「だから俺は、お前の気に障ることをした覚えはないんだけどなぁ」
「君の存在そのものが気に障るんだよ!」
どうにも納得がいかずに首を傾げた俺に対し、勇者がキレ気味にそんなことを言ってくる。
「めちゃくちゃ言うなよな」
存在そのものが気に障ると言われたのは、さすがに人生ではじめての経験だ。
「だいたい俺の何がそんなに気に障るっていうんだよ?」
「何がってなにもかもさ!」
「何もかもって……」
「知っているか? 勇者は過去に何十人といる。だが精霊騎士はどうだ! 両手で足りるほどしかいないじゃないか!」
「そりゃまぁ、精霊使いですら100万人に1人だからな。そこから功績をあげて下級貴族の騎士に取り立てられる奴なんて、そりゃ少ないだろうよ」
「そんなレアジョブが! なんで僕が勇者の時代にいるんだよ! おかしいだろ!」
「そんなこと言われてもな……」
それもう、俺はなんにも悪くないじゃないか。
完全な逆恨みだぞ?
「しかも聖剣と並ぶ『第一位階』の、黒曜の精霊剣・プリズマノワールだと? なんだよそれ、僕を馬鹿にするのもたいがいにしろよ! もっと勇者を崇めろよ! 勇者に並ぼうとするなよ! 勇者である僕だけを褒め称えろよ!」
「ひとまず俺のことは置いておくとして、それは違うだろ。勇者は民のためにいるんだ。お前が崇められたり、褒め称えるためにあるものじゃない」
「はっ、綺麗ごとを言うな。勇者は誰よりも辛く苦しい試練の道を歩む。ならば当然その対価と権利を有するべきだ!」
「否定はしないさ。勇者にだって幸せになる権利は当然ある。でもそれだけじゃだめなんだ。勇者は――」
言いながら俺は、幼女魔王さまとミスティと過ごした様々な日々を――ゲーゲンパレスでのスローライフを思い出していた。
そしてそれは俺の中で、一つの確信へと至る。
「勇者はさ、『国民の象徴』にならないといけないんだ。みんなを愛し、みんなに愛される唯一無二の存在――それが勇者のあるべき姿なんだ」
だけど、
「笑わせるな、なにが『国民の象徴』だ」
俺の想いは、勇者に伝わりはしなかった。
「過去の勇者もみんなそうだった。君と同じで御大層なお題目を唱え、その結果、善意を利用されていいように使いつぶされてきた! でも僕は違う! 僕は手に入れる! 富を、権力を、国を、あらゆる何もかもをな!」
「勇者、その考えは間違っているよ」
「いいや僕が正しい。そしてそのためには、2人の魔王を討伐したという史上初の実績が必要なのさ。だから邪魔をするなハルト! そこをどけ!」
「どかねぇよ。俺は俺の信念と、俺のスローライフのために魔王さまを守る」
「交渉決裂だな。もはや君と語ることは何もない――ならばもう、後はこいつで決めるしかないだろう?」
不敵に笑うと勇者が聖剣を構えた。
さらにその身体から、勇者のみが扱える聖なる闘気が立ち昇り始める。
「望むところだ」
負けじと俺も、黒曜の精霊剣・プリズマノワールを構え戦闘態勢をとった。
「手加減はしない。行くぞ精霊騎士ハルト! 目障りな君には、ここで引導を渡してやる!」
「かかって来い勇者!」
その言葉を皮切りに、俺と勇者は互いに駆け出すと、真っ正面から激突した!
「おおおおおおおおっっっっ!!」
「はぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
裂帛の気合と共に俺の黒曜の精霊剣・プリズマノワールと、勇者の聖剣が――漆黒と白銀が激しく激しく、これでもかと打ち鳴らされる!
キン!
ギィン!
キャン!
ギャキン――ッ!
「まったく君はどこまでも目障りだ! せっかく神託を使ってまで追放したというのに、こうやってまた僕の前に現れ邪魔をする!」
「なに言ってやがる! 俺のいる南部魔国に勝手に乗り込んできたのは、お前のほうだろうが!」
「戦場にまでしゃしゃり出てきたのは君の方だ!」
「俺の大切な魔王さまを、みすみす殺させるわけにはいかないからな!」
第一位階に属する究極剣と究極剣の頂上決戦はしかし、最初こそ互角だったものの、
「おらおら! さっきまでの威勢はどうした、ハルト!」
すぐに勇者が一方的に攻勢を強めはじめた。
「くぅ――っ!」
俺が守勢に回る時間がどんどんと長くなっていく。
「聖剣はな! 神が人間に与えたもうた対魔族の最強決戦兵器なんだよ! だが対魔族以外であってもその力は最強だ! たかがレアジョブなだけの精霊騎士ごときが、聖剣を持った勇者に勝てると思うな!」
くっ!
同じように打ち合っていて、むしろ剣技では俺が上回っているというのに、じりじりと押し込まれる!
「同じ第一位階でも、基本スペックはやはり聖剣のほうが上か!」
「今さら気付いてももう遅いんだよ!」
ならば――!
俺は激しく切り結ぶ中で、わずかな間隙を見つけると、すかさず【精霊詠唱】を開始した――!
「炎の魔神【イフリート】よ! その御力を我が刃に宿したまえ――【ゲヘナの業炎剣】!」
――心得た――
俺の力ある言葉に【イフリート】が応え、神をも滅する炎の精霊王の力を注ぎ込まれた黒曜の精霊剣・プリズマノワールの刀身が、燃えるような真紅に染まってゆく――!
「炎の最高位精霊【イフリート】の力を剣に付与したのか! まったくあれやこれやと器用にこなしやがって。本当に不愉快な存在だよ、精霊騎士ってのはさ! ハァッ!」
勇者が聖剣を強烈に振り下ろした。
しかし――、
ガギンッ!
「なにぃ――っ!?」
強烈なカウンターでもって、俺は聖剣を弾き返す!
