今日の俺は、魔王さまとミスティに連れられて、王宮の裏手の一画にある王宮菜園へとやってきていた。
「これはすごいな。ちょっとした家庭菜園って聞いていたのに、まさかここまで本格的だったとは」
「ふふん、妾を舐めてもらっては困るのじゃ。幼少のみぎりに夏休みの自由研究でアサガオ観察をして以来、少しずつ手を広げ。今ではトマトにキュウリ、ナスビにゴーヤと多種多様な野菜栽培を行う、今やこの王宮菜園の一角を任されるに至った凄腕の家庭菜園家であるからして」
幼女魔王さまが胸を張った。
だがしかしそれもうなずけるというもの。
俺の目の前には、赤や緑の実をつけた様々な野菜が、元気に大きく育っていたのだから。
「ほれ、このプチトマトなぞはちょうど今が獲れ頃、食べてみるがよいのじゃ」
幼女魔王さまが真っ赤に色づいたプチトマトを、もぎゅっともいで俺に手渡してくる。
「もぐ……うん、美味しい。瑞々しいのに、しっかり甘い」
「そうであろう、そうであろう。水やりのさじ加減なぞ、だいぶんコツが分かってきたからのぅ」
「頑張っているんだな。大地の精霊もすごく喜んでいるぞ。土づくりから愛情を込めて育てている証拠だ」
「さすがですハルト様。そこまで分かるんですね」
「そっか。ミスティは顕現していない精霊の声は聞こえないのか」
「はい。魔王さまとハルト様は超がつくレアジョブですので」
そうつぶやいたミスティは、どことなく寂しそうだ。
ミスティをのけ者にするつもりはこれっポッチもないんだけど、精霊絡みだとどうしてもそうなってしまうんだよな。
「えっとすまんのじゃが」
と、魔王さまがおずおずと手を上げた。
「どうした魔王さま?」
「実を言うと妾もそこまではっきりとは聞き取れんというか……ごめん、全く聞き取れておらん可能性が無きにしも非ずであって。え? ほんとにそんなのおるのじゃ?」
幼女魔王さまは耳に手を当てて、一生懸命に精霊の声を聞き取ろうとしているけど、どうもうまく聞き取れないらしい。
「声が多すぎて、混ざって雑音に聞こえちゃっているのかもな」
精霊の声が聞けないミスティだけじゃなく、頑張った幼女魔王さまもこれだけ土の精霊に愛されていることを知ることができないなんて、残念すぎる。
ってわけで!
「よし分かった。なら俺が、喜ぶ精霊たちの姿を2人に見せてあげようじゃないか」
「「え?」」
「精霊は顕現させればミスティみたいな一般人でも見ることができる。まぁ見てろ――!」
俺は一度大きく深呼吸をすると足元の大地に意識をやり、土の最高位精霊【ノーム】たちへと呼びかけた!
「この菜園に集いし土の精霊たちよ! 我が友の前に姿を現したまえ!」
「おお、ハルトが【精霊詠唱】するとはめずらしいのぅ――って、うおおおおぇぇっっ!?」
幼女魔王さまが素っ頓狂な声を上げた。
――合点承知!――×1000
「こ、これは――っ!」
わずかに遅れてミスティも目を丸く大きくする。
だがそれも仕方のないことだろう。
目の前には、ところ狭しと現れた1000体もの【ノーム】の姿があったからだ。
「どうだ、この辺りにいる【ノーム】に全部出てきてもらったんだ。でも俺が思ってた以上にたくさんいたみたいだな。やれやれ、俺もまだまだだな」
「俺もまだまだだな、じゃないのじゃ! こんな数の最上位精霊をあんな短いフレーズだけで一瞬で呼び出しておいて、やれやれも、まだまだも、たまたまもあるかーいっ!」
「おいおい、なに言ってんだ。魔王さまが土づくりに力を入れたからこそ、ここにたくさんの【ノーム】がいたわけで、言ってみればこれは魔王さまの功績だろ?」
「こ、これが妾の功績じゃと?」
「俺もまさかここまでたくさんいるとは思ってなかったからさ。これは一朝一夕で集まるものじゃない。魔王さまの長年の努力の結果だよ。さすがだな魔王さま」
「そ、そうか……うむ……妾の功績か……ならばよし――って、んなわけあるかーい!」
再び幼女魔王さまがクワッと大きく目を見開いた。
「1000体もの最上位精霊を一斉召喚じゃぞ!? どれほどの才があればそんなバカげたことができるんじゃい! あほー! ばかー! ハルトのおたんこなすー!!」
ハァハァと息を切らせるほどの幼女魔王さまの魂のシャウトが、王宮家庭菜園に響き渡った。
悲しみに暮れる幼女魔王さまを【ノーム】が一体、肩に乗ってよしよしと慰める。
「ほらな、【ノーム】が魔王さまのことを認めている証だ」
「なんと! では早速、妾と精霊契約を――ってああ、なぜ逃げるのじゃ」
しかし精霊契約をしようとした途端に、肩に乗っていた【ノーム】がスゥッと虚空に消えていった。
それに続くように他の【ノーム】たちも、一斉にその姿が見えなくなっていく。
「な、なぜなのじゃ……」
がっくりとうなだれる幼女魔王さま。
「あのさ、魔王さま。がっつき過ぎはよくないと思うんだ。もっと肩の力を抜かないと」
俺の言葉はしかし、
「上位精霊と契約する千載一遇の……下手したら最初で最後のチャンスが、泡と消えてしまったのじゃ……無念……」
未練たらたらで【ノーム】たちのいた場所を見つめ続ける幼女魔王さまには、残念ながら届いていないようだった。
「ハルト、今は時間は空いておるかの?」
俺の部屋――正確には俺が使っていいと言われている部屋だが――に、幼女魔王さまが一人でやってきた。
「あれ、珍しいな。ミスティが付いてきていないなんて。俺の所に来るときはいつも2人で一緒だったのに」
「う、うむ。実はハルトに、折り入って頼みがあるのじゃ」
もしかしてミスティには内緒にしたい話だろうか。
「いいぞ、俺にできることなら何でも言ってくれ」
特に断る理由もなかったし、いろんなことを教えてくれて、たくさんの場所に案内してくれた幼女魔王さまには、どんな形でもいいからお礼をしたいって思っていたしな。
渡りに船だ。
「頼みというのは他でもないのじゃ。妾に精霊の上手な扱い方を教えて欲しいのじゃが、ダメであろうか?」
「あー、そういうことか。でもうーん、そうだな。ちょっと難しいかも」
