この空の下、君とともに光ある明日へ。

 ずっと、心の奥で後悔していることがある。

 当たり前に隣にいた君が、自分のせいで跡形も無く奪われていく瞬間を見た。

 自分の無力さに愕然とし、迫り来る事実を受け入れたくなくて目と耳を塞いだ。

それでも逃げることはできず、抗えない絶望が全身を包んでいく。

 そして絶望の海に全身が沈んだその時。
見上げた水面に、希望の光を見たような気がした。

手を伸ばすと、ほんの僅かだけ水面に指先が触れた。

その先にある、淡く輝く希望の光。

 それは、複雑に絡み合っているのに少しでも力を入れれば千切れてしまいそうな糸のように、脆く見えた。
しかし、それに負けないくらいの輝きを放っている。

……あと、もう少し。

 
そしてぐっと手を伸ばして、その光に触れた瞬間。


『────』


──綺麗な青空の下で、優しい声が聞こえたような気がしたんだ。

 街路樹が鮮やかな緑色に染まり、近くの花壇には色とりどりの花が咲き乱れる、四月の初め。
朗らかな陽気の中、そんな花たちには目もくれずに前だけを見て歩く一人の姿があった。

 グレーのブレザーにチェックのスカート、胸にはスカートと同じ色のリボン。
黒髪のロングヘアを靡かせる少女、原田 優恵(ハラダ ユエ)

 彼女はチューリップが咲き乱れる花壇を超えて国道に出る。
そして普段学校に行くための信号は渡らずに、そのまま通り過ぎてとある交差点の前で足を止めた。

 そこは普通の人から見れば、近くにコンビニや不動産会社があるだけのただの交差点でしかない。
しかし、優恵にとってそこは忌々しく、いくつになっても忘れられない場所だった。


(……もう、四年にもなるのか)


 それは、何年経っても脳裏にこびりついて離れない記憶だ。
決まってそれを思い出すと、胸が痛くなって動悸がする。

 交差点の歩道側に佇む、一本の電柱。
優恵はその根本の部分にしゃがみ込むと、鞄の中から小さな花束とお菓子を出してそこに置く。
そしてゆっくりと両手を合わせて、目を閉じた。


(……ごめんね)


 心の中で謝るのは、毎年同じ。
胸を痛めて、同じ花束を置いて手を合わせて。

 そんなことしかできない自分自身に酷く絶望しながらも、他に何をどうすれば良いのかがわからない。


『優恵!』


 そしてここに来ると決まってある人の声を思い出し、涙が目に滲むのだ。

 すぐ横では止まることなく車が何台も通り過ぎて行き、優恵はゆっくりと目を開いてからそれを見つめる。自責の念に駆られ、胸がきゅーっと痛んだ。


(……帰ろう)


 このままここにいるのがつらくて、苦しくて。
逃げるように立ち上がり、その場を離れようとする。

 しかしその時、ふと視線を上げると一人の少年が優恵の目の前にいることに気が付いた。
優恵とは違う制服だが、同じ高校生なのがわかる。

 しかし、その姿は男子高校生にしては余りにも線が細い。身長は百七十以上はありそうなのに、その身体は少し力を入れれば女性でも簡単に折ってしまいそうなほどに細かった。
黒い短髪とその下に見えるぱっちりとした二重の目。
マスクをしていたのに、その目が優恵をとらえるとゆっくりと静かにおろされる。

 そして、目を見開いてから僅かに微笑んだ。

 それは、とても綺麗なのに今にも消えてしまいそうなほどに儚かった。

 優恵はその表情に目を奪われながらも、探るようにじっと見つめてみる。しかし頭の中の引き出しをいくつ開けてみても、一致する人物はいなかった。


(誰だろう……っていうか、なんでこっち見て……)


 どうして目の前の彼が自分を見ているのか、優恵には見当もつかなかった。
(……あ。もしかしたら、同じようにお花を供えにきたのかもしれない。だとしたら邪魔だよね……)


 そう思い。優恵は今度こそその場から逃げるように下を向いて歩き出す。
――しかし。


「──ゆえ」

「……え?」


 すれ違う時に手首を掴まれ、見上げる。


「……優恵、だよな?」


 優恵の手首を掴む彼は、うっすらと目に涙を溜めているようにも見えた。


(なんで……私の名前……)


