育係としてずっと私の側で仕え続けてくれている忠臣だ。だがらそれ故に小言も多く、今もその名前を聞いて、また小言か、と思いつつ
「鍵は空いているから。入って頂戴。」
と言った。すぐに失礼します、という声と共に初老の男性が入ってきた。初老とはいうが、腕は筋肉で太くなり、腹回りは筋肉で引き締まっており、日々猛烈な鍛錬をしていることが伺えた。わたしは、改めてその身体を一瞥した後、再び窓の外に顔を戻し、
「なにか用?」
と素っ気なく言った。するとモンナグは、
「アリア女王陛下、ですから危険な行動はお控えくださいと何度も申し上げているではありませんか…それを今日も幼子を助けるためとはいえ御身を危険に…私はいつ陛下が撃たれてしまうか心配でなりません…お願いですから、明日以降は絶対に王宮から出ないでください。よろしいですか?」
と早口で捲し立てた。それを聞き流すと、私は
「まずあなたに聞きたい事があるのよ。」
と言った。モンナグは、
「…なんでしょう。」
と少し間をおいて返事した。そんなモンナグを睨みつけながら、言った。
「モンナグ、あなたは今、あの少女を助けた私の行動を否定したの?」
すると、彼ははぁ、と嘆息しながら言った。
「陛下、別にそこまでは申し上げていないでしょう…いいですか、私は陛下がおやりになったことは大変立派だと思います。しかし、それで陛下が撃たれてしまったらどうなるのですか。ただでさえこれまでの反攻は陛下、あなたのカリスマ性があってのことなのです。これで陛下に死なれてしまってはいよいよこの国、ひいてはこの星は終わりでございますぞ。」
「だから私に王宮に引き篭もれと言うの?いい?モンナグ。王宮でも戦場でも、いつか死ぬ時は死ぬのよ。今日だって通路に攻撃が加えられて1人身罷られた。そうでしょう?」
「…はい。王室付のメイドが一名、攻撃による壁の崩落に巻き込まれて命を落としました。」
「そうね。であるなら私が戦闘の指揮を最前線で執っても、王宮で引き篭もっていても変わらないでしょう?」
「しかし、王宮で退避なさっているのと最前線にいるのとではお命を狙われる確率が格段に違います!陛下!どうか、ご英断を!」
「…モンナグ。少し黙って頂戴。いい?私は明日も明後日も、この戦いが終わるまで死ぬまで最前線に立ち続ける。それがこの国の女王として私が臣民に対してできる唯一のことなの。」
「陛下…」
問答の末、モンナグは黙ってしまった。…彼の言っていることは正しい。それはわかるが、私が安全なところでのうのうと生き残って、臣民が無惨にも殺されていく…そんな状況だけは絶対に避けたかった。やがて、モンナグは
「また、明日も御身をお護り申し上げます…失礼を致しました。」
そう言って出て行った。昔はモンナグの事を「爺」と慕い、いつまでも一緒にいて、私のことを支えてくれる…そう思っていたのだが、現実は非情だ。戦闘が始まってからというもの、私と彼と価値観の違いなのだろうか、対立が顕になり、今では昔のように親しく話すことも無くなってしまった。
「私も昔は性格がここまで尖ってなくて、もっと丸かった…筈なのだけどね…」
そう言い、再び虚空を見つめた。…今日身罷られたメイドは、私によく仕えてくれていた。仕事が良くでき、本当に助かっていた。彼女の死を聞いた時、今にも身体が優れ落ちそうであったが、なんとか堪えた。あの世から見ていてくれ、私が、お前の代わりにこの世界を救い、この世をもっと良くするから。そう心の中で念じると私はゆっくりと椅子から立ち上がり、寝室の方へとゆっくり歩いていった。


コンコン、というノックの音で目が覚めた。小西はまだ寝ぼけた頭を必死に叩き起こしながら、
「誰か。」
と尋ねた。すると、
「石原船務長です。」
と返ってきた。そうか、俺は艦長室に戻って日誌も書かんと寝てしまっていたのか。そう小西は思いながら
「入れ。」
と言った。
「失礼します。」
と昨日の出港前と同じように石原が入って来た。そうか、母港を出てからかなり時間が経ったように思えたがまだ一日しか経っていないのか。そんなことを考えながら
「どうしたのかね。」
そう問うと
「はっ、阿部が提案したことについて…お話があって参りました。」
と言った。
「そうか…まぁ、そこに掛け給え。」
と言い、石原は失礼しますと呟きながら小西が用意した折りたたみ座椅子に腰をかけた。
「それで…内容を聞こうじゃないか。」
