白うさぎと呼ばれる娘、物の怪と呼ばれる荒神の贄になったら幸せな花嫁になりました

「じゃあ、この棒ではなくてもっと、そう鉈の方がいいわね。薪割りの鉈がいいわ」
と、義母が下男に命令するが、彼の方は怖じ気づいたのか口を震わせたままかぶりを振った。

「お、奥様……それはまずい、まずいですよ……。オレたちゃあ殺しはごめんだぁ」

「……意気地のない。もうお前たちは私たちの共犯者なんですよ? このままでいたら必ずお縄になりましょう。……まあわたくしたちは主人と鷹司のお力でどうにかなりますけれど……ねぇ? 美月」
「お母さまの言うとおりよ。もうお前たちも逃げられない……それに、そうねぇ。ご褒美にまた『以前のような遊び』をしても構わないわ」

「お嬢様……」
 髪飾りを外し、下ろした髪を櫛で整えながら美月は妖艶に告げた。

 その様子はまさに妖女と呼ぶに相応しい禍々しい美しさがあって、下男たちは生唾を飲み込む。
 もうそれで承諾を得たようなものだ。

 下男たちは意気揚々として薪の保管場所へ向かった。

「美月、貴女……まさかもう……」
 母の疑わしいと見つめてきた視線に、美月は含んだ笑いをする。

「慶悟様は純粋なお坊ちゃまだもの。初夜におぼこのふりをすれば、わかるはずないわ」
「あのような下賤な者に……貴女という人は……」

 呆れた顔の母に美月は笑う。
「身分は下でも、逞しいのよ。体付きも。そしてお顔がいいじゃない?私の命じるがままに楽しませてくれるもの」

 さて、と美月は砂まみれになった白花を見下ろす。
「あんたは槙山家の汚点なのよ。だからいては存在そのものが困るの。さっさと土塊にしてあげる」
 と目を細めた。

 ――悪鬼だ。

 白花はそう美月を見上げた。

 『悪』の塊だ。

 倒れた三日月のように細める目は、邪悪で染まって。
 口角だけ上がる唇は血を吸ったように赤い。

(どうして気づかなかったの?)

 私がいなかった一年で様変わりした?

 ――禍事(まがいこと)の相――

 というのは、美月が起こす行動のことで

『禍』というのは、美月そのもの――





「……駄目よ、駄目……っ。美月、思い直して! 今すぐ止めて!でないと――っ」

 パァンという音とともに白花の左頬に痛みが走った。

「あんたに私の名前を呼ぶ権利を与えていないわよ。前のように顔を下に向いてなさいよ。『醜い化け物』が! 化け物は化け物らしくしていなさい!」

『化け物』――過去に呼ばれていたあだ名に白花の体が一瞬硬直した。

 私は醜い。
 目も赤いし髪も老人のように白い。化け物だ。
 急速に心が萎んでいくのがわかる。

(私は、醜い……)
 そう心の中で呟く。


 ――違います!

 
 突然、頭の中から声が響き驚いて辺りを見渡す。

 ――白花様! どうして白花、と荒日佐彦様がおつけになったのか思い出して!

「……アカリ?」
 大床にアカリがいる。
 必死になって自分に向かって叫んでいる。

 その周りには神使の兎たちがいる。
 ああ私を助けようとして集まってくれたんだわ。
 でも、結界で出ては行けないのね。

 ――白花様は、荒日佐彦様の立派な妻です! どうか自分を誇りに思ってください!

「荒日佐彦様……」

 ――お前にぴったりな名前だ。白花。白く清らかな、俺の美しい一輪の花――

 愛されている。
 昔の、誰にも必要とされていなくて小さくなって、泣いてばかりの私じゃない!

「……化け物じゃない」
「あっ?」
「私の名前は白花。御祭神である荒日佐彦様にそう名付けられました。それに、この髪も目も母の一族に現れるもの。決して化け物として生まれたわけではありません!」

 真っ直ぐに美月を、義母を見つめる。
 そう、自分は荒日佐彦様の妻だ。
 愛してくれる彼のために、そして自分のために、強くならなくては!

