「興奮って、もしかして海。希美のことそういう目で・・・」
「な、なわけないだろ!」
「そ、そうだよ。想太変なこと言うのやめてよ」
みきちゃんを見ると顔を赤くして恥ずかしそうにしているように見える。想太と一緒にまたイジってくると思っていたので、その反応は予想外だった。
彼女も女の子なので、やはりそういうのは恥ずかしいのだろう。一方で二人 の矛先がみきちゃんの方に向いたことに安堵している僕。
僕の話など忘れ去ってしまったかのように、みきちゃんに詰め寄っている二人。
「希美よかったな!」
「希美ちゃんよかったね!」
「もう二人ともやめてよ!」
そんなみきちゃんの表情は照れつつも嬉しさを含んでいるような柔らかな顔だった。僕にはなんのことかさっぱり分からなかったが、どうやら二人はみきちゃんの弱みを知っているらしい。
正直気になったけれど、ここはあえて聞かないようにした。みきちゃんの照れている顔が僕には直視できないほど可愛らしかったというのは内緒。
口に出してしまったら、間違いなく馬鹿にされることは目に見えているから。
もしかして僕はみきちゃんのことが好きなのか...仮に好きだとしてもこの思いを果たして彼女に伝えてもいいものなのだろうか。
いや、だめだ。やっぱり僕は恋をしてはいけない。
「ほら!海いくよ。二人とも待ってるかもだし!」
「大丈夫だよ、そんなに急がなくても」
「それもそうか!」
今からお昼に話していた公園でお花見をするために、コンビニに寄ってお菓子や飲み物を買いに行くようだ。リュックに教科書や弁当箱を詰め席を立つ。
「よし、行こう!」
元気なみきちゃんは気付いていないかもしれないが、先ほどから僕の方を睨みつけているかのような視線がグサグサと刺さってくるように感じられる。
きっとみんな"何であいつが隣にいるんだよ"と思っているに違いないが、それは僕だって知りたい。
太陽のようにみんなを照らし続ける彼女と月のようなにひっそりと太陽の影に隠れている僕。全く正反対な性格にも関わらず、彼女が僕の側に居続けてくれるのは僕にも分からない。
僕の心臓のことを知っているならまだしも、彼女はそのことを知らないはずなのに。
「あ、なんか二人遅れるみたいだから、先に行っててほしいって連絡きた」
「そうなんだ、じゃあ、僕らで先に買い出ししといて準備しとこうか」
「うん、そうだね!」
教室を出て階段を一段一段並んで降りていく。その間にもみきちゃんは何人かから声をかけられたり、歓声が上がっていた。
彼女の顔を見てみると、引き攣ったようななんとも言えない表情だった。
昇降口で靴に履き替え地面を歩くと、下には校庭に咲いている桜の花びらが点々と地面に張り付いていた。多分ここの桜もあと一週間くらいで散ってしまうと考えると少し切ない。
「コンビニとスーパーどっちがいいかな?」
「コンビニの方が公園に近いしコンビニでいいんじゃない?」
「おっけー!何買おうね!」
見るからに既に興奮している様子の彼女。確かにお花見なんて小さい頃以来だなとふと思い返してしまう。幼稚園の時はお花見という一年に一回のイベントが楽しみで仕方がなかった。
あの頃はお花見の良さの半分も理解できてはいなかったとは思う。今でも完璧に理解できているとは言えないけれど。
心臓のことで倒れてからというもの、あまりはしゃぐような場所には行かなくなった。きっと両親が僕が走り回って倒れるのを防ぐためだとは思うが。
お花見もそのうちの一つだった。
色々と思い返しているうちに目的のコンビニまで来ていた。放課後ということもあり、高校生がコンビニの前にたむろっているのが見える。
「私たちもさ、入学式の次の日コンビニの前でアイス食べながら話してたよね」
「そうだね。あの時は中学生ではできなかった放課後の寄り道買い食いに憧れていたからね」
「今となっては当たり前になっちゃったけど、あの時の優越感はすごかったなー。だって、買い食いなんて中学生では考えられなかったからね」
「結局アイス買いにまた店内に戻ったからね」
二人で笑いながら店内に入ると、何を買えばいいのか迷うほどの大量の商品。コンビニを作った人は天才だと思う。
少し料金は高めだけど近場にあるこの手軽さ、それにコンビニ一つで基本ある程度のものは足りるので、この先一人暮らしをしてもコンビニさえ近くにあれば困ることはまずないだろう。健康の保証だけはできないが。
「お花見って言ったら、団子とお菓子とジュース・・・あと何買えばいいのかなー?」
「みきちゃんさ、『花より団子』だよね」
「し、失礼だな!ちゃんと桜の良さだってわかるし、ちゃんと桜見るもん!」
既にカゴには大量の食べ物と飲み物。本当に桜を見る人のカゴの中身には全く見えない。言動と行動が全く噛み合っていないのはなぜだろうか。
公園におやつを食べに行く女子高校生にしか見えないが、それもそれでいいのかもしれない。
彼女が幸せそうなら、僕はそれだけで十分なんだ。笑っている顔さえ見ることができれば...
