命辛々逃げたジュリコーは、己が犯した取り返しのつかない失敗に頭を抱えていた。艦隊の99%以上を失ったジュリコーは、もう誰が見ても終わりだった。
「もう…もうダメだ…俺はもう、生きていけない…!このまま拘束されて死ぬんだ!クソ、これも兵が皆無能なせいだ…!アイツらが俺の指示通りに動かないから悪いんだ!畜生!」
一人司令官室で喚き散らすも、状況は変わらない。ジュリコーは机の上で手を組み、目を瞑った。
どれくらい時間が経っただろうか。しばらくしてジュリコーはゆっくりと顔を上げて小さく呟いた。
「…これしか、ない…俺が生きる道筋はこれしか…」
そう言い、ゆっくりと椅子から立ち上がり通信室へ向かっていった。

通信室に着いたジュリコーは再びコンソールに番号を打ち込んだ。すると、幾何学模様が展開され、男が映し出された。…国王フィメール三世である。ジュリコーは跪き、口を開く。
「…本日の海戦により、我々は敵ディ・イエデ連合王国の敵部隊を全て殲滅、同領地を占領しました。…しかし、その代償として精鋭第182戦闘戦隊を含むおよそ5分の1の艦艇を失いました…。」
その報告を聞いた国王フィメール三世は訝しんだような声を発した。
「…それは本当なのだろうな。」
ジュリコーは本能で状況が不味いことを悟った。だが、ここまで来た彼はもう演じ切るしか道はなかった。
「本当でございます。何か、ご不明な点でもございましたでしょうか。」
そう言ってジュリコーはフィメール三世の顔をチラリと見た。目の辺りは王冠の影となりあまり見えなかったが、頬の皺でやや口角が上がっていることがわかった。
「そうか。では、失った艦艇の補充分として第955戦闘戦隊他50隻程度を派遣しよう。」
50隻では到底失った艦艇を補充できたものではない…。ここで、一芝居打つ必要がある…ジュリコーは覚悟を決めて言った。
「恐れながら、閣下。かの国がまだ予備戦力を隠している可能性も捨てきれませぬし、何よりも未だに反抗は続いております。ゆえに、かの占領を維持するためには我々一艦隊程度では足りませぬ。恐れながら申し上げますが、私の指揮下に第9艦隊を加えてはいただけないでしょうか。」
その言葉にフィメール三世は明らかに不審な顔を浮かべた。だが、フィメール三世はその要請を承諾した。
「…よかろう。では、第9艦隊を只今より派遣する。残存する第7艦隊と第9艦隊で必ずディ・イエデを手中に収めよ。」
ジュリコーは勝った、と思った。よかった、まだ俺は生きてこの地位を保てる。そう思った時だった。
「分かったな、第9艦隊司令官、エルンスト中将。」
その一言でジュリコーは全てを悟った。国王の書斎に光が入ってきたのか、国王の目元が今度ははっきり見えた。…まるでゴミを見るような目がそこにはあった、軽蔑などと言う言葉で、フィメール三世の表情は表せなかった。今までよりも数段声を低くし、フィメール三世は告げる。
「見損なったぞ。ジュリコー。第7艦隊のほぼ全てを失ったのにも関わらず、ディ・イエデを手中に収めたという虚偽の報告をし、自らの命と地位を守ろうとするとは。恥を知れ。」
ジュリコーは顔が真っ青になった。閣下はわかっていたのだ。最初から、俺がやらかした全てのことを。何もかも。その上で俺を試していた…。全てを悟ったジュリコーは、もう何も話すことはなかった。それを察したフィメール三世は淡々と告げた。
「ディビット・ジュリコー元中将。貴様を朕への虚偽報告による国家反逆罪及び艦艇損失罪で死刑に処す。」
そう言った瞬間、ジュリコーの足元から巨大な針が飛び出し、ジュリコーは串刺しにされた。そこら中に血が四散する。体の中心から頭までを貫かれたジュリコーは血を吹いたかと思うとそのままピクリとも動かなくなった。その様子を横目にフィメール三世は言った。
「エルンスト中将、期待している。貴様こそはかの国を占領してみせよ。」
そう言うと、
「承知いたしました。私めにお任せください。」
と言う新しい声が無惨な惨状の通信室に響き渡った。


防衛艦隊は間隔を広く取り、着水した。宙雷戦隊に目立った被害はなかったが、主力戦隊は、諏訪が中破、巡洋艦5隻のうち3隻が小破のダメージを受けた。それでも、1000隻近い艦艇を撃破できたことは、ディ・イエデにとって途轍もない利益をもたらすことになると、誰もがそう思っていた。
