湊と遠藤さんと歩きながら、わたしは海を眺めていた。とにかく遠藤さんにだけは、注意がいかないようにする。彼女の感情に呑み込まれないようにしなきゃ、危険だ。

 ――感情が、うるさい。

 そう、感情が。

 わたしの身体には、他人の感情がなだれ込んでくる。

《うれしい》《悲しい》《寂しい》《イライラする》《緊張する》

 そんなだれかの感情が、まるで境界線なんて無視して、赤の他人のわたしを襲う。それはときに、ゆるやかな感情の波として。それはときに、恐ろしい津波のようにして。

 最初はそれでも、この特異な体質を便利だと思った。だって、世界を生き抜くためには、他人の心を読むことが必要だから。

 わたしたちはまわりに合わせて、人間関係をつくっていくしかない。一歩でも輪から外れてしまえば、弱者になる可能性がある。弱者。異端者。ぼっち。イタイやつ――。

 なるべく世界に溶け込んで、波風立たせず、ひっそりと生きる。それが、わたしが考える処世術。だから、ひとの心を読めたら、きっと生きるのが楽になる。そう思った。

 結果を言えば、簡単なことじゃなかった。

 うれしいとか楽しいとか、そういう気持ちなら、まだいい。でも怒りや悲しみが唐突に、しかも激流のように流れ込んでくるときは、気持ち悪くて頭が痛くて息ができなくて、しまいには倒れそうになる。

 たぶん、その感情の持ち主よりも、わたしのほうがしんどいんじゃないだろうか。自分の感情と、他人の感情が混ざり合って、反発して、どれが自分の感情だかわからなくなるんだ。わたしの身体はひとつしかない。他人の感情なんて、処理しきれるわけがないんだから。

 遠藤さんは、危険だ。

 先頭を歩く湊が、教室の扉を開けた。

「あ、おかえり、のどか。ってなんか、顔色悪くない?」

 美里が、びっくりした顔で駆け寄ってくる。

「ううん、大丈夫。平気平気」
「そう? ほんとに?」

 美里から流れてくる感情は、あたたかい。ほっとした。

「あの、三糸さん……」

 控えめな声をかけてくるのは、遠藤さん。遠藤さんも、心配そうな顔。わたしは、にこりと笑みをつくろった。

「じゃあね」

 須川さんたちに目をつけられないうちに、美里を連れて窓際の自分の席につく。遠藤さんがなにか言いたそうだったのは、気づかないふりで乗り切る。

 お願い遠藤さん。近づかないでよ。
 わたしは目立たずに生きていたいの。そっとしておいて。