レジに商品を持っていき店員さんに会計をしてもらおうとしたところで電話が鳴る。
『もしもし、海?今からそっち向かうけど何買っていけばいい?』
『あー、今ちょうどコンビニで色々買ってたから大丈夫だよ』
『わかった。後でお金払うから! とりあえず急ぐわ!』
一方的に通話を切られてしまった。今どこにいるのか聞こうと思っていたのに。
「お会計、3160円になります」
電話を終えたところでちょうど会計が終わったらしく財布を準備する僕ら。
「ねぇ、海? お財布忘れちゃった!」
「あぁいいよ。僕が払うから」
財布から一万円を取り出し店員さんに渡す。真っ白なレジに置かれたいかにも重そうな量のお菓子や飲み物。
わかることは、体に良くはないということだけ。
「お釣りが、6840円になります。ありがとうございました」
お釣りを受け取り財布にしまう。財布の中の小銭を確認すると160円入っていたことに少し後悔する。160円出していればお釣りのキリがよかったのにと。
「ごめんねー、かーい。後でちゃんと返すから」
泣きつくように縋り付いてくる彼女。何もこれが初めてではないのに。彼女は勉強や運動に関しては天才だが、どこかしら抜け落ちている部分があるので財布を忘れるなんて日常茶飯事。
ひどい時は制服ではなくパジャマのまま学校に向かおうとしたことがあるくらい。正直彼女を一人にしてしまったらどうなるのか怖くて見ていられないに違いない。
「いいよ。ここは僕が払ったからさ」
「え、でも。あ、わかった!じゃあ貸しイチってことで」
「わかったよ。どんなことでもいいんだよね?考えておくよ」
「いやらしいことはダメだよ!」
「だ、だからそうやって僕を揶揄わないでよ!」
「だって、いつも冷静な海が取り乱すの見るの面白いんだもん」
「悪趣味すぎるよ」
真っ白な歯を見せながらニヤける姿は、不審者そのものだった。
コンビニから公園までは徒歩五分とそこまで遠くはない。それにしてもビニール袋の中身が重すぎる。中身を除いてみると1.5リットルのジュースが3本と大量のお菓子。そりゃ重いわけだ。
ビニールの持ち手部分が重さに引っ張られて僕の掌に細く食い込んでいく。これが何よりも痛い。手を開いてみると掌に真っ赤な赤い線が横に一直線に伸びている。袋は頑丈だが、僕の手の方が先にギブアップを余儀なくされた。
結局手で持つのは諦めて腕でジュースを袋ごと抱え込むことにした。視界が遮られてしまい、これもこれで大変なのに変わりはないが,,,
「重いよー、海!」
「仕方ないでしょ、こんなに一気に買ったのはみきちゃんなんだから」
「えー、だってたくさんあった方が楽しいじゃん!」
1.5リットルのジュースが思ったよりも重く、持つのが大変すぎる。店員さんに袋を二つくらいに分けて貰えばよかったと少し後悔。
「おーい、二人とも大丈夫か?」
振り向くとそこには想太と一花の姿が。なんていいタイミングで来るんだこの二人は。
「あー!二人とも遅いよー。それより重いから助けてー!」
なぜかお菓子しか持っていないみきちゃんが悲鳴をあげている。"どう考えても悲鳴をあげたいのはジュースを持たされてる僕だろ"と内心思いつつも女の子に持たせるわけにはいかないとカッコつけて言ったのは自分だけれど。
ジュースは想太の自転車のカゴに乗せてもらうことにした。少し重そうに自転車を押している想太の顔がちょっとだけ面白かった。僕もなかなか性格が悪いのかもしれないな。
「やっと公園が見ててきたよー! お花見! お花見!」
「みきちゃん元気すぎだよ。お花見したことがない人みたい」
「だってこの四人でお花見なんて絶対楽しいに決まってるじゃん!」
この公園は僕らの住む地域で最も大きい公園なので、所々お花見をしている人たちが見える。桜を囲みお酒を飲んでいるご老人達、ベンチに座り缶ビールを片手に桜を眺めているサラリーマン、大学生らしきカップルもレジャーシートに寝そべりながら優雅に桜を下から堪能している。
きっと青空を背景に見える桜の木は、何時間でも眺めていられるものなのだろう。