「艦長、主力戦隊の修理は3日程で完了する見込みですので、観艦式には影響はないと思われます。」
阿部からのその報告を聞いて、小西は「そうか。」と言い、ひとまず安堵した。新造艦の出発式を行わず抜錨した為、臣民への新造艦お披露目は観艦式という形で執り行われることとなった。その観艦式は出発式の日程と同じ3日後に設定され、損害を受けた艦は修理を、その他艦艇で観艦式の行動計画を練る事となった。…こうした事ができるのも、先の戦いでほぼ全ての艦艇を撃沈できたからだ。その恩恵は大きい。そう小西は思った。そして小西は後の手筈を阿部に任せると、艦を後にした。

艦から降りた小西は一人、市場に来ていた。様々なものが取引され、活気に溢れていた。…まるで戦時下じゃないみたいだ。小西はそう思った。人々の表情は希望に満ち、様々な話に花を咲かせていた。その中には、当然戦争に纏わる話もある。ここまできたならもう敵兵全員皆殺しにする、だとか敵本土を植民地化する、だとか。そんな様子を見て、小西は一抹の不安に駆られた。…人々が戦時下に慣れてしまっている。戦争が日常となってしまっては。また、戦争に慣れてしまっては、人々が戦争に対して何も思わなくなり、寧ろ国民が戦争を煽ったり、国が今後幾度となく戦争に突入しても、国民は何も思わず、それを賞賛するまでになってしまう。…民が戦争を望み、戦争に慣れてしまっては戦争を止める人がいなくなってしまう。臣民全員が戦争に慣れてしまう前に、戦争を終結させなければ。その気持ちを小西は一層強くし、王宮へ向かった。
王宮についた小西はアリアの部屋に向かう。そして部屋の扉を開けると、ゆっくりと地図が描かれた作戦盤を眺め始めた。…奴らがこれでここから手を引かなければ、必ず増援を連れて再度攻撃を仕掛けてくる筈だ。で、あれば…。我々はここまで防戦一方だったが、ここで一つ、奴らの出鼻を挫く為に反転攻勢に出てもいいかもしれない。そう思いついた小西は、作戦盤の上に駒を並べ始めた。…ここまでの戦いを思い出すと、奴らはほぼ全ての場合、単縦陣で攻めてきていたように思われる。単縦陣の強みは戦隊同士の連携がとりやすく、砲雷撃戦に適している点である。だが、その砲雷撃戦は側面の敵に対しては効力を発揮するが、単縦陣の頭を封じられた場合、先頭の艦しか正面の敵に対して攻撃できず、圧倒的不利な状況に陥る。…これを使うか。小西は決断した。昔、防衛学校の古戦史の授業で、名将東郷平八郎元帥海軍大将が当時、世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を撃ち破ったという話を思い出した。…その時に東郷海軍元帥が用いたのが、丁字戦法という、単縦陣の敵の頭を抑える戦法であった。小西はこれを発展させ、3次元空間で用いる事ができないかと考え始めた。そもそも、丁字戦法を展開する為には相手の展開位置を知らなければならない。で、あるならば…。小西は一人ブツブツと呟きながら考え続けた。目の前の作戦盤に駒を配置しながら様々な補助線を引いていた、その時。ふと背後から
「戦いが終わったばかりだというのに、よくもまぁ次のことを考える余力があるのね。」
という声が聞こえた。小西は
「あぁ…うん。」
というよく分からない返事をした。それを聞いた声の主は呆れた声で
「はぁ…。貴方、いくら女王陛下と親しい間柄になったからといって、その態度は無いんじゃないの?」
と言った。小西は少し背後にいる人が気にはなったが、丁度思考が良いところまでいっておりそのまま考え続けた。しばらくその様子を見続け、話が通じないとわかった声の主は
「…終わったら厨房に来て頂戴。話があるから。」
と言って出ていった。だが、小西はそれすら気にも留めないほどに熱中していた。小西は、今自身の中で展開されている思考に震えていた。丁字戦法の焼き直しである為、基本戦術は日本海海戦時に大日本帝国海軍がとった作戦とよく似ているが、それでもこの作戦に敵が嵌ってくれればさらに大打撃を与える事ができるのは明確だった。小西は今度は椅子に飛び移るとしまなみから持ってきた自身の小型タブレットを立ち上げ、作戦概要を文字に起こし始める。時計の長針はすでに何周もしており、日はいつの間にか完全に落ちていた。それでも小西は自分の考えを必死にタブレットに打ち込み続けた。やがて。思考開始からおよそ10時間後に全ての作戦計画を記述し終わりった。小西は大きく息を吐くと、椅子の背もたれに勢いよくもたれかかった。今までの疲労が一気に襲いかかり、小西は睡魔に襲われた。だが、そこで誰かから厨房に来いと言われていたことを思い出し、疲れ果てた体に鞭打ってよろめきながら立ち上がると、頼りない足取りで厨房へ向かい始めた。
