茫然自失としたまま、コンクールには辞退を申し出て帰国する。

 大学のある東京には戻らなかった。

 音楽大学の学生ばかりが住む場所なので、誰かに顔を合わせればコンクールや怪我の話題になるだろう。

 花音の話題でなくても、友達が今日何の曲の練習をしただの、曲のこのフレーズが難しいだの、どうしても音楽の話題が出る。

 今はそれを耐えられる気がしなかった。

花音は実家がある札幌に戻り部屋に閉じこもってしまった。

実家にいても母のピアノがあるので、母がピアノを弾いている時は耳栓をした上でノイズキャンセリングのヘッドフォンをしている。

 通院する時だけは外に出たが、部屋に引きこもり、字幕映画ばかりを見ていた。

 とにかく音楽を耳にしたくなく、音をミュートした状態で映像と字幕ばかりを追っていた。

 このシーンには、どんな音楽が流れるのだろう?

 考えて頭の中で想像し――、やめる。

 家族の期待を裏切ってしまった自分には、音楽を語る資格はない。

 音を想像する事すら、自分には罪深い行為なのだと花音は思ってしまっていた。




 やがて花音は東京の音楽大学を中退し、札幌市内の食品を扱う中企業に就職した。

 大手企業は最終学歴が大卒以上を求めているが、中小企業はそこまで学歴を重視していないのが助かった。

 特に昇進したいという野心もなく、札幌市内で一人暮らしを始めた自分がそこそこ生きていけるのならそれでいいと思っていた。

 実家にはあまり帰らず、家の中では相変わらずヘッドフォンをして過ごす。

 そのようにして徹底的に無音を求めていたからか、たまにきちんとした音楽――特にクラシックを聴くと、具合が悪くなり、完治したはずの手が痛む事すらあった。



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 その知らせを聞いたのは、札幌に蝦夷梅雨が降る六月上旬の事だった。

 コンクールを受けたのが二十歳の時だったので、あの忌まわしい事件から六年後だ。

 祖母、海江田(かいえだ)洋子が七十七歳でその生涯を閉じた――。



 洋子は世界を股に活躍していたピアニストだった。

 全盛期の頃に一人目の夫となるヴァイオリニストと出会い、一度音楽会から引退した。

 夫との間に最初の子供ができたが、その子供も八歳で世を去ってしまったそうだ。

 その後、洋子は悲しみを忘れるように再びピアノに打ち込んで現役復帰した。

 結果的に夫とは性格の不一致で離婚したそうだ。

 やがて洋子は一般男性と結婚し、尖っていた性格がかなり丸くなったらしい。

 舞台に立つ回数が減り、ピアノ教室での仕事をメインにしていった。



 その洋子が六月の上旬に亡くなった。

 母から知らせを受けたのは、六月十日の昼休みだった。

 昼食をとってデスクに戻り、午後の仕事の前にスマホを弄っていた時、母からメッセージが入った。

 いつもの気軽な文面とは違い、改まった文章だった。

『六月九日、お祖母ちゃんが心臓病で入院していた病院で亡くなりました。七十七歳でした。週末の土曜日、十八時半にお通夜をします。来てください』

 改まった文章でのメッセージを受けると、母が冗談を言っているのではないと分かる。

 また、六年前の事から音楽ともピアニストである二人とも距離をとっていたので、母と娘の間はぎこちない空気になっていた。

「どうしたの? 美樹さん」

 溜め息をついた花音に、隣の席の先輩が声を掛けてくる。

「祖母が亡くなったみたいで……」

「あぁ……。……ご愁傷様です」

 お悔やみの言葉を言ってくれた先輩に苦く微笑み返し、花音は葬儀に着ていく喪服を出さなければ……と考え始めた。

 洋子を喪った悲しみはいまだ感じられず、突然過ぎる訃報だからこそ、花音はまだ洋子がいなくなった自覚すらできないでいた。