「そ、そうじゃよの。それほどの高度な精霊術じゃ。そうそうは他人には教えられんものじゃよの」
俺の答えを聞いて、幼女魔王さまがあからさまにショボーンとする。
「いや、そういう意味じゃないんだ。俺じゃあ教えられないかなって思っただけで」
「ハルトでは教えられない? それはどういう意味なのじゃ?」
「うーんとさ。魔王さまと精霊について話したりして最近気づいたんだけどさ。俺ってどうも特殊っぽいんだよ」
「今さらかーい! 今さら気付いたんかーい! ま、それもハルトらしいと言えばらしいのじゃよ」
「実はその理由には心当たりがあってさ。それが教えるのが難しいって話の核心なんだけど」
「と言うと?」
俺の言葉に、幼女魔王さまが目を輝かせながら身を乗り出してきた。
理由を知ることができれば、もしかしたら自分も似たような感じでできるようになるかも、みたいなことを思ったんだろうな、きっと。
「別に隠していた訳じゃないんだけど、俺って子供の頃に桃源郷に迷い込んだことがあるんだよ」
「桃源郷……とな? おとぎ話で精霊の住処と言われる、あの桃源郷かえ?」
「その桃源郷だ。幼い頃に偶然迷い込んだ俺は、そこで精霊たちと友達になったんだ」
「な、なんじゃとぉ!?」
幼女魔王さまが激しく動揺した声を上げた。
「だから俺にとって精霊は、友達感覚でなんでも話したりお願いしたりできる相手なんだよ。向こうも俺のことを、手のかかる子分か弟分だとでも思っているっぽいし」
「あqwせdrftgyふじこlp!!??」
幼女魔王さまが、草原を歩いていたら伝説のドラゴンに出くわした! みたいな声にならない声を上げた。
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールも、桃源郷を出てふと気が付いたら手の中にあってさ。だからきっと俺は魔王さまの役には立てないと思うんだ。一応確認なんだけど、魔王さまは桃源郷に入ったことはないよな?」
「そんなもんあるわけないのじゃ! おとぎ話の世界にどうやって入れというのじゃい!」
「だろ? そういうわけだから、俺のやり方は多分参考にならないと思うんだ。桃源郷に入って精霊と友達になればいいってアドバイスしても、なぁ? 俺もあれ以来入れた試しがないし」
「確かにそれは再現性がゼロっぽいのじゃよ……」
幼女魔王さまがシュンと肩を落とした。
「ああでも、1つだけアドバイスっていうか、気になったことはあるぞ」
「な、なんなのじゃ!? 何でもよいのじゃ。気になったことをぜひとも妾に教えて欲しいのじゃ!」
身を乗り出しながら両手をぐっと握って、鼻息も荒く尋ねてくる幼女魔王さま。
「それそれ」
「? どれなのじゃ?」
「魔王さまはさ、精霊のことになるとすごく力が入るだろ? もうちょっと肩の力を抜いた方がいいと思う」
「じゃが肩の力を抜いてしまっては、精霊と交感するための集中力が乱れるのではないか?」
「なんていうのかな。それは自分から心の壁を作っちゃってるって言うか。精霊はもっと自然に付き合うものなんだ。そうだな、実際やってみせるか。おいで――」
俺はそう言うと、幼女魔王さまの契約精霊である【火トカゲ】を呼び出した。
「ちょっとぉ!? 妾の契約精霊を、ハルトが勝手に呼び出したちゃったんじゃが!?」
「これくらいは普通だろ?」
「じゃから普通じゃないと言っておるじゃろうに!?」
「まぁそれは今は良いじゃないか。ほら、飼い猫を撫でるみたいに気楽な感じで頭を撫でてみて……いや俺のじゃなくて【火トカゲ】の頭をな?」
「こほん、今のは素で間違えたのじゃ」
身長差を埋めるべく背伸びして俺の頭に手を伸ばそうとしていた幼女魔王さまが、顔を真っ赤にして小さく咳払いをした。
だけどそのおかげで、いい感じに肩の力が抜けた気がする。
幼女魔王さまは今度こそ【火トカゲ】の頭をそっと優しく撫でた。
すると【火トカゲ】が嬉しそうに目を細める。
「おおおっ!? このような反応は、今までされたことがなかったのじゃ! なんと可愛いのじゃろうか……むふふふ」
精霊と触れ合って、幼女魔王さまの顔にひまわりのような大輪の笑顔が咲く。
「精霊はきっと偉大な存在なんだと思う。でもだからって、変にかしこまる必要もないと思うんだ」
「ふむふむ」
「魔王さまが平民とも分け隔てなく仲良く会話しているみたいにさ。こんな感じで力を抜いていけば、精霊はきっと応えてくれるはずだから」
「そうじゃったのか。今までの妾は、精霊が相手だからといって自分から壁を作ってしまっておったのじゃな」
「そういうことだ」
「そうか、そうであったのか。精霊との付き合い方が分かった気が、しなくもないのじゃ。感謝するのじゃよハルト。妾は今、小さな――しかし果てしなく価値のある一歩を踏み出した気がするのじゃ」
「それは良かった。魔王さまにはいつも世話になってるからな。今回お役に立てて光栄だ」
「それにしても、むふっ。この子は本当に可愛いのじゃ。おっと、そういえば名前がまだないの……よし決めた。お主はちび太と名付けるのじゃ。小さいからちび太なのじゃ! おいでちび太! ――って、ああ! 消えるでない! 消えるでないのじゃ! ちょ、ちょっと待って――! ううっ、ちび太が消えてしまったのじゃ」
「まぁ焦らず少しずつな。急いては事を仕損じるだ。気長に行こうぜ」
というわけで。
幼女魔王さまは契約精霊の【火トカゲ】に「ちび太」と名付け、少しだけ仲良くなったのだった。
ある日のこと。
俺が自室に入ろうとドアを開けたところ、なぜかミスティがメイド服の上をはだけて素肌と下着をさらしていた。
可憐なミスティによく似合う、可愛らしいピンクのブラジャーだった。
「えっと……ミスティ?」
「は、ハルト様!?」
見る見るうちに顔を真っ赤にしたミスティは、しかしそのまま固まってしまい――、
「おおっと、ごめん! 覗くつもりはなかったんだ!」
俺はただちに謝罪をすると、急いでドアを閉めた。
ドアを閉めてすぐに部屋を確認する。
