あの頃の私は、それこそ颯のように言いたいことを言って、やりたいことをやる人間だったなと思う。
中学校2年生の時、学年ごとに劇の発表をする行事があった。
3クラス90人程度の小さな学校だったからこそできるような、仲が深まるとても良い行事だった。
私は、ずっとやりたかった主役になり、自分なりに練習も頑張っていた。
本番が後3日前までに迫っていたある日。
その日は、いままでシーンごとにやっていた練習を、全体で通してやることになった。
全てを通すと1時間ほどになる大作だから、終わった後は皆とても疲れ切っていた。
初めての合わせにしてはとても上手くいったと、みんなが口々に言っていて、委員長の風花も、私にとても上手かったと、声をかけてくれた。
だからこそ、その後の反省で、先生があれほど怒るとは、誰も予想していなかったのだ。
学年代表の川口先生という男の先生が、反省の最後、突然大声を出して言った。
「お前らの完成度は見ていてとてもつまらない。誰も見たいと思わない。こんなんで演技するぐらいなら、やめた方がマシだ。さっさとやめろよ。お前ら」
体育館中に響き渡る怒号に何も感じていなかったのは、きっと、私だけだったんだなあと、今になって思う。
反省が終わった後、風化が前に出て、大きな声をあげた。
「みんな。この後もう一度、残って練習しよう」
今の私なら、こんな時、きっと、何も考えはしない。
きっとただ、馬鹿だなあと思いながらも、その「空気」に合わせるだろう。
だけど、その時の私には、分からなかったのだ。
空気の、
味が。
匂いが。
形が。
全てが。
「私は、練習は必要ないと思う」
あの時の光景が、今でも、悪夢のように蘇る。
「だって、このまま続けたところで、さっきのより良いクオリティは、出せないと思うよ。本番前で、士気を高めるのは良いと思うけど、こんな無理矢理の練習じゃ無駄。さっき風花もいいって言ってたじゃん。なんで自分は先生に媚びて手のひらを返すの?最低だよ」
私の言葉はおそらく、正しかった。
正しすぎた。
顔を真っ赤にした風花は、その瞳から大きな大きな涙を流していた。
「なんで、、そんなこと、、、私、だって、」
ひくひくと声をあげて泣く風花の周りに段々と人が集まっていく。
「涼華、最低。」
「どういう神経してんだよ」
「涼華、後で職員室に来なさい」
川口先生はやけに低い声でそう言った。
あれ?
身体中から冷たい汗が流れる。
私、正しいことをしたんだよね?
なんで、なんで、なんで。
焦りで頭が真っ白になった。
いつも私は、自分にそれなりの自信があった。
私が、何かを言えば、自ずと人がついて来たから。
きっと、普通の人が言えないことをはっきりと言える私に、皆憧れているんだろうと、そう、思っていた。
けど違ったのだ。
ただ、いつも大多数の意見が私とたまたま同じで。
私という、一人間が作り出す空気に身を任せるのが楽だったから乗っていただけだったのだ。
そして気付いた。
私はずっと、一人だったのだと。
私の味方は一人もいないのだと。
その後、劇は無事に終わったものの、私は中学校生活の残りの半分、亡霊になったような気持ちで過ごした。
いじめなんて、大層な名前はつけられない。
けど、あの頃の思い出は病のように、じわじわと私の心を蝕んだ。
私だけを抜いたクラスの女子のグループライン。
仲良しグループで作ったから、別にはぶりたかった訳じゃない、と先生と笑い合う横顔。
習熟度別授業で、何回かにひとつずつ増えていく、私の机の何か鋭利なもので引っ掻いたような傷。
みんなのSNSのステータスメッセージに書かれているあいつって、
私でしょ。
別に気付いてなかった訳じゃない。
ただ、怖かった。
救いを求める手を差し伸べて、
誰にもとってもらえない未来しか見えなくて、
怖かった。
だから、私は変わった。
高校に進学してから、とにかく、人に好かれることをした。
それなりの才能があったのだと思う。
人に好かれることは私にとって、
言うなれば、
ゲームのようなものだった。
相手のパラメーターを見ながら、相手の機嫌が良い方向に傾く言葉だけを言い続けるだけだった。
別に何も、自分の感情を殺したかった訳じゃない。
気が付いたら、分からなくなっていた。
何が楽しくて、こんな人生を生きているのか。
なぜ、私の人生が、ゲームのようなのか。
颯は、机に乗り、窓の外を終始、眺めていた。
私の本当な姿を知り、嫌いになっただろうか。
きっとクラスのみんなにも嫌われて、私は、また一人になってしまうのだろう。
もういい。
慣れた。
私が隠してきた想いをほとんど、独り言のように吐く。
「私は、誰からも守られなかったの。
私を守れるのは、私だけだった。
だから、
みんなから好かれなきゃいけなかった。
私を隠す以外、生きる道がなかったの。」
止んだはずの涙が、また、出てきてしまう。
すると、頭の上にあたたかい何かが乗っていた。
颯の手だった。
彼は、本当に、本当に苦しそうな顔で、
「ごめん。何もしてあげられなくて、ごめん」
そう言った。
何故彼が謝ったのかはわからなかったけど、その手のぬくもりのせいで、涙が止まらなくなって、なんだかちょっと、悔しかった。
「もう大丈夫か?」
颯が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「うん、迷惑かけてごめん。
いいよ、授業行って。」
今の精一杯の笑顔で言ったけど彼は動こうとすらしなかった。
「涼華。
一つだけ、大切なことを教えてあげる。」
いつも以上に優しい声で彼が言う。
手元のボタンにかけた手を、何故が吸い込まれるように見つめてしまった。
「この世界は、俺だけのもので、
涼華だけのものなんだ。」
とびきりの笑顔と
傷だらけの腕が、
あまりにもアンバランスで、
私は言葉を失った。
いわゆる、英才教育ってやつだ。
俺の母親と父親は、とてつもなく、教育熱心だった。
同級生が、鬼ごっこやかくれんぼで遊んでいる時、
俺は一人、勉強をしていた。
勉強はそこまで嫌いじゃなかったから、別に良かった。
母親と父親がそれで喜ぶなら。
中学受験で、合格した俺は、県の最難関中学に通うことになった。
毎日出される沢山の課題。
当たり前のように休みを埋め尽くす部活。
死に物狂いで天才達が点数を競い合うテスト。
人が悪かったわけではない。
ただ俺にはそれが、苦しかった。
どうしようもなく辛い日々に、浅い呼吸を繰り返しながら、ひっそりと、耐え抜いていくしかなかった。
そして中学2年の頃のある日を境に、俺は自傷行為に手を出した。
きっかけは、本当に些細なもので、
勉強中にもっていたシャーペンを手の甲に刺したことだった。
問題が分からないイラつきがスッと消えたような気がして、気持ちよかった。
その後、自傷は日に日に悪化していき、
ついにはカッターに手を出した。
たらたらと流れる血を見ていると、俺の心にたまるストレスが少しずつ、出ていくような感覚がして、気が付くと、利き手の反対側の手首の一面が、真っ赤な線で埋め尽くされていた。
冬だったから誰にもバレなかったのが、不幸中の幸いだった。
そして、2年の学期末テスト。
俺は、ある一教科で、クラス最下位をとってしまった。
父親と母親の目はまるで、俺を人間だと認識していないような目だった。
ろくにご飯も食べれていなかった気がする。
毎日毎日、親からとてつもない罵倒を食らった。
その度に俺の自傷は悪化していった。
そしてある日、俺は、大量出血によって、病院に救急搬送された。