やはり桜はどの年代にも好かれる季節の花なんだなとしみじみ思う。
もちろん公園なので、お花見をしている人だけではなく小学生達がサッカーボールを必死に追いかけたり、犬の散歩をしている女性もいる。
でも共通して強い風が吹くと桜の花びらが宙を舞い、それを目で追うようにみんなの動きが一瞬止まる。それほどまで桜の持つ魅力というのは、人の心を簡単に動かしてしまうものなのだ。
「海ー! ぼーっとしてないで準備するよ!」
「あぁ、ごめん」
みんなと来たことをすっかり忘れてしまうほど、この公園の落ち着いた雰囲気に飲み込まれてしまっていた。
緑の芝に覆われ、顔を上げると満開の桜の木。日本でしか味わえない景色に簡単に心が奪われる。
「よーし、じゃあ男子はレジャーシートの準備!私たちはお菓子やジュースを開ける」
「おっけー! さっさと準備しようぜ!」
一花がわざわざ家からレジャーシートを持ってきたようで気が利くなと感心する。どうやらそれが理由で遅れたらしい。僕と想太でレジャーシートの端と端を持ち"せーの"で引っ張る。
急に広げたことで僕らの周りに小さな風が巻き起きる。二人で息を合わせてゆっくりと地面にレジャーシートを敷いていく。
微量の風がレジャーシートの周りの芝をやんわりと揺らす。青っぽい香りが、周囲に立ち込める。
小学生の頃にした遠足気分を再び味わっているような感覚に心が自然と躍る。
「二人ともありがとう!よし、いっちゃん紙コップと箸の準備しよっか」
「そうだね! 少し時間かかりそうだからその間、暇なら二人で公園内散歩してきてもいいよ?」
「どうするよ、海」
「んー、何もすることないなら散歩でもしてようかな」
「んじゃ俺ら散歩してくるわ!準備終わったら連絡ちょうだい」
「わかったよ、あまりはしゃぎすぎないようにね。いってらしゃーい」
みきちゃんの瞳が若干揺らいで見えたのは僕の見間違いだろうか。
公園内はまるで桜の絨毯といえるほどピンクに染まった道が真っ直ぐに続いている。レッドカーペットならぬピンクカーペットとも言えるに違いない。
「すげーな、この桜の道!踏んで歩くのが惜しいくらいだわ」
「そうだね、こうして想太と二人で歩くのっていつ以来かなー」
「そう言われると二人で歩くことなんて滅多にないからな。いつも四人だったし」
「たまにはいいね、男同士の友情ってのも」
「そうだな。男の親友は海しかいないからな」
「僕も男の親友は想太しか考えられないよ」
「なんだよ、海にしては珍しく素直だな!嬉しいこと言うじゃん」
想太には、みきちゃんにはない安心感ってものがあるような気がする。それはただ性別が同じだからというわけではなく、きっと想太の人柄からくるものに違いない。想太を含め、みきちゃんと一花も僕とは違ってみんな明るく友達も多い。
昔から僕はいじめられるとまではいかないけれど、揶揄われることが多かった。"暗い"や"話していて面白くない"と言われることは毎日のことだった。
このような性格になってしまった原因はやはり心臓が他の人と比べて弱い分、インドアな遊びしかできないからということも一つの理由だろう。
小学生の時は特に外遊びが盛んなので、僕だけ仲間外れにされることはもはや仕方がなかった。お昼休みにボールを片手に廊下へと走り出していく同級生たちが羨ましくて仕方がなかった。
そんな僕のことをいつも守ってくれ、一緒に遊んでくれた大好きな三人。
僕が外で遊べない理由も聞かずにずっと休み時間は側にいてくれて絵を描いたり、テレビやアニメの話をたくさんしていた。
心を閉ざさず、今もちゃんと高校に行けているのも親友の三人がいてくれたおかげなのだと最近実感した。本当に感謝はしているが、果たして僕はみんなに何かお返しができているのだろうか?こんなに信頼している三人に心臓のことをこのまま黙っていてもいいのだろうか。
でも、話す勇気が湧いてこない。話して今のこの関係が崩れるのを心のどこかで怖がっている自分がいる。三人なら受け止めてくれるはずだけれど、やはり気を遣われてしまうのは嫌だし、みんなとは対等でいたい。
