龍神様とあの日の約束。【完】


部屋を出るとき美也を見てきた奏は、勝ち誇ったような顔をしていた。

自分の親からの信頼も一部失っているのに、何も気づかずに、自分を優位に置いていないと気がすまないのか。

(なんかもう……哀れに思えてきた、この人……)

奏に対し恐怖はあるが、いだく感情が憎しみや妬みにならないのは、美也を大事な存在だと、その心を庇護してくれた存在がいるからだ。

心までは奏の傀儡(かいらい)にはならなかった。

(でも……)

自分の部屋の前まで来て、右手を持ち上げて見る。

先ほどの……光と、消えた水はなんだったんだ? 

泥棒の仕業かと思っていたが、あんな手品みたいなこと、遠隔で出来るわけがない。周りにそんな仕掛けもなかった。

「おい、美也」

考えにふけっていると、階段をあがってきたおじに呼ばれた。

はっとして、おじを見返す。

「はい……」

「お前の部屋からとられたものはないんだよな?」

「は、はい……ご覧になってください」

開けっ放しの自室のドアの前にいたので、体をずらしておじに自分の部屋を見せる。

「うわ」

それがおじの第一声だった。

それから、何か考えるような間を空けて、美也を見てきた。

「自分でやったのか?」

「い、いえ……先ほど、私の部屋にないかと探されたんです……」

奏さんが。

名前までは言わなかった。おじが本当に、これをやったのが美也だと思っているかどうかはわからないけれど、美也のこの返事ではこれをやったのは奏だと言っているのと変わらない。

「めんどくせえ……」

おじはこういう人だ。とかく、面倒くさがり屋。

美也がいることも、面倒くさいくらいにしか感じていないのだろう。

「片付けやれよ。あと、うるさくするな」

「は、はい……」

とりあえず怒られなかっただけマシか……と、美也はほっと息をついた。詮索されることもなくてよかった。

「奏、ほかにとられたものなんてなかったぞ。自分でどっかやったんじゃないか?」

少し離れた場所から、おじの声がした。

「そ、そんなはず……っ」


「いや、お母さんも一緒に見たけど貴重品も変わらずあるよ。美也の部屋も、あそこまでお前が調べてなかっただろ? もう一度自分のバッグとか調べてみなさい」

言い返す奏と、なだめるようなおじの会話。

お風呂に入っていないけど、今日はもう部屋を出るのはやめようと決める美也だった。


+++


暗くした部屋でベッドに横になって、昼間のことを思い出す。

奏の騒ぎで感慨にふけるどころではなかった。

おまけに部屋の片づけに時間を取られた上に、奏の騒ぎで疲れたのを自覚していたので、睡眠に時間を使うことにした。

(榊さんが来てくれて……でも、全然騒がれてなかったんだよね……)

榊ほど見た目が整っている人は、小さな公立中学にはいない。だからこそ目立つと思った。

(それで、奏さんが鏡をしまったっていう場所が水浸しになってて、鏡はなくて……)

美也がその水に触れたら、はじかれるように消えてしまった。

(………。いや? 待て待て待て)

今更ながら、理解が現実に追いついてきた。

仰向けだったのを、横向きになって暗闇の中目を開く。

闇に慣れた目は、目の前に置いた自分の手の輪郭は捉えることが出来た。

(ちょっと待て? 色々おかしいことだらけじゃない? 榊さんが学校に来た時は、色々ショックを明かせたこともあって目立たないかなって心配しかしなかったけど、どの世界にただの知り合いの子を心配して侵入してくる人がいる? いくら見た目が若いからって、中学生は冒険しすぎ)

榊なら、まだ教師や出入りの関係者を偽った方が早い。

(それに、なんで誰も榊さんの話をしてないの? 見られていなかったってこと?)

それは難しい。昼休みで色んな場所に生徒があふれている時間だった。誰にも見られないなんて可能だろうか。

(あの鏡も……手品だと思い込んでいたけど、どうして私と榊さんが話すことが出来たの?)

考え出せば、榊にまつわる不思議な出来事は尽きない。

(見た目の変わらない榊さん……。どこに住んでるかも知らないし、どんなお仕事をしてるかも知らない……)

そこでひとつ思い至った。

榊は本当に人間だろうか――?