「……な、何よ……っ、荒日佐彦? あんた虐められすぎて頭、おかしくなったんでしょ? 神様が見えるとか妻になったとか、馬鹿じゃない?」
「美月にはみえないだけよ」

 白花の言葉に美月はカッとして、また右手を振りかざした――その時だった。


「美月! 何をしている!」

 怒りを含んだ声に美月の手が止まった。

 義母は怒鳴り込んできた相手を見て途端、震えだす。
 駆け足でやってきたのは、勇と慶悟だった。





「勇さん、慶悟様……こ、これはその……あ、あの人は? どうしたのかしら?」

 義母が慌てて話題を逸らそうとする。
『あの人』――父だろうと容易に予想できる。

「父さんはあとからやってくる。私たちは駆け足できたんだ。……これは一体どういうことなんです? 母さん」
 傷ついている禰宜と巫女。そして気を失って倒れている宮司の怪我を見て、母にキツく問いかける。

 そして――砂埃を被っても尚も美しい白髪赤目の女性を見て、大きく目を開いた。

「……お前は!? 何故、こんなところに?」

 白花は埃を叩き居住まいを正すと、勇と慶悟に対し頭を下げる。
「おひさしゅうございます。私が出ないと宮司様を殺しかねない様子でしたので、姿を現したまでです」

 何? と勇は唸ると、胡乱の目で美月と母を見つめた。

「違います! 私と母は宮司の悪行を問い詰めていただけです! 本当よ! 慶悟様!」
 真っ先に言い訳して慶悟にすがりついたのは美月だった。
 今まで鬼の顔だったのに、可憐な表情で涙まで浮かべはじめた。

「一年前に宮司は私の妹に恋慕して遷宮の際に『神の贄』が必要と隠してしまいました。それから妹を想い憂いてましたが、私はまもなく貴方の元へ嫁ぎます。だから明日遷宮を行う今が妹を取り返す絶好の機会だと母と相談して行動を起こしたのです」

「へぇ。じゃあこの娘は勇と美月の妹ってこと?」

 慶悟は、「妹」という部分だけ聞いて、それ以外の美月の訴えをまともに聞いていないようだった。

 すがりついてきた美月を引き剥がし、いそいそと白花の元へやってきた。
 そして、しげしげと珍獣でも見るように白花を下から上まで眺める。

「『白人(しらひと)』だ。初めて見たよ。この子の目は赤いんだね。ねえ君、陽に当たって大丈夫なの? 肌は火傷したり水ぶくれを起こしたりは?」
「……? 平気ですけれど……」
 急に現れて馴れ馴れしく近づいて話しかけてきた若者に、白花は警戒しつつも、問いに答えた。

「へぇ!! 今まで聞いて事がないよ! 勇、どうしてこんな珍しい妹を隠していたんだい? これは医学界にとって、すごい発見だよ?」
「……僕たちは、医学の研究者ではないだろう?」
 勇は溜め息をつきながら答えた。

「遺伝子の問題かな?」
 自分で尋ねておきながら勇の言葉に碌に応えず、瞳をキラキラさせながら白花の体をあちこち、ジィッと見つめる慶悟の動きは忙しない。

 物珍しい玩具に遭遇して喜んでいる子供のようだ。





「文献や写真でみる白人と少々違うみたいだ。そうだ、家に連れて帰ろう! 我が家の医師たちに見せて診させて、その報告書を世界中に発表するんだよ! なあ、勇。そうしたら君の妹君が白人である原因が掴めるし、世界中の白人たちの研究だって進む。だって陽に当たっても元気でいるんだ! いい考えだろう?」

「……慶悟、僕は賛成できない」

 美月は勇の反対に便乗して声を上げた。
「そうよ! 絶対に嫌! どうして結婚しても、こんな出来損ないと一緒に鷹司家で生活しないといけないの? それにこの女は淫女です。一緒に住んだら慶悟様だけでなく屋敷で働いている男たちを誘惑して、きっと争いの元になります!」

「? さっきと話が違うんじゃないか? 白人の妹は色惚けした宮司に拐かされて情婦になったんだろう? それを憂いていたと。なら宮司から引き離した方がいいじゃないか」
「……っ! そ、それは……」
 勇に冷たい視線で蔑まれ、美月は肩をすぼめて口を噤んでしまった。

「まあいいや。ねえ、君。名前はなんて言うの? ああ、僕から名乗らなくては紳士らしくないね。僕は鷹司慶悟。君の兄の勇とは親友でね。少しは話を聞いているよね?」
「……はい」