「いける!」
【ゲヘナの業炎剣】は、聖剣にも力負けしていない!
「このっ! くっ!?」
「どうだ! 【イフリート】は神をも殺す最強の精霊王だ! これなら聖剣とも打ち合える!」
弾き飛ばされバランスを崩した勇者に、俺は追撃を敢行する。
「今度は俺の番だ、行くぞ勇者! おおおおぉぉぉぉ――っっ!!」
「舐めるな!」
真紅に染まった黒曜の精霊剣・プリズマノワールと白銀のオーラを湛える聖剣が、再び激しく打ち合う。
ギン!
ギャキン!
ギャン!
ギン!
しかしその打ち合いは、さっきまでとは全く違う様相を見せる!
「おおおおぉぉぉぉぉぉっっっっ!!」
さっきとは正反対に、今度は俺が勇者を追い込んでゆく!
「バカな! 聖剣が押し負けるだと!? ふざけるなふざけるなふざけるな! 君はどこまで僕を虚仮にすれば気が済むんだ!」
咆哮のような絶叫を上げながら繰り出した勇者の渾身のカウンター一閃を、
「おっと、あぶねぇ――」
俺は飛び退って回避した。
「このまま押し込めれば良かったんだけど、勇者も聖剣もさすがにそこまで甘くはないか」
性格こそやや難があるが、史上最強最悪の魔族と恐れられた北の魔王をヴィステム討伐した勇者の実力を、5年もパーティを組んだ俺は嫌と言うほど知っている。
「はぁ、はぁ……くそっ! 勇者である僕が! 精霊騎士ごときに後れを取るなどと! 許さん、断じて許さんぞハルト・カミカゼ! 昔のよしみで命だけは助けてやろうと思ったが、もはや是非もなし。僕に楯突いたことをあの世で後悔させてやる!」
勇者はそう言い捨てると、聖剣を天に向かって高々と突き上げた。
これは――!!
「天使顕現! セラフィム・コール!」
その言葉が発せられた瞬間、聖剣がまばゆいばかりに光り輝いたかと思うと、勇者の身体が煌めく白銀のオーラをまとい始めた――!
「おい勇者! まさか聖剣の真の力を解放したのかよ!?」
「そうさ! 僕の最終奥義でケリを付けてやるよ!」
「聖剣の中には『天使』が封じ込められている。天使顕現セラフィム・コールは、聖剣に封印されている天使の力を一時的に開放し、自らの肉体に顕現させて超絶ブーストする対魔族用の切り札だ。それをよりにもよって、人間相手に使おうってのかよ!」
「魔族の味方をする君には、実におあつらえ向きだろう? 死ねぇっ!」
瞬間、勇者の姿が俺の視界から消え失せた。
比喩でもなんてもない、文字通り消えていなくなった。
理由は単純で、勇者の動きがあまりに速すぎて、俺は視認することができなかったのだ!
「速い!? ぐぅ……っ!」
直後、襲い来る強烈な横薙ぎを、俺は黒曜の精霊剣・プリズマノワール】を垂直に立ててガードした。
柄を持っていない左手を剣の腹に押し当てて両手で支えることで、なんとか威力を殺しきる。
だけど今、防御できたのは本当にただの偶然だった。
それでも直感的になんとなく勇者の動きを感じられたのは、もしかしたらお節介な精霊たちが、そっと俺を導いてくれたのかもしれない。
「ほぅ、今のを防御したか。さすがだなハルト。だがそれも、いつまでもつかな?」
その言葉と共に、天使化した勇者が怒涛の連続攻撃を繰り出してきた!
シュッ、シュッっと鋭い風切り音をまといながら、激しく苛烈な、目で追いきれない超高速の連撃が俺を狙って襲い来る!
「くっ、この――!」
事ここに至っては反撃のチャンスなんてものは欠片もない。
俺はひたすらに防御に徹するものの――だめだ、とても防御しきれない!
小さな傷が、俺の身体にどんどんと刻み込まれてゆく――。
「どうしたどうした! 大口を叩いておいて、手も足も出ないのか? ほらそこだ、オラぁ!!」
黒曜の精霊剣・プリズマノワールが跳ね上げられ、俺の身体が完全無防備でがら空きになった。
「終わりだ――!」
「ぐ――っ!!」
聖剣が俺の身体を容赦なく真っ二つに叩き斬って――、
「そう言えばそんな技も持っていたか」
斬られたはずの俺の身体が、霞のように消えていった。
俺はとっさの判断で幻影の最高位精霊【イリュシオン】の精霊術、本物そっくりの質感ある残像を作り出す【質量のある残像】を使用したのだ。
よほど感心しのたか、それとも攻め疲れて一息つきたかったのか。
いずれにせよ動きを止めた勇者から、俺は少し距離をとる――とろうとして、
「あぐ……っ」
しかしそこで、俺は右の脇腹を左手で抑えながら片膝をついてしまった。
視線をやると、抑えたところから血がどんどんと滲み出ていた。
天使化による神速の一撃は、最高位の精霊術をもってしても、完全にはかわしきれなかったのだ。
「これは、まずいな……致命傷じゃないがかなり深いぞ……ぐぅっ……」
加えて、俺の身体全体が疲労のピークを迎えつつあった。
今の勇者は、一撃一撃が岩をも砕く威力を秘めている。
それを受け止め続けるだけで、俺の体力はゴリゴリと削られてしまっていた。
だが、このまま膝をついていては死ぬだけだ。
勝利を確信したのだろう。
勇者が俺を見下すように睥睨しながら近づいてくる。
「勝負あったな。君の負けだ」
「こなくそ――」
俺が疲労困憊の身体に渇を入れ、残った全気力を振り絞って立ち上がろうとした時だった。
「出でよ【火トカゲ】! 精霊術【マッチ10本の炎】!」
突如として横合いから声が上がるとともに、マッチ10本を束ねたくらいの小さな炎が勇者に向かって「しゅぼー」と放出されたのは――。
「なんのマネだ?」
しかし天使化した勇者にとって、炎の下級精霊である【火トカゲ】の攻撃なんてものは、攻撃どころか目くらましにもなりはしない。
勇者の身体を包んでいる薄い白銀の光の膜は、『神の祝福』と呼ばれる最高位の防御術式なのだから。
「なにしてる! 下がってくれ魔王さま!」
だから俺は強く呼びかけたんだけど――、
「もうよいハルト。よいのじゃよ」
「え――?」
俺に顔だけを向けて優しく笑ってそれだけ言うと、幼女魔王さまは勇者へと向き直った。
「勇者よ、妾は南部魔国の魔王である。お主の狙いは妾であろう?」
「お前が魔王だと?」
「いかにもじゃ。そして勇者よ。この戦が長引けばリーラシア帝国と南部魔国は全面戦争になるじゃろう。それだけは避けねばならぬ。よって妾はこの身を捧げよう。お主の好きにするがよい」
「ははっ、まさか魔王が戦わずして降伏とはな。角のないへっぽこ鬼族だと話には聞いていたが、本当にどうしようもないへっぽこぶりだな。でもまあ、いい心がけだ南の魔王さま」
「魔王さま、やめろ! 俺はまだ戦える!」
俺は痛みを堪えて無理やり立ち上がった。
ジュウッ!