(幽霊? 私にしか見えない存在とか、そういう理由の方が納得できる……)

老けないことも、不思議なことが出来ることも。


(……私をあの世に連れて行こうと……してるんなら、あの時止めてないか……)

それどころか中学三年生になる今まで、ずっと見守って支えてくれた存在だ。

疑う、という気持ちより、不思議という感情が勝っている。

どうして私だったんだろう。どうしてずっとそばにいてくれたんだろう。

そしてあの鏡。水となって消えてしまったように思える。

(宝物……取り返せるかわからなかったけど、消えちゃったんだ……)

奏があそこまで怒り狂うなら、美也への嫌がらせのために自分で隠しているわけではないだろう。

榊に、ごめんなさいと言わなくちゃ。

(明日……朝、榊さんが待ってるって言ってくれてた……)

逢えば、いつも通りに振る舞えるだろうか。

いや、難しい。

榊に対しては素直な気持ちが出てしまうので、たぶん、今、心のある疑問を口にしてしまう。

そうしたら……もう、この関係は終わってしまうかもしれない。

幽霊の榊が消えてしまうとか、美也がこの世ではない場所に連れていかれてしまうとか……榊を人間でないと仮定すると、想像は膨らむ一方だ。

(明日……朝、私、行けるのかな……)

不安と疑問にさいなまれて、結局美也は明け方まで眠れなかった。


「ま、間に合ったーっ」

始業のチャイムぎりぎりに、美也は教室に駆け込むことができた。

「おはよ美也。どーしたの、こんな時間って初めてじゃない?」

「おはよ~。今朝、寝過ごしちゃって……」

話し掛けてきた前の席の友達に、驚いた顔で言われた。

美也は、あははと笑って誤魔化す。

ほとんど眠れなかった美也は朝、いつも起きる時間より遅くなってしまった。

それでも愛村の三人が起きてくるよりは早かったけど、慌てていつもの朝の支度を終わらせた。

だが、榊と約束した時間を作ることは出来なくて、榊が言った神社に寄る時間もなく学校へ走ってきたのだった。

(榊さんにはいつも逢いたかったはずなのに……逢えない状況になってほっとしてる、私……)

自分の席について、そう自覚した。

すぐに担任が入ってきて、いつも通りの『学校』が進んでいく。

日常の中に身を置いて、榊の存在がいかに浮いていたのか、改めて感じてしまった。


+++


(帰りは早く帰らなくちゃいけない……って榊さんもわかってるよね……)

朝、逢いに行けなかったことを謝るべきだろうと思いつつも、状況がそう出来ないことを理由に、榊に逢うことが出来ない言い訳を作った。

……こわかったから。

榊が人ではないと疑っていて、それが本当だったときのことが。

自分がどうにかなってしまうんじゃないか、より、榊との今までの関係が壊れることが怖かった。

一人、考えながら帰り道を歩いていた。

「ちょっと、どこへ連れて行くの?」

ふと、女性の声が聞えた。

柔らかくて、優しくて、聴き心地のいい声だ。

今歩いている場所は住宅街なので、どこかの家から出てきたとか、距離的に聞こえる位置を歩いている人だろうと思って、美也はただまっすぐ歩いていたら。

「あら? あの方? あの……」

と、前方からやってきた人が立ち止まって、美也を見てきた。


「え……?」

その少女をまじまじと見る美也。

初めて見る人だ。

このあたりの学校の制服ではない。

美也より少し身長は低くて、長い髪はハーフアップに結われている。

白磁の肌と瞳の大きな穏やかな顔つき。

美少女、そんな言葉が似合う人だった。

「あなた、あの方の巫女様ですよね?」

「………はっ?」

美也は素っ頓狂な声が出た。

思わず、自分以外にかけられた言葉かもしれないと辺りをきょろきょろした。

しかし、美也のすぐ近くには誰もいないし、小柄な女性は美也の目の前にいて美也を見ている。

ばっちり目が合ってしまった。

ふわっとほほ笑む少女。

「いきなりごめんなさい。わたし、月御門(つきみかど)家に居候している、水旧百合緋(みなもと ゆりひ)といいます」

百合緋と名乗る少女は、体の前で手を組んで軽く頭を下げた。

美也も頭を下げたが、名乗っていいものかは悩んで、結局「はあ……」とだけ答えた。

水旧百合緋というその名前も、月御門という名前も、美也は初めて聞いた。

「あの……どこかでお逢いしましたっけ……?」

「いえ、初対面です。ちょっとあなたに用事あるって子に呼ばれて来たんですけど……ああ、早く帰らないといけないんですね? では、また日を改めます」

「え……」

早く帰らないといけないなんて、美也は口にしていない。どこからの情報だ?

美也が考え込んでいると、少女は更に言葉を続けた。

「……もしかして今、榊様のことで悩んでおられます?」

百合緋がずばり言い当ててきた。

どきっとした美也は、それが顔に出てしまったことがわかった。

今、榊の名前を出した……?