 そうだ。
 勇は帝都の大学に宿舎を借りて通って、そこで鷹司財閥の息子と知り合って交流を深めていったと聞いた。
 冷静で物静かな勇と、対照的だと思う。

 よく言えば明るくて雄弁で朗らかだ。
 悪く言えば周囲を読まない、空回りした明るさがある。
 思ったことを取捨選択せずに喋る、小さな男の子を相手に話しているような錯覚に陥る。

「で、君の名前は?」
「白花、と申します」
「きよか、どんな漢字かな?」
「白い花、と書いて白花です」

 ヒューッと慶悟が口笛を鳴らす。
「センスあるなぁ。君の容姿にぴったりだ。あ、『センス』ってね、表現方法が優れてる、素敵だって意味だよ。父君がお付けになったのかな?」

「……いえ」
 御祭神である荒日佐彦様に付けていただいたと言っても、ここにいる誰もが信じやしないだろう。

「じゃあ、誰だろう? 母君?」
 答えようもないので白花は黙って視線を逸らした。

 とにかく、いまこうして和気藹々としている場合ではない。
「私はここで失礼して、宮司様含む神社の関係者の方の手当をしたいと思います」

 そう言い、頭を下げ慶悟の前から去ろうとしたが、彼は白花の手を掴んで放そうとしなかった。
「ええ~、駄目だよ。僕は君ともっと話がしたいんだ。怪我人は美月たちに任せて白花は僕と一緒にいよう」

 慶悟の発言に白花だけでなく、美月や勇、義母も驚き一斉に引き止める。
「止めて! そんな子、放っておいてください! その子嘘つきなのよ? 名前だって白花じゃないんです。本当の名は『うさぎ』なんですから!」

「うさぎ? そうなの?」
 きょとんとした顔で尋ねてくる慶悟に白花は、
「以前はそう呼ばれていました。『白花』は、高貴な方が名付けてくださった名前なんです」
 と答えつつ、慶悟の手を振り払おうとする。

 けれど、彼の手は吸い付くように自分の手を掴んでいる。
 それどころかますます囚われて、腰まで掴まれて胸元まで引き寄せられてしまう。

「お放しください……! どうか……!」
「慶悟様! そんな女、どこかへやってしまって!」
「慶悟、止めろ。放すんだ」

 三人に詰め寄られ慶悟はムッとした顔になる。
 その様子も頬を膨らませ、本当に子供のようだ。

「なんだよ、白花も美月も勇も……母親違いの妹だって僕は気にしないよ」

 隠していた事実を述べられて、美月、勇、義母が驚き、声を失った。
 慶悟は「はぁ」と肩を揺らし、言葉を続けた。

「君の妹君と結婚して一族の中に入るんだ。事前に身辺調査くらいしている。鷹司家として、していない方がおかしい」

「……そうか。しかしその娘はもう慶悟さんに不向きです」

 後からやってきた勇蔵が、そう慶悟に諭す。







「不向きとは? じゃあ、美月は僕に相応しいと? あはは! 笑っちゃうね。とうの昔に他の男に操を捧げた女が鷹司家の嫁に相応しいと?」

 慶悟の発言に勇蔵と勇は美月を睨む。
 美月は、
「違うの! それは無理矢理で……!」
 と言い訳するがすぐに父の平手が飛んできて、母に泣きつく。

「お前がしっかり美月を見ていないからだぞ!」
「あなた! 美月の言うことは本当です! 美月が自ら体を開いたわけではありません! そうよね? 美月? だ、だから隠しておいたのです!」

 美月は泣きべそをかきながら言葉を続ける。
「何が起きたのかわからなくて……それで、私お母さまに相談して……隠しておきましょうって……。本意ではありません!」
「では、誰に奪われたのだ?」
「に、庭師の俊司です……」
「虎之助の息子か。首だな。嫁入り前の娘を……手込めにしおって」
 
