白うさぎと呼ばれる娘、物の怪と呼ばれる荒神の贄になったら幸せな花嫁になりました

「白い髪も赤い目も変わりませんし、強いていえば……いえ、なんでもありません」
 
 恥ずかしそうに口ごもった白花の顔を荒日佐彦は不思議そうに覗き込む。

「どうした? 『強いていえば』と言っておいて『なんでもありません』はないだろう? 言ってくれ。俺が気になる」
「……笑いません?」

 うん、と荒日佐彦が真顔で頷いたのを確認した白花は、キュッと目を瞑り決心して口を開く。
「に、肉付きが……よくなって……その、太ったんです……!」

「……そ、そうか……い、いや、ここにくる前が痩せすぎだっただけだぞ……白花は……っ」
 そう、言ってくれた荒日佐彦だが、白花から顔ごと逸らし、体を震わせている。

「明らかに笑いを堪えていますでしょう……?」
「いや……そんなことで憂いている白花が可愛くて……っぶっ」
「もう……っ、なら思い切りお笑いになってもらった方がいいです!」

ぷうと拗ねた白花だったが、すまんすまんと肩を抱き寄せられてあっという間に機嫌を直してしまう。

 自分はなんて単純なんだろう、と思いながらも荒日佐彦の温もりに逃れられずそっと頭を彼の胸に付ける。
 こんな風に相手に甘えたことも寄り添ったこともなかった白花は、荒日佐彦の愛情に最初、どうやって応えていいかわからなかった。

 彼の手を握り返していいのだろうか?
 自分を見つめる彼の瞳に、同じように見つめ返していいのだろうか?
 白い髪を撫で、愛しいと囁く彼に自分はジッとしているだけでいいのだろうか?
 自分と一緒に食事を摂って、嫌な気持ちにならないのだろうか?
 ……痩せた体を抱いてつまらないと思わないのだろうか?

 荒日佐彦が誠実に自分と向き合ってくれていることは、初夜で十分に理解した。
 だからこそ自分も、彼の誠実さに誠実で返そうと思った。

 けれど――彼を愛せば愛するほど不安になっていく。

 いつか自分は彼に飽きられて、捨てられてしまうのだろうか?
 捨てなくても実家にいたときのように、虐げられ使用人のように扱われ、目の前にいるなと叩かれるのだろうか?

 神様だからきっと自分の気持ちなどお見通しだろう。

 こんな相手の好意を恐れる自分など、いずれ嫌われて捨てられる――いや、それが当たり前なのだ、という感情がグルグルと自分の胸を回っていた。

 愛されることなど期待してはいけない。
 自分が彼を愛せば、それで十分だ。

 そう覚悟して一年。

 荒日佐彦は変わらず、いや日に日に自分への愛の密度が、濃くなっていくように思う。

 例えば、甘くて美味の砂糖菓子を与えられているようで白花は毎日幸せを感じていた。

 そうして白花はここにきて自分の意見も言えるようになり、ちょっとした冗談も口にするようにまでなった。

 毎日笑い、栄養のあるものを十分に食べて、実家にいたときはできなかった読書など自分のための時間も作れて。
傍には愛してくれる相手がいる。

 自分の彼への愛もますます深まって、彼のために命をも捧げても構わないとさえ思うようになっていた。




「今だって白花は、まだ細い方だぞ? ご飯だっておかわりをしないし」
「兎たちがいつもたくさんの品数を少しの量で出してくれるではありませんか。私が色んな栄養を摂れるように作ってくれて、それを残さずに食べなくてはと。それにどれもとても美味しいですし」

「白花が満足しているのあればいい。――飯の話をしていたら腹が減ってきた」
「まあ、では菓子でも出しましょう」

 白花はいそいそと台盤所に出向くと、明日の下ごしらえをしていた兎たちがわらわらと近づいてきた。

「白花さま、どうした?」
「喉、渇いた?」
「お腹空いた?」
 
 矢継ぎ早に尋ねてくる兎たちに白花は、ほのぼのとしながら言った。

「荒日佐彦様が少々小腹が空いたのですって。お菓子をもらっていいかしら?」
「みたらし団子、ある」
「大福、ある」
「びすけっと、ある」

 白花の言葉に兎たちはいっせいに散らばると、すぐに菓子を手に集まった。

「まあ、うふふ。ありがとう。でもこんなにたくさん食べられないわ。あとは寝るだけですから、軽い物がいいかしら?」
「軽いの?」
「羊羹?」
「かすていら?」
「葛餅?」