「……? でもここは俺の部屋で間違いないよな? なら、どうしてミスティが俺の部屋で服を脱いでいたんだ?」
なんとも不思議な事態を前に、俺がしきりに首をかしげていると、
「ふむ。これはいわゆる『お約束』というやつじゃの」
いつの間にかやってきていた幼女魔王さまが、なにやら納得顔で満足そうにつぶやいた。
「お約束ってなんだ?」
「お約束とは、物語に『まるで約束でもしているかのように必ず登場する』よくある展開のことじゃ」
「よくある展開?」
「ヒロインが着替えていたところ、主人公が偶然にドアを開けてそれを見てしまう――というようなイベントは、流行りのラノベでもテンプレ中のテンプレじゃからの」
俺の疑問に対して、幼女魔王さまがなにやら変てこなことを言いだした。
「なぁ魔王さま、一つだけいいかな?」
「なんなのじゃ?」
「お話と現実を一緒くたにしちゃいけないぞ?」
俺は心からの親切心でそう指摘してあげたんだけど、
「それをハルトが言うのかえ!? おとぎ話の桃源郷に入ったハルトがそれを言うのかえ!? 妾はそこんとこ、どうしても納得がいかんのじゃが!?」
幼女魔王さまはプリプリと怒ってしまった。
「むっ、そう言われると確かにそうかも?」
おとぎ話を現実に体験しちゃった俺がそれを言うのはどうかなと、自分でも思わなくもない俺だった。
そんな噛み合ってるのか噛み合っていないのか微妙に分からない会話をしていると、ミスティがそそくさと落ち着かない様子で俺の部屋から顔を出した。
さっきのことを引きずっているのだろう、頬はまだ少し赤いままだ。
もちろんメイド服はちゃんと着なおしている。
ミスティは開口一番、
「先ほどは大変申し訳ありませんでした。ハルト様のお部屋を清掃中に、急にブラのホックが外れてしまったんです。お見苦しいものをお見せてしまい、言葉もございません」
そう言ってミスティは、俺に向かって深々と頭を下げた。
「いいや、俺の方こそ掃除の時間なのは知っていたのに、勝手に入って悪かった。静かだったから、てっきりもう掃除は終わったものだとばかり勘違いしちゃってさ」
「いいえ、そもそも自室に入ろうとしただけのハルト様は、なにも悪くありませんので」
「でもいろいろ見ちゃったのは事実だからさ」
「いえいえ勝手に見せてしまった私の方が悪いんです」
「でも俺も――」
…………
……
「最後のこそばゆい譲り合いのやり取りまで、実にお約束じゃのう。これは創作意欲が湯水のごとく湧いてくるのじゃ。うむ、良きかな良きかな」
この一連のお約束がよほどツボったのか。
さっきからずっと、やたらと満足顔な幼女魔王さまだった。
俺と幼女魔王さまとミスティは、ゲーゲンパレス郊外の山へキャンプにやってきていた。
カレーライスを作り、テントを立てて一泊するというシンプルかつベーシックな野外活動だ。
まずは俺が焚き火用の枯れ枝を拾い集めている間に、幼女魔王さまとミスティがテントを立ててカレーの準備をするという段取りになっている。
散策がてら両手で抱えるほどの枯れ枝を集めた俺が2人のところに戻ると、そこには既にテントがバッチリ組み立てられていて、カレーとご飯も後は火にかけるだけまで用意されていた。
「割と早く戻ってきたつもりだったんだけど、そっちの準備が終わる方が早かったか。悪いな、ここから先は火がないとやりようがないってのに待たせちゃって」
「ふふん。ミスティはできるメイドじゃからの。野外活動もこの通り、お手の物なのじゃ」
「そういう魔王さまは何をしたんだ?」
「魔王さまも野菜の皮むきをやりましたよね」
「こう見えてジャガイモの皮をむくのは、大の得意であるからして」
「つまりテントを立てるのもカレーの下ごしらえも、ほとんどミスティが一人でやったってことか」
「……そうとも言うのじゃ」
「魔王さまは根っからの頭脳派ですからね」
「そういう問題なのかな……?」
「まぁまぁ。それはよいではないか。しかしハルトもなかなかやるのう。この短時間で、こんなにも大量の枯れ枝を拾い集めてくるとは、驚いたのじゃよ」
「しかもどれもしっかりと乾燥した燃えやすい枝ばかりです。さすがですねハルト様♪」
幼女魔王さまとミスティに手放しでほめられて嬉しかった俺は、
「森は精霊がたくさんいるからな。ちょいと手伝ってもらったんだよ。特に【ドライアド】はフレンドリーな精霊だし、お願いしたらたくさん枯れ枝を拾ってきてくれたよ」
ちょっと自慢げにそう言ったんだけど──。
「も、森の女王とまで言われる最高位精霊【ドライアド】を、枯れ枝拾いごときに使ったじゃと!?」
「魔王様、深呼吸です深呼吸!」
今日も今日とて幼女魔王さまは意識を失いかけ、ミスティがすぐに支えに走った。
そんなこんな、いつもの俺たちのやり取りを終えてから。
俺が拾ってきた枝を使って、ミスティがマッチの火から巧みに大きな火を作ってみせる。
「燃えやすい小枝で種火を作ってから、大きな枝に火を移す。上手いもんだな」
「どうじゃ、さすがであろう。ミスティは本当になんでもできるのじゃ」
なぜか幼女魔王さまがふんすと胸を張って言った。
「ああ、見事すぎて【イフリート】を使う間もなかったよ」
「やはり使う気じゃったか……そんな気はしておったのじゃよ……」
「もし火がつかなかったら最終手段でって思っていただけだよ」
「どうじゃかのぅ」
幼女魔王さまが半分諦め、半分疑念の目を向けてくる。
「ですがハルト様は旅が長かったんですよね? 火を起こしたことはなかったんですか? 旅をするうえで、結構な必須テクニックだと思うんですけど」
「俺はその気になれば【イフリート】でいくらでも火を使えるからな。火を起こす技術を習得する必要はなかったんだ」
「ほんとお主ときたら、事あるごとに【イフリート】を生活の道具に使いおってからに……最強の炎の魔神を何だと思っておるのじゃ?」
「もちろん頼れる相棒だ。【イフリート】は土砂降りの雨が降っていようが、氷点下の極寒の地だろうが、どんな環境でも火を使えるマジですごいやつなんだぞ?」