【イフリート】で傷口を焼いて、強引に出血を止める。
「あぐぅ――――っ!!」
絶妙の火加減のおかげでこれでも痛みはまだマシな方なんだだろうが、それでも痛みで目の前が一瞬、真っ白になる。
俺は気合を総動員して痛みを堪えると、震える手で黒曜の精霊剣・プリズマノワールを構えた。
戦闘を継続するべく必死に気張った俺だったんだけど、
「もう良いのじゃよハルト。お主に死なれてしまっては、妾はあの世で後悔してもしきれんからの」
幼女魔王さまはそう小さくつぶやくと、勇者に向かって歩いていくのだ。
「待てって――うぐ……」
傷口は塞いだものの、痛みと疲労で身体が重い……。
まるで首元まで泥沼にはまってしまったみたいに、身体がうまく動いてくれない……。
そして、俺が剣を構えるのにも四苦八苦している間に、幼女魔王さまはついに勇者の目の前までたどり着いてしまう。
「それで勇者よ。どうじゃ、妾の命では済まぬじゃろうか? 落としどころとしては悪くないと思うのじゃが」
「ま、実のところ僕も全面戦争だけは避けたいからね。南の魔王を討伐した実績が手に入れば、ここは良しとするさ」
「ならばよいのじゃ。では一思いにやるがよい」
「魔王さま、おい、待てって! 魔王さま――!」
「ったく、さっきからうるさい奴だな。ま、離れて吠えるだけなら子犬でもできるか。おとなしくそこで見ていろハルト・カミカゼ。そして思い知れ、己の無力さというものをな」
「――くっ!」
動け、動けよ俺の身体!
頼むから動いてくれ!
「さようなら南の魔王。一応、礼は言っておこうかな。僕の輝かしい未来の礎となってくれてありがとう、とね――死ね」
無造作に振り下ろされた聖剣が、
「待て――待ってくれ――」
無抵抗の幼女魔王さまの胸からお腹にかけてを、わずかの情け容赦もなく斬り裂いた。
「魔王さま――」
どくどくと流れ落ちる鮮血で真っ赤に染まった幼女魔王さまは、糸の切れた操り人形のごとく、力なくその場に崩れ落ちる。
血だまりに倒れる幼女魔王さまの姿を見せられて、俺の中で猛烈な怒りが爆発した。
「【イフリート】!! 【相手は死ぬ】!!!」
【イフリート】の最大火力を凝縮した精霊弾を、俺は勇者めがけて撃ち放った。
獰猛な灼熱の軌跡を残し、一直線に勇者に向かって突き進む火炎弾を、
「ちぃ――っ! まだこんな力を残していたのか!」
勇者が大きく飛びのいて回避する。
チッ!
勇者の前髪をわずかに焦がした怒りの炎を視界の隅でわずかにとらえながら、俺はすぐさま幼女魔王さまへと駆け寄った。
体中が痛いが、今はもうそんなことは関係ない!
「魔王さま! おい、魔王さま!」
俺の頭には、ただただ幼女魔王さまのことだけしか存在していなかったのだから!