「何難しい顔してんだよ〜」
「え、そんな顔してた?少し考え事してたんだ」
「もしかして希美のこと?」
「え、どうして」
急にみきちゃんの名前を出されて少し焦ってしまう。考えてないと言えば嘘になってしまうのでどう返事したらいいのかがわからない。
「なんとなくだけど、海が考え事してる時って大体希美のことか俺らのことしかないからさ。それぐらいお前は俺らのこと大切に思ってくれてるし、何より人に優しいからな」
心の中を覗かれたのかと思うほど想太の言っていることが当たりすぎて少し怖い。僕はそんなに単純なやつなんだろうか。
「ありがとう。僕よりもみんなの方が優しいと思うけどね」
「ま、誰が優しいかなんていいじゃん! みんないいやつなのに変わりはないだろ? だって、『類は友を呼ぶ』っていうだろ?」
「そうなのかな」
言葉では否定してしまったが、内心は想太の言葉が嬉しすぎて心がポカポカと温まっていく気がした。
"ドクンッ"心臓も喜んでいるのだろうか、普段よりも音が軽やかに僕の耳へと届いた。
三十分くらい歩いたのだろうか、気付くとレジャーシートを敷いた場所まで戻ってきていた。
想太と二人で歩くことは滅多にないけれど、電話はよくするので話すネタが尽きることはまずない。三十分ってこんなに短かったかと錯覚してしまいそうになる。
「もー、二人とも遅いよ!」
みきちゃんがこちらに向かって手を振りながら叫んでいるのを見て思わず笑ってしまう。彼女の左手には封が開いているお菓子の袋。見る限り待ちくたびれてしまったみたい。
乾杯はみんなが来てからと思いやめたのだろうけど、我慢できずにお菓子には手を出した模様。
「ごめんごめんって希美! なんでお菓子食べてんの!」
「だって、遅すぎて待ってられなかったんだもん!お腹減っちゃったし」
「だよな、ごめんな・・・とでもいうと思ったか! 先に食うな!」
想太に頭をチョップされても食べ続けるみきちゃんはやはりさすがとしか言いようがない。高校ではキリッとしている姿のみきちゃん。
このだらしない姿を同じ高校の人が見たらどう思うのだろうか。幻滅されてしまうのか?いや、きっと"そんな姿も可愛い"とギャップ萌えされてしまい余計に火がついてしまうはず。
それだけはなんとしてでも阻止したいな。あれ...どうして僕はこんな気持ちを抱いて...
「はーい、みんな座って! 乾杯しよう!」
みきちゃんの一言でみんなが一斉に動き始める。靴を脱いでレジャーシートにゆっくりと腰を下ろす。芝生のふかふかな感触がレジャーシート越しに伝わってきてなんとも気持ちがいい。
この上に寝そべりながら桜を見上げたら、一日中ここでゴロゴロできるのではと思ってしまう。そんな優雅な休日もありだなと思いつつジュースが入ったコップを手にする。
「では、乾杯の挨拶は海くんにお願いしたいと思います!」
「えええ、流れ的にみきちゃんじゃないの?」
「お花見しようって誘ったのは海でしょ?なら、海が挨拶」
確かに誘ったのは僕だけど、提案したのは...そんなこと言っても聞く耳を持っていないとは思うけど。
「えー、みなさん今回はお集まりいただきありがとうございます。えー、たくさん食べて・・・」
「みんな、かんぱーい!」
「え、ちょ・・・」
「かんぱーい!!」
みきちゃんの掛け声に合わせ想太と一花もコップを空へ高く掲げる。慌てて僕もコップをあげたことで中身が少し溢れて制服にかかってしまった。
ほんのりと制服から香るオレンジの匂い。
「結局、みきちゃんがするんじゃん」
「だって海、長いし堅苦しいんだもん。会社の集まりか!ってくらい」
「それが海らしいけどね。ほら、せっかく乾杯したんだから早く飲も!」
コップに口をつけ喉へ流し込んでいく。さっきまで想太と三十分近くずっと話していたこともあり口に流し込んだ瞬間、体に染み渡ってくような感覚に襲われる。運動終わりに体が水分を欲しているような水が美味しい極限状態。
並々注いであったジュースが一瞬にしてコップから一滴残らず消え去ってしまう。隣を見ると想太も一気に飲み干している様子だった。