「向日葵の花言葉って知ってる?」
僕はそうやって突拍子もなく新しい世界に連れ込んでくれる君が好きだ。
「知らないや」
僕の声が君に届くまでの時間がひどく愛おしい。
「"私は貴方だけを見つめる"って意味だよ」
ああ奪われた。僕の日常を君が彩っていく。
「向日葵と君の相性はきっと抜群だね」
君の笑顔と向日葵の鮮やかさが僕の心臓を鷲掴みにする。
そんな何気ない会話に僕は囚われている。

「私好きな人ができたの」
君の持っているコーヒーカップが少しの音をたてて机に置かれる。
それが縁の切れる音だった。
「そっか」
乾いた喉から出た声はあまりにそっけないものだった。
君に伝えたいことが、君としたいことが、まだまだ沢山あったのにこの様だ。
最後にこう言っておけばよかったなと今になって思う。
「勿忘草を知ってる?」って。

君と出会ったあの夏の匂いが日に日に薄れている。
君の目尻がくしゃっとしたその笑顔は、君のお日様のような匂いは、君のゆったりとした暖かい声で紡がれる繊細な言葉たちは、どんなかたちだっただろうか。
好き、嫌い、好き、何度やっても結局君の左手の小指から伸びた運命の赤い糸が僕の小指から伸びているものと交わることはなかった。
別れは呆気なくて、薄っぺらいドアで世界を隔てたらいつの間にか終わってた。
君と別れて家へ帰る道中、風が僕に一緒に旅をしようと話しかけてきた。
煩わしいはずなのに気づいたら僕は走ってた。
遠くに、遠くに。
君の匂いが風に乗って僕の元に届かないところまで逃げるんだ。
いつぶりにこんなにも全力で走っただろう。
靴擦れが痛い。息が切れて身体が生を求める。どうやら僕はまだ死ぬ程の絶望は感じていないらしい。
アパートの錆びた階段を駆け上がって僕の城に籠る。何をするより先に布団に潜り込んだ。
夜が終わって、朝が来て。
君と別れてから友人と食事をしたり、美しい景色を見に一人で出かけてみたりもした。君が隣にいない日々も案外楽しくてそれがなんだか哀しくて虚しかった。
舌の上で転がし咀嚼して呑み込んだ君への愛の言葉がまだ胃の中に残っている。
忙しなく移り変わるテレビの画面を意味もなく見ながらソファに体をあずける。
窓に目をやると君と初めて出会ったあの日のような雨が降ってた。
君とふたりでしとしとと降る雨に傘をさして、水たまりに写った世界が揺らいでいたのを思い出す。
君にできて僕にできないことは沢山あるけれど、僕にできて君にできないことは一体なんだったかな。
そんなことを考えているうちにコーヒーを淹れるために沸かしたお湯が僕を呼ぶ。
やかんに手をかける、持ち上げる、蓋を押えて中のお湯が溢れないように、火傷しないように、そっと注ぐ。
たったそれだけ。
人間関係もきっと同じようなもの。
なのにどうしても上手くいかない僕はコーヒーを淹れるのが下手なのかもね。
なんて、変な言い回しを面白いねって向日葵に負けないくらい眩しく笑ってくれる誰かにこの先出逢えたらいいなと思いながら角砂糖を2つコーヒーに入れた。