俺が倒れ伏す幼女魔王さまの状態を抱き起すと、
「ハルトか……無事でよかったのじゃ……」
幼女魔王さまはわずかに目を開くと、力なくつぶやいた。
「なに言ってんだ! 無事かどうか問題なのは、魔王さまのほうだろうが!」
「問題ないのじゃ……妾はもうだめじゃからの……」
「縁起でもないこと言ってんじゃねぇ!」
「これが致命傷だということは……妾自身が一番、分かっておるのじゃよ……」
「そんなことない、まだ話せているしなんとかなる!」
「まったく……普段はへっぽこじゃというのに、変なところで鬼族のしぶとさが出ておるのう……もはや生きながらえるのが無理なのは明らかで……痛くて痛くてしょうがないというのに……鬼族の身体はそれでもなんとか妾を生き延びさせようと、あがくのじゃから……本当に、困ったものじゃ……」
「魔王さま……」
「のぅ、ハルト……頼みがあるのじゃ」
「なんだ、何でも言ってくれ!」
「妾を……殺してはくれぬか?」
「なにを言って――」
「妾はもう助からんのじゃ。元より助かってしまっては、勇者の手にかかった意味がないしの……。なのに鬼族の生命力は、わずかでも生き延びさせようと必死に身体を修復しよるのじゃから……」
ゴホッっと幼女魔王さまが大きな血の塊を吐き出した。
「生きている限りは諦めるなっての!」
「お主ほどの歴戦の猛勇ならば、分かるであろう……」
「くっ……!」
幼女魔王さまの言う通りだった。
いくら強靭な鬼族であっても、これはもう致命傷だ。
大切な臓器がいくつも破壊されている。
しかしそれでも、鬼族の類まれなる生命力は、幼女魔王さまを一秒でも生き永らえさせようとあがいているのだ。
「それに最後、ハルトの手で今生に幕を下ろしてもらえれば、妾は笑っていくことができるのじゃよ」
「魔王さま……」
「ハルトとミスティと過ごしたスローライフは、とても、とても楽しかったのじゃ……楽しかった思い出とともに、妾をハルトの手で葬ってはくれぬか? 妾の最後のお願いなのじゃ……」
それっきり魔王さまは言葉を話さなくなった。
ただ、喉から出るヒューヒューというかすれるような音が、俺の耳を強く打つ。
瞳からは完全に生気が失われ、何もない虚空をただただ見つめていた。
「魔王さま……分かったよ」
俺は立ち上がると、虫の息で横たわる幼女魔王さまの心臓の上に黒曜の精霊剣・プリズマノワールの切っ先を当てた。
そしてわずかなためらいの後、俺は意を決して心臓めがけて黒曜の精霊剣・プリズマノワールを突き刺した。
ブスリ、と嫌な感触が手に返ってくる。
「あり……が、とう……ハルト……あ、り……が……t――」
幼女魔王さまは気力を振り絞りながら最期に俺への感謝の言葉を残すと、必死に笑おうとしながら笑えず、そっとその目を閉じた――
「はっ、はははっ! ついに、ついに! 南の魔王を討伐したぞ!」
戦場の喧騒の中で唯一ここだけ静寂が支配していた決闘の場に、勇者の哄笑が響き渡った。
「北の魔王ヴィステムについで、僕は南の魔王も打ち滅ぼしたんだ! これで僕は、文句なしに史上最高の勇者になった! ははっ、ははははっ! あーはははははははははっっっ!!!」
勇者はこれでもかというほどの高笑いを繰り返す。
既に俺たちの方を見てもいなかった。
完全にアウト・オブ・眼中。
だから俺は――気兼ねなく行動に移すことができた。
幼女魔王さまの胸に突き刺した黒曜の精霊剣・プリズマノワールに、俺は意識を集中していく。
そして【それ】に触れた瞬間、
「其はいと尊き始まりの一柱――」
俺は【精霊詠唱】を詠い捧げ始めた――!
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールに眠りし、全ての生命の祖たる始原精霊王【セフィロト】よ――! いと尊き始まりの精霊王よ――! 我が切なる願いを今ここに聞き届けたまえ――! 始原精霊術【生命の樹】発動!」
――…………――
【精霊詠唱】に――俺の切なる願いに返ってきたのは、熟練の精霊騎士と言えども聞き取ることは不可能な、高位の古代精霊言語。
しかし俺はそれが「イエス」であることを直感的に理解していた。
その直後だった。
ドクン!
漆黒に輝く黒曜の精霊剣・プリズマノワールから心臓が強く跳ねるような音が聞こえたかと思うと、その刃が一瞬にして七色に光輝くプリズムへと変化したのは――!
七色に輝く精霊剣は、幼女魔王さまの胸元からその身体へと強大な活力の源を――生命力の息吹を吹き込んでゆく――!
そしてわずかな間の後、キュポンっと可愛らしい音がするとともに、幼女魔王さまの身体から精霊剣・プリズマノワールが抜け落ちた。
その刃は既に、黒を塗り固めたような漆黒へと戻っている。
そして、
「ん……うむ……? あれ……? 妾は確か死んだはずではなかったのか……? ではしかし、そうであるならば何ゆえハルトの顔が見えるのじゃろうか?」
幼女魔王さまはぴこっと目を開けると、心底不思議そうな顔を見せた。
「よし――成功だ!」
「んん……?」
そんな俺たちの様子に、今更ながらに勇者が気付いた。
「な――!? いったい何が起こったんだ!?」
その声には狼狽の色がにじんでいる。
「鬼族のたぐい稀なる回復力が、かろうじて繋ぎとめていた魔王さまの命が、始原精霊術【生命の樹】によって、再び元通りの活力を取り戻したのさ」
「始原精霊術【生命の樹】だと!? なんだそれは!? 君は今までそんなことができるなんて、一言も言ったことはなかったじゃないか! 勇者パーティの仲間にも隠していたのか! なんと卑劣な!」
「【生命の樹】を試したのは今のが初めてだ。そもそも始原精霊が俺の声を聞いてくれるかどうかすら、分の悪い賭けだからな。心臓に切っ先を突き刺した時点で、失敗すればもう助からない。こんな不確実なものを使えるって言うわけにはいかないだろ」
「貴様ぁ! 奥の手を仲間にも隠していたくせに、よくもぬけぬけとそんなことが言えるな! 本当に徹頭徹尾不愉快な存在だよ、君は!」
ギリっと歯ぎしりをした勇者から、しかし俺は視線を外すと、
「魔王さま、さっきまでと何か変化はないか?」
起き上がった幼女魔王さまに優しく声をかけた。
