「………」
前世、天界最高神の龍神の巫女は忽然と姿を消した。
それが、瘴気に取り込まれていた? 榊や最高神の龍神がいくら探しても見つからなかった。
すり、と目を閉じたままの美也が榊の手に自分の頬をこすりつけた。
「美也?」
「んん~、ちゃんと撫でてください~」
「あ、ああ……」
美也が目を閉じたまま言葉を発したので、寝ぼけているのか起きているのか榊は判別しかねたが、美也の言う通り頬や頭を撫でる。
すると、美也の顔はにへら、とゆるんだ。まだ目は開けない。
「そーですそーです。ねえ榊さん、約束、憶えてますか?」
「約束?」
榊が返すと、美也はぼんやりした声で答えた。
「二人で幸せになりましょう、って……」
「―――」
「あれ? お前は幸せになる、でしたっけ? う~ん? よくわからない……まあどっちでもいいです。榊さん、私のこと迎えてくださいね」
ぼんやりした美也の声。
「―――」
帯天の膝に頭を載せたままの美也を抱き寄せて、きつく腕の中に閉じ込める。
「……え? 榊さん? あれ? あの……?」
今意識が戻ったというように、美也は慌てた。先ほどは寝ぼけていたのだろうか。
「美也……ありがとう」
「え? どうしたんですか? 私、なんかしました? あ、帯天さん、こんにちは」
帯天は慌てたようにこくこくとうなずいた。
美也が帯天に二度目の挨拶をしたことから、先ほどのことを憶えていないとうかがえる。
「榊さん? ……大丈夫、ですか?」
「ああ……」
榊が言葉を贈ったのは、巫女に対してだった。
お前は幸せになる、と言葉を贈ったのは、美也にだった。
――巫女は榊のことを、榊様、と呼んでいた。
……美也と巫女を分けて考えなければいけないと、榊は自分を戒めてきた。
巫女の代わりに美也を大事にするのではない。美也個人として見て、接しようと。
けれどもし――美也が前世の記憶や感情を持っていなかったとしても、美也の中に巫女が在るならば。
さきほどの、美也が知らないはずの言葉を、美也が知っていたことにもうなずける。
巫女がいたから美也がここにいる。美也がここにいるから巫女が生きた証となる。
無理に二人を切り離さなくてもいいのかもしれない。
巫女を愛していた自分と美也を愛している自分の気持ちは別物だと断じられるが、両方の気持ちを持っているのは榊という一柱でしかないのだから。
「美也……愛している。美也が俺への気持ちに名前がつくまで返事を求めたりしない。でも……一緒にいる未来を望んでも、いいか?」
「……~~~~~っっっ。榊さん、そういうの、今言うのは反則的です………」
「否定、ではないんだな?」
抱きしめたまま問いかけると、美也はむうとうなった。
「だって……私、言いましたよね? 榊さんのとこに来るのは、私には当たり前みたいな感覚だって……」
「ああ、聞いた」
その言葉を聞いたとき、榊は違和感を持った。榊が見てきた人間に、そういう感性を持った者がいなかったからだ。
恋愛感情があるかわからない相手のもとに、自分の意思で行くのを自然だと思っている……ということが。
家や親が決めた結婚相手のもとに嫁ぐしかない人間は多く見てきたが、美也はそのどれとも違った。
――榊のもとへ来るのが自然だったのは、美也の前世だ。二人の間で結婚の約束をし、周りにも話を広めている途中だった。
美也に前世の記憶がなくとも、前世の名残はあったのかもしれない。
榊が腕をゆるめると、美也は恥ずかしそうな顔で榊を見てきた。
「今、私も同じ気持ちです、って返せないお詫びって言うか……なんですけど……」
「うん?」
「榊さんへの気持ちにつく名前が、すき、だったら、いいなあって思います……」
かーっと頬を染める美也に、榊は、もうそれは好きなのではないか? と言おうとしたが、美也が懸命に自分の心と向き合ってくれているのもわかったので、「ああ」と答えるにとどめた。
美也の年齢からしても、返事をせかすものではない。
榊の言葉を聞いた美也は、安心した顔になる。
「それから――榊さんは私が幸せにします。私は榊さんがいてくれたら幸せなので、ずっと一緒にいて、退屈させませんから。ひゃ、百面相とか得意ですしっ」
言っている途中で恥ずかしくなったのか、美也は早口になって言い切った。
榊は優しい気持ちで美也を見つめる。
腕の中から突如いなくなってしまった存在。今世こそは幸せになってほしいと、ずっと見守ってきた。
なぜ瘴気に取り込まれたのか、巫女はどういう最期を遂げたのか、わからないことはたくさんある。
