白うさぎと呼ばれる娘、物の怪と呼ばれる荒神の贄になったら幸せな花嫁になりました

 あはは、と楽しそうに笑う美月の声に母親がやってきた。

 母親――うさぎにとっては義理の母は倒れ込んでいるうさぎを見下ろすが、声をかけることも起こすことも、いや声さえもかけることなく目を逸らし、愛しいという眼差しで愛娘の美月に声をかける。

「美月、こんなところで油を売ってるんじゃありませんよ。人力車を待たせているのですから」
「車じゃないの?」
「広い道のところで車を待たせているそうですよ。さあ、行きましょう。慶悟様を待たせてはいけませんから。今日は結納なのですからね」

「ええ、慶悟様は私を見て褒めてくださるかしら?」
「当たり前ですよ。こんな美しい娘は今まで見たことありません。きっと惚れ直しますよ」

 美月は嬉しそうに頬を染め「ふふ」と笑い、母親もにこやかなかんばせのまま部屋を出て行こうとした際、振り向きうさぎを見下ろした。

「やっと厄介払いができて清々するわ。流れ巫女の子をここまで面倒をみてやった恩を無駄にしないでちょうだいね」

 そう吐き出すように呟いた義理の母の顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。

 うさぎは黙っているしかなかった。


 しばらくすると、バタバタと使用人たちが慌ただしく玄関に向かっていく。
 父も兄も美月の結納に付き添うのだろう。

 賑やかな声が屋敷の正門から聞こえ、やがて静寂がやってきた。
 
 シン……と静まりかえった広い屋敷は、うさぎ一人しかいないような錯覚さえ起きる。

 うさぎは居住まいを正し、座ろうとしたが美月に踏まれた左足が痛み、正座が困難だ。

 とりあえず冷やそうと今まで着ていた着物の端をちぎり、台盤所に出向く。
 誰もいないことにホッとして水釜から少し水を汲んで端切れを濡らすと、足首を冷やした。

「迎えにくるまでに痛みが引くといいんだけど……」
 でないと、碌に座ることもできない花嫁を連れてきたと神様はお怒りになるだろう。

 怒らせてはいけない。自分だけの罪として喰われるならそれはそれでいい。

 けれど、怒りの矛先が村の人々だけでなく、この一帯にまで及んでしまったら――

(駄目……っ! 早く治って……っ)

 自分が「神の花嫁になれ」と父に命じられた夜を思いだす。

 うさぎは祈りを込めながら、何度も足首を冷やした。




 うさぎの生家であるこの槙山家は地主であり、たくさんの田畑を所有している富豪で権宮司も兼任していた。

 ある日、村の氏神である辻結神社の宮司が父の元へやってきた。
 長い間話し込んでいたようだが、うさぎは離れにある蔵に住んでいて、家族の住む本屋敷に行くことなんて数えるほどしかない。
 
 何が話し合われたのか知るよしもなかった。

 なのに、その日の夕餉に突然本屋敷に呼ばれ、家族とともに食事を摂ることになった。

 初めての家族との食事にうさぎは喜ぶより、「もし躾けで叩かれたら」や「容姿をからかわれたら」という恐怖の方が大きかった。

 何より――なにか嫌な予感もあった。

兄妹たちの末席、しかも離れた壁際に自分の膳が置かれてあるのを見て、相変わらずの扱いに内心ホッとしたのは確かだ。
 食事の内容が他の家族と同じなのは驚いたが。

 誰にも話しかけられないまま夕餉は進み、うさぎもうつむき加減で誰にも目を合わせないよう食事をする。

「お父様、どうして夕食にうさぎを呼んだの?」
 姉の美月が苛立ちを隠さずに、父の勇蔵に抗議をする。

「美月、黙れ。父さんに考えがあってのことだ」
 それを叱りつけたのは兄の(いさむ)だった。

 しかし、それも気に入らないのか美月はますます声を荒げた。

「この子がいると食事が美味しくないのよ! 渡り巫女なんていう下賤な女の血を引く女がいたら空気が穢れて嫌だわ。うさぎ」

 急に名前を呼ばれ、うさぎは顔を上げた。
「あんた、廊下で食べなさいよ。その目も髪も気持ち悪くて食欲をなくすの、この化け物!」

 ――化け物。

 いつも言われている言葉だ。得に美月は好んでこの言葉を使いうさぎを貶める。




 慣れっこで、家族と言うが他人といっても過言ではない父や兄だって美月の暴言を止めない。
 ましてや、血の繋がりのない義母などは、うさぎなどいないように生活している。