「特には……ないと思うのじゃ。むしろすこぶる元気な感じなのじゃよ」
「良かった、完全に成功したみたいだな。なら少し俺から離れていてくれ。今からあいつと、ちょっと本気で戦ってくるからさ」
「……ハルトよ、本気とは言うが勝てるのかえ? 天使顕現セラフィム・コールは勇者を天使に――世界最強の存在へと変えるのじゃろう? お主を死なせるくらいなら、妾は負け戦の王として、喜んでもう一度首を差し出すのじゃ」
「心配するな、本気を出すって言っただろ? それとも俺の言うことが信じられないか? さんざん魔王さまをびっくりさせてきた俺なんだぜ?」
「そう言われると、そんな気がしてくるのじゃ。なにせハルトには散々驚かされてきたからのう」
「だろ? じゃあ離れていてくれ。いい加減もうケリをつけてくるよ。あいつとの因縁も、俺自身の甘さにもな」
「ならば任せるのじゃよ。勝つのじゃぞ、ハルト」
「安心しろ。俺は約束は守る男だ」
幼女魔王さまがとてとてとミスティのもとに小走りで駆けていくを横目に、俺は勇者に向き直った。
「待たせたな、勇者」
「最期のお別れは済んだようだね」
「最期のつもりは毛頭ねえよ。お前の方こそ、すっかり落ち着いたみたいじゃないか。さっきはあんなに取り乱していたってのにさ」
こんな性格でも、勇者は歴戦の猛勇。
既に完全に落ち着きを取り戻している。
「なに、よくよく考えてみれば、天使顕現セラフィム・コールが敗れたわけじゃないからね。たしかにさっきの精霊術には驚かされたよ。だが、だから何だというんだい? また同じように君を倒し、そして魔王を始末するだけのこと。2度手間だが、ただそれだけのこと。同じことの繰り返しだ」
「それはどうかな?」
「おやおや? そんな傷だらけの身体でえらく自信満々じゃないか。まさか僕に勝つための秘策でもあるってのかい?」
「ああ、ある」
「なに――っ?」
「それを今からとくと見せてやるよ」
「チッ――クソが。本当に君はウザいな! できるもんならやってみろよ!」
余裕を見せ続ける俺に、勇者が品のない舌打ちと言葉を発した。
そんな勇者を前に、俺は自分の気持ちを心の中で再確認して見つめ直す。
さっきまでの俺は、最後の最後で甘さがあった。
「なぁ勇者。勇者パーティで5年も苦楽を共にしたお前とは、いつか分かり合えるだろうって、俺はずっと心のどこかで思っていたんだ。だけど、そんな甘い考えはもう金輪際捨てる」
「ああ、そうかい。僕のほうこそ君と仲間ごっこをしなくていいと思うとせいせいするよ」
ああ、俺とお前は本当に分かり合えないんだな――。
「お前は俺の大切な魔王さまを手にかけようとした! 俺はもう、お前を許すことはできない」
「だから何だって言うんだ? 許せないと思ったら、勇者の僕に勝てるようになるってのかい? 気持ちだけで戦争に勝てるなら、誰も苦労はしないんだよ!」
「そうだ。だから、今から俺の本気を見せてやる」
「御託はもう十分だ、かかってこいよハルト」
俺は既に黒曜石のごとき漆黒の刃を取り戻した黒曜の精霊剣・プリズマノワールを構えなおすと、
「其は黒き刃にて永劫の眠りにつく、いと尊き始まりの一柱、原初の破壊精霊【シ・ヴァ】よ――」
禁断の【精霊詠唱】を開始した――!
俺の【精霊詠唱】を受けて、黒曜の精霊剣・プリズマノワールがドクンと大きく一度脈を打った。
その直後、漆黒の刃がさらに深みを増したかと思うと、闇を凝縮したような禍々しいオーラが立ち昇り始める。
「な、なんだ――っ!?」
勇者も尋常ならざる気配を感じ取ったのだろう、即座に聖剣を正眼に構えなおした。
しかしその間にも俺の詠唱は続いてゆく。
「悠久の眠りを妨げし我が愚かなる行いに、どうか御心の片隅を傾けたまえ――。始まりの精霊――。全にして一、一にして全――。今ここに顕現せよ――! 原初の精霊王、全てを無に帰す破壊精霊【シ・ヴァ】よ――!」
――…………――
力ある言葉が其の名を告げたと同時に、黒曜の精霊剣・プリズマノワールから立ち昇っていた漆黒のオーラが、今度は俺の身体を覆い始める!
「な、なんだその力は!? なんなんだよ、ほんとなんなんだよ!」
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールに封印されていた原初の破壊精霊【シ・ヴァ】を顕現させた。全てを灰燼に帰す最強の破壊精霊をな。お前はもう終わりだ、勇者」
「原初の破壊精霊【シ・ヴァ】だと? 【セフィロト】だけでなく、まだ奥の手を隠していたのか! だが調子に乗るなよ。君がそう来るというのなら、僕も見せてやろうじゃないか、勇者の究極奥義を! 天使顕現セラフィム・コール・フルバースト!」
勇者の言葉と共に、聖剣から白銀のオーラが湯気のように立ち昇り始める。
それは顕現した原初の破壊精霊【シ・ヴァ】の力にも匹敵する、人知を超えたまさに最強の力だった。
「さぁハルト。いい加減に白黒はっきりつけようじゃないか」
「俺が黒で、お前が白か。なかなか上手いこと言うな」
「その余裕がどこまで続くかな! ハァァァァッ!」
裂帛の気合とともに、天使の力を全力開放した【勇者】が神速の踏み込みでもって斬り込んでくる!
それを俺は、
「おおおぉぉっっ!」
原初の破壊精霊【シ・ヴァ】の力でもって真正面から受けて立った!
ギン!
ギャギン!
ギン!
ガン、ギャギギン!
白と黒が。
天使と精霊が。
聖剣と黒曜の精霊剣・プリズマノワールが。
世界最強を誇る双の極たる力が、互いに互いをねじ伏せんとぶつかり合い、嵐のように荒れ狂う!
「オラァ――ッ!」
「おおぉ――ッ!」
戦いはどちらが上というのは全くない、完全に互角だった。
互いに一歩も引かず、腹の底からの全力全開をぶつけ合い、放ち合う。
「ハァァァァァッッ!!」
「おおおおおおおおおおッ!!」
ギン!
ガン、ギャギン!
ギン! ギャギギン!
ガンギン!
ギャギャン!
黒曜の精霊剣・プリズマノワールと聖剣を打ち合うごとに、俺たちの攻撃はさらに激しさと苛烈さを増してゆく。
しかし、お互い人の身に余る力を使い続けており、その消耗は想像を絶するほどに激しいものだった。
「くっ、このおおおおおっ!」
勇者が負荷による苦痛を気迫で噛み殺しながら、聖剣を振るう!