 兎たちはまたいっせいに散らばって、お菓子を持ってくる。
「じゃあ、葛餅がいいかしら。あとはあなたたちが食べて」

 やったー! と兎たちは大はしゃぎだ。
 兎たちが煎ってくれたほうじ茶をいれて、荒日佐彦の元へ戻る。

「荒日佐彦様……?」
 彼が気難しい顔をして月を眺めているのに白花は、いいようのない不安が胸を覆った。

「白花、何かめぼしい菓子はあったか? ……おお! 葛餅か! いいな」
「もう寝る前なのでお腹に優しい菓子を選びました」

 白花は不安を振り払うように笑顔で答える。
 香ばしいほうじ茶を飲み、きなこと黒蜜が絡んだ葛餅を食べながら談笑をして、一息ついた頃、荒日佐彦が神妙な顔をして白花に告げた。

「先ほど下界から先触れがあった」
「宮司様からですか?」
「いや、人からではない。下界にいる精霊からだ」
「精霊……『チ』のことでしょうか?」
「そうだ。よく勉強している、偉いぞ」

 荒日佐彦に頭をナデナデされた白花は自分が子供扱いされているようで少々不満だったが、今はそれに異議を申し立てている雰囲気ではない。

 古代から日本では生物でも無生物でも魂が宿っているとされ、それが意識を持つまで成長したものは精霊――『チ』となるという。

 白花も実家にいたころは何も気づかずにいたが、ここにきてなんとなく感じるようになってきていた。
 土の精『ノヅチ』や岩の精『イワツチ』など。
 火の精『カグツチ』なんかは台所でたまに見かける。

「その精霊はなんと……?」
「今回、先触れをしてきたのは『サチ』だ」

「……『サチ』?」

 聞いたことのない精霊で白花は首を傾げる。

「漢字で『幸』『狭知』と書く。幸福をもたらす力を持つ精霊だ」

「『サチ』様はなんと?」
「……禍事(まがいこと)の相が槙山家に現れているそうだ」

「それは……お父さまたちに不幸が襲いかかるということですか?」
 みるみる白花の顔色が悪くなる。荒日佐彦はそんな妻の頬を撫でた。

「お前が案じることなどない。これは予定調和だ。……すでに白花が私の元にきたことで確実になっただけ」
「……わたしのせい?」

「白花が生まれる前からだ。色々分岐があった。この将来を選んだのは槙山家の当主。当主が先祖の想いを敬い、妻にする女性の選択を間違えず、娘を躾けていればまた違った先があった。白花のせいではない」

「でも……」
「心配するな。これからまた違う選択をしたら多少は変わる。白花は三日後の身支度の準備を頼む」

 荒日佐彦に白花の身体がすっぽりと包まれる。
 
 いつも自分の憂いは荒日佐彦に抱かれると霧散してしまうのに……
 今夜のことは霧散しきれず白花の心の片隅に貼り付いた。



 そして次の日から荒日佐彦は最後の潔斎として神界へ。
 遷宮の前日に戻ってくると白花に約束して仮宮から出ていった。




 遷宮前日になり、白花は落ち着かなくなる。

 そろそろ荒日佐彦が帰ってくるから尚更だ。
「お帰りになったら支度を調えて差し上げて、それから……本宮に持っていく物は……」
「既にまとめております。荷物は全て神使にお任せください」
 とアカリ。

「そうね、そうだったわ。あとは私は何をすればいいんでしょう……?」
 何せ相手に指示することの慣れていない白花だし、自分と夫となった荒日佐彦が主となる催しだ。緊張して落ち着かない。部屋に庭にと理由もなく歩き回ってしまう。

「水引でもお結びになりますか?」
 アカリが提案をしてくれる。

 そういえば「花嫁修業の一環で若いときはよく結んだ」と義母が美月に話していたのを家事をしながら聞いたことを思い出す。

 ――花嫁修業

「やります!」
 白花はむん、と気合いを入れて返事をした。

 赤と白の細巻き水引が白花の前に出され、アカリに習って結んでいく。
 最初の一つ二つは綺麗な結びにならず消沈した白花だったが、左右対称に結べるようになってだんだん自信がついてきた。