だが美也の中に巫女を求めようとは思わない。ただ、巫女という過去世を持った美也を、これからも――
「美也、愛してる。美也がいてくれたら俺も幸せだから、傍にいてほしい」
「っっ、は、はい……」
恥ずかしそうに赤くなるこの子を、二度と手放さない。
今すぐ手元に迎えることが無理でも、これからは自分が彼女を幸せにしていく。
美也が慌てたように体を離して、榊を見上げた。キッとした、凛々しい顔で。
「でもですね、榊さん。『お前は幸せになる』って言ってもらってるので私はそうなることを確信してますけど、私が幸せなことばっかしてもしょうがいないですからね? ちゃんと――二人で幸せになりましょう」
凛々しい様子から一変、ふわりと美也から聞こえたあの言葉。
その言葉に、榊には笑みが浮かんだ。
約束を。
あの日交わして、果たされなかった約束を叶えていく。
美也が幼いあの日に約束したことを、叶えていく。
――榊と美也の、あの日の約束。
「はあっ……はあっ……」
巫女は無我夢中で神殿の中を駆けていた。
巫女以外の人間が入ることをゆるされていないここに、助けてくれる人はいない。
「龍神様……! いえ、目覚められるまでまだ時間は必要なはず。榊様っ……遠すぎる……せめて、ツカサ様にこのことをお伝えしなければ……!」
黒い霧のようなものが、巫女の足元までやってきた。
なんとか逃げようとするも、からめとられ呑み込まれてしまう。
(これは……なに? あやかしでも神堕ちでもない……瘴気? でも、瘴気がこんな意思を持ったように動くなんて……)
ただ黒しかない世界で、落ちそうになる意識を奮い立たせ巫女は考えた。
頭を動かしていないと、思考まで吞み込まれてしまいそうだ。
水の上にたゆたうような浮遊感。懸命に意識を保とうとするも、巫女の瞼はだんだんおりていった。
重い。身体が。ここはなんだ? 私は生きているのか? それとも、もう……
「―――」
闇を切り裂くような一条の光が、巫女の瞼に明るさをもたらした。
「巫女殿!」
声とともに黒い霧が徐々に消えていくのを感じた巫女は、だるい体と重たい瞼で地面に横たわっていた。なんとか持ち上げた瞼。
「……サク、ヤ、さま……?」
巫女のぼやけた視界に映ったのは、サクヤという名の、何度か逢ったことがある人物だった。
金糸と銀糸を混ぜたような色の長い髪に、左右で違う色の瞳。忘れるはずがない美貌。
「ご無事ですか!? 巫女殿、瘴気に取り込まれていたようですが……」
「しょう、き……」
巫女の声はかすれている。どれほどの時間が経ったのかわからない。
だが、自分は助けられたということは理解できた。
サクヤは剣を手にしていた。
外に出たことすらない姫君のように重ね着た着物姿には似つかわしくないのに、不思議と当たり前のような光景だと思えた。
そして重いだろう剣を、サクヤは軽々と扱っている。
巫女の唇から、息がもれた。
「わたし、は……もう……さかきさまの、ところへは……いけません……」
瘴気に取り込まれて穢(けが)れを負った人間を、神格が花嫁にするなどあり得ない。
巫女は、自分の隣に膝をつくサクヤの口元を見た。
「サクヤ様……お声が……」
サクヤは声が出なかったはずだ。
巫女もその声を聞いたことは一度もない。だが、さきほど大声で呼ばれた。
自分の喉に手を当てたサクヤは、哀しそうに眉尻を下げた。
「サクヤ様……あなたは……」
「私は、月天宮(げってんぐう)の斎宮(さいぐう)となるべく育てられました」
「げってんぐう……? それって……」
「月の宮は存在します。そこで私は、姫巫女と呼ばれていました」
月天宮。姫巫女。巫女は、驚きで目を大きく開いた。
「サクヤ様は……月の宮のお方……」
「ええ……」
この国の人間ではなかったのか。
ならば今、巫女が願いをかけるのはサクヤしかいない。
ただひとり、巫女を助けてくれた人。
「サクヤ様……いえ、月天宮の姫巫女様。どうか私に、時間をくださいませんか……?」
「時間、ですか?」
サクヤが巫女の額に手を添える。すると巫女は、少し苦しいのが和らいだ気がした。
ほうと息を吐きながら言葉を続ける。
「この身では、榊様の前に姿を見せることも出来ません……。この瘴気を浄化して、今一度、逢いに行きたいのです……」
瘴気にむしばまれている己の身体。
サクヤが助けてくれなかったら、生きることも死ぬこともなく、巫女は瘴気の闇をただよっていただろう。