「ごめんなさい……」
 うさぎは謝りながら自分の膳を持ち立ち上がろうとしたら、父が止めた。

「止めなさい。家族全員に話があるから呼んだのだ」
 家長である父の命令だ。従わなくてはならない。
 うさぎは座り直す。美月も悔しそうに黙り込んだ。

「今日、辻結(つじむすび)神社の宮司が訪問されましたが、その件でしょうか?」
 勇が尋ねると、父は厳かに首肯した。

「宮司にご神託があったそうだ」
「本当にあるのですね、神からのお言葉が」
 義母が驚いた様子で口を開いた。
「ああ、なんでも百年ぶりだと聞いている」
「それでなんと?」

「『本宮を建て直せ』との仰せだ」
 ああ、と勇も義母も納得したように頷く。
 本宮に限らず、鳥居や拝殿に参道も劣化している。

「確か、本宮以外はお祖父様の若い頃に建て直ししたはずでは?」
「だが、それももう五十年は経つからな」

「そのとき、なぜ、本宮は建て直さなかったのでしょう?」
「あそこ(本宮)は神がお住まいになる場所。うかつに手が出せん。お伺いを立てても罰があたるかもしれない御祭神は荒神の性格も持つ神、『荒日佐彦(あらさひこ)』だ。故に神託が降りるまで待っていたということだ」
「それで権宮司である槙山家に資金のお願いに来たわけですか」

「それだけじゃない。本宮を新しく造り替えている間、槙山家の土地に仮宮を造り一時的にそこに神を移すことになった。二ヶ月後だ。急ぎ造らねばならん。そしてその際に神を世話する『花嫁』が必要となる。神に花嫁を差し出すのは我が『槙山』家の大切なお役目なのだ」

 うさぎだけでなく美月も驚いたのか、目を大きく開き、動揺している。

「お父様? どういうこと? 聞いてないわ!」

「聞いていただろう? 我が槙山家は、そうして富みを保ってきたのだ。『花嫁』を快く差し出すことは、我が一族の繁栄に関わることだ」
「私はいかないから! 慶悟様と婚約するのに! だって、それって『贄』ってことでしょう? 死んじゃうじゃない! 絶対に嫌よ! しかも『神と名乗るがその姿は物の怪』って言い伝えにあるわ! そんな神を奉るのもどうかと思うわ!」

「口を慎め、美月。姿がどうであれ、槙山家が代々奉る御祭神だ。それで我ら一族は栄えてきたのだ」

 勇にたしなめられ、美月は半泣きになって親指を噛む。自分が『贄』になんて冗談じゃないとでもいうように。

 ――しかし、ハッと思い出したように部屋の隅に俯いて控えている、もう一人の『家族』を思い出した。

「……そうだわ、適してる子がいるじゃない」

 美月を含む全員が、うさぎに視線を向ける。

「そうだ、うさぎ。お前はそのために村に寄った流れ巫女に金を払い、子を産ませたのだ」

 父の言葉に、うさぎはずっと俯いていた顔を上げた。

 ――皆、禍々しい笑みを浮かべていた。




「なんと……お前一人なのか?」

 迎えに来た宮司が、うさぎ一人で正門の前で待っていることに驚いて、声を上げた。

 いつもは煌々と明かりが灯っている屋敷も今は正門と奥玄関、そして残っている使用人がいると思われる部屋にしか明かりが見えていない。

「今日、美月さんの婚約の儀があるとは聞いていたが……お前の嫁入り前には戻ってくるものかと思っていた」
「鷹司家で執り行うと話していたので、そのままお泊まりになるのではと思います……。慶悟様は鷹司家の跡取りです。きっと盛大に祝っておいででしょうから」