「負けるものかよ!」
俺も負けじと必死に歯を食いしばって、黒曜の精霊剣・プリズマノワールで斬り返す!
戦闘力は完全に互角。
ならばあとは、どちらの想いが強いかが勝敗を決める!
「僕は最強最高の勇者になって、望む全てを手に入れる! 手に入れてみせる! 僕にはその権利がある!」
天使の力が膨大に膨れ上がるとともに、勇者が渾身の上段斬りを叩き込んでくる!
それを俺は、
「どこまでも一人よがりのお前の妄想に、愛され魔王さまとのスローライフを願う俺の想いが、負けるわけけないだろうが!」
ここが勝負どころとばかりに同じく渾身の上段斬りを叩き込んだ!
ガギィィィンッ!
どこまでも無限に続くと思われた我慢比べは、しかしあっけないほど一瞬で決した。
耳をつんざく金属音と共に、聖剣が勇者の手を離れて宙を舞う。
「ばか、な……、僕は最強の勇者なのに――」
俺の前に、呆気にとられたように目を見開いた勇者の顔があった。
俺はほんのわずかに浮かんだ同情を捨て去ると、
「この勝負、俺の勝ちだ」
一刀のもとに勇者を斬り伏せた。
「勝ったのじゃ! ハルトが勝ったのじゃ!」
「まさか聖剣を持った勇者に勝ってしまうだなんて……ハルト様はなんと凄いのでしょうか」
戦いの様子を固唾を飲んで見守っていた幼女魔王さまとミスティが、俺の勝利を見届けると一目散に駆け寄ってきた。
その顔には驚きと喜びが、これでもかと溢れ出していたんだけれど――、
「来るな――っ!」
俺は荒々しい怒鳴り声で、2人が近づくのを制止した。
「ハルト?」
「ハルト様?」
俺のとった予想外の行動に、2人は面食らったように、驚いた様子でお互いに顔を見合わせる。
でもダメだなんだ。
「俺に近づいちゃいけない!」
「あの、ハルト様?」
「ハルトよ、急に何を言っておるのじゃ――はっ!」
さすが精霊使いの素養があるだけあって、幼女魔王さまは気付いてくれたか。
「これはいかんのじゃ! ハルトの中で精霊が暴走しかけておるのじゃ!」
焦った声をあげる魔王さまに、
「暴走……ですか?」
ミスティがよく分からないといった顔で問いかける。
「今のハルトは、破壊精霊【シ・ヴァ】の制御がまったくきいておらぬのじゃ!」
「制御がきいていない!? そんな――!」
魔王さまの言うとおりだった。
俺の中に顕現した破壊精霊【シ・ヴァ】が、「こんなものでは物足りない」とばかりに激しく暴れはじめたのだ!
原初の破壊精霊【シ・ヴァ】。
それは創世神話に語られる最強の精霊だ。
新世界の誕生前に、旧世界を存在ごと消滅させると言われる、全てを無に帰す禁断の始原精霊――それが【シ・ヴァ】だ。
俺が【シ・ヴァ】を顕現させたのは、北の魔王ヴィステムとの最終決戦で勇者たちパーティメンバーを決戦に送り込むために、その腹心である四天王の1人を俺一人で足止めした時以来、2度目のことだったんだけど――。
「ぐぅっ、だめだ……前と違ってまったく言うことをきいてくれない……! くっ、ぐぅ……! がはっ――」
前回よりも今回の方が、【シ・ヴァ】の存在感がはるかに大きい……っ!
「1回目をベースに、より密度を増して顕現しているのか……!」
もはや俺には、【シ・ヴァ】が暴れ出そうとするのを、ただひたすら堪えるより他にできることはなかった。
「あの、魔王さま。初歩的な質問で恐縮なのですが、精霊が暴走するとどうなるのでしょうか?」
「妾も初めてのことで、実のところはよくは分からんのじゃが。どうもハルトの心がどんどんと【シ・ヴァ】によって塗り替えられていっておるように、喰われているように――そんな風に妾には見えるのじゃ」
「ハルト様の心が【シ・ヴァ】に食われている……!?」
「【シ・ヴァ】は世界そのものを『無』へと変える禁断の破壊精霊と言われておる。人の心を消し去ることくらいは容易いであろうの」
「そんな……」
「もしこのまま制御がきかぬ状態で、最強の破壊精霊たる【シ・ヴァ】が解放されるとなれば、南部魔国は――いやこの大陸そのものが滅び消え去るやもしれぬ」
「た、大陸が消え去る……」
幼女魔王さまの途方もない予測に、ミスティが絶句した。
「この世界で最強の武器と呼び声高い聖剣。その全力開放に打ち勝つほどの力を、ハルトが最後の最後まで使う素振りすら見せなかったのは、いったいなぜかと思っていたのじゃが――」
「出し惜しみしていたのではなく、制御できないから使うことができなかったのですね?」
「そういうことじゃろうの」
「確かにこれほどの力であれば、さもありなんです――」
幼女魔王さまとミスティはのんきにそんな会話をしていたんだけど、
「2人とも! そんな話は今はいいから! 一秒でも早くここを離れるんだ! でないと――くっ、だめだ! 出てくるな【シ・ヴァ】! もう一度、眠りについてくれ! 頼む、お願いだから眠ってくれ! あぐ、ぐぅ、グぁ、グギ――グァァァァ!!」
でないと――でなイト、俺が、俺でなくなってシマウ。
俺ガ、オレへと、変ワってシマウ――!
『オレ』は荒ぶる心に突き動かされるようにして、黒曜の精霊剣・プリズマノワールを一振りした。
すると刃から巨大な漆黒の波動が放たれ、射線上にあった山が一つ、上半分が轟音と共に消し飛ぶ。
文字通り跡形もなく消えてなくなった。
「たった一振りで山が半分、消失するなんて……」
「なんという凄まじい破壊力なのじゃ」
漆黒の一撃を唖然と見つめている2人は――ああだめだ、もう逃げられない。もう助からない――なぜなら『オレ』がこの世の全てを破壊するからだ。外などない――この野郎、引っ込めっつってんだろ!