「そうですよね、色々と大変ですよね」

百合緋は、頬に手をあてて困ったように言う。

ひとつひとつの行動が、まるでファッション雑誌のモデルのようである。

「あの……?」

「もしよろしかったら、お時間のあるとき月御門の家に来てくださいませんか?」

「え……?」

美也が驚いた反応をすると、百合緋は自分の胸に手を当てた。

「今かかえていらっしゃること、解決できると思います。あっ、怪しいものじゃないですからね? 変な勧誘とか宗教じゃないですから。えーと……」

そう言いながら百合緋は制服のポケットから、手帳を取り出した。

差し出されたので、受け取って中を見る。

「斎陵(せいりょう)学園……?」


それは生徒手帳だった。

少し離れた場所にある、由緒正しい学校。旧家の生徒も多いと聞く。

そんなところに美也は、縁もゆかりもない。

「あの、本当に私であってますか? その、お話する相手……」

自分がそんな話に関わっているわけがないとわかっているので、そう問い返した。

対して百合緋は、穏やかにほほ笑んで答える。

「はい。間違いありません。清水美也さん」

(! 名前……私、教えてないよね……?)

背筋が冷えた。榊のことに続き、この人も、人間じゃない何か、とか――

「あ、もしかして不安になっちゃってますか? その、月御門っていうのは、陰陽師の家なんです」

「おん、みょうじ……?」

知ってはいるが、そんなのテレビの中とか物語の中の存在ではないのか。

「はい。詳しいことは、いらしてくださったときにでも。こちらが月御門の家までの地図です。お時間あるときでしたら、いつでもいらしてください。では、私はこれで」

百合緋はぺこりと頭を下げると、小走りで戻っていった。

ぽかんとした美也は、生徒手帳と交換するように渡された紙切れを手にしたまま、百合緋の背を見ていた。

(な、なんだったの、今の……)

いきなり現れて美也の悩みを言い当てたり、名前を知っていたり……百合緋も人間じゃないと疑い出している美也は、ぶるりと震えた、思わず両腕を交差させて自分を抱きしめるようにすると、夏服の半袖からのぞく腕に鳥肌が立っていた。

「――って、本当に早く帰らなくちゃ!」

百合緋の登場で時間を食ってしまったので、いつもの帰宅時間はすぎているかもしれない。

美也は慌てて駆けだした。


+++

一晩中、本当に一睡も出来ずに悩んだ美也は、翌土曜日、ひとり電車に乗っていた。

月御門という名前は聞いたこともないし、パソコンやスマートフォンを持たない美也に検索することも出来なかったけど、なにかひかれるものがあった。

――行ってみよう、という直感のようなものが。
 
ノートなどの学業の必要品を買うために渡されているお金から、渡された紙切れに記されている駅までの往復の電車代だけを小さなショルダーカバンに入れて、美也は愛村の家を出た。

休日は愛村の三人はほぼ出かけているので、家事をこなせばそうそう怒られることはない。

虫の居所が悪ければあれこれ理由をつけて怒鳴られるけど。

着いた駅は広い造りながら騒々しくなく、高級住宅街に中にあり、見渡す奥には山を背負っている場所だった。

「美也さん」

駅を出た美也はまたもやびくっと肩を震わせた。

いきなり名前を呼ばれたけど、心当たりがないし、美也をそんな風に呼ぶ人も知らない。

きょろきょろとすると、駅の階段下に、美也に向かって手を振っている少女がいた。百合緋だ。

「あ……」

美也が言葉に詰まっていると、百合緋が駆け寄って階段を数段あがる。

「来てくれてありがとうございます。おかげで怒られなくて済みます」

「え……?」

怒られる? 誰に?

戸惑っていると、百合緋の後ろをついてくるように歩いてくる女性もいた。

(う、わ……)

その女性はすとんとした丈の長いワンピースを着ていて、長い黒髪は綺麗に編まれていて、化粧っ気がないのに透き通るような白い肌と、程よい明るさの唇の色をしている。

(び、美女……)

百合緋は一度会っているのでショックは薄らいでいたが、初対面のその女性には圧倒された。

「美也さん、こちらは天音っていうの」

「初めまして。清水様。天音と申します」

「は、はじめまして……清水美也です……」

様づけで呼ばれることにも驚いたが、色々と動揺している美也の頭はむしろ落ち着いてしまっていた。

名乗ると、女性はにっこり微む。

「今日は月御門の家までの案内役と、護衛を仰せつかっております。歩きの方が良いと主が申しておりまして、そう遠くはないのでご一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」