「あまりに自信満々に言われすぎて、なんかもう妾は最近、ハルトのほうが正しい気すらしてくるのじゃよ」
◇
それから、カレーを食べて一通り後片付けをした後。
俺たち3人は開けた場所に出て、肩を並べて地面に座り、後ろ手に手をつきながら、夜空に浮かんだ満天の星空を見上げていた。
俺を挟んで両サイドに幼女魔王さまとミスティという並びだ。
「お、流れ星だ」
「なんと! どこじゃどこじゃ!」
「右上に見える六連星の辺りだな」
「むぅ、さすがにもう見えんか」
「さすがにな。だけど流れ星はある程度まとまって見えるから、あの辺りを見ていればまた見えると思うぞ」
「うむ……あ、さっそく流れたのたじゃ! 南部魔国の平和が続きますように!」
幼女魔王さまが早口で願いごとをする。
「流れ星に願いごとか。子供の頃によくやったなぁ」
「満天の星空の下、流れ簿にし願いごとをする。とっても浪漫がありますよね」
ミスティが楽しそうに笑う。
「やはりキャンプは良いのう。空は広く、周りは暗く、静寂に包まれておる。人の手が入り管理された自然とは、また違う趣きがあるのじゃ」
「それ分かるなぁ」
「ですが女の子的には汗をかいたまま、軽く拭いただけで寝るのはちょっと気になってしまいますけどね」
「こればっかりは仕方ないじゃろうて。それもまた一興じゃ」
「やれやれ、今度こそ俺の出番だな」
「ハルト?」「ハルト様?」
幼女魔王さまとミスティが、満点の星空から俺へと、揃って視線を移した。
「まぁ見てなって。【カオウ】、精霊術【バブ・エ・モリカ】発動だ!」
――りょーかい――
浄化の最高位精霊【カオウ】に呼びかけた俺は、とある精霊術を起動した。
すぐに清き浄化の光が俺たち3人を優しく包み込んだかと思うと、
「こ、これはなんと……!」
「身体から汗が綺麗さっぱり消えて、ほのかに石けんの香りがしてきました――!」
幼女魔王さまとミスティが目を見張った。
「綺麗に身体を洗ったのと同じ効果をもたらす補助系の精霊術だ。服も一緒に綺麗になる。勇者パーティで旅をしていた時は、めちゃくちゃ重宝されたんだぜ?」
特に女性陣からは大人気だった精霊術の一つだ。
「すごいですね。これがあれば旅が格段に快適になります!」
汗と汚れを綺麗さっぱり落とせたミスティは、とても嬉しそうだ。
ミスティは普段から綺麗好きで、近づくとうっすらと香水のいい匂いがしていたもんな。
かなり気になっていたんだろうな。
「ド派手な戦闘から生活応援まで、ハルトの精霊術はほんになんでもありじゃのう……」
幼女魔王さまが顔に手を当てると、そのまま仰向けに倒れそうになる。
「ま、魔王さま、お気を確かに!」
ミスティが俺の背中越しに身体を回して、幼女魔王さまの身体を支えた。
「うーむ、今日はもう寝るのじゃ……妾はちょっと、現実に打ちのめされたゆえ……」
「そろそろいい時間だし、俺たちも寝るか」
「ですね」
俺たちはテントに戻ると、大自然の静寂に包まれながら、朝までぐっすり眠ったのだった。
今日は幼女魔王さまがミスティを連れて、幼年向けの児童養護施設を視察するというので、俺もそれに同行していた。
「子供は国の宝じゃからの。様々な事情で住む場所や親を失った子供の面倒を見る施設に、法律で限られた権限の内ではあるが、王家が支援しておるのじゃよ」
との事だった。
時々忘れそうになるけど、こう見えて幼女魔王さまは南部魔国の名目上の国家元首であり、全国民の象徴なのだ。
こういった視察は重要な公務の一つだった。
しかも視察といっても形だけパッと見て回るだけではない。
あれこれ見て回った幼女魔王さまは、ミスティと共に実際に子供たちの中に入っていくと、なんと市井の子供たちと触れ合い始めたのだ。
「ミスティせんせー、お菓子とられたー」
「ほら、仲良く分けないとだーめ。みんなに持ってきたお菓子なんだから、みんなで平等にわけわけしないとでしょ?」
「はーい!」
「ミスティせんせー、きょーもごほんよんでー」
「もうちょっとしたら始めましょうね。今日は新しい絵本も持ってきたんだよ?」
「あたらしいごほん!? やったー!」
ミスティは男女問わず小さな子供たちに囲まれて大人気だった。
次から次へと声をかけられては明るい笑顔を振りまいている。
「まおーさま、おえかきしよー!」
「よいぞ、妾の巧みの絵筆さばきをみせつけてやるのじゃ」
「まおーさま、これなにー? おばけ?」
「なにを言っておる? よく見るのじゃ、これは子供と触れ合うミスティじゃよ。ほれ、髪が金色でポニーテールじゃろう?」
「……まおーさま、へたくそー」
「へたくそー」
「なっ!?」
「ミスティせんせーがかわいそー」
「びじんなのに、おばけにされちゃったー」
「……おばけちゃうのじゃ」
「まおーさま、へたくそでかわいそーだから、わたしのお菓子をあげるね。はいっ、げんき出して!」
「う、うむ……ありがとうなのじゃ……」
幼女魔王さまも同じく大人気だった――こっちは主に友達感覚で。
子供たちと一緒にお絵かきしてお菓子を食べている姿を見ると、まだ小さいお姉さんが年の近い妹や弟の面倒を見ているみたいで、微笑ましいまであるな。
ちなみに俺は開始早々に戦力外通告を受けたため、2人の邪魔をしないように後ろで静かに見守っていた。
一体何をやらかしたかと言うと。
子供たちが喜ぶだろうと思って【イフリート】を顕現させて必殺の【相手は死ぬ】を天空に向けてド派手に放ったら、泣いちゃう子が続出したのだ。
「炎の魔神が使う最高位の精霊術だぞ? 絶対に喜ぶと思ったんだけどなぁ。おかしいなぁ」
◇
しばらくして、子供たちとの触れ合いを終えた幼女魔王さまとミスティが戻ってきて。
俺たちは今、職員の休憩室で、出されたお茶を飲んでいた。
「二人ともご苦労さん」
「なに、子供と遊ぶだけじゃからの。大したことはないのじゃ」
「いやいや、それがすごいんだよ。支援としてただお金を出すだけじゃなくて、実際に心と心、ハート・トゥ・ハートで子供たちと触れ合おうとする。なんて素晴らしいことなんだろう。俺は心の底から感動したよ」