くっ、でもダメだ。
もうあと少しで【シ・ヴァ】が完全覚醒してしまう。
世界そのもののような強大な精霊力を、人間という小さな器ではとうてい抑えきれない……!
俺が甘かった、甘すぎた。
前回どうにか抑え込めたから、だから今回もできるだろうってそんな風に考えちまった。
俺のせいで世界が滅ぶのか――いいや違う、『オレ』が世界を滅ぼすのだ。
もう……だめだ、心が飲み込まれル……とても堪えきれナイ――。
相手は最強の破壊精霊【シ・ヴァ】だって言うのニ――俺ハなんて腑抜けた考えヲしてしまったンダ――俺は、オレは――、
「――そうだ、オレが【シ・ヴァ】だ」
必死に握っていた「ハルト・カミカゼ」という意識の、最後の手綱を、俺はついに手放してしまった――手放しかけたその寸前だった。
「ハルト、少し落ち着くのじゃよ」
荒ぶる破壊衝動に心を完全に喰われる寸前だった俺――『オレ』の前に、いつの間にか幼女魔王さまが立っていた。
「ド、ケ――」
『オレ』の口からは、おどろおどろしい【シ・ヴァ】の声が発せられる。
当然だ、『オレ』は【シ・ヴァ】なのだから。
「どかぬのじゃよハルト」
「ソウカ、ナラ死ネ――」
無防備に立つ幼女魔王さまに、『オレ』=【シ・ヴァ】は黒曜の精霊剣・プリズマノワールを振り下ろす!
やめろ――っ!
ほんのわずか、猫の額ほどだけ残っていた理性を総動員して、
「グヌッ――、キサマ、マダ!」
『オレ』が黒曜の精霊剣・プリズマノワールを振り下ろそうとした右手を、俺は左手でどうにか押しとどめた。
「逃げロ、魔王、サマ……逃げてクレ。もうこれ以上ハ、こいつヲ抑エえきれ、ないんダ……頼ム、ニゲ、て、ク……レ――」
かすかに残っていた心と、最後の最後の気力を振り絞って、俺は幼女魔王さまに懇願する。
だって言うのに――、
「まったく何を見当違いを言っておるのじゃハルト。だいたい教えてくれたのはハルトじゃろうに?」
幼女魔王さまときたら、のんきな言葉を返してきやがるのだ。
無駄話をしている時間も余力も、俺にはもう残されていないって言うのに!
「早ク……逃ゲ……ロ……頼ム……」
しかし幼女魔王さまは逃げるどころか、あろうことか、
「やれやれじゃの」
呆れたように言うと、俺の身体にぎゅむっと抱き着いてきたのだ。
「ナ、ニを――」
そして幼女魔王さまは抱き着いたままで顔を上げると、俺の顔を見上げながら言った。
「のうハルト。精霊を使役する時に大切なことはただ一つ、肩の力を抜くことだ――と。そう言ったお主が、そんなに力んで精霊を無理やりに抑えつけようとするなど、それでいったいなんとするのじゃ?」
「ァ――ガ、グ――、逃ゲ、て――」
「ハルトにとって精霊は友達なのじゃろう? 友達とはそんな風に必死にお願いしたり、無理やり言い聞かせて抑えつけたりするものではなかろうて?」
俺の必死の抵抗も空しく、『オレ』の支配する右手がじりじりと振り下ろされてゆく。
しかし幼女魔王さまは逃げようとするどころか、にっこりと極上の笑顔をみせながら語りかけてきた。
「【シ・ヴァ】も同じじゃ。のう【シ・ヴァ】、妾はハルトの友人じゃ。つまり妾と【シ・ヴァ】も友人の友人じゃから、友人であろう?」
「グッ、ウガッ、グゥ――ッ!」
だめだ、モウ意識ガ――。
「済まぬがここは引いてくれぬか? 皆がハルトの帰りを待っておるのじゃ。なにより妾が心待ちにしておるからの」
「わ、私もです! 私もハルト様の帰りを心より待ちわびております!」
幼女魔王さまの言葉に、ミスティが即座に大きな声で同意をする。
「とまぁそう言うわけなのじゃ。では改めて友として頼もう。原初の破壊精霊【シ・ヴァ】よ。妾たちのもとに、ハルトを返しておくれ」
俺に抱き着いたまま、見上げながらにっこり笑ってお願いしてきた幼女魔王さまに、
「――――」
『オレ』は無言で、黒曜の精霊剣・プリズマノワールを振り下ろした――。
『オレ』は黒曜の精霊剣・プリズマノワールを無言で振り下ろした――幼女魔王さまのほんのわずか、0,1ミリ手前まで。
まさに命の危機という状況にもかかわらず、幼女魔王さまは相も変わらず笑みを浮かべたままだった。
まるで『オレ』が話を聞いてくれることを確信していたかのように、微動だにしない。
「死ガ怖クはナイのカ?」
『オレ』の問いかけに、
「もちろん死ぬのは怖いのじゃよ? じゃが友達は怖くないのじゃ。ほれ、実際にお主はこうして剣を振り下ろすのを、途中で止めてくれたであろう?」
幼女魔王さまはあっけらかんと答えた。
「角ノ無イ鬼フゼイガ、知ッタ風ニ言ウモノダ。貴様ガオレノ、何ヲ知ッテイル?」
「原初の破壊精霊【シ・ヴァ】の前では、妾に角があろうがなかろうが大した違いはないじゃろうて?」
してやったりといった表情の幼女魔王さま。
「――」
「じゃろう?」
黒曜の精霊剣・プリズマノワールを突き付けたままで、じっと見つめ合うこと十数秒。
「友達カ――フン、興ガソガレタ」
その言葉と共に、俺の中で【シ・ヴァ】の存在が、嘘のように急激に薄らぎ始めた。
まるで最初から存在していなかったかのように、時間を巻き戻しているかのように、人知を超えた圧倒的な【シ・ヴァ】の存在が、黒曜の精霊剣・プリズマノワールの刃へと戻っていく。