そう言いながら小西は、ベッドを椅子に直そうとしたが、そのようなスペースが艦長室に残されていなかったため、仕方なくベッドに座った。小西が座ったのを見届けると、石原は
「失礼なことと思いますが、すいません。正直に申し上げさせて頂きます。正直、自分は人命を救う為に戦闘に介入するかどうかという判断を艦長という『人』一人に背負わせるのは間違っていると思います。」
そこまで聞いて小西はほぅ、と声を上げた。防衛学校では立場が上の者の命令が絶対、と教えられる軍人において、この考えが出てくることは極めて異例だった。向かい合う小西の反応を見て石原は続ける。
「ですから、自分は乗組員全員に戦闘に介入するべきかについて投票を行うべきと考えます。…乗組員全員で物事を決定することによって、選ばれた結論がもし間違っていても、艦長一人がその間違いを背負うわけではなく、全員でその間違いを背負うことになる。それが、大事なんだと思います。人一人に背負わせること、それは違う…私はそう考えます。」
石原の話を聞いて小西は柄にもなくなんていい話だ、と思った。小西は昔からのことを振り返っていた。今まで、自分で決定を下して、命令をして、間違いをするたびに、失敗をするたびに何度も様々な人から責められてきた。今回も俺が一人で決断して、間違えたらまた責められるのか…
そう思っていたが、石原は今回の件は全員で決めようと。全員で決めて、全員でその決定を下した責任を背負おうと言ってきた。その言葉は、小西の迷いに迷って行き場を失っていた小西の心に間違いなく光を差させた。小西は一度目を閉じて深呼吸をして、言う。
「石原…ありがとう。おかげで俺の気持ちはだいぶ楽になった。お前がこうして言いにきてくれなかったら、また一人で悩んで一人で困っていただろう。だが、お前は俺に素晴らしい改善案をくれた。本当にありがとう。」
不意に艦長から全力で感謝された石原は恥ずかしそうに頭をポリポリと掻きながら
「いえ、艦長のお役に立てたようで何よりです。」
と言った。そして、石原が出て行って数分後、身だしなみを整え、小西は再び艦橋に上がった。艦橋メンバーに敬礼をされ、それに応じると、小西は艦長席のマイクを取って言った。
「全艦に告ぐ。こちら艦長の小西だ。先程、戦闘機があの土地の市民に攻撃を加えていた。それをモニターで見てた人も多いだろう。その様子を見て諸君らはなんと思ったのだろうか。『あの市民を守る為に我々が先頭に戦闘に介入すべき』と思った人や『このまま水面下に潜伏すべき』と思った人、いろいろいるだろう。…そこで私は今回、今後の本艦のとるべき行動を投票によって決める。選択肢は『戦闘に介入する』か『現状維持』かの2択だ。3分の2以上の票が入った方の行動を本艦はとることになるだろう。投票するものにおいては、投票用紙を各自が持つ小型タブレット端末に送信しておいた。それに回答してもらいたい。回答期限は翌日1500とする。以上だ。」
そう言い、小西はマイクをそっと元の場所に置いた。石原の方に視線を飛ばすと、優しく微笑んでいるようであった。小西はそれに頷いて返し、艦長席に深く腰掛ける。今回選択した内容は俺一人で決めたことではなく、乗組員全員で決めた事。そう思うと艦長としては失格だが、小西は少し気が楽になった。
数日後、投票が終了して、小西は艦長室で投票結果を確認していた。乗員は小西を含めて270人。その3分の2は180人。つまり、3分の2である180人をどちらかが越えると、それが本艦のとるべき行動、ということになる…そう思いながら小西は投票結果を確認した。
「介入派が181人、潜伏派が89人…」
たった一票の差。その一票で本艦が戦闘に介入する事が決まった。たった一票の差とはいえ、本艦が取るべき行動が決まったことに変わりはなかった。で、あるならば。そうと決まればやらなければいけない事がある。そして、その指示をする為に小西は再び艦橋に上がり、艦長席のマイクを取って言った。
「全艦に達する。こちら艦長の小西だ。投票を集計した結果、無回答なしで戦闘に介入する方針を選んだ乗組員が全体の3分の2を超えた。本当に僅差だったが、本艦は戦闘に介入する事をここに決定する。」
そう言うと、艦橋内がややざわついた。小西はさらに言葉を続ける。
