関わりたくないのに、つい遠藤さんを目で追ってしまう。無理してそう、と言った湊の声が、どうにも心の中に居着いていた。

「じゃ、グループごとに作業開始」

 文化祭実行委員の子の号令で、わたしたちは動き出す。文化祭は夏休みが明けてから一か月後。九月に開催予定だ。夏休みの間もちょこちょことクラスで集まって準備することにはなっているけど、なるべくなら、休みの日まで学校に来たくはない。みんな考えは同じらしく、担任の先生からの「テスト対策の自習時間にするか、学園祭の準備にするか、どっちがいい?」という言葉に、多数決で学園祭準備が勝った。

 自習したい派閥の子ももちろんいたけど、たいてい、そういう真面目な子は自己主張がすくない。文化祭の準備で、と決まったからといって反抗的な態度をとるクラスメイトはいなかった。

「のどかって、手先器用だっけ?」
「不器用って言ったら作業免除になる?」
「なりませーん」

 くすくす笑いながら、わたしは美里といっしょに、人形づくりグループの数人で手を動かす。材料は、紙とテープと割りばし。スマホで「影絵 人形」と検索しながら、紙に下絵を書いていく。わたしはカンパネルラを任された。

 主役はジョバンニという少年。でもそれと同じくらい出番のあるカンパネルラ。

「カンパネルラってさ、色素薄い系イケメンな気がするんだよね」

 美里が楽しそうに言った。

「なにそれ」
「しない?」
「しないよ。あ、やば。わたし、絵へたかも」

 これはとてもじゃないけど、見せられない。すぐさま消しゴムで消した。

「もう、のどかってば。カンパネルラはイケメンなんだから、シルエットからイケメン臭漂わせなきゃダメだよ。真剣につくりなさい!」
「イケメン臭ってなに」

 ていうか主役はジョバンニでしょ。カンパネルラより、そっちに気合い入れた方がよくない? ちなみにジョバンニは美里がつくっているけど、あんまりイケメン臭は感じなかった。むずかしいぞ、イケメン臭。

 人形づくりグループは、けっこう穏やかに作業が進んでいく。

「あたし、演劇部の子から発声練習教えてもらったんだよね」

 須川さんの声がした。ジョバンニ役の遠藤さんと、カンパネルラ役の須川さん。脇役のキャストたちも、須川さん寄りの派手めな子で固められていた。

 須川さんが声をやるんじゃ、カンパネルラも色素薄い系にはならないかもしれない。ぎらぎらして発光する系イケメンになってしまう。そんなぎらぎら系に囲まれて、遠藤さんは大丈夫だろうか。

「ほら、彩、お手本でやってみせてよ」
「……あ、あたし……?」
「だって主役じゃん。ほらほら」

 急き立てられる遠藤さん。人形づくりグループのほかの子たちも声には気づいているはずだけど、我関せずで自分たちの会話をつづけながら作業している。

《同情》《愉しい》《気まずい》《愉しい》

 蛇のように、いろんな感情が身体をなめるように這っていく。下書きのためのシャープペンシルを置いて、ため息をついた。見てはいけないと思うのに、ちらりと遠藤さんを見てしまう。目が合った。

 だけど遠藤さんの感情は、とくに伝わってこなかった。

 わたしは一度ゆっくりとまばたきして、窓の外に視線を移す。空の青と、海の青が交差する場所を見つめた。雲がひとつもない、いい天気だ。空と海の青は同じじゃない。微妙にちがう色合いをしている。

 青いな。うん、青い。

 遠藤さんも、窓の外を見たのかもしれない。

《ああ、青い》

 そんな声が聞こえた気がした。わたしに伝わるのは、いつも感情と呼ばれるような、あいまいなものばかり。でもときどき、まるでわたしの頭の中でささやかれているみたいに、そのひとの声まで聞こえてくることがある。

《青い。青い。青い。――つらい》

 ぴくりと、わたしの肩がふるえた。

「ご、ごめんね。ちょっと、お手洗い……」

 遠藤さんが席を立つ。須川さんたちはあからさまに顔を歪めたけれど、「すぐもどってきてよ」と催促するだけにとどまった。遠藤さんのか細い背中が、廊下に消えていく。

 心臓が、どくん、と嫌な音を立てる。

 ――どれだけ自分が苦しんだって、世界は変わらない。青い空は美しい。漫画みたいに、自分がつらいからって、空もいっしょに泣いてくれるわけない。世界にひとりぼっち。こんなにつらいのに、だれもわかってくれない。空は青い。海も青い。驚くほどに、きれいな青。あたしは、こんなにつらいのに――……。

「のどか?」

 ガタン、と立ち上がったわたしに、美里が不審を浮かべる。

 遠藤さんの感情が、べっとりと頭にはりついていた。

「のどか? ちょっと大丈夫?」
「……ごめん、お腹痛いかも」
「え、まじ?」
「すこし抜けるね」

 わたしはあいまいに笑って、教室を出た。しっかりと扉を閉めてから、遠藤さんの姿を探す。