「ハルトはいつも素直に感想を言いよるのう。妾も褒められて嬉しいのじゃよ」
「ハルト様もお疲れさまでした。でもちょっとだけ張り切りすぎちゃいましたね。ふふっ」
「あれは本当に悪かった。いきなり泣いてる子を量産してしまって……ミスティにも面倒をかけたな」
「いえいえそんな。ハルト様のお役に立てる貴重なチャンスをいただけましたので」
ミスティがふんわりと優しく微笑んだ。
「ほんと、やらかした俺と違ってミスティは面倒見がよくて、子供に好かれてたよなぁ」
「昔から子供は好きなんです。結婚したら子供は絶対に欲しいですね」
「ふむ、ならばハルト。ミスティを嫁になぞどうじゃ? 今ならまだフリーじゃぞ?」
「よ、嫁!? ハルト様の!?」
幼女魔王さまの言葉を聞いて、ミスティが背筋を伸ばしたかと思ったら、ぴょこんと小さく飛び上がった。
意外にもこう言うことは言われ慣れていないのか、顔を真っ赤にしながらあたふたしている。
どうやら困っているようだし、ここは助け舟を出してあげないとな。
「魔王さま、あんまりミスティをからかってやるなって。ミスティもお仕えする魔王さまから勧められたら、断りづらいだろ?」
「別にからかっているわけではないのじゃが」
「見合い結婚や家同士の結びつき、みたいなのを全部否定するつもりはないけどさ。それでも意にそわない結婚よりは、互いに好き合って結婚した方が幸せになれるって、俺はそう思うんだ」
「そうじゃの。妾もそう思うのじゃぞ?」
「俺としてはやっぱり、ミスティみたいな素敵な女の子には、好きな人と結婚して心から幸せになって欲しいかな」
「えっと、あの、はい、がんばります……」
こういった話──いわゆる恋バナは苦手なのだろう。
ミスティは顔を真っ赤にしたまま、最後は消え入るような声で小さくつぶやいた。
女の子を困らせるのは好きじゃない。
ミスティには恋愛とか結婚の話はあまりしないようにしよう。
そう心に誓った俺だった。
「時にハルト」
「なんだ?」
「お主はよく『にぶちん』と言われることはないかえ?」
「そうか? 自分的には割と気が利く方だと思っていたんだけど、そういう風に聞かれるってことは、実はそうでもないのかな?」
結構、注意深い方だと思っていたんだけどな。
激戦続きの勇者パーティで前衛――フロント・アタッカーを務めるには、注意してもしすぎるなんてことはなかったから。
「やれやれ、これはどうしようもないのじゃ」
「??」
と、そこで、
「ご歓談中失礼いたします。皆さま、そろそろ視察終了のお時間でございます」
視察に同行していた職員から声がかかる。
「うむ。では今日のところは帰るのじゃ」
最後は微妙に話がかみ合わないまま帰る時間となり、自然とこの会話は流れてしまった。
ともあれ、俺たちは有意義な視察を終えて児童養護施設を後にしたのだった。
この日は幼女魔王さまとミスティが、俺の部屋に遊びにきていた。
「ハルトは将棋はできるのかの?」
「チェスも将棋もそれなりに上手いと思うぞ」
「ほぅ、なかなかの自信じゃの。では妾と一勝負せぬか?」
「いいだろう、受けてたとう」
…………
……
「8八角成じゃ! くくく、もはやハルトの王は風前の灯じゃの」
「ふむ………………、4一銀」
「4一銀じゃと? なんじゃそのしょぼい単発王手は? ここで妾の飛車を取らずにしょぼい王手をかけるなど、子供でもやらぬ悪手――って、うええっ!? ちょ、えっ!? これあと十数手で妾の王が詰まれちゃうのじゃけど!?」
「ま、そういうことだ」
「くぅぅ! やりおるのハルト! これはまさに神の一手じゃ!」
「だから上手いって言っただろ」
俺と幼女魔王さまが、将棋で白熱のバトルを繰り広げていると、
「はぁ……」
ミスティが窓の外を見ながら、小さな声でため息をついた。
聞こえるか聞こえないかの本当に小さな声だったけど、おせっかいな風の上位精霊【シルフィード】が気を利かせて、本来なら聞こえないはずの言葉を、風に乗せて俺に届けてくれたのだ。
【シルフィード】がわざわざ俺の耳に入れたってことは、突っ込んで聞いてみた方がいいんだろうな。
「ミスティがため息なんて珍しいな。なにかあったのか? もしくは疲れてるとか?」
「はわっ! ご不快にさせてしまい申し訳ありません。いたって元気ですし、特になにかあるわけではありませんので、ご安心ください」
謝罪の言葉と共に深々と頭を下げるミスティ。
「ごめん、責めたわけじゃないんだ。ちょっと気になっただけでさ。疲れているなら休んだ方が」
「お心遣いありがとうございます。ですが本当にそういうわけではありませので」
そういってにっこり笑ったミスティは、確かに疲れているようには見えなかった。
「ならいいんだけどな」
特に何事もなく話が終わろうとしたところに――、
「ミスティはの。ここに来る前、見合いの話を断ったのじゃよ」
これ幸いと幼女魔王さまが話にのっかってきた。
それもちょっと嬉しそうに。
「ま、魔王さま! この件はハルト様には内緒にすると、何度も念を押したではありませんか!」
するとなぜかミスティが急にあたふたしだしたのだ。
「おおこれはすまぬ。妾としたことがてっきり忘れておったのじゃ。将棋で白熱し過ぎたからかのう」
「わざとですね魔王さま」
「いやーすまぬ。ちょちょーっと口が滑ってしまったのじゃ。まったくいけないお口なのじゃ」
「うぅ……っ、絶対嘘です」
これまた珍しく、ミスティが魔王さまへの抗議の意思を見せる。
魔王さまがわざと言った理由はさっぱり分からないんだけど、どうもミスティはこの話を俺に聞かれたくなかったようだ。
もしかしたら――。
「大丈夫、ちゃんと俺は分かってるよ」
「は、ハルト様!?」
「もしやハルト、ミスティの気持ちを分かっておるのか?」
ミスティが傾聴! って感じでピンと背筋を伸ばし、幼女魔王さまは温泉にタヌキが入っているのでも見たかのような、驚いた顔をする。
えっと、なんでそんな大げさなリアクションなんだ?