「他にも工夫次第で、色々な形に結ぶことができるようです」
「そうなのね。でも私は基礎の、水引の結び方をちゃんと出来るようにならないといけないわね」

 何かに集中することによって、ようやく心がざわつくのがおさまったようだ。

(荒日佐彦様がお帰りになるまで、こうした細かい作業をこなしていこう)
 そう思うと、半襟も作ろうかと考えが浮かぶ。

「これが一段落ついたら――」
 とアカリに提案しようとしたときだった。

 数匹の神使の兎が慌てた様子でやってきた。

「かしましい。どうしたのです?」
 アカリが厳しい口調で注意するが、兎たちはそれどころではないといった様子だ。

「大変、大変」
「仮宮の前で暴力事件」

 その報告に、アカリだけでなく白花も眉をひそめた。
「この仮宮は、槙山家の敷地内のはずよね?」
「ええ、そうです。……御共の使用人たちの争いでしょうか?」

 しかし、次の神使の言葉にサッと顔を青ざめた。

「宮司が蹴られてる」
「殴られてる」
「宮司様が?」

 白花は立ち上がり、急いで仮宮の神殿へ急ぐ。アカリも後に続いた。

 威勢よい声と、止めようとしている懸命な声。

 そして鈍い打撃音に呻く声。
 その声は――

「宮司様!」



 神殿から外へ飛び出そうとした白花をアカリは後ろから止める。

「いけません! ここで出てしまっては危険です!」
「でも! 暴力を振るうのを止めないと!」

 こんな近くにいて、目の前で宮司が暴力を受けている。
 しかも暴力を与えている者たちに白花は覚えがある。槙山家の下男たちだ。

 ――そして

「美月! お義母様! どうしてこんなことを!?」
 二人憎々しげな表情で宮司を見下ろしている。

「ああ! 止めさせないと! お父さまは? お兄さまは? どこにいるの?」
 白花の問いに兎たちは、
「勇と当主は昨日からいない」
「美月の婚約者のお屋敷にいってる」
と告げた。

「明日の遷宮の準備でしょう。鷹司の家から援助をいただいておりますので、その礼にいったのだと」
とアカリ。

「……では、止める者がいない……」
 こうしている間にも宮司の腹に蹴りを入れようとしている下男がいる。
「ああ! 止めて!」

 神殿から降りて行こうとする白花をアカリはがっしりと囲い引き止める。一緒に兎たちもだ。
 止めに入った禰宜が代わりに蹴られ、宮司と共に暴力を振るわれはじめた。
 巫女たちはどうすることも出来ず震え、たまに美月と義母に止めるよう願い出ているが聞き入れてもらえていない。

「アカリ、離して! 止めないと! 宮司様が死んでしまうかも!」
「白花様! 結界の外へ出ては危険です! 今この結界で私たちの姿は人間には視えておりません! でも、白花様が出てしまえばきっとこの悪道共たちは白花様を狙うのに決まっております!」

「ど、どうして……私を?」
「この悪道たちの狙いは白花様だからです」

「……私?」
 アカリが頷く。

「あの悪女どもは、白花様が亡くなったと思っております。しかし、猜疑心に囚われておしまいになりました。とにかく貴女様が憎いという心に囚われてしまっております。結婚後も自分に影を落とすのは白花様だと思っております。『贄』として食われたはずの『貴女』が本当は宮司が逃がして、どこかに隠しているのだと信じ切っているんです」

「そんな……」
 白花は足に力が入らなくなって、その場に座り込んでしまった。

「隠しているなんて……逃がしたなんて……ないのに」
「鳥居を潜ったら消えた、と宮司様は正直にお答えになったようです。……一昔前ならそれで終わりだったのに、今は神隠しというものを信じない輩たちが増えたのが原因でしょう」

 アカリの話の辻褄があうようなことを下男たちは怒鳴っていて、白花の顔は蒼白になった。
「本当に消えたのだ……! 嘘など言わん!」
「この嘘つきめ! お前は日頃からうさぎのことを目にかけていた! 大方情が移ってどこかへ逃がしたんだろう!」
「そうだ !化け物に魅いられた奴なんぞ、神に仕える資格なんざねえ!」

 下男たちの暴行は止まらない。
 砂利に横たわる宮司を起こし、殴りつけ、それを庇う禰宜まで暴行を加える。
 楽しげに力をふるう下男たちを美月と義母は止めようとしない。

「正直に言いなさいよ。本当はどこかにかくまっているんでしょう?」
「社務所にはいなかったから、どこかの山の中だわ。きっと」

 なんて言いながら、二ヶ月後に控えているという挙式のことを二人で楽しそうに話している。

(こんな暴行を指図して、それを眺めながら挙式の話なんて――狂ってる)