「は、はい……」

美也は半ば呆然としながらうなずいた。ここまでくると、なるようになれと思ってしまう。

百合緋が導く形で、三人は歩き出した。天音は一番後ろをついてくる。

ただ、ひとつ確認しておきたかった。

「あの、水旧さん……」

「百合緋でいいですよ」

「……百合緋さん、どうして今日、私が来るってわかったんですか……?」

美也は、月御門という家の場所は教えられたが、百合緋と個人的に連絡が取れる方法はなかった。

だから、地図を頼りに月御門なる家まで行こうと思っていたら、見計らったように百合緋が駅にいた。

不思議でしかない。

百合緋はにこにこと答えた。

「白桜――月御門の当主が、そう言ったからです」

「……当主?」

当主って、時代劇とかに出てくるようなやつだろうか。

おじが、時代劇が好きでテレビで流していることがある。

「そう、月御門家の宗家である、御門流の当主が、私と同い年で一緒に住んでるんです。その人の言葉だから、私は疑わずに駅に行ったら、ぴったり美也さんが来たんです」

月御門は陰陽師だと言っていた。

美也は深く突っ込んで確かめねばならないことが多すぎて、どこから聞いて行けばいいのか頭の中で整理できなくなっていた。

色んな情報がぐるぐるしている。

「美也さんは今、何年生ですか?」

「あ……中学三年です」

百合緋が自己紹介のような簡単な話題を振ってくれたので、美也の脳内が少し落ち着いた。

「私高一だから、ひとつ上なんですね。美也さんって呼ばれるのは抵抗あります?」

年上だった。百合緋は小柄だけど、すごく落ち着きがあると美也は感じていた。

「いえ、なんだか……その……」

「うん、言って大丈夫ですよ?」

百合緋はゆっくり歩きながら、丁寧に対応してくれる。美也の視線は足元へ下がる。

「その……まだ現実味がないと言いますか……。百合緋さんは、陰陽師? なんですか?」

「あ、わたしは違うわ。わたしは月御門と縁のある家の人間で、わけあって月御門にお世話になってるんです。わたしはそうね……榊様のお供さんのおつかいを任された感じかしら」

(……また榊さんのこと、榊様って言った……)

百合緋は、榊の正体を知っているのかもしれない。

陰陽師に関係のある家の人が知っているとは……。

「じゃあ……榊さんとお知り合いなんですか……?」


美也は、自分の声が震えているのに気づいた。

榊と親しい人とは初めて会った。自分よりも榊のことを知っていて、榊からも信頼されていたりするかもしれない。

百合緋は、うーんとうなってから口を開く。

「一、二回会ったことはあるけど、知り合い以前の顔見知り程度の認識です。美也さんは幼い頃からお知り合いだと聞いたのですが」

その返事に、美也はまだつっかかりを覚えながらも、どこかほっとしていた。一回二回会っただけなんだ……と。

「はい……小さい頃、榊さんに命を救われました。それからもお世話になりっぱなしで……」

「榊様、美也さんが可愛くて仕方ないのですね」

百合緋が嬉しそうな顔で言う。

反対に美也はもやもやしてきた。

榊のことを美也よりたくさん知っていそうだし、百合緋の言葉を聞いても、榊のおつかい? を頼まれた人に頼られるような人がただの顔見知りなわけがないとも思ってしまう。

(はっ、いけない。善意でやってくれていることなのにっ)

心の中で、頭をぶんぶんと振った。

そして深く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

「あの……どうしてわたしに声をかけたか、教えてもらえませんか?」

「――それにつきましては、我が主からご説明させていただきます」

それまで黙っていた天音がそう言ったのを合図のように、百合緋が足を停めた。

長い塀が続いていると思ったら、大きな門が出てきた。その前で。

「ここが、陰陽道御門流宗家、月御門家の首都別邸よ。ここで美也さんの憂いが解決するように、祈っています」

百合緋が、また優しい顔で言う。

そして誰も触れていないのに、大きな門が内側へ開いた。

目をぱちくりさせる美也。

「どうぞ」

そう言った天音の姿が、黒髪のワンピース姿から、銀髪の着物姿に変わっている。

さすがにこれを手品で済ませられる美也ではなかった。

しかし驚いている暇がない。

情報と疑問が大渋滞を起こしていて、言われるがままについていくしか出来ない。

門から入って、邸内を先に歩く百合緋、それについていく美也、最後尾に天音といった並びで進んでいく。

もう天変地異が来ても驚けないかもしれない。

美也は頭の中がぐるぐるする感じがしてきた。

「あ、白桜!」

百合緋が声をあげた。

美也もそちらを追うように目をやれば、和服姿の青年がいた。

日に反射して少し茶色っぽく見える黒髪に、美丈夫というよりは美形で、先ほどの天音の圧倒するような美とは違って、人好きのする容姿だ。

(でも……もうこの人たち美の暴力だ……)