 苦々しく呟く父に慶悟は首を傾げた。
「あれ? もっといるよね? 下男の剛とか、勘助とか、あと……料理人の佐輔とか。数人で楽しんでいたという報告もあったけれど?」

「お前……っ、このたわけが!」
 夫の激高にか、それとも宝珠と可愛がっていた娘が隠れて男と遊んでいた事実を聞いたせいか、母はその場で気を失ってしまった。

「屋敷へ連れていけ。お前たちが傷つけた神社の者たちもだ。介抱するんだ」
 勇蔵は下男たちに言いつける。

 それから、震え上がって泣いている美月を慶悟の前に引っ張っていくと、頭を下げた。

「申し訳ない。親の教育が行き届いていなかった。傷物を鷹司家に出すわけにはいかない」
「……いやぁ……、これからいい子になるからぁ、いい妻になるからぁ……慶悟様のお嫁さんにしてぇ……」
 真摯に謝罪する勇蔵の横で美月は、べそをかきながら嫌々と駄々をこねている。

「あのさぁ。僕は美月さんが、生娘であろうとがなかろうと関係ないんだけれど」
 慶悟は帽子を外し、髪を掻き上げながらひょうひょうと言い放つ。
「むしろ、何も知らない生娘を相手にするより、知ってて自分から動いてくれる方がありがたいね」

 なんて言い出した慶悟に、勇は思いっきり溜め息を吐いている。
 美月は一瞬にして泣き止み、明るい表情で慶悟に迫っていく。

「じゃあ、じゃあ! 私、このまま慶悟様の妻になっていいのね?」
「まあ、いいけれど、僕としては――そっちの白人の妹さんをもらいうけたいね。そっちも僕にくれるなら美月さんを妻に迎えてもいい」

 慶悟の言葉に、一斉に白花の方に顔を向ける。
 勇蔵は苦々しい顔で。
 美月は憎々しげに睨み付けて。
 勇はなんとも言えない顔をしていた。

 三者三様の表情と、慶悟の言葉に一番困惑したのは白花本人だ。

 どうしてそんな話になっているのか。
 けれど――白花の心は既に荒日佐彦のものだ。

「慶悟様、私は既に神の妻。貴方の元へは参りません」
 はっきりと言い切る。

「神って、宮司のこと?」
 慶悟はわからないと言うように首を傾げてみせる。

「君は宮司の元で、妻として暮らしていたんじゃないのか?」
「宮司様とは一年前、私の神への嫁入り以来会ってはおりません。その間、御祭神である荒日佐彦神の元で暮らしておりました。……それは事実です」

「ううん? なんだか超常現象的な話になってきたなぁ。一年間神隠しに遭っていたってことになるけれど? それは事実?」
 尋ねてきた慶悟に勇は頷いた。
「一年間、行方しれずだった。宮司が『鳥居を潜ったら消えた』と話していて嘘か真か検証しなかった。その女は……妹は元々、父が百年の遷宮のさいに行われる『贄』として育ったのだ。だが認識を違えたようだ。『贄』ではなく『神の花嫁』として妹は向際の世界へ行ったのだろう」

「勇、それ冗談? 頭、おかしくなってないよね?」
「……常日頃、僕が人ならざるものが視えると話しているだろう? 君だって真剣に僕の話を聞いていたじゃないか」
「ああ……そうだよね。君って先祖が神職だからそういうの、血筋で視えるとかって。いやぁ、本当だったんだ!」

「信じていなかったのか」と勇は小さい声でぼやき、話を紡いでいく。





「子供の頃はもっと視えていた。大人になってそう視えなくなったけれど。……美月だって視えていたはずだ。ただ、女性は処女性が関係するから。……美月、お前、早いうちに生娘じゃなくなったな?あれだけ『怖いのがいる』と泣きわめいていたのに、途中から平然と暮らすようになった」

「だからお兄さまは嫌いなのよ……」
 美月が恨みがましそうに勇に吐き出した。

「慶悟、美月はともかく神の元へ嫁入りした妹は諦めろ。触れてはいけない相手だ」
 勇の言葉の中に「妹」とあって白花はくすぐったくなる。
 兄は少なくても自分を妹だと思っていてくれたらしい。関わりが少なすぎて知らなかった。

「――なら、尚更ほしくなるなあ」
 しかしそんな勇の言葉も、慶悟には響いていなかった。

 再び白花に近寄ると、今度は肩に抱えてしまう。
「きゃあ!? な、何を……?」
「連れて帰る。姿もそうだけれど、この子といるとなんだかどんなことも上手くいくような気持ちになるんだよね。それに、考え方もいい。一人の男に尽くして真っ直ぐな目で僕に反論してきた。こういう子、屈服させたくなる」
「慶悟! 止めておけ! 怖いもの知らずにもほどがあるぞ!」
「いやよ! うさぎと一緒に鷹司家に嫁ぐなんて! この疫病神!」