 うさぎの言葉に宮司は大きく肩を揺らした。

「神事に関わる権宮司でありながらなんという……いや、娘を一人残らせて、誰も見送りにこないとはなんという罰当たりが……今までこんなことなどなかったと聞いているぞ」

 困惑している宮司の顔を見る。もう老年で顔に刻まれた皺を、ますます深くしている。
 自分の嫁入りと美月の婚約の儀をわざと同じ日にしたのは義母と美月だろう。
 そしてその決定に父も兄も反対しなかった。
 家族でこの儀式を放棄したのは明白だ。

「宮司様、私はいいんです。もともと家族の一人とは思われておりませんでしたし、宮司様だけでもこうして見送ってくださってくれて、とても心強いです」

「うさぎ……」
 宮司は憐れむように名を呼ぶ。

「さあ、参りましょう。時間が迫っておいででしょう? 神様をお待たせさせてはいけませんし」

 うさぎは逆に宮司を励ますかのように、明るい声で促した。
 宮司が先に歩き、うさぎはその後ろについて歩く。

 明かりは宮司が持つ大きな提灯のみで、彼から離れてしまえばすぐに呑み込まれそうな闇が迫る。

 うさぎは痛めた足を気遣いながら歩いているせいで、歩みが遅い。
「うさぎ、どうした? 歩きが速いか?」

 宮司は何度も振り返っては、労って歩みを合わせてくれる。

「すみません。こう言った衣装は着慣れないもので……」
「はは、何度も着慣れるまで花嫁衣装を纏っては困るぞ」

 場を和ませるように言ってくれる宮司が、うさぎにはありがたかった。

 この村でうさぎを一人の人間としてみて、優しくしてくれるのは宮司しかいなかったのだ。

 うさぎは、この好々爺の手引きで神の元へ行くだけでも幸せを感じていた。



『お前はそのために村に寄った流れ巫女に金を払い、子を産ませたのだ』

 輿入れ先を初めて告げられたとき、そう父はうさぎに告げた。

 うさぎの生家であるこの槙山家は地主であり、たくさんの田畑を所有している富豪で権宮司も兼任していた。

 神がお住みになっている本宮を建て直す。
 その間、仮宮を造り一時的に神を移す。
 その際に神に『花嫁』という名の贄を捧げなくてはならないと父は言った。

『神に花嫁を差し出すのは我が『槙山』家の大切なお役目なのだ』とも。

 父は自分の代で贄を捧げなくてはならないと、知っていたのだろう。
 だからこそ、可愛い娘を差し出すのは忍びない。

 ――だったら、出自のわからないどこぞの女に、後悔しない娘を産ませればいい。

(もともと私は、今日の日のために産まれ育ったんだ)

 家族にも、屋敷の使用人たちにも蔑まれて生きてきた。
 けれど、今夜限りでそれが終わる。

(私が神様の贄となれば次の建て替えまで村の平和が約束される。宮司様のためにもこの儀式をやり遂げなければ)

 うさぎは痛む足を懸命に前に出した。





 仮宮は、槙山家が所有する土地に建てられた。

 神社にあった本宮を一回り小さくしたものだった。
 かりそめとはいえ、造りはしっかりとしていて父親もさすがに疎かな仕事はさせなかったのだろう。

 真新しい鳥居の前で宮司が止まった。

「儂はここまでだ。もう時間でな。今の時間、この鳥居を通れることができるのは、うさぎだけだ」
「わかりました」

 ここまで導いてくれた宮司の手が離れると、うさぎはごくりと生唾を飲んで、鳥居の前へ進む。

「……うさぎ、おつとめを頼むぞ」
「はい」

 宮司の切なそうな顔が辛い。

 うさぎはたった一人自分を見送ってくれた彼が悔やむことのないよう笑顔を向け、頭を下げると鳥居をくぐった。




「……えっ?」

 入った途端、自分がどこかの庭にいることに驚く。

 しかも夜中のはずなのに、柔らかな陽差しの中にいる。

 いったいここは? とキョロキョロと辺りを見渡しているとどこからか、
「きた、きた」
「おいでなすった」
「お嫁様がいらした」
 と声が聞こえ、近づいてきた。

 お迎えがきた、とうさぎは緊張するが出てきた相手を見て、赤い目を見開いた。

(兎……?)