「だが、戦闘に介入するならば、我々はしなければならないことがある。それは、本艦の両側面に描かれた『日本国航宙自衛隊のエンブレム』を抹消する事だ。…いや、艦側面のエンブレムだけではない。艦内にある、本艦が日本国航宙自衛隊所属であるとわかるものは、全て抹消しなければならない。我々は自衛隊の方針を破り、これから先制攻撃をしに行く。で、あれば母国、ひいては母星に迷惑をかけないようにするのが最善だろう…。」
そこまで言って、小西は言葉を詰まらせた。…俺たちはここで、地球に帰還する事を断念する…そう言ったもの同然だからだ。だが、小西は未練を振り切って、言葉を続けた。
「総員、協力して艦内各所のエンブレム等を抹消せよ。艦側面のエンブレムに関しては修理用の塗料で塗り潰す。技術科や船務科だけでなく、砲雷科も航海科も機関科も全員で成すべきことを成せ。以上だ。」
そう言い終わると小西は上を見上げた。艦長席の真上に天窓があるわけでもないが、それでも上を見ていないと余分なものが出てきそうだったからだ。やがて、それが収まると、小西は作業の準備に移った。
「技術科各員は塗料を持って待機!」
そう阿部に告げると、
「了!技術科各員、塗料を持ち作業の準備をせよ!」
と技術科員に指示を飛ばした。続いて桐原にも指示を出す。
「桐原、両舷バラスト排水!『しまなみ』、浮上!」
「ヨーソロー!両舷バラストタンク排水!」
艦体に大きな振動が響き渡り、艦が浮上を始めた。浮上していくにつれ、艦がやや左に傾いた。それに気づいた桐原がすかさず
「左舷スラスター始動!艦体、水平に!」
と言い、艦体を水平に修正した。数分後、「しまなみ」は波を割り、およそ1日ぶりに青空の元に姿を現した。
「艦内隔壁、全て開放。両舷乗艦口開け。全乗組員、エンブレム等抹消行動に移れ。」
そう言うと、両舷の乗艦口が開き、技術科や船務科、そしてその他の人員が塗料と自分の身体の倍はあろうかというペイントローラーを持ち、両舷のエンブレムを塗り潰しにかかった。そして、艦内でもエンブレムが描かれている廊下などではこちらでも塗り潰し作業が行われていた。そして数十分後、艦内、そして艦側面にある全てのエンブレムが塗り潰され、一つ、また一つと本艦の所属を示すものがなくなっていく。
小西は、胸元の「日本国航宙自衛隊」と書かれたワッペンをじっと見つめた。…これも、引き剥がさなければならない。そう思うと心に来るものがあった。苦楽を共にしてきたワッペンとの別れを偲びつつ艦橋乗組員を見渡した。皆、新たな決意を胸にテキパキと作業している。皆、過去を振り払って進んでいる。俺も、過去を見るのはやめよう。そう思い小西は胸元のワッペンを勢いよく引きちぎった。手元には胸にあったはずであるワッペンが握られていた。…これで、俺たちは本当に日本から、地球から存在が無くなったことになる。小西はいろいろな思いが込み上げてきて、少し上を向いた。やがて少し気持ちが落ち着いた小西は阿部と桐原、杉内に向かって
「阿部、『こくちょう』を収容。桐原、収容完了次第、第三戦速で陸地へ向け発進せよ。杉内、航行中は第一種戦闘配備を維持。対空、対潜、対水上警戒を厳とせよ。」
「『こくちょう』収容準備に入ります。左舷格納庫開け。『こくちょう』、本艦へ向け帰還します。」
「メインエンジン、及び補助エンジン、接続を切っていませんので、いつでも発進できます。」
「第一種戦闘配備了解。…砲雷科各位に告ぐ!総員、第一種戦闘配備!対空、対潜、対水上警戒を厳とせよ!」
阿部と桐原から報告が上がり、杉内が砲雷科に指示を出した。その様子に頷くと小西は正面の船窓の外へ視線を移した。…この世界を世界を救う為に戦闘に介入する選択をした、我々の選択に間違いがない事をどうか、神様。見守っていてください。そう祈っていると、虚空の一点がピカリと光った。それは、陸地を偵察していた小型偵察機「こくちょう」であった。だんだんその姿が大きくなっていったかと思うと、本艦の右舷を通り過ぎ、本艦の後方を大きく旋回して本艦の左舷に近づいた。そして、収容クレーンによって「こくちょう」はおよそ1日ぶりに母艦に帰還した。
「『こくちょう』、収容しました!左舷格納庫閉鎖確認!」
阿部からその報告を聞き、小西は桐原に視線を飛ばし、指示をする。
「桐原、メインエンジン及び補助エンジン接続、点火!『宇宙駆逐艦しまなみ』発進!」
「『しまなみ』発進!」
そう桐原が復唱するとエンジンノズルから火が吹き出す。
「進路051!第三戦速!」
「ヨーソロー!進路051!第三戦速!」
小西の指示を桐原が再び復唱し、艦を操る。
艦は水を切り裂いて進んだ。これから待ち受ける運命を知る事なく。