 勇と美月が慶悟を止めるが、止める理由が違うのは一目瞭然だ。
 しかも美月の方は、強引に慶悟の肩から白花を引きずり落とそうとしている。

 ――勇はどうしてか、白花に近寄らなかった。

「ちょっと! 美月を止めてよ、勇! 危ないって!」
「いやよ、いや! 売女の娘のくせに! 今まで宮司の情婦だったくせに! 慶悟様から離れなさいよ!」

「……無理だ、触れられない。お前たち、どうして妹に触れられるんだ……? 恐れ多くて触れられない……」

 冷や汗をかいて青ざめている勇に真っ先に気づいたのは勇蔵だった。
「勇、お前……そんなに力があったというのか?」

「すみません……僕は槙山家を継がなくてはならない。けれど父さんは神社の仕事と切り離そうとお考えだったので言えず……今まで黙っていました」

 汗を拭い続ける勇は、その場に座り込んでしまった。
「勇! おい誰か! 美月も慶悟様も、とにかく落ち着きなさい!」

 息子のただ事じゃない様子に勇蔵は慌てて使用人を呼ぶが、なかなかやってこない。
 先に運ばれた妻や宮司たちの介抱で手が空いていないのか?

「……きませんよ、父さん……もうここは、神が降りてくる空間です」
「神……が?」

「慶悟! 妹を下ろせ! すぐにだ! 膝をついて顔を上げるな! 父さんも!」
「――?」

 ただ事じゃない言い方に、父はすぐに膝を突く。
 勇の剣幕に慶悟もなんだと文句を言いながらも、白花を肩から下ろした。

 その時だった――

 目映い光が目の前に現れ、眩しさに皆目を瞑る。

 ようやく落ち着いた頃に目を開けると、そこには白花と彼女を抱き佇む男がいた。


「ほぉ、そこの槙山の(おのこ)に救われたな。そのまま我が妻を担いでいたら命など消えていたわ」


 傲然たる態度でそう告げた。





(なんて素敵な……なんて美しい(ひと)なの)

 何が何だかわからないまま、跪かされ頭を下げろと言われても、美月には全くわからない。
 ただただ不快で、他の者たちが勇に習って頭を下げている中、美月は一人顔を上げていた。

 そんな中で、目の前に突如現れた背の高い立派な成りをした青年に心を奪われてしまった。

 真っ直ぐに背中に流れる髪は金の色に輝いて、日の光のよう。
 瞳の色は瑠璃色で、なんとも不思議な色合いだ。
 整った鼻梁に、意志の強さを表すような真っ直ぐ引き結ばれた唇。
 瓜実顔の雅な輪郭。

 美月は幼い頃から自分の容姿に、かなりの自信を持っていた。
 自分の横に並ぶ相手は自分と同等か、それ以上の相手でないといけないと心に誓っていた。
 そのせいだろう。
 とにかく、顔のよい男に弱かった。

 最初に目を付けたのは庭師の息子。
 彼が初めての相手だった。
 身分差や簡単に操を差し出すことに抵抗がなかったわけではない。
 けれど良い顔の男に口説かれて悪い気分はしない。
 行為そのもののを知らなかったのもある。受け入れてしまった。

 ――それからだ。

 男と女の情を交わすという、この世の快楽というものを知ってしまった。

 見目良い男たちにちやほやされるのは心地好い。
 そして自らが選んだ男たちと過ごす触れ合いは、自分が女王になったようで痛快だった。

 世間ではまだまだ女性の地位は低い。
 男に従い、家族でも女は格下扱いだ。結婚してもそれは変わらない。
 夫が外に女を作ろうとなんだろうと、妻はジッと堪えなくてはならないのだ。

 それが美月の場合、逆転している。
 自分が村一番の長者で名士の娘だから、皆が逆らえない。たとえ父の威光だとしても。

 年頃になり、そろそろ村の顔の良い男たちをはべらすのに飽きた頃、縁談が持ち上がった。

 鷹司慶悟――帝国で貴族の爵位を持ち、政権にも睨みを利かせる一族の後継者。

 兄・勇と友情を育んでいたとは――心が躍った。

 そここそが、自分の場所だ。
 彼の妻になることが自分の使命だ。
 財力と権力があれば顔など二の次だと、淑やかな箱入り娘のふりをして見合いをして、慶悟容姿に一目惚れをした。