 白い兎がわらわらと出てきて、うさぎを囲い始めたのだ。

 一瞬、混乱したうさぎだったが、そういえば辻結(つじむずび)神社の神使は兎だったと思い出す。

 兎たちは、うさぎを見て驚いた様子だ。

「赤い目だ。わたしたちと同じ」
「白い髪だ。わたしたちと同じ」
「でも人だ」
「そうだね、人だ」
「不思議だ」
「そうだ、不思議だ」

 兎たちは一斉に喋りだして、うさぎはおたつくしかない。

(どうしよう、挨拶……)
 お喋りの止まらない兎たちにどう話しかけたらいいんだろう。
 もともと話すのが上手くないうさぎは、ただ戸惑う。

 わいわい話していた兎たちは突然我に返ったのか、一斉にうさぎを見上げていった。

「寝室に案内します」
「どうぞこちら」

 ぴょんぴょんと跳ねながらうさぎを案内してくれる。
 時々止まり、自分が付いてきているのか確認しながらの案内で、うさぎはほっこりする。

 大きな引き戸の玄関から入り、畳部屋に案内された。

 敷かれてあった真新しい布団に、うさぎはビックリする。

(……私は食べられるはずでは?)

 案内した兎に尋ねようとも、
「では、ここでお待ちください」
 と前足で障子を器用に閉められてしまった。

(もしかしたら、一夜のお情けのあとに食べられるのかしら?)

 この状況からしてそうに違いない。
 うさぎは布団の横に座って待つことにした。

 それにしても、布団が敷かれてあったのは想定外だった。
 覚悟はしていたが、その覚悟は食べられるほうの覚悟だ。

(まさか……まさか……ま、交わるの? か、神様と……?)

 想像しようとしても経験のないうさぎの想像は乏しいもので、頭を捻っても何も思いつかない。
 考えすぎて目がぐるぐるしてきたし、汗も掻いてきた。

「ど、どうしよう……神様と……本当に?」

 ぎゅう、と前で揃えた手を握りしめ、うつむく。
 急にやってきた事態の緊張で、足の痛みなんかどこかへいってしまった。

(落ち着いて。落ち着くのよ、もしかしたら化け物と呼ばれた私を慰めにしないで、そのまま食べてしまうかも)

 そうよ、だから落ち着こう――深呼吸をしたときだった。

 影が障子に映る。

 うさぎはそれを見て、鳥肌がたった。




 ――人の影ではない。

 映る影は全身ボサボサの毛で覆われていて、天井に頭がつくのでは? と思われるほど大きい。

「――っ!?」

 思わず叫びそうになったのをうさぎは口をおさえ、辛うじて止める。

 そうだ、祀っている神様は、村で『物の怪神』と恐れつつも敬っている『荒神』だ。

 それでもうさぎは、神様は人の姿をとっているものかと思っていた。
 それは思い違いだったと、うさぎは知らず震えが止まらなくなる。

 スッと障子が開く。
 うさぎは震えながらも畳に手を添え、頭を下げた。

「……顔をあげろ」

 くぐもった低い声でうさぎに命じてくる。

 うさぎはキュッと口を引き結ぶと、そろそろと顔を上げた。
 
 今度は声が出なかった。

 目の前にそびえるように立つ神は障子越しから見た通りで、茶色の固そうな毛で全身が覆われており、顔らしき場所から二つの光が爛々とうさぎを見下ろしているからだ。

 よろしくお願いします、と言うべきか?
 それとも、神が何か言うまで待った方がいいのか?

