第一章 抜錨


平和…安寧…
今、この世界はまさにそう言って良かった。1945年に幕を閉じた第二次世界大戦以来、国家間での戦争はしばしば起こっていたものの、それも100年前になりを潜め、今現在2230年まで、大規模な世界大戦は一度も起こっていない。人々は明るい顔で道を行き、絶望した顔の持ち主は皆無であった。200年ほど前は、皆が戦争に怯え、暗い世界の中を生きていたと言うのだから、それほど平和というのは人々の生活を良くしてくれるのだろう…そう思い、俺はカップを机の上に置いた。鋼鉄製の机と陶器が触れ、カチャリという乾いた音が狭い室内に鳴り響く。
…地球は平和になった。だが、それはあくまで地球だけの話だ。宇宙では17世紀から19世紀にかけて起こった植民地獲得競争が再び起こっている。数十年前、地球人類は極めて偉大な発明をした。恒星間航行能力をもつ新型エンジン「クォーク機関」の発明である。詳しい事は軍人の俺にはさっぱりわからないが、曰く「強い核力」をもつクォークのエネルギーを推進力として用いる、無限機関なのだそうだ。…そのエンジンを手にした各国はこぞって「宇宙軍」を創設し、植民惑星の獲得に躍起になっている。ついこの間もある資源惑星を同時に見つけたアメリカ連邦宇宙軍とフランス宇宙軍が発見した資源惑星を我が物にしようとして激しい戦闘を行ったばかりである。歴史は繰り返すというが、まさにその通りだとその事を知って感じたのは言うまでもない。
だが、我が国日本は第二次世界大戦後より専守防衛を貫いており、今でもその姿勢は続いていた。その方針あって、日本は植民惑星不獲得の方針を打ち出した。だが、日本も混沌を極める星間情勢を鑑みて、宇宙軍の創設が急務となった。そこで、「あくまでも太陽系内のコスモレーン(航宙航路)における日本および他国籍艦船の安全の確保」を目的として15年前、「日本国航宙自衛隊」が発足し、同時に「太陽系内の惑星や恒星および衛星、その他小惑星や準惑星は誰のものでもない」という「太陽系条例」を定めた。この条例は宇宙軍を保持するほぼ全ての国で批准され、航宙自衛隊の果たすべき責務は日に日に大きくなっている…
と、考え事に浸っていた時、ノックの音が聞こえた。
「船務長、石原入ります。」
「入れ。」
「失礼します。」
ギィ、と重い音を響かせて入ってきたのは、この艦の船務長を務める石原だった。凛とした表情で敬礼をし、言葉を述べる。
「第23回航宙模擬艦隊戦闘演習に向け、本艦の準備が完了致しました。乗組員の欠員もありません。」
「そうか。…明朝0600に本艦所属の第8空間宙雷戦隊はそれぞれの泊地から一斉に抜錨するそうだ。それまでは各員艦内にて待機せよと伝えてくれ。」
「わかりました。失礼します。」
再び重い音が響き、石原は艦長室から出ていった。
「航宙模擬艦隊戦闘演習か…」
そう呟き、再び思考の奥底に沈む。エッジワース・カイパーベルト近傍宙域で行われるこの訓練は、模擬戦が行われ、壮絶な艦隊戦が繰り広げられる、いわば航宙自衛隊にとっては唯一の実戦形式の訓練である。前回、俺は第二艦隊所属の巡洋艦「てんりゅう」で砲雷長を務めたが、なかなか思い通りに指示を飛ばすことができなかった。そこから一年たち、今は駆逐艦の艦長として指示を出す立場にいる…前回の反省を踏まえ、今度こそ卓越した指揮で艦隊を勝利に導かねば…
小西はその決意を再び噛み締め、明日の抜錨に備えて深い眠りにつくのであった。