それとともに、
「ぁ――がッ、く、マオう――魔王、さま」
真っ暗な闇の中へと消え去りかけていた俺の意識が、再び明るい世界へと顔を出した。
「やれやれ、やっと意識を取り戻したみたいじゃの」
「信じられない……俺は帰ってこれたのか……?」
「うむ。お帰りなさいなのじゃよ、ハルト」
「ただいま……魔王さま……」
「むむ? どうしたのじゃ、そのような呆けた顔をして」
「だってまだ信じられないんだ、まさか原初の精霊【シ・ヴァ】と友達になるなんて。そんな突拍子もない発想は、俺には全くなかったから」
「ふふん、こんなことで驚くとは。ハルトもまだまだ、様々なことへの理解が足りんようじゃのう」
幼女魔王さまがどや顔で笑った。
「ははっ、どうやらそうみたいだな。精霊使いとしてもスローライフについても、俺にはまだまだちっとも理解が足りていなかった。ありがとうな、助かったよ魔王さま」
「なーに、礼には及ばぬ。そもそも先に命を救われたのは妾のほうじゃからの。助け合いの精神、Win-Winというやつじゃ」
「ほんとかなわないな」
「こう見えて妾は、この国の魔王じゃからの」
「心から納得したよ」
話が一段落したところに、
「ハルト様、ご無事で何よりです!」
ミスティが感極まった様子で飛び込んできた。
いまだ抱き合ったままの幼女魔王さまと俺を、2人まとめて抱え込むようにハグをしてくる。
「ミスティにも心配かけちゃってごめんな」
「とんでもありません! それに最後はこうして勝利をおさめてみせたのですから」
「俺の力だけじゃないさ。魔王さまに助けてもらったからこその勝利だよ」
「それでも私は今回の一件で、ハルト様は真の英雄であると心の底から確信しました!」
「あはは、サンキュー」
ミスティの目には涙がにじんでいた。
それは絶望による悲しみではなく、心の底からの安心と、これ以上ない喜びの涙だった。
「なんにせよ、とりあえずはこれで一段落じゃ。後は――」
「この戦争を止めないとな……くっ」
俺は2人から離れようとして、しかし貧血にでもなったみたいに、ふらついてしまう。
よろける俺の身体を、ミスティが慌てて身体を支えてくれた。
「悪い、ちょっとクラっときた……助かったよミスティ」
「いえいえ、支えるのには滅法慣れておりますので」
さすが幼女魔王さまをいつも支える、サポートのプロは言うことが違うな。
「ハルト、少し休んでおるのじゃよ」
「だめだ、こうしている間にも戦闘は続いている。俺にいい考えが――」
「大丈夫じゃよ、ここは妾に任せよ」
「魔王さまに?」
「うむ。じゃがその代わりに、ハルトの契約精霊を少し借りるからの」
「俺の契約精霊を借りる、だって?」
「そう、大丈夫なのじゃよ。気負う必要なんてないのじゃ。なにせ精霊は友達、妾とハルトも友達じゃ。だからこれは、友達の友達にちょいと力を借りるだけのこと――!」
「まさか――」
幼女魔王さまが大きく息を吸い込んだ。
「風の最上位精霊【シルフィード】よ。今だけでよい。妾の声をここにいる皆に届けて欲しいのじゃ。精霊術【遠話】!」
――はーい――
「な――っ!?」
幼女魔王さまの呼びかけに、俺と契約する風の最上位精霊【シルフィード】が嬉しそうに舞い踊りながら応えたのだ!
幼女魔王さまは【シルフィード】が反応したことを確認すると、キリリと凛々しい顔になって戦場に視線を向けながら、宣言した。
「戦場にいる全ての者に告ぐ! 妾は南部魔国の主、南の魔王である! 勇者は我が友・精霊騎士ハルト・カミカゼが討ち取った! よってこの戦は南部魔国の勝利である!」
戦場に幼女魔王さまの凛とした声が響き渡る。
「これ以上の戦闘は無意味である! リーラシア帝国軍はただちに降伏せよ! 繰り返す、リーラシア帝国軍はただちに降伏せよ! また我が軍には以下のことを厳命する! 降伏した兵に手を出すことは断じて許さぬ! どのような理由があろうとも、降伏した帝国兵に危害を加えた者は、一切の容赦なく厳罰をもって処断するゆえ心するがよい! 繰り返す、勇者は我が友・精霊騎士ハルト・カミカゼが――」
幼女魔王さまの声が戦場の隅々まで届けられるとともに、合戦の音が潮が引くように鳴りやんでいき、戦意を失ったリーラシア帝国軍の兵士たちは次々と武器を放りだし、降伏し始める。
「まったく。今日は魔王さまに驚かされてばかりだな」
自分の命と引き換えに戦争を終わらせようとしたこと。
原初の破壊精霊【シ・ヴァ】と友達になってみせたこと。
俺の精霊と心を通わせてみせたこと。
そして今。
幼女魔王さまの声が発せられるたびに、武器を打ち合う音や敵味方の怒号が、潮が引くように聞こえなくなってゆくのだ。
「魔王さまは全然へっぽこなんかじゃないだろ。こうやって誰もが魔王さまの言葉に耳を傾ける。これのどこがへっぽこだ? 魔王さまは最高の魔王さまだよ」
俺は戦闘の終結を強く確信すると同時に、糸が切れたように地面に座り込むと、まぶたを閉じた。
「強行軍で戦場まで来て、勇者と戦って、死にかけて、【シ・ヴァ】を召喚して、暴走させてしまって……さすがに疲れた」
もういいよな?
ちょっとだけ寝させてくれ……。