厨房の辺りまで行くと、もう午前1時を回っているというのに、まだ灯がついていた。小西はだいぶ待たせたということを自覚し、悪いことをしたなと思いながら扉の中を覗いた。見ると、金女性が一人、黙々と作業しているのが見え、白い料理用帽子からはみ出る髪から、彼女が金髪である事がわかった。小西はその女性に向かって歩み寄ろうとすると
「ここに入らないで。」
と静かに、しかし体に響く声でそう言われ、小西は驚いて歩みを止めた。金髪の女性はゆっくりと顔を上げ、目の前の机から離れ、厨房から出てきた。小西の前に立つと彼女は白衣を解いて帽子を脱いだ。すると、帽子の中に隠れていた髪が振り解かれ、長い金髪が姿を現した。その様子に感嘆しているとその女性は小西に詰め寄り
「アンタ、私を何時間待たせたと思っているの?」
語気を強め、女性は言う。その言葉に小西はただただ平謝りするしかなかった。
「本当に申し訳ない。自分勝手な行動を謝罪する。」
そう言うも女性の怒りは当然収まっていなかった。
「本当に失礼な人。同じ軍人でもあの人はあんなに優しく律儀であるというのに。」
その言葉に小西は耳を疑った。…元しまなみ乗組員の中で王宮の人間と繋がりを持っているのは、俺以外あと1人しかいない。小西はそう思い、恐る恐る口を開いた。
「もしかして…貴女はマリア侍従長でありますか。」
その言葉に女性は驚くこともなく
「ええ、そうよ。」
と言った。それを聞いた小西の頭では様々な事が思い浮かんでいたが、おそらく杉内関係のことではなかろうかと推察した。そして、その予想は予想以上に正しかった。
「それで…。要件なのだけど…。」
「もしかして、元しまなみ砲雷長、杉内艦長の話でありますか。」
「…えぇ。よく分かったわね。杉内くんの話よ。」
先程の顔とは打って変わり、少し気弱そうな顔を浮かべ、右手を左肘に添えながら話し始めた。
「彼をね。…すごく言い難いのだけれど…。軍籍から外してくれないかしら…。」
思いもよらない言葉だったが、小西は動じることなく返事をする。
「…それは、何故ですか?」
「…もう、失いたくないのよ。誰も。」
ポツリポツリとマリアは話し始める。彼女の身の上を。幼くして母親を亡くし、以前の戦いで父親をも亡くしてしまった。そんな時に杉内がずっと一緒にいると言ってくれたこと。それが何よりも心の支えになってくれたこと。全てを話し終わったマリアの声は、かなり上擦っていた。泣きそうな声で、叫ぶように、懇願するように、言う。
「もう誰も亡くしたくないの…。お願い、最後に残った彼をこれ以上死地に赴かせないで…。」
心の底から出た願いだった。そんな彼女に、小西は、ゆっくりと言葉を発した。
「…どうして…今更そんなことを言うんだい…?」
小西の言葉の本当の意図は分からなかったが、マリアはありのままを話す。
「貴方も前回の戦いを見たでしょう?もしあそこで貴方方が助けに来てくれなかったら、間違いなく杉内は死んでいた!それまでは彼ならなんとか生きて帰ってきてくれるって信じていたけれど、あの戦いを見たらもう無理よ!如何なる名将にも彼は預けられない!それが小西司令、貴方であっても!私の大切な人を、もう奪わないで!」
この悲痛な叫びを聞いて小西が思ったことは、なんだったのだろうか。それは小西自身にも分からないし、我々にも分からない。だが、一つわかることは、彼の思いはある意味では軍人として合理的ではあったが、一人の人間としては失格の烙印を押されてもおかしくないことであった。
「貴女の考えは理解できる。だが、杉内は優秀な指揮官だ。ここで彼を手放すことはこの星の敗北を意味する。どうか、わかってくれ。」
そう言って小西はマリアに一礼した後、くるりと踵を返し、マリアに背を向けて去っていった。
「待って!」
そう叫ぶマリアの声が聞こえたが、小西は振り返ることもせずそのまま暗い廊下を歩き続けた。…マリアが小西の後を追ってくることは、無かった。