いや、いいんだけどさ。
「なんとなく想像はつくよ。つまりこういうことだろ? ミスティくらい美人になると、相手も相当のイケメンじゃないとトキメキを感じないんだよな?」
「えっと……はい?」
どうしてか、ミスティが小首をかしげ。
「ハルト、もしかしなくとも、ちーっとも分かってないのかえ?」
幼女魔王さまはジト目になった。
「だから分かってるって。エルフは美意識が特に高い種族だってことくらい俺も知ってるから。心がときめくのは自分より綺麗な相手だけ、とかちょっと大げさだけどそんな風に言われるくらいだもんな」
「いえ、あの、そういうことでは――」
「だから相手を選り好みしてるとか、そんな風には思ったりはしていないから。これはエルフって種族の生まれ持っての特性だからな。だから安心してくれミスティ」
「あ、はい……お心遣い……ありがとうございます……」
ありがとうと言いながら、なぜかミスティはがっくり意気消沈していた。
「ハルトはよく『にぶにぶにぶにぶにぶにぶにぶちん』と言われるじゃろ、言われまくりじゃろ」
「だからそんなことないってば。自分で言うのもなんだが俺は割と気が利く方だ」
「ほんと自分で言うのもなんじゃの」
どうしてだか、呆れたような顔をしながら、幼女魔王さまがやれやれと肩をすくめた。
「まぁミスティの話は、今はよいのじゃよ。時にハルトは恋人はおらぬのか?」
「俺か? いないよ」
「おや、意外じゃのぅ」
「意外っていうか。今21歳で、6年前に勇者パーティに入った時が15歳だろ? そこから5年間はずっと戦い漬けで、その後の1年は屋敷を買ったり使用人を集めたりで結構忙しかったから、そんなことを考える余裕もなかったんだよな」
「では許嫁はおるのかの?」
「それはもっとないな。だって許嫁って貴族が自分の子供にやるやつだろ? そもそも俺は半年前まで平民だったからな。ないない」
平民に許嫁なんてものは普通はいない。
必要ないからだ。
許嫁が必要なのは、家と家との繋がりを重視する王侯貴族や大商人くらいのものだろう。
「つまりハルトは完全フリーというわけじゃの?」
「一応、見合いの話くらいは来ていたけど」
「ハルト様がお見合いですか!? そ、それで、そのお話はどうされたのでしょうか!?」
なぜかここでミスティが激しく反応した。
背筋をピンと伸ばし、緊張の面持ちで俺を見つめてくる。
ああ、そうか。
察しのよい俺はすぐに理由に思い至った。
さっきまでミスティ自身の見合いの話をしていたから、他人の見合い事情がどんなものか気になるんだろう。
「話を持ってきてくれた人には申し訳なかったけど、全部断ったよ。なんかこうビビっとこなかったというか、一度も会ったことがない相手と結婚前提のお付きあいをする気には、なかなかなれなかったんだよなぁ」
「そうですよね! それすごく分かります! でも良かったぁ」
俺の話を聞いたミスティが、なぜかホッとしていた。
ふむ。
これまた察するに、自分だけが見合いを断ったんじゃない、身近な俺も実は「見合いお断り仲間」だったと知って、安心したんだろう。
――などといつにも増して、俺が察し良くミスティの内心を思いやっていると、
「のうハルトよ。もしかしてハルトは女性には興味ない感じなのじゃ?」
いきなり幼女魔王さまが変なことを聞いてきた。
「いや、そんなことはないぞ」
「なに、隠す必要はないのじゃよ。妾ときたら、男同士のラブもわりかしイケるほうじゃからの。変に隠す必要はないのじゃ」
「いやいや、普通に女の子が好きだよ。さっきも言ったように、単にそれどころじゃなかったってだけで」
「ふむ、先ほどからの話ぶりを聞いておると、もしやハルト、その年でまだ童貞なのかえ?」
「え? ハルト様はその……童貞でいらっしゃるのですか?」
幼女魔王さまの指摘に、ミスティが驚いた顔を見せる。
「まあうん……そうだな……童貞だな」
分かってるよ。
2人とも、成人した男が恋人もいないどころか、女も知らないなんてどうなのって言いたいんだろ?