 でも震えて、喉も縮まって声を出せそうもない。

 きっと血の気も引いているだろう。怯えていることに気づかれたら神様は――

(きっと傷つくわ……)

 容姿で恐れてはいけない。
 自分がずっとそういう目に遭ってきたじゃない。

(私だって人らしくない姿で『化け物』と言われてきたわ)

 落ち着こう、うさぎは再び深呼吸をしようとしたときだった。


「ふざけるなーーー!! お前らああああ!」


「ひっ」

 いきなり怒鳴られた。

 地を裂くようなその罵声に、極限まで緊張していたうさぎは、あっという間に意識を手放したのだった。



 チチチ……と鳥のさえずりが聞こえ、うさぎはゆっくりと瞼を開いた。

 目の前に、自分と同じ赤目と白髪の女性がいる。

「……ぁ」
「よかった。お目覚めになって」

 女はそう言うと、うさぎをゆっくりと起こしてくれる。

 そうだ、ここは神様のおわす場所。
 私は花嫁という『贄』となり、ここに来たのだ。

 花嫁衣装は脱がされ、衣桁にかけられている。
 今は寝間着を着せられていた。

「申し訳ありません、驚かれたでしょう? もう、荒日佐彦(あらひさひこ)様がよく確認もしないで怒鳴るんですから。あのお方、生まれてまだ三百年だから短気なのですよ」

「ええと……いったいどうして、私は叱られたのでしょうか? もしかしたら何か不快なことを、知らずにやってしまったのでしょうか?」

 心配になって似た容姿を持つ女性に尋ねる。
 女はお茶をいれ、それをうさぎに私ながら答えてくれた。

「お嫁様にはなんの落ち度もありませんよ。荒日佐彦様が神使たちの悪戯だと思ってカッとなってしまったのです。反省しているご様子ですので、許して差し上げてくださいな」

「『神使』というと、夜に出迎えてくれた白兎たちでしょうか?」
「ええ、そうです。かくいう私も今は人の姿をしておりますが、元は白兎ですの」

 ほら、と真っ白な靄に包まれたと思ったら白兎に変わる。

「お嫁様のお世話をするなら、人の姿の方がいいとの荒日佐彦様のご命令で。これからはなんでも言いつけてくださいね」

 キャッキャと楽しそうに笑うと、また人の娘の姿になった。

 白い髪に赤い目――やはり自分と似ている。

「きっと、私の容姿のせいでお間違いになってお怒りになったのだわ。だとしたら勘違いしてもしかたがありませんもの。荒日佐彦様に、なんの落ち度もありません」

「お嫁様はお優しい……」
 感激してしつつも人の姿になった女は、お茶のおかわりを注いでくれる。

「私の名前はアカリといいます。どうぞそうお呼びください」
「あ、私は……」

 自己紹介しようとしてうさぎは自分の名前が恥ずかしくなり、口ごもってしまう。

「お嫁様はなんとお呼びしたらいいでしょう?」
 アカリは、ウキウキとした様子を隠さずに尋ねてくれる。

 自分たちが呼ばれている名と同じだとびっくりされないだろうか? それとも、同じ名前だと怒りやしないだろうか。
 うさぎは怖ず怖ずと口を開く。

「……う、うさぎと……」

 しばらく沈黙が起きた。
 赤い目をカッと見開き自分を見つめてくるアカリに、うさぎはなんとも居心地の悪さを感じる。

 アカリは「?」と言いたげに首を傾けると、うさぎの周囲をぐるぐると回り始めた。
「あ、あの……」

 二回ほど回って元の位置に座ったアカリは、また不思議そうに首を傾ける。

「やっぱりお嫁様はうさぎじゃありませんし、神使でもありませんよ? 人のわりにはお力がある以外は」

 ――力?