「……わかりました。瘴気(これ)が存在してしまった原因は私にもあります。巫女殿の願いを叶えましょう。ですが……浄化に、幾年(いくとせ)の月日がかかるかわかりません。目覚められたときに、榊殿がいないことも……」
サクヤは言いにくそうだったが、巫女はそれを否定する。
「いいえ。必ずいてくださいます。だって、約束したんです、二人で」
二人だけの約束。あと少しで、叶えられるところまで来ていた。だが、もう無理だ。自分では叶えられない。だから次に託すのだ。
サクヤは顎を引いた。
「……わかりました。榊殿には、お伝えしますか? それと、巫女殿の龍神殿は……」
「どちらにも伏せなければならないこと、でありましょう? この瘴気は、龍神様も、榊様も管轄外のはずです。関われるのは、ツカサ様くらいのものかと……」
サクヤは厳しい眼差しをする。
「……ええ。これは、ツカサ様が管理しなければならないものです。ですから私が出てきました。ツカサ様には無断で来ましたが。……良いのですか? 巫女殿は、龍神殿の巫女であり、榊殿とは婚約をされておいででは……」
サクヤの心配に、巫女はなんとか動く首を、軽く横に振った。
「私は、人間です。龍神様の声を届けるために神殿に在ることをゆるされてきましたが、本質は人なのです。神格にも、人間にも、どちらにも傾くことは出来ます。だから、中立でいなければならないのです。……榊様に、龍神様に、お別れを言えないのは淋しく辛いです……ですが、私の罪は私のものです。瘴気の神殿への侵入をゆるし、あまつさえ取り込まれてしまった……私も、代償を払わねばなりません」
次の自分に託す。これはもはや賭けだ。
次の自分が榊の近くに存在できるかはわからないし、そもそも生まれ変われるかもわからない。
この身に浴び過ぎた瘴気がある限り、巫女は眠って浄化を続けなければならないのだ。
「……承知しました。では、私一人の胸に留め、巫女殿をお送りしましょう」
サクヤが、凛とした声で言い切った。
「ありがとう、ございます……。サクヤ様、一度でも貴女様のお声が聞けてよかった。どうぞ、ツカサ様と、お幸せに……」
「巫女殿も、いつか必ず、榊殿と……」
「……はい」
巫女の姿が光に包まれ消えていく。
サクヤは瞑目し、巫女の魂が迷わず黄泉路(よみじ)を歩けるよう、祈った。
そして幾年の彼方でも、榊の傍近くに、生まれられるように……。
END.
最後までお読みくださりありがとうございます!
小川真澄です。(旧名・桜月澄です)
最初に謝罪致します。虐げられるお話、難しかったです! なのでほわんとした表現になってしまった気がします汗
これが今書ける精一杯だったのですが、これからも色んなお話を読んで精進致します……!
美也、榊ともに初出のキャラになります。榊はもっと神様感出したかったです……。美也は自己肯定感高めを意識して書きました。
白桜、百合緋たちは既出キャラです。『月華の陰陽師』ではメインキャラです。ほかのお話にも出ていますが、こちらのお話では時間的に黒藤が転校してくる前なので、黒藤は出ていません。
最後に出てきたキャラは……これからをお楽しみにどうぞ!
天界の龍神に名前をつけなかったのは、なんとなく、人間に呼べる名前はない感じがあるなな、と思ったからです。深い理由はないです。
わたくしごとなお話ですが、継続して買っている漫画が三つほどあるのですが(うち二つは40巻越え、ひとつは百巻越えです。途中で知ったり一時期離れたりして、持っていない巻もあります)、最近ほぼ毎回同じ月に発売されます。
発売日が楽しみでネットで予約して買っていたのですが、漫画や店舗によってはそのお店だけの特典もあるのですね(栞やぺーパーなどのあまり告知されない特典)。
絵にほれ込んでいるコミックスや小説は、栞やペーパーのおまけがつくと、特に店舗で買いたくなります。
なので必ず発売日にゲットできないというジレンマも発生しそうです笑
ネットの本屋さんは告知される特典もあるので、ネットと店舗、どちらがいいという話ではありませんが、本屋さんを歩くのは大好きですし、急を要するお買い物はネットが助かる場合が多いです(関東の田舎住まいで近くに本屋さんがないので)。
それでは、次のお話の準備を始めようと思います。
次作も和風ファンタジーで、美也と榊もちらっと出せたらな~と考えています。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
寒い時期になりますので、どうぞご自愛くださいませ。
それでは、また!