 田舎にいない洗練された物腰に、帝都の流行の服装に髪型。
 いかにも穏やかな御曹司で、話している言葉や内容は耳に入ってこなかったが『女は、はいはい言って従えば良い』という男尊女卑の染みこんでいる帝国の教えは都合がよかった。
 ニコニコしながら話を聞いていれば満足するのだから。

 向こうも気に入ってくれて婚約、結婚とトントン拍子に進んで。
 しかも厄介者だった異母妹まで消えてくれた。美月の人生で一番輝いた時間だった。

 ――なのに。

(あの女が消えても私を不安にさせてくれて……! こんなことになって! 慶悟様が私の過去を知っても妻になってもいいとか、いい加減な人でよかったけれど……でも……)

 突然現れた男の見目麗しさにポォッとしてしまう。

 こんないい男、見たことがない。
 しかも、なんともいいがたい高貴な雰囲気まで持っている。
 慶悟なんて霞んでしまう。
 体が熱くて胸がずっと早鐘を打っている。いつまでも見つめていたい。

(ああ……! この方こそ、私の夫となる人だわ……!)

 美月は強くそう思った。

 慶悟の時も、俊司の時もそう思ったことは、もうすっかり美月の頭から抜けていた。






「荒日佐彦様、どうしてここに?」

 白花が尋ねる。
 神界で禊ぎをし今日の夜に戻るはずの彼が、下界に降りて自分を抱いている。

「アカリから知らせがきたのだ。白花の危機だとな」
「けれど、禊ぎは……?」
「なあに、あらかた済んだ。あとは白花に浄化を頼めばいいところまでいっているのでな。……しかし、来てよかったぞ、これは」

 ずっと白花を抱き、彼女だけを追っていた瑠璃の瞳がこっちに向いた。

(わ、私を見つめている……! きっと私の美しさに見惚れたのだわ!)
 美月は都合よく思い込んだが、それは自惚れにすぎない。
 荒日佐彦が見つめていたのは美月だけでなく、この場に揃っている者たち全員だ。

 背中にこぼれ落ちた髪を整えながら美月は、数歩駆け出した。
 話しかけて、自分を見てもらわなくては。
 大丈夫、自分は美しい。
 声を掛けられたら、話さずにいられないはず。

 突然現れたこの人は、神かもしれない。
(なら尚更、私に相応しい)

「あ、あの……っ!?」
 美月は淑やかに楚々と近づく。

 だが、彼がその腕に抱いている女を見て、嫉妬の炎が一気に燃え上がった。

(――うさぎ! 慶悟様だけでなく、この人まで! どうしてお前だけ愛されるの!)

 許さない。お前の旦那を奪ってやる。
 そうよ、親しくなってうさぎの過去を暴露してやれば離れていくわ。

 男好きで誰であろうと足を開いたとか、宮司と男女の関係だったとか、嘘も盛り込めばそれさえも真実に聞こえるだろう。

 神だろうと人であろうと、身持ちの悪い女など嫌われる。

 美月は荒ぶる心を隠し愛想のよい笑顔で、荒日佐彦の胸に飛び込むように近づく。

「貴方様は妹の旦那様ですか? 初めまして姉の美月と申します。不出来な妹を可愛がっていただいて感謝いたしますわ」

 親しい距離よりも近くにきて体に触れようとする美月から、荒日佐彦は白花ごと後ろに下がる。
 内心ムッとした美月だが、諦めない。
 スス……と荒日佐彦に近寄ろうとした。

「美月様! おやめなさい! その方は人ではありませんぞ! 恐れ多くも御祭神であられる!」
 そんな美月を大声で止めたのは、宮司だった。

「宮司様! お怪我は?」
 白花が荒日佐彦から離れ、宮司に駆け寄る。

「大事ない。どういうわけか、儂も禰宜も巫女も痛みが治まっているどころか怪我も消えてしまっていたのだ」
 宮司はそう面食らった顔をしながら、自分の体のあちこちに触れた。
「よかった……きっと力を加減してくださったんだわ」
 