 うさぎはアカリの言葉に疑問が湧いたが、今は名前のことだと心の隅に留める。

「え、ええ……その、この容姿で『うさぎ』と名付けられたんです」

 そういうとアカリは、ぱあっと嬉しそうな顔をしてうさぎの手を握った。

「じゃあ、一緒ですね!」
 その反応にうさぎは驚き、そのあと嬉しくて視界が揺らいでくる。

「あ、ありがとう……」
 こうして親しげに手を握られるのも、容姿をさげすまれなかったのも初めてだ。

 たとえ人でなくても、うさぎは嬉しかった。





 パタパタ……と障子の向こうで走る音が聞こえ始める。

「あ、朝食ができたようですよ。お支度しますね」

 アカリは立ち上がりうさぎに羽織物を肩に掛けると、寝床に卓上を用意する。

 具合よく障子が開いて、ウサギたちが持ち上げて食事を持ってきた。

 後ろ足で立って四人一組で膳や汁物、おひつなど持って設置する。
 その手際の良さに、うさぎは目をまん丸にしたままだ。

 しかも食事といったら作りたてのほかほかで、汁物もよそるご飯も湯気が立っている。
 うさぎ自身、他の者の手で作られた食事を頂けるのは久しぶりでもあった。
 といっても包丁の持てない幼い頃にも食べたことはあるが、残り物の冷えた食事ばかりだった。

「さあ、お召し上がりください」

 アカリが言うとほかのウサギ等も「おめしあがりください」と一斉に声を上げジッと見ている。
(ちょっと食べづらい……)
 一斉に注目を浴びている中、うさぎはご飯を一口。

 つやつやに輝く白飯には大根など混ぜ物が入っていない。炊きたての甘い味がする。
「……美味しい」
 思わずつぶやくと「やったー!」とアカリ含むウサギたちが、飛び跳ねながら喜ぶ。

「わたしたちが作った」
「頑張った」
「美味しく作れた」

 アカリ以外のウサギ等は、そう口々に言い合いながら嬉しそうに部屋から出て行った。

「忙しなくて申し訳ありません。お嫁様がいらしてくれたことが嬉しくて、自分たちも何かしたくて仕方がないようで、許してやってください」
 アカリが深々と頭を下げる。うさぎは慌てて首を横に振る。
「い、いえ。全然平気です……それに」
 
 うさぎは膳に置かれた食事の数々を眺めながら言った。
「こんなに温かな食事をいただけて、しかも歓迎してくださるなんて思ってもみなかったんです。それに、神使様たちの主人である荒日佐彦様を皆が慕っているからこそ、その嫁である私にこのような支度をしてくださったのでしょう」

「まあ……うさぎ様は、なんてお優しい……」

 感激したアカリはよほど嬉しかったのか、隠していた耳をポンと出す。

「いえ……贄としてやってきた私にこんなにまでしていただいて、申し訳なさでいっぱいというか……」

 うさぎの言葉にアカリは、今度はウサギの目と鼻に戻る。

せっかく美人になっているというのに、こっけいな顔立ちになってしまっている。
「あ、あの、私、何かおかしなことを言いましたか?」
「ええ、仰いました――『贄』ってなんのことでしょう?」
「えっ? 言葉のままですが……?」
「と、いうことは『生贄』と? うさぎ様は食べられに来なさったと?」
「はい」
「誰に?」
「……その、奉られておられる御祭神様に……」

 うさぎは箸を置いてそろそろと話す。
 というのも、アカリの雰囲気がどんどん剣呑になってきたからだ。

(私、怒らせるようなこと、言ったんだわ)

「己、人間どもめ! 神をなんだと心得ておる!」
「あ、あのアカリ様……」
「くやしい~!荒日佐彦様~!!」

 そう声を荒げると、彼女は部屋から出て行った。

「……あっ」
 うさぎは青ざめた。カタカタと体が震える。

(どうしよう……神使様を怒らせてしまったわ……これでもし村に罰が落ちたら……)

 死んでもお詫びできない。

 どうしようと思っていたらすぐにアカリが戻ってきて、
「うさぎ様、わたしめのことは『アカリ』で結構ですからね? それからご飯もゆっくりとお召し上がりくださいませ! アカリはちょっと席を外させていただきますので!」

 そう笑顔を浮かべ一気に言うと、飛び跳ねるように去っていってしまった。

 うさぎはアカリの言葉を受け取り、最後かもしれない食事をしっかりと味わい朝ご飯をいただいた。