 彼は、明らかに他校の制服を身に纏っている。
その顔にも見覚えはない。
それなのに、どうして名前を知られているのか。
しかも呼び捨てにされるだなんて。

 恐怖心が浮かび上がり、今すぐこの手を振り払って逃げたくなる。
だけど、振り解こうとしたその手は驚くほどに震えていた。

 よく見るとほとんど力は入っておらず、身体の線が細いのと同じで指や手首も優恵と同じかそれ以上に細くも見える。
ただ、その震えを見たら何故かそれを無理矢理振り解いて逃げることはできなかった。


「あ、の……」

「っ……優恵」

「あの、どうして私の名前……」


 優恵の声を聞いてついにその目から涙が一筋こぼれ落ちる。
同年代の男の子が手を震わせながら泣いている。
高校生にもなると、そんな場面に出くわすことなんてほぼ皆無だ。

 優恵は驚いて息を呑み、彼が話すのを待った。


「……どうしてだろうな。俺は"優恵"なんて知らないはずなのに。一目見てあんたが優恵だってわかっちまうんだから……」

「なに、どういう……」

「……龍臣(タツオミ)。そう言えばわかるか?」


"龍臣"


 その名前を聞いた瞬間、優恵の心臓がドクンと大きく鳴り響く。


「い……ま……なんて言った……?」

「龍臣。知ってるだろう? 優恵」


 涙を流しながらそう言う少年に、優恵は信じられないという表情を向けた。

 いつのまにか少年の手の震えはおさまっていた。
しかし今度は優恵の手が、足が、全身が震え始める。


(どうしてこの人が、その名前を知ってるの?)

(どうして、私のことまで知ってるの?)


「なんで……」


 どうして、なんで、そんな言葉ばかりが頭の中を巡り、目の前で起こっていることが理解できない。


「なんで、か。まぁ、そうなるよな」

「なんで……! あなたがその名前を知ってるの!? なんで私のことまで知ってるの!?」


 はやる気持ちは声となって外に飛び出ていき、いつのまにか怒鳴るように叫んでいた。

 少年はそんな優恵に


「落ち着けって、ちゃんと話すから。まず、自己紹介させてくれ。俺は佐倉 直哉(サクラ ナオヤ)


 と優しく声をかけてから


「――龍臣の代わりに、君に会いにきた」


 そう、切なさが溢れるような笑顔を優恵に向けた。


「オミの、代わり……?」

「あぁ。信じられないかもしれないけど……。俺の中には今、龍臣がいるんだ」

「……なに、言って……」

「今俺の身体の中には、ここで事故にあった藤原 龍臣の心臓が入ってる。それ以来、生きていた頃の龍臣の記憶が俺の中に共存しているんだ」


 胸にそっと手を当てた直哉に、優恵は言葉を失う。


「優恵。あんたをずっと探してた。龍臣の記憶を頼りに今日ここに来れば絶対に会えると思ったんだ」

(……これは、夢? それとも、騙されてる?)


 わけがわからなくて、そんなこと言われても"はいそうですか"と信じられるわけがない。


「あ、おい!」


 優恵は、その場から一目散に逃げ出した。
とにかく直哉というあの人物から離れたかった。
頭の中を、整理したかった。


(だって、そんなわけない。そんなわけないんだ。だって龍臣は確かにあの日――)

(――私を庇って、確かに死んでしまったんだから)