「これも意外です。ハルト様ほどの殿方であれば、それこそ女性はより取り見取りだったのではありませんか? 北の魔王ヴィステム討伐において多大な貢献をし、終戦に一役買ったという実績も申し分ないですし」
「終戦後は以前にも増して暇がなかったんだよなぁ。やっと落ち着けるかなと思ったら、今度は濡れ衣で追放されちゃったしさ」
「じゃが、大きな声では言えんが、ちょっとした時間に一時の出会いの場を供する大人のお店が、帝国にもなくはないじゃう?」
「そりゃなくはないけどさ。でも初めては好き合ってる同士がいいかな。やっぱり一生に一度なわけだし」
「ハルトは意外とピュアなのじゃの」
幼女魔王さまがなにやらふんふん頷き、
「なんて美しい心を持った殿方なのでしょう! 感動しました! さすがですハルト様!」
ミスティはなぜかいたく感心していた。
「まぁいいだろ。それが俺の人生設計なんだ。そういう魔王さまこそ、浮いた話の一つもないのかよ?」
「妾は特にないのぅ」
「魔王さまが結婚すると、生まれる子供は当然、次の魔王なんだよな?」
「そうなるじゃろうの」
「世継ぎの話とかは出ないのか? 魔王さまに兄妹や姉妹はいなかったよな? 鬼族は子供が生まれにくい個体数が少ない種族なんだし、もろもろ含めて早い方がいいんじゃないのか?」
これは子供ができにくい鬼族を王にすることの、数少ない弊害だな。
強さだけを見れば、最も王に相応しい種族なんだけども。
(幼女魔王さまは例外だが)
「妾は一人っ子じゃが、何代か前に臣籍降下――王族を離れて臣下に下った遠縁の貴族がいくらかおるからの。そのあたりを引っ張り出せば、いくらでも聖魔王の血は繋がるので問題ないのじゃよ」
「そんなものか」
「立憲君主制の王なんぞ大した権限はないからの。平時はそんなものじゃよ。むしろ臣下に下って『王家の血を引く大貴族』の肩書であれこれやる方が、よほど権力を持てるというものじゃ」
「そっかぁ。やっぱりリッケン・クンシュセーの王様は大変だなぁ」
今日も今日とて、幼女魔王さまの担う重責の一端に触れて、心底感心させられた俺だった。
「ゲーゲンパレスに来て数か月になるけど、まだまだ学ぶことは多い。これからも魔王さまやミスティのもとで、いろんなことを学んでいこう!」
今日も今日とて街に行く約束をしていた俺のところに、幼女魔王さまとミスティがやってきた。
「いつもは時間通りなのに、今日は珍しく遅かったな。俺の方はもう準備はバッチリだぞ。さぁ行くか」
「そのことなのじゃがの」
「申し訳ありませんハルト様。今日のお出かけは中止になりました」
「急用でも入ったのか? まぁしょうがないよな、魔王さまは公務もあるんだし。また日を改めて貰えれば全然いいよ」
俺は笑顔で問題がないことを伝えたんだけど、しかし何やらいつもとは2人の様子が違っていた。
そして2人の後ろには大将軍ベルナルド――ベルが神妙な面持ちで控えていた。
「ハルト、急な話ですまぬのじゃが、しばらく会えなくなりそうなのじゃ」
幼女魔王さまがいつもの軽いノリとは打って変わって、重々しい口調で言った。
「……何があったんだ?」
当然、俺は何か緊急事態があったのだと察する。
「昨日、勇者率いるリーラシア帝国軍が、国境を越えて南部魔国に侵攻してきたのじゃ」
「……は? え?」
「既に国境付近の砦が4つ落とされ、なおもゲーゲンパレスに向かって南進中とのことじゃ。早急に、迎え撃つための準備をせねばならぬ」
「いやいや、ちょっと待ってくれよ。リーラシア帝国と南部魔国は長年友好関係にあったじゃないか。俺がリーラシア帝国にいた時も、南部魔国へ侵攻するなんて話は全くなかったぞ? 何かの間違いじゃないのか?」
にわかには信じられない話を聞かされた俺が、勢いあまってまくしたてると、
「それについてはアタイの方から説明するよ」
これまで後ろに控えていたベルが、何ごとか言おうとした幼女魔王さまを制するようにスッと前に出た。
その顔は、この前練兵場で会った時のような人懐っこい笑みはなく、真剣そのものだ。
「ベル、今の話は本当なのか? 俺にはまだ信じられないんだ」
「ハルトの疑問はもっともだよ。どうも今回の件はリーラシア帝国の意思というよりは、勇者が独断で動いているみたいでね」
「勇者が? それは確かな筋からの情報なのか?」
「確かも確か。帝国軍のとある上級将校からの極秘情報さ。突発的な事態に備えて、軍上層部同士は常日頃から公式・非公式を問わず、独自のコネクションで繋がっているんだ」
「軍部トップの大将軍のベルと同格の上級将校で、南部魔国に肩入れしている信頼できる情報筋となると……情報源はリーラシア帝国・南部管轄軍区・総司令官のマナセイロ・カナタニア中将あたりか」
「鋭いねぇ。ま、明言は避けておくよ」
「だけど短期間で、さらに勇者の独断ともなれば、そこまで大規模な兵力動員はできないはずだ。となると、兵力は多くても5千ってところか?」
「情報によると約4千、歩兵中心とのことだね」
「南部魔国には数万の兵力がある。それに4千の歩兵で挑む、か。兵力が大きく劣るのを補うために、突然の奇襲攻撃を仕掛けたわけだな?」
「短期決戦での決着を目論んでいるんだろうね」
「向こうの狙いは分かったよ。だがやる事もやり方もあまりにもめちゃくちゃだ。下手をしたらリーラシア帝国参謀本部に話が通ってない可能性があるぞ」
軍団を動かすのは簡単ではない。
兵站――食料や備品の確保といった、兵団が戦闘活動を円滑に行うための後方支援が必要となる。
入念な準備をして初めて戦争は行えるのだ。
しかし戦争準備をすれば当然、南部魔国もその動向に気付いたはず。
気付かなかったということは、リーラシア帝国はろくに準備もせずに攻め込んできた可能性が極めて高かった。
そして有能だが、時に慎重すぎて『甲羅干しする亀』とまで言われる腰の重いリーラシア帝国参謀本部が、そんなボロボロの作戦を立案するはずもない。
勝てる戦いは確実に勝って敵にダメージを与え、負ける戦いでは損害を極力減らして戦力を温存することで、次の勝利へと繋げる。
戦況を精査し、当たり前のように最善手を立案してくるエリートぞろい。
北の魔王ヴィステムの討伐において、様々なサポートを受けた勇者パーティの一員だった俺は、リーラシア帝国参謀本部の実力を実体験として理解していた。
そもそも戦争で疲弊し、いまだ復興途上にあるリーラシア帝国が、友好国である南部魔国を攻める理由が存在しない。
今の状況で、有能なリーラシア帝国参謀本部が、こんなお粗末な作戦立案をすることは、到底考えられなかった。
「ご明察だ。リーラシア帝国の本意ではないとの意見で、我々も一致している。そして目的はおそらく――」
「妾の首じゃろうの」
幼女魔王さまが小さく肩をすくめた。