 その狂いを生じさせたのは自分だ。
 白花は口を引き結ぶとアカリに言った。

「……お願い……私を結界から出して」
「白花様、いけません」

 アカリは首を縦に振らない。
 いいえ、駄目。
 このままでは宮司様が死んでしまう。

 ――なら、私が死んだ方がいい。

「アカリ、ごめんなさい。私は私の意思でこの結界の向こうに行くことを望みます」

 ハッキリと告げた言葉には――言霊が宿る。

 アカリは気づいたのだろう。言霊で結界から白花がでられるようになったことを。

「白花様! 駄目です! せめて荒日佐彦様が戻ってくるまでお待ちください!」

 引き止めようと腕を取ったアカリの手を払い白花は立ち上がると、駆け足で結界から外へ飛び出していった。




 突然現れた白花に、そこにいた全員が驚き呆然としている。

「……うさぎ、いったいどこから?」

 宮司が弱々しい口調で尋ねてきた。
 もう立ち上がれない様子で地べたに這いつくばったままだ。

 白花は真っ直ぐに宮司に近づくと、彼の頭を支え起こした。
「宮司様、わたしのためにこんな目に……」
「よい……。……幸せなのか?」
「はい。今は白花と呼ばれております」
「……よかった」

 宮司は安堵したのか目を閉じ、気を失ってしまった。
 
 白花は禰宜や巫女たちに宮司を任せ、真っ直ぐに美月と義母を見据えた。

「私を神に捧げたのは、槙山家の習わしのはず。そして私はその通りに行動をした。――なのにどうしてそれを疑い、このような乱暴を働かせたんです?」

 白花の問いに、ふん、と美月の口から小馬鹿にした声が出た。

「何を言っているのよ。今まで隠れていたのでしょう? それをまあ『神に捧げられた』とよく言うわ」

 さっさと縛り上げて! と下男たちに告げる。

「私は逃げたりしません。でも、あなたがたが心配なら――」

 縛れ、と言う意味を込めて両手を差し出す。
 下男たちはいきなり何もないところからうさぎと呼ばれていた女が現れたこと、そしてその潔さに躊躇っていた。

 今の彼女を見て躊躇うのは当たり前だろう。
 槙山家にいた頃は使用人同然の扱い、というよりそれより酷かった。
 着物は何度も手直しして生地もボロボロで、髪など手入れもしていない。
 いつも頭巾を被って白い髪を隠し、赤い目を見せないよう下を向いてオドオドとしていた。

 そうしないと、「気味が悪いから近づくな」と使用人たちにも叱咤されたからだ。

 けれど――
 今、目の前にいるのは清廉さが体から滲み出ている、高貴で美しい女性だ。
 しかも神々しさまであるように見える。
 
 それは美月や義母も気づいていた。
 一年前のうさぎと違う、と。

(あ、あんなボロボロで醜い女が……?)

 艶のない汚れた綿のようだった白い髪は、絹とか銀を思わせる艶やかなものとなり、赤い瞳は薄く紅を付けた唇と相まってよく映える。

 着ている着物は萌黄色と金糸で、陽に当たる春に芽吹いた葉がついた枝を表現した透かしが入っている。

 その着物の上から透ける白羽織を着ていた。

 その佇まいは思わず見惚れてしまうほどだ。

 ――この美しさは危険だ。





 頭の中で警鐘が鳴る。

 美月は知らず歯ぎしりをしていた。

 父と兄が二人で出かけている間に事を起こした。
 二人はなんだかんだと穏健派だ。
 特に勇は現代の医療や科学に経済の発展を自分よりその目で見ているというのに、仏神の信仰を否定しない。

「それも国を作った一部で全てを否定することは、自分や先祖までも否定することになる」

 と腹が立つほど平静で淡々としている。

 しかし、妹である自分が何か行動を起こそうとすると必ず反対をするのだ。
(女だと思って下に見て馬鹿にしているのよ、きっと)

 うさぎのことも腹立たしいが、勇の自分に対する態度だって気にくわない。
 いつもいつも、
「あの女に突っかかるな」
「いないものだと思って放っておけ」
 と勇が言えば言うほど、美月はうさぎを追い詰めた。

 うさぎも大嫌いだけれど、自分の言い分を否定し、行動を制限させようとする勇も嫌い。

 けれど長兄だからいずれ槙山家を継ぐ次期当主だ。
 自分が好き勝手にして怒りを買ったら追い出されてしまうかもしれない。
 だから、我慢してきた。

(結婚すれば、慶悟様の妻になれば位は私の方が上になる……。そうしたらもう兄様の言うことなんて聞かなくて良い。ううん、顎で使ってやれる!)

