先日訪れたばかりの家を、再び二人は訪問する。先に入って事情を説明していた虎太郎は、少しして玄関先に戻ってきた。「いいよ、入って」と招き入れてくれる。
 家の中は見かけ通りに古く、がっしりとした造りだった。廊下の所々は、踏むときしきしと音がする。洗面所の蛇口はしっかり閉めないと水が滴る。天井の隅は薄暗い。しかし太い柱に支えられた、静かな田舎の親戚の家というのがしっくりくる。
 縁側の向こうの庭で、散歩を終えたムギが、器に入った水をちゃぷちゃぷと音を立ててうまそうに飲んでいる。その音が実に平和に聞こえてくる。
 だが、文也は罪悪感を耐えねばならなかった。虎太郎がいる場で、桜が生きているという嘘は吐けない。初対面だったとはいえ、重三に嘘をついて誤魔化してしまった事実に苛まれる。
 そうとは知らず、虎太郎は冷えた麦茶を入れたグラスを持ってきてくれた。自分も座卓につき、いつもの明るさで颯介とも話をする。八畳ほどの座敷では、古そうな振り子時計がカチカチと時を刻んでいる。
「おまえら、また来たのか」
 部屋に入り正面に座った重三に、二人は挨拶をした。「まさか虎太郎の友人だったとはな」虎太郎は、文也をそう紹介していたらしい。
「実は今日、タイムカプセルを探しに来てて……」文也は切り出した。「杉ヶ裏に住んでた頃、山に埋めたはずなんですけど、どこだったかわからなくって」
「昔は悪ガキが山ほどいたが、おまえもその一人だったんだな」
 笑いながら言うのに、文也は「まあ」と曖昧に返事をする。「二十歳になったら開けようって言ってたんですけど……桜と埋めたそのタイムカプセルを見つけたくて」
「それなら、あと数年待てばいいだろう」
「もう、待てないんです」正座の膝を、文也は握りしめた。「桜が、亡くなったから」
 しんと座敷が静まり返る。
「……あれから、亡くなったのか」
 重三の言葉に、「いえ」と颯介が返事をした。
「桜ちゃんは、七月の初めに亡くなってて。……いろいろ考えて、言えなかったんです」
「嘘をついてて、すみませんでした」
 俯いて文也は謝罪した。相手は何も言わない。沈鬱な沈黙がずっしりと重く垂れ下がる。それに耐えかねてか、間の席に着いている虎太郎が口を開く。
「爺ちゃん、怒るなよ。文也もきっと言いにくかったんだって」
「別に怒っとりゃせん。ただ、なあ。そうか。まだ高校生だってのに」
 文也たちの嘘について重三に怒りの姿勢はない。ただただ、自分の孫と同い年の少女の死に、考えるところがあるようだった。
「おまえらの年なら、受け止めきれんこともあるだろう」
 ほっとして、文也と颯介は顔を見合わせた。嫌な思いはさせずに済んだようだ。
「……それで、桜がここを引っ越す前に埋めたタイムカプセルを思い出して、見つけたくて探しに来たんですけど。手がかりがなさ過ぎて」
「何もわからんのか」
「すぐそばに下りの斜面があって、一番高いイチョウの木の下です」
 自分でも、実に曖昧だと実感する。これでは見つからないのも当然だ。もちろん、重三も眉間にさらに皺を寄せて難しい顔をする。
「イチョウの木なんぞ、一本や二本ならまだしも、それだけじゃなんもわからんぞ」
 颯介が頷く。
「さっき行って、それらしいところを探したんですが、見当がつかなくて……」
「二年で一メートル成長するっていうからな、イチョウは。当時の一番高い木、なんざ当てにならんだろ」
 まさにその通りだった。山の持ち主相手でも、脳内のイメージを直接伝えるわけにもいかず、当時目にした風景を言葉にするしかない。それも幼い子どもの目線だ。それさえも形として残っていないのだから、現在と照らし合わせるわけにもいかない。
「文也、他に覚えてることないの」
 縋るような虎太郎の台詞に、文也は更に頭をひねる。自分の記憶力がもっと良ければ、などと仕様のないことを考える。
「まあ、ゆっくり思い出せ」
 重三が立ち上がり、部屋を出た。手洗いにでも行くのだろうか。聞くならこの日が一番なのに、と焦りがつのる。
 と、その時、ポケットでスマートフォンが振動した。桜だ。彼女は何かを思い出したのかもしれない。取り出して、確認する。
 saku:近くに、空き家があったよね。
 そうだ、思い出した。イチョウの木で遊んでから、その家に忍び込んでかくれんぼをしていた。朽ちかけた廃屋の中には隠れる場所がたくさんあって、楽しかった。
「そうだ、家があった」
 思わず口にする。喋っていた颯介と虎太郎が振り向く。その時、重三も部屋に戻ってきた。
「近くに、空き家があったんです」少々の興奮を覚えながら、思わず口走る。「桜が、思い出したって」
「空き家は、確かにあったが……あそこで遊んでたのは、おまえらだったのか」思い当たる節はあるようだ。「浮浪者が紛れ込んだり、子どもらが忍び込んで怪我したらいかんっていうんで、何年も前に取り壊したぞ」
「でも、場所はだいたいわかりますよね」
「まあな」
 これである程度の範囲は絞れる。そう期待した文也に、「何か隠してないか」と老人は鋭く言った。「桜が思い出したって、どういう意味だ。あの子は実は生きているのか」
 うっと文也は息を呑んだ。視線をやると、虎太郎も不思議そうな顔をしている。隣に居る颯介は、真剣な面差しで小さく頷いた。
 やはり、誤魔化したまま協力を得ようとするのは間違いだ。一度不信感を与えた相手から情報を得ようとするなんて、そんな都合のいい話はない。文也は観念することにした。