「魔王さまを――南の魔王を討伐しようっていうのか! 何を考えてんだ勇者は! 南部魔国は数十年来の友好国だぞ! その国家元首を討とうだなんて、ありえない!」
「おおかた二人目の魔王を討伐した実績でも欲しいのじゃろうて。聞くところによると、今の勇者は非常に功名心の強い人間だと聞き及んでおるでの」
「だからって、こんな騙し討ちみたいなやり方はしちゃいけないだろ! 分かった、そういうことなら俺も迎撃戦に参加する。昔の仲間として、あいつにこれ以上の好き勝手をさせるわけにはいかない」
俺は戦う決意を強く固めたんだけど、
「悪いけどハルト、それは許可できない」
ベルは首を左右に振った。
「ベル、俺は精霊騎士だ。大きな戦力になるはずだ」
「そうだろうね。でもハルトは人間族だ。魔王軍の配下として同じ人間族と戦わせるわけにはいかないさ。それに軍上層部の中には、ハルトが勇者の放ったスパイだと疑うやつもいてね」
「黒曜の精霊剣・プリズマノワールに誓って俺はスパイじゃない、それは信じて欲しい」
「もちろんアタイは分かってるよ。そもそもハルトがその気になればスパイなんてまどろっこしいことしなくても即、魔王さまの命をとれたわけだからね」
「だったら――」
「今回の不測の事態には、南部魔国も一枚岩じゃいられないのさ。拘束せずに自由を保障することがアタイのしてやれる最大限の誠意だと、どうか分かってはくれないだろうか?」
「……悪い、ちょっと熱くなっていたみたいだ」
そうだよな。
ベル――ベルナルドは軍部の実質トップである大将軍だ。
たくさんの兵士の上に立つ公的立場の人間なんだ。
個人的な好き嫌いだけで、物事を判断できるわけがない。
「分かった。俺の立場はあくまで魔王さまに招かれた客人だ。要請には従うよ。それと俺のことで迷惑をかけたみたいですまなかった。便宜を図ってもらって感謝している」
「なに、ハルトは魔王さまの命を救ってくれた恩人なんだ。アタイも個人的にハルトのことを気に入ってる。これくらいの迷惑、たいしたことはないってことよ」
そう言うと、ベルはニカっと男前に笑う。
さらに、
「のぅハルトよ。勇者はお主の昔の仲間なのじゃろう? 仲間と戦うのは辛いものじゃ。妾はハルトにそんな辛い思いをしてほしくはないのじゃよ」
幼女魔王さまが、いたわる様な優しい目で心配するように言ってくる。
「魔王さま……うん、そういうことも全部、分かっているよ。みんな俺を心配してくれてるんだってことが」
ほんと、気遣いばっかり上手な、へっぽこ魔王さまなんだからさ。
「では話は以上じゃ。しばらく王宮は留守にするが、ハルトは今まで通りゆるりとここで過ごすがよい。王宮の者には変わらぬ対応を続けるように申し付けておるからの。好きに出歩いても構わんのじゃ」
「ありがとう。心遣い、恩に着るよ」
「ハルトよ。これまでハルトと過ごした日々はなかなかに楽しかったのじゃ」
「おいおい、縁起でもないな。まるで死地にでも赴くような言い方をするなよな」
「戦地では何が起こるか分からんゆえの。なにより相手は一騎当千と名高い勇者であるからして」
「そうだな……みんなの武運を祈っているよ」
翌日。
幼女魔王さまとミスティは、緊急招集された2万の軍勢を率いるベルと共に、ゲーゲンパレスの北部にある平原へと出陣していった。
北上する途中で近隣の兵力をさらに結集し、兵力を増大させつつ、兵力差がもろに出る野戦にて勇者を迎え撃つ作戦とのことだ。
そして俺はというと、それをただ黙って見送るしかできなかった。
「俺も行きたいが、客人である以上、俺にはどうしようもできないんだ……」
ギュッと握り込んだ手の爪が、手のひらに強く食い込んだ。
◇
魔王さまとミスティを見送った後。
俺は数日ほど、何をするでもなくだらだらと無為に日々を過ごしていた。
「外に行く気にはなれないな。今日もラノベでも読むか」
今日も今日とてどうにも外に出る気が起きなかった俺は、部屋にこもってラノベを読み始める。
「街に出ると幼女魔王さまやミスティの顔が浮かんできて『あ、ここでこんな話をしたな』とか思い出しちゃうんだよな」
そのたびに今、何もできないでいる自分を再認識してしまい、テンションが下がってしまうのだ。
そういうわけだったので俺は部屋にこもって、愛読書である『無敵転生』を読み直していたんだけれど――、
「だめだ、ちっとも気分が乗らない」
あれだけ大好きで何度も読み返した『無敵転生』の第一巻を、俺は読み始めてすぐだというのにもう投げ出してしまっていた。
「はぁ……」
俺は大きなため息をつくと、まだ午前中だというのに行儀悪くベッドにゴロンと横になる。
手足を投げ出してぼぅっと天井を見つめると、すぐに幼女魔王さまとミスティのことが思い浮かんできた。
「あれからどうなったのかな。野戦をするって言ってたよな。兵力差を押し付けられる野戦も悪くはないけど、もっと手堅くいくなら籠城戦だ。それを敢えてしなかったのは十中八九、魔王さまの意向なんだろうな」
短期決戦を望む敵には、そうするだけの理由がある。
それ対して徹底して時間を稼ぐ籠城戦は、極めて有効かつ相手が嫌がる戦法だ。
勇者はまず間違いなくリーラシア帝国の同意なく攻め込んできている。
根回しも十分ではないだろう。
となれば、すぐに食料が尽きるはず。
だったら幼女魔王さまをどこかに隠しながら各地で籠城戦を続け、勇者の軍が空腹で消耗するのをひたすら待つのが最良の策だ。
ゲーゲンパレスの北側には、堅牢な城塞都市がいくつもある。
確実に勝ちに行くなら、野戦よりも城塞都市を利用しての籠城戦を選ぶべきだった。
けれど幼女魔王さまは、そうはしなかった。
おそらくだが、勇者の軍が近隣の村や町で略奪を繰り返すと考えたのだろう。
それだけではなく、ここゲーゲンパレスへの侵攻の可能性もあった。
ゲーゲンパレスは文化的に優れた都市ではあるものの、防衛力はさほど高くはない。
さらに最低限の防衛戦力だけを残して主力が北部に出払っている今、籠城する主戦力を放置して、先にゲーゲンパレスが落とされる可能性はゼロとは言えなかった。
結局のところ、幼女魔王さまは国内への被害をなるべく出さないために、短期決戦に対して短期決戦で挑もうとしているのだ。
「人のいい魔王さまのことだ。最悪の場合、自分の命を差し出すことで和睦に持ち込もうとか考えているんだろうな」
くそっ、分かっているのに何もできないでいることが、無性にイライラする……!
「だめだ。部屋にこもっていても、同じことばっかり考えて堂々巡りになっちまう。そうだな。今日は気分転換にメイド喫茶に行って、メイドさんと楽しくお話でもするか」
無力感からくるもやもやをどうにも処理しきれないでいた俺は、ガバッと起き上がると、ゲーゲンパレスに来て最初に案内してもらって以来、何度も通っている「お・も・て・な・し」が素晴らしいメイド喫茶へと向かった。