 安堵している白花を微笑ましく眺めている荒日佐彦に、ここぞと体を近づけてきた美月は、
「見てください。あの子はああやって村中の男たちにいい顔をしているのです。……お恥ずかしいことですが、宮司とあの子は大分前から男と女の関係でして……」
 と、困ったような表情で囁きながら溜め息を吐いてみせた。

 不愉快そうに眉を寄せた荒日佐彦を見て、美月は自分の話を真に受けたとほくそ笑む。

「あの子から進んで貴方様の『贄』となりましたけれど、お役にたってはいないようで……申し訳なく思います。それでいかがでしょう? 妾腹ではなく本家の正式な娘である私が交代して貴方様に嫁ぐというのは? あの子は男たらしですから……ほら、あそこにいる方は私の婚約者でしたのに、すっかりあの子に心を奪われてしまって……私よりあの子が良いと申しますの……あの子もそうしたい、と承諾してしまって……そうすると私の居場所がなくなってしまいます。どうか私を妻に迎えていただけませんか?」

 着物の袖で目頭を押さえ、涙を拭うフリをする。
 こうすれば大抵の男は自分に靡いて、思う通りに動いてくれた。
 もう片方の袖で笑いそうになる口元を押さえ、嗚咽をもしてみせる。
 これでもう彼は私のもの。

 うさぎなんて、うらぶれてしまえばいいのよ。
 自分よりもてて、自分よりいい衣装をきて、自分より美しい女などいてはいけないの。
 親の愛も男の愛も神の愛も、全て私のもの――





「これ以上我に近づくな、下がれ」

 しかし、美しい男から発せられた言葉は非情だった。

「それに『贄』だと? 我は最初から『贄』など求めておらん。我が『妻』となる『花嫁』を求めていた。……なのに、どこで意味を取り違えたのか『贄』などと……」

「まあ、それは大変な失礼を……っ! 父はわたくしめが大切だと、妾腹の妹を差し出しましたの。ご迷惑をおかけしました。でももうこうして誤解が解けたのですから、本来のやり方にしたがって本家のわたくしが貴男さまに嫁ぎます。正しい血筋で行わなければなりませんよね」

 美月も引き下がらない。
 ここで白花と交代してもらえれば、自分は『神の花嫁』だ。

 突然現れた上にこの世の者とは思えない容姿に纏う空気。
 たとえ『神』でなかろうとも『妖し者』でもどうでもいい。

(私はこの男がいい。ほしい……! この美しい人こそ、私の伴侶に相応しい)

 こうして戸惑った顔をしながら後ろに下がっていく姿も麗しい。
(女性に近づかれるだけで恥ずかしがるなんて――なんて可愛らしいところがあるのかしら)

 うっとりとしながら荒日佐彦に寄り添おうとする。
 あとは腕に絡みついて胸でも当てれば、どの男もあっという間に自分に夢中になった。

「――来るな、お前は臭うし邪気まで纏っている。しかも馴れ馴れしい、不愉快だ」

 しかし荒日佐彦に冷ややかに手を払われ、近づくことを拒絶されてしまう。
 それだけでも矜持が傷つけられたのに、続いた言葉に美月は更に傷つく。

「こっちが呆れるほど、ほらふきな女だな。しかも、自分の都合のいいように話すから、内容がコロコロ変わって支離滅裂だ。よくこれで人として生きてこられたものだ」

「……なっ! し、失礼な……っ!」
 体を震わせ涙目になって怒り始めた美月を、宮司と白花が荒日佐彦から引き離した。

 はっきり性分を否定されてこなかった美月にとって、最大級の屈辱な言葉だった。
 宮司と白花を振り払い、怒りを乗せて荒日佐彦に突っかかっていく。

「私を誰だと思っているの!? 私は槙山家の長女、美月よ! 帝国で高名な鷹司家に嫁にいくのよ!」
「先ほど、婚約解消をされたといっていなかったか?」
「まだよ! まだ! だからこうして私と妹の交換を提案しているのでしょう!」

 キーキーと甲高い声を上げ、腕を上下に振って荒ぶる美月を宮司と今度は勇が押さえ込んだ。
 こうなると、興奮して歯止めが利かなくなるのをよく知っているからだ。