2023.11.10 小川真澄
「あれ、美也ちゃん帰らないの?」
「ちょっと寄ってくとこあるんだ」
「そっか。またねー」
「ばいばい、舞弥ちゃん」
いつもとは違う方に駆けだそうとした美也を見て声をかけてきた友達に手を振って、美也は足を急がせた。
今日という日は、美也が自分に約束をした日だった。
一気にあがることも慣れた階段を上り切る。見える世界に広がるのは、小さなあやかしたち。
「巫女様!」
「ごきげんよう巫女様!」
「ごきげんよう、みんな」
美也は軽く笑いながら返事をする。榊の庇護下にある小さなあやかしたちの間ではこの挨拶がはやっていた。
「榊さん、います?」
「おられますよ! 呼びましょう!」
『さーかーきーさーま!』
「わかったわかった、大合唱はちょっとうるさい」
庭にいた小さなあやかし全員に呼ばれ、堂の方から榊が姿を見せた。
呼ばれた理由が美也がいるからだとわかった榊は途端に嬉しそうな顔になる。
「美也!」
「お、お久しぶりです、すみません、最近来られなくて」
「理由はわかっているから謝ることなどない。受験……どうだった?」
「今日が本命なので、やることはやりきりました。どうなっても後悔はないです」
「そうか……がんばったな」
いい子いい子、と榊が美也の頭を撫でる。
美也はいつも通り嬉しくてにへら~としそうになったが、今日ここへ来た目的を思い出して顔を引き締めた。
「あの、あのですね、榊さんにお話することがありまして……」
「なんだ?」
「―――」
男性のはにかんだような笑顔と、榊の神々しさで美也はノックアウトした。
「美也!? 大丈夫か!?」
「だ、だいじょうぶ、です……」
――受験の大詰めでほとんど神社に来られなかった美也にとって、久しぶりの榊は衝撃が強すぎた。
そもそも、こんなに榊と逢わなかったのは初めてだった。
(いけないいけない。榊さんが神々しいのはいつものことなんだから、今日こそは!)
「前に私、恋愛かどうかはわからない、って言いましたよね」
「……ああ」
「私、榊さんのこと好きです。大好きです。なんかこう、少しだけ離れてみて、わかった言いますか……榊さん?」
逢わないでいた間に、ひとつだけわかった。
それが榊への感情が、恋情であり愛情であること。
早く逢いたかった。もう自分から切り離せない存在になっていた。榊がいないところで生きていく意味がないと思った。
どうしてもどうしても――榊の一番になりたかった。
美也自身、榊の恋人だった人の生まれ変わりというのは承知している。
美也の中でだんだん、記憶にないけど憶えていること、が増えていった。それが彼女の記憶だと、なんとなく理解して、それでも嫌な感覚はなかった。
巫女は自分であり、自分は巫女でもあるのだと。
同一人物ということではないが、切り離さなくていい存在、となっていた。
「いや……美也が真っすぐすぎて……可愛くて……だな」
「か、からかわないでくださいっ」
「からかってない。……先ほどの言葉、撤回はなしだからな?」
「し、しませんそんなこと」
「美也――」
真っ赤になる美也の腕をそっと引いて、榊はその耳元にささやいた。
「――――」
ばっと耳を押さえた美也は、先ほどよりも真っ赤で。
「~~~榊さんっ」
「本当のことだ。美也、これからは恋人として一緒にいてほしい」
「……私からもそうお願いするとこでした」
美也が答えると、榊はぎゅうっと抱きしめてきた。
「榊様―! おめでとうございます!」
「巫女様、榊様をよろしくお願いします!」
「え? あっ」
美也は、小さなあやかしたちの目の前で告白していたことに気づいて、真っ赤になる一方だった。
恥ずかしさから顔をあげられない美也と、嬉しさから美也を抱きしめたままの榊が、小さなあやかしたちの祝福の中にいた。