 後ろから響く直哉の声を背に、優恵は一度も振り返ることなく走り去っていった。

──あれは、四年前の四月のことだった。

 当時中学生になったばかり、入学式を終えてから数日。
本格的な授業が始まってすぐのある日のことだ。


「優恵!」

「オミ、おはよう。ごめん待った?」

「いや? 俺も今外出たところ。早くいこーぜ」

「うん」


優恵と同じマンションの隣の部屋に住んでいる藤原 龍臣(フジワラ タツオミ)は、幼稚園の頃からずっと一緒に育ってきた幼なじみだった。

 家が隣同士だからか、親同士も仲が良く何をするにも一緒。
幼稚園も小学校も毎日一緒に通っていて、それは中学生になってからも変わらなかった。


「まだ制服って着慣れなくて。男子はいいよね、学ランって羽織ればいいだけでしょ? ラクそう」

「んなことねーよ。まぁ女子より面倒臭くはないだろうけど。俺もまだ着慣れてない」

「ふふっ、オミの制服、大きすぎてぶかぶかだもんね」

「俺も嫌だけど、男子はみんなこんなもんだって母さんが言ってたし仕方ねーだろ。成長期が来たらあっという間にぴったりになるから見てろよ?」

「うん、楽しみにしてる」


 新入学でぶかぶかの制服を着ていた龍臣は、優恵と同じくらいの背丈で男の子にしては小柄だった。
優恵はそんな龍臣と一緒に歩く時間がすごく楽しくて大好きだった。


「そういえば明日から部活見学始まるね。オミはやっぱりサッカー部?」

「あぁ。もう入部決めてるって顧問の先生に言ったら、明日から練習参加させてくれるって言ってた」

「え! すごいじゃん! 良かったね!」


 龍臣は、小学生の頃から地元のクラブチームに所属してサッカーをしていた。
中学に入ったらサッカー部に入部するんだと張り切っていたのを優恵ももちろん知っていた。


「だから明日からは一緒に帰れねーけど。朝も練習あるらしいから一緒に登下校できるのは今日が最後かもな」

「そっかー。なんかちょっと寂しくなるけど、仕方ないよね。頑張ってね。応援してる」

「さんきゅ。そういう優恵は? 部活入んねーの?」

「私はまだ迷ってる。吹奏楽も気になるしー、ソフトテニスも気になるし。料理部とか写真部もあるんだって」

「うちの学校中学にしては部活に力入れてるって聞くからな」

「うん。だから明日からの見学で色々回って考えるつもり」

「そうか。いいところ見つかるといいな」

「うん。ありがと」


 そんな会話をしながら歩いていると、あっと言う間に学校に着いていた。
龍臣とは違うクラスだったけれど、今まで一緒に登下校するのが当たり前だったからそこに違和感はない。

 だけど周りは違うようで、入学して数日だというのに

"付き合ってるの?"

と散々聞かれていた。

 それに否定しながらも、中学生にもなるとそんな話題が出てくるのかと驚いていた。
優恵はただ龍臣と一緒にいるのが当たり前だっただけで、そこに深い意味はなかった。
それは龍臣も同じだろう。
しかし、周りはそれをよしとはしてくれないのだ。

 龍臣は中学に入ってからやけに女子生徒からの人気が出始めていた。
かっこ可愛いなんて言われて、優恵のクラスでもかっこいい男子と言えば?でまず名前があがる。

 その時に、もしかしたら近いうちに龍臣に可愛い彼女ができたりするのかなと初めて考えた。
そしてそれを嫌だと思ってしまう自分がいることに気が付いたのだった。

 だからと言ってその気持ちの名前なんてわからなくて、優恵はもやもやしながらもしばらく一緒に登下校できなくなることが寂しいんだと結論づけていた。

 迎えた放課後。

 優恵は、玄関で龍臣と待ち合わせをして並んで帰る。


「そっちのクラス、今日小テストやった?」

「英語でしょ? やったよー。結構簡単だったよね」

「え、俺半分しか解けなかったんだけど」

「うっそ、だって単語の書取りだよ? 暗記してればすぐじゃん」

「俺最近気付いたんだけど、暗記系ダメっぽい」

「そうなの? じゃあ後で私の部屋おいでよ、教えてあげる」

「いいのか?」

「もちろん。幼なじみが頭悪いとか私も恥ずかしいし?」

「言ったな? じゃあ次の中間テストで勝負しよーぜ」


 そのまま家に帰り、少しすると龍臣が勉強道具を抱えて優恵の部屋にやってくる。
二人で小さな机を囲みながら勉強すること一時間。


「なぁ、アイス食いたくねぇ?」

「食べたい! けど今うちの冷凍庫空っぽだよ」

「うちも。単語もなんとなく覚えてきたし、向こうのコンビニに買いに行こう」

「わかった。じゃあ準備する」

「俺もこれ一回置いてくるから」

「わかった。じゃあ十分後にエレベーター前ね!」

「ん」


 お出かけ用のカバンの中から財布を出し、中身を確認してちょっと多めに三百円だけを小さな小銭入れに入れた。
それを持って、鏡で少しだけ前髪を直してから部屋を出る。


「おかーさん! オミと一緒に向こうのコンビニまで行ってくるからー!」

「わかった、気を付けてねー」

「うん! 行ってきまーす!」


 リビングで夕食を作っている母親に伝えて、最近買ってもらったお気に入りのサンダルを履いて外に出る。
エレベーター前に行くと、すでに龍臣が待っていた。


「お待たせ」

「ん。行こ」


 エレベーターに乗り込むと、龍臣は優恵の履くサンダルに視線を落とす。


「それ、新しいやつ?」

「そう、先週買ってもらったの。見て! ヒールがあるんだよ! 大人っぽくて可愛いでしょ!」

「可愛さは俺にはよくわかんないけど……なんか走りにくそうだな」

「もう! サンダルの時は走ることないから別にいーの!」

「……そんなもんか?」

「そんなもん!」


 僅かながらについているヒールが、中学生になり少し大人に近づいたような気がして嬉しかった。
歩くたびにカツカツと小さく音を鳴らすサンダル。
まだ歩き方に慣れていなくて、少しよろけそうになりなからも優恵は笑っている。