 慶悟は勇の親友で、その縁で自分は彼と結婚できるのだということなど美月の頭の中からはすっぽり抜けていた。

 美月は侮蔑をこめた笑みを浮かべながら、白花に近づく。
「この売女が! いい着物なんか着て……! 大方、宮司を色惚けさせて贅沢をしていたんでしょ!?」

 白花が避けるより早く美月の手が伸び、彼女の髪を掴むと引っ張り倒した。
「きゃっ!?」
 前屈みで倒れた白花を、美月は足で何度も踏み続ける。

「おやめください! うさぎは……白花様は御祭神の花嫁ですぞ!」
 禰宜や巫女たちは白花の出現で我に返ったのか、皆で必死に白花の体に覆い被さり、護る。

「皆さんも逃げて……っ、怪我しているではありませんか!」
 そう促すが禰宜も巫女たちも頑として聞かず、白花と宮司の上に覆い被さり暴行を受けた。

「いいえ、我々は神にお仕えする者です!」
「宮司様と御祭神様の花嫁をお守りしなくては!」

「……あなたたち、ごめんなさい」
 禰宜と巫女、そして宮司の気持ちを思うと切なくて白花の目から涙が零れてくる。

「もう、もう止めて! 美月もお義母様も……! 私がここから去ればいいんでしょう? 出ていくから止めて!」





 二人は自分の存在を、どれだけ恐れているのか。
 自分たちがしたことがただ、自分の心に返ってきてるだけなのに。

 白花を痛めつければ痛めつけるほど美月も義母は、ますます不安と恐怖に囚われていくことがわからないのか?

 下男たちは美月の命で、禰宜と巫女を白花から引き剥がした。

 座り込んでいる白花と美月は対峙する形になる。

 美月は息が上がってはぁはぁと荒い息を吐き出し、肩が揺れていた。
 着物の裾は乱れ、整えていた髪も飾りが外れ背中に流れ落ちている。

 何かに取り憑かれたような剣呑さで、義母も下男たちも美月に近づくことも声をかけることも出来ない。
 美月が白花に、忌々しそうに吐き出した

「何が白花よ、うさぎはうさぎ。髪は真っ白。目は真っ赤なうさぎになれなかった憐れな人間よ。……なのに、図々しく隠れ住んでいて……うさぎはうさぎらしく山奥でボロボロになっていなさいよ! 山から下りてくるんじゃないわ!」

 蹴り続けるのが疲れた美月は、下男から棒をひったくると白花に振り落とした。
「――っ!?」

 白花は思わず目を瞑る。
 瞬間、誰かが自分を抱きしめた。

 恐る恐る目を開けると、宮司が自分を抱きしめ代わりに打たれていたのだ。
「宮司様! 駄目! 本当に死んでしまいます! 私なら平気ですからどうか離れてください!」

 宮司は力なく頭を横に振る。けれど白花を抱きしめる腕は強くか弱い女の手では振りほどけなかった。
「この……っ! この! どきなさい! でないとうさぎと一緒に殺すからね!」

 美月が侮蔑の言葉を吐き続けながらも殴打を続ける。
 その姿に義母や下男たちは恐ろしさに身を凍らせていた。

 明らかに興奮状態でいる美月は、残虐な笑みを浮かべて口汚く嘲罵する。

 ――まるで鬼のようだ。

「……あ、美月、美月……っ、も、もう止めなさい。本当に死んでしまうわ」
「お母さま止めないで! ……こいつら、こいつらがいたら私と慶悟様の将来がないのよ……!」
「殺してしまえばそれこそ、お前の結婚はなくなります!」

 母の声にピタリ、と美月の手が止まった。そうして義母に振り返ると妖艶に微笑みながら言う。

「平気よ。死んでしまえばわからない場所に埋めてしまえばいいの。この女は宮司の言うとおり神の花嫁になって消えてしまったし、宮司は神隠しに心を痛めてどこかへ去ってしまった……そういえばいいでしょう?」

 娘の言葉に一瞬驚いて見せた義母も、
「……そうね、それがいいわ。なら、さっさと殺さないと。禰宜も巫女も同様にね……? でないと、主人に告げ口でもされたら大変だから」
 美月と同じく禍々しい笑いを見せた。





「じゃあ、この棒ではなくてもっと、そう鉈の方がいいわね。薪割りの鉈がいいわ」
と、義母が下男に命令するが、彼の方は怖じ気づいたのか口を震わせたままかぶりを振った。

「お、奥様……それはまずい、まずいですよ……。オレたちゃあ殺しはごめんだぁ」

「……意気地のない。もうお前たちは私たちの共犯者なんですよ? このままでいたら必ずお縄になりましょう。……まあわたくしたちは主人と鷹司のお力でどうにかなりますけれど……ねぇ? 美月」
「お母さまの言うとおりよ。もうお前たちも逃げられない……それに、そうねぇ。ご褒美にまた『以前のような遊び』をしても構わないわ」

「お嬢様……」
 髪飾りを外し、下ろした髪を櫛で整えながら美月は妖艶に告げた。

 その様子はまさに妖女と呼ぶに相応しい禍々しい美しさがあって、下男たちは生唾を飲み込む。
 もうそれで承諾を得たようなものだ。

 下男たちは意気揚々として薪の保管場所へ向かった。

「美月、貴女……まさかもう……」
 母の疑わしいと見つめてきた視線に、美月は含んだ笑いをする。

「慶悟様は純粋なお坊ちゃまだもの。初夜におぼこのふりをすれば、わかるはずないわ」
「あのような下賤な者に……貴女という人は……」

 呆れた顔の母に美月は笑う。
「身分は下でも、逞しいのよ。体付きも。そしてお顔がいいじゃない?私の命じるがままに楽しませてくれるもの」

 さて、と美月は砂まみれになった白花を見下ろす。
「あんたは槙山家の汚点なのよ。だからいては存在そのものが困るの。さっさと土塊にしてあげる」
 と目を細めた。

 ――悪鬼だ。

 白花はそう美月を見上げた。

 『悪』の塊だ。

 倒れた三日月のように細める目は、邪悪で染まって。
 口角だけ上がる唇は血を吸ったように赤い。

(どうして気づかなかったの?)

 私がいなかった一年で様変わりした?

 ――禍事(まがいこと)の相――

 というのは、美月が起こす行動のことで

『禍』というのは、美月そのもの――





「……駄目よ、駄目……っ。美月、思い直して! 今すぐ止めて!でないと――っ」

 パァンという音とともに白花の左頬に痛みが走った。

「あんたに私の名前を呼ぶ権利を与えていないわよ。前のように顔を下に向いてなさいよ。『醜い化け物』が! 化け物は化け物らしくしていなさい!」

『化け物』――過去に呼ばれていたあだ名に白花の体が一瞬硬直した。

 私は醜い。
 目も赤いし髪も老人のように白い。化け物だ。
 急速に心が萎んでいくのがわかる。

(私は、醜い……)
 そう心の中で呟く。


 ――違います!

 
 突然、頭の中から声が響き驚いて辺りを見渡す。

 ――白花様! どうして白花、と荒日佐彦様がおつけになったのか思い出して!

「……アカリ?」
 大床にアカリがいる。
 必死になって自分に向かって叫んでいる。

 その周りには神使の兎たちがいる。
 ああ私を助けようとして集まってくれたんだわ。
 でも、結界で出ては行けないのね。

 ――白花様は、荒日佐彦様の立派な妻です! どうか自分を誇りに思ってください!

「荒日佐彦様……」

 ――お前にぴったりな名前だ。白花。白く清らかな、俺の美しい一輪の花――

 愛されている。
 昔の、誰にも必要とされていなくて小さくなって、泣いてばかりの私じゃない!

「……化け物じゃない」
「あっ?」
「私の名前は白花。御祭神である荒日佐彦様にそう名付けられました。それに、この髪も目も母の一族に現れるもの。決して化け物として生まれたわけではありません!」

 真っ直ぐに美月を、義母を見つめる。
 そう、自分は荒日佐彦様の妻だ。
 愛してくれる彼のために、そして自分のために、強くならなくては!

「……な、何よ……っ、荒日佐彦? あんた虐められすぎて頭、おかしくなったんでしょ? 神様が見えるとか妻になったとか、馬鹿じゃない?」
「美月にはみえないだけよ」

 白花の言葉に美月はカッとして、また右手を振りかざした――その時だった。


「美月! 何をしている!」

 怒りを含んだ声に美月の手が止まった。

 義母は怒鳴り込んできた相手を見て途端、震えだす。
 駆け足でやってきたのは、勇と慶悟だった。