 龍臣はそんな優恵を呆れたように見つめていたけれど、優恵は全く気にしていない。
そのうち龍臣の方が優恵の歩くスピードに合わせ、よろける度に腕を支えるようになっていた。


「優恵、そのサンダル慣れるまでやめた方がいいんじゃねーの? 走りづらそうって言うか歩きづらそう」

「そのうち慣れるから大丈夫だって! ほら、コンビニもうすぐだよ!」


 心配してくれる龍臣を笑い飛ばして、国道沿いにあるコンビニに向かう。
近所ではそこが一番アイスの種類が豊富で、二人で買いに行く時はいつもここだった。

 すぐに食べられるアイスを買い、外に出るとすぐに袋を開ける。


「まだ四月なのに外でアイス食べてるの私たちくらいじゃない?」

「いいじゃん。うまいんだし」

「うん、食べながら帰ろ」


 食べながらどのアイスが一番だ、なんてくだらない話をしながら歩いていると、すぐ目の前の信号が青になっているのが見えた。

「あ、おい。もうすぐ信号変わるぞ。その靴じゃ走れないんだからやめとけって」

「いーの。ここ一回見逃しちゃうと長いんだもん」

「そうだけど……」


 案の定、渡り始めて少しすると信号は点滅する。


「ほら急げー」

「先行ってて!」


 龍臣にそう言って、早歩きで横断歩道を渡っていると、あともう少しのところで信号が赤に変わる。


「やばっ」

「ほら早く!」


 急かされて、走り出した時に運悪くバランスを崩してしまってそこに倒れ込んだ。


「あ、おい!」


 アイスは無惨にも落ちてしまい、食べられそうにない。

 それよりも、早く歩道に行かないと。
そう思って立ち上がった瞬間、脇道から猛スピードで左折してきた車がやってくる。

 その車は明らかに法定速度を超えており、ブレーキを踏んでいる気配も無い。
そのまま交差点に入ってきてもスピードを緩めることなく、その車は優恵のいる横断歩道に突っ込んでくる。

 優恵は避けないとと頭ではわかっているのに、突然の出来事に身体が固まってしまってうまく動かなかった。


「危ない!!」


 龍臣の声に我に帰った優恵。しかしもう車はすぐそこまで来ており、急ブレーキの音とクラクションが鳴り響く。

 間に合わない。そう思って目をギュッとつぶった。

――次の瞬間。

 ドン、という大きな音と共に、優恵の身体は弾き飛ばされた。
しかし、思いの外痛みは少ない。


「あ、れ……」


 どうしてだろう。そう思って身体を起こした瞬間、龍臣の姿が見えないことに気がついた。


「オミ……? どこ?」


 辺りを見回しているうちに、通行人が集まり「救急車!」と叫んでいる場所があった。

 そこには電柱があり、先ほどの車がぶつかり前の部分は大破していた。
そのすぐ近くに、見覚えのある服と身体が見える。


「お、み……?」


 恐る恐る駆け寄ると、そこには頭から血を流してぐったりしている龍臣の姿があった。


「オミ……? なんで……オミ? ねぇオミ!? 返事してよ!?」


 何度優恵が呼びかけても、龍臣は返事をしなかった。
救急車がやってきて、龍臣も優恵もそのまま病院に搬送された。


「私は大丈夫だから! オミ! オミのところに行かせて!」


 龍臣と同じ救急車に乗ろうとして無理矢理引き剥がされてしまい、事故のショックと精神的なもので気を失ってしまった。

 そして目が覚めた時、病室で龍臣の死を知らされた。

 車に轢かれそうになった優恵を助けようとありったけの力で優恵を押した龍臣だったけれど、車もまた優恵を避けようとした。
結果撥ねられてしまったのは龍臣の方で、頭を強く打ってしまったことが原因での死だったと聞いた。

 優恵は病室でそれを知り、優恵の目が覚めたことで安堵して"無事で良かった"と泣く両親に何も言えず。


(私の、せいで。私のせいで……オミが、死んだ……?)


 その事実だけが、ずっと頭の中をぐるぐると回っていたのだった。

 優恵は軽傷だったため、その後すぐに退院できた。
しかしその時にはすでに龍臣の葬儀は終わっており、龍臣の両親も引っ越してしまっていた。

 会ったところで何を言えばいいのかはわからなかったけれど、とにかく謝りたかった。
それが龍臣の両親を苦しめるだけだということもわかっていた。
二人が優恵の顔など見たくもないだろうということもわかっていた。
ただの自己満足だとわかっていながらも、謝りたかった。

 もしかしたら、謝ることで少しでも自分が楽になりたかったのかもしれない。
しかし、結局謝ることもできなかった。

 小さなニュースにもなった。新聞にも載った。


"中学生男児が暴走車に撥ねられ死亡"


 どうやらあの車は元々スピード違反をしていてパトカーから追跡されていたらしい。それを振り切って逃走後に事故を起こしたようだ。

 しかし、だからといって龍臣が死んだ事実は変わらないし、そのきっかけに少なからず優恵が関係している事実も変わらない。

 龍臣はもちろん優恵以外にも友達がたくさんいた。
周りから愛される人だった。

 そのため、学校では"あいつのせいで龍臣が死んだ"と後ろ指を刺されるようになってしまった。
次第に引きこもるようになり、不登校に。

 一年ほど経過するとどうにか定期テストの時だけ保健室登校をするようになったけれど、保健室には優恵以外誰もいないはずなのに"お前のせいで"という声が聞こえるような気がして、怖くてたまらなかったこともあった。

 なんとか中学を卒業して少し遠くの高校に進学したものの、四年たった今でも全く気持ちは晴れていない。
それどころか、龍臣を死なせておきながら自分だけ健康にのうのうと生きていることが許せなくて、毎日どう死のうかなんてことばかり考えていた。

 この四年の間に自ら命を断とうとマンションの屋上から飛び降りようとしたことも一度や二度ではない。
しかし、その度に怖くなってしまい足がすくんで踏みとどまってしまうのだ。


「ごめん、ごめんねオミっ……!」


 生きている自分が許せない。なのに、死ぬ勇気なんて無い。

 死んでしまいたい。逃げ出してしまいたい。なのに、怖くてそんなのできない。
どこまでも矛盾した自分に反吐が出そうで、ただ毎日を無意味に過ごすだけの日々。

 龍臣の命日にだけは必ず事故現場に行き、花を手向ける。
ごめんねとしか言うことができない。他に言葉が見つからない。

 そんな自分が大嫌いだった。

 そんなタイミングで現れた、龍臣の心臓が身体にあると言い張る直哉。

 龍臣は四年も前に死んだんだ。自分が殺したも同然なんだ。


(そのオミの心臓が? あの直哉という男の子の身体の中に? どうして? だってあの時、オミは死んでしまったのに)

(心臓を移植したということ? そんなこと、お父さんもお母さんも何も言っていなかった。オミは死んだ。それしか聞いてない。そんなわけない)


 龍臣の最期を見た優恵にとって、それは到底信じがたいものだった。

 直哉の声が聞こえなくなったのを確認して、優恵はようやく足を止めた。
久しぶりに走ったら、息が上がってしまい苦しい。
呼吸を整えながら路地裏に入り、背中を預けてずるずるとしゃがみ込む。


「なんで……オミ……」


 久しぶりに聞いて、久しぶりに口にした名前。
そんなわけないのに、じゃあどうして直哉という男は龍臣のことや優恵のことを知っているのか。

 もし彼の話が本当なのであれば、どうしてそんなことに?
逆に彼の話が嘘なのであれば、どうしてそんな嘘を?
疑問は絶えず増えていき、頭がついていかない。

 よろよろと立ち上がり、どうにか歩き出して家に舞い戻る。


「優恵? どうしたの?」

「……ごめん、学校休む……」


 母親の返事を聞く前に自室に戻り、ベッドに潜り込んだ。



 そのまま眠ってしまい、次に目が覚めた時は夕方になっていた。


「嘘でしょ……」


 いくらなんでも寝すぎだ。
頭がガンガンと痛み、起き上がるのもつらい。
優恵はどうにか身体を起こして、ふらふらとリビングに向かう。


「優恵、大丈夫?」


 心配そうに熱が無いかと額に手を当てる母親に、優恵はぼけっとしながら呟いた。


「……ねぇ、お母さん」

「ん?」

「……ううん。なんでもない……」


 オミって、誰かに臓器提供したの……?

 だなんて。
もし本当だったら?
そう思ったら、そんなこと口に出すことなんてできなかった。